Quantcast
Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
Viewing all 2690 articles
Browse latest View live

歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);第2日目(5);垂木坂・砥川を下る

$
0
0

                                    <国道142号線に合流>

[修正版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);第2日目(5);垂木坂・砥川を下る
            (五十三次洛遊会)
        2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2010年12月31日である.
 初稿の地図の差し替え,本文の加除修正を行った.

第2日目:2010年9月12日(土) (つづき)

<ルート地図>


※再掲


<垂木坂を下る>

■茶屋本陣跡
 西餅屋跡で早めの昼食を終える.そして,茶屋跡を軽く一回りしてみる.夏草が繁茂する空き地の端に行くと,往時の建物の基礎と思われる石が残っている.案内板によると.ここには茶屋本陣があったようである.
 幕末の頃,高島藩は水戸天狗勢の進入を阻止するために,西餅屋茶屋を焼き払って,樋橋村の砥沢口の陣をはる松本藩に合流したという.
 ここを訪れるまで,私はそんな出来事があったとは知らなかったが,動乱期の歴史の一端を新鮮な気持ちで垣間見ることができた.

<茶屋本陣跡>

■西餅屋一里塚
 11時58分,私達は西餅屋跡から歩き出す.
 国道142号線を横切って,再び野趣豊かな旧中山道に入る.すぐに,江戸日本橋から53里目の西餅屋一里塚跡を通過する.進行方向右側の土手を少し登ったところに,「一里塚」と刻字した立派な石塔が立っている.

<一里塚の石塔> 

■馬捨場跡
 大きくカーブする国道142号線を短く結ぶようにして旧中山道の道は続く.相変わらず鬱蒼とした木立の中の道である.所々に苔むした石塔が置かれている長い下り坂である.この辺りの坂を垂木坂というらしい.
  12時18分,私達は国道142号線の擁壁の上に到着する.擁壁沿いに下って,国道142号線に合流する.ここからは,ひたすら舗装道路を歩くことになる.国道142号線と合流する辺りが馬捨場跡である.すぐ近くに林道入口があるが,木柵で進入できないようになっている.

<鬱蒼とした木立の中を行く>

<水戸浪士塚>

■フヨーライト鉱業
 12時30分,国道142号線から右折して枝道に入る.案内書によれば,この分岐点付近に香炉岩があるはずだが,どれが香炉岩か良く分からないうちに通過してしまう.緩やかな下り坂が右へ大きくカーブする.このカーブに沿うようにフヨーライト鉱業という会社の大きな建物が建っている.
 フヨーライト鉱業が何を採掘している会社か良く分からないが,そのまま建物の前を通過する.道路はさらにカーブして,国道142号線のガード下を潜り抜ける.

<大きな工場の前を通過する>

■フヨ-ライトって何?
 資料4には,同社の案内があり,その中で「フヨーライトは,長野県下諏訪町和田峠付近で採掘された黒曜石を焼成・発泡して生産される良質のパーライト製品です.当社は原料黒曜石の採掘から製品加工まで一貫生産しております.」という説明がある.
 もともと私の専攻は資源工学であった,もっともほとんど全て忘れたが…でも,パーライト(Perlite)ぐらいは知っている,
 「ああ,そうか! ここはパーライト製品を作る会社だったのか」
と後になって合点.
 なお,念のため,資料5から,パーライトの記事を引用しておこう.「パーライト とは、火山岩として産出されるパーライト原石や珪藻土等を高温で熱処理してできる人工発泡体である.ガラス質の岩石中に含まれる構造水がガス化して発泡する.「真珠石」とも呼ばれる.pH値は中性を示し耐火性,耐薬品性,断熱性に優れかつ多孔質,軽量である.黒曜石系パーライトは排水性向上,わずかではあるが附着水はミネラル水となり,イオン交換性能(根腐れ防止効果)も認められる.」とのこと.
 これ以上は冗長になるので,この辺りで引用はやめるが,パーライトは園芸でも使われているようである.

■山の神一之御柱
 ガードを潜り抜けると,公園風の広場に出る.広場に入ってすぐの所に太くて長い丸太が置いてある.丸太の頭に「山の神一之御柱」と書いた立て札がある.
 多分,下諏訪神社のお祭りと関係あるのだろうと思うが詳細は分からない.
 
 <公園風の広場>                                       <山の神一ノ御柱>

■史跡浪人塚と山の神神社
 12時45分,史跡浪人塚に到着する.近くにある案内板には次のような説明が書かれている.
 「1,864年(元治元年)10月20日に,この一帯で水戸の浪士武田耕雲斉たちが千余人と,松本,諏訪の連合千余人が戦った古戦場である.主要武器はきわめて初歩の大砲10門くらいづつと猟銃少しだけで,あとは弓,槍刀が主要武器として使われた.半日戦に娘子軍に10余,松本勢に4,諏訪勢に6柱の戦死者があり,浪士たちは,戦没者をここに埋めていったが,高島藩は塚を造って祀った.碑には,当時水戸に照会して得た6柱だけ刻まれている.明治維新を前に尊い人柱であった.」
 なお,資料1によると,「1864年(元治元年)3月,水戸天狗党は筑波山で挙兵,「尊王攘夷」を掲げ家老武田耕雲斉を総大将にして京へ上る途次,ここで幕命を受けた高島,松本両藩の陣と衝突,これを劇はする.この戦いで,水戸天狗党は15名の死者を出し,ここに葬った.その後,一党は敦賀で金沢藩に降伏し,400人が斬首となる.塚には桜が植樹され,墓碑が建てられている.」
 私達は,浪人塚前で一休みする.私達一行の一部の方に疲労の色が見え始める.12時55分,休憩を終えて,浪人塚を出発する.
 再び国道142号線のガードを潜って,樋橋を渡る.そして,13時05分,山の神神社を通過する.
 
<浪人塚>                         <山の神自陣じゃ>

<下諏訪町に入る>

■祭りの準備
 山の神神社付近で,一旦,国道142号線に出るが,すぐに左折して,下諏訪町樋橋の聚落に到着する.聚落の中の静かな路地に入る.
 路地では,数名の住民が集まって.何か作業をしている.どうやら何かのお祭りの準備をしているようである.
 道路に沿って長い縄が張ってある.その縄に赤,緑,青,黄色など色々な色のテープをぶら下げている.そよ風に吹かれて,取り付けられたテープが揺れている.
 私のように大都会近郊の住宅地で,平素,ご近所とはほとんど没交渉のまま生活しているものにとっては,ご近所と和気あいあいでお祭りの準備をしているのがとても羨ましく感じる.

<祭りの準備>

■橘橋茶屋本陣跡
 聚落の一角に,大きな石柱が安置されている.傍らに立っている案内板によると,ここは下諏訪町文化財橘橋茶屋本陣跡である.
 「江戸時代初期に,中山道は五街道の一つに指定されて幹道になり,宿駅の整備が行われた.そのとき,下諏訪・和田両宿間,5里18丁(約22キロ)の峠路に立場茶屋として造られた一つがこの樋橋で,茶屋本陣小松嘉兵衛を中心に何軒かの茶屋ができた.本陣には御殿と呼ぶ小建築があって,文久元年11月6日には和宮様のお小休みがあった.元治元年11月には和田嶺合戦の戦場になるなど,交通の要地なるがゆえの事件はたくさんにあった.」

<橘橋茶屋本陣跡>

■南無阿弥陀仏
 再び国道142号線を横断して反対側の路地に入る.13時11分,南無阿弥陀仏付近で左に大きく曲がって,また国道142号線に合流する.

<南無阿弥陀仏>

■伊藤石材工業
 砥川沿いに国道142号線を暫くの間下る.そして,14時14分,伊藤石材工業の資材置き場の前を通過する.

<石材置場>

■湯のまち下諏訪の看板
 14時15分,中山道と刻字してある石塔の前を通過する.石塔の後ろには観音像と「湯のまち下諏訪」と書いてある大きな看板が立っている.

<下諏訪の看板>

■深沢橋
 14時21分,深沢橋を渡る.いよいよ下諏訪宿も,やっと視野に入り始める.

<深沢橋を渡る>
                                (つづく)

[参考資料]

資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料4:http://www.fuyo-p.co.jp/seihin/fuyolight01.html
資料5:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%88_(%E7%99%BA%E6%B3%A1%E4%BD%93)

[加除修正]
2013/8/16  地図の差し替えと本文の加除修正を行った.

「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2ef7dca12e1cdff4782a34b65ae3eec7
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b2e28f767a7656658c0f1c4bdd2d1a76
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 

 

 


歩いて巡る中山道中六十九宿巡り(第9回);第2日目(6);御柱の道

$
0
0

                                       <御柱>

[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿巡り(第9回);第2日目(6);御柱の道
             (五十三次洛遊会)
        2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2011年1月8日である.
 初稿の地図を更新し,本文の加除修正を行った.

第2日目:2010年9月12日(土) (つづき)

<ルート地図>



<砥川沿いに南へ下る>

■ドライブインで休憩
 14時21分,深沢橋を渡る.ここで国道142号線から右折して枝道に入る.温室,農機具,植木のある庭などが民家の間に散らばっている人の気配のない道が続く.
 すぐにまた国道に合流する.砥川左岸の高いところを通るトラバース路をほぼ南へ下り続ける.
 資料によると,そろそろ焼却センター沿いの枝道に左折するところに来ているが,どこで左折するのか良く分からない.暫くの間,キョロキョロと辺りを見回しながら歩くが,どうしても入口が分からないまま,通過してしまったことが分かる.
 途中に,江戸から54番目の一里塚があるようだが,私有地の中にあるために見ることができないと解説書には書いてある.
 14時33分,進行方向右側にあるドライブインに到着する.余りに暑いので,ここの自動販売機で.冷たいものを購入する.建物の日陰に入って暫くの間休憩を取る.
 このとき,ドヤドヤと10数名の団体客がドライブインに到着する.クラツリ主宰の団体客である.中年の男性が先導役をしている.東京から専用バスで真っ直ぐ現地まで来たとのことである.私達に比較すると随分と楽な旅をしている.

<ドライブインで休憩>

■道祖神
 5分ほど休憩を取った後,再び歩き出す.クラツリのグループと後先になりながら,ほぼ同じペースで歩き続ける.途中,町屋敷バス停で左折して,聚落の中の細い路地に入る.道路の両側には民家が軒を連ねている.進行方向右側の民家の間に道祖神が祀られている.
 所々に,お馴染みの青い案内板が中山道であることを示している.
 
<道祖神>

<諏訪大社御柱木落し坂>

■道祖神三御柱
 道祖神を過ぎるとすぐに路は突き当たる.突き当たりで四つの路が交わっている.
 進行方向左手のやや急な登り坂に入る.疲れ切っている身体には,かなり厳しい登り坂である.
 14時51分,道路脇に長さ5〜6メートル,末口直径50〜60センチメートルの大きな御柱1本が置かれている.柱の根元には「道祖神三御柱」と墨で書かれた木札が立ててある.この御柱を見て,いよいよ下諏訪に到着だなと実感する.

<御柱>

■木落し坂の広場
 14時53分,道路は400〜500平方メートルもあろうかと思われる広場に突き当たる.沢山の観光客が集まっている.先ほどドライブインで出会ったクラツリのグループと,ここでまた再会する.
     
<木落とし坂広場>

■木落し坂の案内板
 広場入口近くに案内板がある.この案内板には次のようなことが書かれている.
 「諏訪大社の御柱祭りは,7年目毎申・寅年に行います.規模の大きさは比類なく,天下の大祭として知られています.樅の木を奥山から切り出し,社の四角に立てるものですが,山から引き出す「山出し祭り」が御柱祭の4月,町内を曳行し建立する「里引き祭」を5月に行います.
 曳行途中,木落し坂と呼ぶこの急坂で,御柱を引き落とすのが下社山出し祭最高の見せ場「木落し」です.男意気に駆られる若者たちが,群がりうつまたがった御柱を,100メートル余り,傾斜度45度近い崖のようなこの木落し坂上から一気に引き落とします.落下の反動で,若者たちの大半は放り出され御柱とともに転がり落ちる,一帯を埋め尽くす大観衆は一瞬息を飲み,驚声と大歓声が湧き上がり,その豪壮さは筆舌に尽くせません.
 「男見るなら七年に一度
   諏訪に木落し坂落とし」
と唄われてきました.この木落し坂での木落は,下社春宮・秋宮の御柱八本を三日にわたって行います.下諏訪観光協会」
 木落し坂から下を覗いてみる.もの凄い崖である.こんなところを木に跨がって落ちていくなど,私には考えられない恐ろしいことである.まるで崖から飛び降りるようなものだ.

■大きな御柱と石塔
 広場に,大きな御柱が置かれている.口径が60〜70センチメートルほどもある凄い木である.若い観光客が面白がって木の上に登っている.
 広場の奥に天下の木落し坂と刻字した大きな石塔が立っている.石塔の前で,観光客が入れ替わり立ち替わり記念写真を撮っている.
 
<御柱>                                 <石塔>

<いよいよ下諏訪へ>

■木落し坂を出発
 14時58分,木落し坂を出発する.広場の脇から狭くて急な下り坂を進む.すぐに舗装道路に出る.坂の両側に緑陰が続く.クラツリのグループも私達と前後しながら歩いている.

<木落とし坂を出発する>

■道祖神と馬頭観音
 15時03分,道祖神と馬頭観音の前を通過する.少し高い草むした空き地に何基かの石塔が並んでいる.
 
                              <道祖神と馬頭観音>

■芭蕉の句碑
 15時03分,進行方向左手に芭蕉の句碑が立っている.何と書いてあるのか変体仮名が読めない私には分からない.

<芭蕉の句碑>

■注連掛橋から山の神神社へ
 15時06分,注連掛(シメカケ)橋の脇を通過する.そのままなだらかな下り坂を進む.
 15時26分,山の神神社を通過する.草深い神社である.
 
<注連掛橋>                                 <山の神神社>

■慈雲寺
 15時34分,慈雲寺を左手に眺めながら,三叉路を右折する.
 資料4によれば,慈雲寺は,「創建1300年(正安2年)正安2年(1300年)に臨済宗妙心寺の寺院として創建された.山号は白華山.本尊は十一面観音.一山一寧の開山した 
 この寺に一寸立ち寄りたい気もしたが,先を急ぐのでそのまま素通りする.地図を確かめると,この辺りから左折して坂道を下れば,万治の石仏へ行けるようだが,時間が押していることと,一部の仲間の疲労が極限に近いことから,万治の石仏見学は割愛する.余談だが,並行して歩いている甲州道中の旅も,今年中に終点の下諏訪に到着する予定である.このときまで,万治の石仏はお預けである.

<恵雲寺>
                                        (つづく)

[参考資料]

資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料4:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%85%88%E9%9B%B2%E5%AF%BA_(%E4%B8%8B%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E7%94%BA)#.E6.AD.B4.E5.8F.B2

[加除修正]
2013/8/17  地図の差し替えと本文の加除修正を行った.

「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1b89131ee4237d4f2ebefb3b19427044
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/88e4d94bc513a33253fd3d804870291e
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

ノルウェー紀行;プロローグ(1);事前準備

$
0
0

                                 <計画の概要>

       ノルウェー紀行;プロローグ(1);事前準備
           (アルパインツアー)
      2013年8月19日(月)〜8月30日(金)

<出発前の日々>

出発日16日前:2013年8月3日(土) 雨後曇

 恒例の塔ノ岳登山に出掛ける.
 天気予報では終日曇りで,塔ノ岳山頂の最高気温は24℃とのことだったので,安心して出掛けたが,案に相違して登山口の大倉では小雨が降っている.雨の日の登山は甘い好きではないが,折角,高い交通費を支払ってきたことだし,わざわざ雨具を引っ張り出して着るほどの降りでもないので,そのまま塔ノ岳を往復した.
 塔ノ岳から帰宅すると,留守中に大きな荷物が届いている.発送元は登山専門の旅行社「アルパインツアー」社である.
 実は,山旅スクールの同期生,ノシイカさんからのお誘いもあって,アルパインツアー社主催のツアー,
 「北欧,”巨人達の住みか”トレッキングと北欧最高峰登頂12日間」
にエントリーしていた(以下北欧の旅と略す).
 実際にツアーに出掛けるのはまだまだ先のこと思っていたが,こうして書類などが送られてくると,そろそろツアーの準備をしなければと焦り始める.
 荷物の中味を確かめる.中には,以下に示す物品が入っている.試供品として,今回の参加者全員に配られたいようである.
  リュック(KRIOS TM40)       1個
  肩掛バッグ(HAGLOFS        1〃
 リュックの容量は40リットル.レインカバー付いている.肩紐は背高によって調整できるようになっている.何よりも有り難いのは,中型の容量のあるリュックなのに随分と軽量なことである.登山用品が年を追う毎に進化しているのが良く分かる.
 
<リュック>                                    <ポーチ>

出発日12日前:2013年8月7日(水) 晴・酷暑

 そろそろ,旅の準備をしなければいけないが,連日の暑さでその気になれない.
 “まあ…とにかく,今日は水曜日.ならばあれこれ考えずに塔ノ岳へ行ってこよう…”
ということで,早朝4時10分に自宅を出発,大船まで2.5キロメートルの山下りをして,小田急線渋沢へ向かう.渋沢発大倉行1番バスの乗客の中では一番早くバス停に到着する.
 蒸し暑くて悪条件の中,安全登山に徹しながら,どうやらこうやら往復する.このときの記録は当ブログで披露済みである.
 帰宅後は,塔ノ岳の記録を整理している内に,他のことはやる気が無くなり放置.
 机の傍らには,今秋出展予定の描きかけの絵が,もう何日も放置したままになっている.絵の方はサッパリやる気が起きないので,今秋は出展せずに済まそうか…なんて,怠惰な気持ちが湧いてくる.
 そういえば甲州道中の地図もとっくに完成しているのに,コピーが煩わしくて,3人の幹事に郵送するのが遅れている.こちらもナントカしなければ…
 明日,8月8日は,山旅スクール5期同期生の鎌倉案内の日である.今回は何処を案内しようかと考えている内に,どんどん時間が経って眠くなってしまう.

出発日11日前;2013年8月8日(木)  晴・酷暑 

 午前9時に大船駅に集合する.
 大船駅から,水道山,台峯緑地,源氏山公園,裏大仏ハイキングコース,大仏切通を経由して深沢までをブラブラと歩く.参加メンバーの中に,今回の北欧の旅に一緒に参加するTBさんが居られる.
 バス停深沢で皆さんを見送った後,ブラブラと丸山登山.帰宅.このときの記録も,当ブログに掲載済みである.
 帰宅後,北欧の旅の下準備や,展覧会の絵の制作を始めようと思うが,どうにも気が入らないので,20時頃,早々と就寝.

<山旅スクール5期同期会の皆さんと一緒に歩く>

出発日10日前;2013年8月9日(金)  晴:酷暑

 明日,8月10日に五十三次洛遊会のメンバー約10人ほどをが鎌倉に来られるので,地元鎌倉に住んでいる私が案内することになっている.今回は板東三十三霊場の内,鎌倉市内にある一番札所の杉本観音,三番札所の安養院,四番札所の長谷寺を周遊することになっている.
 参加者の顔を思い浮かべながら,何処をどう廻るか思案しながら,ルート地図を作成する.そんなことをしている内に,午前中の大半の時間を費やしてしまう.
 作業中,緊急地震速報が流れる.固唾を呑んで,何時揺れが来るか供えるが,結局は誤報だった.自身は来なかったものの,日本列島各地で集中豪雨が降っている.正に異常気象である.
 午後から,長女一家が全員で来訪.長女の旦那は海外の出先機関に長期出向中,つい先日,夏休みで帰国中.孫達が久々に会った父親にベッタリなのが微笑ましい.
 長女一家を交えて,私も,平素,自宅で飲む気にならないアルコールを楽しむ.少しアルコールが入れば酩酊する.もはや何もやる気にならない.
 …と,言うわけで,気ばかり焦り始めているが,旅の準備は全くできないまま就寝.

出発日9日前;2013年8月10日(土)  晴;酷暑

 五十三次洛遊会定例会当日である.相変わらずイヤになるほど蒸し暑い.
 鎌倉駅前に9時30分集合.舗装道路の照り返しで,避暑地の筈の鎌倉でも,舗装道路では34℃にもなっている.
 そんな悪条件の中,鎌倉駅から,鶴岡八幡宮,杉本観音,華頂宮邸,鎌倉逗子ハイランド,安養院,元八幡,御嶽大神,長谷寺を一回りした後,鎌倉駅まで戻る.サウナ風呂のような蒸し暑い中を約10キロメートル歩く.塔ノ岳登山とは一寸違った疲労感が残る.このときの記録も,当ブログに掲載済みである.
 今日,8月10日に,鎌倉の観音様をお参りすれば,四万六千日お参りしただけの御利益がある.いくら暑くても,この御利益に預からなければ…
 でも,正直なところ,疲れた.だから,旅の準備などトンデモハップン!(ちょっと古い表現だが,分かる方はかなりのご年配である.)
 帰宅後は,もちろん何もする気になれない.何もせずに就寝.

<五十三次洛遊会の旅>

出発日8日前;2013年8月11日(日)  晴;酷暑

 家内が次女一家の用事を手伝うために,今朝から明日夕方まで不在.私1人で留守番である.午前中にいろいろ仕事をしてしまおうと頑張るが,今日は通信回線がとても不安定で,物事が,思うように捗らない.実にイライラするが,こればかりはどうにもならない.とばっちりで,当ブログのメンテナンスにも随分と無駄な時間を費やしてしまう.
 業を煮やした私は,やるべきことを放り出して,大船駅まで散策.駅構内のBecker'sでコーヒーを賞味しながら気分を落ち着かせる.
 “よお〜しっ!…明日は終日家に籠もって北欧の旅の準備と絵の制作に励むぞ”
と自分に言い聞かせる.でもどうなることやら…

<暑い日のネコモード>

出発日7日前;2013年8月12日(月)  晴;猛烈に暑い

 出発日1週間前になり,私は少々焦り始めている.
 まずは,9月下旬に実施する甲州道中の地図(A4の大きさ)を3セットプリントアウトして,幹事お二人と,全員分のコピーをしていただくお一人に送らなければならない.1セット約20枚,3部で約60枚のカラープリントである.
 プリントをする前に,全体を見直して,細々したところを修正する.
 ところが,今日はもの凄い暑さである.避暑地であるはずの鎌倉に住まいしているのに,直射日光で屋根が熱せられたのか,自宅の作業場の温度が早々と34℃にもなっている.
 こうなると,人間だけでなく,パソコンも動作不良を起こす.あわててPC用の冷却ファンを装着して熱せられたPCを冷却するが,なかなか正常に復帰しない.やむなく室内の冷房装置をONにして,部屋全体を冷やす.
 そんなこんなで,PCさえチャンと動けば2時間程度で終わる作業が,夕方まで掛かってしまった.完成したプリントアウトを急いで郵送しようと思う.でも,今度はA4を入れる封筒がなかなか見つからない.さらには,地図を保護するために使いたい適当なビニール袋が手許にない.さらに,書簡の鏡につける文章をPCで造りたいが,今度は外付けて使っているキーボードの“W”が引っ込んだままになってしまい“わ””を”が打てなくなる.仕方なく「カナ釘流」の無惨な手書きの鏡を書いて,夕方,やっと梶原郵便局から書簡を発送した.
 私の願いは,地図などはPCを使って添付ファイルで送りたいのだが,OUTLOOKを使って送ると添付ファイルが認識できないPCを使っている人が居たり,PCに馴染めない人が居るので偉く大変…とはいえ,今日のように暑さでPCが参ってしまうと,どうにもならなくなる.
 なお“W”が陥没して動かなくなったキーボードは,ダメ元のつもりで,キーボードの裏蓋を外して,中から引っ込んでいる“W”を押し出して復旧させた.これでナントカ”W”も復帰したが,早晩,新しいキーボードに買い換えなければダメだなと覚悟を決める.
 そうこうしている内に,昨日から次女の家に行っていた家内が帰宅する.
 そんなこんなのトラブル続きで,旅の準備も,絵の制作も全く手つかずのまま,今日一日は終わってしまった,嗚呼! オレは一体どうなるんだろう. 
 就寝前にテレビを少し見る.なんと高知県四万十市で気温が41℃を超えたとのこと.
 “41℃?!!…!! そんな高温,聞いたことないぞ…”
 今日一日は暑さで不調なPCに振り回された一日であった.

出発日6日前;2013年8月13日(火) 晴 

 そろそろ,シッカリ準備を始めなければダメだ!
 朝の天気予報によると,今日は昨日ほどの蒸し暑くはならないようだ.そうは言っても,東京の最高気温の様相は33℃.今までの常識では33℃なんて飛んでもない高温だ.この所の猛暑からくらべると,33℃でも涼しいというのだから恐れ入る.私は,早々と日課業務をこなしたいために.自分のためではなく,PCのご機嫌を損ねないように,朝の内から部屋の冷房装置の電源をONにする.早く諸事を片付けて,午後からバックアップ用のキーボードを購入するために大船まで出掛けなければと思っていた.
 今日もまた日が昇るにつれて酷暑モードである.PCのための冷房はどうも心地よくないが,冷房もやむを得ない,キーボードでゴチャゴチャやっていると,?浜にいる孫娘がヒョッコリ現れる.勿論,孫娘は可愛いので,全てのスケジュールはご破算.例によって,
 “今日やらなくても済むことは,今日はならない…”
という私のグウタラ哲学が私の頭の中でのさばっている.
 とはいえ,どうも旅行のことが気になる.
 そこで,雑務を済ませた後で,数日前に旅行社から送られてきた資料に始めて子細に眼を通す.送られてきた資料は実に素晴らしい.簡潔で要領を得た説明書きと,日程表をまず眺める.その中に「標高はそれほど高くはないが残雪の中を歩く」 とか「鎖場があります」などという記事がある.私は今履いている軽登山靴では靴底がちびていてダメかなと心配になりはじめる.
 続いて添付されている地図を子細に眺める.さすが山専門の旅行者だけあって,バッチリの地図が揃っている.
 “よしっ!…この地図があれば,かなり良いプロフィールマップが作れそうだ”
 地図を眺めている内に,俄然,ファイトが沸いてくる.

<旅行社から送られてきた地図類>

出発日5日前;2013年8月14日(水) 晴

 もうそろそろ冗談ではなく,出発準備をシッカリ始めなければダメと思いながら,天気が良い水曜日となれば,これはもう塔ノ岳を往復するしかない.何もかもさておいて,早朝4時10分に家を出発.
 塔ノ岳登りに2時間57分,下りに2時間22分も掛けて,蒸し暑い最中,熱中症にもならずに無事往復する.
 帰宅後,近所にある掛かり付けの内科医を訪問,健康チェックを受ける.血圧が少々高めだが,これは仕方がないこと.それ以外は特に問題はなさそうである.
 折から2家族孫4人が来訪.内,2人は今晩ジイサンバアサンの家に宿泊するそうである.
 …で,今日の旅行準備は中段.いよいよ切羽詰まった感がある.どうしよう.

出発日4日前;2013年8月15日(木)  晴

■今日もクソ暑い
 今日は終戦記念日.直立不動で,玉音放送を聞いていたことを思い出す.
 さすがに今日の午前中は,ツアー会社から頂いた資料を熟読して,手荷物のチェックをし始める.あまり贅沢を言わなければ,小物以外に特に買い足すものは要らないようである.
 ついでに,旅行中の当ブログの予稿記事を日程順に予約投稿する.これで,当ブログにアクセスしていただいた方には,私が毎日何をしているか,ご判断いただけると思う.
 今日もまた,朝から隣のネコが,“ノテ〜ッ”と昼寝をしている.
 朝から蒸し暑いので,私もぼけているが,カメラのピントもぼけている.
 昨日から次女の孫2人が泊まりがけで我が家へ遊びに来ている.
 
<涼しいところはネコに聞け>

■やっと携行品のチェックを始める
 午後になって,重い腰を上げて,携行品のチェックを始める.
 チェックをするに当たり,アルパインツアー社から頂戴した資料や,過去の海外渡航の日記などを利用して,いろいろとチェックする.ただ,今回は重登山靴やアイゼン,ピッケルを使用する登山ではないので,それだけ気楽である.
 それでも,昼食後チェックを始めて,一応のレビューが終わると,もう17時を廻っている.そんなこんなで,天気さえ良ければ,毎日7000歩ぐらい必ず歩いている日課は,今日は中止.運動不足になるかな.でも,まあ,仕方がない.
 こんなことをゴタゴタしている内に,瞬く間に1日が過ぎてしまう.運動不足だ!

<2010年の旅の例>

■今回のチェックリスト
 まずはチェックリストに従って,携行品を一応並べてみる.
 いやはや,面倒だ!

               (現状)          
  パスポート    OK
  *現金                土曜日に手配.空港で両替,TC300ドル程度持参       
 *登山靴       靴底が大分ちびている.困ったな?(無理して新品購入か)
  スパッツ       ぼろいけど今のでOK
 *靴下         厚手2枚はあるが…    この際2足ほど買い足すか
  ズボン       ぼろいけどOK
  長袖シャツ    3枚ほど持参OK
  帽子        防寒用1個+つば付き1個
 *下着        吸汗速乾性上下3組OK? パンツ1枚買い足すか
  防寒具      フリース上下1枚OK
             薄手ダウンジャケット1枚OK
  雨具        上下1組(ウインドウブレーカー兼)OK
  バンダナ類    手拭い,バンダナなど数枚
  洗濯用具     洗剤適量+ロープOK
  ヘッドランプ    1個(予備電池・電球込み)OK
  洗面用具セット これから手配
  サングラス    1組(予備1組)OK
  近距離用メガネ 2組OK
  水筒        1リットルOK
  テルモス     1本
  中型ザック    40リットルOK
  私物整理袋   2〜3枚OK
  タッフルバッグ  1個OK
  ストック      2本OK(土突予備1個)
  スリッパ      1組
  デジカメ     1台(予備1台)+防水カメラ1台
  SDカード     数枚OK? 一枚買い足すか.
 *乾電池     単3数本,単4数本買い足す
  双眼鏡       OK
 *筆記用語     1.6mmボールペンを数本買い足す
 *ノート       B5冊OK B61冊買い足す
 *薬品類     常備薬(ツムラ68,胃腸薬,風邪薬,うがい薬)OK 
            日焼け止め,目薬を買い足す
 *嗜好品     菓子類,醤油,お茶類
 *時計       1個(予備1個)
  鍵         要チェック!
  救急器具薬品 結束バンド,瞬間接着剤,膝ベルトなどOK,
  高度計      OK
  コンパス      OK
  血圧計      OK
  予備メガネ    OK

出発日3日前:2013年8月18日(金) 晴

■まずは携行品を並べてみる
 相変わらず朝からガンガンの晴天である.今日も蒸し暑くなりそうである.
 早朝,一連の日課業務をこなしてから,昨日洗い出した携行品を,ひとまず一ヶ所に纏めてみる.勿論,まだ買い足さなければならない品物も多少あるが,これらを写真上の黒いタッフルバッグ,40リットルのリュックサクなどに入れることになる.なお,この写真には文房具類など,まだ,揃えていないものは入っていない.その代わりに出発当日着用する衣類はこのなかに含まれている.
 この他にもパスポート類,現金,TC,薬品など細々したものがある.
 これでも,多分,他の人に比較すれば,少ない方ではないかと思う.でも,何れにしても必要最小限かつ十分な品物を取りそろえるのは,毎度のことながら,とても面倒である.
 午後から藤沢・大船へ買い出しに出掛ける.面倒臭いなあ!

<持参するものを並べてみる>

■地図とプロフィールマップ
 午後になって,漸くプロフィールマップ作成に取りかかる.
 昨年,白内障の手術を受けてから,遠くは良く見えるようになったので大満足だが,机上の作業には老眼鏡が必要である.これがとても七面倒くさい.なので,デスクワークはついつい疎か,後回しになる.
 そりゃ〜そうだよ.机にしがみついているより,丹沢辺りを歩いている方がずっと気分が良いから…だから,デスクワークが後回しなんて,都合の良い言い訳を白内障手術にかこつけているだけだ.まあ,そんなことは自分でも良く分かっているけど…

■藤沢のコージツへ
 地図を何枚か見ている内に,眼が疲れてきた,ヤ〜メタッ!で,とりあえず登山用品の調達のために,藤沢のコージツまでお出ましだ.
 久々にコージツの登山用品売り場を見て回る.ここ数年の間に,全てのアイテムが格段に進化しているのに驚く.見ているとどれも是も欲しくなるので,実に困る.
 “登山用品って,何でこんなに高価なんだろう…”
 私はため息をつきながら,ボヤクこと,ボヤクこと…でも,必要最低限のものは買わなければならない.そこで安全第一を考えて,清水の舞台から飛び降りるつもりで,まずは軽登山靴を1足購入する.こればかりは致し方ない.その他に,靴下2足,パンツ1枚,これで2万円を越えてしまう.ガックリ!
 “山って,…金が掛かるなぁ〜…”
 ついで大船に戻り,デジカメ用の乾電池を数本購入する.
 これだけ出費すると,最早,恒例のコーヒーを賞味する気にもならない.シオシオとバス停に向かう.待ち行列の後ろに付くと,私の前の男性が,
 「いやあ〜暑いですね!」
と私に話しかける.
 男性の話はこうである.今日は藤沢へ行った.若い頃は藤沢まで歩いて行ったことがあるが,齢(よわい)80才にもなると,さすがに藤沢まで歩くのは無理だ.あなたはまだ若いようなので,たまには歩かないとダメですよ…
 私は返答に窮してしまう.まさか,わざわざ週に1〜2度は塔ノ岳に登っているとも言えないし.私がそんなに若くなくロートルだとも言いにくい.私はこの方のお説を温和しく伺う.その内にバスが到着する.私はホッとする.
 この頃は,さすがの避暑地鎌倉でも蒸し暑い.舗装道路の上では33℃にも達している.
 帰宅して,購入した品物を並べる.この中に特価品が入っている.悪趣味とこ思われる凄い柄のパンツだ.でも,まあ,品物の品質に問題ないし,それにこの年になったら,パンツ姿を披露する相手も居ない.だから柄などどうでも良いという結論である.
 “あっ! 日焼け止め,買うのを忘れた!”
 年を取ると,これだから困る.どうしても,物事が1回で済まない.まあ,明日,不足品を買いたそう.
 改めて,今日購入した物品を並べてみる.
 “これで2万円を越えてしまった! 嗚呼!”
ため息.2万円と言えば,塔ノ岳登頂1ヶ月分の費用に匹敵する.痛いよ!

<無理をして必需品を買い足したよ>

■ブログに予稿集を掲載する
 今回の旅行の予習を兼ねて,毎日の予稿集を取り纏めるのに多大の時間を費やす.
 毎日の行動を,ほんの一口ずつだが,メモにして投稿予約の手続きを済ませた.
 今回の旅行では,PC類は一切持参しないことにしている.どうせ山の中を彷徨くので,電源もままならないだろうし,思いものを持ち歩くのもシンドイ.だから,19日から30日までは,ブログのメンテナンスだけでなくPCメールもお預けである.
 それに,山の仲間でPCに追いかけられるのも,山へ行く本筋からは外れたことだとも思う…これは単なる言い訳だが…
 とはいえ,私の拙いブログにも,毎日,かなり大人数の方に訪問して頂いている.そこで,旅にはPCは持参しないが,短いけど毎日新しい記事が掲載されるように工夫した.正直なところ,結構大変な作業だった.

出発日2日前;2013年8月17日(土) 晴 

■まずはパッキング
 本当は塔ノ岳に行きたかったが,残念ながら,まだ旅の準備ができていない.
 午後から不足分を買い足すとして,午前中はチェックリストを首っ引きにして,パッキングを始める.
 パッキングの途中で細々としたものが抜けているのに気がつく.これらをノートに書き留めながら,2時間ほどでパッキングが終わる.
 今回は12本アイゼン,ピッケル,カラビナの類は不要なので,荷物が思ったより軽量なので安心する.
 午後からは嗜好品,携帯用コーモリ,小さなノート1冊.1.6ミリφのボールペン2〜3本会足すだけである.

■携帯用物干し
 実は,携帯用コーモリは手許に何本もあるが,どれもこれも,この所の吹き荒れる雨の中で骨が折れてしまい使い物にならない.
 …で,ふと思いついた.ただ棄てるのは勿体ない.そこで,コーモリの骨と布きれを切り離す.そして,簡易用雨具と携帯用物干しを作成した.
 まず,簡易物干しである.
 旅先のホテルの一室で,バスタブに浸かりながら,その日の肌着や靴下をチョコチョコと洗濯することが良くある.大抵のホテルには,バスルームに一寸したものを干す紐が付いているが,ちょっとものを干すとすぐに垂れ下がってしまい使い勝手が良くない.これには何時もしょうがないなと思い続けてきた.
 そこで新兵器である.まず,布を取り去り,さらに折れた骨はペンチで切り取る.そして傘のとてに細引きと小さなカラビナを取り付ける.細干物長さと,傘の幹を伸び縮みさせれば高さが調節できる.試しに,何枚か衣類を掛けてみた.元が6本骨の100円傘である.それにしては,干し物を5枚掛けてもびくともしない.シメシメ…こいつを持って行こう.
 ちなみに,骨岳の傘を閉じて,細引きでグルグル巻いてカラビナで留めればシッカリとまつまる.こりゃ〜あ…新兵器だ!
 こいつを吊り下げたところの写真を撮るが,バックの風景まで鮮明に写ってしまう.この辺りがコンパクトデジカメの辛いところだ.
 
<100円傘の簡易物干しを吊す>                  <閉じればこの通り>

■簡易雨具
 これは私の発案ではないが,残った布きれに,自分の頭が通るだけのスリットを切り込んで,頭から被ってみる.
 もともと傘の布だから多少の防水性はある.これにレインハットを被れば,一寸した雨ならOKのようだ.第一,丸めてしまえば場所も取らないし,とても軽くて便利だ.どうせ我が家には,骨が折れた100円傘がまだまだあるので,この簡易雨具は使い棄てにしても良い.手間を掛けて,切り口を絎けることもない.気になったら切り口にセメダインでも垂らしておけば十分.
 …で,こいつをリュックの中に入れておくことにする.
 洗面所の鏡を利用して,こいつを被っているところを写真に撮った.結構イカしているなと自画自賛.
 もう一人の私が,
 「遊んでばかり居ないで,早く準備をしてしまいなさい…」
と私を叱咤する.
 “ハイ,ハイ…ご尤も”

<100円コーモリの首かぶり雨具>

■新品軽登山靴の履き初め
 午後から,旅に持参する予定の品物で不足している細々した品物を購入するために大船まで出掛けて.ついでながら,昨日,なけなしのお金を叩いて購入した軽登山靴の履き卸をした.大船までの約2.5キロメートルの舗装道路を軽登山靴を履いて歩くんだから,如何にも珍妙である.
 幸いなことに,新登山靴は,何の不具合もなさそうである.

■プロフィールマップを作ってビックリ
 旅行社から頂戴した地形図を便りに,トレッキング全行程と,ガルホビッケン登頂全行程のプロフィールマップ作りに専念した.
 あちらの地形図は,カラーなので見た目には綺麗だが,いざ詳細に検討しようとすると,実に見にくい.日本の25000分の1の地形図の方が余程鮮明で見やすい.とにかく大変な苦労をして,随分と時間を掛け,なんとかプロフィールマップを作り終えた.
 出来上がったプロフィールマップを見て,私は随分と緊張した.ガルホビッケン山の登頂は,どう考えても塔ノ岳よりきつそうである,それに登山道の3分の1は雪山のようである.また,5日間のトレッキングは,毎日15キロメートル程度の距離である.まるで,5日間,街道歩きを続けた翌日に,丹沢の塔ノ岳を越えて丹沢山まで往復するような感じである.
 “オレの体力,持つかな?”
 正直なところ,少々,気になり始める.
 とはいえ,苦労してプロフィールマップを作ったので,トレッキングと登山の全貌をかなり細かく把握することができた.

<眼をしょぼつかせながら作ったプロフィールマップ>

出発日1日前 2013年8月18日(日)

 あれよあれよと言っている内に,出発日1日前になってしまった.
 何時ものように,早朝3時半に起床する.真っ暗な中で,近くの公園の方から,
 「ボーッ,ボーッ,・・・・」
というカエルの啼き声が聞こえてくる.
 今日1日は,多分,こまごまとした渡航準備で明け暮れるだろう.午後から大船から成田までの電車のキップでも買いに行こうかと思っている.
 今日1日の出来事は,後日,記録し直すとして,プロローグ(1)は,この辺りでお開きにしよう…というのも,そろそろ1回に投稿できる容量の限界間近だから…
                              (プローローグ(2)につづく)

「ノルウェー紀行」の前回の記事
(なし)
「ノルウェー紀行」の次回の記事
(後日記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中) 


 

歩いて巡る中山道六十九宿巡り(第9回);第2日目(6);下諏訪宿

$
0
0

                                <下諏訪宿本陣跡>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿巡り(第9回);第2日目(6);下諏訪宿
            (五十三次洛遊会)
        010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2011年1月4日である.
 初稿の地図の差し替えと,本文の加除修正を行った.

第2日目:2010年9月12日(土) (つづき)

<ルート地図>



<下諏訪に到着>

■下諏訪の郊外を行く
 15時半頃,下諏訪市街地が眼下に見えている.見晴らしの良い道を,クラツリの一行と重なり合うようにして歩き続ける.

<下諏訪の郊外を行く>

■下原一里塚と庚申塔
 15時43分,江戸日本橋から55番目の下原一里塚を通過する.進行方向左手に,腰の高さぐらいの石碑がポツンと置かれている.
 
<庚申塔>                                                                                   <一里塚>

■万治の石仏
 万治の石仏は,残念ながら,見学するのを見送って,下諏訪の市街地に入る.道路は市街地の北側の高いところを東南東に向かってなだらかな下り坂になっている.

<万治の石仏の案内板>

■御作田神社
 15時46分,進行方向右手にある御作田神社に到着する.鳥井脇にある説明文によると,
 「御作田神社は諏訪大差の末社・下社の御作田祭(御田植神事)は,毎年,6月30日に,この境内で行われる.
 この日植えられた稲は1ヶ月後の8月1日に,諏訪大神の神供として捧げられたと伝えられる.また,同じ日,6月30日には,諏訪大社春宮の浮き島社において,夏越しの安穏を祈る茅の輪くぐりが行われる」
とのことである.

<御作田神社>

■湧出するお湯
 15時47分,道端に水飲み場と思われるところがある.土手から突き出た樋から水が絶えず流れ出している.近付いて確かめると水ではなく温泉である.温泉が垂れ流しとは,羨ましいことである.

<お湯の出る公共水道>

<下諏訪宿>

■下諏訪宿の概要
 資料4によれば,下諏訪宿は「長野県諏訪郡下諏訪町の中心部にあたり,難所であった和田峠の西の入口として,諏訪大社下社(しもしゃ)の門前町として栄えた.また,甲州街道の終点でもあり,45軒の旅籠があった.古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており,中山道唯一の温泉のある宿場であり,当時の絵画などには温泉を利用する旅人たちが描かれている.本陣は岩波家として現在も一部が一般公開されている.諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし,広大な庭園を持つことが知られていたが,現在は宅地化が進み,一部のみを見ることができる.皇女和宮降嫁の際,また明治天皇が宿泊した際奥の座敷を見学することができる.玄関には,大名家が宿泊している時に掲げる徳川御三家,井伊家などの関札が残っているのを展示してある.脇本陣「桔梗屋」「まるや」は旅籠として現在も営業している.旧称は下ノ諏訪.大規模に観光開発された上諏訪温泉と異なり,小規模な旅館街と入浴施設があるだけで,歓楽的な雰囲気はない.天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば,下諏訪宿の宿内家数は315軒,うち本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠40軒で宿内人口は1,345人であった.」

■下諏訪宿の案内板
 市街地の中の狭い道が続く.15時50分に下諏訪宿案内板の前に到着する.この辺りからが,江戸から29番目,下諏訪宿の中心部である.
 この案内板には次のようなことが書かれている.
 「下諏訪宿は宿としての呼び方で,郷村名としては湯之町と呼ばれていた.下諏訪の宿場は綿之湯を中心につくられ,湯田町,横町,立町の4丁50間(527メートル)と木の下52間(95メートル)の街が下諏訪宿である.
 宿場の中心は問屋である.問屋は運輸業務の一切を取り扱うもので,その事をしたところを問屋場または会所といい,綿の湯の前にその建物があった.この問屋場で仕事をする人を宿役人といった.問屋年寄,帳付,馬指という人々がこれである.本陣,脇本陣,伝馬宿,旅籠屋,茶屋,商家が多く,はたごには,飯盛女という名の遊女がおり,宿場は大変に賑やかであった」

<下諏訪宿の中心部>

■下諏訪宿の中心部
 15時50分頃,下諏訪宿の中心部だったと思われる街並みを歩く.何軒かの風呂屋や,昔の旅籠跡が連なっている.
 大きな字で「ゆ」と書いてある銭湯,今井邦子文庫,つるや跡などがある.

<銭湯>


<つる屋跡>

■本陣遺構
 15時55分,本陣跡に到着する.案内板によると「下諏訪宿の問屋兼本陣の大半がそのままここに残っている」という.
 「明治維新前は公家や大名たちの休息所になり,1861年(文久元年)11月には関東へ御降嫁の和宮さまのお泊所になり,明治13年6月24日,明治天皇ご巡幸のときにはお休所になった」
ところである.
 時間が押しているので,門から内部をちらりと見ただけで通過する.

<本陣遺構>

■甲州道中中山道合流点
 15時57分,甲州道中と中山道の合流点に到着する.
 合流点は広場になっている.広場に「甲州道中中山道合流之地」と刻字した石柱が立っている.

<甲州街道との合流点>

■綿の湯跡と中山道下諏訪宿問屋場址
 広場の奥に「綿の湯」と刻字した石柱がある.ここが宿場問屋場跡である.ここの案内板には次のようなことが書かれている.
 「昔,上社に住んでいた諏訪明神建御名方神の妃八坂方売神が,日常使っていた化粧用の湯を綿に湿し「湯玉」にして下社の地へ持ち帰った.その湯玉が置かれた所から湧き出てのがこの温泉で,綿の湯と命名された.
 ここは神の湯なので神聖で,やましい者が入ると神の怒りに触れて,湯口が濁ったといわれる.「湯口の清濁」は下社七不思議のひとつに数えられている.
 下諏訪宿は中山道と甲州道中が交わるところ,全国一万余の諏訪神社総本社の門前町で,湯の湧く宿場として親しまれて街道一賑わった.下諏訪宿の中心が綿の湯界隈である.」
 広場の片隅に「中山道下諏訪宿問屋場址」と刻字した石柱が立っている.この辺りに問屋場があったようである.
 
<面の湯>                                                                                               <問屋場跡>

                                       (つづく)
[参考資料]

資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料4;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%AE%BF

[加除修正]
2013/818   地図の差し替え,および本文の加除修正を行った.

「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b2e28f767a7656658c0f1c4bdd2d1a76
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c8863ad306ae651e3d4c2d8469bbdd68
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

[編集後記]

2011年1月3日(月)

 昨年末から3家族,孫6人,計12名,それに私ども夫婦2人の計14人が狭いわが家で共同生活をしてきた.今日辺りから,それそれが自分の家に帰宅するので,明日からは,まさに台風一過のような静かな毎日になる予定である.
 余りの賑やかさに辟易とすることもあるが,これも毎年欠かせない年中行事である.
 今年一年も家族全員の無病息災を祈っている.
 私自身,今年は「山」と「水彩画」に全力で取り組みたいと思っている.ただ,ぐうたらなことが天性の私のこと.
 「今日やらなくても良いことは明日にしよう.明日すればいいことは今日はやらない・・」
という生活態度は,一向に治りそうもない.
 まあ,それはともかく,このブログへの投稿は,できるかぎり毎日続けたいと思っている.ボケ防止のために・・・
 私のブログは,何の面白みもなく,ある意味ではくそまじめで味気ない内容ばかりである.アクセス数も決して多くないが,ごく少数の方々にご愛読いただいているようである.
 年頭に当たり,愛読していただいている皆様に謝意を表したい.
 本年も相変わらずのご支援をお願いする次第である.

[編集後記](その2)

2013年8月18日(日) 晴・暑い

 明日(8月19日)から,アルパインツアー社主催のノルウェーの旅に出掛ける.
 正直なところ,ここ2〜3日は,留守中の日課雑務の前処理と,旅の準備で随分と忙しい思いをした.
 一方,中山道の記録を見直す作業は,焦れったいほど遅々として進まない,そうは言っても,この作業,誰かから依頼されてやっているわけではないので,やらないと決めたらやらなくても済む気楽な作業でもある.
 …ま,ともかく,中山道記録の見直しも,今回で一旦中断し,9月になってから再開することにしたい.年内にはナントカ改訂版を完結したいものである.
                                       (愚痴おわり)

ノルウェー紀行;プロローグ(2);ツアーの概要

$
0
0

                          <ガルボピッケン山頂;資料1から引用>

     ノルウェー紀行;プロローグ(2);ツアーの概要
           (アルパインツアー)
      2013年8月19日(月)〜8月30日(金)

<ツアーの概要>

■ツアーの名称:
 北欧,“巨人たちの住みか”トレッキングと北欧最高峰登頂12日間

■主催;
 アルパインツアーサービス株式会社

■日程の概要
 日程の概要は以下の通りである.
第1日目;2013年8月19日(月)
      東京(成田)→コペンハーゲン(スカンジナビア航空)
      コペンハーゲン→オスロ(スカンジナビア航空)
第2日目;2013年8月20日(火)
      オスロ→イェンデスハイム
第3日目;2013年8月21日(水) トレッキング1日目
      イェンデスハイム→メルブー(徒歩8時間)
第4日目;2013年8月22日(木) トレッキング2日目
      メルブー→イェンデプー(徒歩6時間)
第5日目;2013年8月23日(金) トレッキング3日目
      イェンデプー滞在 イェンデトゥンガ峰往復(オプション)
第6日目;2013年8月24日(土) トレッキング4日目
      イェンデプー→ライリバスプー(徒歩8時間)
第7日目;2013年8月25日(日) トレッキング5日目
      ライリバスプー→スピターストゥーレン(徒歩7時間)
第8日目;2013年8月26日(月)
      ガルボピッケン登頂(徒歩9時間)
第9日目;2013年8月27日(火)
      スピータストゥーレン→オスロ
第10日目;2013年8月28日(水)
      オスロ滞在(市内観光)
第11日目;2013年8月29日(木)
      オスロ→コペンハーゲン→(機中泊)
第12日目;2013年8月30日(金)
      (機中泊)→東京(成田)

<成田←(スカンジナビア航空)→オスロ>

<トレッキングとガルホピッケン登頂の概要>

■トレッキング全体の行程図
 第3日目から第7日目まではトレッキングである.
 ヨートゥンハイメン国立公園を時計回りに歩く.
                      (標高)
     イェンデスハイム       994(m)
           メムルプー          1,008
     イェンデプー            995
           イェンデストゥンガ峰    1,516
     ライルバスプー       1,400
     スピターストゥーレン    1,106
     ガルホビッケン        2,469

<ヨートゥンハイメン国立公園>

■全行程のプロフィールマップ
 トレッキング全行程の概略をプロフィールマップに纏めると,次の図の通りとなる.
 5日間の水平歩行距離は概ね54.6キロメートルになる.特にトレッキング第1日目は,かなりきつい登り降りがあるものと予想される.
 なお,この図には3日目オプションのイェンデストウンガ峰登頂と,ガルホビッケン登頂は含まれていない.

<トレッキング5日間のプロフィールマップ>

■イェンデストウンガ峰登頂とガルホビッケン登頂
 トレッキング3日目は,終日イェンデプーに滞在する.いわば骨休みの日である.
 その間,元気な人のためのオプションとして,イェンデストウンガ峰を往復する.水平歩行距離約2.7キロメートル標高差約500メートルの軽登山である.さて,そこで私はどうするかである.まあ,それは成り行き次第だが,勿論,元気ならば参加したいなと思っている…今のところは.
 トレッキングが終わった翌日のガルホビッケン登頂は水平歩行距離約6キロメートル,標高差約1360メートル.しかも,山頂付近は万年雪.かなりきつい登山ではないかと予想される.多分,大倉尾根経由の塔ノ岳よりはきついだろうと思っている.

<イェンデストウンガ峰往復>              <ガルホビッケン登頂>

<これから出発>

 では,これから朝食を摂り,5時丁度に出掛けます.
 旅行中,毎日,早朝に,予稿集を公開しますので,宜しかったらご覧下さい.
                                 (予稿集に続く)
[参考資料]

資料1;http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4ADRA_jaJP431JP431&q=%e3%82%ac%e3%83%ab%e3%83%9c%e3%83%94%e3%83%83%e3%82%b1%e3%83%b3%e3%80%80%e5%86%99%e7%9c%9f

「ノルウェー紀行」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6a42e6f09bdedab9734d4b551ebe1cdc
「ノルウェー紀行」の次回の記事
(ジャンプ先は帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

 

 

ノルウェー紀行(予稿集)第1日目;オスロへ

$
0
0

                                <第1日目の行程>

     ノルウェー紀行(予稿集)第1日目;オスロへ
         (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第1日目:2013年8月19日(月)

 旅に出るのはまだまだ先のことだと思っていたのに,もう出発日である.振り返って見ると,旅支度を本気になって始めたのは数日前のこと.ぎりぎりになって,随分と慌ただしい思いをしてしまった.
 毎度のことだが,いざ出発となると,どうしても気後れがして,
 “行きたくないな…”
という気持ちが心の中に湧いてくる.面倒なのである.
 でも,それを押して,5時半頃自宅を出発する.大船から成田エキスプレス9号6時38分発成田行の電車に乗るつもりである.
 例によってリュックを背負い,キャスター付きの荷物を引きずって,もよりの湘南モノレール駅に向かう.難儀なことである.
 成田空湖第1ターミナルで,参加者集合.初顔合わせの方がほとんどである.また,今回も多分私が最年長に違いない.そんなこと知られたくないので,自分からは自分の年令などばらすつもりはないし,目立たないように温和しくしていようと思っている.
 東京成田国際空港11時40分発スカンジナビア航空SK984便で出発,同日16時05分,デンマークのコペンハーゲンに到着する.そして,コペンハーゲンでトランシットして,コペンハーゲン17時10分発SK462便でノルウェーのオスロへ向かう予定である.
 18時20分,オスロ着の筈.
 空港から,専用車でオスロのラディソンブリュゥプラザホテルへ向かう.同ホテル泊
 さて,どんなホテルだろうか.
 それにしても,今日1日は.日付変更線のお陰で実質2日間に相当する.ウンザリするほど長い時間,飛行機の中で過ごさなければならない.飛行機で旨く通路側の席が取れればいいが…
                                 (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

 

ノルウェー紀行(予稿集)第2日目;オスロからイェンデスハイムへ

$
0
0

                                  <オスロからイェンデスハイムへ移動>

 ノルウェー紀行(予稿集)第2日目;オスロからイェンデスハイムへ
         (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第2日目:2013年8月20日(火)

 オスロのラディソンブリュゥプラザホテルから専用車に乗車して,北欧の屋根と呼ばれるヨートゥンハイメン国立公園へ向かう.
 午後,イェンデ湖に面するイェンデスハイム小屋に到着する(標高994メートル).
 トレッキングに不要な荷物は,スーツケースなどに纏めて,日程3日目の朝,イエンデスハイムより,日程7日目のスピターストゥーレン小屋へ開創する.

※国立公園全体図は帰国後作成して掲示します.

                                 (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)

ノルウェー紀行(予稿集)第3日目;トレッキング1日目;メムルブーへ

$
0
0

                              <トレッキング第1日目の行程>方眼は1km

 ノルウェー紀行(予稿集)第3日目;トレッキング1日目;メムルブーへ
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第3日目:2013年8月21日(水)

 トレッキング第1日目,現地ガイドとともにトレッキング開始.国立公園の玄関口イェンデスハイム(標高994メートル)よりイェンデ湖中間部のメクウブーハット(標高1008メートル)へ.
 湖面の標高が400メートルほど異なる二つの湖,ベス湖とイェンデ湖を隔てる細い岩尾根,ヘッセン尾根を下る.
 夕方,メムルブーに到着.ムムルブーハット泊.
 いよいよ,今日からトレッキングが始まる.
 地図を見るとイェンデスハイムから急登して,ベッセゲン尾根を西へ向かうようである.進行方向右手にはヘス湖,左手にはイェンデ湖が見下ろせるはずである.

                          ↓続き

     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 今日は水曜日.
 もし旅に出なければ,私は間違いなく塔ノ岳に出掛けているだろう.今,日本時間で5時58分.東海道本線小田原行の電車の中だろうな…そんなことを連想している.
                                 (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)


ノルウェー紀行(予稿集)第4日目;トレッキング2日目;イェンデブーへ

$
0
0

                             <トレッキング2日目の行程>方眼は1km

 ノルウェー紀行(予稿集)第4日目;トレッキング2日目;イェンデブーへ
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第4日目:2013年8月22日(木)

 トレッキング第2日目,メムトゥンガ高源台地を通り,イェンデブー小屋へ.
 ムル川に沿ってメムル谷を進み,ひと登りして,やがて山上湖が点在するメムルトゥンガ高源台地へ.標高差400メートルの急斜面(一部鎖場)を下り,イェンデ湖畔に戻る.
 湖畔を約1時間ほどあるいてイェンデブーハットに到着する.

                  ↓続き


                                 (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

ノルウェー紀行(予稿集)第5日目;トレッキング3日目;イェンデブー滞在

$
0
0

                              <イェンデストウンガ峰登頂>方眼は1km

 ノルウェー紀行(予稿集)第5日目;トレッキング3日目;イェンデブー滞在
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第5日目:2013年8月23日(金)

 トレッキング3日目.終日,休養を兼ねてイェンデブーハット滞在.
 希望者だけで,イェンデストゥンガ峰(標高1516メートル;徒歩約4時間)に登り,山頂からイェンデ湖の眺望を楽しむ.
 イェンデブー泊                          ↓3日目はこちら側

                                 (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

ノルウェー紀行(予稿集)第6日目;トレッキング4日目;ライルバスブーへ

$
0
0


                         <イェンデプーからライルバスプーまで>方眼は1km

 ノルウェー紀行(予稿集)第6日目;トレッキング4日目;ライルバスブーへ
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第6日目:2013年8月24日(土)

 トレッキング4日目.
 ストラータ谷を通り,ライルバスブーハット(標高1400メートル)へ.
 巨大なU字谷ストラータ谷沿いを歩き,大小いくつかの湖を過ぎて,湖畔のライルバスブーハットへ.
 水平歩行距離約19キロメートルか.ちょっときつそうだな.

                     ↓続き

                        ↓続き


                                 (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

ノルウェー紀行(予稿集)第7日目;トレッキング5日目;スピーターストゥレーンへ

$
0
0

                             <ライルパスプーからスピターストゥーレンへ>方眼は1km

ノルウェー紀行(予稿集)第7日目;トレッキング5日目;スピターストゥレーンへ
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第7日目:2013年8月25日(日)

 トレッキング5日目.
 ビス谷を通り,スピターストゥレーンへ.
 小さな湖を幾つか過ぎて,ビス谷の上部へ.谷沿いを緩やかに下り,スチターストゥレンハットに
 巨大なU字谷ストラータ谷沿いを歩き,大小いくつかの湖を過ぎて,湖畔のライルバスブーハット(標高1106メートル)へ.

                    ↓続き


                                 (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

ノルウェー紀行(予稿集)第8日目;ガルホピッゲン登頂

$
0
0

                               <ガルホピッゲン登山>方眼は1km

    ノルウェー紀行(予稿集)第8日目;ガルホピッゲン登頂
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第8日目:2013年8月26日(月)

 北欧最高峰ガルホビッケン(標高2469メートル)登山.
 標高差約1,300メートル.ツンドラの斜面から残雪の斜面を登り,岩稜を経て山頂へ.
 360度の眺望を堪能した後,往路を戻る.所要時間9時間の登山.
 ビス谷を通り,スピターストゥレーンへ.
 プロフィールマップを見ると,大倉から塔ノ岳に登るより辛そうである.水平歩行距離は塔ノ岳の場合と大差ないが,累積登攀高度が約100メートル多いし,途中に平坦なところが殆どない.それに上の方は雪に覆われている.
 どうもマイッタナ!


                                 (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

ノルウェー紀行(予稿集)第9日目;オスロへ

$
0
0

                             <スピターストゥーレンからオスロへ>

       ノルウェー紀行(予稿集)第9日目;オスロへ
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第9日目:2013年8月27日(火)

 専用車でオスロへ.
 オスロのラディソンブリュプラザ泊
                                  (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

ノルウェー紀行(予稿集)第10日目;オスロ滞在

$
0
0

                                     <オスロ市内地図>

      ノルウェー紀行(予稿集)第10日目;オスロ滞在
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第10日目:2013年8月28日(水)

 オスロ滞在.
 歩行者天国カールヨハン通りの散策,局地探検でフラム号,コンチキ号博物館などを訪問する.
                                  (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)


ノルウェー紀行(予稿集)第11日目;オスロ発

$
0
0

                               <オスロからコペンハーゲンへ>

         ノルウェー紀行(予稿集)第11日目;オスロ発
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第11日目:2013年8月29日(木)

 オスロ13時45分発スカンジナビア航空SK1469便に登場,コペンハーゲンに14時55分到着.トランシットして,15時45分発SK983便で東京(成田空港)へ向かう.
                                  (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

ノルウェー紀行(予稿集)第12日目;無事帰国

$
0
0

                            <コペンハーゲンから東京(成田)へ>

        ノルウェー紀行(予稿集)第12日目;無事帰国
           (アルパインツアー)
     2013年8月19日(月)〜30日(金)

第12日目:2013年8月30日(金)

 コペンハーゲン15時45分発SK983便で東京(成田空港)へ.機中泊.
 9時35分に東京(成田)空港着.空港にて流れ解散.JR成田線または横浜行リムジンバスを利用して帰宅.

                                  (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の後の記事
(帰国後記載)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

ノルウェー紀行;プロローグ(3);楽しい旅が無事終わった

$
0
0

                              <ガルホビッケン山頂にて>

   ノルウェー紀行;プロローグ(3);楽しい旅が無事終わった
           (アルパインツアー)

2013年8月19日(月)〜8月30日(金)

帰国後第1日目;2013年8月31日(土) 晴・蒸し暑い

<無事帰国>

■予定通り帰国
 12日間のノルウェーの旅を予定通り終えて,昨日(8月30日),無事帰国した.その間,連続5日間のトレッキングと,北欧最高峰のガルホビッケン山(標高2,469m)に登頂した.
 5日間にわたるトレッキングは,ユートゥンハイム国立公園内を巡るコースである.実際に歩いてみると,事前に要していた以上にスリルと変化に富んだコースだった.
 成田空港に9時過ぎに到着した私たち一行は,一連の帰国手続きを終えて,預け入れた荷物を受け取ってから流れ解散となる.私は,リムジンバスを利用して,まずは?浜シティターミナル(YCAT)へ.丁度昼時だったので?浜駅隣接のルミネ地下1階の某寿司店に立ち寄って.海鮮丼を賞味する.店員さんのハキハキ,ニコニコした応対に,まずは感動.久々の美味しい日本料理に大満足.
 昼食後,?浜駅から横須賀線で大船へ.?浜駅構内に入ると,周囲の色彩の華やかさ,明るさに,感動する.何時も海外から帰ってくると感じることだが…日本は平和で笑顔に満ちていることを改めて実感する.
 “やっぱり,日本って…本当に良い国だな〜ぁ…”
 でも,冷涼な北欧の旅を終えたばかりの私には,日本のいきなりの蒸し暑さは身体に大分堪える.電車の中は涼しくて良かったが大船駅に到着した途端に.また,蒸し暑さに悩まされる.何とも言えない疲労感があるので,帰宅する前に行きつけの大船駅構内にあるBecker’sに,フラフラ立ち寄って,ホットコーヒーを所望する.久々の馴れたコーヒーの味を賞味していると,だんだんと緊張もほぐれてくる.そして,やっと落ち着いた気分になる.
 私は大きなスタッフバッグを引きずっている.こんな荷物を持ったまま,自宅近くを通る小さなバスに乗るのも記が引けるし,そうかと言って,けちん坊の私のこと,タクシーを利用する気にもなれない.仕方なく湘南モノレールを利用して.近場の駅で下車.そこから先,距離にして約700メートルの坂道を,大きな荷物を引きずって,エッチラ,ホッチラと登る.
 自宅に着いたときは,もうヘトヘト.蒸し暑さで辟易.すぐにシャワーを浴びて汗を流す.
 さて,暫くすると就寝の時間である.でも,今度は逆時差のため,どうも体調がちぐはぐでよく眠れないまま,帰国後第1日目の今日を迎えてしまった.
 そんなわけで,今日は朝の内から,ボ〜ッとした気分である.
 “それにしても,朝から随分と蒸し暑いな〜ぁ!”

<久々の和食;美味しかったなあ!>

■暑さと汗臭さにウンザリ
 昨日,放り出したままの荷物を開く.実に雑多なものが乱雑に入っている.トレッキング中に着衣は洗濯をしていたはずなのに,着衣は異臭を放っている.早速洗濯をする.
 それにしても,朝からどうも眠くて,だるくて仕方がない.完全な時差ボケである.
 でも,まあ,今日の内に,とりあえずのことは片付けなければ…
 久々にPCを開く.
 不在中にメールが数百通も届いている.もっとも,このうちの少なからずのメールは企業などからのPRである.いちいち開いて読むのも面倒である.ざっと,表題を眺めながら,気になるメールだけを拾い読みしてみる.返事を書かなければならないメールも結構あるが,今日の所は,何とも邪魔くさいので,返信は明日にしよう…何しろ私の座右の銘は
 “明日すればいいことは今日はしない…”
だったから…
 でも,こんな座右の銘は,決して余所様にお勧めできるものではないことは百も承知である.

■とにかく眠くてだるい
 今朝は,6時頃起床した.
 7時過ぎに朝食を摂ったが,どうも時差が身体に残っているのかだるくて仕方がない.ここまま起きていないと時差は解消できないとは思いながらも,ついつい居眠りをしてしまう.でも,まあ,ここは逆らわずに居眠りをしながら終日ノタノタと過ごすことにする.
 …ま,そんなわけで,今回の旅の記録は,明日から開始することにしようと思う.
 …で,今日の所は旅の概要と感想だけをちょっとだけ記述するに留めよう.

<旅の様子を振り返る>

■スリルに満ちたトレッキング5日間
 既に予稿でも記したように,トレッキング開始はノルウェー到着後3日目から始まる.
第1日目はイェンデスハイムからメルムブーまでの約13.5キロメートルである.事前に資料などで調べていたので,ある程度の岩稜歩きは覚悟していたが,実際に現地で歩いてみると,まるで中央アルプスの宝剣の規模を大きくしたような急峻な岩稜歩きや,鎖場が何カ所もあるスリル満点のコースだった.その反面,牧場内の牧歌的な風景や,尾根道からの素晴らしい展望を満喫することができた.
 第2日目は,当初予定されていた川沿いのコースではなく,現地案内人が推奨する尾根沿いのコースを歩いた.稜線沿いに並ぶ沢山の湖と,残雪の山脈を眺めながら歩く展望絶佳のコースである.正確な歩程はまだ調べていないが,約12キロメートルのコースだった.2日目のコースも,素晴らしい眺望を楽しめる一方で,危険で急な岩場下りがあって,随分と緊張を強いられた.やっとイェンデ湖畔まで降りても,その先は石ころと泥濘の難路が1時間余り続いた.
 第3日目は休養日だった.連続2日間にわたるトレッキングの骨休みの日である.ただし,希望者は近くにあるイェンデストゥンカ峰(標高1,510m)まで軽くハイキングするということだったもので,結局は全員が参加した.ところがこのコースは,軽いハイキングなどではなく,途中から本格的な岩登りになる.“こんな筈ではなかった”と思いながら,真剣かつ本気になって岩登りに挑戦する.スリル満点である.下山時にこの岩場どうなることかと思ったが,下山のコースは岩場を避けたノンビリコースだった.
 第4日目のコースはイェンデブーからライルバスブーまで,氷河で削られてできたU字谷,ストラー谷沿いの道を辿る.急な登り下りはないが.巨石や礫混じりの道が連続する.決して歩きやすい道ではない.特に大きな石を辿りながらの道はバランスを崩しやすくて怖い.歩程距離は約18.7キロメートル.かなり草臥れた.
 第5日目は,ピス谷を通ってスピターストゥレーンまでの約15.7キロメートルの道程.途中緩やかな登り坂を6キロメートル歩いてから,ごく緩やかで長い下り坂が連続する.比較的単調な道である.
 こんな毎日を過ごして,参加者全員が無事トレッキングを終える.

<急峻な登り下りもあるトレッキングコース>


<素晴らしい眺望を楽しみながらのトレッキング>

■結構大変なガルホビッケン登頂
 5日間のトレッキングを終えた翌日がガルホビッケン登頂日である.
 登山口のスピターストゥーレンとの標高差は約1360メートルである.当初,私は地図を見ながら,
 “せいぜい(丹沢の)大倉から大倉尾根経由で丹沢山を往復するぐらいだな”
と多寡をくくっていた.
 ところがドッコイ! 飛んでもない山である.ガレ場,巨石の上の伝い歩き,岩稜の急坂,いくつかの雪渓の登攀などが連続する.とても,とても丹沢山往復所の話ではない.難行苦行の連続である.とはいえ長さ百メートルほどの雪渓尻制動下りがあるし,スリル満点の徒渉も何回もあるし,長閑な牧場歩きもある.とても変化に富んだ楽しい山行だった.

<ガルホビッケン山頂からの素晴らしい眺望>

■オスロ観光とクルーズ
 旅の10日目は終日オスロ観光を楽しんだ.
 午前中は,リーダーの案内で,市内観光を楽しんだ.まずはオスロパスを購入する.有効期間は1日.シニア料金は120クローネと格安.
 市役所,コンチキ号博物館,フラム号博物館.ユング博物館,王宮の衛兵交替式などを見学した.
 私は有志4人と一緒に,ナイトクルーズに参加.船上からオスロの夜景を楽しむ(実際は日が長いので夕景といった感じだが…).夕食はエビをたらふく平らげる.大満足.

<ユンク博物館>


<コンチキ号>

<…で,旅の感想は>

■コースの感想
 今回のコースは,アルパインツアー社の難易度表示では靴の印が4個である.まあ,今回のコースは難コースの部類に入ると思われる.それにもかかわらず参加者21人が全員踏破したのは素晴らしいと言えよう.ちなみに参加者21人の内,男性はたった6人だけ.相変わらず女性が多かった.
 今回のコースを歩いた感想を列挙すると以下の通りである.
 1.毎日がロングコースであり,結構大変である.
 2.牧歌的な雰囲気の所も多いが,大きな石伝いに歩くところ,結構長い徒渉,ガレ場,
  幾つものクサリ場が連続するところもあり,変化に富んでいる.
 3.休養日の3日目のオプション,イェンデストゥンカ峰は難易度の高い岩山である.
 4.ガルホビッケン登頂は,クサリ場はないが,累々と重なる石の上を伝ったり,急な岩山,
  ガレ場,岩登り.雪渓の登り下りなどがあり,結構大変だった.

<クサリ場を何回も下る>

■宿泊施設
 オスロで宿泊したホテルは,勿論,一流ホテルなので.設備,広さなどには全く問題はない.
 トレッキング中に宿泊した山小屋はイェンデスハイム,メムルブー,イェンデブー,ライルバスブー,スビダーストゥレーンの5ヶ所である.
 何れの山小屋も,日本の山小屋とは,全く比較にならないほど快適であった.
 これらの山小屋の快適さに比較すると,日本の山小屋は絶望的になるほど貧弱だと言わざるを得ない.この落差の大きさに愕然とする,富士山の山小屋がこのレベルまで改善されることは不可能に近いのではないかと絶望的になる.
 以下がトレッキング中に利用した山小屋の感想である.
 1,どの山小屋にもお湯がタップリ出るシャワーがある.
 2.トイレは1ヶ所を除き全て水洗で,全く臭気などなく,ちり紙も充分あり流すことができる.
 3.私が宿泊した部屋は2人部屋か4人部屋を2人で使用した.2段ベッド,あるいはシン
 グルベッドが置かれていて,1人ひとりのスペースが完全に確保されている.
 4.どの小屋の乾燥室も広くて機能的である.
 5.食事の内容もちょっとしたホテル並みのバイキング方式だった.
 5,ホテル,山小屋を問わず,水道の水はそのまま飲める.
 6.どこの宿泊施設でも,前日夜にテルモスを出しておけば,行動中に必要なコーヒー,ブ
 ラックティーなど数種類の飲み物を無料で提供してくれる.
 7.どこの山小屋でも,行動中に出たゴミを捨てることができる.
 8.どこの山小屋でも,個人用のシーツ,枕カバー,バスタオル,タオルを貸し出してくれる.

<山小屋の美味しい食事;デザートもある>

■高福祉の陰に高い物価
 ノルウェーが高福祉の国であることはおぼろげながら私も知っている.それだけに日本とは比較にならないほど税金も高い国である.
 現地通貨はクローネ.円との換算レートは,成田空港の銀行で交換して
     1クローネ=18.65円
であった,まあ,ざっと言えば1クローネは約20円と考えればよいだろう.
 でも,現地で物品を購入しようとして円に換算してみると,余りの物価高でただただ驚くのみである.ほとんどの場合,買おうと思っても手が引っ込んでしまう.身近な例で言えば,日本で150円ほどで買えるオレンジジュースが35クローネ,つまり約700円という高さである.一寸した軽食でも,すぐに3000円程度になる.とにかく物価が高いの何のって…とてもじゃないが,私などはこの国で暮らしていける自信はない.
 とはいえ,一方では学校,医療はタダ,老後は貧富の差なしに平等に施設で余生を送ることができるというので,ベラボーな物価高もうなずける点も多い.要は生き様の違いだろう.
 …ま,それにしても一寸した買い物で,ドンドン減っていく手許の通貨にハラハラし通しの旅行だった.
 「いちいち円に換算していたら何も買えないよ…円など考えずに買わなければダメだよ」
と同行者の誰かが言っていたが,その通りかも知れない.

帰国後第2日目;2013年9月1日(日) 晴・朝から蒸し暑い

 まだ時差が完全に残ったままである.
 昨夜は,夜中になっても中々寝付かれないまま,どうなることかと思っていたが,何時の間にか寝てしまったらしく,気がつくと朝8時を過ぎていた.
 “そろそろ,シッカリしなければ…”
と自分に“喝”を入れる.
      ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 ということで,プロローグはこのあたりで終わりにしよう.
 次回からは,旅の詳細を記録していくことにしよう. 
                                    (つづく)

「ノルウェー紀行」の前回の記事(プロローグ)
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0547a568803e6789013aef33df4a82e9
「ノルウェー紀行」の前の記事(予稿集)
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/68735648d725cc29b4fbeb4d97af8304
「ノルウェー紀行」の次回に記事
(編集中)


  

 

 

ノルウェー紀行;第1日目;東京(成田)からオスロへ

$
0
0

                                          <オスロ駅付近>

   ノルウェー紀行;第1日目;東京(成田)からオスロへ
           (アルパインツアー)

2013年8月19日(月)〜8月30日(金)

第1日目;2013年8月19日(月) 晴・蒸し暑い

<ルート地図> 東京(成田)→オスロ


※再掲

<東京(成田)国際空港へ>

■早々と出掛ける
 とうとう出発日の当日となる.
 何時ものように4時頃起床する.8月も下旬になると,夜明けがすっかり遅くなり,なんとなく秋の気配が感じられる.
 毎度,海外旅行に出掛ける当日になると,正直なところ,出掛けるのが急に面倒臭くなり,イヤになる.
 “なんで,こんな七面倒くさそうな旅を申し込んでしまったんだろう…”
と半ば後悔する.正に気分はブルーである.
 もっとも,出掛ける前に,こんな気持ちになるのは,今回が初めてではない.海外旅行のときは,毎度のことなのだが…それにもかかわらず,旅行から無事帰ると,また,出掛けたくなるから不思議である.
 ところで,私は慌てるのが大嫌いである.これも毎度のことだが,指定された時間の30分〜1時間前には集合場所に到着して,集合場所近くの喫茶店でコーヒーを飲みながら時間を過ごすのが,精神的に一番落ち着くようである.
 そんなわけで,こんな早い時間に家を出発したら,成田空港に着いてから時間を持て余すことは分かっているにもかかわらず,5時丁度に自宅を出発する.今回は12日間にわたる長旅なので,リュックの他にキャスター付きの大型バッグを引っ張っている,真っ暗な中を近くの湘南モノレールの駅に向かう,まだ寝静まっている住宅地の中をキャスターの音が「ごろ,ごろ,…」と反響する.記が引けるがやむを得ない.
 5時30分に大船駅に到着する.私は大船駅6時38分発成田エキスプレス9号に乗車する予定である.まだ,発車時間まで1時間も余裕がある.時間がありすぎるので,途方に暮れる.途方に暮れるのは,家を出るときから分かっているのに,それでも早く出掛けてしまうのが私の性(サガ)だから,これも仕方がない.
 “和食の食べ納めでもしておくか…”
ということで,駅近くの24時間営業の某チェーン店「M屋」で「焼き魚定食」を注文する.和食の専門店だけあって,さすがにご飯が美味しい.大満足である.ユックリ食事を終えてからも,まだ時間がある.
 “それでは…”
ということで,駅前のマクドナルドでコーヒーを飲みながら,ユッタリとした時間を過ごす.

■成田空港で両替
 成田エキスプレスは大船始発である.車内は冷房が良く利いていて少し寒い.大船を発車するときには,乗客は1車両にほんの5〜6人程度しか居なかったが,戸塚,武蔵小杉,?浜と停車する度に乗客が増えて,東京駅で満席となる.
 東京駅を過ぎると,次の停車駅は成田空港第2ビルである.千葉駅や成田駅には停車しないのが少々意外に感じるが,まあ,どっちでもいいことだ.
 途中,ビルの間から東京スカイツリーが見え隠れする.
 “そういえば,まだ東京スカイツリーには行っていないな…”
 やがて,列車は,商業ビルや住宅が,超過密で,ゴミゴミしたところを通過して,何となく長閑な感じのする郊外に出る.多分,千葉県に入ったんだろうなと思うが,千葉のどの辺りを走っているのか分からないうちに,列車は終点の成田空港駅に到着する.
 空港駅では例によって,パスポートの提示を求められる.ちょっと,緊張する.
 ”いよいよ旅路だな〜ぁ…!”
 田舎者の私は,空港のように喧噪なところでは落ち着かない.
 “そうだ! まずは円貨をノルウェークローネに両替しておかなければ…”
 成田駅改札口近くにある両替店には,これから両替をする人達の長蛇の列ができている.私は,出発ロビーにある両替店で両替をすることにして,ここはパス.
 エスカレーターを何回も乗り換えて出発ロビーにある両替店に向かう.ここも10人余りの行列ができているが窓口が3ヶ所あるので,進みが早い.
 “いくら両替しようかな?”
と迷っていると,今回の度でご一緒するTBさんが,目ざとく私を見付ける.
 「もう,何人かの皆さんが,集合場所に来ていますよ…」
とのこと.TBさんは山旅スクール5期生.私と同期の方で,塔ノ岳の常連でもある.
 “さて,いくら両替しようか?”
 私は少々迷うが,渡航先では極めて質素に過ごすつもりなので,ごく少額を両替する.為替レートは,
      1クローネ=18.16円
である.
 このレートが,円にとって有利なのか不利なのか,私には全く分からない.

■初顔合わせ
 私と同じように両替を済ませたTBさんと一緒に集合場所に向かう.
 集合場所には,もう参加者の内の何人かが集まっている.今回のツアーリーダーはIBさんとOGさん.IBさんには,2010年のローッキー山脈の旅のときにお世話になっている.OGさんとは初顔合わせ,アルパインツアー社の若手のホープである.
 今回の参加者は21人,内,男性6人,女性15人.ご多分に漏れず今回も圧倒的に女性群が多い.
 ツアーリーダーから種々の書類を渡される.その中にある参加者名簿を見ると,ご夫婦1組,それ以外は全員単身参加である.現住所の分布は以下の通りで,東京都と神奈川県が圧倒的に多いようである.
 参加者の年齢構成? 全く分からないが,顔ぶれを見ると60歳代が多いように見受けられる.でも,多分,私が最年長者だろうと思われる.
 東京都      8(人)
 神奈川県     6
 関東地方     3
 中部地方     1
 関西地方     2
 中国地方     1
 10時03分,出発ロビーの片隅で,初の顔合わせが始まる.
 ツアーリーダーのIBさんから,飛行機に搭乗するまでの手順と注意事項の説明がある.私は今回同行される皆さんの顔ぶれを眺めながら,
 “随分,モサが多いなあ〜…”
と,いささか恐れを感じる.
 “もし,皆さんに付いて行けなかったらどうしよう…良い年をして「靴4個」のツアーに参加するからこう言うことになるんだ”
と叱咤されそうである.
 叱咤されるのは良いとして,これがフラワーヒルの最後の旅になっては困るなという心配が心の中に過(よ)ぎる.

<成田空港集合>

<成田空港から出発>

■搭乗手続
 ぞろぞろと,ツアーリーダーの後にくっついて,スカンジナビア航空の窓口へ向かう.窓口は空いているので,ほとんど待たずに搭乗手続を済ませる.どうやら私の席は,通路側のようである.ラッキー.
 私は大型バッグだけを預けて,リュックとポーチだけを畿内に持ち込むことにする.ただ,万一,大型バッグが行方不明になっても,登山だけは続けられるように,軽登山靴を履いている.それにリュックの中には着替え1式,防寒具,雨具だけは入れておく.これだけあれば,例え大型バッグの到着が遅れても,まあ当面は,なんとか困らないだろうという算段である.

■出国手続とセキュリティチェック
 10時30分,出国手続を済ませる.
 もう,お盆付近の旅行ピーク時を過ぎている上に,午前中とあって,窓口は空いている.実にスムーズに出国手続とセキュリティチェックを終える.
 私たちは,これから成田11時40分発スカンジナビア航空SK984便で,デンマークのコペンハーゲン国際空港へ,ここでトランシットして,ノルウェーのオスロ国際空港に向かう予定である.
 搭乗開始時間まで,まだ,少々時間がある.搭乗口は37番ゲート.
 特段にすることもないので,ブラブラと搭乗口に向かう.途中,150円也のペットボトルの生茶を買って,搭乗口近くのベンチに座り込んむ.
 生茶を味わいながら,
 “日本茶とも,暫くお別れだな…”
としみじみ思う.

■成田を離陸
 11時丁度に搭乗開始.
 私の席は,36C.通路側の席である.実にラッキー.着席してから辺りを見回すと,飛行機はどうやら満席.私の席の近くには同行の皆さんが固まって座っている.
 私は飛行機の離陸,着陸の瞬間が怖いので大嫌いである.だから,席に着くとすぐに居眠りをすることにしている.寝ている間に,無事,離陸してくれることを望んでいる.でも,大抵はまだ寝込まないうちに離陸になってしまう.今回も,眠れないうちに,11時38分,成田空港を出発する.
 滑走路に入ってからも,飛行機は勢いよく加速できないようなので,離陸できないのではないかと心配になる.
 11時56分,ようやく離陸する.ヤレヤレ.

<機内の様子>

<退屈な機内>

■まずは機内食
 飛行機が高度を上げて水平飛行に入る頃になると,漸く,ホッとした気分になる.
 気がつくと,もう12時25分を廻っている.機内の気温が少し下がったらしく,何となく薄ら寒くなる.
 座席に付いているモニター画面の表示によると,現在,12時32分.飛行機はもう本州を横断して,佐渡島北方の日本海上を飛んでいる.飛行高度は8858メートル,対地速度は942キロメートル/時.外部気温はマイナス35℃.
 12時40分,どこからともなく料理の匂いが漂ってくる.どうやら昼食が始まるらしい.私の経験では食事後はトイレが混雑するので,今のうちにトイレに行っておこうと思う,こんなときに通路側の席に座っていると何かと便利である.
 12時53分,いよいよ昼食.
 数年前までは,座席のポケットに機内食のメニューが入っていて,それを見るのが楽しみだったが,何時の間にか,そんなメニューはお目に掛かれなくなった.しかも,
 “Beef or pork?”
などと聞かれることもなく,メニューはお仕着せ1種類.別に不満はないが少々寂しい.
 それに…
 私は酒類を嗜まないので,どうということもないが,酒類は食事のとき1回だけ無料だが,後は有料だという.何とも世知辛いことになったものだ.
 ところで私は,トマトジュースとコーヒーを所望する.
 13時45分,昼食が終わる.

<機内食(昼食)>

■けだるい機内
 食事後,何時もながら眠くなる.暫くの間,居眠り.ただゴーゴーというエンジンの連続音が少々気になる.
 暫くすると目が覚める.退屈なのでビデオを見るが,オランダ語や英語の映画ばかりで,日本語の映画はなさそうである(後になって1本だけ日本語のビデオがあったと聞く).
 15時21分,飛行機はシベリア上空を飛んでいる.モニター画面の左下にバイカル湖らしい湖が表示されている.飛行機は高度10,363メートル,対地速度820キロメートル/時で西へ向かって飛んでいる.
 15時30分,トイレに立つ.
 全ての窓のブラインドが閉められていて機内は薄暗くなっている.辺りを見回すと,ほとんどの人が居眠りをしている.私も雰囲気に釣られて,再び居眠りを始める.

■オニギリとコーヒー
 18時07分,鮭のオムスビとコーヒーが配られる.
 成田を出発してから,もう,かれこれ6時間半ほど経過している.退屈.でも,オニギリはとても美味しい.
 18時37分,飛行機はウラル山脈の北側を飛行中である.
 退屈な長い時間が続く.20時頃,また,ウトウトと居眠りをする.

■夕食
 21時16分,夕食が始まる.
 食事後,コーヒーとブラックティーを貰う.
 21時40分頃,夕食が終わる.ここで,時計の針をノルウェー標準時に合わせる.ノルウェー時間では,現在,14時40分である.
 以後,このブログではノルウェー標準時で標記することにする.

<機内食(夕食)>

<コペンハーゲン国際空港でトランシット>

■コペンハーゲン空港に着陸
 14時56分,飛行機がコペンハーゲンに到着する旨,アナウンスがある.つづいて,15時07分,飛行機が着陸態勢に入るとアナウンスがある.アナウンスは英語,オランダ語,日本語.
 15時37分,コペンハーゲン空港にランディング.
 15時46分,コペンハーゲン空港に到着.
 15時51分,ディセンバーグ.
 16時00分,セキュリティチェックと入国審査.どちらもそれほどの待ち時間もなく,スムーズに流れる.
 16時24分,B5ゲートに移動する.

<コペンハーゲンでトランシット>

■オスロ行飛行機に搭乗
 16時55分,オスロ行スカンジナビア航空SK462便17時10分発に登場する.私の席は14D.ここでも幸いなことに通路側の席である.
 飛行機は満席.私たち以外に日本人は登場していないようである.辺りからは日本を感じさせるものは全くなくなる.
 17時20分,出発.
 17時28分,コペンハーゲン空港を離陸する.

<無事オスロ空港に到着>

■簡単な機内サービス
 17時50分,飲み物のサービスがある.私はコーヒーを所望する.食事が出るかと思ったが,残念ながら食事はなし.

<機内サービスのコーヒー>

■オスロ空港到着
 18時05分,まもなくランディングのアナウンスがある.勿論,日本語のアナウンスはない.
 18時22分,無事,オスロ空港に到着する.
 18時32分,ディセンバーグ,
 18時40分,バゲージクレイム.入国審査はない.

<ラディソンブリュプラザ>

■現地ガイドの説明を聞きながら…
 19時20分,空港バス停に移動する.現地の日本人女性ガイドが案内役である.
 19時22分,専用車に乗車し,19時25分にオスロ空港を発車する.立派な大型バスである.2人分の席を1人で占領する.
 道すがら,女性ガイドがノルウェーの説明をしてくれる.
 「ノルウェーの面積は,39万平方メートルです.日本とほぼ同じ広さです.ただ人口は約500万人です.その内,57万人がオスロに住んでいます…オスロの7月の平均気温は21〜22℃.冬はマイナス2から3℃です.ノルウェーの主要産業は,石油,天然ガス,鮭.電力は豊富です…言語はノルウエー語です.「ありがとう」は,ノルウェー語では「タック」と言います…
 トイレは男性がHare,女性がDame,男はH,女はDと覚えれば良いでしょう.
 6月頃は夜中の11時頃でも新聞が読めるほど明るいです.でも冬は暗くて寒いです.雪はそれほど多くは降らないですが,ツルツルに凍り付きます.
 スカンジナビア半島は岩盤でできています.ダイナマイトは岩盤の処理には必需品です.の発明はノーベルですが,ノーベルでなくても,誰かがきっとダイナマイトを発明しただろうと言われています.ノーベル賞の中で平和賞だけはスエーデンではなくオスロで授賞式が行わます.ノルウェーはスエーデンの支配下にあったこともあって,両国の仲が悪かったので,ノーベルは両国の融和を願って平和賞だけはノルウェーで開くように遺言したとのことです.
 ノルウェーは高福祉の国です.学校は大学まで無料,病院もほとんどの治療費は無料です.年金は一生貰えます.いわゆる社会民主主義の国です.あらゆるところに政府のコントロールが及んでいます.でも,税金はとても高くて50パーセントは税金として持って行かれます.
 食事は本当に簡単です.そのため女性も職場に出やすいです.
 学制は小学校7年,中学3年,高校2年です.大学は入学試験はなく,中学・高校の内申書で選考します.希望の大学には入れないと浪人ということになります.浪人すると年令のポイントが上がるけれども,24才で打ち止めになります.
 住宅は,年令とともに小さな家に移ります…」
 ガイドの説明を伺っている間に,20時丁度,バスは紺屋の宿泊場所のラディソンブリュプラザ(Radisson Blu Plaza Hotel)に到着する.

<デラックスバスで移動>

■豪華な部屋
 ホテルロビーでチェックイン作業が終わるのを待つ.少々時間が掛かる.
 私が宛がわれた部屋は706号室.EMさんと同室である.
 ツアーリーダーから明日の行動予定などの説明を受ける.
 20時23分,ミーティングが終わって,部屋に入る.ダブルベッド2台が並ぶ豪華な部屋である.
 早々に風呂に入って,21時頃就寝する.

<ホテルロビーにて>
  
 
<ホテルの部屋>
                                      (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b16eb328fb9fccf7ca314acfe48fa5c6
「ノルウェー紀行」の次の記事
(編集中)
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)

ノルウェー紀行;第2日目(1);専用車に乗ってオスロを出発

$
0
0

                             <車窓から;美しい湖が沢山ある>

   ノルウェー紀行;第2日目(1);専用車に乗ってオスロを出発
           (アルパインツアー)

2013年8月19日(月)〜8月30日(金)

第2日目;2013年8月20日(月) 晴・冷涼

<ルート地図> オスロ→イェンデスハイム



<オスロの朝>

■時差ボケ
 いよいよ2日目.
 私は昔から時差に弱い.今回も,日本とノルウェーでは7時間もの時差がある.時差に弱い私は,当然,ほとんど眠れない一夜を過ごすことになる.
 6時にモーニングコールがある.
 ここは時差7時間の世界である.朝6時と言っても,JSTでは13時である.これでは体内時計を簡単に調整することは困難である.
 身体が何となく火照っていて,気分は最悪である.血圧を測る.血圧の具体的な値は個人情報なので,ここでは記さないが,随分と高い値を示している.
 自分ではほとんど眠っていないような気がしているが,同室のEMさんによると,
 「寝てから暫くの間,とても良く睡っていましたよ…」
とのことである.どうやら,私は眠れないとは言いながらも,寝付きの2〜3時間は良く睡っていたらしい.
 それはともかく,起床する.何となく倦怠感が残っている.
 “こんな調子で,度の終わりまで体調が持つかな…”
と心配になる.

<早朝のオスロ;ホテルの窓から>

■朝食は美味しいバイキング
 6時30分,同室のEMさんから,
 「そろそろ朝食に行きますか…」
と促される.
 余り食欲はないが,毎日3食はシッカリ食べるのが私の流儀である.EMさんと一緒に,エレベーターを使ってホテル2階のレストランに向かう.
 レストラン入口で受付係の女性が,
 “Room Number, please.”
と英語でチェックする.
 朝食はバイキング形式である.もう,早々とツアーリーダーがレストランに来ていて,
 「こちらの席を使って下さい.」
と私たちを誘導する.結局,私たちのグループはレストランの中央付近のテーブルに一塊になって座る.
 沢山の一般客と混じりながら,自分の好みの食材を選ぶ.
 ここはさすがに一流ホテルである.品数が実に豊富である.これまで,私は,何回か仕事でヨーロッパを訪れたことがある.何れもビンボー旅行だったので,格安のホテルにしか泊まったことがない.そんな格安なホテルだと,朝食のネーベンなどほんの数種類しかない.そんな不確かな経験から,ヨーロッパのホテルの朝食など,ろくなものではないと思い込んでいたが,今回は違う.さすがにチャンとしたホテルだと品数も多いし,どの食材も,とても美味しいんだと再認識させられる.
 今回の旅行は,航空機代,ホテル代など全てがパックになっているので,このホテルの宿泊費がいくらになっているのか知る由もないが,もし個人旅行だったら,到底,こんな立派なホテルには泊まらなかっただろうな…なんて考えながら,朝食を美味しく頂く.
 どの食材も美味しいが,とくに気に入ったのが,写真のパンである.外カリカリ,中フワフワで何とも美味しい.私は大食漢ではないので,この程度のネーベンしか取らなかったが,どれも美味しい.その中でも日本で食べるのと同じようにパリパリしたキュウリには感激した.私はそれほど多くヨーロッパを旅したわけではないが,ヨーロッパでは,何時も熟れすぎのブカブカなキュウリにしか出会ったことがないので,正に感激である.
 そうそう,それに書き忘れてはいけないのは,ノルウェーでは水道の水がそのまま飲めるだけでなく,冷たくてとても美味しい.大抵の国では,いつも飲料水の確保に気を遣わなければならないが,ここでは安心して水道の水を飲むことができる.この一点だけでもストレスが大分解消される,実に有り難いことである.

<美味しい朝食>

■デザートとコーヒーを優雅に…
 デザートも多種多様.その中から私はスイカとメロン,それにコーヒーを頂戴する.
 平素,自宅では朝からスイカやメロンなど贅沢なものは食べたことがないので,さぞかし私の胃袋もビックリしたことだろう.
 朝のコーヒーも良いですね.カップのコーヒーが少なくなると,ウエイトレス(フロアアテンダントって言うのかな)が直ぐに来て,
 “More coffee ?”
である.有り難い.
 でも,コーヒーを飲み過ぎて急性胃炎になった前歴のある私は,折角のコーヒーだが,2杯ほどでヤメにしておく.

<デザートとコーヒー>

■ノートの何でも書き留める
 余談だが…
 私は,旅行中,何時もB5版のノートを持ち歩いている.無地のわら半紙を束ねただけの格安ノートである.このノートに,あること無いこと,気がついたことなど,旅の途中で,何でもかんでも書き留めている.それも1.6mmφの極太のボールペンを使って書き殴る.文章で書き留めるのが手間で面倒なときは,眼で見た印象をそのままスケッチ風に書き留める.ただしスケッチではない.あくまで文字の代替である.だから,1枚を書くのに要する時間はせいぜい15秒から20秒ぐらい.
 例によって,朝食の様子を文字で書くのは面倒なので,印象を簡単に書き留めてから,写真を撮る.これだけの儀式を終えてから,食べ始める.
 私と一緒に旅をしている人は,私のこの奇行を何とも思わないが,始めてお会いした人からは,何時も興味津々,変なことをする人だと思われてしまうようである.今回も複数の方から,
 「いちいち絵を画くんですか?」
 「あなたは絵描きさんですか?」
 「絵がお上手ですね?」
と見当違いの質問を受けてしまう.
 私としては,たった15〜20秒で書いたメモを,スケッチ絵と勘違いされるのは,はなはだ迷惑な感じである.きちんとスケッチするなら,せめて1枚のスケッチに10分程度の時間が欲しいし,15秒程度で殴り書きしたメモを見て,私のスケッチ力だと思われるのも癪である.
 “いえ,これはスケッチなんかではなく,単なるメモですよ…”
と私は向きになって絵ではないことを主張する.それに私は画家でもない.単なる理工系出身で,学生時代にメモすることをたたき込まれただけの人間である.
 話がくどくなったので,この辺りで,この話はヤメにしよう.
 念のため,このメモの一コマを披露することにしよう.
 ご覧のように,太いボールペンを使っての書き殴りである.確かに随所に絵らしいものがあるが,私の感覚では,これらはスケッチではない.あくまで超短時間で書き留めたメモである.
 何でもかんでも,このノートの書き留めるので,1回の海外旅行で大体1冊が終わりになる.
 全てが書き殴りなので,後になって判読できないところもあるが,随所で写した写真と,このメモ帳を見較べると,そのときどきのことをかなり鮮明に思い出すことができる.つまり,この目戸長を眺めながら,旅の思い出を,何回も,何回も,楽しむことができるという訳である.

<私のメモ帳>

■ホテルのロビー
 6時30分,朝食を終えて,自室に戻る.そして,早々にトイレを済ませる.こちらの方は,どうやら便秘にもならずに,まあ,まあ,のようである.ただ,血圧が高めのためか,疲れのためか,首筋が何となく張っていて,気分は余り良くない.
 8時丁度にバゲージダウン.当座必要なものはリュックに入れて,残りのものは全部大型バッグに入れてパッキングする.そして,大型バッグを自室の前の廊下に出しておく.そうすると,ツアーリーダーが指揮を取って,バゲージの運搬,貸切バスへの詰め込みなど全部取り仕切ってくれるので,実に有り難い.
 8時45分頃,1階ロビーに降りる.間もなく,集合時間前に全員がロビーに集合する.どうやら,今回は皆さん大変パンクチュアルなようである.
 改めて参加者の顔ぶれをシゲシゲと見回す.さすがに皆さん元気そうである.
 “こりゃ〜…まずいな.山には入ったら,どうやらオレは一番ビリになって置いて行かれそうだぞ…”
 正直なとこと,私は脅威を感じている.

<ロビー集合;皆元気そうだ>

<イエンデスハイムへ向けて出発>

■立派な専用車
 すでに,専用車はホテル玄関前に来ている.
 チェックアウトの手続きを済ませてから,バスに乗り込む.大きくて立派なバスである.2人分の席を1人で使うことができる.私は前から3〜4番目の座席に座り込む.
 「皆さん,忘れ物はありませんか.パスポートは持っていますか,洗面台に時計など置き忘れていませんか…」
と,ツアーリーダーが,まるで遠足の小学生に注意するような口調で,一同に忘れ物がないか問いかける.
 「いまなら,まだ,忘れ物を取りに行けますよ…」
 9時10分,私たちを乗せた専用車は,ホテル前から発車する.
 いよいよ,オスロからイェンデスハイムまでのバスの旅の始まりである.
 “個人旅行では専用車を使うなんて贅沢なことはできないな…個人旅行なら,四苦八苦して,公共機関を利用するしかないな”
と思いながら,団体旅行の有り難さを噛みしめる.
 その反面,訳の分からないところで苦労して移動することが,後になって懐かしい思い出になることもあるので,正直なところ,一抹のあっけなさと旅の醍醐味の一部が失われると感じるのもやむを得ないだろう.
 バス乗車口には,私たちがこれから毎日お世話になる現地ガイドのウラ(Ula Kleiven)さんが,もう来ている.写真中央で赤いジャンバーを来ている方がウラさんである.

<ホテル前で専用車に乗り込む>

■オスロ郊外を北へ
 私たちが宿泊していたホテルは,オスロ中央駅の直ぐ近くに位置している.
 私たちを乗せた専用車は,ホテルを出発して間もなく,右手にオスロ中央駅を見ながら,沢山の線路が集まっている跨線橋を渡る.昨日も通ったところである.
 その先,どこをどう通っているのか良く分からないが,長いトンネルを幾つか潜ってから,オスロ郊外を北に向けて走り続ける.
 直ぐに綺麗な湖の畔に沿う道になる.大きなヨットハーバーが続く.羨ましくなるほど,素晴らしい港外が続く.

<トンネルを抜けるとヨットハーバー>

■美しい湖沿いの道を走る
 10時40分頃,専用車は大きな湖(それとも入江かな?)の畔沿いの道を走っている.今日は素晴らしい天気.雲一つない青空が湖の上に広がっている.心地よく気怠い風景が続く.
 ツアーリーダーが,専用車のマイクを通じて,ポツリ,ポツリと,これから宿泊する山小屋の説明を始める.
 「…登山靴のままでは山小屋の中には入れません.山小屋の入口で登山靴を脱いで,持参したスリッパに履き替えて下さい.もちろん,靴下を履いただけでスリッパを使わない人も居ますが,靴下のままトイレに入るのに抵抗がある人はスリッパを利用して下さい.ただ,日本の山小屋と違って,山小屋備え付けのスリッパはありません.
 登山靴は,小屋によっては自分の部屋に持ち込めますが,入口に置いておくところもあります.また,ザック類は部屋に持ち込めます.
 テルモスシステムは小屋によって多少違いますが.前日夜にテルモスを出しておくと,小屋の方で入れてくれます.何処の小屋でもコーヒー,ブラックティー,お湯など入れて貰えます.
 昼食は,朝食を摂るとき一緒に,各自,自分の昼食を準備して下さい.
 トレッキング中はなるべく荷物を軽くして下さい.トレッキングに必要でない荷物は,トレッキング5日目に泊まるスピターズトゥーレン小屋まで陸送します.
 各小屋にはシャワーがあります.4分間で10クローネのところもあるし,無料の所もあります.
 トレッキング中も,着替えなどは,皆さんのものを纏めて船便で2日目のメルブー小屋.3日目のイェンデブー小屋なで運びます.ただし,4日目以降は自分で運んで下さい.……」

<美しい湖沿いの道を走る>

■静かな村でトイレ休憩
 専用車は素晴らしい林の中の道江をひた走る.そして,10時47分,KROI Motel Selsapslokalerというところでトイレ休憩を取る.
 “今,私たちは,一体,どの辺りまで来ているんだろう.”
 私は少々気になって,現地ガイドのウラさんに伺う.すろると,どうやらここは,Neis Adal村という所らしい. 

<モーテルでトイレ休憩>

■ありゃ〜ぁ! 今,一体,何時?
 ふと,屋上の時計を見る.
 “ありゃ…! 今,15時30分?”
 この時計の針は,不可解な時間を指している.一瞬,私の頭の中は混乱するが,すぐにこの時計が狂っていることに気がつく.
 本当の時間は11時10分頃である.
 時差ボケの私には,こんな一寸したことでも,ヤヤコシク感じてしまう.
 
<モーテルの時計台>                                <モーテルの名前>

■ガイドには初めての日本人
 現地ガイドのオラさんと雑談.私の英語は拙くて下手.オラさんの英語は,発音がどうもノルウェー風に訛っていて,どうも聞き取りにくい.もっとも,私はネーティブの話す英語も聞き取りにくいので,言い訳にはならないが,とにかく苦労して会話をする.
 「オラさんは,これまでアジアの国からの人をガイドをしたことがありますか?」
 「いえ,ありません」
 「では,日本人のガイドをするのは私たちが最初と言うことですか」
 「そうです.皆さんが最初にガイドする日本人ですよ」
 「普段,主にどこの国の方を案内されているんですか」
 「やっぱり,英語圏からの方々をガイドすることが多いですね」
 たったこれだけの会話でも,片言英語しか話せない私には大変である.いずれにしても,オラさんには,日本への好印象を持って貰いたいなと思う.

<レストラン“KRO”で昼食>

■美しい風景
 11時15分,私たちの専用車は,休憩を終えて,モーテルを出発する.
 専用車は清々しい森の中を走り続ける.道路の両側にはゴツゴツとした岩稜の山が続いている,一見したところ,柱状節理のような岸壁が連続するが,柱状節理と呼んで良いかは私には分からない.
 10時30分頃,静かな湖の畔を走る.美しい風景である.

<美しい湖の畔を走る>

■“KRO”で昼食
 12時28分,KROという場所に到着する.例によって,現地ガイドのここの地名を伺うが,なかなか正確には聞き取れない.どうやらホグネスという所らしい.手許の地図では見当たらない地名である.どうも気になるが,
 “まあ,いいか…”
で詮索を諦めるしかない.
 店の中に入る.私たち以外にほとんど客は居ない.
 品物の頼み方が,なかなか難しい.まずは賞品の写真を眺めながら,メニューを選んでセットものを注文するか,あるいは陳列棚に並んでいる単品を自分で取り出してトレーに載せてキャッシャーのところで精算するかである.
 注文を終えて,窓際の席に陣取る.窓外には何故か大きな水車が置かれている.勿論,使っている様子はないので,装飾としておかれてるんだろう.何故,ここに水車なのか気になるが.私の下手くそな英語で,わざわざ聞く気にはなれない.

<私たちは窓際の席に陣取る>

■アップルパイとココア
 どのセットものの見ても,どうも私にはボリュームが多すぎるようである.そこで,私は陳列棚からアップルパイ1切だけ取り出す.そして,飲み物はココアを注文する.
 精算して,物価の余りの高さに驚いた.
   アップルパイ     45(クローネ)
   ココア          24
     合 計          69
   (内税25%               13.8)
 1クローネはざっと20円.従って概算1,300円余りということになる.
 “こりゃ〜ぁ…高い!!!”
 さて値段はともかく,お味は?
 “勿論,大変美味しく頂きました.”

<アップルパイとココア>

■ついでに便器も高い
 私も“連れナントカ”でトイレに行く.一寸尾籠な話題だが…
 トイレで,また,驚く.
 とにかく便器の位置が高いのである.短足の私では,まごまごしていると,便器には届かないのではないかと危ぶむ.まあ,実際に届かないということはないが,何とも高い所で用を足しているので落ち着かない.
 ノルウェーでは物価だけでなく便器も高いのだ! とはいえ,この便器,ガッチリとしたステンレス製である.“竿の露”が外にこぼれてしまう可能性も少なさそうで,中々の逸品である.

<便器まで高いノルウェー>

■食事を終えて
 13時48分,食事を終えた私たちは,レストランを出て,専用車に戻る.
 食事中にお互いに会話をしたこともあって,今まで何となく固い雰囲気が漂っていた私たちの間に,ほんわかとした雰囲気が漂い始める.
 私たちが専用車に乗り込むと,専用車は直ぐに出発する.これから先,終点のイェンデスハイム小屋まで,後,どの位時間が掛かるんだろうか.

<食事を終えて専用車に戻る>

                                      (つづく)
「ノルウェー紀行」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b16eb328fb9fccf7ca314acfe48fa5c6
「ノルウェー紀行」の次の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/cdc3a53a4cceedd19a43417c60112dea
「ノルウェー紀行」の索引
(編集中)



Viewing all 2690 articles
Browse latest View live