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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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蒸し風呂の急坂を登る箱根;矢倉岳・地蔵峠周遊

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                                <矢倉岳山頂>  

     蒸し風呂の急坂を登る箱根;矢倉岳・地蔵峠周遊
           (ARENAオフミ定例会)
        2013年7月28日(日) 曇

<ルート地図>



<大雄山鉄道と路線バスで矢倉沢へ>

■いきなり2連発のコーヒーブレーク
 今日はARENAオフミの定例会当日である.このところ連続して定例会に参加していない.あまりに不参加が続くのも良くないので,今回だけは何がなんでも参加しようと前々から決めてた.
 集合は大雄山鉄道小田原駅改札口8時50分.
 塔ノ岳に出掛ける場合は,何時も6時21分には小田原駅に到着している.それに較べると,今朝は間延びしてどうしようもないほど集合時間が遅い.何時も通り3時半頃起床している私は,朝の時間潰しに一苦労する.
 いたたまれず,自宅近くを通る一番バスに乗車して,6時40分に大船駅に到着する.
 駅前のコンビニで,昼の弁当などを超ユックリ買い物してから,大船発7時16分東海道本線の電車に乗車する.電車は沢山の中学生達が乗車していて,とても賑やかである.平塚辺りまでは大変な混雑である.7時57分に小田原駅に到着する.まだ,集合時間の8時50分には小1時間ある.この程度のユッタリ行動が一番私の性に合っている.
 “さあ〜てっと! ユックリ,コーヒーでも賞味しながら,時間を潰そう”
ということで,小田原駅コンコースにあるBeck'sに立ち寄る.甘いものを摂りすぎるのもどうかなと思ったが,ついでにケーキを1個そえる.
 禁煙席に座って,コーヒーを飲み始めるが,どうも周囲がザワザワしていて落ち着かない.その内に,「IラブOS××」というプリントがしてあるお揃いのシャツを着た女性軍がドヤドヤと店に入ってくる.とたんに大坂特有の関西弁の乗りでお喋りが始まる.賑やかなこと…
 “こりゃ,たまらん…”
ということで,15分ほどで私はBeck'sから退散.
 まだ時間があるので,新幹線口の売店でも見ようかと思う.
 コンコースを歩いていると,今回の参加者AKさんがベンチに座っている.
 成り行きで,小田原駅北口のコーヒーショップに,2人でまた入り込む…こんな次第で,私は集合時間前に小田原駅のコーヒーショップを2軒もハシゴしてしまう.
 
<Beck'sのコーヒー>                          <小田原駅新幹線口近くのコーヒーショップ>

■大雄山鉄道と路線バスで矢倉沢へ
 本日の参加者は幹事長のロングテールさんを含めて男性5人,女性3人,計8人である.女性3人は何れも五十三次洛遊会メンバーで,最近,ARENAに参加した方々である.
 小田原9時00発大雄山行電車に乗車する.電車が発車して,一寸走ったところでいきなり停車.“あれ,故障かな”と思ったら小田原の次のナントカという駅である.電車は随分と小刻みに沢山の駅に停まりながら,9時21分に大雄山に到着する.
 大雄山のすぐ隣にあるバス停関本から9時30分発矢倉沢行バスに乗車する.今は季節外れなのか,日曜日なのに空いている.
 9時45分,バス停矢倉沢に到着する.バス停脇の駐車場で,軽くストレッチをする.
 
<3両編成の綺麗な電車>                                              <バス停矢倉沢から歩き出す>

<矢倉岳山頂を目指して>

■私にとっての矢倉岳
 9時58分,いよいよ,矢倉岳登山開始である.
 その前に,ちょっと……
 実は,毎回塔ノ岳へ出掛けるときに,小田急電車の車窓から矢倉岳と富士山が重なって見えるのを楽しみにしている.
 下の写真は2013年4月26日に,小田原から新松田に向かう電車の窓から撮影したものである.雪を被った富士山の手前に写っている瘤のような山が矢倉岳である.
 まあ,私にとって,年に1〜2回は,富士山の眺望を楽しむために登りたいなと思っている山である.

<小田急線小田原から新松田駅に向かう途中で見える矢倉岳>

■登山道に入る
 ストレッチを終えて,9時53分,バス停矢倉沢から歩き出す.
 まずは,矢倉沢の集落を通る舗装道路を歩く.内川左岸沿いの道である.
 9時56分,三叉路を右折して,登山道に入る.相変わらす舗装道路が続くが道幅はぐっと狭くなる.三叉路には双体道祖神と思われる石塔が建っている.
 9時59分,鬱蒼とした森の中に神社の鳥居の前を通過する.ついつい街道歩きの癖が出て,参道の石段を登って参拝したくなるが,今日の目的は社寺の参拝ではない.登山である.何となく妙な気分のまま,神社の前を通過する.
 
<登山道入口の双体道祖神>                   <名も分からない神社> 

■濡れていて蒸し暑い登山道
 登山道に入ってからも,暫くの間は舗装道路である.道路の両側には住宅やお茶畑が点在する.
 昨夜雨でも降ったのか,道路の路面はグショグショに濡れている.
 今日も相変わらず蒸し暑い.それに湿度も高く,無風である.今日もまた,登山には最悪のコンディションである.熱射病には気を付けなければ…
 一同,ちょっと速すぎるかなという速度で登り続ける.

<濡れた登山道>

■途中でときどき休憩
 10時19分,木陰を利用して最初の休憩を取る.お互いに水分を補給するように注意をしあう.そして,5分ほど休憩を取ってから,再び歩き出す.相変わらず急勾配の上りが連続する.その間,ほとんど無風の状態が連続する.そのためとにかく蒸し暑い.
 私のすぐ前を行く女性の方の歩き振りを見ていると,上体が揺れていて,足許のリズムが狂いだしている.
 「もっとユックリ歩きましょう…」
と何回も声を掛けるが,距離がちょっと離れているせいか,どうも声が届かない.
 逆に私の後ろを歩いている方々は,私が歩行速度を遅くしているので,問題なさそうである.
 案の定,11時11分頃,この女性が坂の曲がり角で立ち止まってしまう.成り行きによって,ここで5分余りの休憩を取って,お互いに水分補給をする.その間に,後ろから来た2人の高齢男性に先に行ってもらう.
 
<1回目の休憩>                              <2回目の休憩>

■矢倉岳山頂に到着
 途中,何回か給水休憩を重ねながら,急勾配の山道を登る.矢倉岳は,標高870メートル.低山だが,登山道は,どうして,どうして,大変な急勾配である.力んで登ると忽ちの内に疲労してしまう.
 やがて稜線沿いの道になる.土留じゃないかと思えるほどの高さの急階段を登りきると,いくらか緩やかな勾配になる.やがて,前方に山頂らしい明るい場所が見え出す.
 「ほら…,多分,あの辺りが山頂のようです.山頂までもう少しです」
と近場にいる人達を励ます.
 11時41分,無事,矢倉岳山頂に到着する.
 起点の地蔵峠と矢倉岳山頂の標高差は約620メートル.そこを休憩時間込みで約1時間45分(1.75時間)で登った.従って,登攀速度は,
   620m/1.75h=354.3m/h
ということになる.
 厳しい夏場の山を考慮すれば,1時間に354メートル登るのは立派である.正直なところ,皆さん,よく登ったなと感心する.
 真夏に低山歩きをする人は少ないらしく,山頂には私たち以外に数名の登山客が居るだけである.
 山頂に作られている木製の展望台は,半ば腐りかけていて,立入禁止になっている.

<矢倉岳山頂に到着>

■山頂で昼食
 天気の良いときには,矢倉岳山頂からの富士山の眺めは最高だが,今日は残念ながら雲が低く垂れ込めている.富士山はおろか,近場の山麓の風景もほとんど見えない.とても残念.
 矢倉岳山頂は,くるぶしが隠れるほどの夏草で覆われている.なるべく夏草が少ないところに座り込んで,昼食を摂ることにする.
 夏場の低山歩きの昼食には,冷やしうどんの類が最高である.勿論,リュックの中にしまっている間に,うどんは暖まってしまうが,それでも,喉越しのうどんの味は最高である.
 ただ,蚊やアブの類が多少気になるので,防虫剤を手足に散布してから,草場に座り込む.
 今日は温度計を持参していないので,正確な気温は分からないが,さすがに山頂,ほとんど無風とはいえ,それほどの暑さは感じない.上空には雲が掛かっているが,どうやら紫外線は強そうである.
 昼食を終えると,五十三次洛遊会の女性群から,何種類かの菓子類を頂戴する.サンキュー.

<昼食のうどん>


<万葉公園へ向かう筈が…>

■矢倉岳山頂を出発
 昼食を終えて,12時15分,私たちは万葉公園に向けて矢倉岳山頂から歩き出す.
 山頂付近のアジサイが丁度見頃を迎えている.山頂付近は夏草が勢いよく繁茂していて,登山道は,半ば藪こぎ状態になっている.
 厳しい暑さの中で,登りでは疲労困憊気味だった皆さんも,昼食を摂っている間に元気を取り戻したようである.一同,至って元気な様子である.

<アジサイを眺めながら夏草が繁茂する登山道を下りはじめる>

■あいにくの眺望
 矢倉岳山頂からの下り坂は,結構,急傾斜で滑りやすい.山道に余り馴れていない人には少々厳しいかも知れない.
 晴れていれば途中からの眺めは素晴らしい.
 今日はあいにく富士山は見えないが,霞を通して山麓に広がる畑や集落が見えている.見晴が開けたところで立ち止まって,
 「…晴れていればあの辺りに富士山が見える筈だよ…」
と残念がる.
 でも,折角,ここまで来たんだから,例え見えない富士山でも写真に撮っておこうとデジカメを構える.

<見えない富士山の写真を撮る>

■地蔵峠分岐
 やがて,登山道は昼なお薄暗い檜林の中に入る.これまで私は1人で何回もここを通ったことがあるが,何時も心細い思いをする.下り坂の勾配が幾分なだらかになり始める頃,12時35分に地蔵峠分岐を通過する.
 私たちは,ここからさらに稜線歩きを続けて万葉公園の先,丸鉢山から夕日の滝へ下山する予定である.丸鉢山は金時山の直ぐ近くに位置している.ここから先,まだ5キロメートルほどの距離がある.その間にまだ標高差で300メートル余りの登り坂がある.まだまだ先は長い.
 地蔵峠分岐を通過して,そろそろ最初の鞍部に差し掛かる頃(12時45分頃),参加者のお一人が「足が攣った…」ということで立ち往生.山では良くあることだが…立ち止まって応急処置.
 12時51分,幹事長と相談して,地蔵峠分岐まで往路を戻って,分岐から真っ直ぐバス停地蔵峠へ下山することに決定する.
 往路を戻るといっても,こんどは結構な登り坂,シンドイ.僭越かとは思ったが,私は足が攣った方のリュックを背負うことにする.リュックの中に何が入っているか知らないが,私のリュックに比較すると随分と軽い.二つのリュックでも持ちにくいことを除けば,この程度の重さなら,殆ど気にならない.
 13時01分,再び先ほどの地蔵峠分岐に到着する.
 
<地蔵峠分岐>                                  <檜林の中を往復する>

<引き返して地蔵堂へ>

■鉄塔道を下る
 私も,この分岐から地蔵峠に下るのは,今回が初めての経験である.案内書には一般向けハイキングコースと書いてあるので,注意して歩けば問題ないだろうと判断する.
 さきほど足が攣った方が,もう自分のリュックを担いでも大丈夫だというので,リュックをお返しする.
 分岐から暫くの間はなだらかな下り坂だが,やがて沢山の木の根の間を下る急坂になる.礫混じりの滑りやすい斜面が連続する.昨夜の雨で路面は滑りやすくなっている.足許に注意しながら一歩一歩慎重に下り続ける.下り坂に馴れている人と,馴れていない人の間がどうしても空いてしまうので,ときどき立ち止まって,皆がバラバラにならないように注意しながら下る.
 13時22分,高圧線鉄塔の下に到着する.どうやらここから先は鉄塔道(あるいは俗称東電道)のようである.
 「ここから先,鉄塔道なら,そう大して荒れた道ではないでしょう」
ということで,半ば安心して下り続ける.
 最初に鉄塔を潜ってから,暫くは送電線沿いの道を下り,もう一度送電線の下を潜る.
 暫くの間は,歩き易い下り坂が続く.
 13時35分,再び送電鉄塔の下に到着する.ここで一休み.高度が下がるにつれて,やっぱり蒸し暑くなる.
 
<最初の鉄塔>                                  <3番目の鉄塔下で休憩>

■振り返れば悪路
 5分ほどの休憩を終えて再び歩き出す.
 鉄塔道だからそれのどの悪路ではないと思っていたが,予想に反して,かなりの悪路が連続する.木の根が縦横に張っている急な下り坂が連続する.思わず“ヨッコラショ,ドッコイショ”と言いたくなるほどの悪路である.ただ,十分に注意すれば,危険な道とは言えない程度の悪路である.
 13時46分,突然,急な下り坂が終わって,なだらかな下り坂に変わる.傍らに少々読みにくい案内板が建っている.この案内板には,ここから先,暫くの間,悪路が続くという趣旨のことが書いてある.
 「うえ〜…,まだ悪路が続くの…」
と誰かが言う.
 「この案内板,今,私たちが下ってきた道が悪路だと言っているんでしょう」
と他の人が言っている.
 ここから先は,今までの悪路とは比較にならないほど歩きやすい道になる.

<ここから先悪路という案内板>
 
■内川の支流を渡る
 下の方から水が流れ音が聞こえ始める.
 13時50分,内川の支流(支流ではなく内川そのものかもしれない)の左岸に飛び出るようにして到着する.川には巨大な倒木が一本橋のように架かっている.
 「ひぇ〜…アレ渡るの!!」
 一瞬“ぎょっ”とするが.倒木を手すり代わりにして,石伝いに徒渉して川の右岸に出る.
 “もし,大雨の後だったら,徒渉できない.そのときは今来た道を引き返すしかなかったな…今日はラッキー,本当に良かった!”
 私は無事徒渉はできたものの,内心では背筋が凍る思いがする.今日はこれで良かったものの,少々ケアレスだったなと一人静かに反省する.でも,こんなこと同行者には黙っていることにしよう.
 徒渉を終えると,予想外の長い登り坂が連続する.地形図を注意深く見れば,当然,この登り坂は予想できた筈.またもや自分が恥ずかしくなる…が,そんなこと誰にも言わない.
 長い登り坂なので,先ほど足が攣った方が,ちゃんと登っているかが気になる.

<徒渉して内川支流の右岸に渡る>

■見晴の良い茶畑
 長い登り坂が終わって,再び下り坂になる.
 13時57分,杉林(檜林かな)を抜けて,見晴の良い茶畑に出る.前方には何処の山かハッキリ分からないが箱根の山が見えている.
 薄暗い林の中を下ってきたので,見晴の良いところに出ると,何とも言えない開放感がある.ここで風景を眺めながら,数分休憩を取る.相変わらず蒸し暑いので,大方の皆さんの顔には疲労感が漂っている.


<見晴の良い茶畑で一休み>

■地蔵堂の集落に下山
 茶畑を過ぎると,ふたたび薄暗い山道が連続する.一同,黙々と坂道を下り続ける.
 14時03分,再び視界が開けて,小さな川の畔に出る.橋を渡って,舗装道路の路壁に突き当たる.
 舗装道路に登って,度津路を横断して,民家の脇から細い路地に入る.
 
<小川の畔に下山>                            <舗装道路に突き当たる>

■地蔵堂
 狭い道路を進むと,やがて進行方向左手にある有名なソバ屋を通過する.数名の登山客がソバ屋に居るのを横目に眺めながら通過する.
 14時07分,地蔵堂に到着する.
 地蔵堂の前には足柄道の案内板が立っている.地蔵堂の案内板の前で立ち止まるが,今日は山登り.となると,折角の案内文も読む気がしない.案内板の写真も撮らずにそのまま通過してしまう.

<地蔵堂>

■バス停地蔵堂
 14時08分,バス停地蔵堂に到着する.
 本当は,ここから徒歩で約20分のところにある夕日の滝を見に行くはずだったが,大方の人が暑いのでもう夕日の滝など見なくても良いという.そんな訳で,残念ながら,夕日の滝見物はヤメにする.
 14時25分のバスまで,まだ少し時間があるので,バス停前の売店でかき氷を購入する.こんな暑いときには,冷たい物を口に入れるのが何よりである.
 
<バス停地蔵堂に到着>                                                                           <かき氷>

<関本から小田原を経由して帰宅>

■路線バスで関本へ
 地蔵堂から新松田駅行のバスは,ほぼ1時間に1本程度.地方にしては,まあ,まあ,の運転本数である.今日は日曜日.平日ならば14時台にはバスはないが,今日はラッキーなことに14時台にもバスがある.
 私たちは,地蔵堂14時25分発の路線バスに乗車する.地蔵堂から乗車した乗客は10名ほど.全員がユックリと座れる.

<地蔵堂の時刻表>                                          <路線バスに乗車>

■小田原駅ビルでコーヒーブレーク
 バスは,14時47分,関本に到着する.バスターミナルの直ぐ側にある大雄山駅14時50分小田原行き電車に乗車する.
 電車は,15時11分に小田原駅に到着する.
 大雄山鉄道改札口で解散.男性群は,ソバ屋で飲み会を開くという.下戸の私は到底つきあえない.五十三次洛遊会の女性群3人と一緒に,小田原駅ビル内の某レストランでホットコーヒーを賞味しながら小一時間雑談に興じる.大変美味しいコーヒーである.
 
<大雄山鉄道大雄山駅>                                   <小田原駅ビル内某レストランのコーヒー>

■孫と一緒に夕食
 16時50分頃,雑談を終えてレストランを出る.女性群3人は小田原で夕食を食べてから帰るというので,私はここでオサラバ.
 小田原16時57分発湘南新宿ラインの電車に乗車する.電車は空いていて,4人掛けのボックス席を私1人で占領したまま,17時24分に大船駅に到着する.
 大船駅前から自宅近くを通る路線バスに乗車する.バスは混雑している.勿論立ちんぼ.たまたま大船で用事をしていた家内と同じバスに乗り合わせる.
 帰宅して真っ先にやることはシャワーを浴びてベタベタ汗を流すこと.乾いた衣服に着替えると心身ともにサッパリする.
 今日は.北鎌倉に住んでいる孫どもが息抜きにジイサンバアサンの家に来ている.
 孫を囲んで賑やかな夕食.孫の威力で,暑さなど吹っ飛んでしまう.
 今日も良かった.良かった.

 <ラップタイム>

 9:53  バス停矢倉沢歩き出し
11:41  矢倉岳山頂着(12:15まで昼食)
12:35  地蔵峠分岐
12:51  鞍部で引き返す
13:01  再び地蔵峠分岐
14:08  バス停地蔵峠着

 [山行記録]

■水平歩行距離     6.3km

■累積登攀高度     847m

■累積下降高度     673m

■所要時間(休憩時間を含む)
  矢倉沢発    9:53
  地蔵峠着    14:08
  (所要時間)4時間15分(4.25h)
  水平歩行速度      6.3km/4.25h=1.48km/h
                                      (おわり)

「関東・上信越の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/72ec3ebecf4dd2fe040eeefdc4777068
「関東・上信越の山旅」の次回の記事
(なし)


歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第3日目(6):長久保から上田へ

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                                             <上田市内街角の人物紹介看板> 

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第3日目(6):長久保から上田へ
                   (五十三次洛遊会)
          2010年6月12日(土)〜14日(月)

※本稿の初出は2010年7月20日である.
 初稿の地図の差し替え,新しい地図の挿入,本文の加除修正を行った.

第3日目:6月15日(月) (つづき)

<ルート地図>

■長久保から上田へ


■上田市中心部


<長久保から上田へ>

■大型タクシーで上田に向かう
 上田行のバスまでは,大分,時間がある.
 「・・上田まで,タクシー相乗りで行きましょう.タクシー代は,割り勘にすれば,バスと大差ないと思いますよ・・」
と提案する.
 途中,「望月ハイヤー」に立ち寄って頂戴した名刺を頼りに,世話役のOさんが大型タクシーを呼ぶ.いくら人影がないといっても,ここは人里,ちゃんと携帯電話が使える.
 ほどなく,望月ハイヤーの大型タクシーが到着する.
 13時25分,タクシーに乗り込んだ私たちは,長久保バスターミナルを出発する.多分,30分ほどで上田に到着するだろうとのこと.

<大型タクシーに乗車>

■上田駅に到着
 タクシーに乗り込んで,やっとホッとする.タクシーは北の方向に快調に飛ばす.20キロメートルほどの距離である.途中渋滞もなく,順調に走り,14時05分にJR上田駅に到着する.
 長野新幹線が開通してから,上田駅は随分と立派になった.駅前も広くなり,駅前の商店街松尾町も随分と綺麗になった.
 でも,私の印象では,上田も昔に比較して,やっぱり寂れたなと思う.
 それにしても,今回の上田訪問は,私にとっても数年振りのことである.やっぱり懐かしい.

<上田駅>

■しまった!
 私は上田に到着した途端に,
 「・・しまった!」
と,地団駄を踏むほど悔しくなる.
 タクシーを利用するんだったら,何も路線バスと同じルートを走らなくても良かったのに・・
 私は気を利かせて,上田ではなく,海野宿(東御市)へ向かうべきだった.北国街道に位置する海野宿の素晴らしい景観を,五十三次洛遊会の皆様にも,是非,見て貰いたかった.そして,上田市の観光は,どうせ次回上田市に集まるので,そのときに小一時間掛けて一回りするようにすべきだった.
 端から,バス路線のルートを通るものと思い込んでいた私の頭は,レンコンのようにかなり穴が空いてスカスカしているようである.何で,こんな一寸した機転が利かないのかと,全く情けなくなる.
 でも,まあ,上田に来てしまった以上,仕方がない.
 ※海野宿については,FHのブログ(資料3)参照.

■やっと昼食
 まずは,昼食.今日一日,全く人にも会わず,食事処もないところを歩いていたので,遅めとはいえ,シッカリとした昼食にしたい.しかし,観光時間も欲しいので,上田駅構内の某中華料理店に入る.
 早速冷やし中華を注文する.料理は大変美味しくて,食べている内に,何となく幸せな感じになる.食事って大事だなと実感する.
 ただ,このお店はガンコが売りのようだが,若い店主が,客の見えるところで従業員の頭を小突くのが見えて,嫌な気分になる.
 ガンコって,何に対してガンコなのか,私のように一見(いちげん)の客には分からない.語弊のある言い方かもしれないが,ことさらに客の前で仏頂面することもないのにと思うのだが・・・

<美味しいラーメン>

<善光寺街道と上田宿>

■善光寺街道(北国街道)
 最初に善光寺街道と上田宿の概要を抑えておこう.
 資料4によると,「北国街道(ほっこくかいどう)は日本の街道である.江戸幕府によって整備された脇街道で,北国脇往還(ほっこくわきおうかん),善光寺街道(ぜんこうじかいどう)などとも呼ばれる.
 追分で中山道と分かれ,善光寺を経て直江津で北陸道に合流する.
 本道は,善光寺への参拝のために整備され,佐渡の金を江戸に運ぶ道として五街道に次ぐ重要な役割を果たした.軽井沢町から上越市までの区間は現在の国道18号線にほぼ相当する.
 善光寺平の入り口屋代宿(矢代宿とも書く)を過ぎて雨宮の渡しで千曲川を渡るが,川を渡らずに東岸の松代宿や福島宿を経由して,牟礼宿で本道と合流する松代道と呼ばれる脇道があり,谷街道の一部と重なる.この路は,犀川の川止めで本道が足止めされた場合,布施の渡しで千曲川を渡って福島宿へと迂回し,足止めを回避することを目的としている.」

■上田市の概要
 資料5によると,「上田市は,平成18年3月6日に上田市,丸子町,真田町,武石村が新設合併して誕生した人口16万を擁する長野県東部の中核都市」である.
 資料6によると,「上田市は,1583年に真田昌幸が城を築いた町.また,鎌倉時代に北条氏の一族が居城を置いた塩田平には,多くの古社寺があり,「信州の鎌倉」と呼ばれている.この上田市と小県郡からなる上小地域には,このほかにも海野宿,和田宿などの歴史を感じさせる町並みや,別所温泉,丸子温泉郷などの温泉,菅平高原,湯の丸高原などがある.
 この地域には,高原野菜などの生鮮農産物や,自然と文化を生かした観光リゾート関連産業,電気機械,輸送用機械を中心とする製造業などの産業がバランスよく発展してきている. また,上田市マルチメディア情報センターが立地しており,地域情報化の面でも発展が期待されている.」という.

<松尾町から藩主館跡へ>

■松尾町を歩く
 駅前の松尾町の登り坂を登る.小綺麗な街並みである.でも,華やかだった昔に比較すると何となく寂れた感じがする.ただ,岩村田や小諸に比較すれば,随分と活気がある.
 駅前の松尾町を歩いても,シャッターを下ろしたままの店は殆ど見当たらないから立派である.
   
   <松尾町で見掛けた綺麗なマンホール蓋>

■藩主居館跡の上田高校
 途中から左折する.
 14時49分,上田藩主居館跡に到着する.この藩主館跡地には,現在,上田高校の校地になっている.跡地の前に堀がある.堀の真ん中に通路があって,そこに藩主館の門が残っている.この門は,今,上田高校の校門になっている.
 私は,旧制上田中学から新制上田高校(当初は上田松尾高校と言っていた)になってからの通算6年間,この門を潜って通学した.当然,この門には懐かしい思い出がある.
 向かって右側の門柱に,「長野県上田高等学校」と書いた門札が吊してある.一行の誰かが,
 「・・あれ,長野県立って書かないんですか・・」
と,なかなか鋭い質問をする.
 私には,理由は分からないが,長野県の県立高校は,どこでも長野県○○高等学校と呼んでいる.あらためて,指摘されるとなるほど不思議である.
 余談だが,私は終戦の年に,旧制上田中学校に入学した.当時は「長野×××」と,殆ど字が読めなくなったほど風化した大きな木の看板が掛かっていた.当時,あの読めなくなった看板に言いしれぬ愛着と歴史を感じていた.
 堀を挟んで反対側に,同窓会館が建っている.この会館を見た一行の一人が,
 「・・随分と立派な同窓会館ですね.ということはこの高校,随分と歴史のある学校なんでしょう・・」
と,またまた鋭い質問をする.
 上田高校は,長野県東地区(上田,小諸,佐久,軽井沢地区)では,一番長い歴史を持っている伝統校で,この地区では一番の進学校である.
 またまた蛇足になるが,最近私の手許に送られてきた上田高校の新聞『古城の門』(7月1日付)に,雪化粧をした門が掲載されている.同新聞によると,上田高校も創立110周年を迎えるようである.
 そういえば,終戦間もない頃,私が在校中に創立50周年記念行事が行われた.今から60年も前のことである.
 あのとき,「タネさん」という猛牛のような柔道の先生が,
 「オレは,間違いなく100周年のときは生きておれん・・だが,お前達は運が良ければ100周年に立ち会えるだろう.今後,日本がどうなるかわからんが,国のために役に立つ人間になって,母校にも報いるように頑張れ・・・」
というような趣旨の講話を,少々どもりながらしたような気がする.
 あれから幾星霜.歳月の過ぎ去るのは実に速いものである.私は母校の正門の前で,酸っぱいものが込み上げてくるような気分を味わう.
 この新聞の裏面には,平成21年度卒業生の進路状況が掲載されている.東大ばかりが大学ではないが,東大5名,東北大6名,東工大1名,一橋大1名,名古屋大4名,阪大1名,信州大35名,早稲田大24名,慶応大21名など,国公立医学部医学科5名,難関大68名で,惜しくも県下2位だった・・と報じている.1学年300名余の田舎高校としては,まあ,まあ,私たちの時代と変わらない成果を挙げているなと思う(正直に言えば,大分落ちている).




■上田藩主館の経緯
 話を本題に戻そう.
 資料1によると,「上田藩主居館跡の門は,江戸時代の上田藩主居館の表門である.薬医門といわれ,1790年(寛政2年)に再建されたものである.関ヶ原の戦いで,上田城が破却された後,真田伸之が,ここに藩主居館を建てて藩政を行った」という.
 なお,歴代上田城主を少し垣間見ると,真田,仙石,松平と,1869年(明治2年)まで,12代続いている.この上田藩主居館を建てた信之は2代目藩主である.
 1代  真田幸村
 2代  真田伸之
 3代  仙石忠政
   ・・・・・
 5代  松平忠学
 6代  松平忠周
   ・・・・・
 12代  松平忠礼

<上田高校の正門>

■明倫堂跡
 記事の進みが,思わず手間取った.
 ・・・で,私たちは,上田市役所脇を抜けて第二中学校の前を通る.ここは上田藩文武学校明倫堂の跡地である.
 資料2によると,上田藩明倫堂は「1812年創立.松平忠学が上田城下・新参町に設置」された.また,松平 忠学(まつだいら たださと)は,第5代藩主.
 さらに,同資料によると,松平忠学は「天明8年(1788年)7月19日,上田藩分家で信濃川中島5000石の大身旗本である松平信濃守忠明の次男として生まれる.第4代藩主・松平忠済の長男・松平忠英の早世から御家騒動が起こったため,宗家の上田藩から忠済の養子として迎えられる.文化9年(1812年)5月6日,養父・忠済の隠居により家督を相続して第5代藩主となり,従五位下・伊賀守に叙位・任官する.紅葉山火の番,桜田御門番などを歴任した.文化10年(1813年)に藩校・明倫堂を創設して文武を奨励している」とのことである.

<明倫堂跡>

■大手町1丁目
 14時57分,明倫館を通り過ぎる.そして,程なく大手1丁目の上田城趾公園入口近くの空堀に突き当たる.目の前に広大な公園が広がっている.
                               (つづく)

[参考資料] 

資料1;上田市観光案内『四百有余年の歴史が語りかけてくる上田城』
資料2:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%98%8E%E5%80%AB%E5%A0%82#.E4.BF.A1.E6.BF.83.E4.B8.8A.E7.94.B0.E8.97.A9.E3.81.AE.E6.98.8E.E5.80.AB.E5.A0.82
資料3:http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a248c9cc1e68e2d4c10b4463255d0624
資料4:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%9B%BD%E8%A1%97%E9%81%93_(%E4%BF%A1%E8%B6%8A)
資料5;http://www.city.ueda.nagano.jp/hp/index.html
資料6;http://www.pref.nagano.lg.jp/josho.htm


「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5a33c781588dbe87204320bfd46d8564
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ed23ca1a816d4ec29930ec46ff80be3e
「中山道六十九宿」の索引
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※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 

歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第3日目(7):上田市内観光

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                     <上田城趾南櫓>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第3日目(7):上田市内観光
           (五十三次洛遊会)
      2010年6月12日(土)〜14日(月)

※本稿の初出は2010年9月26日である.
 初稿に地図を追加し,本文の加除修正を行った.

第3日目:6月15日(月) (つづき)

<ルート地図>

■上田市中心部

                                                                     ※再掲
■上田城趾


<二の丸橋から上田城址公園>

■大手町1丁目から元上田電鉄真田線跡へ
 14時59分,大手1丁目の上田城趾公園入口近くから,三の丸堀(空堀)へ降りる.ここは,元上田電鉄真田線線路跡である.今は線路跡の一部が散策路として整備されている. 二の丸橋(写真の眼鏡橋)を潜る.この橋の左手に上田城址公園入口がある.
 橋を潜って,数十メートル行ったところで,進行方向左手の土手を登ると,公園入口に到着する.


■ついつい昔のことを思い出す
 第二次世界大戦末期に,私は上田中学校に入学した.入学しても授業どころではなく,徴兵で働き手が居なくなった農家の手伝いや,軍事教練,柔道,剣道など軍事色の強い授業が多かった.終戦後は米軍占領下.価値観や学制など,何もかも激変した.それでも,戦後,1年,2年と経つ内に,世の中も,少しずつ安定し,中学でもまあ何とか授業が行われるようになった.
 そんなある年の春,たまたま,図画の授業が上田公園での野外写生ということになった.私たちサボり生徒は,写生などほったらかしにして,この二の丸橋の上で,上田電鉄真田線の電車を眺めながら遊んでいた.授業時間が終わって,先生から作品の提出を求められた.何も描いていない白紙の画用紙は,サボっていた証拠である.こっぴどく叱られた.それ以来,高校を卒業するまで,絵は大嫌いになった.
 こんなことを思い出しながら,上田城址公園入口に到着する.

<上田公園の概要と公園史>

■上田城の概要
 資料1によれば,上田城は「1583年(天正11年),真田幸村が築城.平城で二度にわたって徳川軍の攻勢を守りぬいた戦国の名城である.大坂の陣のあと城主真田信之公が松代に移封され,仙石氏が小諸から移り,城を大改修,さらに近世後半には松平氏の居城となった.
 今は,本丸,二の丸にあたる所が城趾として公園になっており,隅櫓や石垣,土塁が残っている.
 櫓は仙石忠政公が築いたもので,かつては櫓門2基,隅門7基があったが,明治期に民間に売られ,今は隅櫓が本丸入口の両側と南西の隅に一つの3基だけ残っている」という.
 公園内に設置されている案内板によると,「攻め寄せた徳川勢は7000余,迎え撃つ真田勢は2000人弱であった.しかし真田氏の巧妙な戦術によって,徳川軍は思わぬ大敗となり,死者1300人余にも達した.これに対し,真田方の死者は40人程であった.」

■公園史
 公園内の真田神社に掲示されている公園史には以下のような説明が載っている(一部省略・「・・である」調に書き換え). 
 「明治7年,政府は全国の城の民間払い下げを布告した.上田城は現存した三櫓のうち西櫓一棟を残したのみで,櫓二棟と1750本の立ち木も個々に払い下げた.
 将来,本丸が変貌するのを恐れた丸山平八郎氏は,老杉数本を残しただけの本丸付近を一括して買い取り,後世に残すため,まず,各種の植樹をして,誰でも自由に出入りして憩える庶民の遊園地に変えた.300余年の武家の城郭が庶民の遊園地に生まれ変わったことは,まさに画期的であり民間の公園の始まりでもある.その後,明治12年と26年に二度に分けて本丸は丸山氏から真田神社に寄付され,それ以来,公園として神社が守り管理してきた.
 大正14年,上田市の懇望により本丸一体は神社から上田市に永久に公園としての条件で無償寄付され,これにより民による公園は50年で幕を閉じた」.

<公園内散策>

■三吉米熊胸像
 二の丸入口から公園に入ると,直ぐ右手に立派な胸像が立っている.何だろうと思って近付く.
 中年女性1人が,熱心に胸像の説明文を書き写している.私たちが近付くと,書くのを止めて,私たちに場所を譲ろうとする.私は,
 「私たちはちょっと眺めるだけです.どうぞ続けて下さい・・・ところで,この胸像はどなたですか?」
と伺う.
 「私も良く知らないんですが,養蚕に尽力された有名な方のようです・・・上田蚕糸専門学校(現信州大学繊維学部)の設立に尽力された方らしいです・・」
と答える.
 私にはこの胸像の記憶がない.この胸像は昭和8年に建立されている.私が上田中学に通っていた頃には明らかに有ったはずだが,遊びほうけていた私には記憶がない.恥ずかしいことである.

<三吉米熊胸像>

■南櫓と真田石
 順路に沿って進む.
 南櫓の石垣に埋め込まれている大きな石を眺める.傍らにある案内板によると,この石は「真田石」というらしい.
 案内板の説明によると,「真田昌幸(幸村の父)が上田城築城の際,太郎山から掘り出したこの大石を「真田石」と名付けた.
 その子信之は松代へ移封のときこの石を家宝として持っていこうとしたが微動だにしなかったと,伝えられる.
 以来,文字通り上田城にそなわった礎石である」.
 希望者は南櫓を見学する.

<南櫓> 


<真田石>

■真田神社
 次いで真田神社を参拝する.深い緑の木々に覆われた神社である.
 神社の案内板によると,「真田父子を主神とし,江戸時代に民政に尽くした仙石・松平の歴代藩主を祭神とする神社である.ことに十数倍の大軍を二回に亘り撃退して日本一の智将と謳われた真田幸村の神霊は,今も智恵の神様として崇められている」.
 真田神社裏手に井戸がある.
 資料1によると,この井戸は,城内唯一の大井戸で,ここから抜け穴があって,太郎山山麓や藩主居館にも通じていたとい伝説があるらしい.

<真田神社>

■真田赤備え兜
 真田神社境内に,大きな真田赤備え兜が安置されている.不謹慎だが,一見,テレビの漫画に登場する男の子が被っている帽子かなと思う.
 兜の下に吊してある説明文によると,「大坂夏の陣において武具を赤で統一した「真田赤備え」部隊を率いた真田幸村公がかぶった朱色で鹿角型の兜が「赤備え兜」である.幸村公は「愛」と「義」の捨て身の活躍で「日本一(ひのもといち)の兵(つわもの)と称された.自ら信じる道を民とともに歩んだ真田一族の熱き「和」と「仁」の心,真田魂が宿る真田杉の切り株を「赤備え兜」がお守りしている」.
 何だか凄い話になってきた.

<真田赤備え兜>

■招魂社と赤松小三郎碑
 本丸を囲む堀沿いの道を散策する.近くの住民と思われる老人の方々が数名集団で散策を楽しんでいる.長閑で羨ましい風景である.
 15時27分,招魂社の前を通り過ぎる.時間が次第に押してきているので,素通りする.
 残念ながら招魂社の由来は調べていない.
 招魂社近くに大きな石塔が立っている(右上).赤松小三郎碑である.
 碑の説明文によると,赤松小三郎は「上田藩出身,長崎海軍伝習所で勝麟太郎(海舟)に学び,『英国歩兵練法』を英訳する.慶應3年,京都で薩摩藩士桐野利秋によって殺害された」人物らしい.
 なお,資料2に,赤松小三郎のことが詳述されている.
 
<招魂社>                                         <赤松小三郎碑>

■再び二の丸へ
 続いて山本鼎記念館と上田市博物館の前を通過して,入口の二の丸へ戻る.これで大急ぎで上田城址公園の中心部を一回りした.
 資料3によると,山本鼎は「1882年(明治15年)10月24日,愛知県岡崎市に父一郎,母タケの長男として生まれた.間もなく,漢方医の父が医師資格取得に必要な西洋医学を学ぶため上京,一家は東京,浅草区山谷町に移住した.小学校を卒業した鼎は,浜松町の木版工房で桜井虎吉の住込み徒弟となり,版画職人として自立する道を歩み始める.鼎16歳のとき,父が長野県小県郡神川村大屋(現上田市)に医院を開業,一家は移住,鼎にとって上田は第二の故郷となった」という人物である.

<JR上田駅へ戻る>

■上田市観光会館
 15時34分,上田城址公園を出る. 公園前の上田市観光協会に立ち寄る.真田紐,みすず飴をはじめ,沢山の土産物が陳列されている.今回,3日間の旅で,はじめてお店らしい店に入った感じがする.
 店内を一回りする.男性陣は,一回りした後,サッサと店外に.しかし,例によって女性群は買い物とやらでモタモタ.

<上田市観光協会>

■みすず飴本舗
 海野町を西へ進む.そして松尾町の交差点を右折して,JR上田駅に向かう.
 途中,松尾町の駅近くまで下った右手にある「みすず飴本舗」に立ち寄る.店内はドッシリと落ち着いた雰囲気である,控えめで礼儀正しい女性店員が応対する.数名の先客が居る.私たちの仲間も数名,お土産を買い求める.
 店内の壁に,何かを説明した額が掛かっている.
 この額には,「当舗は国の登録有形文化財でございます この建造物は貴重な国民的在差であると指定されました 日本の宝であるこの建物を大切に守ってまいります 皆様の尚一層のご愛顧を賜りますようお願い申し上げます」と書いてある.
 ・・・ということは,私が中学生時代から,この店舗は有ったのだろうが,全く記憶にない.どうしてなんだろうか?
 私は不思議でならない.

<みすす飴本舗>

                                 (つづく)

[参考資料]

資料1;上田市観光案内『四百有余年の歴史が語りかけてくる上田城』
資料2:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B5%A4%E6%9D%BE%E5%B0%8F%E4%B8%89%E9%83%8E
資料3:
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E6%9C%AC%E9%BC%8E


[加除修正]
2013/7/30  地図の追加,本文の加除修正を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2aa5d30269a4f67cbfdb73df139530d8
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1515684a23a94e0ca0f9eba2b014fc05
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


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歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第3日目(8);今回も無事終わった

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                              <第1日目:旧軽井沢出発点>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第8回):第3日目(8);今回も無事終わった
                (五十三次洛遊会)
           2010年6月12日(土)〜14日(月)

※本稿の初出は2010年7月27日である.
 初稿の加除修正を行った.

第3日目:2010年6月15日(月) (つづき)

 
<第2日目:望月宿郷土博物館>                                   <第3日目:終点の長久保バスターミナル>

<第3日目のラップタイム>

 8:26  東急イン佐久平浅間口出発
 8:35  佐久平 着(8:57発:千曲バス)
 9:21  望月 着(9:27歩き出し)
 9:34  馬頭観音
 9:47  寒念仏供養塔
 9:48  高架道路を潜る
 9:57  武重歯科
10:00  溜池
10:02  茂田井入口
10:08  神明社(10:10まで休憩)
10:13  武重酒造
10:16  大沢酒造
10:17  高札場
10:23  馬頭観音(無量寺遠望)
10:26  高札場跡
10:30  木の神
10:33  茂田井宿入口
10:35  レストラン笠取(10:44まで休憩)
10:47  明日宿常夜灯
10:50  道祖神
10:50  立科町役場(11:09までトイレ休憩)
11:10  本陣跡
11:14  脇本陣跡
11:22  正明寺(長い石段)
11:29  常夜灯
11:30  道祖神:松並木
11:38  休憩所(11:44休憩)
11:45  是より小諸領碑
12:03  笠取一里塚
12:06  石塔塚群(12:11まで休憩)
12:23  しだれ桜
12:43  松尾神社(12:47まで参拝・休憩)
12:53  堅町バス停
13:00  長久保バスターミナル着(13:25発)(タクシー)

[歩行記録]

■水平歩行距離     11.4km

■累積登攀高度     366m

■累積下降高度     361m

■所要時間(休憩時間込み)
  望月宿  発    9:27
  長久保宿 着    13:00
  (所要時間) 3時間33分(3.55h)
 歩行速度   11.4km/3.55h=3.21km/h
 ※上田市内および上田城址公園散策は含めない.

******************************

<第8回総括>

■歩行距離
 第1日目    15.8(km)
 第2日目    18.7
 第3日目    11.4
 (合 計)   45.9

 ■累積登攀高度
 第1日目    134(m)
 第2日目    207
 第3日目    366
 (合 計)    707

■累積下降高度
 第1日目     255(m)
 第2日目         348
 第3日目         361
 (合 計)       964

■所要時間(休憩時間込み)
 第1日目        7時間13分( 7.22h)
 第2日目        7時間30分( 7.50h)
 第3日目        3時間33分( 3.55h)
 (合 計)      18時間16分(18.27h)

■平均歩行速度
 第1日目       2.18km/h
 第2日目       2.49km/h
 第3日目       3.21km/h
 (3日間平均)
 45.9km/18.27h=2.51km/h
                       (第8回終わり)
                       (第9回に続く)
[加除修正]
2013/7/31  誤字脱字転換ミスの修正


「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ed23ca1a816d4ec29930ec46ff80be3e
「中山道六十九宿」の次回(第9回)の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c4183ed0c83fdc107b5d8f7086fb7cc6
「第9回予稿集」
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ef51604ea2ccd14c598db2540aed19cc
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい

 ******************************

[編集後記]

2013年7月31日(水)

 今回を以て,中山道六十九宿巡りのブログ記事の見直し作業は,漸く第8回目まで終了した.まだまだ先が長い.
 今日は7月の最終日.天気予報を信用して,今日は丹沢塔ノ岳に出掛けて,蒸し風呂のような登山道を往復することになってしまった.でも,まあ,これもそのときの運で仕方がないことだ.このときの様子は,当ブログの別記事で記録しておいた.
 さて,明日からは早8月.来週には山旅スクルー5期の皆さん,さらに,五十三次洛遊会の皆さんとの鎌倉散策が控えている.月が改まったら,そろそろどんなコースを案内するか決めなければならない.どうしよう?
 それに,8月下旬までに,塔ノ岳常連有志と登る予定にしている浅間山の計画を確定しなければ…
 それはともかく,こちらの中山道六十九宿のブログ記事の見直しは,これからも少しずつ続けていくつもりだ,でも,正直なところ,少々面倒くさいなとも思っている.
 そうそう,9月に実施する2泊3日の甲州街道歩きの地図も完成させなければ…
 それに…
 私が所属する某美術協会から,9月に開催予定の展覧会の通知が郵送されてきた.それまでに展覧会出品用の40号程度の水彩画を1枚纏めなければ…
 一方,私のブログ記事で,ヒマラヤ,モンブラン,北アルプス関係の記事にアクセスして下さる方が随分と増えている.とても嬉しい.でも,当ブログ開設間もない頃の記事は,編集の要領が悪く,折角アクセスして戴いても,その前後の記事を見ることが煩雑である.これからは,折角,登録した記事なので,目次を付けるなどの工夫をして,もっと見やすくするように改良したいなと思っている.
 でも,実現するのは何時になることやら
 早く涼しくならないかな.改良作業とやらが捗るためにも…
                                  (愚痴おわり)

蒸し風呂のような丹沢;塔ノ岳(今年39回目)

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                                 <堀山の尾根道>

     蒸し風呂のような丹沢;塔ノ岳(今年39回目)
           (所々常連と一緒)
      2013年7月31日(水) 小雨

■想定外の雨空
 前日の天気予報も今朝の天気予報も塔ノ岳山頂は午前中晴,午後曇,山麓の気候は終日曇,山頂の最高気温は24℃,風は2〜3m/秒ということであった.
 “ならば,今日は水曜日,塔ノ岳を往復しよう…”
 私は小田原駅での階段二段跳び乗換の慌ただしさを避けるために,いつもより1本前の東海道本線大船発5時10分の下り電車に乗ることにする.でも,自宅近くの湘南モノレールの初電に乗ったのでは間に合わないので,何時もより1時間早く,4時10分に自宅を出発し,薄暗い夜道を大船まで歩く.歩程約2.5キロメートル.所要時間約40分,全く余計な道草である.
 大船駅に向かう間も,昨日の余熱が舗装道路に堪っているのか,気温は24℃.熱帯夜ではないものの,随分と蒸し暑い.
 小田原駅でユックリと乗り換えて,6時12分に渋沢駅に到着する.天気予報とは裏腹にかなりの雨が降っている.
 “雨か…まいったな.山は諦めて,小田原城趾で散歩して帰るかな…”
と思いながらも,とりあえずは大倉行バス停に行ってみる.私は一番乗り,まだ乗客は誰も居ない.
 携帯電話を取りだして,雨雲レーダーの画像を確かめる.今正に雨が降っているのに関東周辺には,ほとんど雨雲はない.天気予報も相変わらず曇のままである.どうしようかと迷っている内に,一般の登山客に混じって,塔ノ岳常連が次々とバス停に現れる.韋駄天組の一角であるTDさんをはじめ,KIさん,MTさん,KM夫妻,Hさん,韋駄天のNMさんとSTさん. どこかの山に出掛けているTGさん他の姿は見えないが,何時もながらの盛況である.
 沢山の常連さんとお会いすると,登山を止めて帰ろうかという気分も失せて,とにかく登ろうという気分になる.

■見晴階段
 バスは7時丁度に大倉に到着する.
 相変わらず小雨が降っているが,雨具を着るほどでもない.軽く準備を済ませて,7時05分に大倉から歩き出す.たまたま同じ時間に歩き出した韋駄天組の一角を占めるTDさんとご一緒する.大倉の気温は26℃.
 登山道に入ってからも,雨で路面はベタベタに濡れている.今日も全くの無風で蒸し暑い.登山としては最悪のコンディションである.いかにも山ヒルが出没しそうな雰囲気である.
 「山ヒルに出くわしたら,是非,写真を撮りたいです」
ということで,山ヒルを見付けながら登る.
 勿論,そうは言っても山ヒルの被害には会いたくないので,登山道の真ん中を立ち止まらずに登り続ける.そして,1匹の山ヒルも見付けることなしに,丹沢ベース前後の山ヒル銀座を通過してしまう.
 7時49分,見晴茶屋を通過する.周囲の霧がますます濃くなる.どうやら雲の中に入ったらしい.
 見晴階段に差し掛かる.恒例の定点観測の写真を撮るが,ご覧のように濃い霧でほとんど何も写らない.
 「私,ユックリ登りますから,お先にどうぞ…」
と同行のTDさんにお伺いする.
 「まあ,急がずにユックリ登りましょう」
と言うことなので,熱中症にならないように充分注意しながらカタツムリのようなノンビリ歩きを続ける.私は心の中で,
 “リラックス,リラックス,全身の力を抜いて…”
とバカの一つ覚えのように繰り返しながら登り続ける.
 厳しい見晴階段を登り切ってモミジ坂に入る.ここで,TDさんが
 「じゃあ〜…少しピッチを上げてみます」
 私の前に出たTDさんは,ピッチを上げる.忽ちの内にTDさんの後ろ姿が霧の中に隠れていく.そしてTDさんが一本松に到着する頃には,私との差は50メートルほどに広がっている.
 
<見晴階段>

■霧の大倉尾根
 8時06分,ようやく一本松を通過する.
 相変わらず濃い霧が掛かっている.全くの無風.TDさんは,もう,私よりずっと先を歩いている.私の前後には全く人の気配がない.
 蒸し暑いのには閉口するが,幻想的な霧は何とも美しい.私は霧に霞む木立の風景を楽しみながらユックリと歩き続ける.
 8時13分,前方から,突然,下山してくる人が霧の中から現れる.2本ストックを持ったご常連のYZさんである.

<一本松付近の尾根道>

■見えない富士山
 やがて駒止階段に差し掛かる.とにかくシンドイので,ウンコラ,ウンコラと超スローで急階段を登る.そして,8時25分に漸く駒止茶屋を通過する.大倉から駒止茶屋までの所要時間は実に1時間19分.
 “いくら暑いからといっても,こりゃ〜ダメだ”
 無理をしないで,せめて1時間15分程度で登りたいものだ.たった4分の違いだが,この4分が大変な差である.平素からもう少し体力を付けておきたいなと思いながら,駒止茶屋を通過する.
 堀山の尾根道に入る.今日も残念ながら富士山は見えないが,霧の霞む木々の美しさを愛でながら.マイペースで歩き続ける.

<霧に霞む美しい尾根道>

■小草平
 8時42分,堀山の家に到着する.気温21℃.霧は多少薄くなったが相変わらす無風.
 小草平のベンチで,登山者が1人,休憩を取っている.軽く挨拶をして,小草平を通過する.

<小草平>

■萱場平
 堀山の家から先は長い登り坂.無事に山頂まで辿り着けるように,”無理するな,無理するな”と自制しながら,登り続ける.私の前後には全く人影がないので,周りの人に惑わされることなしに,楽なペースで登り続ける.
 9時04分,萱場平を通過する.

<萱場平>

■見事な百合の花
 階段道が終わって,ガレ場に入る.路傍に見事な百合の花が2輪咲いている.
 花オンチの私だが,この見事な百合には感動する.早速立ち止まって,百合の花を写真も何枚も撮る.
 ”だれかに摘み取られたり,シカに食べられないように…”
と祈りたい.もっとも,シカが百合の花を食べるかどうか知らないが…

<見事な百合の花>

■花立山荘
 9時20分,後7分坂にもう少しのところで,下山してくる韋駄天のNMさんとすれ違う.
 「…いやあ〜,今日は暑くて・・・ズボンも(汗で)ビショビショですよ」
とNMさんが言う.
 「ところで,TDさんとどの辺りで会われましたか?」
 「花立階段の真ん中辺りで会いましたよ」
と,二言三言雑談してお別れする.
 私は頭の中で.
 ”NMさんが階段の中程からここまで降りてくるのに3分くらいかかったかな…その間にTDさんは階段を登り続ける…3分登れば階段の4割ぐらいは登れるな.ということは,私が後7分坂に到着した頃,TDさんは後7分坂を登り切る頃だな…”
と余計なことを想像する.
 9時28分,花立山荘を通過する.山荘は霧の中.人の気配はなくひっそりと静まり返っている.先週は平日にもかかわらず,山荘は営業していたが,今日はどうやらお休みのようである.
 大倉からの所要時間は2時間23分.情けないほどの最悪な記録である.勿論,”記録など気にしないで安全登山”が建前の筈.それでもあまりに結果が悪いとガックリ来る.

<漸く花立山荘を通過する>

■花立山
 私には,花立山荘から花立山までの登りが一番きつい.
 花立山荘から未だ暫く階段道が続く.ここがとにかくシンドイ.相変わらず蒸し暑いので閉口しながら登り続ける.
 一時,霧が薄くなったような気がしていたが,また,辺りに濃い霧が牧始める.ここは頻繁に登っている山なので,どんなに霧が深くても迷うことはないが,もし勝手が分からない山で,こんなに深い霧に遭遇したら随分と不安だろうな…なんてことを考えながら,破れかぶれで登る.
 9時42分,花立山山頂付近で下山してくる韋駄天のSTさんとすれ違う.ちょっと立ち話.
 「…金冷シを通過して,平らな所でTDさんとすれ違いましたよ…」
とのこと.
 またまた胸算用;−
 TDさんが金冷シからここまで4分掛かったとする.私がこれから金冷シまで5分,つまりTDさんと私の時間差は約8分.金冷シから塔ノ岳山頂までの所要時間を14分と仮定すると,TDさんは,あと5分ほどで,塔ノ岳山頂に到着するはずだ.つまり,私が金冷シを通過して,最初の階段を登っているときに,TDさんは山頂に到着している…本当かな?
 別にTDさんが何時山頂に到着しようと,私には無関係だが,こんなシュミレーションも結構楽しいものである.

<濃い霧の花立山>

■塔ノ岳山頂
 気がつくと何時の間にか流れるような汗はでなくなっている.山頂に近付くとやっぱり涼しくなったようである.それに無理をせずに登っていたので,特段の疲労感もない.
 10時01分,木道が終わって,後数メートルで塔ノ岳山頂というところで,下山しようとするTDさんと会う.
 「やあ…ご苦労さん,(所要時間は)3時間というところでね」
とTDさんが言う.
 ”待てよ! 大倉を7時05分に歩き出したんだっけ…すると,わずかだが3時間を切っている”
 そこで,私は,
 「まあ…,でも正確には2時間56分.・・・3時間を切っていますよ」
と苦笑する.
 このままTDさんと一緒に下山しようかとも思ったが,ここでTDさんとお別れして,私は尊仏山荘に向かう.
 塔ノ岳山頂の気温は20℃.霧深く無風.でも涼しくて気持ちがよい.
 いくら何でも,こんな霧の中で風景写真を撮っても意味がないが,でも儀式なので数枚の写真を撮る.

<塔ノ岳山頂>

■尊仏山荘
 たまたま山頂に居られた登山客と雑談をしてから,尊仏山荘に向かう.お名前はどう忘れして思い出せないが,上半身裸の男性2人が,山荘の窓越しに私に挨拶する.
 今日の小屋番はオーナーのHDさん.
 今日は韋駄天のTGさんが居られないので.1番バスの乗客の中では私が一番乗りだという.こんなに遅いご到着だというのに…
 取りあえず定番の300円也のお茶を所望する.そして,お茶を飲みながら,裸の男性と雑談を続ける.
 10時を大分廻った頃,KM夫妻とMTさんが現れる.そして,2番バスで来られたFTさんも…やや間が空いて,外で涼んでいたというKIさんもご到着.
 KMさんから美味しいトマトの差し入れがある.小降りながら実に濃厚な味の素晴らしいトマトである.ついで,MTさんからウイロウの差し入れを頂戴する.
 10時40分頃,Hさんが山荘に到着する.これで,1番バスに乗車していた常連さん全部が顔を揃えたことになる.

<尊仏山荘に常連さんが揃う>

■下山開始
 今日は大倉発12時52分のバスに間に合うように,ユックリ下山したいので,皆様より先に,10時44分に尊仏山荘をオサラバ.山荘前の咲いているホタルブクロの写真を撮ってから,塔ノ岳山頂を出発.下山開始.
 ノンビリ下山していると,後ろから足音が聞こえてくる.道を譲ろうと思って,登山道の端に寄る.後ろから来たのはKIさん.以後,速からず遅からずの速度で,KIさんと一緒に下山し続ける.
 花立山の手前で,登ってくるご常連のYUさんとバッタリ.何時も1番バスに乗っておられる方である.
 「(今朝雨だったので)様子を見ていました…」
とのこと.
 塔ノ岳の近くに住んで居られる方は,融通が利いて良いなと羨ましくなる.

<尊仏山荘前にて>

■あれ!…前のバスに間に合うぞ!
 11時35分,堀山の家に到着する.
 KIさんは,ここで給水休憩を取るという.
 「ユックリ先へ行っています…」
とお断りして,私はそのまま堀山の家を通過する.
 登りで体力をセーブしたためか,調子が何となく良い.堀山の登り返しも速度を落とすことなく通過する.堀山の尾根の霧はますます濃くなっている.高度が下がるにつれて,だんだんとムシムシする暑さが厳しくなる.
 11時48分,駒止茶屋を通過する.
 ”あれ〜っ! 随分早いな,これなら12時52分のバスに,十分,間に合うぞ…ならばピッチを速めよう”
ということで,歩行速度を少し速める.できれば,バスに乗る前に,靴を洗う時間ぐらいの余裕が欲しい.
 一本松に近付く頃,KIさんが私に追い付く.
 「(FHの)歩きが速いんで,走ってようやく追い付いたよ…」
 12時52分のバスに間に合うように,速度を調節しながら一緒に下山し続ける.足許が濡れているので,途中3回ツルリと滑ってしまう.1回は尻もち.気を付けなければ…
 12時36分,目論見通りの時間で大倉に到着する.靴を洗ったり着替えたりするのに丁度良い時間がある.下りの所要時間は1時間52分.ちょっと速かったかな.
 帰りの電車は小田急線,東海道本線ともに空いている.東海道本線では4人掛け1ボックスを1人で占領してノンビリと帰宅する.
 帰宅後,家を吹き抜ける涼しい海風に当たりながら,インスタントコーヒーをユックリと味わう.Becker’sのコーヒーほど香りはないが,でも,コーヒーを賞味しながら,今日一日良かったなと振り返る.
 留守中に神奈美からの封書が届いている.中には今年秋の展覧会の開催予定や出品申込書が入っている.
 ”そうだ! そろそろ水彩画を1枚仕上げなければ…でも,その前に五十三次洛遊会定例会の企画や,甲州道中の旅の資料を纏めなければ…”
 誰かに頼まれて忙しくなったわけではないが,ちょっと真面目にやらなければならないことが結構沢山あるな…と再認識する.
 ともあれ,今日も良かった,良かった!

<ラップタイム>

 7:05  大倉歩き出し
 7:29  観音茶屋
 7:48  見晴山荘
 8:22  駒止茶屋
 8:42  堀山の家
 9:28  花立山荘
 9:43  金冷シ
10:01  塔ノ岳山頂着(20.0℃)
10:44      〃  発
10:56  金冷シ
11:08  花立山荘
11:35  堀山の家
11:48  駒止茶屋
12:08  見晴山荘
12:20  観音茶屋
12:36  大倉着

 [山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発        7:05
  塔ノ岳  着      10:01
 (所要時間)  2時間56分(2.93h)
 水平歩行速度   7.0km/2.93=2.39km/h
 登攀速度    1269m/2.93h=433.1m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発      10:44
  大倉   着      12:36
 (所要時間)  1時間52分(1.87h)
 水平歩行速度     7.0km/1.87h=3.74km/h
 下降速度     1269m/2.37h=678.6.4m/h
                                   (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/85970df70295b164345fe2bf54556bd7
「丹沢の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/89bc247084f450b5dce37ddeefff1343

閑話休題;真夏モードのネコ

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                                  <屋根上のネコ>

         閑話休題;真夏モードのネコ
           (身近な風物詩)

2013年8月2日(木)

 居心地の良い場所がどこかは,ネコが一番良く知っている.
 それにしても,今年の夏は,猛暑と大雨が猛威を振るっている.この所,蒸し暑い日が続いていたが,今日は曇りだが蒸し暑さは一服するようなので,ホッとしている.
     ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 真夏になると,近所のネコも一番涼しい所で昼寝三昧.
 今年も,屋根上のネコがやってきた.午前中は北側の風通しの良いところで,そして日が西に傾く頃には,東側の日陰で,夕方までずっと昼寝をしている.夜はお腹が空くので,自宅へ帰っていく.あまりに気持ちが良さそうなのでジェラシー.
 昼寝をしているネコに,そっと近付いて,水でもぶっかけて脅してみたくなるが,勿論,そんなことはしない.
 気楽で気儘なネコの日常が,なんとも羨ましい.このネコ,何の不安も心配事もないんだろうなあ…
 ”オレもネコになりたいな…”
 こんなネコが,実に羨ましい.
 こんな風景も,夏到来を物語るご近所風物詩だ.
 そういえば,この頃,塔ノ岳山頂の尊仏山荘を訪れても,華伊達美弥雄さんは,どこか涼しいところで終日昼寝をしているらしく,客席には全く現れない.
 暑い夏場になると,ネコが羨ましくなる.

<近所の家の北側の軒下で昼寝を続けるネコ>


<東側の日陰に,ちょっと移動>
                                        (おわり)

「閑話休題」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/423859234af03090109c56b8c86fd706
「閑話休題」の次回の記事
(なし)






 

歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);長久保から塩尻まで[概要編]

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                 <塩尻峠展望台から諏訪湖を望む>

[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);長久保から塩尻まで[概要編]
               (五十三次洛遊会)
        2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2010年9月14日である.
 初稿の地図の改訂,本文の加除修正を行った.

<ルート地図>




 2010年9月11日(土)から,2泊3日の予定で,中山道中六十九宿巡り(第9回)を実施した.
 今回,第1日目は,JR上田駅に集合した.参加者は前回より少々少なく8名.
 まずは,上田駅からタクシー相乗りで,前回(第8回)の終点,長久保まで移動する.長久保宿から歩き出す.長い単調な登り坂が連続する.和田宿を通過して観音橋まで歩行する.観音橋で,本日宿泊予定のペンション「サイレント・スノー」の自家用車の送迎を受ける.第1日目の水平歩行距離は13.7キロメートル,累積登攀高度471メートルであった.
 第2日目,9月12日(日)は,ペンション・サイレントスノーの自家用車で,第1日目の終点,観音橋まで送って貰い,ここから歩き出す.今回の歳代の難所,和田峠を越えて下諏訪に向かう.下諏訪神社参拝後,JR下諏訪駅前のグリーンサンホテルに宿泊する.第2日目の水平歩行距離は15.7キロメートル,累積登攀高度594メートル,累積下降高度352メートルのプチ登山だった.
 第3日目,9月13日(月).朝の内はあいにくの小雨.下諏訪から塩尻峠を越えて塩尻宿からJR塩尻駅まで.水平歩行距離13.6キロメートル,累積登攀高度303メートル,累積下降高度352メートルであった.塩尻峠は当初の予想に反して,自動車が通る舗装道路.やや急な登り坂があるもののハイキングコース程度の山越えであった.
 3日間を通じて,自動車道路の脇を通るところも結構あったが,全体としては鄙びた街道と,適度な山道が適当にあって,大変趣のある散策を楽しむことができた.
 東京では残暑が厳しかったようだが,信州の高原を歩く旅は,総じて涼しく,初秋の趣を満喫することができた.
                                         (つづく)

[加除修正]
2013/8/2  地図の更新と本文の加除修正を行った.

「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1515684a23a94e0ca0f9eba2b014fc05
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/31a6246c8debd54371c5091b18bccd18
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 
[編集後記]

2010年9月13日(月)

 2泊3日の中山道の旅を終えて,夕方帰宅した.
 冷涼で爽やかな信州の高原に比較して,鎌倉が暑いのなんのって・・・鎌倉がこんなに暑いところだとは,信州を旅するまで気がつかなかった.
 旅行中閉めっぱなしにしてあった自室の窓を開ける.空気を入れ換えた後,めったに使うことのない冷房をONにする.机の上は,慌てて出掛けたときのまま,乱雑になっている.パソコンの電源を入れる.留守中に数十通の着信がある.その過半数がこちらから頼んだ覚えもない企業の広告など余計なメールである.そんな用もないメールは開かずに消去するが,それでも何らかの返事やアクションをしなければならないメールがかなり残ってしまう.
 「・・ああ,マイッタナ〜ぁ・・・」
 馬齢を重ねるほどに,着信するメールに返信をするのが,だんだんと億劫になる.それでも,パソコンのメールは,まだまだ有り難い.困るのが郵便である.平素,封書の買い置きもないし,わざわざ郵便局まで切手を買いに行かなければならない.さらには,折角書いた手紙の投函を忘れてしまい,何日も持ち歩いてしまう.
 「・・・勘弁してくれい〜,どうぞ私に郵便を出す人は返信はないものと思って下さい・・」
とお願いしたくなる.
 年を取るにつれて,極端な早寝早起きになってしまう.
 折角,パソコンに電源を入れたのに,何もする気にならない.億劫なのである,そのまま電源をOFFにして,早々と就寝することにしよう.
                        (「ぼやき」も“おわり”)

常連もヒルにやられた丹沢:塔ノ岳(今年40回目)

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                                   <百合の花に癒されて>

     常連もヒルにやられた丹沢:塔ノ岳(今年40回目)
         (上り新人と,下り常連とご一緒)
         2013年8月3日(土)  雨後曇

■余り天気は良くなさそうだ
 天気予報は終日曇り.やや涼しいというので,恒例により丹沢塔ノ岳に登ることにした.今日は土曜日.平日と違って小田原駅での階段2段跳び乗換はないので,前回より1時間遅い5時10分に家を出る.
 私の頭上で,カラスが,人をバカにしたような声で「カア,カア,…」と啼く.多分,近くに巣でもあるのだろうか,触らぬ神に祟りなしで,私はサッサと通り過ぎる.すると,今度は,道に面したお宅の植木から,ミンミンゼミがうるさく啼いている.朝から実に騒々しい.
 土曜日の東海道下り電車は,平日に比較するとかなり状弱が多い.多いと言っても座席には十分に余裕があるが,平日のように4人掛け1ボックスを1人で占領するという訳にはいかない.
 小田原駅でユックリと小田急線の電車に乗り換える.電車が新松田に近付くにつれて,雨雲が低く垂れ始めて,矢倉岳など近場の低山も雲に覆われて見えなくなる.そればかりか,雨も降り出したようである.
 ”また,雨か…こんな日に山へ登るのはイヤだな”
と思いながらも,バス待ちの長い列の後ろに付く.列の前の方には沢山のご常連の顔も見えている.そうなると,多少の雨でも,
 ”まあ,グズグズ言わないで登るか…”
という気分になるから不思議である.
 本日,1番バスに乗り合わせたご常連は,別格韋駄天のSTさんをはじめ,KMさん,YUさん,TDさん,MTさん,TNさん,HNさん,STさん親子他.
 ”あれえ…TGさんやHさんが居ないな…”
と,常連の誰かが言う.多分,TGさんはどこかの山に行かれているのだろう.

■小雨の中,登山開始
 7時頃,バスは大倉に到着する.
 7時06分,何人かのご常連,それに一般の登山客に混じって大倉から歩き出す.雨具を着ようかどうしようかと迷うほどの小雨が降っている.本当は,こんな妙な天気には登りたくないが,そうかといって,ここで退散するのも癪である.
 気温は24℃.無風.勿論,湿度はえらく高い.こんな悪条件では,どんなにユックリ歩いても,汗をかくに決まっている.どうせ雨具を着ても,雨具の中は汗でビショビショになるに決まっている.そこで,私は雨具なしで登ることに決める.
 登山道に入る.入口付近の舗装道路は雨でベタベタ.先が思いやられる.

<雨でベタベタの登山道>

■ご常連の後を追う
 7時22分,丹沢ベースを通過する.いよいよヒル銀座に差し掛かる.私は足許を注意しながら前を行く登山者の列の後ろを歩き続ける.
 ”ヒルを見付けたら写真を撮ろう…”
と思いながら登り続けるが,私の眼がガチャ眼のためか,結局はヒルを見つけられないまま,一番ヒルが沢山居る場所を通過してしまう.
 少し歩行速度が速いかなと思いながら,私はTDさん,YUさん,TNさんの後ろにくっついて登り続ける.しかし,観音茶屋を過ぎる頃から,とても一緒の速度で歩くのは無理だと思って,歩行速度を落とす.その途端に,私の前を行くお三方との距離がだんだんと広がっていく.
 
<沢山の登山客;先頭の3人が常連>                 <暫くの間,常連の後に付く>

■霧の見晴階段
 7時48分,見晴山荘を通過する.そしてすぐに見晴階段に差し掛かる.
 階段には濃い霧,というより霧雨が降っていて見通しがほとんど利かない.私の前を歩く3人の常連の後ろ姿も全く見えない.
 小石や礫がビッショリに濡れているので,とても滑りやすい.
 ”これでは,下山が大変だな…”
と思いながら,階段を登り続ける.
 階段を登りながら,今日は身体が何となく重い感じがする.どうも体調が良くないようである.

<見晴階段を登る>

■ヒルにやられた!
 漸くの思いで見晴階段を登り切って,モミジ坂を登り始める.あともう少しで一本松というところで,下山してくるKSさんとすれ違う.例によって,
 ”やあ,やあ,・・・”
と握手.何時も手袋をされているKSさんが,今日に限って手袋をされていないのも面白い.
 私がKSさんと,やあ,やあ…をしている間に,後ろの霧の中からMTさんが”ぬっと”現れて私を追い越していく.
 「今日はヒルにやられちゃいましたよ…ヒルにやられるなんて初めての経験ですよ」
とKSさんがいう.
 今日,登っている最中に,堀山の家で脹ら脛をヒルにやられたことに気がついたとのことである.
 「どこでやられたか全く分からないです…」
とのこと.
 KSさんのような超ベテランのご常連でも,ヒルにやられたとなると,私がヒルに食いつかれるのも時間の問題だなと思い始める.そういえはつい先日,facebookで長老のSTさんから,丹沢でヒルに食い付かれたと言っていた.
 KSさんとほんの暫く立ち話をしているうちに,私を追い越したMTさんの後ろ姿は,霧の彼方に消えている.私はサッサとMTさんに追い付くのを諦める.
 そういえば,MTさんのご主人も.今週火曜日に塔ノ岳を往復したときに,どこかでヒルにやられたという.この所,ヒル被害が随分と増えているようである.

■若い男性と一緒に登る
 一本松付近から,全くの一人旅になる.今日は身体が重く感じるので無理をせずに登ろうと思っている.
 駒止階段の手前で,後ろから若い男性2人が近付いてくる.私は道を譲る.この2人,お仲間同士かと思ったが違ったようである.お一人が,駒止階段の下で,突然,立ち止まって,私に,
 「今日は随分と蒸し暑いですね…」
と話しかけてくる.
 お話しを伺うと,この男性は大和にお住まいで,今回初めて塔ノ岳に登るとのこと.私と同じ1番バスに乗車し,私とほぼ同じ時間に大倉から歩き出したようである.
 この男性,今まではもっぱら高尾方面.あるいは大和から鎌倉まで歩くなどウオーキングをされているという.丹沢は大山には登ったことがあるという.
 「ちゃあ〜…是非,塔ノ岳山頂の尊仏山荘まで登りましょう…尊仏山荘のコーヒーは美味しいですよ」
ということで,折角の縁なので,この男性と塔ノ岳山頂までご一緒することにする.この男性,お名前はHMさん,まだ50歳代中頃でお若い方である.これを機会に,是非,塔ノ岳の常連になって貰いたいと思っている.
 もっとも50歳代中頃の男性を捕まえて,”若い男性”なんて言っている私は,一体何なんだ.三途の川のゴミ拾いか?
 …ま,それはともかく,私の持論の”頑張らないで登る”を実践しながら,まずは一緒に駒止階段を登る.

■富士山は雲の中
 8時22分,若い新人HNさんと一緒に駒止茶屋を通過する.大倉からの所要時間は1時間16分.予想しいた程,そう悪いラップでもない.
 ”要するに,私の前を疾風のように消えていったご常連が速すぎるのだ…”
ということにしておこう.
 やがて,堀山の尾根道に入る.何時もはここを疾風(?)のように通り抜ける私だが,今日は常連候補の新人と一緒である.極々ユックリペースで歩き続ける.
 雨は止んだが,今日もまた,辺りを濃い霧が覆っている.勿論,富士山が良く見える場所に到着しても,富士山は全く見えない.
 「晴れていれば,ここから富士山がとても綺麗に見えるんですが…」
と私は残念がりながら,HMさんに説明する.

<堀山の尾根道>

■蒸し暑い萱場平
 8時44分,漸く小草平にある堀山の家に到着する.
 山小屋の前の椅子に小屋番の男性が腰掛けている.
 「おはようございます…帰りに寄ります」
で関所を通過する.
 「ここから,長い登り坂が続きますよ.ユックリ登りましょう…」
ということで,普段でもノソノソと遅速であるく私は,一段と速度を落として登り続ける.
 初めての塔ノ岳登りのHMさんは,ときどき過呼吸気味になるので,途中の長い上り階段では,臨機応変に立ち休憩を交えながら.とにかくユックリと登り続ける.
 9時06分,漸く萱場平に到着する.萱場平全体からモワモワした霧が湧いていて,全くの無風である.気温は22℃.ジッとしていれば,多分,そんなに蒸し暑いはずはないが,私たちは登っている最中なので,とにかく蒸し暑くて堪らない.

<萱場平>

■花立山荘
 花立山荘までの上りも大変である.立ち休憩を繰り返しながら,そして何人もの登山者の追い抜かれながら登り続ける.
 途中で見事なユリの花に癒されながら登り続ける.
 立ち休憩,深呼吸を繰り返して後7分坂を登りきって,9時37分に花立山荘に到着する.山荘は相変わらす雲の中.小屋番の皆さんが忙しそうに開店準備をしている.山荘前では数名の登山客が休憩を取っている.その中には見覚えのある人もいる.
 「ここまで登れば,山頂まであと僅かですよ…」
とHMさんに説明しながら,花立山荘を通過する.

<花立山荘>

■花立山から塔ノ岳山頂へ
 花立山荘から12分掛けて花立山山頂を通過する.相変わらず辺りには濃い霧が掛かっている.さすがにここまで登ると涼しくなる.何時の間にか汗も引っ込んでいる.
 9時55分,金冷シを通過する.
 「ここから3ヶ所の階段があります…ユックリ登りましょう」
 金冷シから最初の長い階段をもう少しで登りきるところで,尊仏山荘の小屋番WDさんが私たちを追い抜いていく.どうやら私に気付かなかったようである.
 「WDさん…」
と呼びかけると,
 「おや,FHさん…FHさんはとっくに先の方を歩いているとばかり思っていましたよ…」
 私はHMさんを常連候補の方ですとWDさんに紹介する.
 2番目の階段に差し掛かるところで,常連のSTさん親子に追い越される.ついで,下山してくる韋駄天のSTさんとすれ違う.そして,山頂直下の木道で下山してくるTDさんとすれ違う.それぞれの方にHMさんを紹介する.
 10時16分,漸く塔ノ岳山頂に到着する.大倉からの所要時間は3時間10分.HMさんは高尾方面を歩かれていただけあって,初めての塔ノ岳登山で3時間10分とはとても立派な記録である.また,随分とユックリ歩いたはずなのに,何時もの記録より15分程度長く掛かっただけなのに驚く.でも,疲労具合は,自分の経済速度よりユックリ歩いたからといって,決して軽減されるわけでもない.何時も通りの疲労感が残る.
 山頂の気温は20℃.今日も無風である.山頂は相変わらず深い霧に覆われている.

<霧の塔ノ岳山頂>

■尊仏山荘
 山頂での記念写真を撮った後,HMさんと一緒に尊仏山荘に入る.
 先着のご常連の皆さんが居られる.YUさん,KNさん,UMさん,MTさん.小屋番はオーナーのHDさんの他にWBさん,WDさん,FYさんの3人体制.華伊達美弥雄氏は今日も不在.皆さんのHMさんを紹介する.
 例により300円也のお茶を所望する.そして,ご常連の皆さんと,暫くの間,雑談.
 KMさんから,自家製のトマトを頂戴する.形こそ小振りだが味が実に濃厚な美味しいトマトである.
 10時45分頃,同じ一番バスに乗り合わせていた常連のHNさんが尊仏山荘に到着する.

■ど根性アザミ
 10時44分,単独で下山開始.
 途中,堀山の家に立ち寄って,ノンビリと下山する積もりである.相変わらず曇り空だが,山頂は沢山の登山客で賑わっている.鴨見知りの方も沢山居るようである.駒止階段からずっとご一緒したHMさんともお別れする.
 気楽な一人旅である.デレデレとユックリ,ノンビリ下り続ける.
 花立山山頂付近で,後から下山し始めたMTさんが追い付く.MTさんは歯科の予約があるとかで急ぎ足で下山していく.
 11時13分,花立山荘を通過する.山荘前のベンチはもう満席.今日も沢山の登山客が登っているようである.
 11時35分,萱場平で木道の間に繁茂する巨大なアザミの写真を撮っていると,先ほど尊仏山荘で入れ違ったHNさんが私に追い付く.
 成り行きで,萱場平から先,大倉までHNさんとご一緒する.
 高度が下がるにつれて,次第に蒸し暑くなる.

<萱場平のアザミ>

■堀山の家に立ち寄る
 11時51分,堀山の家に立ち寄る.HNさんも一緒である.私は250円也のオレンジジュースを所望する.よく冷えているので美味しい.
 オレンジジュースを飲みながら,オーナーや女主人を交えて雑談を楽しむ.
 「…この間,高齢者運転免許更新のテストを受けたんです.十数枚の絵を見せられてから,暫く建って,絵を思い出して書けって…私,半分ぐらいしか思い出せませんでした…」
と私がぼやく.
 それが切っ掛けで,テストのことが話題になる.
 私がそろそろ運転免許証を返上しようかと思っていると言う.すると,田舎へ行くと,自家用車がないと,不便でどうにもならないという話になる.なるほど,確かにそうだなと思い直す.
 12時頃,女主人が玄関前で,HNさんと私の写真を撮る.再び下山を開始する.

<堀山の家でオレンジジュース>

■一寸だけ日が射し始める
 堀山の尾根道を歩く頃,ほんの少しだが薄日が差し込むようになる.さらに蒸し暑くなるのには閉口するが,木々の緑が鮮やかに見えるようになる.でも残念ながら富士山は相変わらず雲の中である.
 こんな緑陰をノンビリ歩けるなんて幸せだなと思いながら,下山し続ける.

<日が射し始めた堀山の尾根道>

■観音茶屋を通過
 12時55分,観音茶屋の前を通過する.
 オーナーのSTさんが,茶屋の前を通り過ぎる登山者に,
 「お帰りなさい…」
と声を掛けてくれる.
 観音茶屋に立ち寄って氷水を賞味したいが,下山途中で2ヶ所の山小屋に立ち寄るのもシンドイ.
 「スミマセン…今日は真っ直ぐ下山します」
と挨拶する.
 来週土曜日は五十三次洛遊会の鎌倉案内があるので,塔ノ岳はお休みである.もし,日曜日に塔ノ岳に登れたら,そのとき観音茶屋に立ち寄ろうかと思いながら通過する.

■4本100円のキュウリ
 大倉発13時38分のバスに乗車する積もりである.時間はタップリあるので,登山道のと通にある野菜無人スタンドで,大きくて立派なキュウリ4本100円也を購入する.本当は別の無人スタンドで,小振りで曲がっているが6本100円のキュウリを買いたかったが,そこのスタンドは今日お休み.でも,今時,この4本百円(つまり1本25円)のキュウリは,随分とお値打ちだと思う.それに今日取り立てのキュウリである.
 ”家に帰ったら,シオ振ってバリバリ喰うぞ…”

<100円のキュウリ>

■締めくくりはコーヒー
 大倉発13時38分のバスに乗車する.小田急の電車が4分ほど遅延したが,混乱もなく小田原駅で東海道本線の電車に乗り換える.何時ものように4人掛け1ボックスを大船まで1人で占領したままノンビリと列車の旅を楽しむ.
 車窓を流れる風景をボンヤリ眺めながらの旅は,同じ場所を何回乗っても楽しい.
  15時少し過ぎに大船駅に到着する.タッチの差で自宅近くを通るバスに間に合わない.これ幸いとばかりに,大船駅ルミネ1階にある某コーヒー店に立ち寄る.店内は混雑している.
 店員が,
 「最初にお席確保されなくて宜しいですか」
と私に言う.
 勿論折角のコーヒーだがら席に座ってユックリ味わいたいが,立ち席でも大して苦にはならない.立ち席承知で200円也のコーヒーをオーダーする.
 立ったまま,今日の締めくくりのコーヒーを賞味する.

<ドトールのコーヒー>

■今日もハッピーだった
 15時40分頃帰宅する.
 まずはさておいて,シャワーを浴びて,乾いた着物に着替える.
 山専門のツアー会社から,宅急便が届いている.中には容量40リットルのリュックとポーチが入っている.今月下旬から出掛ける予定のツアー用のプレゼントだとのこと.これは有り難い.登山用品は年ごとに改良され,リュックも随分と軽量になったなと驚かされる.
 その旅行の前に…
 いくつかのハイキングの予定日が迫っている.その準備もしなければ…それに,秋の展覧会用の水彩画も…
 結構やることが多いなと思いながら,でも,まあ,取りあえずは,今日も無事塔ノ岳を往復できたことに感謝しなければ…
 夕方,孫娘がヒョッコリ現れる.若い女の子が一緒の夕食は楽しい.明日から我が家で連泊すると言っている.勿論,大歓迎.
 今日もハッピー,ハッピーだった.

<ラップタイム>

 7:06  大倉歩き出し
 7:30  観音茶屋
 7:48  見晴山荘
 8:23  駒止茶屋
 8:44  堀山の家
 9:37  花立山荘
 9:55  金冷シ
10:16  塔ノ岳山頂着(20.0℃)
10:46      〃  発
10:58  金冷シ
11:13  花立山荘
11:55  堀山の家(12:02まで休憩) 
12:20  駒止茶屋
12:40  見晴山荘
12:55  観音茶屋
13:14  大倉着

 [山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:06
  塔ノ岳  着      10:16
  (所要時間)     3時間10 分(3.17h)
  水平歩行速度    7.0km/3.17h=2.21km/h
  登攀速度       1269m/3.17h=400.3m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発      10:46
  大倉   着      13:14
  (所要時間)     2時間28分(2.47h)
  水平歩行速度    7.0km/2.47h=2.83km/h
  下降速度       1269m/2.47h=513.8m/h
                                     (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/52d73c7ab8cf3569ce79c79a65a0129b
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)


歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);第1日目(1)長久保宿を出発

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                     <長久保宿を歩き出す>

[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);第1日目(1)長久保宿を出発
             (五十三次洛遊会)
        2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2010年9月17日である.
 初稿の地図の差し替え,本文の加除修正を行った.

第1日目:2010年9月11日(土)

<ルート地図>

■第1日目概要図



■長久保宿周辺


■長久保宿詳細図



<新幹線とタクシーで長久保へ>

■資料準備が大変だ
 いよいよ今日から3日間,五十三次洛遊会中山道中六十九宿巡り第9回目が始まる.今日から3日間掛けて,長野県内の長久保宿から塩尻宿まで歩く予定である.
 余談になるが,私はボランティアで,パソコンを使って,歩行ルートを示す沿線地図を,事前に作成している.これをメンバーの1人に郵送し,その方に参加者への配付資料としてコピーをしていただいている.
 この地図の作成には,意外と手が掛かる.今回も,ロッキー山脈の旅に出掛ける前に,この地図作りに.丸4日間も精を出していた.さらに,これらを幹事の方お二人を含めて,お三方に郵送する.これがまた面倒で,まずは100円ショップで,A4の用紙がすっぽり入るビニール袋と,A4の大きさの封筒を,それぞれ何枚か購入する.そして,パソコンで複製した10数枚の地図を仕分けして,ビニール袋に入れ,さらに封筒に入れる.ここからがまた面倒で,近くの郵便局まで行かなければ発送できない.私はロッキー山脈に出掛ける直前の日に,我が家から丸山という山を越えて,鎌倉梶原郵便局から,漸く発送した.
 この地図を作成するに当たり,主として資料1と資料2を参考にした.
 また,以前入手した下記の資料・・・こんな話はヤメにしよう.とにかく沢山の資料を参考にしながら,カシミールとPowerPointを使って資料を纏める.馬鹿馬鹿しくなるほど大変な手数が掛かってしまう.
 私はこんなことをするのが好きだから,ヒイヒイ言いながらも地図を作っているが,その内に疲労が重なって作れなくなってしまうのではないかと,自分のことながら心配になる.とはいえ,私の作る地図など無くても,実際の中山道中の旅には大して影響はないことは自明.
 「それなら,なぜお前は好きこのんで地図作りに励むんだい・・」
と口の悪いもう一人の私が私を揶揄する.

■新幹線上田駅集合
 それはともかく,私は大方の同行者と東京駅長野新幹線ホームで落ち合って,東京8時40分発あさま509号の自由席に乗車する.列車の中では隣の席に座っているお仲間と他愛のない雑談をしていたが,同時に私の頭の中では,地図作りの傍らあらかじめ予習した街道筋の情景を思い浮かべている.
 予習した範囲では,第1日目の今日は,なだらかで単調な登り坂,第2日目の明日は,中山道中の難所である和田峠越えがある.ここも予習した範囲でプロフィールマップを見た限りでは,そう大したことがないように思えるが,山道に馴れていない参加者が居たら,案外苦労するのではないかと心配になる.そして,第3日目の塩尻峠越えである.第3日目歩行距離は大したことはないが,距離は短いながら結構急傾斜の山道になっているようである.
 そんなことをいろいろと考えている内に,10時07分,上田駅に到着する.今回の参加者7名(男性5名,女性2名)全員が同じ列車で到着する.長野新幹線が開通してから,上田も随分と近くなったものだと感心する.

<長野新幹線上田駅に到着>

■タクシー相乗りで長久保へ
 上田駅前で,タクシー2台を拾って分乗する.幹事が,タクシー運転手に話しかける.
 「長久保バス停までお願いします・・」
 「JRのバス停ですね」
 「えっ・・JRなんて,通っていないでしょう」
 私たちは線路があるのがJRだという固定観念があるので,若干,話が嚙み合わない.なるほど言われてみれば長久保のバス停はJR関東バスのバス停だった.
 タクシーに乗る前は,長久保まで小一時間掛かるのではないかと思っていたが,案外早く10時54分に長久保バスターミナルに到着する.

<長久保バスターミナルに到着>

<長久保から南西へ>

■長久保を出発
 出発前に,私が音頭を取って,6〜7分間,ウオーミングアップ用のストレッチを行う.そして,11時頃,いよいよ長久保バス停から歩き出す.
 閑散とした聚落の中の道路を歩き始める.道路の両側には民家が並んでいるが,人影が全くない.まるで映画のセットの中を歩いているような錯覚に陥る.
 元旅籠辰野屋(竹重屋)の角を右折して路地に入る.そしてすぐに左折する.そして,ほんの少し歩くと,また元の自動車道にでる.そして,再び右折して旧中山道に入が,また再び国道142号線に合流する.

<この角を右折>

■長閑な田園風景
 長久保の住宅地を抜けると,実に長閑な田園風景が広がる.
 気温がどの程度あるか良く分からないが,少々蒸し暑い.先頭を行く2人と後ろの方で,だんだんと距離が開き始め,列がとても長くなる.
 「もっと頑張って歩いて下さい…」
と先頭から檄が飛ぶ.

<長閑な道を歩く> 

<まずは昼食>

■食堂「中山道」に入るイワナ定食
 長閑な雰囲気の道路が続く.道路は綺麗に舗装されているが,自動車の通行量はそれほど多くない.気温はやや高めだが,歩いていても心地が良い.
 11時35分,進行方向右手にある「中山道」という屋号の食堂に入る.幹事の話だと,今日の行程の中で確実に開店しているのはここだけだという.昼食には少々早いが,全員がこの店で昼食を摂ることにする.店先に大きな字で「岩魚」と書いた看板が出ていたので,迷わずイワナ定食を食べようかと思う.
 
<食堂「中山道」に立寄る>                                               <食堂の内部>

■イワナ定食
 私は迷わずイワナ定食を注文する.
 イワナは勿論美味しいが,小鉢に盛りつけられた信州の「お葉漬」が殊更に懐かしくて美味しい.
 今でこそ,私は鎌倉に住んでいるが,もともとは生粋の信州人である.だから,お葉漬,イナゴ,蜂の子など,信州特有の食材には目がない.本音を言えば,イワナが無くても,どんぶり一杯のお葉漬が欲しいなと思うほどである.

<イワナ定食>

<一里塚跡と道祖神>

■四泊の一里塚跡
 信号長久保で国道か県道か分からないが152号線の道路と合流する.
 暫くの間,依田川と付かず離れずで南西に向かうが,やがてY字型の分岐に到着する.この分岐で進行方向右側の旧道に入る.
 12時30分,四泊の一里塚跡を通過する.江戸日本橋から48里目の塚である.資料1によると,昭和35年の道路改修工事で,この一里塚は消滅したようである.

<四泊の一里塚跡> 

■道祖神
 私たちが歩いている枝道は,ほどなく152号線と合流する.地形図によるとこの辺りの標高は682メートルのようである.
 長閑な田園風景が続く.私はこの風景をデジカメに収めたが,何やら設定がおかしいのか,左下の写真のように,随分とおかしな写真になってしまった.このおかしな写真をパソコンで色々弄ってみたが,どうやら極度の露出オーバーになっているらしく,これ以上,見られるようにはならない.
 12時35分,道祖神の前を通過する.例によって道祖神には注連縄が掛けられている.
 
<長閑な田園風景>                                     <道祖神>

■落合橋
 信号大和橋で,152号線と142号線が分岐する.私たちは一旦152号線に沿って南下する.そして,落合橋を渡って,142号線に戻る.何だかややこしいが,昔の中山道はこうなっていたんだろう.地形図によると,今,私たちは和田村下和田青原という聚落の南側を通過中である.

<落合橋を渡る> 

■長閑な道と水明の里
 12時48分頃,私たちは長閑な間道を南西に歩き続ける.日射しが少し強いが,心地よい.
 12時54分,「水明の里」と書いてある看板の前を通過する.
 
<依田川沿いの道を南西に向かう>                                       <水明の里>

■上深山口バス停
 13時01分,進行方向左手に草葺きのバス停待合室が建っている.なかなか風情のある建物である.何とも素晴らしい造形美.時間があれば是非スケッチしたいなと思うが,団体行動なのでそれも叶わない.
 
<上深山口バス停>

■石塔群とみみず道祖神
 13時08分,みみず道祖神に到着する.奇妙な碑が立っている.
 傍らの案内板によると,ミミズの碑は,この地蚯蚓に住む人々の希望によって建立されたものだという.
 蚯蚓地区では,「ミミズの干物(はらわたを出して板の上にはりつけてた)」をつくり,解熱剤として煎じて使ったらしい.
 
<石塔群>                                   <みみず道祖神>
                              (つづく)

 [参考資料]

資料1:『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料2:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』JTB日本交通公社出版事業局

[加除修正]
2013/8/4  地図の差し替えと当たらし地図の挿入,本文の加除修正を行った.

「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c4183ed0c83fdc107b5d8f7086fb7cc6
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b8bc04134e1288bdeb58c411b54fc95b
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第1日目(2):和田宿

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                              <若宮八幡神社で休憩>

{改訂版}歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第1日目(2):和田宿
             (五十三次洛遊会)
        2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初稿は2010年9月21日に投稿した.
 初稿の地図を差し替え,本稿の加除修正を行った.

第1日目:2010年9月11日(土)

<ルート地図>

■和田宿とその周辺

            ↓
■和田宿詳細図     拡大


<和田宿を目指して>

■三千僧接待碑
 13時08分,珍妙なかたちの「みみず道祖神」前を通過する.みみず道祖神から500〜600メートルほど南西に歩いたところに三千僧接待碑がある.案内書によると,ここは諸国遍歴の僧侶に対する接待を発願して建立されたという.一千僧接待達成後,一千の「一」に「二」の字を書き加えて,三千僧に目標を変更したといわれる(インターネットを検索すると沢山の資料が見付かる).

<三千僧接待碑>

■下和田の聚落
 鄙びた聚落の中を進む.ほとんど交通量がないのに道幅が広い道路である.道路に沿って民家が並んでいる.下和田の聚落である.道路には人影は全くない. 9月とはいえ,日射しが暑い.私達は少しばかり登り坂になっている一本道を,トボトボと歩き続ける.

<下和田を行く>

■馬頭観音
 13時26分,進行方向左手にある馬頭観音に到着する.石垣で盛られた高台に数基の石塔が並んでいる.それぞれの石塔に真新しい注連縄が付けられている.
  ここで,暫く休憩を取る.
 
<馬頭観音>

■若宮八幡神社
 13時31分,若宮八幡神社に到着する.
 資料7には,若宮八幡宮は「中山道和田宿から少し離れた北側に建つ神社で,戦国時代に和田城主としてこのあたりを治めていた大井信定親子の墓地があることでも知られている.
 大きな杉の木々に囲まれ,道路に面した社地の入り口には,石造の明神鳥居が建てられている.
 入母屋の拝殿は,壁が無く,一枚ごとに間を空けた板張りになっている.
 背後の覆屋は茅葺きの入母屋造りで1721年に建てられた本殿が仕舞われている.
  本殿は,一間社流造.正面と側面に回り縁が設けられ,高欄は隅組擬宝珠柱混用.脇障子には,輪違文といわれる幾何学模様に,六弁花の彫刻が施されている.」
という説明がある.
 私たちは,お参りする時間もなく,そそくさと神社の前を通過する.私には,下の写真1枚を撮るのがやっとという状態である.フラストレーションが貯まる.

<若宮八幡宮>

■上組一里塚跡
 13時35分,上組一里塚跡に到着する.江戸日本橋から49番目の一里塚である.「中山道一里塚跡江戸より四十九里」 と刻字された立派な石柱が立っている.

<上組一里塚跡>

<和田宿>

■和田宿の概要と黒曜石
 いよいよ和田宿に近付く.
 和田宿は江戸から28番目の宿である.
 資料5によると,「現在の長野県小県郡長和町和田の中心部一帯。難所であった和田峠の入口にあたり,標高820メートル余りの高地にある静かな山里である.次の下諏訪宿まで五里十八町(約23km)と距離があったため,荷駄を運ぶための伝馬役が最盛期には70軒ほどあった.現在も旧本陣や古い家屋が現存し,修理保全されている.宿周辺の産物に黒曜石がある」という.
 資料1(p.74)によると,和田宿には本陣1軒,脇本陣2軒,旅籠屋28軒あったようである.
 なお,資料8によると,「黒曜石(obsidian)は,火山岩の一種,およびそれを加工した宝石,岩石名としては黒曜岩(こくようがん)という.
 現代でも実用に供されている.その切れ味の良さから,海外では眼球,心臓,神経等の手術でメスや剃刀として使われることがある.また,黒曜石を1000℃で加熱すると,含有された水分が発泡してパーライトとなる.白色粒状で軽石状で多孔質であることから,土壌改良剤などとして用いられる.
 様々な色の混じった美しいものは.研磨されて装飾品や宝飾品として用いられている.」

■和田宿標石
 一里塚を通過すると,民家が途絶える.殆ど交通量がない舗装道路をトボトボと歩き続ける.
 13時55分,是より和田宿と刻字した大きな石碑が建っている.地図で確かめると,この辺りは狐坂という地名のところらしい.
 
<和田宿標石>

■道祖神
 13時58分,道祖神の脇を通過する.

<道祖神>

■和田小学校・中学校・和田神社
 13時59分,和田小学校・中学校の前に到着する.学校の入口に和田神社の立派な鳥居が建っている.
 地図で確かめると,街道から500メートルほど北に入ったところに,和田神社の社殿があるようだが,今回は立ち寄るのを省略する.私は内心で,
 「もし,私一人の旅だったら間違いなく立ち寄っていたのに・・・」
と残念がる.
 帰宅後,インターネットで和田神社を調べたが,今のところ,これといった情報は得られていない.

<和田神社鳥居>

■八幡神社
 暫く進むと,道路が右に大きく曲がる.曲がりきったところに八幡神社がある.茅葺き屋根の社殿である.和田城主大井信定が,城の鬼門除けに建立したといわれる.モタモタしていて,社殿の写真を取り損ねる.残念.
 傍らに建ててある案内板によると,若宮八幡神社本殿と和田城主大井信定父子の墓は,長和町指定文化財のようである.この案内板には「祭神は仁徳天皇.本殿は,一間社流造の間口1.5メートル,奥行1.7メートルの大きさで棟札には享保6年(1721年)建立とある.正面と側面に廻縁をつけ偶組疑宝珠柱混用の高欄をめぐらし,脇障子には,輪違文に六辨花が彫刻された各部分の調和がとれた建物である.天文23年(1555年)和田城主大井信定と武田信玄が矢ヶ崎で合戦,信定父子を始め,一族郎党ことごとく戦死しその父子の首がここに埋葬された.元禄6年(1693年)その回向の為信定寺第六世来安察伝和尚が当境内に墓碑を建立した.(長和町教育委員会)」と書いてある.
  一間社流造(?)って何のこと.浅学の私には分からない.資料3によると,「桁行(正面)の柱間が1間(柱が2本)であれば一間社流,3間(柱が4本)であれば三間社流造」ということのようである.なるほど.偶組疑宝珠柱混用(?).これは良く分からない.

■川を渡って宿内へ
 14時15分,小さな川を渡る.橋の欄干に川の名前が書いてあるが,どうも読み取れない.この橋を渡ったところからが昔の和田宿のようである.

<川を渡る>

■かわち屋(歴史の道資料館)
 川を渡るとすぐの所,進行方向右手に「かわち屋(歴史の道資料館)」が建っている.出桁造り出格子の二階建ての建物で,国指定史跡である.ここは旅籠であったが,今は歴史の道資料館として使われている.

<かわち屋>

■大黒屋
 14時16分,旅館大黒屋の立派な建物に見とれる.

<大黒屋>

■信定寺
 14時17分,信定寺入口に到着する.参道の奥に信定寺の境内が見えているが,今回は先を急ぐために,残念ながら通過する.信定寺入口近くに,中町と書いた屋根付の案内板が建っている.そして,近くに「かあちゃん宿」という看板が出ている古風な家がある.
 資料9によれば,「和田村の中心部,和田宿本陣近くにある「信定寺」は天文18年,武田信玄が川中島の戦いの時に信濃を攻め,和田城主・大井信定が討ち死にしたのを弔うための寺.寺の建立は天文23年.
 江戸時代,14代活文禅師は信定寺に10年間住職を務めた.この後江戸,長崎に遊学,晩年は佐久間象山らが師と仰いだ.上田市上青木の龍洞院住職のあと毘沙門堂に隠居した.
 本堂の本尊として安置されている「釈迦如来」は鎌倉時代末ころの作で光背台座は江戸時代といわれる.また,小さい梵鐘,三宝荒神立像など貴重なものがある.そして活文禅師が使った「一弦琴」は天保11年のもので現存している.」
 ここもまた,もったいないが,拝観せずに通過する.
 
<信定寺>                                                                     <和田宿の街並み>

■問屋跡・本陣跡・庄屋跡
 反対側,進行方向左手には,問屋跡,本陣跡,庄屋跡が立ち並ぶ.
 脇本陣跡の脇に建っている説明文によると,和田宿の経緯は以下の通りである.
 和田宿には翠川氏と羽田氏の2軒の脇本陣があったようである.ところが,文久元年(1861年)3月10日の大火で,和田宿内109戸の家屋が全焼してしまった.このとき,脇本陣も類焼した.
 同年11月,皇女和宮降嫁の際,和田宿宿泊のために,昼夜兼行で宿内復旧工事がなされた.そして,このときに,現在の脇本陣の建物も建築された.
 現存の建物は翠川家の御殿部分だけであるが,上段の間,二の間,脇上段,次上段の間の他に,風呂場,厠など江戸時代の姿を伝えている.ここは上田,小県地方における脇本陣唯一の遺構である(文化庁,長野県,和田村).
 
<農家レストラン「かあちゃん家」>                                        <休憩所にへたり込む>

■本陣跡・和田宿本陣資料館
 14時19分,本陣跡に到着する.立派な門構えの由緒ありそうな家屋が建っている.
 本陣跡の隣は広場になっている.広場の奥に和田宿本陣資料館がある.ここで休憩を取る.希望者は,資料館を見学する.
 とにかく残暑が厳しい.一同,屋根付きの休憩所のへたり込むようにして座る.
 
<本陣跡>                                <みとり川>

■脇本陣跡と高札場跡
 14時32分,高札場跡を通過する.跡地に立っている案内板によると,ここに正面3間(約5.5メートル),奥行7尺(約2.1メートル)の一段と高い敷地に,正面2間(約3.6メートル)の屋根付きの高札場があったという.そして,旅人は,高札場の前では,笠などのかぶり物を取るのが習わしだったと書かれている.
 
<脇本陣>                                  <高札場跡>
                                     (つづく)
[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E7%94%B0%E5%AE%BF
資料6:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B5%81%E9%80%A0
資料7;http://www.omiyasan.com/east/nagawa/post-314.php
資料8;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%BB%92%E6%9B%9C%E7%9F%B3
資料9;http://www.asama.ne.jp/t_journal/tera/67.htm

[加除修正]
2013/8/5 地図の差し替え,本文の加除修正を行った.


「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/31a6246c8debd54371c5091b18bccd18
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5c8d65494e6ceb64fb525925e54c2900
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 

歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第1日目(3);依田川を遡る

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                                <路地を行く>

[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第1日目(3);依田川を遡る
            (五十三次洛遊会)
      2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2010年12月22日である.
 初稿の地図の差し替え,本文の加除修正をおこなった.

第1日目:2010年9月11日(土)  (つづき)

<ルート地図>

■依田川


■観音橋


<和田宿から一の橋まで>

■双体道祖神
 14時32分,高札場跡を通過する.この辺りで和田宿を通過,宿外に出る.
 14時44分,双体道祖神,14時48分,「右諏訪街道,左松沢歩道」という刻字の石造りの案内板を通過する.鍛冶足の五叉路交差点で,国道142号線(中山道)を横切る.そして,川沿いの道に入る.この辺りに日本橋から50番目の和田一里跡がある.

<双体道祖神>

■薄暗い寂しい道
 何となく薄暗くて寂しい登り坂が続く.
 14時58分,道端に白い字で「中山道」と書いてある青色の案内標識を見付ける.心細い気分が幾分癒される.
 この道標を通過してやや急な坂道を登る.そして,15時06分,再び国道142号線に合流する.

<中山道道標>

■案内杭を頼りに
 中山道を歩いていると,ときどき下の写真のような案内杭が立っている.この杭を見ると,間違いなく歩いていることが確認できるので,ホッとした気分になる.

<中山道の案内杭>

■そば処「黒曜」
 15時13分,そば処「黒曜」に到着する.黒曜が営業しているかしていないか分からないが,先を急ぐ私達は,そのまま通過する.

<そば処「黒曜」>

■食事処「杉の屋」と牛宿跡
  15時17分,私達は漸く食事処「杉の屋」に到着する.
 杉の屋の近くに牛宿跡がある.資料1(p.156-157)によると,「昔,幕府の用材の木曽檜を牛に載せて江戸に運んだが,この牛を泊める宿があったからの名なのか」という説明がある.

<食事処「杉の屋」>

■ドライブイン和田峠
 15時34分,ドライブイン和田峠に到着する.ここで休憩.
 ここから,今日の終点観音橋までは,あと2キロメートル程度.草臥れてもう大変という人は,このドライブインで待っていて貰うことにする.そして,残りの元気な方々には,予定通り観音橋まで歩いてもらう.そして,のペンションの車にピックアップして貰った後,ドライブイン和田峠まで戻って貰い,ここで落伍した方々を拾って貰うことにする.
 10分ほど休憩を取った後,元気組は再び歩き出す.

<ドライブイン和田峠>

■一の橋
 国道142号線に沿って西南西の方向にひたすら歩き続ける.
 15時41分,一の橋に到着する.現在国道142号線から進行方向右手の側道に入って,現在の国道の橋よりも下に架かっている橋を渡る.

<一の橋>

<観音橋を目指して>

■茶屋本陣跡
 15時41分,唐沢入口の標識た立っているY字分岐を道に入る.入った途端に,道幅の狭い鄙びた道になる.
 地図を頼りに,多少心細くなるような道を進む.
 「・・この辺りに茶屋本陣跡があるはずだが・・」
辺りをキョロキョロと見回す.
 進行方向右手に,大谷石の門柱に「本陣」と書いた門札が填め込んである家がある.今風の平凡な造りの民家である.丁度,この民家の軒先に腰掛けている老婆がいるので,
 「ここが本陣跡ですか・・」
と伺ってみる.
 「そうですよ・・」
という答えが返ってくる.手許の資料2には,「羽田宅,藁葺き屋根の旧家がある」と記述されているが,既にこの旧家も現代風に建て替えられてしまった.
 資料3(p.11)によると,ここには5軒からなる立場があったようである.
 後になって,ここが本当に本陣跡だったのかな疑問になる.というのも,あるいはこのお宅の「姓」がたまたま「本陣」なのかもしれないぞ…とも思えるからである.もし,そうなら,名前を聞かれて,「そうですよ」と答えても一向におかしくないからだ.
 
<本陣跡>

■道なき道
 茶屋本陣跡の道路を挟んで反対側に元茶屋の庭がある.地図で確かめながら,この庭をかすめるように続く踏み跡に入る.こんな所を通って大丈夫かな,叱られないかなと心配になる.草ぼうぼうの道なのか,それとも空き地なのかあまり判然としないところを,とにかく先へ進む.

<野趣溢れる道を行く>

■唐沢の一里塚跡
 唐沢入口の道標のところで再び国道142号線に合流する.そして,15時58分,江戸日本橋から51番目の唐沢の一里塚跡を示す石碑に到着する.
 資料2によると,本来の一里塚は,今私達がいる場所から北へ500メートルほど離れた森の中にあったとのことである.ここには,今でも二つの塚が残っていて,国史跡に指定されているようである.
 今回は残念ながら,わざわざこの一里塚跡を見学にまわる時間はない.

<唐澤の一里塚>

■観音橋
 今はもう9月中旬.夕方,暗くなるのが早くなっている.鬱蒼とした木々の間の道は,16時を過ぎると段々と暗くなり寂しくなってくる.暗くなり始めた道路を歩いていると,道路脇の白いガードレールだけがやけに目立ってみえている.
 何人かの同行者の疲労はピークに達しているようである.
 二の橋で依田川の左岸に渡る.さらに長くて単調な登り坂が連続する.
 「あと少し・・あと少し・・」
と自分に言い聞かせながら登り続ける.
 足の強い人と弱い人との間隔が広がり始める.そして,16時13分,ようやく今日の終着点である観音橋に到着する.ここで今日の宿泊ペンションの送迎車を待つことになっている.
 観音橋は,美ヶ原高原方面と和田峠観音坂方面との分岐点に架かる橋である.
 既に辺りは薄暗くなり始めている.

[参考資料]

資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社


 [加除修正]
2013/8/6    地図の差し替えと本文の加除修正を行った.

                                  (つづく)

「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b8bc04134e1288bdeb58c411b54fc95b
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ae518e2de072e68309998bd469bed33b
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 

 

 

いて巡る中山道中六十九宿(第9回);第1日目(4);ペンションサイレントスノー

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                                 <ふれあいの湯>

[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);第1日目(4);ペンションサイレントスノー
             (五十三次洛遊会)
       2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2010年12月23日である.
 初稿に地図を追加して,本文の加除修正を行った.

第1日目:2010年9月11日(土)  (つづき)

<ルート地図>

■観音橋からペンションサイレントスノーまで


■サイレントスノーまでの交通案内図


■姫木平別荘地案内図

※資料4より引用

<ふれあいの湯で入浴>

■観音橋に到着
 16時13分,私達は何とか観音橋に到着する.立派な道路がY字型に分岐している.ここで今夜の宿泊場所であるペンションサイレントスノーの送迎車にピックアップして貰う予定である.
 幹事役のOさんから,事前に,私達が観音橋へ到着する時間をペンションに連絡していたが,約束の時間になっても,一向に送迎車は現れない.
 信州出身の私は,昔,約束の時間を守らない「信州時間」というのがあったような気がしてくる.
 「多分,こういうのを信州時間って,いうんでしょう・・」
とふて腐れる.
 16時49分,ペンションの車2台が漸く到着する.ペンションを経営しているご夫婦が1台ずつ運転してくる.

<ペンションサイレントスノーの送迎車に乗車する>

■和田宿まで逆戻り
 ご夫婦の薦めで,ペンションに行く前に,近くにある町営の温泉施設で風呂に入ることになる.
 お話によると,長和町役場近くにある「ふれあいの湯」という施設を利用するようである(資料5).ふれあいの湯の所在地は,先ほど通過した和田宿まで逆戻りしたところにある.
 途中のドライブイン和田で,疲労困憊している数名の仲間も,ふれあいの湯に向かう途中でピックアップできるので好都合である.
 送迎車で,たった今歩いてきた道を逆に走る.そして,16時51分,ドライブイン和田に立ち寄って,待っていた仲間をピックアップする.そのまま,走り続けて,17時02分にふれあいの湯に到着する.

<和田宿温泉ふれあいの湯>

■ふれあいの湯を堪能
 小一時間,ふれあいの湯の温泉に浸かって,疲れを癒す.良い気分である.近くにこのような施設があるところに住んでいる人が羨ましくなる.
 かなり沢山の来場者が居る.お互いに面識があるらしくて,湯船の中で会話が弾んでいる.利用者は年配の方が多いようである.

<ペンションサイレントスノー>

■サイレントスノーに到着
 17時50分頃,ふれあいの湯を出発.往路を観音橋まで引き返す.観音橋から国道152号線,大門街道に入る.日がすっかり暮れて辺りは真っ暗である.景色が見えないので,どこを通っているのか分からないが,姫木平別荘地の曲がりくねった道を長い間走り続ける.
 16時30分,私達の車は,無事,サイレントスノーに到着する.ここは姫木平ペンション村の一角である.
 真っ暗な階段を踏み外さないように注意しながらサイレントスノーの建物に入る.

<サイレントスノー>
  所在地:長野県小県郡長和町大字大門3518  電話兼ファックス: 0268-60-2230


■三人部屋
 建物の中には,いろいろなものが置かれていて,かなり雑然としている.この辺りが旅館と違うところである.
 玄関を入ると,小さなロビーがあり,2階に向かう階段がある.ロビーから,10人ほどが座れる食堂につながっている.
 私達は,とりあえず,逸れそれの部屋に案内される.全員が2階の部屋である.私は男性2人と一緒の部屋である.6畳ほどの広さの洋間に,3台のシングルベッドがくっつくように置かれている.少々狭い感じもするが,上等,上等.

■遅い夕食
 少々時間が遅くなったが,20時頃から夕食になる.食事の写真を撮るが,どうもカメラの調子が悪いのか,それとも私の腕が未熟なのか,殆ど何も写っていない.残念.
 ペンションのご主人が饒舌である.いろいろと話しかけてくる.私が信州生まれで.上田中学(旧制;後の上田高校)出身だと知ると,ご主人の態度が「同郷ですね」と幾分変わる.
 こんなことを言うと失礼になるかも知れないが,どうやらこのペンションを実質的に切り盛りしているのは奥さんの方らしい(間違っていたらゴメン).
 よくもまあ,奥さんお一人で,こんなに沢山の料理を用意したなと感心させられる.
 夕食の写真を写したが,何が写っているのか皆目分からない.でも,まあ,お愛嬌で,この写真を披露することにしよう.

<夕食:ドジな写真.パソコンで散々弄ったがこれが限界>

■早々と就寝
 1時間ほどで夕食が終わる.
 もう風呂に入ってしまっているので,やることもない.早速,2階の部屋に戻って就寝.
 こうして,第9回目の初日は終わった.明日はいよいよ難所の和田峠越えである.

<ラップタイム>

11:00  JR長久保バス停歩き出し
11:35  食堂「中山道」(12:15まで昼食)
12:30  四泊の一里塚
12:35  道祖神
12:54  水明の里
13:01  上深山バス停(茅葺)
13:08  みみず道祖神
13:26  馬頭観音
13:31  若宮八幡神社
13:35  上組一里塚
13:55  和田宿標石
13:58  道祖神
13:59  和田小中学校
14:16  大黒屋
14:17  信定寺
14:19  本陣跡
14:32  高札場跡
15:41  茶屋本陣跡
15:58  唐沢の一里塚
16:13  観音橋

[歩行記録]

■水平歩行距離     13.6km

■累積登攀高度     471m

■累積下降高度      58m

■所要時間(休憩時間を含む)
  長久保発       11:00
  観音橋着       16:13
 (所要時間) 5時間13分(5.22h)
 水平歩行速度   13.6km/5.22h=2.60km/h

[参考資料]

資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料4:パンフレット「サイレントスノー」
資料5:http://www.nagawamachi.com/modules/tinyd2/
                                    (つづく)

[加除修正]
2013/8/7   地図の追加と本文の加除修正を行った.


「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5c8d65494e6ceb64fb525925e54c2900
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/20abc2b1c2e3ed5ff37e291d37380e4b
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 

 

久々の富士山と尊仏山荘のネコに会った丹沢:塔ノ岳(今年41回目)

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                                 <花立山から富士山を望む>

 久々の富士山と尊仏山荘のネコに会った丹沢:塔ノ岳(今年41回目)
        (上りほぼ単独・下り常連と一緒)
       2013年8月7日(水) 晴・猛暑

■猛暑だが久々の晴だ
 暦の上では,今日は立秋.もう秋である.でも,天気予報では各地で猛烈に暑い一日になるとのことである.とはいえ,これまでの愚図ついた天気から一変して,今日は朝から晴れるとのことである.
 “ならば,丹沢だ…!”
 本当は登山には長ズボンを履くのが基本である.でも,今日は蒸し暑そうだし,たまたま,昨日,ユニクロで500円也で衝動買いした半ズボンがあるので,これを履いていくことにする.
 どうせ早くから起床している私は,まだほんの少し東の空が明るくなり始めた4時10分に家を出発して,徒歩で大船駅に向かう.住宅街の舗装道路は昨日の熱が貯まっているらしく,気温は26℃.まだ夜明け前だというのに空気がモワモワと暑い.でも久々の晴は何と言っても嬉しい.
 例により,小田急電車の車窓から,富士山と矢倉岳が重なる写真を撮る.今日はご覧の通り良く撮れた.南側から見た富士山には全く残雪はない.つい数週間前に登ったばかりの矢倉岳が懐かしい.今日,矢倉岳に登ったら,さぞかし富士山が見事だろうなと想像する.

<富士山と矢倉岳>

■バス停大倉から歩き出す
 渋沢発大倉行バス停に6時22分に到着する.私が1番乗りである.
 大倉行1番バスは数名の立ち席が出るほどの混雑である.この時期の平日にしては,今日は登山者が多い.
 車内をザッと見回す.韋駄天組のNMさん,STさんの2強を筆頭に,TGさん,TDさん,MTさん,NMさん,Hさんなど,ご常連が乗車している.
 7時05分,私はTDさんと一緒に大倉から歩き出す.韋駄天2強はバスが大倉に到着すると同時に歩き出したが,その他のご常連は,ほぼ同じ時間に大倉を出発したようである.
 大倉付近の地面は乾いているので歩き易い.でも気温は朝から26℃.ほとんど無風である.これから先の蒸し暑さが思いやられる.
 「今日はユックリ歩きますよ…宜しかったらお先にどうぞ」
とTDさんに進言するが,まあ,ユックリ行きましょうということで,暫くの間はご一緒することにする.

■見晴階段
 今日の登山道は乾いているなと思っていたが,丹沢ベース付近から上はやっぱり濡れていて滑りやすい.この辺りは山ヒル銀座である.できればヒルには会いたくないので,登山道の真ん中を注意しながら登り続ける.
 7時44分,雑事場ノ平を通過する.見晴階段に差し掛かる頃,私のすぐ後ろに居られたTDさんの気配がないのに気がつく.多分,雑事場ノ平で衣服調整か給水のために小休止されたんだろう.でも,どうせ私は,早晩,TDさんに追い抜かれるだろうから,そのままのペースで登り続ける.
 何時ものように,見晴階段の下から階段を見上げる写真を撮る.この所,見晴階段を見上げた写真はどれもくれも霧が掛かっていて見通しが利かない写真ばかりだったが,今日は坂の上の方まで良く見えている.こぼれ日が眩しく反射しているのがとても新鮮である.
 私は,“ユックリ登れ,ユックリ登れ…”と自分に言い聞かせながら,登り続ける.

<見晴階段>

■富士山が見事だ
 8時03分,一本松を通過する.夏ラップとしては,まあ,私の標準である.まだ,TDさんが追い付いてこない.
 シンドイ駒止階段を登って,8時17分に漸く駒止茶屋を通過する.大倉からの所要時間は1時間12分.いくら夏でも1時間07〜08分ぐらいで通過したいところだが,まあ,こんなところかと思いながら,堀山の尾根道に入る.ここは平坦地なので,少々速度を上げて歩くことにする.
 相変わらず気温は高いままだが,どうやら,前回登ったときより,湿度は幾分低いようで歩き易い.
 例の富士山が良く見える場所で立ち止まって,久々の富士山の写真を撮る.
 今回は写真のとり方を少し工夫して,まずは一番明るい青空にカメラを向けてシャッターを半押ししてから富士山の写真を撮る.これで,バカカメラでも,どうやら露出オーバーにならずに,富士山の写真が撮れたようである.

<堀山付近からの富士山>

■小草平
 8時23分,小草平に到着する.辺りには人影がなくひっそりとしている.
 ここの関所,堀山の家は平日なので開店していない.従って関所はフリーパス.後ろを振り向くが,まだ,TDさんの姿は見えない.
 私は,休憩を取らないまま,堀山の家を通過する.

<小草平>

■萱場平
 今日は堀山の家から花立山荘まで,45分程度掛けてユックリ登ろうと思う.
 こんな蒸し暑い日には,ちょっとでもオーバーペースになると,体力の回復がとても困難なのは先刻経験済みである.
 “分相応の歩き方が一番良いんだよ…”
と絶えず自分に言い聞かせながら登り続ける.
 8時53分,萱場平に到着する.萱場平は直射日光を浴びてムンムンしている.気温25℃.蒸し暑い.ただ,人の気配はなく,静まり返っている.
 木道の間で繁茂するアザミはますます元気で,すっかり大きく育っている.

<萱場平>

■韋駄天のITさん
 萱場平を過ぎて階段道になる.
 階段を登り切って,ガレ場に差し掛かる頃,TDさんが私に追い付く.丁度9時00分.私はTDさんに先を譲る.そして,暫くの間は,TDさんの後ろ姿も見上げながら登り続ける.
 9時08分,下山してくるIT女史とTDさんがバッタリ,立ち話を始める.
 私はお二人の写真を撮ってからお二人にジョイン.私も雑談に加わる.今日,ITさんは大倉から塔ノ岳山頂まで2時間10分ほどで登ったとのこと.正に驚異的!!
 ITさんが,私の半ズボン姿を見て,盛んに,
 「…お元気ですね!」
とおっしゃる.
 確かに私も同年配の方々に比較すれば元気かも知れないが,“お元気ですね”という言葉の先に“年の割には”という但し書きが付いているような気がしてこそばゆい.

<ITさんとTDさん>

■素晴らしい眺望の見晴階段
 5分ほど立ち話をしてから,ITさんとお別れする.
 再び,前を歩くTDさんとの距離が開き始める.私が後7分坂(見晴階段)を登り始めるときには,TDさんは30〜40段先を登っている.その差は階段を登るにつれて開いていく.
 階段を3分の1ぐらい登ったところで,下山してくるNMさんとすれ違う.相変わらずの俊足である.階段の途中で振り返ると,素晴らしい眺望が開けている.熱気で靄が掛かっているが,相模湾沿いの街並みや真鶴半島などが良く見えている.

<見晴階段からの眺望>

■花立山からの鍋割山稜と富士山
 後7分坂を,漸く登りきって,9時20分に花立山荘に到着する.相変わらず富士山が良く見えている.
 大倉から花立山荘までの所要時間は2時間15分,堀山の家からの所要時間は47分.やっぱり先ほどの立ち話5分が,如実に所要時間に反映している.そんなことを勘案しながら,
 “今の私の実力では,まあ,こんな所かな…”
と妙に納得して通過する.
 花立山荘から花立山までの階段道が,私にとって一番イヤなところである.とても焦れったい思いをしながら階段を登り切って,花立山のガレ場に入る.
 今日は鍋割山稜と富士山がとても良く見えている.率直に嬉しい.
 ここで写真タイム.何枚かの写真を撮る.

<花立山から鍋割山稜と富士山を望む>

■涼しい塔ノ岳山頂
 9時36分,金冷シを通過する.ここまで来れば塔ノ岳山頂ももうすぐだ.途中で,立ち止まりそうになっている男性と,若い2人連れを追い越す.彼らは明らかにオーバーペースで登ってきたに違いない.
 “もっと頑張らずに登ったらバテないのに…”
と思いながら先に行かせてもらう.
 金冷シから最初の長い階段で下山してくるSTさんとすれ違う.
 9時51分に塔ノ岳山頂に到着する.気温は24℃.微風が吹いていて涼しい.
 大倉からの所要時間は2時間46分.自分の年令を勘案すれば,まあこんなところか.
 まだ,時間が速いせいか,山頂にはほんの2〜3人の登山客しか居ない.
 恒例によって,山頂からの眺望を一回り写真に収める.

<塔ノ岳山頂からの富士山>

■久々の華伊達美弥雄氏
 尊仏山荘に入る.先客は誰も居ない.どうやら1番バスの乗客の中で私が1番乗りのようである.私より先に塔ノ岳山頂に到着したTDさんは,そのまま丹沢方面に向かったようである.
 今日の小屋番はWDさん.何時ものように300円也のお茶を所望する.
 お茶を飲んでいると,どこからともなく華伊達美弥雄さんが現れる.久々のご対面.相変わらずオットリとしている.素性の良いネコである.人間の年令に換算すれば80歳を越えている.元気で何よりである.
 
<華伊達美弥雄さん>                                                        <久々のサイダー>

■尊仏山荘で雑談
 10時頃,YUさん,ちょっと間が空いてNMさんとTGさん,その後,MTさんが到着する.これで山荘も漸く賑やかになる.NMさんとTGさんは北アルプスから帰ってきたばかり.
 NMさんが,小屋番にサイダーを注文する.
 “サイダーか,良いね…懐かしいな”
で,私もサイダーを頂戴する.
 久々のサイダー,実に懐かしくて美味しい.居合わせた他の方々も次々にサイダーを注文する.
 10時30分頃,チャンピョンが荷物をドッサリ背負って.尊仏山荘に到着する.私たちが飲んでいるサイダーも,みなチャンピョンが担ぎ上げたものである.

<サイダーで雑談>

■少々遅めの時間に下山開始
 10時50分,居合わせた常連の皆さんと一緒に下山開始.少々遅めの時間の下山である.
 尊仏山荘を出ると,同じバスに乗っていたHさんが,私たちと入れ替わるように尊仏山荘に到着する.
 私たちはノンビリ,淡々と下山し続ける.
 途中,小草平で一休み.スナップ写真を撮るが,仲間ではない男性がお一人写真の中に混じり込む.
 何時の間にか雲が湧き始めていて,富士山は雲の中に隠れている.そして,山麓に近付くにつれて,猛烈に蒸し暑くなり始める.

<堀山の家で給水休憩>

■キツネノカミソリ
 私が先頭になっている.私は足が遅いので,他の人に先頭を譲ろうとするが,そのまま先を歩けと言う.私はすぐ後ろの居られるYUさんの足音を聞きながら,マイペースで下る.後になって,MTさんから,
 “速いので,下りで汗をかきましたよ”
と言われてしまう.でも,前回は,花立山付近で,もの凄い勢いで下山してくるMTさんに追い抜かれたばかり.下山速度もTPOで色々だなと思いながら下山し続ける.
 12時39分,観音茶屋を通過する.大倉発13時22分のバスまでは十分に時間がある.それならばユックリ…ということで下り続ける.
 丹沢ベース手前の土手で,橙色の花が群生している.とても見事なので花オンチの私でも立ち止まって写真を撮る気になる.同行の花に詳しいYUさんから,この花がキツネノカミソリという名前だと教えて貰う.花の名前はすぐに忘れるので,立ち止まってノートに花の名前を書き込む.それにしても洒落た名前の花である.
 “なるほど,…花を愛でながら登山するのも面白そうだな”
と思い始める.

<キツネノカミソリ>

■5本百円のキュウリを持ってバスに乗車
 今回も,バス停大倉付近の無人スタンドで,5本100円のキュウリを購入する.
 昨日,大船の八百屋でキュウリ1本が,70円もするのを見て,ビックリしていたので.またもや,無人スタンドで買う気になった.
 バスは空いている.後ろの方の席に固まって雑談.トマトやキュウリの苗木を買ってきて自家栽培する話や,近々,丹沢を姫次方面まで縦走しようという話,さらには私のむくつけき足が綺麗だということまで話題になる.いきなり足が綺麗なんて言われると,何でだろうとドギマギする.

<5本百円のキュウリ>


 大倉13時22分発のバスに乗車する.渋沢,小田原の両駅共に接続の良い電車に乗り遅れる.それでも,快速アクティとやらの電車で,大船駅までの停車駅が少なくて快適だ.
 14時57分に大船駅に到着する.
 大船も相変わらず蒸し暑いが,それでも海風が吹いているので気持ちが良い.自宅近くのバス停を通るバスまで25分も時間がある.短気を起こして,いっそのこと歩いて帰ろうかとも思ったが,結局はバスを利用した方が早く帰れるので,歩くのは止める.
 では,ということで,ルミネ1階の某コーヒーショップに立ち寄る.座席は満杯.店員が,
 「先に座席を確保しなくて,大丈夫ですか?」
と私に聞く.勿論,私は立っているのは平気.立ったまま200円也のコーヒーを賞味する.
 “コーヒーの色,実に良いな”
と思いながら,口を付ける前に写真を撮る.

<某コーヒー店のコーヒー,実に良い色をしている>

■今日一日も良かったな
 バスに乗って,15時半頃,やっと帰宅する.
 すぐにシャワーを浴びて,衣服を着替える.生き返った気分になる.そして,熱中症にもならずに一日を過ごせたことに感謝する.
 夕方,孫娘が来る.
 孫を囲んで夕食,今日も我が家に泊まっていくという.勿論,可愛い孫は大歓迎.ジイサン,バアサンは孫娘から“若素”を貰いながら,今日一日が終わる.ハッピー,ハッピーである.
 明日は山旅スクール5期の方々と鎌倉散策,土曜日は五十三次洛遊会の皆さんと,やっぱり鎌倉散策である.ということは,次回の塔ノ岳は来週水曜日になりそうである.お天気次第だが…

<ラップタイム>

 7:05  大倉歩き出し
 7:29  観音茶屋
 7:46  見晴山荘
 8:17  駒止茶屋
 8:33  堀山の家
 9:20  花立山荘
 9:36  金冷シ
 9:51  塔ノ岳山頂着(24.0℃)
10:50      〃  発
11:05  金冷シ
11:17  花立山荘
12:00  堀山の家
12:09  駒止茶屋
12:28  見晴山荘
12:39  観音茶屋
12:58  大倉着

 [山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:05
  塔ノ岳  着       9:51
  (所要時間)  2時間46 分(2.77h)
  水平歩行速度   7.0km/2.77h=2.53km/h
  登攀速度    1269m/2.77h=458.1m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発      10:50
  大倉   着      12:58
  (所要時間)  2時間08分(2.13h)
  水平歩行速度     7.0km/2.13h=3.29km/h
  下降速度     1269m/2.13h=595.8m/h
                                    (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/89bc247084f450b5dce37ddeefff1343
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)

※誤字脱字転換ミスなどは後刻訂正する.

納涼鎌倉散策;台峯緑地・大仏切通周遊

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                                  <大仏切通>

       納涼鎌倉散策;台峯緑地・大仏切通周遊
         (山旅スクール5期同期会)
        2013年8月8日(木) 晴・猛暑

<ルート地図>



<大船駅から水道山>

■大船駅集合
 今年の猛暑は例年になく厳しい.
 海に面した鎌倉は,例年ならば暑くてどうしようもない日は殆どないが,今年は少々異常で,避暑地の筈の鎌倉でも,結構,蒸し暑くて困る日が多い.でも,そうは言っても,私が週に1〜2度通っている丹沢塔ノ岳山麓に比較すると,まだまだずっと涼しくてマシなような気がする.
 私は,昨日,猛暑をおして塔ノ岳を往復したばかりである.軟弱者の私には2日間連続の猛暑歩きは億劫に思えるが,今日は山旅スクール5期同期会の皆さんと一緒に鎌倉を歩き回る日である.私にとって大切な山仲間の定例会である.だから第一優先で参加する.億劫なんて言っていられない.
 大船9時丁度集合の予定である.集合時間間際でバタバタするのが嫌いな私は,小一時間前に大船駅に到着.構内のBecker'sでコーヒーを味わいながら,集合時間までフックリと過ごす.
 今日の参加者は,TBさん,IKさん,NMさん,それに私の4人.少々参加者が少ないが,こぢんまりと纏まっていて行動しやすい.
 9時10分,予定通り大船駅から歩き出す.
 「…で,今日はどこへ行きますか?」
 最近は,このグループを案内するときは,あらかじめルートなどは設定していない.集まってから,何処へ行くのか決めて貰うことにしている.だから,「どこでも良いです」と他人任せなことを言っている間は,歩き出さないことにしている.
 今回は,できるだけ山の中を歩いて,鎌倉山方面へ向かい,深沢辺りでお開きにしようということになる.

■まずは水道山に登る
 9時10分,では,まずは水道山に登ってから,矢戸池を訪れることにする.そこから先のルートは,また成り行きで決めるつもりである.
 大船駅から中通り商店街に入る.まだ,時間が早いので,開店している店は少ないが,早速店先を眺めながらブラブラ歩き.皆さん主婦なので,主婦感覚で店を覗く.八百屋の店先で,
 「…随分安いね.帰りにここで買い物をして帰ろう」
と誰かが言っている.
 今日は,避暑地の鎌倉でも,道路の照り返しが強くて蒸し暑い.でも,時々でも,海風が吹き抜けるときは,生き返るような涼しさを感じる.
 中通りから小袋谷跨線橋を越えて横須賀線の南側に出る.自動車学校の脇を通過して,2階建てのアパートの脇から草道に入る.ここが水道山の登り口である.誰かが
 「ここ通れるの…?」
と心配そうに言う.
 「大丈夫ですよ?」 
 雑草が生え茂る草道を抜けると,目の前に長くて急な上り階段がある.40〜50段ほどの道幅が広い立派な階段である.それほど長い階段ではないが,平地を歩くつもりで登っていると忽ちの内に息切れがしてしまう.
 「ああ,シンドイ…!」
 階段を登り切ると大きな桜の木が数本並んでいる.実は,ここは隠れた桜の名所である.
 進行方向右手の視界が開けて,天神山から玉縄方面の山地が良く見える.
 さらにその先の短い階段を登り切ると,水道山の住宅地が広がる.住宅地の中の道をくねくね曲がりながら,10時02分,水道山山頂付近に到着する.ここからは,大船から六国見山方面が良く見える.

<水道山山頂付近からの眺望>

■神明神社
 水道山から北側の細い道を下る.少々入り組んでいる迷路のような道である.この道を下って,10時08分,台にある神明神社参道に到着する.
 社殿は,長い階段を登ったところにある.暑い最中,階段を登るのもシンドイので,希望者はどうぞお参りして下さいと促すが,だれも階段を登ろうとしない.
 ということで,神明神社参拝はパス.

<神明神社>

<山崎切通から矢戸池へ>

■山崎切通
 神明神社を廻り込むようにして,登り坂を進む.
 やがて前方に断崖が見え始める.ここは山崎切通である.鎌倉では有名な切通だったが,切通付近の開発が進んで,以前の切通の雰囲気は失われてしまったという.
 切通の向こうに見えている建物は山崎小学校である.

<山崎切通>

■魯山人窯跡から谷戸に入る
 山崎小学校の校庭を半周して,10時16分,魯山人窯跡前を通過する.その先,舗装道路が左に急カーブするところから,夏草が生え茂っている草道に入る.
 「谷戸に入るので涼しいかどうか分かりませんよ…」
と予防線を張ってから,谷戸に入る.繁茂する夏草で足許が見えないだけでなく,忽ちの内に草露でズボンがビショビショに濡れてしまう.足許が濡れていて,ムシムシしている.立ち止まった途端にヤブ蚊の襲来を受けそうな気配なので,立ち止まらずに歩き続ける.

<魯山人窯跡>

■矢戸池
 野州豊かな谷戸を遡る.両岸に繁茂する森で日光が遮られていて,風はないものの結構涼しい.天気はよいものの,足許は濡れていて歩きにくい.
 10時28分,矢戸池に到着する.鎌倉市内には沢山の池があるが,この矢戸池が一番昔のままの姿を伝えていると言われている.
 池の真ん中には,何時の間にか蓮が群生している.写真では良く見えないかも知れないが,何輪かの蓮の花が咲いている.
 これまで,矢戸池付近を数え切れないほど散策しているが,ここに蓮の花が咲いているとは,迂闊にも,気がつかなかった.

<矢戸池>

<台峯緑地>

■台峯緑地の展望台
 矢戸池から先の山道は複雑に分岐しているが,今日は台峯緑地の展望台で休憩を取ろうと思う.
 矢戸池からしばらく歩いたところで,向かって左側の斜面を登る.そして,10時42分,北鎌倉女子学園グラウンド近くにある台峯緑地の展望台に到着する.
 展望台には,私たち以外に誰も居ない.数台のベンチに三々五々座って休憩を取る.
 ここから北鎌倉,六国見山の大パノラマが広がっている.春になると,山全体が山桜の花で埋め尽くされる.私見だが,鎌倉では一番展望の良い所だと思っている.
 山麓から時々涼しい風が吹いてくる.時間が許せば何時までもここで涼んでいたいと思う.

<台峯の展望台から六国見山を望む>

■美味しいトマト
 同行のNMさんから,立派なトマトを頂戴する.冷たいトマトに岩塩を振りかけてからほお張る.実に美味しい.感謝,感謝!
 トマトを食べていると,涼しい風が吹き抜ける.
 「海風は涼しくて良いですね…これなら冷房は要らないですね」
とお一人が羨ましげに言う.
 「そうなんです…窓を開けておけば,涼しい風が吹き抜けるんで,殆ど冷房は要らないですね…」
とお答えする.
 私の家は海岸から鎌倉山を一つ越えた所にあるので,海からはやや遠いが,それでも,涼しい海風の恩恵があり,眠れないほどの蒸し暑い夜は経験したことがない.もちろん,就寝中の冷房は殆ど要らない.それだけは有り難いなと思っている.

<美味しいトマト>

■樹液に群がる蝶とスズメバチ
 トマトを食べながら,何気なくベンチの近くの木の根を見る.どうやら根元に樹液が流れ出しているらしく,蝶やスズメバチが群れている.余り近付くと刺されるので,遠くから望遠で写真を撮る.
 聞くところによると,今年はスズメバチがとても多いようである.気を付けなければ…

<樹液に群がる蝶とスズメバチ>

<源氏山公園>

■綺麗な花
 声を掛けないと,何時までも台峯緑地の展望台に居座ったままになりそうである.それでも良いけれども,折角,鎌倉に来たのだから,もう少し歩いて貰おうと思う.
 「…そろそろ腰を上げましょう.これから何処へ行きたいですか? 鎌倉中央公園か,それとも源氏山公園…?」
 正直なところ,皆,どっちでも良いと思っているだろう…と,私は思う,私自身,どっちでも良いから…でも,どっち蟹決めなければ足が進まない.そこで,理由は特にないけれども,
 「では,源氏山公園へ行きましょう…」
ということになる.
 11時丁度に重い腰を上げて,台峯緑地の展望台から歩き出す.実に20分もの間,展望台で休憩を取っていたことになる.
 ここからの道は,土道ながら,近所の方の生活道路である.下草が綺麗刈り込まれていて,とても歩き易い.
 途中,綺麗な花が群生しているところを通過する.何という花だろう.どうせ花の名前は覚えられないので,調べるのは諦めるが.なんとも美しいので,取りあえずは写真を撮っておこう.

<路傍の美しい花>

■山内の展望台
 北鎌倉から登ってくる生活道路と合流してから尾根道になる.
 11時06分,山内の展望台に到着する.ここからも六国見山が良く見えている.折角なので,ここでも展望休憩を取る.
 ここは,今日の参加者のお一人が,カラスの糞の直撃を受けた場所である.あのときは,一刻も早く,糞を水道で洗い流したいとのことだったので,急遽,予定を変更して鎌倉中央公園に向かった…そんなことを懐かしく思い出す.

<山内の展望台から六国見山を望む>

■山友達の仙人にバッタリ
 11時13分,山之内配水池に到着する.ここから北鎌倉に抜ける自動車道を200メートルほど進んで,源氏山公園入口に到着する.
 私たちは,何時ものように超スローな足取りで,ノタノタと葛原ヶ岡に向けて歩き続ける.
 葛原ヶ岡まで後半分ぐらいのところで,反対側から歩いてくる仙人にバッタリ鉢合わせになる.仙人は,一時期,このグループの皆さんと一緒に歩いていたことがあるので,一同とても懐かしがる.仙人は私にとって,山の指導者,恩人でもある.仙人は,このところ,体調が悪くて,余り歩けないようだったが,その後のリハビリで大分歩けるようになっている.喜ばしいことである.
 「これから,どこへ行かれるんですか…私たち源氏山公園で昼食にしようと思っています.一緒にどうですか?」
とお誘いする.
 仙人も,特段,何処という宛もないということなので,ご一緒していただくことに決定.
 仙人と雑談をしている内に,最近,仙人が源氏山から寿福寺に下る山道でスズメバチにさされたという話を伺う.実に危ない.夏の間は,あの辺りを歩くのはやめようと思う.

■葛原岡神社前で昼食
 11時28分,葛原岡神社前の休憩所に到着する.ここは時々風が吹き抜けル木陰になっていて涼しい.
今日,野菜漬物さんは所用があって欠席.従って何時もよりネーベンはいささか寂しい.でも,そこは,主婦の皆さんがメンバーである.それぞれが.色々なものを提供してくれるので楽しい食卓である.
 ノシイカさんというあだ名の方が,沢山の“さきイカ”を提供してくれる,“ノシイカさんサキイカ”,この語呂合わせが可笑しいので,私は1人で含み笑いをし続ける.
 
<葛原岡神社>                              <葛原岡神社前の休憩所;写真の人物は無関係>

<裏大仏ハイキングコースから大仏切通へ>

■素晴らしい見晴
 昼食を終えて,12時50分,ようやく葛原岡神社前から歩き出す.勿論,仙人も,暫くの間,私たちに同行する.
 梶原方面への分岐から,裏大仏ハイキングコースに入る.ここは私の家からそう遠くないところだが,このコースを歩くのは数ヶ月ぶりのことである.その間に,コースの整備も大分進んで,歩き易くなっている.
 途中,材木座海岸から逗子マリーナ辺りまで良く見えるスポットで展望休憩を取る.二子山,阿部倉山,鎌倉市街地などが見えるが,蒸し暑いためか一面に霞が掛かっている.

<裏大仏ハイキングコース付近からの眺望>

■素晴らしいムクゲ
 住宅地を過ぎて,山道に入る.
 山日に入ってすぐ右手に,薄紫色の綺麗な花が咲いている.花に詳しいノシイカさんことTBさんから,これは“ムクゲ”の花だと教えていただく.
 どうせ花の名前など覚えられないに決まっているが,一応,花の名前をノートに書き留める.

<ムクゲの花>

■大仏切通
 13時45分頃,裏大仏ハイキングコース終点近くの三叉路に到着する.ここで左折すれば大仏方面,右折すれば大仏切通の途中から切通に入れる.
 ここで,再会を約して,仙人とお別れする.仙人は左折して大仏方面へ,私たちは右折してすぐ下の団地に下山する.そして,大仏切通の途中から切り通しに入る.
 鬱蒼とした木立に囲まれた切通は,何とも言えない雰囲気がある.両側の断崖を見上げながら,往時のことを連想する.
 「こんなところをお姫様も通ったんだね…」

<大仏坂切通>

<常磐から深沢へ>

■笛田とまと公園
 大仏坂切通から迷路のような住宅地を抜けて,14時03分,藤沢鎌倉道路にあるバス停火の見下に到着する.ここからは自動車の往来が多い幹線道路を西に向けて歩くことになるが,自動車の喧噪を避けて裏道を辿る.
 風がときどき吹き抜ける.そのときは涼しいなと思うが,すぐに風が止んで蒸し暑くなる.そんな中,トボトボと舗装道路を歩くのも辛い.
 「もうちょっと先で,今日の終点,深沢ですよ…」
 「もうちょっと先って,どれくらい?」
 「そう,15分ぐらい…」
 「なに? まだ15分もあるの.ちょっと先じゃないよ…」
…と,言うわけで,14時15分,笛田とまと公園のベンチで一休みする.

<笛田とまと公園>

■深沢の某コーヒー店
 14時20分,とまと公園を出発する.残りあと僅か.
 バス停深沢小学校前の交差点で,裏通りからバス通りに戻る.もう少しで今日の終点だが,最後の少しが,蒸し暑くて叶わない.
 14時37分,ようやく終点の某喫茶店に到着する.やれやれやっと…
 店内は意外に混雑している.席に着くまで5分ほど待たされる.
 今日はことのほか蒸し暑いので,とりあえずはホットコーヒーはやめてクリームソーダを注文する.TBさんは氷水,お店の人が,
 「氷水は1人で食べきれないほどの量がありますが宜しいですか…?」
と妙なことを言う.
 この店は名古屋系で評判の有名店.こういうのを名古屋風というのだろうか,TBさんが注文した氷水は想像以上に超特大.これにはビックリ.一同,少しずつお裾分けを頂戴し,美味しく戴く.
 私が注文した,クリームソーダも大きな長靴状の器に,どっさりのアイスクリームが乗っている.もっとも中に入っている氷の量も多かったが…
 
<ばかでかい氷水>                            <クリームソーダ>

<バス停深沢でお開き>

■深沢の八百屋
 15時40分に懇親会はお開き,約1時間粘ったことになる.でも五十三次洛遊会の女性群より粘り時間はかなり少ないようである.
 私は皆さんをバス停深沢まで見送る.
 バスの町時間を利用して,バス停近くの八百屋を覗く.ここの八百屋はリーズナブルプライスで有名なところである.
 「…安いね,中通りまで行かなくても,ここで良いですね…」
ということで,めいめいがお買い物.お一人は一抱えもの野菜類を購入する.

■無事帰宅
 それぞれ,大船方面がお一人,藤沢方面が2人.16時頃,全員を見送って,私も徒歩で帰宅する.深沢から自宅まで長い登り坂が結構シンドイ.ノソノソ,ダラダラの登って,16時15分頃,無事帰宅する.
 ここ数日,我が家に入り浸っていた孫娘は,今日は居ない.平常通りのジイサンバアサン2人だけの寂しい夕食.でも,明日,夕方には孫娘が家族全員で我が家を訪れることになっている.寂しいのもわずか1日の辛抱だ.
 今日も良かった! 良かった!

<ラップタイム>

 9:10  歩き出し
10:02  水道山山頂付近
10:08  神明神社
10:11  山崎切通
10:16  魯山人窯跡
10:23  矢戸池
10:42  台峯展望台(11:00まで展望休憩)
11:28  葛原岡神社(12:50まで昼食)
13:01  裏大仏ハイキングコース展望台
13:55  大仏切通
14:03  バス停火の見下
14:37  深沢喫茶店(15:40まで懇親会)

 [ハイキング記録]

■水平歩行距離   9.0km

■累積登攀高度   279m

■累積下降高度   279m

■所要時間(休憩時間を含む)
  大船駅発      9:10
  深沢 着       14:37
  (所要時間)      5時間27分(5.45h)
  水平歩行速度   9.0km/5.45h=1.65km/h
                                                                            (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/19be96545342ae3aa747af8576907b25
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
なし 

※誤字脱字転換ミスは後刻訂正します. 

歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);第2日目(1);和田峠を目指して

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                         <ペンションサイレントスノー前で集合写真>

[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回);第2日目(1);和田峠を目指して
              (五十三次洛遊会)
        2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2010年12月26日である.
 初稿の地図の差し替え,本文の加除修正を行った.

第2日目:2010年9月12日(土)

 <ルート地図>

■第2日目概要図

        水平歩行距離    15.7km
        累積登攀高度         594m
        累積下降高度         922m

■ペンションサイレントスノーから観音橋(専用車で移動)

※プロフィールマップは右が起点,左が終点
     水平移動距離     13.2km
     累積登攀高度     166m
     累積下降高度     579m

<ペンションサイレントスノーの朝>

■格好良いペンション
 朝薄ぐらい内に眼が覚めてしまう.同室の2人は,まだ,就寝中である.暫くの間,ベッドの中でジッとしていたが,静かにジッとしているのが,どうしても我慢できなくなる.そして,6時過ぎにそっとペンションの外へ出てみる.早朝の外気はヒンヤリとしていて実に気持ちがよい.
 昨夜は,真っ暗な中,ペンションに到着したので,辺りの様子は全く分からなかったが,周囲は気持ちの良い別荘地帯のようである.なだらかな起伏のあるペンション前の道路を,数分の間,右左に歩いてみる.
 外からペンションを眺めると,北欧風の瀟洒な建物である.大きくて急勾配の屋根の途中に,三角屋根がついた窓が並んでいる.建物の中のゴチャゴチャ感とは全く違う趣のある建物である.

<ペンションサイレントスノー>

■別荘地を散策
  ペンションの裏手には,広大な敷地の別荘がある.こんもりとした山の上に建物がある.どうやら空き家になっていて,売りに出ているようだ.勿論,貧乏人の私に買えるわけもないし,買っても利用することは殆どないが,それでも,一体幾らするんだろうかと気になる.後でペンションのご主人に伺ってみようかと思っていたが,結局,そんなことはすっかり忘れてしまう.
 小一時間,その辺りをブラブラしてからペンションに戻る.

■朝食
 7時過ぎに朝食を摂る.大きなお皿にシャケの切り身1切れ,お新香などが並んでいる.それに味噌汁とご飯.ごくありふれた日本食である.

<朝食>

■記念写真
 7時50分,ペンション前で全員の記念写真を撮る.ペンションのオーナー夫妻と愛犬も一緒に写真に収まる(記事最初の写真).

<観音橋から歩き出す>

■昨日の出発点へ移動
 7時54分,ペンションの自家用車に分乗して,ペンションサイレントスノーを出発する.暫くの間,くねくねと左右に曲がる別荘地内の道路を走る.そして,8時17分,昨日の終着点,観音橋の袂に到着する.

<ペンションサイレントスノーを出発>

■野趣豊かな道が始まる
 8時20分,私達は今回の最大の難所である和田峠を目指して歩き出す.
 旧中山道の入口は,現在の舗装道路の土手を這い上がったところから始まる.歩き出してすぐに鬱蒼とした森の中,野趣タップリの細道である.
 「これは楽しいな・・」
 私は自然豊かな道に,最初から大満足である.
 ペンションのご主人が,上から目線で,
 「・・坂道歩きながら曲がるときには,最初に上半身の向きを変えるんだよ・・」
とトンチンカンな注意をする.
 「それ,スキーのときでしょう・・山歩きでそんなことしたら危ないですよ」
と言い返したかったが,大人げないのでヤメる.
 歩き始めるとすぐに緩やかで長い登り坂になる.

<野趣豊かな中山道入口>

                                (つづく)

[加除修正]
2013/8/10   地図の差し替えと本文の加除修正を行った.


「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ae518e2de072e68309998bd469bed33b
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0cfa3904ab0d9e54612663c5c63d8293
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 



猛暑の鎌倉:杉本寺・安養院・長谷寺周遊

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                                   <杉本観音>

      猛暑の鎌倉:杉本寺・安養院・長谷寺周遊
         (五十三次洛遊会定例会)
      2013年8月10日(土)  晴・酷暑

<ルート地図>



<まずは鶴岡八幡宮へ>

■鎌倉駅集合
 このところ,蒸し暑くて堪らない日が連続している.この所,日本列島だけでなく中国も,大変な熱波やかつて経験したことのない豪雨が降ったという情報が,連日のように伝えられている.最近,山陰地方で猛烈な雨が降ったと聞いていたら,今度は秋田でも大雨,大規模な土石流が発生して行方不明者が出ているという.連日の猛暑と異常気象に,
 “神様仏様…もうカンベンしてくれ…!”
と叫びたくなる.
 そんな暑い最中,今日は五十三次洛遊会定例会開催日である.酷暑が連続する中で一体何人の人が参加するか疑問に思っていたが,男性6人,女性4人,合計でなんと10人もの方々が参加された.鎌倉駅前は,逗子で何かイベントがあるらしく,ティーンエージャと思われる若い女の子が臨時バス停の前で長蛇の列を作っている.
 定刻,9時30分に参加予定者全員が,鎌倉駅表口に集合する.気温は既に32℃にも達していてアスファルトからの照り返しが何とも暑苦しくて堪らない.
 今日,8月10日は四萬六千日大功徳日.この日に観音菩薩をお参りすると,46,000日分参拝したのと同じの功徳があるとされている.そこで,今日は板東三十三札所の内,第1番札所の杉本観音,第3番札所の安養院,最後に第4版札所の長谷寺をぐるり一回りする予定である.

■まずは鶴岡八幡宮へ
 定刻9時30分に鎌倉駅から歩き出す.
 当初の予定では混雑する小町通りを避けて,裏道を通りながら鶴岡八幡宮に向かうつもりだったが,この盛夏の時期は,大半の観光客は海の方へ向かうらしく,小町通りは予想外に閑散としている.何時の間にか電柱の地下化が完成した小町通りは,随分とおしゃれな雰囲気になっている.道すがらウインドウショッピングに興味を持つ女性群に配慮して,久々に小町通りを鉄ノ井まで完全に歩き通すことにする.
 私は,もう何十年も鎌倉に住んでいるが,それでも小町通りを隅から隅まで歩くことは,それほどない.暫く見ないうちに,新しいお店が沢山できているのに驚く.私には全く分からないが,沿道に並ぶ婦人服のお店には,洒落たデザインの服が安価で並んでいるとのことである.
 9時52分,鶴岡八幡宮に到着する.
 境内は閑散としている.昨日まで開催されていたボンボリ祭の名残である飾り付け柱がまだ並んでいる.
 今日の目的は観音巡りなので,鶴岡八幡宮の参拝は割愛する.

<鶴岡八幡宮>

■美しい蓮の花
 境内の源平池の蓮があちこちで咲いている.
 ときどき海風が吹き抜けると,いくらか涼しくなるが,とにかく蒸し暑い.手持ちの温度計によると32℃にも達している.それでも東京辺りと比較すれば,多分,2〜3℃程度は低いんだろうが,それにしても蒸し暑い.
 私たちは,池の畔の木陰に入り込んで,立ち休憩を取る. 
<白旗神社と蓮の花>

<関取場跡,荏柄天神社参道,歌の橋>

■関取場跡と荏柄天神社参道
 10時10分,鶴岡八幡宮を出発して金沢街道に沿って,杉本観音に向かう.この道は自動車の往来が多いので,特に今日のように蒸し暑いときはイライラするが,回り道を歩くと少々歩程が長くなってしまう.しかたないので,暫くの間の我慢である.
 10時14分,関取場跡に到着する.案内石塔の記事によると,小田原北条氏が,この辺りに関所を置いて,商人や参拝者から関銭を徴収して荏柄天神社社殿の造営費に充てたという.
 10時16分,荏柄天神社参道に到着する.
 「…ここの参道入口から,荏柄天神詣でをしなければダメ…参道の途中から天神様へ行ったら願いを聞いて貰えませんよ…」
と余計な冗談を言う.
 
<関取場跡>                                 <荏柄天神社参道>

■歌の橋で仙人とバッタリ
 10時歌の橋に到着する.歌の橋は二階堂川に架かる小さな橋だが鎌倉十橋の一つである.橋の脇に石碑が立っている.その説明によると,渋川刑部六郎兼森という人物が主君に背いた罪で死刑を宣告された,そのとき彼は無実であることを和歌10首に詠みこんで荏柄天神社に訴えた.それを見た将軍源実朝が彼の罪を許した.彼はそのお礼に歌の橋を造ったといわれる.
 歌の橋の近くで,私の山友達,愛称「仙人」とバッタリ会う.彼とはつい一昨日バッタリあったばかりである.仙人を知る参加者がとても懐かしがる.仙人に一緒に歩かないかとお誘いするが,とても一緒には付いて行けないと言われるので,暫く立ち話をしてからお別れする.
 
<歌の橋>                                 <仙人とバッタリ>

<杉本観音>

■大集団にバッタリ
 そろしろ杉本観音に到着というところで,某歩け歩け協会の大集団に遭遇する.先頭に緑色の旗を持ったリーダーらしい男性が居られる.その後ろに狭い通路一杯に百人ほどの集団が続く.大集団の年齢層は私たちと大差なさそうである.
 「マイッタナ…杉本観音拝観は無理かな」
と弱気になる.
 狭い通路をナントカすれ違って,10時20分に杉本寺に到着する.丁度大集団と入れ替わるタイミングだったので,内心,ホッとする.
 私自身,ときどき杉本観音の前は通過するが,信仰心が薄いためか,ほとんどお参りしたことがない.でも.今日お参りすると46,000日分の御利益があるというので,私も真面目に参拝する.別に平素不真面目というわけではないが…
 向かって左側の急階段を登る.蒸し暑さのため足の弱い人を気遣って,実にユックリと上りって,本堂前に到着する.
 「十一面杉本観音」と書かれて白地の幟が沢山並んでいる.
 まずは本堂前の木陰でひと息入れる.

<白い幟旗で飾られた杉本観音>

■沢山の参拝客
 今日は特に真面目にお参りしようと思うが,沢山の参拝客が訪れていて,なかなか埒があかない.本堂内からは,沢山の僧侶の読経の声が聞こえてくる.ここは天台宗のお寺.山号は大倉山.板東三十三札所の第1番札所である.
 参拝客をかき分けるようにして,心ばかりの賽銭を奉納してお参りを済ませる.私の願いは「老いてもなお,何か美しいもの,心躍るもの」を追い求められることである.でもこんなことは同行者には内緒.
 参拝後,木陰で一休みしてから,上り階段とは反対側の階段を下る.

<杉本観音を参拝>

<田楽辻子から華頂宮邸へ>

■犬懸橋を渡って田楽辻子へ
 10時50分,杉本観音のお参りを終える.
 杉本観音入口の直ぐ近くにある犬懸橋を渡って,滑川の左岸沿いの道を歩く.ほんの2〜3分で田楽辻子に到着する.
 この辺りは関東管領上杉四流のうち,犬懸谷上杉が栄えた場所である.上杉氏憲(禅秀)が鎌倉公方に乱を起こして破れ,犬懸谷上杉は滅んだ…でも,こんな面倒な話はここでは省略しよう.
 当初の計画では,ここから平成の巡礼道を登って,衣張山の山頂で,眺望を楽しみながら昼食を摂るつもりだったが,余りの暑さで疲労されている方も居られるので,計画を変更して,まずは華頂宮邸に向かうことにする.
 
<田楽辻子十字路>                           <田楽辻子のみち>

■緑陰のプロムナード
 田楽辻子の四つ角を左折する.途端に人影まばらな山沿いの小径になる.頭上一杯に緑陰が広がる.
 「うわ〜あ…,気持ちが良いですね」
と何人かの同行者が歓声を上げる.

<緑陰のプロムナード>

■報国寺
 10時57分,報国寺に到着する.別名竹寺.
 今日の計画には,報国寺の見学は入っていないので,残念ながら通過する.私たちは,報国寺脇,浄明寺2丁目の谷戸を南へ向かう.谷戸を流れる小川右岸沿いのなだらかな登り坂である.小川の左岸は崖.イワタバコがあるかなと探すが,私のガチャ眼では見当たらない.
 坂道は進むにつれて,次第に急になり始める.

<報国寺>

■華頂宮邸で休憩
 報国寺脇の谷戸を南に向けて歩く.谷戸を流れる右岸沿いの登り坂である.気温は34℃.殆ど無風である.
 ノタノタと超ユックリの速度で登り続けて,11時04分,華頂宮邸に到着する.ほとんどの方が木陰のベンチにヘタヘタと座り込む.
 私は男性の参加者お一人と一緒に庭園を見学する.テラスにあるベンチに座る.ところが直射日光で熱せられたベンチは意外に熱いので,座った途端ビックリ.米つきバッタのように驚いて立ち上がる.
 庭の隅で女性の話し声が聞こえる.同行の仲間かと思ったら,華頂宮邸の総司をしている人だった.この暑い最中にご苦労なことである.

<華頂の宮邸>

<鎌倉逗子ハイランド>

■辛い登り坂
 11時18分,華頂宮邸を出発する.道路の勾配は次第にきつくなり,やがて舗装道路は途絶える.そこから先は,一寸した山道になる.この時期,ハチが居るかもしれないので,足許や周囲に気を配りながらユックリと登り続ける.
 11時35分頃,ようやく鎌倉逗子ハイランドの一角,大町7丁目の公園に登り詰める.そこの木陰で暫くの間立ち休憩.その間に元気な女性群に,昼食を摂るための適当な場所を探して貰う.

<辛い登り坂>

■公園の一角で昼食
 11時48分,私たちは公園の一角にあるベンチに座り込んで昼食を摂る.相変わらず蒸し暑いが,それでも山の上なので,いくらかは風が通る.
 こんな蒸し暑い日に公園をブラブラしている人は,私たちを除いてほとんど居ない.幸いなことに,うるさいトンビも海岸の方へ行っているのか,姿を現さない.
<公園の一角で昼食>

<大町から安養院へ>

■関東の富士見百景
 トイレ休憩を兼ねて,かまくら幼稚園前でしばらく休憩を取る.
 ここは関東の富士見百景に挙げられるほどの景勝の地である.ただ,今日は霞が掛かっていて富士山は全く見えない.
 12時23分,休憩を終えて,かまくら幼稚園前を出発する.
 
<関東の富士見百景>                            <かまくら幼稚園前からの眺望>

■黄金ヤグラ
 かまくら幼稚園前から長くて急な階段を降りる.歩き馴れない人は,この階段の途中で足が攣ってしまうことがあるので要注意.
 12時33分,大町6丁目(7丁目かな?)にある黄金ヤグラに到着する.以前は黄金色に光り輝く苔が生えていたようだが,今は何の変哲もないヤグラである.でも,ここのヤグラは有名.

<黄金ヤグラ>

■安養院に到着
 大町を道なりに下る.途中に新羅三郎義光ゆかりの大宝寺があるが,今日はパス.
 12時56分に第3番札所安養院に到着する.本堂でお参りを済ませてから,本堂裏手にある北条政子の墓を詣でる.
 
<安養院>                                 <左側が北条政子の墓>

<大町から由比若宮へ>

■石清水の井
 13時07分,安養院を出発する.安養院と道路を挟んで反対側にある上行寺に立ち寄るが,肝心の山門が改修工事中なので,左甚五郎作の龍の彫刻は拝見できない.残念!
 上行寺の先から左折して逆川橋を渡るつもりだったが,うっかり手前で左折してしまう.戻るのも面倒だったので逆川橋を渡るのは断念する.その後,裏道を右に左に曲がりながら,辻の薬師堂付近で横須賀線踏切を渡る.そしてすぐに右折して,住宅地の中の路地に入る.
 路地に入って間もなく進行方向右手にある石清水(いわしみず)の井に到着する.

<石清水の井>

■由比若宮(元八幡)
 13時22分,石清水のすぐ先にある由比若宮(元八幡)に到着する.ここで参拝を兼ねて休憩をとる.
 この辺りまで来ると,さすがに海が近いためか,幾分涼しいような感じがする.

<由比若宮>

<由比ヶ浜海岸から江ノ電由比ヶ浜駅へ>

■涼を求めて由比ヶ浜へ
 13時25分,由比若宮を出発する.
 当初は住宅地内の裏道を通って,第4番札所長谷観音に向かうつもりだったが,余りに蒸し暑いので,一旦由比ヶ浜に出ることにする.
 市街地の路地を適当に歩いて,13時36分,野旗細道を抜けて,滑川沿いの道に出る.滑川の左岸沿いに下降方面に下る.数分で材木座海岸に突き当たる.海岸は大変な人出である.でも,期待に反して,太陽の照り返し強くて,返って住宅地の中より蒸し暑い.
 海岸に出てしまった以上,引き返せないので,滑川を渡り,由比ヶ浜の海浜公園で休憩を取る.とにかく蒸し暑い.それに,辺りは水着を着た若者で一杯である.その中でリュックを背負った年寄りの集団は,何とも浮いた存在である.
 日陰で休憩を取っているが,何時まで経っても,また歩こうという出す人が居ない.
 14時02分,海浜公園を出発する.
 「前に見える山の裾が長谷寺ですよ…」
と一同を励ます.
 「あと5キロぐらいですか?」
 「そんなに遠くないです…せいぜい2キロ程度ですよ…」

<材木座海岸に突き当たる>

■御嶽大神
 14時10分,御嶽大神前の三叉路で右折する.
 「あと,もう少しで,江ノ電由比ヶ浜駅ですよ…」
 由比ヶ浜駅に近付くにつれて,観光客の姿が増え始める.
 14時16分,由比ヶ浜駅前を通過する.周辺の道路は観光客で混雑している.私たちは観光客を縫うようにして歩き続ける.
 途中,収玄寺に立ち寄る.

<御嶽大神>

■綺麗な果物篭
 街角で美味しそうな果物篭を見付ける.色とりどりのトマトが篭にどっさり入っている.1篭300円.同行のお一人が購入する.

<美味しそうな果物篭>

<長谷観音>

■長谷観音に到着
 14時21分,私たちは,今回最後の目的地である長谷観音に到着する.第4番札所の寺である.暑さでもうクタクタ.取りあえずは売店前のベンチで休憩を取る.
 一度座り込んでしまうと,もう立ち上がるのもシンドイ.
 ここで10分ほども休憩を取っただろうか,その後,漸く境内に入る.
 長谷観音を拝むには,急な石段を登らなければ成らない.これが結構シンドイが漸く石段を登りきって,観音様をお参りする.
 観音様の前には天井からいろいろな色の紐を一束にしてぶら下げてある.この紐は今日だけ供えられたものだという.
 観音様を拝観してから,展望台に向かう.沢山の観光客が屯している.
 海には霞が掛かっていて,亡羊としか見えない.如何にも蒸し暑そうな風景である.

<長谷観音>

■長谷観音で記念写真
 14時55分,長谷観音の参拝を済ませる.
 山門前で記念写真を撮るが,暑さでポケてしまったのか,参加者のお一人が半分しか写っていない.それにお一人の男性が写っていない.まことに申し訳ない,
 本来は鎌倉駅まで戻って解散する予定だったが,あまりに蒸し暑いので,ここで一次解散をすることに決定.
 結局,3人の方が,ここでリタイアして,それぞれ江ノ電に乗って帰るという.そして,残りの7人は,予定通り鎌倉駅まで歩くという. 

<山門前で記念写真>

<鎌倉駅へ>

■裏道を通って鎌倉駅へ
 沢山の観光客でもみくちゃになりながら,長谷観音から由比ヶ浜通に出る.暫くの間は,バス停に沿って鎌倉方面に向かって歩く.
 鎌倉文学館に入る十字路で左折して住宅地に入る.
 入口にあるパン屋「ジャックと豆の木」に立ち寄る.仲間の内,お二人が,ここのパンを購入する.私もパンに興味があったので,店を覗いてみるが,随分と値が張るのにビックリしてお店を跳び出す.
 その後,吉屋信子邸前を通過,右に左にと角を曲がりながら,裁許橋に到着する.ここで,何処を通って鎌倉駅に戻るか少々迷うが,結局,おなり小学校前を通って鎌倉駅裏口に戻ることにする.
 15時38分,無事,鎌倉駅裏口に戻る.水平歩行距離10.8キロメートルのハイキングは無事終わった.

■小町通り「モア」で懇親会
 鎌倉駅で解散するが,結局全員が懇親会に出席する.
 会場は小町通りの「モア」.行きつけの店である.私は下戸だが,こんなときは生ビール小1杯位はお付き合いする.この僅かばかりのビールがなかなか美味しい.
 乾杯をする前に,ビールの写真を撮ろうと思っていたが忘れた.仕方なく,もうほとんど飲んでしまったところで,写真を撮る.
 ビールの向こうに,美しいご婦人の胸元が写っているが,酔眼の私にはどなたか分からない.まあ,分からなくてもイイカ.

<「モア」で乾杯>

■今日も良かった! 良かった!
 私は自宅近くを通るバスに乗って帰りたいが,このバスは鎌倉市役所前を16時50分に発車する.
 16時40分,私は一足先に懇親会をおさらばして,バス停に向かう.何時も発車時刻に遅れるバスが,珍しく定刻にバス停に到着する.ほろ酔い気分で冷房の利いたバスに乗車すると,あまりの寒さに一寸したショックを受ける.桑原桑原.だから冷房はイヤなのだ.でも,乗車してから暫くすると,冷房した車内が何となく心地よくなるから不思議である.
 17時少し過ぎに,自宅近くのバス停に到着する.
 帰宅後,まずはシャワーを浴びる.そして,汗でベトベトになった衣類を洗濯に回し,乾いた衣類に着替える.気分サッパリ,今日も良かった! 良かった!

<ラップタイム>

 9:35  鎌倉駅歩き出し
 9:52  鶴岡八幡宮(10:10まで見学)
10:14  関所跡
10:16  荏柄天神参道
10:19  歌の橋
10:26  杉本観音着(10:50まで参拝)
10:57  報国寺
11:04  華頂宮邸(11:18まで休憩)
11:48  鎌倉逗子ハイランド公園(12:10まで昼食)
12:15  かまくら幼稚園前(12:23までトイレ休憩)
12:33  黄金やぐら
12:56  安養院(13:07まで参拝)
13:12  横須賀線踏切
13:22  石清水の井
13:22  由比若宮(13:25まで参拝)
13:36  野畑細道
13:43  滑川を渡る
13:45  海浜公園(14:02まで休憩)
14:10  御嶽大神
14:16  由比ヶ浜駅
14:17  収玄寺(14:19まで見学)
14:21  長谷寺(14:55まで参拝)(一次解散)
15:06  ジャックと豆の木(15:12まで買い物)
15:15  吉屋信子邸
15:38  鎌倉駅(解散)

 [ハイキング記録]

■水平歩行距離       10.8km

■累積登攀高度        202m

■累積下降高度        202m

■所要時間(休憩時間込み)
  鎌倉駅発          9:35
  鎌倉駅着           15:38
  (所要時間)         6時間03分(6.05h)
  水平歩行速度       10.8km/6.05h=1.79km/h
                                      (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/178b70da51b0e26c1380662cd678a3d3
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし) 

歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第2日目(2)観音坂から長坂へ

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                                     <接待茶屋で一休み>

[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第2日目(2);観音坂から長坂へ
            (五十三次洛遊会)
        2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2010年12月27日である.
 初稿の地図の差し替え,本文の加除修正を行った.

第2日目:2010年9月12日(土) (つづき)

<ルート地図>



<観音坂登口から旧道に入る>

■心地よい雑木林の道
 8時20分,観音橋近くの和田峠観音坂登り口から歩き出す.なだらかな登り勾配の舗装されていない遊歩道になる.雑木林が続く心地よい道である.

<雑木林の道>

■休み茶屋
  登り口からほんの少し歩いて,8時27分に休み茶屋に到着する.進行方向右手に荒廃した小さな木造家屋が建っている.


<休み茶屋>

■三十三体観音
 8時29分,休み小屋近くに立っている「三十三体観音」の案内板を通過する.
 この案内板によると,かつては.この山の中腹にあった熊野権現社前にあったが,旧道の荒廃とともに荒れ果てていた.1973 年(昭和48年)の発掘調査により,29体の存在が確認され,ここに安置されたという.内訳は,千手観音13体,如意輪観音4体,馬頭観音10体,不動明王4体であり,4体は未発見だという.峠を往来する人馬の安全を祈ったものであろうと書いてある.

■中山道道標
 広い谷間に静かな道が続く.実に気持ちの良い道である.所々に中山道を示す「青い道しるべ」が立っている.
 この道しるべを見付けると,中山道を間違いなく歩いていることが分かり,なんとなくホッとする.

<中山道の道標>

■静かな散策路
 歩いていると,心が静まる静かな散策路が続く.
 雑木林の中の柴道をノンビリと歩く.こんな所なら何回でも歩きたくなる.何とも心地よいところである.

<雑木林の中の柴道を行く>

■接待茶屋
 9時丁度に国道142号線に合流する.合流点に接待茶屋がある.立派な茅葺きの家屋である.ここで一休みする.
 建物脇に建っている案内板によると.「江戸呉服町の豪商「かせやり与兵衛(有隣)」が,中山道の難儀を幾分でも助けようと金千両を幕府に寄付した.その金の利子百両を二分して,碓氷峠の坂本宿と,この和田峠に50両づつ下付し,1828年(文政11年)に設置された施工所の一つである.11月から3月まで峠を越える旅人に粥と焚き火を,牛馬には年中小桶1杯の煮麦を施工した.その後,山抜けにより流出したが,1852年(嘉永5年),現在地に再建され,1870年(明治3年)までつづけられた」とのことである.

<接待茶屋>

<長坂を登る>

■近藤谷一郎巡査碑と殉職の地
 立ち休憩を取った後,再び歩き出す.すぐに和田川沿いの静かな旧道に入る.この辺りから,広原一里塚(江戸日本橋から52番目)辺りまでの坂道を長坂という.
 9時02分,近藤谷一郎巡査碑を通過する.案内板によると,近藤巡査は明治22年,窃盗犯人を護送中,逃走を企てた犯人によって殺害される.その近藤巡査の慰霊のために,この碑が作られたとのことである.
 深林に覆われた素晴らしい道が続く.やがて,「避難小屋500m」と書いてある青い標識を通過する.
 9時16分,「近森谷一郎殉職の地」と刻字のある石塔の前を通過する.先ほどの碑文を読んでいるのは私だけ.
 「なるほど,ここが谷藤巡査が犯人と格闘したところか・・」
と分かった.
 
                               <近藤谷一郎巡査の碑>

■避難小屋
 9時25分,避難小屋に到着する.小さな荒廃した小屋がポツンと建っている.ここでは,休憩を取らずに,そのまま通過する.

<避難小屋>

■石畳の道
 この辺りから,石畳の道に変わる.大小様々な石が敷き詰められている.少々歩きにくいが,苔むした石に往時が偲ばれる.こんなところを歩くのも,街道歩きの醍醐味である.

<石畳の路>

■和田川を渡ると小さな滝
 9時29分,小さな橋を渡って,和田川の左岸の道に入る.引き続き長閑な山道が続く.進行方向左手の山間から滝が流下している.
 正に深山幽谷.綺麗な風景が続く.
 
<小さな木橋を渡る>                            <小さな滝>

■広原一里塚
 9時40分,広原一里塚(日本橋から52番目)に到着する.
 今は東側の塚だけが残っている.
 一里塚の近くに建っている案内板によると,「このあたりを広原といった.その名の通り昔は笹などが生え繁る原であった.冬の降雪期には山頂より吹き下ろす吹雪で,一面の雪の原と化して道も埋もれるとき,5間(9メートル)四方のこの塚は旅人の道じるべとなったであろう.この塚は江戸より52番目の一里塚に当たる」とのことである.

<一里塚跡>

[参考資料]

資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
                                (つづく)
[加除修正]
2010/12/30 一部記事の追加
2013/ 8/12 地図の差し替えと記事の加除修正を行った.

「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/20abc2b1c2e3ed5ff37e291d37380e4b
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/cabe7a462eecf5f0d7ba0f8b91d6e6fa
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 

歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第2日目(3):もうすぐ和田峠

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                                   <和田峠を登る>

[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第2日目(3):もうすぐ和田峠
           (五十三次洛遊会)
       2010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2010年12月30日である.
 初稿の地図を差し替え,本文の加除修正を行った.

第2日目:2010年9月12日(土) (つづき)

<ルート地図>



<和田峠キャンプ場と遺跡群>

■和田峠キャンプ場
 9時40分に,江戸日本橋から52番目の広原一里塚を通過する.緑一杯の広い谷間の道が続く.なだらかな登り勾配の道である.
 9時43分,和田峠キャンプ場に到着する.進行方向左手には,自炊場と広い幕営場が広がっている.今はオフシーズンのためか,辺りに人影は全くない.幕営場は夏草に覆われている.





<和田峠キャンプ場>

■和田峠ロッジと和田峠遺跡群
 9時47分,キャンプ場の一角にある和田峠ロッジを通過する.三角の尖った屋根が印象的である.
 和田峠ロッジの近くに「和田峠遺跡群」と書いた案内板が立っている.この案内板によると,「旧石器時代の石器の材料とされた黒曜石が和田峠周辺で多く産出されている.1990〜1991年(平成2〜4年)の分布調査により,黒曜石の露頭が10カ所ほど確認された.さらに和田川の段丘には数多くの後期旧石器時代の遺跡群が形成されていたことが明らかになった.特にキャンプ場から一里塚,そして湿原の周辺にたくさんの遺跡が集中している.出土した石器は黒曜石石器資料館に保管されている」という.

<和田峠ロッジ>

<東餅屋跡>

■「ドライブインお餅」に到着
 9時48分,東餅屋に到着する.青色の屋根が目立つ大きな店構えである.ここで,しばらくの間,休憩を取ることにする.
 店に入る.店内は結構広い.威勢の良い店主が,力餅について,いろいろと饒舌に説明をしてくれる.
 店の側にある案内板によると,「標高1531メートルの和田峠は急坂が多く,降雪の際はもとより,雨や霧の日も旅人は渋滞した.この峠の唐沢,東・西餅屋,樋橋,落合に茶屋があり,人馬の休息所になっていた.この東餅屋では5軒の茶屋が名物の餅を売っていた.1624〜1643年(寛永年間)より,1軒に1人扶持(1日玄米5合)を幕府から与えられ難渋する旅人の救助にもあたっていた.幕末には大名休息のための茶屋本陣も置かれ土屋氏が務めていた.鉄道が開通するとともに往来も途絶え,5軒の茶屋も店をたたみ,今は(ドライブイン以外家はなく)石垣を残すのみである.」

<ドライブインお餅>

■力餅を賞味
 一行のどなたかが,名物の力餅を購入して,皆に振る舞う.私も1個ご相伴する.モッチリとした歯応えの美味しいお餅である.よほど土産に買って帰ろうかと思ったが,重たいし,まだ,明日もこの餅を持って歩かなければならない.結構なお荷物になるので諦める.
 食べる前に,写真を撮ろうとしたが,気の早い人が,私が制止するのを待たずに1個取ってしまう.そのためお持ちが1個欠落した写真になってしまったが,これもお愛嬌である.

<力餅>

■店内で一休み
 ご主人の甲高い声の説明を聞きながら,店内をグルグルと見て回る.このご主人の話し方に信州訛りがある.この訛りが信州生まれの私にはとても懐かしい.
 ただ,親切だが饒舌な説明に辟易とする.

<ドライブインお餅の店内>

<和田峠はもう近い>

■登り勾配の道が連続する
 10時丁度に,ドライブインお餅を出発する.
 旧中山道は,相変わらず道草が生え繁る自然豊かな道が続く.歩き進むにつれて,次第に登り勾配がきつくなる.
 途中に,例の青色の案内板が立っている.

<ドライブインお餅を出発>

■次第に深い森の中に入る
 私達は緑豊かな登り道を楽しみながら歩き続ける.物音一つしない静かな森の中の道が続く.
 なだらかな登り勾配がずっと連続する.足が丈夫な人と弱い人の差がだんだんハッキリとしてくる.先頭を行くグループが,もうすこし後ろの人に気を遣ってくれればいいなと思うが,なかなかそうはいかない.

<緑陰の草道を歩く>

■ビーナスラインを横切る
 途中,ビーナスラインの道を4回ほど横切りながら,坂道を登り続ける.ビーナスラインの舗装道路に出る度に,自然の中を歩いている気分が阻害される.仕方がないことだが・・・何とも残念である.

<自動車道路ビーナスラインに合流する>

■和田峠が間近
 10時25分,前方に峠が見え始める.尾根沿いに映えている木が途絶えているところが,どうやら峠らしい.私は地図で現在地を確かめて,あそこが峠だと確信する.
 「皆さん,もうすぐ和田峠ですよ・・」
と一同を鼓舞する.
 前方に,何か小屋らしいものと,人の集団が見えている.

<和田峠はもうすぐそこだ> 

[参考資料]

資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
                                             (つづく)
[加除修正]
2013/8/13  地図の差し替えと本文の加除修正,山行引用文献などの追加

「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0cfa3904ab0d9e54612663c5c63d8293
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2ef7dca12e1cdff4782a34b65ae3eec7
「中山道中六十九宿巡り」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 

 

 

歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第2日目(4):和田峠を下る

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                                       <和田峠でミーティング>

[改訂版]歩いて巡る中山道中六十九宿(第9回):第2日目(4):和田峠を下る
              (五十三次洛遊会)
           0年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2010年12月30日である.
 初稿に地図を追加し,本文の加除修正を行った.

第2日目:2010年9月12日(土) (つづき) 

<ルート地図>


※再掲

<待望の和田峠>

■和田峠に到着
 10時25分,坂道の先に和田峠が見え始める.小さな建物の屋根と,10名ほどの人影が見えている.もうすぐそこが和田峠だと分かっているが,この僅かな距離が焦れったい.
 10時27分,私達も漸く国史跡和田峠(古峠;標高1,599m)に到着する.地図によると,ここは峠の南東,約100メートルの所にある駒ヶ岳(標高1657m)と,反対側にあるコル(浅間嶽というらしい;標高約1,645m)に挟まれた鞍部になっている.
 先着の集団は地元の方々のようである.私達と同じように年配の方が多い.若いガイドに引率され,地元の史跡巡りをしている.この方々は,これから浅間嶽の方に向かうとのことである.
 私達も和田峠の頂上で,現在地を確かめ,さらに,これからの行程をチェックする.そして,和田峠からの眺望を楽しみながら休憩を取る.

<和田峠に到着>

■和田峠からの眺望
 山頂から諏訪方面を眺める.眼下に大きな山脈が横たわっている.その遙か先に諏訪盆地が見える.私達は,今日中にあそこまで歩かなければならない.まだまだ先が長いなと実感する.

<和田峠からの眺望>

■古峠と石塔群
 峠へ登りきったところに案内板がある.この案内板には「中山道設定以来,江戸時代を通じて諸大名の参勤交代や,一般旅人の通行,物資を運搬する牛馬の行き来などで賑わいを見せた峠である.頂上に,遠く御嶽山の遙拝所がある.冬期は寒気が強い上に,降雪量も多く,冬の和田峠越えの厳しさは想像を絶するものがあったろう.1,879年(明治9年)東餅屋から旧トンネルの上を通って西餅屋へ下る紅葉橋新道が開通したため,この峠は殆ど通る人はなくなり,古峠の名を残すのみである」と記されている.
 峠の北西側に馬頭観音が安置されている.その反対側の小高い丘の上に御嶽遙拝所の大きな石塔が立っている.
 
<石塔群>

<和田峠を下る>

■険しい下り坂
 10時40分,和田峠を出発する.
 これからは下り坂である.踏み跡程度の草の小径が続く.辺りは鬱蒼とした夏草に覆われている.石ころがやたらに多い山道である.
 平素,登山をしている人にとっては,特にどうということはない道だが,山道に馴れていない人には辛い道かも知れない.
 僭越ながら,私は列の最後について,皆の歩き方をそれとなくチェックし続ける.

<和田峠を下る>

■水呑場
 暫くの間,谷の右岸沿いのトラバース道が連続する.トラバース道は,かなり急傾斜の岩稜混じり断崖を高巻きしている.結構な山道で,歩行には注意を要する.これまで歩いてきた中山道の中では,ここが一番の難所かも知れない.
  10時47分,水呑場に到着する.苔むしたいくつかの石が並べられている.並べられた石の真ん中に「水呑場」と書いた木片が置かれている.
 残念ながら,水は飲めない.

<水呑場>

■石小屋跡
 10時50分,石小屋跡に到着する.近くにある案内板には次のような記述がある.「下諏訪側の峠近くは急坂で風雪のときは旅人も人馬も難渋した.大雪のときには雪割り人足も出勤した.下原村の名主勝五郎は,1,855年(安政2年)に避難場所と煮置場を造ろうと,郡奉行所に口上書を差し出し,馬士の出金,旅人等の援助を乞うて,50両ほどで石小屋を築いた.石小屋は,山腹を欠いて高さ約2メートルの石積みをし,この石積みを石垣壁として片屋根を掛けたもので,石垣からひさしまでの雨落ちまで2.3メートル長さ55メートルという大きいものであった.人馬の待避所や荷置場には絶好の施設であった.その後,慶応3年に修理したが,現在は石垣の一部を残すのみである.」

<石小屋跡>

■林の中の中山道
 石小屋跡を通過する.なだらかな下り坂になる.相変わらす緑陰の中ののどかな道が連続する.やがて,広々とした草場に出る.草場の縁を回り込むようにして道は続く.
 11時12分,舗装道路を横切って,再び谷筋沿いの静かな小径に入る.
 11時18分,再び同じ舗装道路と交差する.
 
<林の中の道>                             <舗装道路と交差>

■立ち止まって道を確かめる
 11時24分,林の中で立ち止まって,地図を見ながら自分たちの現在地を確かめる.もう西餅屋跡に到着しても良いはずだが,なかなか日餅屋跡に辿りつけない.間違ったところを歩いているのではないかと心配になる.
 しかし,どう見ても間違ったところを歩いているとは思えない.もう少し先まで歩いてみることにする. こんな試行錯誤が,また,手作り旅の楽しさでもある.

<立ち止まって現在地を確かめる>

■西餅屋跡
 私達の推測は正しかった.11時26分,私達が歩いている旧中山道が国道142号線と交差する.この交差点のすぐ手前が西餅屋跡である.日餅屋跡地は夏草が生え繁る広場になっている.広場の片隅に立派なベンチがある.広場の片隅に案内板がある.この案内板の説明は以下の通りである.
 「西餅屋は江戸時代中山道下諏訪宿と和田宿の5里18丁の峠道に設けられた「立場(人馬が休息するところ)であった.ここは茶屋本陣の小口家と武居家,犬飼家,小松家の4軒があり,藩界にあったので,ときには穀留番所が置かれた.幕末の砥沢口合戦のときは,高島藩の作戦で消失されたが,すぐに再建された.現在は道の「曲之手(直角な曲り)」と茶屋跡が残っている.」
 この案内文に出て来る「砥沢口合戦って何?」.私は帰宅後インターネットで調べてみたが簡単には分からない.このブログでも次回説明する水戸浪士の墓の近くにある説明文にも,この合戦のことが触れられているが,これらの説明文以上の具体的なことは,簡単には分からない.

<西餅屋跡>

■西餅屋跡で昼食
 まだ昼食には少々早い時間だが,この先,食事が摂れる適当な場所があるか分からないので,ここにあるベンチに腰掛けて,早めの昼食を摂ることにする.
 今朝,サイレントスノーで作っていただいた弁当を広げる.ずっしりとした重みがある弁当である.惣菜が沢山詰まった素晴らしい弁当である.
 今はもう秋.ベンチに座り込むと,さすがに少々寒い.まだ,今日の宿泊地下諏訪宿までの道のりは長い.あまりユックリと昼食を賞味している時間はない.
 
<サイレントスノーで作って貰った弁当>
                                (つづく)

[参考資料]

資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
                                             (つづく)
[加除修正]
2013/8/14  地図の追加と本文の加除修正,参考文献などの追加


「中山道中六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/0cfa3904ab0d9e54612663c5c63d8293
「中山道中六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1b89131ee4237d4f2ebefb3b19427044
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

 

 

 

好い加減に暑いのカンベンしてよの丹沢;塔ノ岳(今年42回目)

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,こr                                   <塔ノ岳山頂>

  好い加減に暑いのカンベンしてよの丹沢;塔ノ岳(今年42回目)
            (単独山行)
    2013年8月14日(水) 晴;蒸し暑い1日

■朝からトラブル
 丹沢塔ノ岳に出掛けようと思う.でも,熱中症が怖い.怖いけど,もう1週間も塔ノ岳からご無沙汰している.そろそろ塔ノ岳を往復しておかないと,体力維持ができないので,思い切って出掛けることにする.
 小田原での乗換時間2分のスリルは余り味わいたくないので,今日も,何時もよりも1時間早い4時10分に支度を出発して,大船駅まで歩いて行くことにする.歩程約2.5キロメートル(約7000歩)の山下りである.4時と言えば,夏至の頃は,もう十分に明るかったが,8月も中旬になると,日の出が随分と遅くなっている.まだ,辺りは真っ暗.でも,昨日の熱気が舗装道路に残っていて,気温は26℃もある.
 大船駅でSUICAにチャージする…が,どうしたことか発券機に1万円を挿入したのにお釣りが出てこない.少々お待ち下さいというサインが出る.事務所の中では警戒音が鳴っている.
 “なんじゃ,これは…”
 私はキャンセルボタンを押すが,元に戻らない.1〜2分してから,発券機の脇の小さな窓が開いて若い女性職員が,
 「どうしましたか…」
と私に聞く.私は事情を説明して,
 「5時10分の下り電車に乗りたいので,早くして下さい…」
とお願いする.
 「一寸待って下さい…金庫の鍵を開けるのに,ちょっと時間が要りますので…」
 …という次第で,かれこれ5〜6分の時間が掛かってしまった.
 幸いなことに,発車時間まで十分に時間があったので,事なきを得たが,こんなこともあるんだなと再認識させられた.
 教訓;“発車間際にSUICAにチャージすることは避けるべし”

■大倉から歩き出す
 小田原駅で,ユックリと小田急電車に乗り換える.この“ユックリ感”が何とも心地よい.わざわざユックリして,1本電車をやり過ごして,小田原発6時03分新宿行急行電車に乗車する.6時21分に渋沢に到着する.当然バス停には1番乗りである.
 やがて小学校低学年の男の子を連れた年配の男性がバス停に到着する.多分,オジイチャンとお孫さんだろう.過日,2人で大山に登ったので,今回は塔ノ岳だとのことである.
 「今日は,4時間半掛けて塔ノ岳まで登るつもりです…山麓は森の中なので涼しいでしょう…」
と仰る.私は,
 “何だか変だな…山麓は無風で蒸し暑いはずだが…”
と思うが,敢えて否定することもあるまい.
 やがて下り電車が到着したらしく,何人かの登山客がバス停に並び始める.ご常連は超韋駄天のNMさん,三角髭のTDさん,それにTNさんと,顔見知りだが名前が分からない女性だけ.お盆休みのためか若い登山者が多い.バスに何人かの立ち席が出るが,それほどは混雑していない.
 バスは7時丁度に大倉に到着する.
 歩き出す前に,ちょっとモタモタしていて,何時もより少し遅い7時07分に大倉から歩き出す.歩き出しはTNさんと一緒.でも,スタートダッシュが速いTNさんには,とても付いて行けないし,何よりも熱中症に罹るのが怖いので,TNさんには先に行っていただく.そして,私は慎重に(ノタノタと)登り続ける.
 程なく登山道に入る.気温27℃.湿度は低そうだが,気温は相変わらず高い.でも,路面は良く乾いているので,ずいぶんと歩き易い.

■ヒル談義
 丹沢ベース付近で,先ほどバス停でお会いしたオジイチャンと子どもに追い付く.この辺りの登山道は石が敷き詰められていて少々歩きにくい,2人は敷石を避けて路肩を歩いている.ただでさえこの辺りはヒル銀座である.私は見るに見かねて,
 「この辺りから暫くの間はヒルが沢山居るところです…途中で止まらずに,登山道の真ん中を歩き続けた方が良いですよ…」
とお節介な忠告をする.
 「そうですか…やっぱりヒルが居るんですね」
と言いながら,立ち止まって,リュックからヒル隠避の薬剤を取り出して,子どもの足許に吹き付けている.
 “薬剤など散布しなくても,サッサと歩けばいいのに…”
と思いながら,先に行かせてもらう.余計なお世話かも知れないが,塔ノ岳山頂まで本当に登れるのだろうかと心配になる.

■見晴階段
 7時53分,見晴山荘を通過する.どうやら,ここまでで自分の標準時間より.5分ほど遅いようである.でも,まあ,遅いのは良しとしよう.とにかく無事に塔ノ岳山頂を往復することだ.
 見晴階段に差し掛かる.今回は少々間が空いて,1週間ぶりの塔ノ岳である.ハッキリ言って身体がどうも重い.これはもうユックリ登るしかない.
 階段下から,何時ものように階段を見上げた写真を撮る.登山者の後ろ姿がチラホラと見える.朝日が木々の間を縫って差し込んでいる.
 相変わらず無風.湿度は幾分低いようだが結構蒸し暑い.
 やがてモミジ坂に差し掛かる.黙々とマイペースで登り続けて,8時03分に一本松を通過する.
 8時07分,勢いよく下ってくるYZさんとすれ違う.

<見晴階段>

■心地よい緑陰の尾根道
 8時21分,下ってくるKSさんとすれ違う.
 「やあ,やあ,…FHさん.この暑いのによくまあ登ってきましたね」
で,何時ものように握手.
 「山頂(の気温)は18℃.涼しくて気持ちが良かったですよ…暑いんで気をつけて…」
 「近くの公園でも散歩するつもりで,身体の力を抜いて,ノンビリ登りますよ」
 急傾斜の駒止階段を登って,8時27分に駒止茶屋を通過する.大倉からの所要時間は1時間20分.何時もより10分ほど遅いようである.でも,まあ,仕方がないな.
 久々の晴天.こぼれ日が美しい堀山の尾根道に入る.

<心地よい緑陰の尾根道>

■富士山は見えない
 8時39分,富士山が良く見える場所に到着する.晴天にもかかわらず靄が掛かっていて,残念ながら富士山は見えない.
 富士山は見えないが,儀式として見えない富士山の写真を撮る.

<堀山の尾根で見えない富士山の写真を撮る>

■萱場平
 8時23分,堀山の家に到着する.
 今日は,掘りや蚊の家から花立山荘まで45分ほど掛けて登ろうかと思う.
 堀山の家を通過しようとすると,小草平で休憩を取ってた白い頭巾の男性が,いきなり私のすぐ前を歩き出す.この男性,先ほど見晴階段を見上げた写真に写っている方である.いきなり私の前に入り込んだので,少し不作法な人だなと思ったが,どうせ私はユックリにしか登れないので,少し間が空くのを待って,自分ペースを保持しながら登り始める.
 相変わらず蒸し暑いが,湿度が低いためか,先週の水曜日に比較するといくらか歩き易いようである.
 ノタノタと登り続けて,9時07分に萱場平に到着する.先ほどの白い帽子の男性が,萱場平で休憩を取っている.
 私が木道を歩き始めると,また,この男性が私の前に立つ.
 「追い越されるのが2回目ですね…」
と挨拶する.
 木道の間に繁茂する鬼アザミがますます大きくなっている.

<萱場平>

■花立山荘
 先週水曜日に比較すると幾分歩き易いなと重いながら,でも,ユックリと登り続ける.
 8時21分,後7分坂の少し手前にある大岩で下山してくるNMさんとすれ違う.何時もは後7分坂を3分の2ほど登ったところですれ違うのに…それだけ今日の私は遅いということだ.
 後7分坂を8分掛けて登って.9時30分に花立山荘に到着する.晴れてはいるものの富士山は相変わらず見えない.
 階段際のベンチで先ほどの白い帽子の男性が休憩を取っている.私が花立山荘を通過しようとすると,また私のすぐ先を歩き出す.
 「今日追い越されるのが,3度目ですね…」
と挨拶する.

<花立山荘>

■花立山
 私にとって一番イヤなのが花立山荘から花立山「までの登り坂である.エッチラホッチラ登るしかない.ここまで来れば山頂まで30分程度.速く歩いても,遅く歩いても,もうここまで来ていれば,所要時間に大差はない.そうならば,ノンビリ歩くに限る.
 晴れてはいるが,富士山が見えないのが残念.
 見晴山荘から11分も掛けて,ようやく花立山山頂に到着する.微風が吹いている.ここまで来ると,随分涼しくなる.何時の間にか汗も引いている.
 前方には塔ノ岳が見えている.その上には沢山の夏雲が湧いている.

<花立山山頂>

■塔ノ岳山頂
 9時46分,金冷シを通過する.もう山頂に着いたのも同様である.
 緑陰を楽しみながら最初の階段を登る.そろそろ下山してくる三角髭のTDさんとすれ違っても良いはずだが,どういう訳がTDさんが現れない.三ノ塔にでも登ったのかな.それとも鍋割山を廻ったのかな,
 10時04分,やっと塔ノ岳山頂に到着する.大倉からの所要時間は2時間57分.最悪だが,もともと御身大事,熱中症怖いで登ってきたんだから,長時間掛かったのも当然.とにかく安全に山頂まで登れたことを感謝しなければ…
 山頂の気温は20℃.結構涼しい.
 途中で私を3回追い抜いた城頭巾の方が山頂で寛いでいる.私が近付くと,ニッコリ笑って,
 「ご苦労様…」
と挨拶する.
 上空は晴れてはいるが,一面に雲が湧いていて,富士山は見えない.

<塔ノ岳山頂>

■尊仏山荘
 山頂で四方の写真を撮る儀式を終える.そして,汗が完全に引っ込んでから,尊仏山荘に立ち寄る.
 大倉を私と一緒に歩き始めたTNさんが先客.今日のTNさんの所要時間は2時間46分だったとのこと.私より11分早く到着したことになる.
 今日の小屋番はオーナーのHDさんと,WYさん.華伊達美弥雄さんは不在.
 何となく癖で300円也のお茶を所望する.
 “しまった! サイダーにしておけば良かった”
と思うが後の祭り.
 「あ〜ぁ…! 今日は(山頂まで)3時間もかかっちゃった!」
と愚痴りながら席に座る(正確には2時間57分だが…).
 「速いじゃないですか!」
とHDさんがいう.
 私は,「年令の割には」という暗黙の枕詞が付いているのを察知している.
 暫くの間,小屋番さんやTNさんと四方山話.
 TNさんはナントカという花の写真を撮りに日高(ひったか)辺りまで足を延ばすという.TNさんの元気に脱帽.
 「…私,今月19日から30日まで,外国へ行っていますので,今度,塔ノ岳に登ってくるのは,9月になってからです…私が姿を見せなくても,『あいつ,死んじゃった』って言わないで…」
と挨拶してから,11時30分下山開始.

■ノンビリ下山開始
 山頂には何時の間にか沢山と登山客が屯している.
 お盆のため,今日のバスは土曜日ダイアである.ということは大倉発13時10分のバスに間に合えばいい.涼しい所はなるべくユックリ歩いて,12時55分頃大倉に到着するように下山しようと思う.
 塔ノ岳山頂に誰か顔見知りの人が居ないかなと思いながらキョロキョロするが,知った顔は見当たらない.
 そういえば,今頃の時期は,沿道で花を見掛けることが少ないような気がする.もっとも花のことはサッパリの私が言うことなので余り当てにはならないが…
 それでも,見晴山荘付近では,黄色い花が沢山咲き始めている.確かマルハタケブキという花だと教えて貰ったような気がするが,どうかな?

<花立山荘付近のマルハタケブキ>

■7本100円のキュウリ
 今回は全くの一人旅下山.少々寂しいけれど(寂しいなんて嘘ばっかり),速度,時間の自由が利くので有り難い.
 勝手気ままに下り続けるが,駒止茶屋を過ぎる頃から,だんだんと蒸し暑くなる.ときどきアブが私の周りを旋回するのには閉口する.
 ノソノソと下山し続けて大倉の集落に入る.
 野菜の無人スタンドで7本100円のキュウリを衝動買いする.形は少々不揃いだが,何と言っても安いし,新鮮で美味しい.帰宅してから丸かじりをするのが楽しみである.

<7本100円のキュウリ>

■大倉でご常連にバッタリ
 12時53分にバス停大倉に到着する.
 今日は湿度が高かったためか,衣類はそれほど汗ばんでいない,着替えは持っているが,わざわざ着替えるほどでもない.
 洗い場でタワシに付いているヒルを警戒しながら,登山靴の泥を洗い流す.
 バス停のベンチに座って,ボンヤリとバスの到着を待つ.すると,突然,常連のMGさんが現れる.
 「あれ,(FHさん)来られていたんですか?」
 一体何処ですれ違ったんだろう.MGさんは尊仏山荘に立ち寄らなかったとのことなので,私が尊仏山荘に居る間に,塔ノ岳山頂に到着.そのまま下山されたんだろうということになる.
 バスが到着する.
 バスに乗って,着席して間もなく,今度はTDさんがバスに乗り込んでくる.私が塔ノ岳を登り下りしている間に,TDさんとは一回も会わなかった.これまた不可思議.まあ,イイヤ…
 MGさんのお誘いで,3人で渋沢駅ビル内のMister Donutsに立ち寄る.私はホットコーヒーを所望する.可愛い店員が何回も,
 「お代わりはいかがですか…?」
と廻ってくる.気に入った! 早速,2杯目のコーヒーを頂戴する.でも,調子に乗ると胃を痛めるので2杯で自粛する.

 
<何倍でもお代わりできるコーヒー>    <真ん中の男性は無関係>

■シャワーでサッパリ
 コーヒーブレークを終えて,渋沢発13時47分小田原行急行電車に乗車する.小田原で快速アクティ東京行に乗り換えて,14時57風に大船に到着する.
 15時半頃帰宅.まずはシャワーを浴びて,着衣を洗濯する.そして,先ほど購入したキュウリにシオを一つまみ掛けて食べる.サクサクとした歯応えが実に良い.
 来週19日からの出発に備えて,自宅近くにある掛付けの内科医で健康診断を受ける.血圧が少々高め.高位正常値とやらである.血圧が高い家系に生まれた私の宿命だろう.その他は異常なしで,まあ海外旅行も大丈夫だろう.
 今日は長女,次女のところの孫4人が我が家に勢揃いしている.孫達を見ていると,日頃の憂さが吹っ飛んでしまう(実は憂さなんてもともと無いが…).
 今日も熱中症にならずに済んで,良かった! 良かった!

<ラップタイム>

 7:07  歩き出し
 7:34  観音茶屋
 7:53  見晴山荘
 8:27  駒止茶屋
 8:47  堀山の家
 9:30  花立山荘
 9:46  金冷シ
10:04  塔ノ岳山頂着(20.0℃)
10:30      〃  発
10:41  金冷シ
10:54  花立山荘
11:30  堀山の家
11:49  駒止茶屋
12:13  見晴山荘
12:29  観音茶屋
12:52  大倉着

 [山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
 大倉   発         7:07
 塔ノ岳  着        10:04
 (所要時間)       2時間57 分(2.95h)
 水平歩行速度   7.0km/2.95h=2.37km/h 
  登攀速度        1269m/2.95h=430.2m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発      10:30
  大倉   着      12:52
 (所要時間)        2時間22分(2.37h)
 水平歩行速度    7.0km/2.37h=2.95km/h
 下降速度        1269m/2.37h=535.4m/h
                                   (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/dae5332e90988b80cecb0b8702ace70c
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)

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