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歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(4):八本木から郷原へ

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                          <日枝神社>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(4):八本木から郷原へ
           (五十三次洛遊会)
       2012年10月12日(金)〜14日(日)

※本稿の初出は2012年10月17日である.
 久々に初稿の本文の加除修正を行って,再登録する.


2012年10月13日(土) (つづき)

<安中原市と松井田宿地図>

■安中原市地図(再掲)


■松井田宿地図


<八本木>

■八本木戸長役場跡
 12時53分,八本木戸長役場跡を通過する.
 一般の住宅なのだろうか,敷地に中に「八本木戸長役場跡」の案内杭が立っている.周りには遺構のようなものは何も残っていまい.

<八本木戸長役場跡>

■道祖神
 13時02分,大きな石の道祖神前を通過する.この辺りの道祖神は,丸い形の大きな石を素材に道祖神を作っているのが特徴のようである.
 地域により,道祖神の形状がどのような特徴を持っているかを調べたら面白そうである.

<大きくて丸い石の道祖神>

■馬頭観世音
 続いて,13時10分,馬頭観世音の前を通過する.こちらも丸くて大きな石に馬頭観世音と刻字してある.
 先ほどの道祖神や,この馬頭観音に使われている石は,碓氷川の河川敷で産出されたものなのだろうか.

<大きな石の馬頭観音>

<日枝神社>

■日枝神社の立派な鳥居
 13時12分,村社日枝神社に到着する.立派な鳥居から奥に参道が続いている.ここは村社.立派なお社なので,少し時間を掛けて参拝する.
 境内にある案内板によると,「日枝神社は旧号山王と称し古文書の絵図にもその所在が明示されているが創建の年代は不詳である.現在の社殿は明治四十四年に再建され,拝殿,向拝殿共十三坪六合余,・・・主祭神は大山咋神.明治四十年代には神社統合により,村内の白山神社,諏訪神社などを合祀し,大正十三年に指定村社になった」という.

<村社日枝神社の鳥居と参道>

■日枝神社社殿
 立派な鳥居を潜って参道を奥に進む.突き当たりに紅白の幕を張った社殿がある.
 周りの樹木の深い緑が厳かな雰囲気を醸し出している.辺りには私達以外に人影はなく静まり返っている.
 私達は少し改まった気持ちになって参拝を済ませる.

<日枝神社>

■七福神
 日枝神社の境内を一回りする.境内の片隅に七福神が並んでいる.
  改めて七福神の像を眺めると,どの神様が福禄寿?,毘沙門天はどれ? 七福神の記憶があやふやなので,どの像がどの神様か殆ど見分けられない.
 「なんだ! お前は・・・何年鎌倉に住んでいるんだ! 毎年七福神詣でをしているくせに.何で見分けられないんだよ・・」
と,また,もう一人の私が私を責める.
 「カンベンしてくれ〜ぃ! 頭が悪いんだよ! 特に花や人の名前が覚えられないんだよ・・・自分でも情けないんだよ・・」
と愚痴のような言い訳をする.
 七福神の像を見ていると,私の鎌倉の山の知人,愛称「仙人」に,姿形が全くそっくりの神様を見付ける.“これは縁起が良い!” 早速,知人のお姿をデジカメに収める.
 
<日枝神社の七福神>                                      <鎌倉の山の知人「仙人」そっくり>

<沢山の石像群>

■立派な庚申供養塔
 13時17分,日枝神社近くの立派な庚申供養塔を拝見する.この供養塔を中心に4基の石塔が並んでいる.
 昔の人達の信仰心の強さが偲ばれる.
 
<庚申供養塔と石柱群>

■自性寺
 13時20分,自性寺に到着する.
 傍らにある案内文によると,この寺は,だれが開基したのか良く分からないが,一般に1134年(1134年)開創ということになっている.
 だだっ広い墓地の片隅で,彼岸花が満開である.遠くに見える山は,何という山だろうか.赤城山かな? 榛名山かな? 地理に疎い私には良く分からない.
 資料6によると,「自性寺には2基の宝篋印塔があり,応永3年(1396年)のものは95cm,嘉吉3年(1443年)のものは93cmである.いずれも相輪,笠,身,基礎からなる関東形式の宝篋印塔でである.」

<自性寺の彼岸花>

■また道祖神と供養塔
 自性寺の直ぐ近くに,また大きな丸い石の道祖神がある.その隣に,梵字1字の下に「百■(千?)川供養」と刻字した石塔が並んでいる.これは何だろう?
 この辺りには実に沢山の石塔があるなという印象を受ける.

<道祖神と供養塔>

<郷原と妙義道>

■郷原の妙義道常夜灯
 やがて,中山道は国道と合流する.13時40分,合流点近くの郷原の妙義道常夜灯に到着する.案内杭の後ろに立派な常夜灯と道祖神の石柱が置かれている.
 近くにある案内板の説明によると,「この常夜灯は1808年(文化5年)に碓氷郡碓氷村(現安中市郷原)を中心とする「妙義講」の人々が,信州伊奈郡の石工,向山民吉に建立させたものだという.常夜灯の露面4面と笠の正面には十六辨の八重菊の紋章が彫られている.また,塔身の正面には「白雲山」,東面に「文化五年戌辰四月七日」,西面には「当所講中」,台石には「是より妙義道」と刻まれている.妙義神社への参拝者のための道しるべとなっていたことがわかる.切石積みの台座には,妙義講中六十七名と石工の名前が刻まれている.当時の妙義山への深い信仰心を示している.なお,元々この常夜灯はここから東へ五十メートルの中山道から妙技道への入口にあったが,昭和六十年三月に現在地に移転したものである.」

<妙義道常夜灯>

■山中貞輔氏の碑
 常夜灯に向かって右手に山中貞輔氏の碑がある(写真省略).
 傍らの説明文(上の写真右手)によると,「中後閑より郷原の山中氏へ養子に来て十二代目をつぐ剣撃の師範山中秀次郎の父板鼻の山中三郎の祖先である.学問にたけており江戸時代から明治の初めにかけて寺子屋を開いていた弟子たちが師を偲んで建てた碑である.
 短歌
  月の入る西の都を
      さし行ば
    帰らぬ旅に
      迷路もなし」
書いてある.

■ゆっくり走ろう・・
 自動車の往来がうるさい国道沿いの歩道を歩く.
 13時43分,歩道沿いに沢山のコケシが並んでいるところを通過する.白くてのっぽなコケシがズラリと並んでいて,とても眼に付く.
 良く見ると,1本1本のコケシに1字ずつ文字が書いてある.
 振り返ってみると,「ゆっくりはしろうあんなか」と読める.なかなか面白い.中山道歩きの目的とはちょっと外れるが面白いので写真に撮っておく.

<国道沿いのコケシ>

■展望の枝道を楽しむ
 13時41分,国道から左手の細い道に入る.この細い道も国道とほぼ並行に西へ向かってから,また国道と合流する.
 細い道に入ると,たちまちの内に自動車の騒音が聞こえなくなり,長閑な雰囲気になる.眼下には碓氷川沿いに広がる集落や田畑が見下ろせる.その向こうには榛名山(かな?)と思われる群馬の名峰が見えている.
 素晴らしい展望である.


<枝道からの展望>

                         (つづく)
[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;安中市産業部商工観光課,発行年代未詳,「旧道日和(パンフレット)」安中市観光協会
資料6;http://www.annaka-city.com/index.shtml

[加除修正]
2013/5/21 誤字脱字転換ミスの修正および本文の加筆.引用資料の整理など
        をして再登録する.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a181898a3f1ac0cb951e0df3dd63c85b
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/cb83f2407ddc342c76d760e63eaf732d
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.
※記事の正確さは全く保証しません.

 

 


シロヤシオは残念!・成り行きで丹沢主脈縦走(概要編)

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                        <塔ノ岳山頂付近のシロヤシオ>

  シロヤシオは残念!・成り行きで丹沢主脈縦走(概要編)
       (塔ノ岳常連多数に同行)

2013年5月22日(水) 曇

 まだ当日撮影した写真が全部揃わないので,とりあえずは「概要編」として,ブログに収録する.

 数日前から,海外旅行でご一緒したTさんから,再度,今日(5月22日),丹沢主脈を縦走しないかというお誘いを受けていたが,先週水曜日にこのコースを歩いたばかりだったので,何となく気乗りしないし,仕掛中の雑務も沢山あったので,どうもその気になれない.
 そこで,何時ものように塔ノ岳往復だけを午前中に済ませて自宅へトンボ返りをするつもりで,丹沢へ出掛けた.

 渋沢発大倉行の1番バスには沢山のご常連が乗車している.それらの方々とお話ししている内に,
 「やっぱり,今日も丹沢主脈を歩いてしまおう…」
という気になる.
 その気になった理由の一つに,塔ノ岳から丹沢山へ向かう途中のシロヤシオの咲き具合が少々気になっていることもあった.

 結局,一緒に丹沢主脈を縦走したメンバーは,Taさん,Sさん,Iさん,Tnさん,Tsさん,Tsさんのお友達,それに私の7人.
 勿論,無事に縦走を終わって,バス停青野に無事到着する.

 この縦走記録は,写真の整理が終わったら,2回程度のシリーズにして,このブログに再登録する予定である.
 それで,今回は,取りあえずは塔ノ岳から丹沢山へ向かう途中のシロヤシオの写真を数枚披露することにしよう.






 まあ,ざっとこんな具合で,美しく咲いてはいるものの,2年前の素晴らしかったシロヤシオに比較すると,今年は何とも寂しい感じがする.
 同行者のお一人で,花に詳しい方のお話しでは,シロヤシオが見事な年は,数年おきになるという.その意味では,今年はシロヤシオが残念な巡りになっているかも知れない.

 とはいえ,花と新緑に覆われた丹沢山周辺を散策すると,平素の荒んだ気分が和んでくる.何度でも散策したい所だ.

 ちなみに,下の写真は,2年前(2011年)に撮影したもの.この年のシロヤシオは実に見事だった.

<富士山とシロヤシオ>

                                       (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5f907402330cf341b60a219da14c8930
「丹沢の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8652f337b1fa53a22f093fca3601ca00




シロヤシオ咲く丹沢主脈縦走(1):大倉から塔ノ岳を経由して丹沢山へ

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                          <キレット付近にて>

シロヤシオ咲く丹沢主脈縦走(1):大倉から塔ノ岳を経由して丹沢山へ
           (常連に同行)
      2012年5月22日(水) 晴・雲多い

<ルート地図>



※前回の丹沢主脈縦走の記事に使用した地図と同じ
※後半の地図は次回収録

<大倉尾根を登る>

■バスの中で丹沢主脈へ行く事に…
 数日前からロッキー山脈の旅でご一緒したTsさんから,丹沢主脈を縦走しないかとお誘いを受けていた.でも,先週水曜日に丹沢主脈を縦走したばかりなので,何となく気乗りがしない.
 “まあ,今日の所は,塔ノ岳を往復する程度にしておこう…”
という積もりで,何時も通り,5時10分に家を出発する.
 渋沢発大倉行1番バスは,平日にしては混雑している.Tgさん,Tsさん,Nmさん,Ngさん,Tnさん,Ssさん,Mtさん,Iiさん,Hsさん,Yuさんなどのご常連の顔も見える.
 バスの中で雑談をしている内に,
 “ンじゃ〜ぁ…,オレも丹沢主脈縦走にご一緒するか”
という気になる.
 結局,Taさん,Tgさん,Ssさん,Hiさん,Tsさん,Tsさんのお友達,それに私の7人が主脈縦走に参加することになる.

■見晴階段
 7時07分,バス停大倉から歩き出す.
 Taさん,Iiさん,Ssさん,Tnさんとご一緒.
 例によって,歩き出しの速度は,私にとっては少し速いが,まあ,付いて行けない速度ではないので,我慢して皆さんと一緒に歩く.
 気温21℃.朝からかなり高温である.やっぱり熱射病が気になり始める.
 雑事場ノ平の手前でNgさんに追い付く.暫くの間,雑談をしながらご一緒する.
 やがて,見晴階段に差し掛かる.何時ものように階段を見上げた写真を撮る.画面右下にNgさんの後ろ姿が入ってしまう.階段のか上の方に沢山の登山客の後ろ姿が見えている.

<見晴階段>

■堀山の尾根から雲を撮る
 8時21分,駒止茶屋を通過する.大倉からの所要時間は1時間14分.随分と遅いが,今日は長距離歩行になるので,この程度の速度で自重しなければ…
 間もなく堀山の尾根に差し掛かる.何時の間にか,私が一行より少し先に出ている.
 8時29分,今日も見えない富士山の写真を撮る.

<堀山の尾根から雲に隠れた富士山を撮る>

■ご常連のお二人に追い付く
 8時33分,堀山の家直前の坂道に差し掛かるところで,ご常連のMtさん,Hsさんに追い付く.お二人の後ろから登り続けようと思ったが,
 「お先にどうぞ…」
と譲られてしまう.
 ここの坂道,結構キツイので,嫌なところである.でも譲られたからには,お二人に追い付かれないようにしなければと気ばかり焦る.

<ご常連に追い付く>

■堀山の家でツーショット
 8時38分,堀山の家に到着する.
 今日は平日なのに小屋が開いている.たまたま外に居られるご主人に,
 「あれつ! 今日,平日なのに営業ですか」
と伺う.
 「いや,実は○○があって,…営業はしていないんです」
 「折角だから写真を撮らせて下さい」
とカメラを構える.
 丁度そのとき,登頂2000回のTgさんが到着する.これはラッキーということで,ツーショットを撮らせて貰う.良い記念写真が撮れた.

<堀山の家でツーショット>

■暫くの間一人旅
 程なく,ご一行の皆様が小草平にご到着.皆さんは,ここで休憩を取るという.
 私は,ここから先,花立山荘までに長い登り坂を,皆さんと一緒の速度で歩く自信がないので,ユックリのマイペースを保ったまま登り続ける.できれば,ここからの目標時間40分で花立山荘に辿り着きたい.
 「済みません,ユックリにしか登れませんので,先にボチボチ登っています…」
と声を掛けて,休憩を取らずに登り続ける.
 その間,Ssさんはずっと先を歩いておられる.

<小草平で休憩>

■萱場平
 ツツドリの啼き声を聞きながら,
 “今日は長丁場だから,絶対に無理をしないぞ…”
と自分に言い聞かせる.そして,絶えず自重しながら,ユックリペースを保って登り続ける.
 幸いなことに私の前後には登山者の姿はない.私は周囲に惑わされることなしに,マイペースで,心穏やかである.体調は? とても調子が良い.
 8時57分,萱場平を通過する.
 今日の萱場平は,直射日光が照りつけているわけではないが,何だかムンムンとしていて,草いきれが感じられる.辺りには人影がなく静まり返っている.
 私は木道の間の“ど根性アザミ”の写真を撮りながら,萱場平を通過する.

<萱場平>

■花立山荘
 その後も,ユックリと体力をセーブしながら登り続ける.もうすぐ後7分坂に差し掛かる頃,後ろを振り返るとIiさんが登ってくるのが見える.
 ここでIさんが追い付くのを待っていようかと思ったが,それでは自分の歩くリズムが狂ってしまうので,幾分速度を落としたまま,登り続ける.
 例によって後7分坂はきつくて辛い.1段1段,噛みしめるような思いで登り続ける.
 階段を半分より少し余計に登ったところで,下山してくるNmさんとすれ違う.Nmさんは,私たちと同じ1番バスに乗車されていた方である.相変わらずの韋駄天振りに驚嘆する.
 9時18分,ようやく花立山荘に到着する.大倉からの所要時間は2時間11分.遅い!…でも,この暑さでは仕方がない.
 堀山の家からの所要時間は,丁度40分.こちらはドンピタットである.
 山荘前のベンチには,登山者が2人居るだけで,まだ閑散としている.辺りには雲が立ちこめていて,見通しは次第に利かなくなる.

■花立山山頂
 そのまま,花立山荘を通過して,花立山山頂を目指す.
 体力をセーブしながら登っているので,まあ,まあ,の速度で登り続ける.今日も辺りに雲が湧いていて,視界不良.景色は何も見えない.
 9時27分,ようやく花立山山頂を通過する.花立山荘からの所要時間は9分.まあ,私の標準時間である.
 振り返って後ろを見ると,Iiさんは花立山荘で休憩を取っているのか,姿が見えない.
 “まあ,いいか…山頂まで一人旅を続けよう”
 山頂付近には濃い霧が立ちこめていて,直ぐ近くの塔ノ岳山頂も雲の中である.でも,新緑が私の眼を楽しませてくれる.

<花立山山頂>

■塔ノ岳山頂
 9時32分に金冷シを通過する.もうここまで来れば,塔ノ岳山頂も間近である.
 私は,やたらに速度を落とすこともなく登り続けて,9時49分に塔ノ岳山頂に到着する.
 今日の大倉からの所要時間は2時間42分.やっぱり遅いが,この暑い時期を考えると,まあ,こんなところかなと思う.山頂の気温は15℃.
 丹沢山稜をを縦走するなら,10時少し過ぎには,塔ノ岳山頂を出発したいなと私は思っている.そのため,尊仏山荘には立ち寄らないことにする.ただ,同行の何人かは尊仏山荘に入って,束の間の休憩を取っている.今日の小屋番はオーナーのHさん.

<塔ノ岳山頂で一休み>

■塔ノ岳山頂で記念写真
 休憩を終えて,丹沢山に向かう前に,塔ノ岳山頂で,Iiさんのカメラで,全員の記念写真を撮る.以下はIiさんから頂戴した写真である.
 改めて見ると,なんとまあ! 男性ばかりである.実に殺風景だ.

<塔ノ岳山頂にて;主脈縦走のメンバー>
※Iiさん提供

<丹沢山へ>

■残念なシロヤシオ
 10時06分,塔ノ岳を出発する.前回(5月10日),塔ノ岳を出発したのは10時32分だったので,25分ほど早めの出立である.これならば,前回のように最後でバタバタしなくても,東野発17時35分のバスにユックリ間に合うだろう.
 さて,肝心の塔ノ岳北尾根のシロヤシオの様子はいかがである.
 
<塔ノ岳北尾根のシロヤシオ>


<キレット近くのシロヤシオ>


<綺麗に咲いているシロヤシオもある>
※Iiさん提供

■キレットを越えて
 10時17分,キレットを越える.
 キレットから下を見ると,数年前まで通っていた登山道の木材が散乱している.自然の破壊力は凄いなと思いながら,キレットを通過する.
 いよいよ丹沢山への核心部を歩くことになる.

<キレットを通過>

■振り返ると塔ノ岳
 キレットを通過して,ほんの少し登り坂を進むと,如何にも丹沢らしい尾根道になる.10時21分,今来た道を振り返るとブナの向こうに塔ノ岳が聳えているのが見える.
 平素,塔ノ岳はあまりに馴染んでいるので.凄い山だとは余り感じないが,ここから見上げる塔ノ岳は,実に威風堂々の立派な山である.
 “塔ノ岳も結構格好良いね…”
と言いながら写真を撮る.

<キレット付近から塔ノ岳を見上げる>

■素晴らしい展望
 暫くの間,素晴らしい展望を楽しみながらの稜線歩きが続く.
 晴れてはいるものの,残念ながら雲が湧いていて,富士山は見えない.もし富士山が見えるとしたらこの辺りかなと想像しながら写真を撮る.
 この辺りまで来ると,塔ノ岳を一緒に出発した人達も,歩行速度の差によって,随分と先頭と後尾の人との間が,随分とばらけてしまう.まあ,今回は,グループ登山ではなく,たまたま,何人かが前後しながら同じルートを歩いているに過ぎない.だから,ある程度のバラケは致し方ないなと思う.
 ただ,余りにばらけてしまうと,お互いの連絡が取れなくなるのも困る.そこで,私は,自発的に前のグループと後ろのグループの中間を歩くことにする.

<素晴らしい眺望の稜線歩き>

■日高を通過
 なだらかな登り坂を過ぎて,10時29分,日高(ひったか)を通過する.案内板には,「塔ノ岳1.5km,丹沢山1.1km」と書いてある.もう,丹沢山まで半分以上のところまで来ている.

<日高を通過>

■素晴らしい尾根道が続く
 やがて前方に美しい山が見え出す.丹沢山まであとわずかである.
 相変わらず,素晴らしい尾根道が連続する.目に鮮やかな新緑は,歩いていても実に気分が良い.

<新緑の丘を行く>

■龍ヶ馬場
 ややきつい登り坂を過ぎて,10時42分,龍ヶ馬場に到着する.ここで一息入れるつもりだった私は,私のはるか先を行くTgさんに声を掛けたが,距離が離れすぎていて通じない.
 “丹沢山山頂で,後ろの方の到着を待てばいいか…”
ということで,成り行きで私もそのまま龍ヶ馬場を通過する.
 私より100メートルほど前を,TgさんとSsさんが歩いている.
<龍ヶ馬場>

<丹沢山山頂にて>

■丹沢山に到着
 11時02分,丹沢山に到着する.
 塔ノ岳からの所要時間は56分.標準時間は1時間00分だから,まあ標準時間で歩いたということだろう.
 先着組より多少遅れて,後ろのグループの方々も,丹沢山に到着する.

<丹沢山山頂に到着>
※Iiさん提供

■みやま山荘にて
 TgさんとIiさんが,丹沢山山頂の「みやま山荘」に立ち寄る.Iiさんが,Kwさんとのツーショットを撮影する.
 Tgさんは,みやま山荘で,偶然.休憩を取っていたMt夫妻とバッタリ.

<みやま山荘にて>
※Iiさん提供

■丹沢山で昼食
 私たちは,山頂のベンチに,適当に座って,ソソクサと昼食を摂る.
 丹沢山の山頂は,とても爽やかだが,日射しは滅法強いようである.肌を露出していると,忽ちの内に日焼けしそうである.

<丹沢山頂で昼食;TzさんとHiさん>
※Iiさん提供

■丹沢山頂で楽しい語らい
 たまたま,みやま山荘で休憩をされていたご常連のMt 夫妻が,みやま山荘に入れたHgさんとバッタリ.私たちが丹沢山に居ることを知って,みやま山荘から出てくる.
 Mtさん夫妻との偶然の出会いに,お互いにビックリである.
 Mt夫妻に,
 「どうですか? これから主脈縦走,私たちと一緒にいかがですか?」
と軽くジャブ.
 「ウワ〜・・・残念! 大倉に車を置いて来ちゃったんです!」
 「車なんか明日取りに来ればいいじゃないですか」
 「いえ…それが,車の中にケージに入れたイヌを置いてきているんです」
 それは,それは…まことに残念!

<丹沢山でバッタリ出会ったMt夫妻を囲んで…>
※Iiさん提供

■名残惜しいが丹沢山を出発
 11時24分,心残りだが,私たちは,Mt夫妻とお別れして,丹沢山から蛭ヶ岳をめざしで歩き始めることにする.
 先週,主脈を縦走したときには,丹沢山を11時41分に出発している.前回より17分のアドベンテージがある.まあ,これならば,バス停東野発17時35分のバスに十分間に合うだろう.

<奇しくも丹沢山山頂に常連が揃う>

                                  (つづく)
「続きの記事」
   ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1c28c2d34a99dd9a987b484ec2272b4f

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2db58f26b61e46b945c3b16b3a2bd6fe
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)

シロヤシオ咲く丹沢主脈縦走(2):丹沢山から蛭ヶ岳へ

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                <不動ノ峰近くのシロヤシオ;Iiさん提供>

   シロヤシオ咲く丹沢主脈縦走(2):丹沢山から蛭ヶ岳へ
           (常連に同行)
      2012年5月22日(水) 晴・雲多い

「前の記事」
  ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8652f337b1fa53a22f093fca3601ca00

<ルート地図>


※この地図は前回(5月13日)の地図と同じ.
 塔ノ岳〜丹沢山の地図は,前の記事参照 

<中間点の棚沢ノ頭へ>

■バイケイソウの群生地
 11時24分,丹沢山山頂から蛭ヶ岳へ向けて歩き出す.
 暫くの間,なだらかな下り道が続く.登山道の両側にはバイケイソウが群生している.同行している方の話では,バイケイソウには毒があるので,シカも食べない.だから沢山群生しているとのこと.ただ,最近のどこかの山では,バイケイソウを食べるシカも居るようだとのこと.
 いずれにしても,これだけ沢山のバイケイソウの群生は壮観である.

<バイケイソウの群生地を行く>

■霧の中のトラバース道
 丹沢山からの下り坂を過ぎると,見晴の良い稜線歩きになる.稜線の南側(進行方向左手)から雲が盛んに湧き上がっている.そのため,南側の視界は全く利かないが,北側の谷間はとても良く見えている.
 11時36分頃,前方になだらかな山が見え始める.山の南側斜面に素晴らしいトラバース道が続いているのが見える.私より遙か前方を歩いているTgさんの後ろ姿がちいさく見えている.また,下り坂で見えない所をSsさんが下っている.私は,お二人との距離がだんだんと広がるのが気になるが,とてもこのお二人には追いつけない.
 前の方との間隔もさることながら,後ろとの間隔も大分広がっている.こちらも気にはなるが,今回は何となく同行することになった仲間で,最初からグループになっていたわけでもないので,“コレデイイノダ”ということにしておこう.

<霧の中のトラバース道>

■休憩小屋を通過
 トラバース道を過ぎると,やや急な登り坂になる.この坂を少し登ると,進行方向左手に休憩小屋が見え始める.
 11時55分,ようやく私も休憩小屋に到着する.私の先を歩いていたHgさんとSsさんが,休憩小屋の前で私たちの到着を待っている.私もここでは休憩を取らずに通過する.私のすぐ後ろにTnさんとIiさんが居られるのは分かるが,その他の方々がどの辺りを歩かれているのか良く分からない.


<休憩小屋の前を通過>

■シカ除柵沿いの散策路
 休憩小屋を過ぎてから暫く進むと,シカ除柵沿いの道になる.辺りは広葉樹林に覆われた丘のような地形になる.静かで何とも言えないほどの美しいところである.
 私は心の中で,
 “素晴らしいな〜・・・良いところだなあ・・・”
と思いながら歩き続ける.
 この辺りで,またもや先を行くTgさんとSsさんのお二人との間が空いてしまう.

<シカ除柵沿いの散策道>

■不動ノ峰
 12時03分,不動ノ峰に到着する.
 不動ノ峰道標と,私のすぐ後ろに居られるTnさんとIiさんを入れた写真を撮る.
 ここまで来れば,丹沢山と蛭ヶ岳の中間点まで,あとわずかである.

<不動ノ峰>

■棚沢ノ頭
 不動ノ峰から先は,起伏に富んだ山道が続く.辺りは広葉樹林帯である.心地よい散策路といった感じである.
 12時22分,棚沢ノ頭に到着する.ここから蛭ヶ岳まで1.8キロメートル,丹沢山からは1/7キロメートル歩いたことになる.従って,この辺りが,丹沢山と蛭ヶ岳の中間点ということになる.
 先頭を行くTgさんとSsさんの姿は,もうずっと先で,姿は全く見えない.

<棚沢ノ頭>

<鬼ヶ岩ノ頭>

■素晴らしい広葉樹林帯
 棚沢ノ頭を過ぎて暫くの間は新緑の広葉樹林帯が続く.実に気分が良い.
 “新緑に癒されるなあ…” 
と思いながら,ゆっくりと通過する.
 “これだから,山歩きは止められない.”

<広葉樹林帯の中を行く>

■鬼ヶ岩ノ頭に到着
 広葉樹林帯を抜けると,いきなり大きな岩が目の前に現れる.鬼ヶ岩ノ頭である.時計を見ると12時26分.ここから先は地形が激変する.
 私たちより先に鬼ヶ岩ノ頭に到着したTgさんとSsさんが写真を撮り合っている.
 ここから先,クサリ付きのガレ場が2箇所待ち受けている.

<鬼ヶ岩ノ頭>

■クサリ場を下る
 鬼ヶ岩ノ頭を過ぎると,ちょっとしたクサリ場がある.特にクサリを必要とするほどでのないガレ場だが,慎重に下る.
 辺りには,濃い霧が湧き始めている.
 「岩場はどうも苦手なんだ…」
 「結局,馴れですね…」
と,私の後ろの方で,どなたかが話している声が聞こえてくる.
 私も岩場や高所は苦手である.

<鬼ヶ岩ノ頭のクサリ場>
※この写真はIiさん提供

■花が出迎える
 クサリ場を通過すると,一旦なだらかな尾根道になる.
 道路際の草花の写真を撮りながら,ノンビリと歩き続ける.
 
<クサリ場を過ぎると草花が私たちを出迎える>

■もう一つのガレ場
 12時36分,2番目のガレ場に到着する.ここも慎重に下山する.
 ここさえ通過すれば,このコースにはもう危険な所はない.皆さん,慎重に下っている.

<2番目のガレ場>

■Kmさんにバッタリ
 12時36分,蛭ヶ岳から下山してくるKmさんとバッタリ出会う.思いがけない出会いである.
 暫く立ち話.
 Kmさんは檜洞丸経由で丹沢主稜を縦走してこられたという.これから丹沢山,塔ノ岳を経由して大倉に下山するとのこと.
 Kmさんは,
 「疲れましたよ…」
とおっしゃるが,それは外交辞令.ビンビンされている.正に驚嘆の馬力である.
 「どうですか? 一緒に東野へ下山しませんか?」
 「いや,今日は○○の約束があって,大倉へ降りなければならないんです」

<Kmさんとバッタリ>

<蛭ヶ岳>

■蛭ヶ岳山荘に到着
 小さな登り下りを過ぎて,長い登り坂に差し掛かる.絶えず霧が視界を遮りそうになるが,前方に見える小高い丘の上に経っている小屋の屋根が見え始める.
 「あっ! 蛭ヶ岳山荘が見え始めましたよ」
 やがてバイケイソウが繁茂する斜面沿いの木道に差し掛かる.ジグザクの木道や階段を登り詰めて,12時54分に蛭ヶ岳山荘に到着する.
 丹沢山からの所要時間は1時間30分.標準所要時間は1時間35分なので,一寸速い時間で到着したことになる.先週の主脈縦走では13時26分に蛭ヶ岳に到着しているので,前回に比較すれば32分も早い.このままならば,今回は,時間的にかなり余裕がある筈である.

<蛭ヶ岳山荘前に到着する>

■蛭ヶ岳山頂のモニュメント
 蛭ヶ岳山荘に立ち寄っていると,また,時間に余裕がなくなるかもしれないので,今回は山荘には立ち寄らずに,山頂の休憩所に直行する.
 まずは,ベンチマークの蛭ヶ岳山頂モニュメントの写真を撮影する.
 晴れていれば絶好のビューポイントだが,今日は雲が掛かっていて,残念ながら眺望は全く利かない.

<蛭ヶ岳山頂のモニュメント>

■主脈と主稜の分岐点
 蛭ヶ岳山頂から,姫次方面に向かう丹沢主脈と,檜洞丸方面に向かう丹沢主稜とが分岐する.私たちはこの分岐から丹沢主脈方面に向かう予定である.
 もし,ここから主稜を辿って,檜洞丸に向かうとすれば,まだ4.6キロメートルも山道を歩かなければならない.先ほどすれ違ったKmさんは,この道を辿ってきたのかと思っただけで疲れてしまう.

<主脈と主稜の分岐点>

■ベンチは登山客で大賑わい
 山頂のベンチは沢山の登山客で賑わっている.若い方々のグループのようである.
 私たちは,先客の男性が座っているベンチに同席させて貰う.先着のTgさん,Ssさん,Iiさん,それに私の4人が男性を囲むように座る.
 休憩を取りながら,こちらの男性と雑談をさせていただく.仮に男性のお名前をStさんとさせていただく.Stさんは日野在住.平素は高尾・奥多摩方面の山へ出掛けることが多く,丹沢方面へ足の延ばす回数は少ないという.
 雑談をしている内に,次第に打ち解けてくる.
 Stさんに問われるままに,私たちが,たまたま塔ノ岳で知り合った仲間で,住所もバラバラだと説明する.Stさんは私たちの存在に興味を持たれたようである.
 考えてみると,私たちは,ただ塔ノ岳に登っているという共通点があるだけで,前歴も住所もバラバラだし,過去の地位や名声は塔ノ岳には一切無関係.ただ,ただ,塔ノ岳に登るから知り合いになっている…考えてみれば面白い.でも,前歴もヘッタクリも無関係で,塔ノ岳という一点の共通点だけ.何の束縛もなく,勝手気ままに過ごせるので,有り難い仲間である.
 そうこうしている内に,ベンチに居た若い方々のグループが出発する.ベンチに残ったのは,Stさんと先着の私たち4人だけになる.

■蛭ヶ岳でバンザイ
 Stさんを交えて雑談をしている間に,私たちの仲間も全員が揃う.
 蛭ヶ岳山頂に到着した皆さんが,それぞれにバンザイをしながら写真に収まる.それらの写真の中から1枚だけサンプルとして掲示する.

<蛭ヶ岳山頂でバンザイ>

■蛭ヶ岳山頂で集合写真
 蛭ヶ岳を出発する前に,蛭ヶ岳山頂のモニュメントの前で集合写真を撮る.Stさんにカメラのシャッターを押してもらう.残念ながら私のデジカメは使わなかったので,私の手許には,この集合写真はない.
 もし,後日,この写真が入手できたら,このブログに掲載させていただく積もりである.
 13時30分,全員揃って蛭ヶ岳を出発,姫次方面に向かって歩き出す.
 先週の主脈縦走のときは,蛭ヶ岳を13時41分に出発している.今回は前回に比較して,11分のアドバンテージがある.
 “まあ,これなら青野発17時35分のバスに,十分,間に合うな…”
と胸算用する.
                                      (つづく)
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「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/2db58f26b61e46b945c3b16b3a2bd6fe
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)







シロヤシオ咲く丹沢主脈縦走(3):青野へ下山

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                            <姫次付近にて>

   シロヤシオ咲く丹沢主脈縦走(3):青野へ下山
           (常連に同行)
      2012年5月22日(水) 晴・雲多い

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<ルート地図>


※前掲と同じ地図

<蛭ヶ岳から姫次へ>

■盆栽のような大木
 12時54分に蛭ヶ岳山頂に到着した私たちは,ここで昼食を取る.そして,13時30分に蛭ヶ岳山頂を出発,主脈線に沿って姫次に向けて歩き出す.
 姫次方面への下山口に,素晴らしい木が数本ある.如何にも過酷な風雪に耐えたというような雰囲気を持った木である.私たちは異口同音に,
 「素晴らしい木だなあ…!!」
と話し合う.

<姫次方面への下山口に生える威風堂々の木>

■延々と続く木の階段
 蛭ヶ岳山頂を出発すると,いきなり急な下り坂が続く.以前は随分と荒れた道だったが,今は木製の階段が延々と作られているので,極めて歩き易い.
 私たちは先頭を歩く方の歩行速度に合わせてごくユックリとした速度で下山し続ける.蛭ヶ岳山頂でたまたまお会いしたStさんも私たちの列に入って一緒に下山し続ける・
 およそ15分ほど下ったところで,お二人の方が先頭を歩いていた方を追い越して,列の先頭に出る.そして,何時もの塔ノ岳登山の時のように,ご自分に適した速度で下山し始める.随分と高速である.途端に列が長くバラケ始める.
 先頭を行くお二人は,途中からの分岐点を正確にはご存じない筈である.私はどうしようか迷ったが,今日の参加者の中に,分岐点を正確に分かっている人が私を含めて2人居る.それならば,私は先行グループに付いて行くのが正解だろうと判断する.

<木の階段が延々と続く>

■緑一杯の展望
 長い木道を下り終えると,前方に広大な展望が開ける.
 地形図で調べる余裕はないが,深い谷間は多分青根方面と思われる.立派な橋も見えている.上空は晴れているが,目線と同じぐらいの高さに薄雲が掛かっているので,谷間の先の山並みはあまりハッキリとは見えない.でも,とにかく雄大な風景である.
 私も先頭を行くお二人の後を追って,かなり高速で下山し続ける.
 後ろを振り返ると,何時の間にか,Ssさん,Iiさんも私の後ろに居られる.結局,私たちは前の5人,後ろの2人の小さなグループ二つに分かれた形になる.ただ,どちらのグループにも正確なルートを知っている人が居るので,道に迷う心配はない.ならば,ここは何時もの大倉尾根方式に従って,それぞれが応分の速度で下山するのも良かろうと思う.

<緑一杯の展望>

■再び樹林帯へ
 14時02分頃,再び木の階段が連続するようになる.階段を下りおえて,広葉樹林帯の中に入り込む.木の間をクネクネと廻る登山道は,大倉尾根の雰囲気と大分変わっているので,とても新鮮に感じる.
 先頭を行くSsさんと,そのすぐ後ろを行くTgさんはますます快調に飛ばす.その後を追う私は結構大変である.

<快調に飛ばして樹林帯に入るSsさんとTgさん>

■蛭ヶ岳と姫次の中間点
 急坂を下り終えると,ほぼ水平で新緑が美しいトラバース道になる.相変わらず先行のお二人は快調である.
 14時07分,「蛭ヶ岳1.6km 姫次1.6km」の案内番を通過する.私は内心で,
 “まだ,姫次までの半分か…! まだ,まだ,先は長いなぁ〜”
とガッカリ.

<蛭ヶ岳と姫次の中間点を通過する>

■地蔵平
 相変わらず緑陰の長閑な散策路が続く.緩やかな下り坂である.
 14時12分,地蔵平を通過する.
 私の前にはSsさんとTgさん,後ろにはTnさんとIiさんが続いている.暫くの間,まるで飛行機の編隊飛行のように,このままの順序で急速に下山し続ける.私は歩きながら,後ろのグループのことが少々気になっている
 地蔵平という名称の由来は,私には全く分からない.この辺りに地蔵尊が安置されているのかとも思うが,近くを見渡したところでは,そのようなものは見当たらない.

<地蔵平を通過>

■原木屋平
 相変わらず心地よい緑陰の散策路が続く.
 14時18分,原木屋平を通過する.ずっと以前,ここに山小屋があったと聞いているが未確認.
 ここに「蛭ヶ岳2.5km 姫次0.7km」の案内板が立っている.
 “う〜ん…姫次まで,まだ,ちょっとあるな”
と思いながら通過する.

<原木屋平>

■シンドイ登り坂
 やがて前方にこんもりとした山が見え始める.
 “うえ〜…,,,あの山を登るのか”
と思うと少々ゲンナリする.
 でも,この山に近付くと,山の尾根から少し下のトラバース道になっていることに気がつく.進行方向左手を見上げると,この山の尾根が延々と続いている.
 やがて道はやがて登り坂に差し掛かる.坂を登るにつれて次第に勾配が増す.
 坂の途中で,Tgさんが,
 「後ろからユックリ行きますよ…」
と言って,私の後ろになる.
 私の歩行速度も,もう一杯一杯である.先頭を行くSsさんに付いて行こうと思うがもう限界.だんだんとSsさんと私の間の距離が開いていく.
 「その先の姫次で休憩を取りましょう…」
とSsさんに声を掛けてから,もうSsさんを追いかけるのを諦める.
 登り坂をフウフウ言いながら登って,14時31分に,やっと姫次に到着する.
 私より先に姫次に到着したSsさんが,姫次のベンチに腰を下ろしている.

<姫次で休憩>

■振り返ると蛭ヶ岳
 私が姫次に到着して間もなくTnさんとIiさんが相次いで姫次に到着する.一同一緒にベンチに座り込んで休憩を取る.
 日射しは結構強いが,涼風が吹き抜けるので,実に心地よい.ベンチから振り返ると,先ほど休憩を取った蛭ヶ岳が聳えているのが見える.
 “あんなに高い所から下ってきたのか”
と思うと感慨一入である.

<蛭ヶ岳を眺めながら姫次で一休み>

■日野のStさん
 後続を待ちがら休んでいると,先ほど蛭ヶ岳山頂でお会いした日野のStさんがヒョッコリ現れる.
 「いや〜ぁ…皆さん,速いですね…,後ろと400メートルほど離れていますよ」
とStさんが言う.
 “そんなに離れちゃったか! ちょっとマズイな…”
とは思うが,こればかりは致し方ない.
 なかなか後の組が姫次に到着しない.その内に,速組のお一人が,
 「どうせ青野へ降りることが分かっているんだから,先に降りましょうよ」
と提案する.
 躊躇していると,Stさんが,
 「後ろから来られる方とも会ってから下山したいので,私,待っていますよ.皆さんが先に出掛けたことを伝えておきますよ」
と提案する.
 「それでは,申し訳ありませんが,お願いします」
ということで,私たちは14時40分に姫次を出発する.
 なお,Stさんは東海自然歩道を辿って私たちとは別の方角に下山されるとのこと.

<日野のStさんを囲んで>

<避難小屋分岐から急坂を下る>

■避難小屋分岐
 暫くの間,緩やかな下り勾配の道が続く.この道は東海自然歩道に指定されている.そのためか,総じて道幅は広く歩き易いが,道路のメンテナンスが必ずしも十分とは言えず結構荒れている.
 14時54分,青野に下る最初の道の分岐,八丁坂ノ頭に到着する.
 私たちは八丁坂ノ頭を見送って,さらに10分ほど先へ進んで,15時04分,避難小屋分岐で左折して枝道に入る.

<避難小屋分岐>

■延々と続くザレたジグザグの急な下り坂
 分岐から枝道に入った直後は,平坦で素晴らしい小径が続く.しかし,ものの5分も経たないうちに,ザレた急坂が始まる.木の根っこが無秩序に張った急な下り坂が連続する.礫や砂利がゴロゴロと転がっているかと思うと,滑りやすい土道になる.
 十分に注意しながら歩いているつもりだが,殆どの人が石車に乗ったり滑ったりで,かなり難儀しながらの下山である.こんな厄介な道が,これでもか,これでもか,と思うほど連続する.その内に,ザレ道の下りに馴れた人と,そうでもない人との間がどうしても空いてしまう.
 無駄口を叩く余裕もなしに,ひたすら下り続ける.
 15時36分,急勾配のジグザグ道を下り終えて,川の畔に到着する.残念ながら川は涸れていて,水は流れていないが,ここで一休みすることにする.
 急な下り坂もここでやっと終わりである.

<水が涸れた河原で一休み>

■林道と交差
 15時42分,山道から飛び出るような感じで林道に出る.この林道を横断して,すぐにまた山道に入る.
 ここからの山道は,随分と荒れている.谷筋の左岸を高巻きしながら下り続ける.2ヶ所,トラバース道が崩れて,少々危険な所がある.
 途中,大きな砂防ダムの脇を通過する.

<林道を横切る>

■谷川を2回徒渉する
 私たちは何時の間にか隣の谷の右岸を歩いている.この谷川の名前は調べていないが,冷たくて綺麗な水が流れている.
 一旦川を徒渉して左岸に渡るが,すぐにまた徒渉し返して,再び左岸に渡る.
 ここで,暫時,顔洗い休憩を取る.冷たい川の水が,火照った顔を冷やしてくれる.

<冷たい川の水で一休み>

<長い林道歩き>

■林道に出る
 15時52分,漸く林道に出る.ここから青野までの長い林道歩きが始まる.
 この調子ならば,青野発17時35分のバスには,十分すぎるほど間に合うと確信する.相変わらず先頭を歩く人の歩行速度が速いので,付いて行くのが大変である.
 林道に降り立ったところから暫くは舗装道路が続くが,途中から完全な砂利道になる.

<林道に出る>

■二つのゲート
 長い林道歩きである.退屈きわまりないが,林道歩きはやむを得ない.イヤになるほど歩いて,16時10分,漸く最初のゲートを通過する.でも,まだ砂利道が続く.ゲートを通過するとすぐに「青野まで2km」の案内標識がある.さらに歩き続けて,16時16分,2番目のゲートを通過する.
 2番目のゲートを通過すると舗装道路になる.前方には民家が見え始める.ここまで来るとバス停青野が近いと肌で感じる.
 林道の山側沿いに潅漑用の水路が設置されている.そろそろ田植えの時期である.水路一杯に冷たい水が滔々と流れている.
 
<最初のゲート>                      <2番目のゲート>

<いよいよ青野>

■青根の集落に入る
 林道に引き続き舗装道路をひたすら下り続ける.
 道路は青根の集落に入る前に,潅漑用水路と枝分かれして,少し急な下り坂になる.この下り坂を辿って,16時29分頃,青根の集落に入る.この集落を下れば間違いなくバス停青野に到着するはずである.

<青根の集落が見え始める>

■バス停青野に到着
 集落の中の下り坂を歩き続けて,16時34分に,無事,バス停青根に到着する.
 三ヶ木行バス発車時刻は17時35分.また,やまなみ温泉行のバス発車時刻は17時30分.どっちにしても,1時間ほど待ち時間がある.
 ちなみに,1本前の三ヶ木行バスの発車時刻は,16時05分.もし,途中の休憩時間をもう少しセーブすれば,十分間に合いそうな時間である.

<バス停青野>

■I商店でノンビリ時間を過ごす
 まずは,バス停近くのI商店という店に入る.一寸したスーパーのような店である.火照った身体が冷たい食べ物を欲しがっている.そこで,氷菓を購入.店の前に置いてある空き箱に座り込んで,ゆっくりと賞味する.
 私たちの仲間に,この店の女将との知り合いの方が居られるので,女将との雑談に花が咲く.一時,たまたま買い物に来られたご近所の奥さんや,女将の母親も雑談に加わる.
 私も少々気になっていたことを伺ってみる.
 「この辺りの皆さんの主な生業は何なんですか? 林業?・・・・」
 「いえ,林業は今はもうダメ…大多数の方々は会社などに通っていますよ…」
 さらに雑談をしている内に,女将の母親が,私より2歳年上だと分かる.
 「山に登るなんて…それにしても,あなたは随分と若くて元気ですね」
と私に言う,何だか妙な褒められ方をしてくすぐったい.
 いつまでも,お店に居座っているわけにもいかないので,バス停付近の日陰に移動する.ここも暑くも寒くもなくて心地よい.
 17時10分頃,後から来られたお二人も,無事,バス停に到着する.

<I商店>

<JR藤野駅を経由して帰宅>

■やまなみ温泉行のバスに乗車
 前回の主脈縦走のときは,三ヶ木経由で橋本までバスで出たが,随分と時間が掛かってしまい,自宅に辿り着いたときは20時30分を廻っていた.
 “ひょっとして,やまなみ温泉経由で中央本線藤野駅に出たら,早く帰宅できるかもしれないな”
と淡い期待を持った私は,Tnさんと連れだって17時30分発のやまなみ温泉行のバスに乗車する,橋本に出る他の皆さんより一足先の出発である.
 小さなバスに乗客は私たち2人だけ.やまなみ温泉までの乗車賃は1人200円.それにしては随分と乗り出がある.乗客は終始私たち2人だけ.バスは曲がりくねった下り坂を快調に走る.

■藤野駅から八王子へ
 17時52分,バスは漸くやまなみ温泉バスターミナルに到着する.バスターミナルには小型のバスが2台駐車している.広場の奥に小さな待合室がある.
 藤野行のバスが出るまでに30分以上の待ち時間がある.そこで,待合室の掃除をしていた女性に,タクシー会社があるかどうか伺う.女性は私たちを待合室に案内して,電話帳を開く.老眼の私には字が良く読めない.同行のTnさんにタクシー会社に電話を掛けていただく.
 18時08分,タクシーに乗車する.タクシーは,随分と長い間,坂道を下り続ける.やがて,タクシーは,大きく右カーブしながら相模川に掛かる橋を渡って,川の右岸から左眼に渡る.そして,さらに相模川沿いに下り続ける.
 車窓からは,先ほど下った尾根と思われる山が随分と高く聳えているのが見える.
 “あんな高い所から下ってきたんだな…”
と今更ながら驚く.
 18時17分,ようやく藤野駅に到着する.タクシー代は2人の割り勘で1人当たり千円弱.
 幸いなことに電車の接続が良くて,18時27分発立川行の電車に乗車する.車内は意外に混雑しているが,何とか座席に座れる.
 私は八王子から?浜線に乗り換えるか,それとも立川.武蔵小杉経由のルートにするか迷うが,まあ,今日の所は,Tnさんと一緒に八王子で下車することにする.

<藤野駅>

■茅ヶ崎経由で帰宅
 18時45分,電車は八王子駅に到着する.丁度ラッシュアワーである.人波に乗って,跨線橋を渡り,?浜線ホームに向かう.丁度,18時52分発の相模線経由茅ヶ崎行の電車に間に合う.ここでTnさんとお別れして,この電車に飛び乗る.
 勿論,座席には座れないが.押しくらまんじゅうにならなければ,立っているのも苦にならない.やがて橋本駅に到着する.ここで,前回,バスで橋本に出たときに乗車した電車と同じ電車に乗っていることに気がつく.
 結局,やまなみ温泉経由にしても,タクシー代など余計な経費が掛かるだけで,橋本経由と所要時間に差がないことが分かる.今後,もし丹沢山稜から青野に下山する機会があったら,迷わずバスで三ヶ木から橋本に出ることにしよう.
 20時43分,ようやく帰宅する.私には,もう眠たくて堪らない時間である.

<ラップタイム>

 7:07  大倉歩き出し
 7:35  観音茶屋
 7:52  見晴山荘
 8:21  駒止茶屋
 8:38  堀山の家
 9:18  花立山荘
 9:32  金冷シ
 9:49  塔ノ岳山頂着(10:06発)
10:17  キレット
10:29  日高
10:42  龍ヶ馬場
11:02  丹沢山山頂(11:24まで休憩)
11:55  吾妻屋
12:03  不動ノ峰
12:12  棚沢ノ頭
12:26  鬼ヶ岩ノ頭
12:54  蛭ヶ岳山頂(13:30まで休憩)
14:12  地蔵平
14:18  原小屋平
14:31  姫次(14:40まで休憩)
14:54  青根分岐
15:04  避難小屋分岐
15:42  林道
16:34  バス停東野着

 [山行記録]

■水平距離       21.5km

■累積登攀高度     2080m

■塔ノ岳までの登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:07
   塔ノ岳  着       9:49
 (所要時間)  2時間42 分(2.70h)
   水平歩行速度   7.0km/2.70h=2.74km/h
   登攀速度    1269m/2.70h=470.0m/h

■所要時間(休憩時間を含む)
  大倉  発       7:07
  東野  着      16:34
 (所要時間)   9時間27分(9.45h)
 水平歩行速度     21.5km/9.45h=2.27km/h
                                  (おわり)
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「丹沢の山旅」の前回の記事
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「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)  
 

シロヤシオが見頃になり混雑する丹沢;塔ノ岳(今年28回目)

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                        <塔ノ岳山頂付近のシロヤシオ>

  シロヤシオが見頃になり混雑する丹沢;塔ノ岳(今年28回目)
           (常連に同行)
       2013年5月25日(土) 晴

■シロヤシオを見るために…
 つい3日前の水曜日に丹沢主脈を縦走したときに,塔ノ岳から蛭ヶ岳に向かう登山道でシロヤシオを見たばかりだったが,今日(5月25日),やっぱりもう一度シロヤシオを見ようと思って,何時も通りの時間,5時10分に自宅を出発する.
 毎度,同じことばかり書いているが,今日は休日.厄介な小田原での階段2段跳び乗換をしなくても良いので,朝から気楽ムードである.
 何時ものように6時40分に渋沢駅に到着するが,案の定,大倉行きの臨時バスが既に発車したらしくて,大倉行バス停にでバスを待っている人は居ない.私と同じ東海道本線の電車で来られた常連のYtさんと2人だけ.でも,下り電車が到着すると,忽ちの内にバスは満席となる.
 バスが大倉に到着する.常連のTgさんと,Tnさんが,常連の到着を待っておられる.私たちの他に,Tmさん,Hsさん,Kiさんなど多くの常連を見掛ける.

■登山客が数珠繋ぎに登っている
 7時07分,Tgさん,Tkさん,Tmさんと一緒に大倉から歩き出す.今日は土曜日,私たちの前後には沢山の登山客が列をなしている.
 私たちの先頭は口髭のTkさん.私の経済速度よりやや高速で歩かれる.まあ私にも付いて行けないほどの速度でもなので,少々きついなと思いながらも,Tmさんの後ろに付いていく.
 7時29分,観音茶屋を通過する.今日は湿度がやや高いので,それほど速い速度でもないのに,じんわりと汗をかき始める.
 相変わらずTkさんの後に付いて登り続ける.その間,かなり沢山の登山客を追い抜く.やがて,トラバース道に差し掛かる頃,ご常連のTsさんに追い付く.久々の再会である.
 「あなたのブログ,見ていますよ…」
と言われて恐縮する.

<数珠繋ぎの登山客>

■見晴階段
 8時45分,見晴山荘を通過する.そして,いよいよ第1関門の見晴階段に差し掛かる.ロートルの私にとって,大倉尾根で最初に出会う難所である.この坂道を,先頭を行くTdさんの後に付いて登るのは到底無理.Tdさんとの距離がじわりじわりと開いていく.
 坂を見上げると,実に沢山の登山客が数珠繋ぎになっている.
 見晴階段を無事通過して,モミジ坂に差し掛かる.前を行くTdさんとの距離は20〜30メートルほどである.まだ,どうしようもないほど離れているわけではないが,無理をして追い付くのは止めようと思う.

<登山者が数珠繋ぎになっている見晴階段>

■堀山の尾根道
 やがて,駒止階段に差し掛かる.階段の途中で大汗をかきながら,ほとんど止まりそうな足取りで登っておられる方が何名かいる.多分,ペース杯分を誤って,ここまでに馬力を出し過ぎたのだろうと想像する.
 大変申し訳ないが,止まりそうになっている方を追い越させていただき,8時14分に駒止茶屋を通過する.大倉〜の所要時間は1時間07分.この時期としては,私にとって,まあ,最適の所要時間だと思う.
 堀山の意尾根道に入る.尾根には爽やかな風が流れている.大変気分がよい.ただ,残念なことに,どうやら雲の中に入ったようで,富士山のビューポイントに到着しても富士山は雲の中である.でも,例によって見えない富士山の写真を撮る.
 ここで,下山してくるKsさんとすれ違う.Ksさんの話によると塔ノ岳山頂は晴れていて富士山が良く見えるという.山頂からの景色を期待することにしよう.



<堀山の尾根から見えない富士山の写真を撮る>

■萱場平
 8時32分,堀山の家に到着する.今日はまだ早い時間なのに,もう開店している.小草平のベンチで数名の登山客が休憩を取っている.
 「私,ここから花立山荘まで,約40分のマイスピードで登りますので,お先にどうぞ…」
と同行のお三方に先頭を譲る.譲ったと言っても,登攀速度にそれほど大差はないので,暫くの間はご同行諸氏のすぐ後ろに付いて登り続ける.
 途中,道幅の狭い階段道で,20〜30人ほどのグループに追い付く.グループ登山だから仕方がないが,随分とノロノロ足である.仕方なく後ろについて登る.その内に最後尾のサブリーダーが,後ろに私たちが居るのに気が付く.すぐに私たちに道を譲ってくれる.話を伺うと大坂から来られたグループのようである.
 追い越し際に,グループのお一人から,
 「近くにお住まいですか?」
と聞かれる.
 「はい…」
と答えると,
 「近くに,(丹沢のような)良い山があって良いですね」
と言う.
 “なるほど! 言われてみれば,確かに近くに丹沢があって恵まれているな”
と自分たちの住んでいる場所に良さを,あらためて認識させられる.
 9時06分,萱場平を通過する.私のすぐ前を行くTgさんとTnさんの後ろ姿が写っている.
 私は,例によって,木道の間で繁茂する“ど根性アザミ”の写真を撮る.この写真を撮っている間に,前を行くお二方との距離が開いてしまう.私は,すぐに,
 “もう,お二人の後を付けるのは止めよう…”
と諦め,ゴーイングマイウェーモードに切り替える.
 ベンチで,常連のKiさんとMtさんが休憩を取っている.
 「(韋駄天の)お二人に付いていくのは大変ですよ…」
と愚痴を一くさり言って,先に行かせてもらう.私の愚痴を聞いて,Kiさんが,
 「えへへ…」
と笑っている.

<萱場平を通過>

■花立山荘
 その後も,堀山の家〜花立山荘間40分モードを意識して,登攀速度を微調整しながら登り続ける.
 やがて,後7分坂に差し掛かる.前を行くお二人とは40〜50段の差が付いている.
 “ダメ,ダメ,…急いではダメ!”
と自制しながら登り続ける…が,この自制が随分と辛い,ともすれば,身の程知らずで登る速度が速くなってしまう.その揚げ句,汗ビッショリになって,疲労困憊.これが最悪のパターンだ.
 “こんな最悪のパターには絶対ならないぞ”
と自制し続ける.
 9時12分,花立山荘に到着する.辺りは濃い霧に覆われている.涼しい.
 大倉を歩き出してから,花立山荘までの所要時間は2時間05分.まあ,こんな所だろう.ただし,堀山の家から花立山荘までの所要時間は,予定通り40分ドンピシャである.この点では今日は大成功である.
 花立山荘前のベンチで数名の登山客が休憩を取っている.私より1〜2分早く花立山荘に到着したTgさんとTnさん,それに常連のHmさんが雑談をしている.

<花立山荘>

■花の写真を撮りながら…
 私は,雑談中のお三方に,
 「足が遅いので,先にユックリ登っています…」
と挨拶して,そのまま登り続ける.
 花立山荘を過ぎると,気温が一段と下がり,さらに涼風があるので,火照った身体にとても気持ちがよい.
 花立山のガレ場に差し掛かる.相変わらず,辺り一面に雲が立ちこめていて,富士山はおろか,直ぐ近くの鍋割山稜も見えない.それでも,私は立ち止まって遠くは何も見えない写真を撮りまくる.
 私が写真を撮りながらモタモタしていると,何時の間にか,Tnさんが私のすぐ後ろに居る.
 「花の写真でも撮りながら,ユックリ登りましょう…」
とTnさんが私に言う.勿論,私に異存はない.
 9時21分,2人揃って,花立山を通過する.

<花立山山頂付近>

■花の写真を撮りながら…
 馬の背付近では,ミツバツツジが沢山咲いている.花オンチの私には,正確な花の名前は分からないが.そんな私でも,花の美しさ感動する.
 Tgさんと一緒に花の写真を撮りながら,ノンビリと登り続ける.

<馬の背手前で撮影>

■おい! シカよ! その草食べるな!
 馬の背の手前,尾根沿いの細い道で,若い数名の登山者が立ち止まっている.また,大きなグループが居て渋滞しているのかな…と,思いながら列の後ろに付く.
 すると渋滞ではなく,近くに居るシカ見物で立ち止まっていることが分かる.
 すぐ近くの茂みで,2頭のシカが無心に草を食んでいる.
 「オイッ! その草は食べるなよ…!」
と同行のTnさんが,シカに注文を付ける.
 でもシカはTnさんの忠告を無視して食べ続ける.その様子を見て,立ち止まっている見物客はニタニタしている.
 私たちは見物客の先に出させて貰う.

<無心に草を食むシカ2頭>

■見事なトウゴクミツバツツジ
 9時27分,金冷シを通過する.
 金冷シから最初の階段を登っていると,見事なトウゴクミツバツツジがある.ここでまた道草.存分に写真を撮る.



<金冷シから最初の階段でトウゴクミツバツツジの写真を撮る>

■塔ノ岳山頂
 9時41分,Tnさんと一緒に塔ノ岳山頂に到着する.
 大倉から山頂までの書状時間は2時間34分.途中で道草をした割りには,かなり良い結果のように思える.多分,歩き出しから見晴山荘辺りまで,高速のTkさんの後について歩いたからだろうと思う.山頂の気温は15℃.カラッとしていて気持ちがよい.
 私たち二人が山頂に到着した直ぐ後にTgさんとHmさんが到着する.

<登山者で賑わう塔ノ岳山頂>

■久々に富士山の展望を楽しむ
 私は,何時ものように塔ノ岳山頂からの眺望をデジカメに収める.
 上空は見事に晴れ上がっている.丁度目線の高さに棚引いている雲の上に,雪を被った富士山が見えている.今日は愛用のバカカメラではなく,ちょっと上等なカメラを持参しているので,茫洋とした富士山も何とか写し込めたようである.
 太平洋側から雲が沸き上がっていて,丁度,花立山辺りで尾根を越えている.花立山荘付近では辺りの景色が全く見えなかった理由が,この画面を見ると良く分かる.

<久々の富士山>

■尊仏山荘
 塔ノ岳山頂での儀式を終えて尊仏山荘に入る.今日の小屋番はW林さんとHさん.ネコは2階でお休み中で,客席には現れない.
 天気が良いので,外にいる方が気持ちがよいのか,山頂には沢山の登山客が屯しているのに,尊仏山荘は閑散としている.私とほぼ一緒に塔ノ岳山頂に到着したTgさん,Tnさん,Hmさん以外の常連客は,尊仏山荘になかなか現れない.多分,塔ノ岳山頂に到着したその足で,シロヤシオ見物のために丹沢方面に向かったんだろうと思う.
 300円のお茶を所望する.お茶を賞味していると,何時も日曜日にお会いするMmさんがヒョッコリと山荘に入ってくる.暫く山荘で雑談してから,丹沢山まで往復すると言って小屋を出発する.

■美しいシロヤシオを堪能する
 12時10分頃,シロヤシオを見るために,私も尊仏山荘から外に出る.
 さすがにキレット付近まで下っていくだけの気力はないが,キレット手前ぐらいまでは降りてみるつもりである.
 たった3日前の5月22日に丹沢主脈を縦走したときには,シロヤシオは殆ど咲いていなかったが,今日は見事に咲いている.ただシロヤシオが当たり年だった2年前のシロヤシオの風景に比較すると,今年は見劣りするのはやむを得ない.
 でも,そうは言っても,今年も美しいシロヤシオを存分に楽しむことができて良かった.
 以下に今年(平成25年)のシロヤシオの写真を何枚か披露することにしよう.






■塔ノ岳山頂で集合写真を撮る
 12時25分頃,塔ノ岳山頂に戻る.
 今日は常連仲間の情報連絡係Yuさんの企画で,12時30分に塔ノ岳山頂で酒豪写真を撮ることになっている.
 山頂は沢山の沢山の登山客で大混雑である.その中に常連の皆さんも沢山居られる.12時30分頃,集まった10数名の常連の方々の集合写真を撮影する.残念ながら私のカメラで撮影したのではないので,ここで披露することはできない.

■沢山の登山客とすれ違いながら下山する
 10時43分,私は登山道が混雑しないうちに下山しようと思って,たまたま近くに居合わせたMgさん,Ydさんと一緒に下山し始める.
 山頂から木道に入ろうとしたときに,常連のHwさんが,丁度,塔ノ岳山頂に到着する.Hwさんは金曜日に登ると良く会う常連さんである.
 Mgさんを先頭に3人一緒に下り続ける.お二人とも結構速いので付いて行くのが少々きつい.特に急な下り坂では,どうしても間が空いてしまう.
 まだ沢山の登山者が数珠繋ぎになって登ってくる.登山道が狭いところではすれ違うのに一苦労する.
 11時丁度に花立山荘を通過する.山荘前のベンチは登山客で鈴なりの状態である.
 その後も登ってくる登山客と絶えずすれ違いながら,11時22分に萱場平に到着する.ここでほんの1〜2分経ち休憩を取る.休憩中にMgさんから珍しいお菓子を頂戴する.

■懇親会には欠席し直帰する
 12時48分,無事,大倉に到着する.
 Mgさんと,Ydさんは,14時から開催予定の常連懇親会に出席するとのことなので,ここでお別れして,私は大倉発13時12分渋沢行のバスに乗車する.まだ早い時間なのに,バスは満員である.
 渋沢駅,小田原駅での接続がかなり円滑だったので,14時33分に大船に到着する.15時前には余裕を持って帰宅する.
 塔ノ岳に登った当日は,山へ行ってきたという満足感が得られる.でも,翌日になると,また,山登りがしたくなるので,困ったものである.

<ラップタイム>

 7:07  歩き出し
 7:29  観音茶屋
 8:45  見晴山荘
 8:14  駒止茶屋
 8:32  堀山の家
 9:12  花立山荘
 9:27  金冷シ
 9:41  塔ノ岳山頂着(15℃)
10:43      〃  発
10:55  金冷シ
11:06  花立山荘
11:22  戸沢分岐(11:24まで休憩)
11:35  堀山の家
11:52  駒止茶屋
12:16  見晴山荘
12:30  観音茶屋
12:48  大倉着

 [山行記録]

■水平距離         7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:07
  塔ノ岳  着       9:41
 (所要時間)  2時間34 分(2.57h)
 水平歩行速度   7.0km/2.57h=2.72km/h
 登攀速度    1269m/2.57h=493.8m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発       10:43
  大倉   着       12:48
 (所要時間)  2時間05分(2.08h)
 水平歩行速度     7.0km/2.08h=3.37km/h
 下降速度     1269m/2.08h=610.1m/h
                                  (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8652f337b1fa53a22f093fca3601ca00
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)

※誤字脱字転換ミスの修正,推敲は後刻実施する.

?浜;関内・山下公園・みなとみらい地区周遊

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                        <汽車道から“みなとみらい”を望む>

    ?浜;関内・山下公園・みなとみらい地区周遊
      (パスポート受け取り序でに単独散策)
      2013年5月24日(金) 晴

<ルート地図>



<鎌倉中央公園を抜けて大船へ>

■新しいパスポート
 今日は,かねてより申請中のパスポートの公布日である.?浜関内まで行かなければならない.
 良い年をして,何で今頃パスポート?
 実は,前回,パスポートを申請したとき,私は5年後にトウネントッテ70歳になる計算だった.私はそんなにロートルになった頃,海外旅行に出掛けるなどあり得ないと思ったので,有効期限が5年のパスポートを取得した.それにわずかな金額の差だが5年パスポートの方が,10年パスポートより手数料が幾分安かったからだ.
 ところが,瞬く間に,5年が経過し,気がついたときは私のパスポートは有効期限を過ぎていた.
 さて,その5年間で私がどうなったかである.結論から言えば,いろいろ細々とした身体のトラブルはあったものの,毎年,相変わらず年間50〜60回丹沢塔ノ岳に登っているし,北アルプスの高山にも年に1〜2回は出掛けている.また,昨年は白内障の手術を受けた関係で海外登山には行かなかったが,それまでは毎年1回海外の高山にも出掛けている.まあ大過なくトウネントッテ70歳を通過してしまった.
 …で,まあそんなわけで,今年もどこか海外へ出掛けてみようかという気になっている.それには,まずは失効しているパスポートを返上して新しいパスポートを貰わなければ…という次第である.
 今度は,思い切って有効期限10年のパスポートを貰うことにしたが,いくら何でも新しいパスポートの有効期限が切れるトウネントッテ80歳では,山へなど到底行けないだろう.
 …ま,ともかく今日は?浜関内まで,パスポートを撮りに行かなければならない.
 今日の天気は上々.実に気持ちがよい.そこで,自宅から大船までは乗り物に乗らずにブラブラ歩きをしようと決め込む.

■鎌倉中央公園のハンゲショウ(?)
 自宅近くの鎌倉中央公園清水塚口から公園に入り,山崎口へ向かう.
 私は名だたる花オンチ.多分,ハンゲショウかと思うが,今年も勢いよく育っている.これからが楽しみだ.

<ハンゲショウ>


<これ何の花? ショウブ,アヤメ? 私には区別付かない>

■アジサイが少し色付き始めた
 山崎口から公園を出る.公園近くの民家のアジサイが色付き始めている.アジサイを見ると,もうすぐ梅雨になるなと連想する.
 さて,何件か依頼を受けている鎌倉アジサイ案内のコース設定をそろそろしなければ…さて,どこを廻ろうか.

<あじさいが色付き始めた>

■Becker’sで軽食
 ブラブラ歩きを続けて.山崎から大船に抜ける.バスで220円掛かる道のりである.歩数にして約7000歩.
 大船駅構内にあるn\Becker'sに惰性で立ち寄ってしまう.何時ものようにブレンドコーヒーとオニポテを所望する.この程度の飲食で結構小腹が治まるから有り難い.

<大船駅構内Becker’s にて>

<?浜公園から山下公園>

■?浜公園
 大船駅から根岸線の電車に乗って関内駅へ.
 関内駅から?浜公園を横切って,山下公園方面に向かう.今度の土日に何か催し物があるらしく,?浜公園から日本大通りかけて,おびただしい数のテントが張られている.
 私は?浜市民ではないので,一体何が始まるのか全く分からないが,延々と続くテントの列を見て唖然とする.
 “随分と大規模だなぁ〜・・・”

<沢山のテントが並ぶ?浜公園>

■パスポート受領
 山下公園近くにあるパスポートセンターで,新しいパスポートを受領する.パスポートセンターは随分空いていて,全く待ち時間なしに交付を受ける.これで,お金さえあれば,外国旅行に出掛けることができる.
 さて,どこへ行こうかな? 近場の東南アジアか,それとこヨーロッパにしようかな?
 とにかく,9月一杯に日本を出発するツアーは円高時代のレートで料金が設定されているので,海外旅行に行くなら9月までのツアーに参加するのが得だなと思っている.

■山下公園をブラブラ
 拍子抜けするほど速くパスオート受け取ったので,真っ直ぐ帰宅する気にならない.折角だから,少し山下公園をブラブラしてみようと思う.
 山下公園に入る.
 丁度昼下がりの時間帯である.この近くの職場で働くサラリーマンやOLらしい方々で公園は賑わっている.見渡したところ,ベンチに空きがない.ただボンヤリ立っていても仕方がないので,園内をあちこち歩き回る.

<昼下がりの山下公園>

<?浜れんが街へ>

■長い高架歩道を歩く
 随分と沢山の高校生程度の若者が山下公園を歩いている.
 私も何となく彼らに付いて歩く.気がつくと,何時の間にか,長い橋のような歩道橋を歩いている.これまで,私は何回も山下公園付近まで通っているが,この長い橋を渡るのは初めてのような気がする.
 この橋からの眺めは確かに面白い.

<長い歩道橋を行く>

■?浜れんが街に到着「
 若者の後をついて行ったら,?浜れんが街に到着する.
 私も,勿論,?浜れんが街という施設があることは知っていたが,わざわざ訪れる気にもならないままでいた.
 今回は,若者の後について歩いたお陰で,やっと?浜れんが街を見物することになる.
 何となく,日本離れした雰囲気が漂っている.

<?浜れんが街に到着>

■香辛料の匂い漂う異国の地?
 れんが街は,外を見ただけで通り過ぎようとしたが,若者の集団が建物の中に入っていくのを見て,私も中に入る気になる.
 入口のドアーを開けると,強烈な香辛料の匂いが漂っている.狭い通路の両側には雑貨店,飲食店などが建ち並んでいる.内部の雰囲気は,どう見てもアメリカかヨーロッパ風である.正直なところ,こんなに身近なところに,異国風の場所があるなどとは全く想像していなかった.

<外国のような雰囲気>

■洒落た地図
 れんが街の建物から外へ出る.廻りには見馴れた高層ビルが見えているので,およその自分の位置は分かるが,どこをどう通ったら面白いかが良く分からない.
 ところが,この辺りの観光案内図があちこちに設置されているので,自分がどこにいるのかがすぐ分かる.なかなか便利である.

<あちこちに設置された案内図>

<みなとみらい地区へ>

■サークルウォーク
 やがて,遠景の高架歩道に到着する.サークルウォークと呼ぶらしい.
 何気なしにサークルウォークを歩いている内に,自分が何度ぐらい歩いたのかが良く分からなくなり,うっかり360度廻って元に戻りそうになる.
 もう一度方向を確かめてから,汽車道の方へ向かうことにする.

<サークルウォーク>

■おしゃれなウォーキングデッキ
 サークルウォークから,大きな建物沿いの長いウォーキングデッキが続く.途中にベンチが幾つも置いてある.ベンチに座って,外の景色を眺めながらランチなんていうのも良いなと思いながら,デッキ道を歩く.
 ウォーキングデッキは,大きなデパートのような建物で終わりになる.そこから階段を下りると,汽車道の入口がある.

<おしゃれなウォーキングデッキを行く>

■汽車道
 ウォーキングデッキから階段を下りると,汽車道入口である.道路の真ん中に線路が残っている.前方にはみなとみらい地区のシンボル,ランドマークタワーが見えている.
 あのビルの高い所に,私が務めていた会社の営業所がある.ときどきはこの営業所を訪れたことがあるので,なんとなく懐かしい.でも,あんなに頻繁に営業所を訪れていたのに,そこから目と鼻の先にある,汽車道を歩いたことがないというのは,誠に不思議である.

<汽車道を歩く>

<みなとみらい>

■帆船日本丸
 やがて,前方に帆船日本丸が見えてくる.
 ここに帆船が停泊しているのは,先刻,承知の助だったが,ついぞ間近にこの船を見たことはなかった.
 今日は,この船をじっくり見るのに絶好のチャンスだったが,夕方,大船で昔の職場の方々と待ち合わせをしているので,見ている暇がない.残念なら,外から船を見ただけで通過する.

<帆船日本丸>

■空気圧縮機
 暫く進むと,木の間から何やら巨大な金属の塊が見え隠れする.近付いて見るとごつい空気圧縮機である.
 傍らにある説明板の記事によると,?浜船渠株式会社(現在の三菱重工)がアメリカから輸入したものだという.

<巨大な空気圧縮機>

■?浜ランドマークタワー
 やがて,JR桜木町駅前の動く歩道に到着する.この辺りは現役時代にも頻繁に来ていたところなので,敢えて今日ブラブラ歩きをする積もりはない.
 ランドマークタワーの前を素通りする.

<?浜ランドマークタワー>

<?浜駅へ>

■無機質で直角,直角の街を行く
 ランドマークタワーを過ぎると,歩道を歩く人の数もめっきり少なくなる.
 ここまで歩いてきたんだから,序でにこのまま?浜駅まで歩いてしまうことにする.ただ,太陽がジリジリと照りつけるし,道路からの光の反射も強いので,ヤケに蒸し暑い.
 背丈はそれのドタカクはないが大きなビルや,ホームセンターなどが,広い道路の両側に建ち並ぶ.辺りには緑が少ないので,何となく無機質で,建物の角の直角,直角ばかりが目立つ那智並みである.
 “こんな感じの都会へ行ったことがあるな…はて,どこだったろう?”
そんなことを考えながら,ひたすら歩き続ける.
 “ああ…そうだ! ダラスだ.ダラスがこんな感じだった”
 ひょっとしたら私の思い違いかも知れないが…
 進行方向左手に大きな空き地がある.そこを通り過ぎて交差点を渡る.前方には?浜駅前の百貨店の建物が見えている.私はこの百貨店のビルを目標にして,この交差点を左に曲がる.
 日産グローバル本社の前を通過して,次の交差点で右折する.

■?浜駅に到着
 だんだんとビルが建て込んできて,街並みが息苦しい雰囲気になる.
 14時04分,?浜駅地下街入口に到着する.
 当初の予定では,これから一旦家に戻って,再び,17時に待ち合わせ場所の大船に戻るつもりだったが,家と大船の間を往復するのが面倒になる.
 “ならば,家には帰らずに,少し道草をしよう…”
と宗旨替え.
 自分の行動を成り行きでクルクルと変えてしまうのが私の欠点である.
 …で,ルミネの6階(だったかな?)にある有隣堂に入り込む.そして,有隣堂の書棚を隅から隅まで廻って立ち読みをする(結局何も買わなかったが…).
 ここはさすがに大きな本屋である.特に宇宙・天文,地学関連の書籍や,水彩画関連の書籍のあるところで,長い時間を費やす.序でにコンプ−たー関連のコーナーでも何か良い本はないかなと探す.
 こんなことをしていると,瞬く間に時間が過ぎてしまう.
 16時過ぎに,
 “これはいかんぞ…”
ということで有隣堂を後にする. 

<花の会>

■再び大船へ
 ?浜駅から湘南新宿ライン逗子行の電車に乗車する.電車は混雑していて座れないが,押しくらまんじゅうでなければ,多少の時間,立っていても苦にならない.
 16時45分頃,大船駅に到着する.
 私は生来せっかちである.約束の時間の30〜40分前に集合場所に到着してから,近くのコーヒーショップで時間を過ごすのを常としている.そんな私にとって集合時間の15分前は,コーヒーを飲む間もないので遅すぎる.仕方なしに,コーヒーショップには入らずに改札口付近で出席者の到着を待つ.
 今日は元の職場で一緒だった部下2人と私の3人の会である.半年に1回定期的に落ち合っている.最低な上司だった私ごときを囲んで,この回をずっと開いていただいている,何とも嬉しいことである.
 約束の時間10分前に全員が揃う.
 なお,この回はフラワーヒルにちなんで“花の会”と言っている.

■会場は大船ルミネのドイツ料理店
 場所をあちこち探すのは面倒なので,大船ルミネ7階の某ドイツ料理店で懇親会を開いている.3人は数十年にわたって苦楽を共にしてきた仲間である.近代五種すべて駄目な私は落ちこぼれ管理者であった(注;私の上司は,酒,タバコ,麻雀,カラオケ,ゴルフを近代五種と呼んでいた).そんな私をこのお二人が支えてくれたのである.今になっても,感謝,感謝である.
 私もこのお二人とならば忌憚のない話もできるし,ジョッキ1杯程度の生ビールだっていってしまう.
 楽しい語らいの内に,瞬く間に2時間ほど経過してしまう.また,11月頃,懇親会をやろうということでお開き.
 
 
<ちょっとハイカロリーだが実に美味>

■一体私は何をしていたんだろう
 懇親会で気分が良くなった私は,このまま自宅まで歩いて帰ろうかと随分迷ったが,暗い道を歩くのもまずいかなと思い直して,バスを利用して帰宅する.
 “それにしても,今日一日,オマエは何をやっていたんだ…なんで紐の切れた風船のように,あっちへフラフラ,こっちへフラフラと迷走しているんだ!”
と憎たらしいもう一人の私が私を責める.
 “お前さんの言うとおりだよ…もう少し計画的に行動しなければ駄目だな”
と反省すること頻りである.
 残された人生,もっと大切にしなければ…

<ラップタイム>

10:30  鎌倉中央公園清水塚口歩き出し
11:10  大船駅着(Becker's で軽食)
11:41   〃  発
12:05  関内駅歩き出し
12:10  ?浜公園(パスポートセンターでパスポート受領)
12:42  山下公園
13:01  ?浜れんが街
13:23  汽車道
13:38  ?浜ランドマークタワー
14:04  ?浜駅地下街入口
14:08  ?浜駅着

[散策記録]

※鎌倉中央公園清水塚口から大船までを除く

■水平歩行距離      5.0km

■累積登攀高度       11m

■累積下降高度       11m

■所要時間(休憩時間込み)
   関内駅 発         12:05
   ?浜駅 着         14:08
  (所要時間)    2時間03分(2.05h)
 水平歩行速度   5.0km/2.05h=2.44km/h
                            (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f0ee19ddf8159f4f7f9f7ff2ad295f1b
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)

陽春の鎌倉中央公園・常磐緑地周遊

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                           <鎌倉日当公園>

      陽春の鎌倉中央公園・常磐緑地周遊
           (単独プチ散策)
      2013年5月27日(月) 高曇り

<ルート地図>



<緑鮮やかな鎌倉中央公園>

■春の田んぼ
 午前中は雑務に追われてあっという間に過ぎてしまった.
 昼食後,一休みしたところで,このまま家でゴロゴロしていてはブロイラーになっちゃうという恐怖感もあって,ちょっとその辺りを散策しようかと小銭だけを持って出掛ける.
 自宅近くの鎌倉中央公園清水塚口から中興公園に入った.このときは,疎林広場辺りを軽く一回りして帰宅するつもりだったが,心地よい陽気に誘われて,山崎口にあるしし岩を経由して広場の方まで少し足を延ばす.
 うららかな春の日射しに誘われて,谷戸を遡る.廻りを山に囲まれた田んぼに水が引かれている.もうすぐ田植えのようである.信州の山奥出身の私には,こんな風景が堪らなく懐かしい.

<鎌倉中央公園の田んぼ>

■白い花
 田んぼを過ぎて,自然なままの谷戸を遡る.
 白い花が見事に咲いている木が何とも美しい.勿論,花のことなどサッパリ分からない私には,この花の名前など,全く分からない.でも,綺麗だな,見事だなと思う.

<白い花にここ後が和む>

■梶原へ
 日当公園から階段道を下る.
 こんなに緑に囲まれたところでも,住宅地の真ん中に位置している.私たちが住んでいるこの住宅地は,交通が多少不便ながら緑豊かなところである.外を出歩くことが好きな私にはもってこいな場所だと思っている.
 坂道を下り終えると,梶原のバス道路に突き当たる.

<日当公園から梶原バス通りへ>

<常磐緑地>

■旧野村総研入口
 バス通りまで降りると,目の前に旧野村総研入口がある.今は鎌倉市の所有になっていて,建物以外の所には,日中に限って自由に出入りできる.
 たまたま数台の自家用車が,出入り口から出てくる.
 “そういえば,もう何年も中に入っていないな…”
と改めて思う.
 “では,ちょっと覗いてみようか”
 またまた,私の中の風来坊が頭をもたげる.
 私が最初に野村総研を訪れたのは,かれこれ30年ほども前のことである.勿論,当時,ここの野村総研は健在だった.私は某電機メーカーの社員だった.野村総研の研究成果は,来るべき時代を見据えるのに大変役立ったものである.
 当時,私は付加価値通信網に関わりを持っていた.その関係で野村総研に出向いたことがある.その日の朝,東京の職場に行かずに,家の近くの野村総研に直行したので,随分,遅く家を出ても間に合ったし,何よりも通勤電車に乗らなくて済むのがとても嬉しかった.野村総研で何をしたのか今では全く覚えていないが,朝が楽だったことは鮮明に覚えている.
 当時の私の職場は,本社所属ではあったが丸の内の本社ビルが狭かったので,浜松城駅近くの猥雑なビルに事務所があった.そこに比較すると野村総研は閑静美しい森の中,とても恵まれた環境なので羨ましかった.できれば私もこんな閑静なところで仕事をしてみたいなと羨ましかった.
 あれから幾星霜.
 今考えると,グウタラ者の私では,閑静な環境に居たら,多分,居眠りばかししていて,何の研究成果も出せないだろうなと自己分析する.その理由は,自分の過去を振り返って見ると,大部分のアイデアや方策は,机に座っているときに思いついたのではなく,散歩や山歩きの途中や,乗り物に乗っているときなどに,フト思いついたものが圧倒的に多いからである.
 まあ,それはともかく,懐かしい気分を抱きながら,常磐緑地の一角でもある坂道を登る.

<旧野村総研への坂道>

■旧野村総研
 長い坂道を登って,旧野村総研の建物に到着する.
 建物の外観は,以前とそう変わったところも見当たらない.現在,内部への立ち入りは禁止されている.
 玄関に近付いて,内部の様子を伺う.30年ほど前に訪れたときはピカピカだったロビーも,悲しいことに今は随分と荒れ果てている.何とはなしに“栄枯盛衰”という四字熟語が頭を過ぎる…別に野村総研さん自体とは無関係なことだが.
 そういえば,あのときお会いしたTさんという研究員の方は,今,どうされているんだろうか.多分,私と同年代か少し若い方だったと思うが…
 建物の前で少し感傷的になった私は,木を取り直して,建物裏手に回ってみる.裏手の広場では,幼児を連れた親子連れが数組遊んでいる.微笑ましい風景である.

<旧野村総研>

■広大な竹林
 旧野村総研の裏手の竹林に向かう.心地よい散策路が続く.ここまで足を延ばす人は少ないようである.
 ただ,人手不足のためか,竹林の手入れは行き届かず荒れている.「竹林が荒れているので竹の子を採らないでくれ」という趣旨の注意書きが何カ所かに立っている.

<竹林の中の散策路>

■旧野村総研グラウンド
 散策路の突き当たりに旧野村総研グラウンドがある.勿論,今は鎌倉市の所有になっている.ここで春の日射しを浴びながら,ゆっくり弁当でも食べたいなと思う.
 誰も居ないグラウンドの片隅で暫く休憩.
 その内に,ご近所の方だと思うが,犬をグラウンドで遊ばせている.

<旧野村総研グラウンド>

■藪道を下る
 旧野村総研を通過して山道に入る.
 少々荒れた藪道である.この道を真っ直ぐ辿ると裏大仏ハイキングコースに出るが,私は途中から右折して小さな尾根沿いの踏み跡道に入る.
 途中,倒木があったり,木の間をググったりしながら,下り続ける.

<やや荒れた山道を行く>

<北条常盤邸跡>

■タチンダイ分岐
 やがて,深い森を抜けて,視界が開け,狭い畑の脇道に出る.畑を通過するとジグザグの急な下り坂になる.浮き石がゴロゴロしていて少々歩きにくい坂道である.
 坂道を下り終えると道幅がやや広い小径に突き当たる.この分岐点に「タチンダイ」と書いてある案内標識が立っている.

<タチンダイの案内標識>

■タチンダイのヤグラ
 案内標識に従って谷戸の奥に向かって歩く.辺りは広場になっている.ここは北条氏常磐亭跡の一角である.
 広場の突き当たりには立派な2層のヤグラがある.この写真の左手にも,半分埋もれたヤグラが幾つかある.
 周囲の夏草は刈り込まれていて,気持ちよく見学することができる.
 ヤグラの近くに案内板が設置されている.ここにはタチンダイなどについての詳細な説明が書かれている.

<タチンダイのヤグラ>

<市役所通りに沿って>

■北条氏常磐亭跡
 タチンダイから往路を戻って市役所通りに出る.そして市役所通りを西へ向かって歩き出す.歩き出してすぐに「北条氏常磐亭跡」の案内板がある.
 北条氏常磐亭の由来などは,この案内板の説明で明らかであろう.

<北条氏常磐亭跡>

■円久寺
 さらに西へ向けて歩く.
 途中,コンビニに立ち寄って,氷菓を購入,身体を冷やす.コンビニで休憩をしている内に,そろそろ家に戻ろうという気持ちになる.
 ここから,また常磐緑地に登り返すのも趣があるが,今日の所は,最短距離で委託へ戻ることにする.
 コンビニからさらに西へ向かって歩く.
 途中,常盤山円久寺の前を通過する.ここは日蓮宗の寺である.この寺の由来などの説明は,今回省略する. 

<円久寺>

■八雲神社
 続いて八雲神社に到着する.
 参道の階段を登るのが面倒なので,鳥居のところで黙礼をして通過する.
 この神社の由来は,下の写真「常磐八雲神社由緒」の通りである.



<八雲神社>

<梶原から丸山へ>

■不思議な井戸
 八雲神社の先の交差点で右折してバス通りに入る.交差点から藤沢方面に少し歩いたところに不思議な井戸があるのに気がつく.
 面白いので写真に収める.
 どうやら使ってはいなそうだが,いざとなったら使えるだろう.何だか微笑ましい井戸である.

<不思議な井戸>

■山の上ロータリー
 梶原口から梶原住宅地に入る.
 住宅地内の道路を適当に歩く.どの道を通っても登り坂である.
 「そろそろ矛を収めて帰宅するか…」
 16時10分,山の上ロータリーに到着する.こうして,私はミニミニ散策は終わる.
 “オレって…暇だなあ!”

<山の上ロータリー>

<ラップタイム>

14:55  鎌倉中央公園清水塚口歩き出し
14:22  しし岩
14:33  鎌倉中央公園梶原口
14:37  日当公園
14:45  旧野村総研入口
15:05  旧野村総研グラウンド
15:19  タチンダイ分岐
15:22  タチンダイ
15:26  市役所通り
15:42  円久寺
15:43  八雲神社
16:10  山の上ロータリー
16:13  鎌倉中央公園清水塚口着

 [散策記録]

■水平歩行距離        5.6km

■累積登攀高度        215m

■累積下降高度        215m

■所要時間(休憩時間を含む)
  歩き出し    14:55
  歩き終わり   16:13
  (所要時間)  1時間18分(1.30h)
 水平歩行速度      5.6km/1.30h=4.31km/h
                              (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/7f0a04de3710cb4a96724ec9a5578e1f
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c435f553346be0f3b395d36d8be59af4


台峯緑地・鎌倉アルプスと鎌倉2大公園の緑陰を辿る

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                         <明月院のアジサイが色付き始めた>

   台峯緑地・鎌倉アルプスと鎌倉2大公園の緑陰を辿る
          (単独ハイキング)
        2013年5月29日(水) 曇

<ルート地図>



<山内から北鎌倉へ>

■山内配水池から散策路に入る
 関東地方は明日から雨の日が連続するようである.それならば,今日の内に塔ノ岳を往復したかったが,朝の内にどうしてもやってしまわなければならない用件があったため,残念ながら塔ノ岳には行けなかった.
 しかし,雨に煩わされずに歩けるのは今日だけ.貴重な一日である.
 私はそそくさと要事を済ませて,久々に鎌倉アルプス(天園ハイキングコース)を一回りしようと決める.
 出発地点は,何時もの鎌倉散策と同じ.鎌倉中央公園清水塚口(バス停鎌倉中央公園入口と同じ)である.
 清水塚口を出発した私は,坂道を登って山の上ロータリーで左折し,住宅地内の尾根沿いの道を源氏山公園方面に向かう.さらに日当公園を通過して,レストランブランブルグ手前で左折して山内配水池裏手から山内の散策路に入る.
 散策路に入った途端に,むせるような緑陰の香りが漂っている.

<山内配水池から緑陰の散策路に入る>

■山内展望台
 山内の見晴の良い場所に到着する.仮に山内展望台と呼ぶことにしよう.
 畑の向こうに六国見山,その右にこれから登る予定の建長寺勝上献が見えている.
 つい先日,ここから辺りを見回したときは,新緑が目に鮮やかだったが,5月も下旬ともなると,随分,緑も濃くなっている.いよいよ夏も近いなというのが実感だ.

<山内展望台から六国見山を望む>

■台峯展望台
 尾根道を辿って,台峯緑地に入る.
 例によって,展望の良い休憩所(仮に台峯展望台と呼ぶ)に立ち寄る.
 湧き上がるような緑に覆われた山の向こうに六国見山が聳えている.眼下には北鎌倉の街並みが見えている.何時ものことながら素晴らしい眺望である.鎌倉で一番眺望がスバラシのは多分ここだろうなと思っている.



<台峯展望台から六国見山を望む>

■北鎌倉駅
 北鎌倉女子学園グラウンドを経由して北鎌倉へ下山する.
 北鎌倉駅近くのコンビニに立ち寄って,オニギリ2個を購入してから,一旦,北鎌倉駅に立ち寄る.
 駅周辺は観光客,高校生,修学旅行の生徒達でかなり賑わっている.
 


<明月谷から勝上献へ>

■明月院のアジサイ
 北鎌倉駅から裏道を通って,明月院の前を通過する.
 明月院のアジサイは,少し色付き始めているが,見頃を迎えるのは,もう少し先のようである.
 この辺りは観光客で賑わっている.

<明月院のアジサイ>

■今泉台登山口
 明月谷を遡る.
 今日はジメジメしたところは通りたくなかったので,今泉台の住宅地まで急坂の舗装道路を登る.
 住宅地に入ってすぐに右折して山に突き当たるまで歩く.山に突き当たって右折する.さらに50メートルほど歩くと「天園ハイキングコース 建長寺約1.1km,瑞泉寺約4.3km」と書いてある案内板がある.ここが今泉台からの登山口である.

<今泉台登山口>

<鎌倉アルプス周遊>

■勝上献
 ハイキングコースに入る.雰囲気が一転して深い緑陰に包まれる,
 “涼しいな…”
が第一印象である.
 まずは登り坂の石段道になる.何人かのハイカーとすれ違う.左手には六国見山が見えている.
 石段を登りきると赤土の登山道になる.登山道は大きな樹木に囲まれている.
 今泉台登山口から7分ほどで勝上献展望台に到着する.先着の登山客数名が狭い展望台で食事をしている.そのため展望台は大混雑である.
 展望台からのパノラマを写真に収めてから,ソソクサと退散する.
<勝上献展望台からの眺望>

■十王岩
 ここからは鎌倉アルプスのポピュラーコースである.
 まずは十王岩を通過する.ここは「かながわ景勝50選」のひとつで有名なところだが,今回は展望を楽しむのは省略して,先を急ぐ.
 数年前までは,いつもここで数名の方々と落ち合って,鎌倉のあちこちを一緒に歩いていたが,何時の間にか,この方々との交流も途絶えてしまった.

<十王岩>


<景勝50選の案内>

■薬師如来
 天園を目指して,峠沿いの道を歩く.心地よい緑陰の道である.
 やがて,四国八十八箇所大窪寺薬師如来に到着する.わざわざ石段を登るのが面倒なので,石段の下から手を合わせただけで通過する.

<大窪寺の薬師如来>

■百八ヤグラ前の十字路
 11時53分,百八ヤグラ前の十字路に到着する.ここは夏になると涼しい風が吹き抜けるところである.
 進行方向左下が今泉台住宅地である.何かイベントがあるのだろうか,登山道のすぐ下にある公園から可愛い子ども達の声が聞こえてくる.

<百八ヤグラ前の十字路>

■急坂を登る
 ときどき一人で歩いている年配の方々とすれ違う.男性が多い.近所にお住まいの方が多いように見受けられる.
 今日は,あまりキョロキョロと周りを見ない,寄り道しない,ということで,登山道をひたすら歩き続ける.
 やがて,大平山手前の少し長い登り坂に差し掛かる.ここが,このコース最大の坂道と言えるかも知れない.

<大平山手前の急坂>

■大平山岩塊
 12時12分,大平山岩塊(標高159メートル)に到着する.すぐ下の広場で休憩を取っている方々が居られる.
 曇り空ながら,視界は良い.遠くに三浦三山や三浦アルプスの山々が見える.
<大平山岩塊から三浦三山を望む>

■天園峠の茶屋で一休み
 12時20分,峠の茶屋に到着する.昼時なのに案外空いている.
 私が店に入ると,女将が,
 「オレンジジュースでしたね…」
と言う.
 この頃,私はあまり頻繁には峠の茶屋に通っていないが,まあ,常連の端くれとして,顔を覚えていただいているだけでも嬉しい.
 客席の定番の位置に,常連のEさん達が酒宴を開いている.
 私はEさんに挨拶してから,遠からず近からずの席に座って,昼食を取る.

<天園峠の茶屋>

■可愛いイヌ
 その内に,顔見知りのワンちゃんを連れたご一行が,Eさんの席に加わる.これで大方のご常連の顔が揃う.
 イヌは相変わらず元気でやんちゃな様子である.私は,昔からネコ派で,イヌは余り好きではないが,このイヌだけは実に可愛いなと思っている.
 丹沢塔ノ岳の尊仏山荘でネコの華伊達美弥雄さんに会うのを楽しみにしているのと同じように,天園峠の茶屋で,このイヌに会えないと何だか物足りない感じがしてしまう.
 このイヌに会ったときは,必ず写真を撮るが,イヌが激しく動き回るのでなかなか言い写真が撮れない.でも,今日は言い写真が撮れたので満足である.

<峠の茶屋のワンちゃん>

■天園岩塊からの眺望
 12時32分,峠の茶屋を出発する.獅子舞を下ろうか,それとも瑞泉寺に向かおうかと一瞬迷うが,まあ,ともかく,天園岩塊の眺望を見ておこうと思う.
 水平線辺りがモヤモヤしていて,伊豆,箱根もモヤモヤの中であり.残念.
 眼下に鎌倉の市街地が見える.

<天園岩塊からの眺望>

■巨木の中の散策路
 天園から瑞泉寺に向けて歩き出す.途中,巨木が立ち並ぶ森の中を通過する.巨木から,なんとなく勇気をもらう.
 素晴らしい散策路である.

<巨木の中の道>

■貝吹地蔵
 12時48分,貝吹地蔵に到着する.
 貝吹地蔵にまつわる伝説を思い浮かべながら,貝吹地蔵の写真を撮る.
 ここから急坂を下る.何時もジメジメしている坂道だが,この頃,雨が降っていないので,今日は路面が乾いているので歩き易い.

<貝吹地蔵>

■偏界一覧亭
 瑞泉寺裏山ヤグラ群を抜けて,偏界一覧亭の脇を通過する.
 木々の間から偏界一覧亭が見えている.

<偏界一覧亭>

■明王院分岐から衣張山を望む
 13時丁度に明王院分岐に到着する.
 ここから,鎌倉の名峰衣張山が良く見える.眺望を楽しみながら数分経ち休憩を取る.


<明王院分岐から衣張山を望む>

■瑞泉寺登山口
 13時07分,瑞泉寺登山口に下山する.
 舗装道路に出た途端に,ムッとする暑さを感じる.社寺巡りの観光客ともすれ違うようになる.

<瑞泉寺登山口>

<鶴岡八幡宮へ>

■鎌倉宮
 瑞泉寺登山口から,永福寺跡を経由して,13時20分,鎌倉宮に到着する.
 蒸し暑い.
 何か催し物でもあるのか,広場にテントが張ってある.遠足で鎌倉に来たらしい中学生が数人,はしゃいでいる.

<鎌倉宮>

■荏柄天神
 13時28分,荏柄天神の前を通過する.階段を登って参拝するほどの元気はない.
 観光客の姿もなく,静まり返っている.

<荏柄天神>

■源頼朝墓
 13時32分,源頼朝墓の前を通過する.ここでもわざわざ石段を登る元気はない.この辺りまで来ると,遠足で来た小学生を沢山見掛けるようになる.
 白旗神社前の公園に沢山のことも達が集まって賑やかに遊んでいる.

<源頼朝墓>

■鶴岡八幡宮
 13時38分,鶴岡八幡宮に到着する.
 境内に入った途端に,おびただしい人数の観光客に遭遇する.何時もながらの賑やかな風景である.
 境内にある幼稚園の保育が終わった時間のようである.幼稚園バスが沢山の幼児を乗せて幼稚園前から出発するところである.

<鶴岡八幡宮>

<寿福寺から源氏山公園へ>

■川喜多映画記念館
 13時45分,鶴岡八幡宮から若宮大路に出る.
 鉄ノ井から小町通りに入る.観光客で一杯である.人混みを避けて,すぐに右折して,川喜多映画記念館の庭を通り抜けて,岩屋不動前を通過し,横須賀線の踏切を渡る.この辺りまで来ると観光客は激減する.53分

<川喜多映画記念館>

■寿福寺
 13時53分,寿福寺に到着する.
 緑に覆われた閑静な境内に入ると,なんとなくホッとした気分になる.

<寿福寺>

■太田道灌供養塔
 寿福寺裏山から源氏山公園に向かう.
 もう時間が押しているためか,誰にも会わないまま山道を登る.途中,太田道灌供養塔の前を通過する.
 何方が花を供えるのか分からないが,いつも季節の花が供えられている.ここを通る度に奥ゆかしさを感じている.

<太田道灌供養塔>

■源頼朝像
 14時09分,源氏山公園広場の源頼朝像に到着する.
 辺りには誰も居ない.像の近くに飢えられているアジサイはまだ色づいていない.

<源頼朝像>

■葛原岡神社
 14時18分,葛原岡神社の前に到着する.観光客の姿もチラホラ.この辺りにはいつもネコが居るはずだが,今日は見当たらない.
 参拝は省略して,山ノ内方面に向かう.もう観光客とは無縁な場所である.

<葛原岡神社>

<山内から鎌倉中央公園へ>

■梶原口
 往路で通過した山ノ内配水池を再び通過する.
 梶原の住宅地を経由して,14時38分,梶原口から鎌倉中央公園に入る.園内は燃え上がるような木々の緑で一杯である.
 端の名前は分からないが,白い花に心が和む.

<白い花が見事>

■緑陰の散策路
 谷戸の左岸沿いの散策路を辿る.滴れ落ちるような緑の中の小径である.緑に囲まれた小径を歩いていると,荒んだ気分も和らいでくる.
 現代風に整備された公園より,こんな自然のままの公園の方が良いなと思うときもある.

<緑陰の散策路>

■田園風景
 散策路を抜けると田んぼが現れる.
 谷戸の中に広がる田んぼを見ていると,懐かしい田舎の風景を思い出す.公園の中に田んぼがあるなんて素敵だなと思う.

<谷戸の田んぼ>

■清水塚口に戻る
 園内を一回りして,14時59分,出発点の鎌倉中央公園清水塚口に戻る.
 所要時間4時間43分,歩行距離13.5キロメートル,累積登攀下降高度471メートルのプチハイキングを終える.
 この記録を認めながら,何だか観光案内みたいな記事になってしまったなと苦笑いしている.

<ラップタイム>

10:16  歩き出し
10:21  山の上ロータリー
10:30  日当公園
10:35  山内配水池
10:39  山内展望台
10:42  台峯展望台
10:55  北鎌倉コンビニ(11:05まで買い物)
11;05  北鎌倉駅
11:15  明月院
11:34  今泉台登山口
11:41  勝上献展望台(11:43まで展望休憩)
11:53  百八ヤグラ十字路
12:12  大平山山頂
12:20  天園峠の茶屋(12:32まで昼食)
12:48  貝吹地蔵
12:59  十二所分岐
13:00  明王院分岐(13:02まで展望休憩)
13:07  瑞泉寺登山口
13:15  永福寺跡
13:20  鎌倉宮
13:38  鶴岡八幡宮(13:45発)
13:50  川喜多映画記念館
13:53  寿福寺
13:57  源氏山登山口
14:09  源頼朝像
14:12  化粧坂
14:18  葛原岡神社
14:31  山内配水池
14:38  鎌倉中央公園梶原口(14:59清水塚)

 [ハイキング記録]

■水平歩行距離     13.5km

■累積登攀高度     474m

■累積下降高度     474m

■所要時間(休憩時間込み)
  歩き始め     10:16
  歩き終わり    14:59
 (所要時間)    4時間43分(4.72h)
  水平歩行速度     13.5km/4.72h=2.86km/h
                                      (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f1363ba678c4db6ecaa0ff79732b17f4
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)   

閑話休題;梅雨に入りました…そろそろアジサイ?

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                           <大慶寺のアジサイ>

      閑話休題;梅雨に入りました…そろそろアジサイ?
        2013年5月30日(木) 小雨続く

 久々に近くのホームドクターを訪れて,簡単な健康診断を受ける.今日は血圧が一寸高めだが,まあ,良いでしょうということになる.
 「エベレストに登った三浦さんは凄いですね…」
とドクターが私に話しかける.私の趣味のひとつが山登りだとドクターが知っているからだ.
 「最近,『老人学会』というのが開かれたんで,出席しましたよ…」
とドクターは続ける.
 「三浦さんの健康管理をしている北海道大学の○○という先生が『意欲を持ち続けるのが健康で長生きする秘訣』だと言っていましたよ.」
私は,
 「…三浦さんにあやかりたいですね…」
と困惑しながら相槌を打つ.
 「更年期になって,男性ホルモンが不足すると意欲が減退しますよ…もし,意欲が減退したら相談に乗りますよ…」
 “はて…? 傍目には私が意欲に欠けるように見えるかな”
と心配になる.言われてみれば,もうずっと前から,私は何をやっていても途中でイヤになる癖がある.
 “私は生来男性ホルモンが足りないんだろうか?”
 話題がまた山の話になる.
 「先生,私と一緒に塔ノ岳へ登りましょうよ」
とお誘いする.ちょっと太り目のドクターは,
 「いやいや,若い頃は散々山へ登ったんで,もう登らないよ…」

 ドクターとの雑談を終えて,クリニックを出る.
 外は霧雨が降っている.でも,このまま家に帰るのも癪だから,その辺りを適当に散歩する.傘を射しても射さなくても良い程度の霧雨に濡れながら,どこと言うこともなしに歩き回る.
 途中,深沢中学校近くで,白いネコを見付ける.
 私は,山,電車,ネコに出会ったときは,その場で必ず写真を撮ることにしている.
 “写真を撮るのは後でもイイヤ”
と言っている内に,山は雲に隠れるし,次の電車はなかなか来ないし,ネコにまた会えるかどうか分からないからである.

<白ネコに出会う> 

 ブラブラ歩きを続けて深沢の等覚寺に到着する.真言宗の寺である.寺の入口に開示されている文章を読んで,
 “なるほど,そうだな”
と納得する.
 「智恵は使うほど働き,使わなければものの役に立たなくなる」
 “なるほど!”
 要するに,頭は使わなければダメだと言うことだ.
 先ほどドクターから言われた意欲を持てという話と一脈通じるところがある.
 要するに,
   *意欲を持って積極的に行動しなさい
   *智恵をもっと出して行動しなさい
の2項目が,年配者の健康維持と生き甲斐にとって重要なことなんだなと理解する.
 どちらも,至極,平凡な言葉だが,そんなシンプルな言葉の中に人生の神髄があるような気がする.
 私はこの2項目に,とても勇気付けられる.


 成り行きで,深沢の住宅地をブラブラト歩き回る.そして,大慶寺を訪れる.ここは臨済宗円覚寺派の寺で,関東十刹のひとつに数えられる名刹である.
 本堂脇のアジサイがそろそろ見頃を迎えている(冒頭の写真).
 “そういえば,いくつかのグループを鎌倉のアジサイ見物に案内することになっていたな”
と急に思い出す.
 ここから先の散策ルートは,ここで明らかにすることはできないが,毎年見事なアジサイを見せていただく個人宅を覗いてみる.
 お宅の前に到着する.入口の門が開いているのは,多分,ご自由にご覧下さいという意味だろうが,今日の所はこのお宅の敷地に入るのは遠慮しておく.それに,こちらのアジサイの見頃は未だ先のようである.


 4〜5キロメートル歩いて,夕方家に戻る.
 何気なくテレビを見ていると,今日も株価が737円も下がって,遂に終値が13,509円になってしまったようである.そう言えば先週の木曜日にも1,145円も暴落した.株価が随分と荒っぽい値動きをするので,ビンボー人の私でも,
 “こりゃ,えらいことだ”
と感じている.この先どうなっていくんだろう.
 もっとも,私はサラリーマン時代に自社株投資会とやらで購入した某社の株をほんの少し所有しているだけ.だから,株価がどうなっても当面の我が家の家計にはそれほど大きな影響はない.

 夕食後,たまたまテレビで放送大学の「波動力学」の番組を見る.面白い.実に面白い.シュレーディンガーの方程式とやらを,それこそ40〜50年ぶりに聞いた.ついつい小1時間の授業を全部聞いてしまった.
 そうこうしている内に,夜も20時を廻ってしまった.
 眠くなった.
 今日一日,オレは一体何をしていたんだろう.
 一体,私は生涯を通じて何を求め続けているのか,もうそろそろ明らかになければならない.その上で,納得できる人生を全うするようにしなければダメだと強く思うようになっている.
                               (おわり)

「閑話休題」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/74252a84f939c4818f84df869e6134e4
「閑話休題」の次回の記事
(なし)
 

歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(5):松井田宿

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                                  <松井田宿に入る>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(5):松井田宿
           (五十三次洛遊会)
       2012年10月12日(金)〜14日(日)

※本稿の初出は2012年10月29日である.
  初稿の記事の加除修正,追加を行った.

2012年10月13日(土) (つづき)

<松井田宿地図> (再掲)



<松井田宿の概要>

 松井田宿は,江戸日本橋から第16次の宿場である.
 資料3(p.102)によれば,宿内人口1009人.内,男547人,女462人.宿内惣家252軒.内,本陣2軒,脇本陣2軒,旅籠14軒の規模である.
 資料1(pp.40-41)には,「南に特異な姿を見せる妙義山,北に上州最大の山城松井田城趾を控える.信州各藩の江戸廻りの中継地となり,米宿と呼ばれていた.屋根に大切な鬼瓦を載せた関東型商家の西限をなす」と紹介されている.
 街角にで見掛けた商店街地図(2枚に分割して掲載).

                    ↓(続き)


<松井田宿に入る>

■碓氷川と妙義山と絶景
 自動車道路から左手の旧道に入って,ノンビリと歩いている.なだらかな登り坂が連続する旧中山道である.歩いていると知らず知らずのうちに高いところを歩いている.
 13時40分,見晴らしが良いところで立ち止まる.眼下に碓氷川が流れている.その向こうには奇っ怪な形をした妙義山の一角が見えている.
 妙義山と言えば,もう数年前になるが,山旅スクールの訓練で怖い岩稜コースを歩いたことを思い出す.妙義山は眺めるには楽しいが,あの岩稜コースには,二度と行きたくない.私は根っからの高所嫌いである.でも,まあ,今になれば楽しい思い出である.
 私はそんなことを思い出しながら美しい風景をデジカメに収める. 

<松井田宿の入口で立ち止まって美しい風景を堪能する>

■石塔群
 13時50分,おびただしい数の石塔が建ち並んでいるところを通過する.それぞれの石塔が何かは,浅学の私には全く分からない.手許の文献にも詳しい説明はない.
 やがて閑静な旧道は,再び自動車道路に合流する.

<旧道沿いの石塔群>

■庚申塔(?)
 資料4(p.18)を頼りに歩き続ける.この資料には松永工業を通り過ぎたところに庚申塔があると書いてある.
 14時01分,軒下に「松永工業(株)粉砕機」と大きな字が書いてある立派な工場に到着する.
 「この辺りだよ・・・庚申塔があるらしいよ」
と同行の皆様に注意を促す.
 しかし,周囲を探してもそれらしい石塔は見当たらない.ただ,小さな石仏らしいものが原っぱの中に2体置かれている.
 これかな・・・でも,ちょっと小さいな.でも,まあ,この2体以外にそれらしいものはなさそうだ.な.じゃあ,これを庚申塔にしておこう(多分間違っていると思う).
 
<松永工業>                                   <庚申塔かな>

<木戸内に入る>

■下木戸跡・ももんが堀
 地図を確かめながら,14時10分頃,下木戸跡らしい所を通過する.しかし,それらしい掲示も何もないので,私が勝手にこの辺りだと思っているに過ぎない.
 資料6によると,この辺りに「ももんが堀」があるようだ.
 ここ下木戸から,上木戸までの全長6丁6間(約677メートル)を木戸内というようである.昔は木戸内の両側には堀割か完備していたという.ももんが堀(現在は暗渠)は,この両側の堀割の水を碓氷川に放流する目的で設置されたという.

■脇本陣跡
 14時12分,松井田宿脇本陣跡に到着する.格子戸の家屋の前に,「脇本陣(字下町徳右衛門屋敷)跡」という案内板が鉄製の垣根に取り付けられている.
 ただ,仕方ないことだが,周辺には昔を偲ぶよすがもない. 

<脇本陣>

■崇徳寺
 14時13分,崇徳寺入口に到着する.ここで左折して路地を50メートルほど入ると右手に崇徳寺がある.鐘楼のある立派な寺である.
 資料6によると,この寺は臨済宗妙心寺派貞松山崇徳寺という.仏満忻禅師開山,足利尊氏開基.ご本尊は釈迦如来.観音堂には聖観音菩薩,千手観音菩薩,如意輪観音が安置されているという.
 境内を一回りする.素晴らしい寺である.

<崇徳寺本堂>

■鐘楼と妙義山
 崇徳寺観音堂脇に鐘楼がある.鐘楼の向こうに妙義山が見えている.素晴らしい情景である.そこでデジカメを構えてパチリ.

<鐘楼と妙義山>

■無料休憩所
 14時29分,無料休憩所に到着する.ここで10分余り休憩を取る.
 通りに面して吾妻屋が建っている.その奥は夏草が繁茂する広場になっている.広場の先にはもう一軒同じような吾妻屋が建っている「,「
幾分蒸し暑く感じるが,一同元気である.それぞれの方から「おやつ」が配られる.私も,先ほど購入した「割れセンベイ」を皆さんに食べて頂く.このセンベイ,割れてはいるが,味は特急品である.
 休憩している吾妻屋の脇に水道がある.水道の脇にある案内板には,「この水は坂本宿の上流にある坂本浄水場より引いています.水を大切に使いましょう.使ったあとは必ず止めましょう」と書いてある. 


■本照寺(?)
 14時45分,休憩を終えて,私達は再び歩き出す.
 47分,進行方向左手奥にお寺の建物が見えている,余り道草ばかりしていては先へ進まないが,どうやら真宗大谷派本照寺という寺のようである(間違っているかもしれない).
 手許の資料ではこの寺のことは良く分からない.

<本照寺>

■松井田八幡宮
 14時49分,進行方向右手の路地奥に,松井田八幡宮の鳥居が見えている.中山道から少し離れているが,折角だから行ってみることにする.例によって,私の前をAさんが歩いているので,どうしてもAさんの後ろ姿が写真に入ってしまう.
 私は,また,ポチを連想してしまい,一人で見つからないように笑いをかみ殺す(Aさんゴメンナサイ.気を悪くしないで・・・).
 資料9には,松井田八幡宮の「本殿の建物は江戸の初期の建築で他の建物はその後に補われたものである.本殿は桃山風の形式をよく伝えている.八幡宮の本殿は三間社流造りで,屋根は外部からは幣殿と連なり,更に拝殿に続いている.一種の権現造りであり,神佛混淆を示す適例である.
 建物の配置も佛教的であり,境内に八角円堂を有し拝殿は護摩殿と称されている.本殿と均衡のとれた大きさであるにもかかわらず,その前方に割拝殿を称する建物を備えている.また,本殿,拝殿の周辺に敷きつめられた敷石は,敷方に特別な技巧をこらしてあり,後方の石垣の取方と共にめずらしい特色を有して神聖さを倍している.」という説明がある.
 この説明文,神社に疎い私には完全には理解できないが,とにかく貴重なもののようである.

<路地奥に八幡宮の鳥居が見える>

■松井田八幡本殿
 14時51分,路地奥にある松井田八幡本殿に到着する.
 資料4(p.18)によれば,本殿は三間社流造りで江戸時代初期の建築で群馬県の重要文化財の指定を受けている,
 資料6によると,境内の建築物の配置は仏教的で,神仏混淆を示す八角円堂もあるという.

<松井田八幡宮本殿>

■可愛いネコ
 八幡宮参道の真ん中で遊んでいるネコを見付ける.飼い猫らしくて,人を恐れないで,ゴロニャンしている.可愛いので写真を撮る.
 近くの民家の庭先を見ると,可愛い子ネコが無邪気に遊んでいる.子ネコの仕草が可愛いので,ついつい見とれる.
 
<八幡宮の前でネコと戯れる>

■上木戸
 八幡宮から往路を中山道まで戻る.
 近くに歩道橋がある.直ぐ近くに松井田小学校の正門がある.地図を見ると,丁度この辺りに上木戸があったようである.
 先ほど通過した下木戸から,この上木戸までの間が木戸内ということになる.

<松井田城趾>

■庚申塔
 地図を見ると,そろそろ松井田城趾が近い.
 15時07分,立派な庚申塔の前を通過する.これまで丸い石の庚申塔が多かったが,ここの庚申塔は平たい石を使っている.
 庚申塔の右隣に細長い石塔があるが,何を祀ったものかは分からない.

<庚申塔>

■補陀寺
 15時09分,地図を見ながら松井田城趾と思われる十字路に到着するが,城趾らしい史跡は見当たらない.石垣の上に補陀寺の案内杭が見えるだけである.
 この十字路を右折して,やや急な坂道を100メートル余り登ると左手に補陀寺がある,左折して道路の突き当たりにある補陀寺を詣でる.曹洞宗の寺.「関左休窟」の額が取り付けられた山門がある.資料8によると,「関左休窟」は,「関東一の道場」という意味だという.
 立派で大きな本堂の前で合掌.
 資料7には,「会津の善龍寺の根源である保科正直が創建した下総多胡の善龍寺も,
内藤昌月が再建した上野生原の善龍寺もこの寺から僧侶を招いて作りました.山城である松井田城の山麓にあり,この場所には大道寺政繁の居館があったとも伝わっています.」と紹介されている.

<補陀寺本堂>


<補陀寺山門>

■道祖神
 15時17分,松井田警察署の手前でY字型の三叉路を左折して旧中山道に入る.長閑な集落の間を西南西に進む
 15時19分,道祖神の前を通過する.
 道祖神の直ぐ先で,信越本線の線路沿いの道になる.

<道祖神>

■新堀の一里塚跡
 15時20分,新堀の一里塚跡に到着する.江戸日本橋から32里目の一里塚である.
 ここに立ててある案内板によると,明治20年代まで,この中山道を挟んで南側と北側に一里塚があったようである.

<新堀の一里塚>

■踏切を渡る
 15時26分,信越本線第十中仙道踏切を渡る.
 資料によると,近くに鳥居坂石仏があるようだが,見付けることができないので,残念ながらそのまま通過する.

<信越本線第十踏切>

[追記]
 文献や資料には「金井本陣」「松本本陣」などの記述があるが,私達は不注意で見落とした.したがって,これらは記事できなかった.
 金井本陣については資料10に,「ほとんどの大名や例幣使が坂本泊まりであったことから,多くの大名がこの金井本陣に宿泊した.皇女和宮も宿泊された.」という記事と写真が掲載されている.
 また,松本本陣については資料11に,松本本陣の説明板を写した写真が掲載されている.
                                    (つづく)
[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;安中市産業部商工観光課,発行年代未詳,「旧道日和(パンフレット)」安中市観光協会
資料6;松井田商店連盟;まついだどっとこむ,発行年未詳,「松井田宿まち歩き」安中市役所松井田支店地域振興課
資料7;http://www.geocities.jp/way_to_aizu/matsuida.html
資料8;http://www.geocities.jp/mrmaxsakura/jyousyuu02.html
資料9;http://www.city.annaka.gunma.jp/gakushuunomori/bunkazai/shousai.html
資料10;http://www.jinriki.info/kaidolist/nakasendo/matsuida_sakamoto/sakamotoshuku/kanaihonjinato.html
資料11;http://kk-kt.style.coocan.jp/tk0707.html

[加除修正]
2013/5/31 本文の加除修正.誤字脱字転換ミスの修正を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9bc151d2fe8b31d9e4cfa2d6c13a2fc4
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/058e73ce635fdd9d2b44a9e140f189ee
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

※記事の正確さは全く保証しません.
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富士山を眺めながらユックリ登る丹沢;塔ノ岳(今年29回目)

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                          <馬の背から富士山を望む>

  富士山を眺めながらユックリ登る丹沢;塔ノ岳(今年29回目)
     (ご常連の皆さんに付いたり離れたり)
      2013年6月1日(土) 晴

■梅雨時に早起きしても…
 梅雨に入ると,さすがに天気がスッキリしない日が多くなった.そのため,今日は中1週間を置いての塔ノ岳詣でである.
 誰しも同じ様な傾向があるかと思うが,年を取るとやたらに早く目が覚めるようになる.今日も私は3時半頃から起き出してしまう.早く起きたからといって,特段,すぐにやらなければならないという仕事もない.その内に早々と夜が明けている.
 “このままぐずぐず家に居ても仕方がないな…”
と思った私は,どうせ塔ノ岳に出掛けるんだから…ということで,まだ薄暗い4時02分に,自宅から大船駅に向けて歩き出す.何時もは5時10分に家を出て,湘南モノレールの初電に乗って大船まで出ているが…
 いくら夜明けが早くなったといっても,4時はまだ薄暗い.でも,雀がもう活発に動き回っている,”チュンチュン”と啼く雀の声を聞きながら,夜が明けきらない道を歩くのも実に気分が良いものである.
 我が家から大船駅までの道のりは約2.5キロメートル.歩いて丁度30分で大船駅に到着する.駅前のコンビニに買い物を済ませて,大船駅初電5時11分発静岡行に乗車する.何時も乗車する2番電車5時44分発小田原行の電車より33分早い電車である.
 隣の藤沢駅で小田急電車に乗車する.勿論,1329円也のフリーキップを利用する.各駅停車町田行電車で相模大野へ,相模大野で急行小田原行電車に乗り換える.電車は混雑している.6時41分,ようやく渋沢駅に到着する.何のことはない,大船を33分後に発車する電車に乗って小田原乗換の方が1分早く渋沢に到着する.つまり小田原経由の方が34分も速いということになる.この差はかなり大きい.

■居合わせたご常連と大倉歩き出す
 そそくさと大倉行バス停に向かう.今日も臨時バスが出たらしく,バスはガランとしているが,同じ電車で来られた方々が乗車すると忽ちの内に満席となる.
 バス停大倉は登山客で混雑している.
 7時08分,ご常連のTgさん,Tdさん,Iiさん,Sbさんと一緒に大倉から歩き出す.気温は16℃と朝にしては少し高温だが,湿度が低いので,空気はカラッとした感じでとても歩き易い.
 私はTdさんのすぐ後ろに付いて,雑談をしながら歩き続ける.その脇を,スーパーマンHさんが軽々と走り去っていく.今日も橋本まで走っていくのだろうか.

<軽々とした足取りで走り出すHさん;右側の一は無関係>

■見晴階段
 Tdさんと雑談しながら,7時32分に観音茶屋を通過して,ジメジメしたジグザグ道に入る,続いて7時37分に分岐で右に大曲がりする.後ろを振り返ると,先ほどまで私のすぐ後ろに居られたIiさんを始め4人の方との距離が少し開いてしまったようである.
 「どうしましょう…?」
と前を行くTdさんに伺う.
 「ユックリ歩きながら,追い付くのを待ちましょう」
とのことである.
 7時50分,見晴山荘を通過する.後ろの皆さんの姿が一向に見えない.
 「まあ,ユックリ登っていましょう」
ということで,見晴階段に差し掛かる.
 今日は,臨時バスが出るほど登山客が多いのに,なぜか見晴階段には人影がすくない.ここも何時もより速度を落として登り続ける.

<見晴階段>

■一本松から一人旅
 8時04分に一本松を通過する.一本松上のベンチで,Tdさんから,
 「水を補給しますので,先に行っていて下さい…」
ということで,呆気なく一人旅になってしまう.後ろを振り返っても一緒だった皆さんの姿はない,どうせ,萱場平の手前でTdさんは私に追い付くだろうから,いろいろ考えずにマイペースで登ろうと決める.
 やがて駒止階段に差し掛かる.ここで臨時バスで来られて私たちより先に登り始めたNgさんに追い付く.暫く雑談をした後,先に行かせてもらう.
 沢山の登山客が列になって駒止階段を登っている.かなりの人がオーバーペースのように見受けられる.
 “そんなに力んで登ったらすぐに疲労困憊ですよ”
と注意したいが,そんなことを言ったら沽券にかかわると思うので黙ったまま,追い越させて貰う.
 8時20分,駒止茶屋を通過する.大倉〜の所要時間は1時間12分.途中までかなりユックリ歩いていたので,自分の最適値より5分ほど遅い.

■見事な富士山
 堀山の尾根に差し掛かる.
 毎度のことながら,ここの尾根歩きは実に楽しい.微風ながら冷たい風が吹いている.それに今日は湿度が低いので,実に気分が良い.
 やがて富士山が良く見える場所に到着する.今日はこの時期にしては富士山がとても良く見えている.早速,準バカカメラを取り出して,富士山の写真を撮る.何時ものバカカメラと比較して,今日持参しているカメラは“準”が付いているだけあって,まあ,何とか,富士山が写っている.どうやら宝永火山位の標高まで残雪があるようだ.

<堀山の尾根から富士山を望む>

■堀山の家
 8時35分,堀山の家を通過する.
 小草平のベンチは,休憩を取る登山客で一杯である.
 登山客の間をすり抜けて,小草平の端から富士山の写真を撮る.

<登山客で賑わう小草平>

■暗い杉の間の富士山
 何時ものバカカメラでは絶対に撮れない富士山の写真が,今日は“準”カメラのお陰で,結構立派な富士山の写真が撮れる.杉の木が暗いトンネルを連想させる.トンネルの向こうに明るい富士山が見える風景は,光を求め続ける人生を象徴しているような気になってくる.ここの風景も,何時変えに画いてみたいなと思っている.

<小草平からの富士山>

■萱場平
 図らずも一人旅になったので,今日の目標を「堀山の家から花立山荘までピッタリ40分で登る」に設定する.実は,この所,私は,この目標にちょっとした拘りを持っている.まあ,ゲームとでも言えるかも知れない.ぶっちゃけて言えば,仮にこの目標が実現しなくても,どうと言うこともないのだが,まあ遊びのようなもの.ただ,この遊びにも条件がある.それは途中で流れるような汗をかかないこと,歩く速度が変化しないように常に定速であるくことの2点である.
 戸沢分岐手前の長い登り階段で,一本杉で給水をしていたTdさんが私に追い付く.
 「どうぞお先に…」
とTdさんに先頭を譲る.その後もTdさんにつかず離れずの距離を保っていたが,次第に距離が開く.これも致し方ないことである.
 8時54分,萱場平を通過する.萱場平のベンチでは,何人かの登山者が休憩を取っている.

<萱場平>

■大きくなったアザミ
 萱場平の木道の間に茂っているアザミが随分と大きくなった.このアザミに元気を貰いながら,萱場平を通過する.
 
<2013年4月19日のアザミ>                    <6月1日のアザミ>

■花立山荘
 相変わらずマイペースで登り続ける.
 やがて後7分坂に差し掛かる頃,私より先を歩いているはずのTdさんに,また追い越される.
 「あれっ! 先ほど追い越して行かれたのに…どうしたんですか?」
 「いえ,…途中で花を見ていました…」
ということで,Tdさんに2回追い越される.
 すぐに後7分坂に差し掛かる.坂の上に見えているTdさんの後ろ姿がだんだんと小さくなる.
 あと,もう少しで花立山荘に到着する頃,今度は,Mgさんが私に追い付く.相変わらずの韋駄天振りである.私は,Mgさんに,
 「Iiさん達,どの辺りで会いましたか…,私,途中までユックリ歩きながら待っていたんですが…」
と伺う.
 「随分と下の方でしたよ…ここまではまだまだ時間が掛かりますよ」
とのこと.
 「(私の)すぐ先Tdさんが歩いていますよ…すぐ追いつけると思いますよ」
ということでMgさんには,先に登って貰う.
 9時15分,花立山荘に到着する.まだ,ここで休憩を取っている登山者は少ない.相変わらず富士山が良く見えている.
 大倉〜の所要時間は2時間07分,途中までユックリペースだったので一寸遅い.
 堀山の家からの所要時間は,ピッタリ40分.正にピッタリ賞である. 

<花立山荘>

■花立山
 花立山荘を通過して花立山に差し掛かる.
 階段道を終えて,ガレ場に差し掛かる.前方の山頂近くを登っているMgさんの後ろ姿が見えている.
 相変わらず富士山が良く見えている.Mgさんの高速に引かれるようにして,ちょっと歩行速度を速めて,9時22分に花立山を通過する.花立山荘からの所要時間は奮発して7分.何時も9分から10分掛けてノンビリ登っているのに…
 花立山から,少し霞んではいるが,富士山から南アルプスまで,良く見えている.早速,花立山山頂からの富士山の写真を撮る.

<花立山から富士山と南アルプスを望む>

■塔ノ岳山頂
 9時27分,金冷シを通過する.
 ユックリペースで登ってきたので疲労感は全くない.時々写真を撮りながら,まあ,まあの速度で登り続ける.
 途中で産まれて間もないと思われる中型犬程度の大きさのバンビを見付ける,実に可愛いが,母シカが側にいるので,近付いて写真を撮るのは自粛する.
 山頂直下の登り坂で,下山してくるYdさんとすれ違う.
 続いてすぐに,先ほど後7分坂で追い抜かれたMgさんが下山してくる.すれ違いざまに立ち話.下山してから渋沢でお茶を飲むことにする.さらに,Mgさんから,先ほどまで一緒に登っていたTdさんは丹沢山の方に足を延ばしたと伺う.
 9時42分,塔ノ岳山頂に到着する.山頂の気温は16℃.少々高温である.でも,空気が乾いているので,とても清々しい感じがする.山頂はもう沢山の登山客で賑わっている.富士山,南アルプス,大山などの山々が良く見えている.
 大倉から塔ノ岳山頂までの所要時間は2時間34分.花立山荘からは27分である.

<賑わう塔ノ岳山頂>

■尊仏山荘
 私はできることならIiさんたちと一緒に尊仏山荘に入りたかったので,山頂の椅子に腰掛けて,皆さんの到着を待つ…が,一向に現れないので,待つのを諦めて,尊仏山荘に入る.
 先客はご常連のTt夫妻だけ.小屋番はオーナーのHさんとW田さん.例によって300円也のお茶を所望する.
 5分ほどして,先ほど駒止茶屋で追い越させていただいたNgさんが山荘に到着する.さらに10分ほど経過した頃,Tt夫妻と入れ替わるようにして,iIさんとTgさんが到着する.他のお二人は山荘に立ち寄らないようである.韋駄天のTgさんは,皆様の歩行速度に合わせて登ってこられた.
 早速,山荘の片隅で昼食会である.

<尊仏山荘で乾杯>

■ヘルシーな食べ物
 Tgさん提供の一見鶏の唐揚げ風のネーベンに注目!
 一口頂く.歯応えは正に鶏の唐揚げである.でもこれはお肉を使っていないのだ!. 茂蔵健康食堂という所が扱っている「大豆の唐揚げ」である.
 “これは良い! 実に良い!”
 原料は大豆である.大豆は植物性タンパク質の宝庫.とにかくヘルシーで美味しい.我が家近くのお店では,見掛けたことのない食品である.
 帰りのバスの中で,この空箱を頂戴した.鎌倉辺りのお店で類似品が売っていないか聞き回るつもりである.

<茂蔵健康食堂の「大豆の唐揚げ」>


<大豆のから揚げのラベル>

■一足先に下山開始
 尊仏山荘に入ってから,大分時間が経過した.大倉でMgさんが待っているはずである.
 塔ノ岳裏手のシロヤシオを見に行っているIiさん達より一足先に下山して,TgさんやIiさんが一緒にお茶を飲みに行くことを伝えることにする.
 途中,何人もの常連さんが登ってくるのとすれ違う.
 花立山から花立山荘に下山する途中で,山旅スクール5期のノシイカさんとバッタリ.5分ほど立ち話.20日,山旅スクール5機の皆様と鎌倉アジサイ見物に出掛けることになっている.
 花立階段を過ぎてガレ場を下っているときに,常連のYuさんに追い付く.渋沢でお茶を飲むことを伝える.参加しますと快諾する.

■可愛いイヌ
 もうすぐ堀山の家というところで,真っ白な犬を連れた二人連れの女性とすれ違う.余りに見事なイヌだったので,写真を撮らせて貰う(イヌだけの写真で肝心の女性が写っていないのは不味かったかな).
 「山登り,イヌ,大丈夫ですか?」
と伺う.
 「人間より,イヌの方が平気ですよ…」
とのこと.

<下山途中で出会ったイヌ>

■堀山の尾根で人だかり
 Yuさんと一緒に下り続ける.
 11時32分,堀山の家に到着する.Yuさんは堀山の家に立ち寄るというので,再び一人旅である.
 11時42分,富士山が良く見えるところで人だかりができている.一同,富士山を眺めている.往路で見たときより少し霞が掛かっているが,まだ富士山が良く見えている.私も暫く立ち止まって富士山を眺める.

<富士山が良く見える>

■駒止茶屋のベンチで道草
 11時47分,駒止茶屋上のベンチに到着する.
 Stさんがベンチで食事中である.Stさんの隣に座って5分ほど雑談.
 「FHさんの脚力は凄い.私の目標です…」
とおだてられる.おだてられて,そう悪い気はしないが,どうもコソバイ! 私より速い人も沢山居るし,遅い人も沢山居る.それはだれしも同じこと.
 話は逸れるが,私は鎌倉に住んでいる.鎌倉は三浦半島の付け根.つい先日,80歳でエベレストに登頂した三浦さんにあやかって,「三浦半島の三浦もどき」になることを目指して,5年後の目標でも設定してみようかなと,不遜なことを考え始める.

■渋沢駅でコーヒーブレーク
 駒止茶屋で5分ほど道草をしてから,再び下山し始める.
 その後は,至ってマイペース.そして,12時48分,大倉に到着する.
 バス停から少し離れたところで,MgさんとYdさんが座っているのが見える.お二人を大分待たせてしまった.
 お二人に,Tgさん他,数名が一緒にコーヒーブレークに参加することをお伝えする.
 私もお二人の脇に座って日向ぼっこだ.のどかで気持ちよい一時である.
 やがて,12時11分のバスに合わせるように,参加予定の全員が揃う.
 バスは座席が埋まる程度の混雑である.12時25分,渋沢駅に到着する.
 渋沢駅南口に廻って,前回訪れた喫茶店に向かう.ところが,今日は休日.地元のYuさんが,この他に喫茶店はないということで解散.
 でも,TgさんとIiさんが,駄目押しのように近くに喫茶店がないか探し回る.そして,遂に,「ぺるる」という喫茶店を探し当てる.
 地元のYuさんは居なくなってしまったが残りのメンバー全員がこの店に入る.狭い店だが,ちょっと詰め合わせて何とか座る.何だか私たちだけでお店を貸し切ってしまったようで恐縮する.
 私は400円也のホットコーヒーを所望する.ちょっと苦みが強い独特の味のコーヒーである.コーヒーを賞味しながら,楽しい雑談の一時を過ごす.こんな平凡な時間が,私にはとても貴重なもののように思える.親しくお付き合いいただいている皆様から勇気とやる気を沢山頂戴している,心から感謝する次第である.

<「ぺるる」でコーヒーブレーク;お一人フレームから外れてしまった.申し訳なし>

■小田急線経由で帰宅
 今日は,何時もと違って小田急線藤沢経由で帰宅する.相模大野,大和,藤沢に乗り換えて実に面倒な上に混雑してる.でも,交通費はコーヒー代が軽く浮くほど安価である.
 何時もより40分ほど余計に時間を掛けて,16時過ぎに無事帰宅する.
 今日も,無事に塔ノ岳を往復することができて本当に良かった.感謝,感謝である.

<ラップタイム>

 7:08  大倉歩き出し
 7:32  観音茶屋
 7:50  見晴山荘
 8:20  駒止茶屋
 8:35  堀山の家
 9:15  花立山荘
 9:27  金冷シ
 9:42  塔ノ岳山頂着(16℃)
10:28      〃  発
10:41  金冷シ
10:56  花立山荘
11:29  堀山の家
11:47  駒止茶屋(11:52まで雑談)
12:16  見晴山荘
12:28  観音茶屋
12:48  大倉着

 [山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:08
   塔ノ岳  着       9:42
 (所要時間)  2時間34 分(2.57h) 
  水平歩行速度   7.0km/2.57h=2.72km/h
 登攀速度    1269m/2.57h=493.8m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発       10:28
  大倉   着       12:48
 (所要時間)  2時間20分(2.33h)
 水平歩行速度     7.0km/2.33h=3.01km/h
 下降速度     1269m/2.33=544.6m/h
                                                                (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1546ab440be8cbfe601cecff8d775beb
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)

鎌倉のアジサイ;鎌倉中央公園・山崎から大船駅へ

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                             <山崎の民家のアジサイ>

    鎌倉のアジサイ:鎌倉中央公園・山崎から大船駅へ
            (単独散策)
       2013年5月31日(金) 曇

 梅雨時にしては,朝からマアマアの天気なので,塔ノ岳へ出掛けようかと迷ったが,まあ今日の所は止めておこうということにした.
 毎日,フラフラと出歩いてばかり居ないで,たまには家に籠もって,しっかりやるべきことをしなければダメだと自分を鼓舞する…が,緊張感も午前中持続するのが精一杯である.
 テレビの番組で,このほどエベレスト登頂に成功した三浦雄一朗(この字で良かったかな? 間違っていたら後刻訂正する)さんが,明確な目標を持って,楽しみながらそれを実現することが大切だという趣旨の発言をされていた.私は大変含蓄のある言葉だなと思いながら拝聴した.
 私も,これから5年後の「トウネントッテ×十五歳」を目標に具体的な目標を設定しようと思い始めている.

 そういえば,昔,サラリーマン時代に,目的(Objectves)と目標(Goals)を持つことの重要性を散々教えられたし,実行もしてきた.それが,今はどうだろう.何時の間にか,のんべんだらりのデクノボウ生活を続けているだけだ.実に勿体ない人生を送っているなと反省すること頻りである.
 確かに今でも,年間約100日は山登りをしていよう.その内60回は塔ノ岳にしようとか,40号程度の水彩画を年間3〜4枚画こうというような“目標もどき”は考えているが,厳密に言えば,これらは目標とは言い難い.

 ここで四角四面の話はしたくないが,エーコフ(Aecoff)という人が,
  "Planning is predicated on the belief that the future can be improved by active intervention now."
ということを言っている.日本語に訳すのは面倒臭いので,原文のまま引用したが,要するに,”今一生懸命に努力すれば必ず将来は良くなるという信念を持つこと”.これが人生設計に大事なことだと言っている.
 企業活動の場にエーコフの言葉を当てはめると,まずは目的(Objectives)をシッカリ決める.例えば5年後の当社を斯く斯く然々にしようという将来あるべき姿を明示する.これが経営者の使命ということになるかもしれない.次に,この目的を達成するために今年は此れ此れ然々の事を実現しよう,そして来年は…と,年度毎の目的(Goals)を決めて実現していく.これが管理者の責務ってことになる.
 面倒臭い話は,このブログには似合わないのでこれでヤメ.
 要するに三浦さんやエーコフの言葉にあやかって,自分の5年後のあるべき姿が何かを,コーヒーでも飲みながら考えてみようか.

 コーヒーを賞味するとなれば,鎌倉中央公園を通り抜けて大船まで山下りをして,Becker'sまで行かなければならない…と言うわけで,大船まで出掛ける理屈がやっと成り立つ.

 そこで,午後から私のフラフラブラウン歩きが始まる.
 清水塚口から鎌倉中央公園に入る.こんな良い天気なのに園内は閑散としている.多分,源氏山公園の方は観光客で賑やかなんだろうが,こちらは観光案内にはあまり掲載されていない公園なので,ほとんど近所の方々しか訪れていないようである.
 
<中央公園の休憩舎>

 山崎口から公園の外に出る.
 民家の庭先のアジサイがそろそろ見頃である.

<民家のアジサイ>

 何時ものように,山崎を経由して,ブラブラと大船駅に向かう.
 大船駅のコンコースに沢山の人だかり.
 “何だろう?”
 どうやら青森の観光誘致らしい.たすき掛けの女性から,「あおもり紀行」という立派なリーフレットを頂戴する.


 


 

 大船駅構内のBecker'sでホットコーヒーを賞味しながら,鎌倉案内を依頼されている数組の方々のコース案を,あれこれと考える.観光客で混雑するところは,なるべく避けたいが,行きたいところは混雑するというジレンマが付きまとう.また,全部同じコースにしてしまえば計画は楽だが,案内する私がつまらない.
 ”さて,どうしよう!”
 私はコーヒーを賞味しながら,あれこれと考えるが,なかなか結論が出ない.

<bBecker'sのコーヒー>

 30分ほどでBecker'sを出る.
 大船駅のコンコースでの催しは終わったようである.でもピンクの洋服を着た女性がまだリーフレットを配っている.
 帰路も歩こうかと思っていたが,何となく面倒になりバスを利用する.


 5月も,もう終わり.
 いよいよ6月.これから本格的な梅雨のシーズンを迎える.
 さて,私の長期目標はどうしようかな.
                                (おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c435f553346be0f3b395d36d8be59af4
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)

 

歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(6):五料から横川へ

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                               <夜泣き地蔵と茶釜石>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(6):五料から横川へ
           (五十三次洛遊会)
       2012年10月12日(金)〜14日(日)

※本稿の初出は2012年10月20日である.
 初稿の本文の加除修正を行って再登録する.

2012年10月13日(土) (つづき)

<五料・横川地図>



<五料の茶屋本陣>

■鳥居坂と庚申塔
 15時26分に信越本線第十中仙道踏切を渡る.
 暫くの間,右手の少し高いところに信越本線の線路を見上げながら,北西の方向に歩き続ける.地図で確かめると,この辺りの坂を鳥居坂と呼ぶようである.
 15時30分,左折して未舗装で草付きの脇道に入る.坂を少し下ると道幅は狭いが舗装道路に合流する.この道が旧中仙道である.予め準備していた地図では,あまり細かいところは分からないので,多少の不安があるが,まあ,間違いなかろうということで先へ進む.
 私が地図を眺めながら,”庚申塔は未だな”と不安がる.すると,今回初めて参加された方が,
 「地図では,まだ先になっていますよ・・・」
という.この方,地図に史跡や社寺の場所を記入したのが私だということに気がつかなかったらしい.どこかから権威ある地図をコピーしてきたと勘違いしていたようだ.資料を参考にしながら,予めプロットしていた場所のいくつかが,実際に現場に来てみると,少しずつずれていることが度々ある.その度に私はウロウロしてしまう.
 15時45分頃,国道18号線と上信越自動車道と交差する.ここで,自分の位置を確認する.そして.15時47分,目標の庚申塔の前を通過する.

<庚申塔>

■茶屋本陣案内杭
 予め資料で調べた範囲では,茶屋本陣や高札場の位置がどうも正確には分からなかったので,多少不安を感じながら歩き続ける.
 15時43分,進行方向左側に茶屋本陣を示す案内杭があるのを見付ける.正直なところホッとする.案内杭の指示に従って,ここで右折する.

<茶屋本陣の案内杭>

■高札場跡
 右折して直ぐ左手に,「安中藩板倉伊豫の神領分五料村高札場跡」という案内板が立っている.勿論,付近には普通の住宅が建ち並んでいるだけで,昔を偲ぶよすがもない.
 案内板の直ぐ先に信越本線の踏切が見えている.

<高札場跡>

■五料の茶屋本陣案内板と案内杭
 踏切を渡って直ぐに「茶屋本陣」の案内板と案内石柱が立っている.その指示に従って先へ進む(五料の茶屋本陣の見学については資料9を参照).

<五料茶屋本陣の案内板と案内杭>

■茶屋本陣お東
 15時50分,茶屋本陣お東に到着する.板塀に囲まれた壮大な敷地の奥に立派なお屋敷が建っている.
 ここの茶屋本陣は中島家”お西”と“お東”が並んでいる.“お西”が本家,“お東”が分家とのことである.
 案内板の指示に従って,まずは向かって左側にある“お西”の方へ行ってみる.

<茶屋本陣お東>

■茶屋本陣お西
 ”お西”は“お東”と地続きになっている.
 まずは,少しばかり“お西”を覗いてみる.近くにある案内板には次のような説明がなされている.
 茶屋本陣お西は江戸時代の名主屋敷であり,同時に茶屋本陣でもあった.お西の中島家は16世紀から代々名主役を務めていた.後に天保7年(1836年)から明治5年(1872年)までは“お東”と1年交替で名主を務めていた.この建物は“お東”と同年(文化3年)に建てられたもので,間口十三間,奥行七間の切妻造りで,両家の屋敷規模,平面とも殆ど同じである.白壁造りのよく映えた屋敷構えに当時を偲ぶことができる.

<”お西”の建物>

■お西の案内杭と赤ポスト
 “お西”の入口付近にある案内杭と,昔ながらの赤ポスト.

<案内杭と赤ポスト>

<横川へ>

■夕暮れの妙義山
 少々時間が押してきたので,15時50分頃,茶屋本陣を後にする.
 信越本線踏切手前で,夕日が眩しい妙義山をデジカメで写す.

<夕暮れの妙義山>

■郷土料理茶屋本陣「おきりこみ」
 地図を確かめながら西北西に進む.15時59分,進行方向左手の民家の軒と畑の間から,並行に走る道路が見える.そこに「茶屋本陣」と書いた看板が立っている.
 「多分,あの辺りに有名な「おきりこみ」の店があるんでしょうね・・・」
と同行のお一人が教えてくれる.
 私は,食べ物や草花にとても疎いので,「おきりこみ」という店など知らないが,名店なんだろうなって漠然と考える.その先に,相変わらず峨々とした妙義山の山々が連なっている.
 資料10によると,どうやら“おっきりこみ”というらしく,「おっきりこみ(おっ切り込み)は,煮込み麺料理の一種で,群馬県や埼玉県北部・秩父地方の郷土料理.お切り込み,煮ぼうとうとも表記される.」という.
 また,同資料によれば,「おっきりこみ(上州ほうとう)の原型は,中国から伝来し京都の宮中で食べられていた料理である.12世紀に上野国新田荘を開発した新田義重が,宮中の食材を管理する大炊助として務めていた際に習い覚えて,本拠地の上州に戻ってからも好んで食べ,一族に伝えたとされる.」ようである.
 私は,
 “まあ,饂飩のような味がするものなんだろうな…”
と想像する.


<「おきりこみ」付近から妙義山を望む>

■道祖神
 隙間から「おきりこみ」を見たところで,再び信越本線の踏切を渡る.
 踏切を渡ったところに立派な道祖神が祀られている.

<道祖神>

■夜泣き地蔵と茶釜石
 16時04分,夜泣き地蔵と茶釜石に到着する.
 資料4(P.19)によると,写真に写っている2体の内,右の大きな地蔵が夜泣き地蔵である.馬方が荷のバランスを取るために地蔵の首を利用したが,深谷で用済みの地蔵の頭を棄てたところ,夜ごとに「五料恋しや」と泣くので,里人がこの首を元のこの場所に届けたという伝説がある.
 茶釜石は叩くと金属音がする珍しい石である.傍らにある案内文によると,蜀山人はこの石を叩いて音色を聞いて直ぐに次のような狂歌を作ったという.
  “五料(五両)では
     あんまり高い(位置)
         音打(値打ち)をきいて
            通る旅人”
 この石は,叩くと空の茶釜の音がするというので,旅人はこの石を叩いて音色を懐かしんだ.
 なお,この石は五料の七不思議のひとつの数えられているという.

<夜泣き地蔵と茶釜石>

■馬頭観世音
 18時07分,大きな石に馬頭観世音と刻字した石柱の前を通過する.辺りには夏草が繁茂している.

<馬頭観世音>

■碓氷神社
 中仙道は,やがて信越本線の線路に突き当たる.ここからは線路を左手に眺めながら北西の方向に,暫くの間,歩き続ける.進行方向右手には山裾が続く.
 16時19分,碓氷神社の参道入口にある赤い鳥居に到着する.鳥居から山裾の上に向かって長い石段が続いている.
 折角,参道入口にいるのだから,とにかく階段を登って参拝することにする.階段を登り切ると質素な社殿がある.勿論参拝を済ませる.
 境内にある説明文によると,「この神社の創立年代は不明のようである.しかし,碓氷峠熊野神社の分霊が祀られていて,碓氷峠の鎮守産土神として崇敬されている.慶安年間(1648〜1852年)に社殿を改築し,碓氷峠山熊野神社の里宮として碓氷神社と呼んでいる.
 明治42年,中木の菅原神社,小管の波子古神社,平の諏訪神社,横川の八幡宮,そのた五料にあるいくつかの神社を合併合祀した.
 建久年間(1190〜1199年),源頼朝が信州浅間の牧狩りのときに,この神社で祈願し,境内に御所を置いた.それ以降,碓氷郷総鎮守崇敬されている.」

<碓氷神社>

■信越本線の電車
 16時33分,信越本線横川行の電車が通過する.私は,ネコと電車は出会ったときに必ず写真を撮ることにしている.
 見たところ,電車には余り乗客が乗っていないようである.若い頃,列車マニアだった私は,この年になっても,電車を見掛けると心が躍るから困ったものだ.

<信越線の電車>

■百合若大臣足踏石
 16時38分,百合若大臣足踏石とやらに到着する.傍らにある案内板の文字はすっかり消えていて全く読めない.
 資料4(p.19)によると,この石には「百合若大臣という大男が向かいの山を強弓で射る際に,石が削れてしまい足跡がのこった」という伝説があるようだ.

<百合若大臣足踏石>

<横川に到着>

■閑静な横川の集落
 16時44分,第十五中仙道踏切を渡って,再び線路の右側の歩くようになる.
 17時少し前に頃,横川の集落に入る.道路の両側には古い町並みの家が続くようになる.ただ,道路を歩いている人はほとんど居ない.まるでゴーストタウンのような趣である.


<人っ子一人居ない横川の集落>

■横川駅に到着
 17時01分,無事,JR横川駅に到着する.途中でかなり道草をしたので,到着時間は予定より
30分ほど遅延したが,見たいところは余す所なく見てきたので,まあ,満足である.
 さすがに横川駅には,私達以外にもチラホラと人影がある.
 “さて,これからどうしようか”と戸惑う.食事のことなどは考えるのも面倒なので,同行の女性軍お二人に,
  「どうするかお二人で決めて下さい・・・」
とお願いする.
 目の前に,「峠の釜飯」で有名な「おぎのや」の店舗がある.
 今夜の宿は,昨日と同じホテルルートイン高崎駅西口である.高崎へ戻ってから夕食をするのも良し,あるいは横川で釜飯を食べてからホテルへ戻るのも良し,とにかく女性軍にどうするか決めて下さいとお願いする.

<JR横川駅に到着>

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;安中市産業部商工観光課,発行年代未詳,「旧道日和(パンフレット)」安中市観光協会
資料6;松井田商店連盟;まついだどっとこむ,発行年未詳,「松井田宿まち歩き」安中市役所松井田支店地域振興課
資料7;http://www.geocities.jp/way_to_aizu/matsuida.html
資料8;http://www.geocities.jp/mrmaxsakura/jyousyuu02.html
資料9;http://www.city.annaka.gunma.jp/kanko_spot/goryou.html
資料10;http://udon.mu/okirikomi

[加除修正]
2013/6/3 本文の加除修正,誤字脱字転換ミスの修正,記事の追加を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/cb83f2407ddc342c76d760e63eaf732d
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f9f46f04b22cef68e2a89fae17c72482
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

鎌倉のアジサイ;仏行寺・鎌倉山・成就院・御霊神社周遊

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                             <成就院のアジサイ>

  鎌倉のアジサイ;仏行寺・鎌倉山・成就院・御霊神社周遊
           (単独散策)
       2013年6月3日(月)  晴

<ルート地図>



<深沢のアジサイと古刹>

■鎌倉中央公園からI氏宅まで
 今は梅雨の真っ直中なはずだが,この数日は良い天気が続いている.そうなると終日家に籠もって地道なことをしているなんて,重傷のブラブラ病に罹っている私にはどだい無理な話である.でも,そんな私でも午前中はそれなりに諸事万端それなりにこなした.そして,昼食後,いよいよフラフラブラウン歩きの始まりである.
 勿論,最初からどこそこへ行こうなんて考えているわけではない.全てが成り行き任せ風任せである.唯一の縛りは夕食に間に合うように帰宅するということだけである.
 私は財布とバスの定期券だけを持って家を出る.そうそう,勿論,バカカメラと携帯電話も持参である.
 ”さて,どっちへ行こうか…”
 家を出た途端に,行き先に迷う.
 “まあ,とにかく深沢のI氏宅のアジサイがどんな状態か確かめなければ…”
ということで,13時42分に鎌倉中央公園清水塚口から歩き出す.
 丸山の住宅地を深沢方面に下って13時47分,個人宅だがアジサイで有名なI氏宅の前を通過する.入口の門からアジサイの写真を撮らせて貰うが,あじさいの見頃は,まだ,まだ,先のようである.

<I氏邸>

■大慶寺
 13時50分,大慶寺に到着する.臨済宗円覚寺派の寺である.入口のアジサイは今が見頃.数日前より少し青色が鮮やかになったかな.気のせいかな.
 写真を1枚撮っただけで通過する.

<大慶寺>

■等覚寺
 引きつづき等覚寺を詣でる.ここにはアジサイは無いようである.茅葺きの山門が風情豊かなので,写真に収める.ここは真言宗の寺である.
 この辺りは頻繁に通るところなので先を急ぐことにする.

<等覚寺>

<仏行寺>

■笛田の谷戸を仏行寺へ
 当初,深沢でコンビニでもひやかしてから,Uターンして家に戻る積もりだったが,
 “まあ,折角,歩き出したんだから仏行寺のアジサイでも見ておこうか”
という気になる.
 そこで,深沢交差点を通過して笛田の谷戸に入り込む.笛田の田んぼも田植えに供えて水が引かれている.舗装されたバス通りを避けて,くねくねと曲がりながら集落の間を巡る裏道に入る.
 14時14分,仏行寺に到着する.
 山門に備え付けの集金箱に参観料100円を入れて境内に入る.
 お参りを済ませて,本堂左手のアジサイと石仏を拝みながら墓地に向かう坂道を登る.ここのアジサイの見頃はもう少し先のようである.

<アジサイと石仏>

■素晴らしい庭園の眺め
 裏山の山頂にある源太塚を目指して,墓地の中の坂道を登る.かなりの急坂である.
 坂の途中から,アジサイ越に庭園を見下ろすことができる.素晴らしい眺めである.この辺りのアジサイは今が見頃である.

<庭園を見下ろす>

■源太塚
 14時20分,源太塚に到着する.
 一気に階段を登ったので,幾分汗ばんでくる.源太塚からの眺望を楽しみながら,一息入れる.ここから南に目を転じると源太塚とは対になる「しのぶ塚」がある山が見える.
 “ついでに,しのぶ塚まで行ってみるか”
という気になってくる.でも,この先,どこで気が変わるか分かったものではない.
 源太塚から往路とは別の道を辿って,本堂脇まで戻る.

<源太塚>

<夫婦池公園から鎌倉山へ>

■夫婦池公園へ
 仏行寺から往路を少し戻って,夫婦池公園を目指す.道幅が狭い登り坂が続く.
 途中,三嶋神社の前を通過する.三嶋神社の拝殿に辿り着くには,長くて急な階段を登らなければならない.第一アジサイもなさそうだ.
 “や〜メタッと…!”
通過!
 14時34分,夫婦池公園に到着する.ここの池の写真は,このブログで何度となく掲載しているので,今回は省略する.
 二つの池の間にある事務棟付近に沢山のアジサイが植えられている.でも,花が咲くのは,まだ,まだ,先のようである.

<夫婦池のアジサイ>

■鎌倉山口のアジサイ
 公園内の谷沿いの道を南へ向かう.坂道である.この坂を登り切ると鎌倉山の尾根に出る.そこに鎌倉山碑が立っている.
 鎌倉山の尾根に出る手前にアジサイの群生地がある.でも,花が咲いているのは数本だけ.大部分のアジサイはまだこれからである.

<鎌倉山碑手前のアジサイ>

<鎌倉山散策>

■鎌倉山碑
 坂を登り切って,14時44分,さくら通り沿いの鎌倉山碑に到着する.ここから,さくら通りのすぐ先に,有名な割烹料理店「雷亭」の入口が見えている.自慢するわけではないが,私はこの高級店に入ったことはない.
 直ぐ側の休憩所で,立ち休憩の後,さくら通りに向かって左手の裏道に入る.

<鎌倉山碑>

■しのぶ塚
 鎌倉山碑から未舗装の裏道を経由して,バス停若松方面に向かう.緑滴る素晴らしい散策路である.まるで軽井沢の別荘地を歩いているような感じがする.この静かな道も,暫く歩くと終わりになり,自動車の往来が激しいさくら通りに合流する.
 若松バス停の少し先で左折,さらに右折して,14時57分,しのぶ塚に到着する.

<しのぶ塚>

■静かな鎌倉山を楽しむ
 往路をさくら通りまで戻る.右折して鎌倉山1丁目の枝道に入る.ここは袋小路.だから自動車は通り抜けできない.自動車がほとんど通らないので,至って閑静である.所々にアジサイが植えられている.この道は私のお気に入りの散策路である.
 お目当てのアジサイは,もう少しで見頃を迎えそうである.アジサイの写真を撮ろうとするが,あいにく太陽が邪魔をして上手く撮れない.

<もうすぐ見頃なアジサイ>

■肉弾三勇士碑
 やがて道路は突き当たりになる.ここから先は草道の階段である.階段を登り切ると,さくら通りから1本南側の道路に出る.笛田方面から七里ヶ浜への抜け道として,よく利用される道である.
 抜け道のために,道幅が狭い道にもかかわらず,結構,自動車の交通量が多い.
 やがて三叉路に到着する.序でに三叉路のすぐ先にある肉弾三勇士碑に立ち寄る.

<肉弾三勇士碑>

■鎌倉山神社
 三叉路をそのまま南東に向かう.この道も袋小路である.
 15時13分,鎌倉山神社を詣でる.階段を登ると祠風の社殿がある.階段の登り口に神社の由来を説明した案内板が立っている.
 小さな神社だが,境内は綺麗に整備されているので,とても気分が良い.

<鎌倉山神社>

<稲村ヶ崎から極楽寺へ>

■山道を経由して聖福寺公園へ
 鎌倉山神社からさらに先へ進むと,道路は突き当たりになる.ここからの材木座海岸方面の眺望が素晴らしい.
 眺望を楽しみながら立ち休憩をした後,山道に入る.
 山道はほんの2〜300メートルで七里ヶ浜の断崖上の三叉路に突き当たる.左折すれば月影地蔵を経由して極楽寺方面に出られる.今日は敢えて右に曲がって,七里ヶ浜住宅地に下山する.
 七里ヶ浜住宅地の中を適当に歩いて,15時30分,聖福寺公園に到着する.
 聖福寺公園のアジサイは,まだまだ蕾である.
 
<聖福寺公園>                              <聖福寺公園のアジサイ>

■急坂を登る
 聖福寺公園から,お山越えをして月影地蔵に出ようかとも思ったが,久々に稲村ヶ崎駅方面へ行ってみることにする.ここ数年,この道を歩いていないからである.でも,これが結構長いので,歩いている途中で退屈してくる.
 15時44分,駐車場脇の交差点で左折する.下の写真で,駐車場の向こうに見える急坂を登る.舗装こそしてあるが,とんでもない急坂である.まるでサンフランシスコのようである.
 この急坂を登り切ると尾根の上に出る.尾根で左折すると住宅地の中の階段道を下って,日蓮袈裟懸け松付近に降りることができる.

<緑陰の急坂を登る>

■月影ヶ谷
 今回は,尾根から反対側に伸びる路地を下る.道幅が狭い階段道である.進行方向右手にアジサイが沢山あったと記憶していたが,ちょっと本数が少なくなっているかな.もう少しで見頃を迎えそうなアジサイがある一方,まだまだ蕾のままのアジサイもある.木によって,見頃はバラバラだ.
 狭い坂道を下ると月影ヶ谷に突き当たる.余談だが,月影地蔵は,もともと,この月影ヶ谷のあったと聞いている.

<月影ヶ谷付近のアジサイ>

■極楽寺駅
 月影ヶ谷を道なりに下って,江ノ電の踏切を渡る.
 この辺りの江ノ電沿いの民家は,玄関前に電車の線路があるので,家への出入りは電車の線路を越えてしているんだろうか.何とも不思議な風景である.
 15時57分,江ノ電の極楽寺駅に到着する.途端に沢山の観光客の波に遭遇する.これまでは全くの一人旅だったのに…

<極楽寺駅>

■上杉憲方墓
 喧噪の道から,狭い階段を登って上杉憲方墓を詣でる.この墓の脇に見事なアジサイがあるが,まだ,まだ,蕾のまま(この写真の反対側にアジサイがある).
 ここで上杉憲方について,能書きを書きたくなるが省略.

<上杉憲方墓>

<成就院>

■成就院に到着
 観光客の人波に乗って,成就院に向かう.
 16時03分,階段道を登って成就院に到着する.たまたま,この写真に写っている男性群に,カメラのシャッターを押してくれと頼まれる.もちろん快諾.
 もう時間が押しているので,境内に入らずに,そのまま反対側の階段道を降りる. 

<成就院に到着>

■成就院のアジサイ
 成就院のアジサイは,まだ,こんな感じ.露出が手前の暗いところにあったらしくて,遠景の由比ヶ浜は,完全に飛んじゃった.まあバカカメラだからしかたがない(オマエがバカなんだよ! ハイ! その通り).
 あじさいの見頃はもう少し先である.
 ここで,デジカメの電池がなくなる.デジカメから電池を取り出して,こすったり暖めたりしたが,電池は再生しない.それもその筈,今は気温も十分に高いので,なまじ電池を擦っても起電力は回復しないに決まっている.
 ここから先は,仕方がない.携帯電話のカメラ機能で撮影することにする.

<成就院のアジサイ>

<御霊神社と長谷寺>

■江ノ電と御霊神社
 途中経過は飛ばそう.
 16時11分,御霊神社に到着する.まずは,江ノ電の線路とアジサイの写真を撮る.残念ながら,電車が来るのを辛抱強く待つ気にはなれない.なにせ,私はせっかちである.電車はともかく,ここのアジサイの見頃はまだまだ先である.

<御霊神社前の江ノ電>

■御霊神社のアジサイ
 御霊神社裏手のアジサイ小径を歩く.今日のテーマはアジサイなので,途中に千両,万両などの記述は省略する.
 残念ながら,ここのアジサイの見頃はまだまだ先のようである.

<御霊神社のアジサイ>

■長谷寺
 御霊神社から長谷寺駐車場を横切って,16時18分,長谷寺に到着する.境内に入らずに長谷寺のアジサイを見上げるが,アジサイはまだこれから.写真を撮ろうと思ったが西日がもろにカメラに入るので眩しくて撮れない.
 山門から中を覗いて1枚だけ写真を撮る.

<長谷寺を覗く>

<浅間神社から裏大仏ハイキングコースへ>

■浅間神社参道
 時間が大分押してきたので,近道を通って帰宅することにしよう.
 私は観光客で大賑わいの長谷寺から大仏前を抜けて大仏の東側,長谷5丁目の裏道を北に向かう.
 16時34分,途中から左折して,浅間神社参道に向かう.
 例年,この参道付近のアジサイがとても綺麗である.今年も期待に違わず,下の写真のようにアジサイが咲き出している…が,見頃には一寸早いようである.

<浅間神社参道>

■浅間神社
 長い階段の参道を登り切って,16時37分,浅間神社に到着する.
 境内の清掃が行き届いていて気持ちがよい.この神社について一くさり書きたいところだが,冗長になるので止めておこう.

<浅間神社>

■裏大仏ハイキングコースへ
 浅間神社から,一旦急坂を下ってから,今度は急な坂を登り返す.道の両側にはササが繁茂していて,ちょっとした藪こぎ状態である.
 ほんの数分登ると,裏大仏ハイキングコースに飛び出る.飛び出たところに「浅間神社」と書いた小さな板切れがぶら下げてある.

<裏大仏ハイキングコースに飛び出る>

<桔梗山・梶原経由で出発点に戻る>

■桔梗山のグリーンハイツ
 裏大仏ハイキングコースを源氏山方面に向けて,暫くの間,歩く.
 佐助稲荷への分岐を過ぎて,長くて急な登り坂に差し掛かる.ここで左折してハイキングコースの裏道に入る.
 途中何カ所から分岐があるが,16時51分,桔梗山のグリーンハイツに下山する.
 さらに,グリーンハイツの西側の縁を辿って,バス停東梶原付近に降りる.
 途中に沢山のアジサイがあるが,どうやら見頃を迎えているものが多い.

<グリーンハイツのアジサイ>

■梶原
 17時02分,梶原に到着する.この辺りにもアジサイが沢山植えられている.
 なぜか,この辺りのアジサイはまだまだ.見頃になるまでには時間が掛かりそうである.
 成り行きで梶原にあるコンビニに立ち寄る.特に買いたいものはないのだが…まあ,惰性というヤツである.店内をぐるり一回りして,ちょっとばかり雑誌を立ち読みして店を出る.

<梶原のアジサイ>

■無事出発点に戻る
 5分ほどでコンビニを出る.
 梶原から坂道を登って,17時16分に山の上ロータリーを通過する.ここから緩やかなな坂道を下って,17時20分に今日の出発点である鎌倉中央公園清水塚口に無事戻る.
 丁度,鎌倉中央公園の出入り口を閉める時間のようである.
 うっかり,鎌倉中央公園を廻っていたら,公園の中に閉じ込められたかもしれない.
 こうして成り行き任せの散策は,結果的に水平歩行距離12.2キロメートル.やや長い距離の散策になってしまった.

<鎌倉中央公園清水塚口に到着>

<ラップタイム>

13:42  歩き出し
13:47  I氏邸
13:50  大慶寺
13:53  等覚寺
14:14  仏行寺(14:20源太塚,14:29発)
14:34  夫婦池公園
14:44  鎌倉山碑
14:57  しのぶ塚
15:11  肉弾三勇士碑
15:13  鎌倉山神社
15:17  山道
15:27  七里ヶ浜住宅地
15:30  正福寺公園
15:44  坂道
15:48  尾根越え
15:52  月影ヶ谷
15:57  極楽寺駅
16:00  上杉憲方墓
16:03  成就院
16:11  御霊神社
16:18  長谷寺
16:37  浅間神社
16:40  裏大仏ハイキングコース
16:51  桔梗山グリーンハイツ
17:02  梶原
17:20  歩き終わり

 [散策記録]

■水平歩行距離      12.3km

■累積登攀高度      421m

■累積下降高度      421m

■所要時間(休憩時間を含む)
  歩き出し       13:47
  歩き終わり      17:20
  (所要時間)  3時間33分(3.55h)
  水平歩行速度     12.3km/3.55h=3.46km/h
                                (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c435f553346be0f3b395d36d8be59af4
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)


梅雨の鎌倉;鎌倉中央公園のアジサイと綺麗な花

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                                <鎌倉中央公園のアジサイ>

     梅雨の鎌倉;鎌倉中央公園のアジサイと綺麗な花
            (単独プチ散策)

2013年6月7日(木) 曇

 天気予報では「今朝は雨」ということだったが,お湿り程度だったかな…
 午後から鎌倉中央公園を通り抜けて,大船駅までブラブラ歩きを楽しむ.パソコンプリンター用のインクを購入する意外に特段の用事はない.ただ大船駅近くでコーヒーを賞味するのが楽しみだった.でも,駅前の家電量販店で随分と時間を潰してしまったので,コーヒーは諦め帰宅すう.
 中央公園で綺麗な花の写真を沢山撮ったので,記録に残しておくことにしたい.
 ただ,アジサイ以外の花の名前は,私にはサッパリ分からないし,覚えられない.覚える気もない.でも,実に綺麗だなと思う.

 



 
 
 
 
 

 ところで,アジサイは…
 見頃は,未だのようである.
 


                                               (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3740335cc85bf9d3fcf617f333ab05f0
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/3e0de81e3948b3baf296e2da25a32baa

歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第3日目の概要

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[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第3日目の概要
            (五十三次洛遊会)
     2012年10月12日(金)〜14日(日)

※本稿の初出は2012年10月14日である.
 初稿の誤字脱字転換ミスの訂正と本文の見直しを行った.

2012年10月13日(土)

 ホテルルートイン高崎から高崎駅へ.
 信越本線の電車で横川駅へ移動する.
 横川駅から,いよいよ中山道六十九宿巡りの難所,碓氷峠を登る.碓氷峠から軽井沢駅まで歩く.
 軽井沢駅で解散.
 軽井沢から長野新幹線,東海道本線を乗り継いで帰宅する.
 水平歩行距離14.0キロメートル,累積登攀高度915メートル,累積下降高度359メートルである.
                                         (つづく)

[加除修正]
2013/6/7 本文の訂正,加除修正を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f6f9b8e7678cf7defdb8227a0d79adbf
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/241b05b100d674b228ad54321f4f3fcb
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.


歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第3日目(2):坂本宿

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                              <坂本八幡宮境内>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第3日目(2):坂本宿
           (五十三次洛遊会)
       2012年10月12日(金)〜14日(日)

※本稿の初出は2012年11月4日である.
 初稿の誤字脱字転換ミスの修正と本文の加除修正を行った.

2012年10月14日(日) (つづき)

<横川周辺地図>


                        ↓ 拡大図


<坂本宿に到着>

■坂本宿の概要
 坂本宿は第17次の宿場である.資料3(p.107)によれば,宿内人口732人.内,男376人,女356人.宿内惣家数162軒,内,本陣2軒,脇本陣2軒,旅籠40軒.
による 坂本宿は,碓氷峠東麓に幕府による計画的宿として誕生した.直線道路と直角に,短冊型に整然と地割した上で,住民を呼び寄せた(資料1.p.42).
 資料7には,「坂本宿(さかもとしゅく)は,JR信越本線横川駅から国道18号線(旧道)を軽井沢方向に2キロメートルほど行ったところにあり,その途中に碓氷峠がある.中山道有数の難所であった碓氷峠の東の入口にあたり,本陣と脇本陣合わせて4軒,旅籠は最盛期には40軒ある比較的大きな宿場であった.天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば,坂本宿の宿内家数は732軒,うち本陣2軒,脇本陣2軒,旅籠40軒で宿内人口は732人であった.」という説明がある.

<坂本宿の屋号一覧> 現地案内板より

■前方に小山が見える
 平髭神社を過ぎて,やや急な坂道を登り続ける.
 9時28分,進行方向右手の土手の上に「みんなのトイレ」のある場所を通過する.前方には小高い山(刎石山)と,その手前に集落が見えている.
 資料1(p.42)によれば,安政遠足では前方に見えている小山を登るようである.
 前方に見える集落が坂本宿である.
 安政遠足とは,資料8によると,「”遠足”と書いて”とおあし”と読む.毎年5月の第2日曜日に開催される行事で,毎回たくさんの仮装したランナーが走る.この遠足の歴史は古く,江戸時代(西暦1855年)に当時の安中藩主「板倉勝明」(いたくらかつあきら)公が藩士の鍛錬のために碓氷峠の熊野権現まで7里余りの中山道を徒歩競走をさせ,その着順を記録させたことがはじまりで,日本のマラソンの発祥である.」ということである.
<安政遠足の小山と坂本宿遠望>

■坂本宿入口の交番
 坂道を登ると集落がだんだんと近付く.
 9時34分,進行方向左手に白壁瓦葺きの交番を通過する.原駐在所である.とても洒落た雰囲気がある建物である.

<坂本宿の入口にある原駐在所>

<宿内散策>

■下の木戸
 9時36分,坂本宿下の木戸に到着する.坂本宿の標柱と柵が建っている.いよいよ坂本宿の宿内に入る.
 最近改修されたばかりと思われる真新しい道路が真っ直ぐに刎石山に向かって伸びている.
 木戸脇に設置されている案内板によると,坂本宿の「宿内の長さは392間(約713メートル).京都寄りと江戸寄りの両はずれに上木戸と下木戸が作られた.現在の下木戸は当時の設置場所に一部復元したものである.木戸の開閉は,明け六ッ(現在の6時)から暮れ六ッ(現在の18時)までの間だった.実際には木戸番が顔を識別できるところで判断していたらしい.
 絵図によると,八間1尺(約14.8メートル)の道路に川幅四尺(約1.3メートル)の用水路が中央にあり,その両側に本陣,脇本陣に旅籠,商家160軒がそれぞれ屋号看板を掲げ,その賑わい振りは次の馬子唄からもうかがい知れる.
  “雨がふりゃこそ
     松井田泊まり,
       不乱や越します
          坂本へ”」

<下の木戸>

■中村碓嶺生誕の地
 9時39分,中村碓嶺生誕の地に到着する.
 この方がどのような人物か,私には何も分からないが,案内文の説明によると,碓嶺は幼少の頃から,40キロメートルも離れた本庄に住む長庵という人に師事した有名な俳人だという.

<中村碓嶺生誕の地付近の立派な家>

■佐藤本陣跡
 引きつづき佐藤本陣跡に到着する.
 案内板の記事によると,坂本には2箇所に本陣があったが,この佐藤本陣は「上の本陣」と呼ばれていた.
 東に碓氷関所,西に碓氷峠を控えているために,坂本泊まりが必須となり,ここには本陣が二つ必要だった.そのため,坂本宿は大変賑わっていたという.

<佐藤本陣跡>

■脇本陣「みよがや」と「永井」
 9時44分,脇本陣「みよがや」の前を通過する.立派な門構えである.
 続いて脇本陣「永井」がある.
 
<脇本陣「みよがや」><脇本陣「永井」>

■坂本公民館・脇本陣酒屋跡
 9時47分.坂本公民館に到着する.脇本陣酒屋という表札が取り付けられている.

<坂本公民館>

■旅籠「かぎや」
 9時48分,旅籠「かぎや」を見物.
 案内板の説明によると,「かぎや」は坂本宿時代の面影を残す代表的な旅籠の建物だという.約370年前,高崎藩納戸役鍵番をしていた武井家の先祖が坂本に移住して旅籠を営むが,役職にちなんで屋号を「かぎや」にしたといわれる.

<旅籠「かぎや」>

■小林一茶の定宿「たかさごや」
 9時50分,「たかさごや」跡に到着する.ここには遺構などは全くないが,案内板だけが立っている.
 案内板の説明によると,信濃国柏原に住んでいた小林一茶が江戸に趨くときに,この「たかさごや」を定宿にしていた.一茶がここに泊まると近郊在郷の俳句愛好者が集まったとのことである.
 蛇足になるが,資料9には,「小林一茶は宝暦13年5月5日(1763年6月15日)-文政10年11月19日(1823年1月15日))は,江戸時代を代表する俳諧師の一人.本名を小林弥太郎.別号は,圯橋・菊明・亜堂・雲外・一茶坊・二六庵・俳諧寺など.」という説明がある.

<「たかさごや」あと>

■最後のコンビニ
 9時52分,進行方向左手にあるコンビニに立ち寄る.ここから先,軽井沢まで山の中なので,ここが最後のコンビニになる.
 私達も,このコンビニに入って,不足しているものを買い足す.

<坂本宿最後のコンビニ>

■上木戸跡
 橋供養塔の直ぐ近くに上木戸跡がある.
 ここで,下木戸から392間あった「宿内」から外に出ることになる.

<上木戸跡>

<いよいよ碓氷峠へ>

■芭蕉の句碑
 上木戸を過ぎて間もなく芭蕉の句碑が立っている.松井田町指定重要文化財である.
 寛政年間(1790年頃),坂本宿の俳人達が,春秋白雄に依頼し選句し書いて貰ったものだという.
 春秋白雄という人物のことは,私は何も分からないが有名な俳人だったんだろうと想像する.
 当初,この碑は刎石山山頂にあったが,明治年間廃道になったため現在地に移転した.
 この句は,木曾路下りのもので碓氷峠のものではないという.
  “ひとつ脱て
     うしろに負いぬ
        衣かへ”

<芭蕉の句碑>

■坂本八幡宮
 10時04分,坂本八幡宮に到着する.深い木立に覆われた立派な神社である.
 鳥井脇にある案内板によると,この神社の創立年代は不詳.伝承によれば景行天皇40年10月日本武尊の勧請という.江戸時代,諏訪神社,白山神社,八坂神社,水神,菅原神社,大山祇神社等を合祀したという.大正3年に村社に指定される.
 なお,資料10には,「坂本八幡宮の創建は景行天皇40年に日本武尊の分霊を勧請したのが始まりと伝えられている.延喜年間に現在地に遷座,以来.,地域の産土神として信仰され周辺住民に崇敬された.江戸時代に入り中山道が整備され坂本宿が開かれると近郊にあった諏訪神社,白山神社,八坂神社,水神,菅原神社,大山祇神社などを合祀している.境内は広く大木に囲われ荘厳な雰囲気があり双体道祖神や石祠,石灯籠.石碑などが建立されている.」という説明がある.
 鳥居を潜って長い石段を登る.

<坂本八幡の鳥居と石段>

■坂本八幡本殿
 階段を登り切ると本殿がある.辺りは深い木立に覆われていて厳粛な雰囲気に包まれている.

<八幡宮本殿>

■可愛い女の子
 可愛い女の子が父親と一緒に散歩している.父親は白人である.
 遠慮のない同行の一人が,
 「どちらの国の方ですか・・・」
と父親に聞く.
 「イギリスです・・・」
という.
 どうしてイギリスの方が,このようなところに居られるのか気になるが,人様のプライバシィに踏み込むのは良くないので,何も聞かないでお別れする.
 これから,いよいよ中山道最大の難所碓氷峠越えが始まる.

<可愛い女の子とお父さん>
                                        (つづく)
[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;安中市産業部商工観光課,発行年代未詳,「旧道日和(パンフレット)」安中市観光協会
資料6;松井田商店連盟;まついだどっとこむ,発行年未詳,「松井田宿まち歩き」安中市役所松井田支店地域振興課
資料7;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E6%9C%AC%E5%AE%BF
資料8;http://www.city.annaka.gunma.jp/kanko_gyouji/tooashi/tooashi.html
資料9;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E4%B8%80%E8%8C%B6
資料10;http://aidu.konjiki.jp/gunma/nakasen/sakamoto/jin.html

[加除修正]
2013/6/9 誤字脱字転換ミスの訂正と本文の加除修正を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/241b05b100d674b228ad54321f4f3fcb
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/426b86e9ab008b475708c7ca8ebfbc21
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

歩いて巡る甲州道中四十四宿(第4回);(1)高尾から齣木野宿へ

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                                  <齣木野宿碑>

    歩いて巡る甲州道中四十四宿(第4回);(1)高尾から齣木野宿へ
         (五十三次洛遊会)
      2013年6月9日(日) 晴

<第4回の概要>

■第4回ルート地図



■第4回ルートの概要
 今年3月に江戸日本橋から歩き始めた甲州道中の旅も,今回でいよいよ第4回目を迎える.
 今回は,JR高尾駅から歩き出して,齣木野宿(12),小仏宿(13),尾原宿(14)を経由して,JR相模湖駅まで,水平距離11.2キロメートル,累積登攀高度563メートル,累積下降高度530メートルの行程である.
 途中,日本橋から歩き始めて最初の難所,小仏峠越えがある.
 参加者は11名,内,男性6名,女性5名である.全員が東海道五十三次を一緒に歩いた仲間である.

<ルート地図>



<JR高尾駅集合>

■朝の暇を持て余しながら高尾へ
 関東地方は,すでに梅雨入りしてから約2週間になるが,その間,殆ど雨が降っていない.今日も朝から真夏を思わせる強い日射しが照りつけている.
 例によって私は3時半頃起床するが,今日はお出かけとなると,塔ノ岳に出掛けるときと同じように,朝の内に仕事をするだけの時間もないし,そうかといって,グズグズ家で時間を過ごすのもイライラして仕方がない.私は,こんな時間に家を出るのは,早すぎると十分承知の上,何時も塔ノ岳に登るときと同じに,5時10分に家を出発する.
 大船駅前のマクドナルドに立ち寄って,コーラを飲みながら,40分ほど時間を潰す.その間に,地図を見ながら,今日のコースの予習と,次回のコース地図の見直しを行う.早朝にもかかわらずマクドナルドは沢山のお客で混雑している.20歳代前半と思われる客が多いようである.
 大船6時10分発湘南新宿ラインの電車に乗車する.
 このまま新宿まで行って,中央線快速電車に乗って高雄まで行こうかと迷うが,結局は?浜駅,東神奈川駅で合計2回乗り換えて?浜線で八王子駅へ向かう.
 7時30分,八王子着.ここでまた中央線に乗り換えて7時45分に高尾駅に到着する.
 到着ホームに,大きな天狗の面が飾られているのに気がつき,ビックリする.今まで何回か高尾駅に来ているのに,こんな大きな面があるのに気がつかなかった.

<高尾駅に到着>

■登山客で混雑する高尾駅
 集合時間は9時丁度である.いくら何でも早すぎる.高尾駅は沢山の登山客で,朝から随分と混雑している.殆どの登山客は多分高尾山に登るんだろうなと勝手に想像する.
 “まずは,コーヒーでも味わいながら,ゆっくりしよう…”
ということで,駅舎内のコーヒー店に入る.すると,今日の参加者のお一人,U田さんが私の目の前に居られる.こんなに早く高尾に到着したのは私1人だけだと思っていたので,随分とビックリする.
 ホットコーヒーを所望する.
 小さなお盆に乗せられたコーヒーは,なかなか見栄えがよい.味もまろやかで風味があり,私には絶品に思える.
 2人で雑談をしながらコーヒーを味わっていると,H田さん,W井夫妻などの仲間の方々が次々にコーヒー店に入ってくる.
 集合時間の15分前,8時45分に集合場所へ,
 間もなく全員が集まる.幾つものグループがほぼ同じ場所で集合しているので,似たような人達が沢山居て実に紛らわしい.

<高尾駅で賞味したコーヒー>

<高尾駅から歩き出す>

■喧噪の高尾駅前
 挨拶とリーダーからの連絡事項を終えて,8時56分,いよいよ歩き出し.第4回甲州道中の旅が始まる.
 今日は日曜日.高尾駅前から頻繁にバスが発着している.喧噪の狭い駅前から逃れるように歩き出す.まずは駅前の通りを抜けて,中山道に出る.

<高尾駅前を出発>

■廿里原古戦場
 中山道に沿って西へ向かう.狭い道路だがバスや自家用車の交通量が随分と多いので,落ち着かない.
 進行方向右手(北側)には若葉が美しい丘陵が見えている.
 「多分,あの辺りが廿里原古戦場(とどりこせんじょう)でしょうね…」
と近くの方にお話しする.
 資料3の説明には,
 「廿里古戦場は,戦国時代の1569年(永禄12年)10月1日に武田軍と後北条軍とが戦った古戦場.十十里原古戦場,十々里古戦場とも書く.現在の八王子市廿里町,廿里山(戸取山・鳥取山とも)の南側.現在は,独立行政法人森林総合研究所・多摩森林科学園(サクラの遺伝子保存や森林・林業に関する試験研究機関)がある付近.
 後北条氏の本拠・小田原城攻撃に向かう武田信玄率いる甲州勢2万は碓氷峠を越え,北条方の支城を攻撃しながら南下し,瀧山城の北,拝島に陣を敷いた.
 一方,武田軍の別働隊で岩殿城主・小山田信茂隊1千は小仏峠から侵入した.これに対し,北条氏照は,家臣ら2千の兵を派遣し,1569年(永禄12年)10月1日,廿里防塁跡で小山田軍を迎撃したが,待ち伏せの奇計を謀った小山田隊に敗北を喫したとされる.
 この後,武田軍により,滝山城は三の丸まで攻め込まれたが,かろうじて落城は免れた.北条方は小仏峠からの侵入を予想しておらず,意表をつかれたという.また,加住丘陵を利用した滝山城は南からの攻撃に弱点があることが明らかとなり,小仏峠を睨んだ強力な防衛拠点の構築を急ぎ,急峻な深沢山に八王子城を築き,本拠を滝山城から移転した.」
という説明がある.

■両界橋を渡る
 廿里古戦場を右手に見ながら,9時05分,浅川に架かる両界橋を渡る.ここは中央本線のガード下でもある.


<両界橋を渡る>

<齣木野宿>

■齣木野宿の概要
 資料2(p.283)によると,齣木野宿はの宿内人口は255人.内,男178人,女177人.宿内惣家数173軒.内,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠12軒の規模だったようである.
 八王子宿からの距離はわずかに1里27町しか離れていない.また,わずか27町で隣の小仏宿に至る.
 インターネットで,齣木野宿の記事を検索したが,めぼしい資料は見当たらない.

■旧齣木野病院
 9時15分,旧齣木野病院に到着する.隣接する場所に経っている立派な建物が現在の齣木野病院である.
 旧齣木野病院は,一般に公開されていて,見学できるようだが,私たちは先を急ぐので,見学は省略する.
 
<旧齣木野病院>                               <現在の齣木野病院>

■齣木野橋
 9時20分,齣木野橋を渡る.
 傍らに,道路工事で旧齣木野橋を移転したことを説明した石碑が立っている.

<齣木野橋>

■見当たらない本陣跡と脇本陣跡
 緩やかな登り坂が連続する.
 あらかじめ調べた資料を拠り所にして,本陣跡や脇本陣跡を探すが,案内板もなく,どこか分からないまま通過してしまう.
 資料2(p.283)には,進行方向右手にあるS木邸(実名は伏せる)が「昔の脇本陣だが家は新しい.その先の空き地が本陣跡」という記述があるが,あまり判然としないまま,本陣跡,脇本陣跡を通過してしまう.
 資料1には,進行方向左手にある古い建物が佐藤氏宅で古文書が残っているという説明があるが,どの家が佐藤氏宅かハッキリしないまま通過してしまったようである.

■史跡小仏関址
 相変わらずなだらかな登りが連続する.道路は浅川の右岸沿いを通るようになる.何時の間にか,両側の山が迫り,辺りは渓谷風の景色に変わっている.
 9時22分,史跡小仏関址に到着する.
 「史跡小佛関址」という刻字のある関碑と案内板が立っている.その脇に小さな空き地がある.
 温度計を持っていないので正確な気温は分からないが,随分と蒸し暑い.私たちは,関所跡の木陰で5分ほど給水休憩を取る.
 傍らの案内板の説明によると.「小仏関所は,戦国時代には小仏峠にこうけられ富士見関とこよばれた.武田,今川,織田などの周辺の有力氏が滅ぶと麓に一度移され,その後,北条氏の滅亡により,徳川幕府の甲州道中の重要な関所として現在地に移されとともに整備された.
 この関所は,道中奉行の支配下におかれ,元和元年(1625年)行こう4人の関所番が配備された.関所の通過は,明け六ッ(午前6時)から暮れ六ッ(午後6時)までとし,しかも手形を必要とした.鉄砲手形は老中が,町人手形は名主が発行.この手形を番所に前にすえられた手形石に並べ,もう一つの手付き石に手をついて許しを待ったという.
 特に「入り鉄砲に出女」は幕府に対する謀反の恐れがあるとして重視し厳しくとりしまった.抜け道を通ることは「関所破り」として「はりつけ」の罰が課せられるなど厳しかったが,地元の者は下番を交替ですることもあって自由な面もあったらしい.明治2年(1869年)1月の太政官布告で廃止され,建物も取り壊された.」という.
 相変わらず蒸し暑いが,木陰に入ると幾分爽やかである.辺りはむせるような新緑に覆われている.

<史跡小仏関址>

[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%BF%E9%87%8C%E5%8F%A4%E6%88%A6%E5%A0%B4

                                     (つづく)
                                                                         
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歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第3日目(1):碓氷関所とアプト回想

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                                 <川久保付近を行く>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第3日目(1):碓氷関所とアプト回想
           (五十三次洛遊会)
       2012年10月12日(金)〜14日(日)

※本稿の初出は2012年11月2日である.
 初稿の誤字脱字転換ミスを訂正し,本文の加除修正を行った.

2012年10月14日(日)

<横川周辺地図>




<高崎から横川へ移動>

■ホテルルートイン高崎駅西口の朝
 今回の中山道の旅もいよいよ3日目である.
 年を取るとどうしても朝の目覚めが早くなる.自宅に居るときは朝の時間を結構有効に使っているが,旅先ではパソコンもないし,見たくもないテレビでも見ているしか時間を潰す方法がない.ホテルの朝食は,6時45分からである.
 もし私の一人旅なら,ホテルは素泊まりにして,朝一番の電車で横川ヘ向かってしまうのだが,今回は同行者が居られるので,ごく普通の旅をしている.
 私の心の中に巣喰っているもう一人の私が,
 「お前がせっかちすぎるんだよ・・・・6時45分の朝食なら,結構早いじゃないか.お前さんは何時も突拍子もない早朝に家を飛び出して丹沢へばかり行っているから,感覚がおかしくなっているんだよ・・」
と私をくどくどと諭す.
 「はい,お説の通りです・・・そんなこと,わざわざ言われなくても,チャンと分かっちゃいるけど,どうも落ち着かないんですよ・・・」
 何時の間にか部屋の空調機が動いていて少々寒い.
 「アレっ! 昨夜,自分で空調機のスイッチをONにしたのかナ!?」
 良く覚えていない.“そろそろオレって認知症かな・・・”と空恐ろしくなってくる.そんなとき,何の脈絡もなく,冬場の塔ノ岳尊仏山荘で,ストーブの前で香箱をつくって気持ちよさそうにしている華伊達美弥雄さんのことを思い出す.
 テレビのチャンネルを入れ替えながら,身支度を調える.
 昨夜,同行の皆さんが,ホテルのフロントから,段ボールの空き箱を貰って,不要になった着替えなどを宅配便で自宅へ送るといっていたので,私も付和雷同.小さな段ボール箱を一つ貰っている.
 この段ボールに使用済みの衣類などを入れて,自宅へ送ろうかと思ったが,そんなガラクタを少しばかり箱に詰めても大した重さにはならない.ガサだってもともとリュックに入れていた物.私は家に送るのが急に馬鹿馬鹿しくなる.
 「面倒だ! このまま荷物を全部持って,碓氷峠を登るぞ!」

■ホテルの朝食
 6時35分頃,そろそろ頃合いの時間になったので,2階のロビーへ降りる.ご同行の皆さんもすでにロビーに居られる.
 6時40分頃から食堂がオープン.例によりバイキング形式である.カロリーオーバーにならないように注意をしている積もりだが,多種多様なネーベンを見ている内に,あれもこれもとついつい手が出てしまう.その結果が写真のような始末である.今朝もまたカロリーオーバー気味である.
 今朝の食堂は,昨日ほど混雑していない.4人で1つのテーブルに座って,ユックリと賞味する.そして,最後にコーヒーを賞味して朝食を終わる.

<バイキング形式の朝食>

■高崎駅へ
 7時35分,ホテルを出発,高崎駅に向かう.
 外は天気はよいものの少々寒い.私は年のせいか暑さ寒さに少々鈍感になっているので,相変わらずクイックドライ生地のTシャツ1枚を着ているだけ.他の皆さんはウインドウブレーカーのようなものをまとっている.
 「寒くないの・・・・」
と同行の皆さんが心配する.
 「別に・・・寒くないですよ」
と返事をするが,寒くないですかと言われた途端に,そういえば少し寒いかなと思い始める.でも,わざわざ何かを着るほどの寒さではないので,そのまま”寒くないよ,平気だよ”というような顔をして歩き続ける.
 ”そういうのを痩せ我慢って言うんだよ・・”
と,またもやもう一人の私が,この私を揶揄する.“バカ言いなさんな・・寒くないって言ったら寒くないんだ”と私は向きになる.
 駅までは,もう何回も往復している道である.繰り返して歩いている内に,最初は長く感じていた道のりも大して長いとは感じなくなっている.私達は,駐車場ばかりのエリアから,デパートの前を通り越して,10分ほどで高崎駅に到着する.

<私たちが泊まったホテルルートイン高崎駅西口>

■高崎駅を発車
 信越本線高崎7時59分発横川行電車に乗車する.
 高崎駅は結構大きな駅である.沢山の乗降客が行き来していて活気がある.職業柄添乗の経験のあるAさんが,先頭に立って実に細々と動き回られる.私は旅行社の客ではないので,
 ”そんなに,先回りして頂かなくても良いのに・・・”
と内心では思っているが口には出さない.
 途端に何の脈絡もなく,東海道五十三次の旅のことを思い出す.“提灯アンコウさんは元気にしておられるだろうか”.懐かしい!!
 電車は定刻に高崎駅を発車する.今日は日曜日.電車はかなり空いている.今日の車両は新型らしく,昨日帰りに乗車した電車に較べると大分乗り心地がよい.

<高崎駅で信越本線の電車に乗車する>

<横川駅から中山道へ>

■横川駅に到着
 電車は8時32分に横川駅に到着する.
  時間が未だ早いためか,日曜日にもかかわらず駅前は閑散としている.駅前広場の片隅で地場の産物を拝倍する露天が開店の準備をしている.折角なので,店先を一寸だけ見物する.
 美味しそうな地場野菜が並んでいるが,今日は中山道屈指の碓氷峠越えをしなければならないので,これ以上リュックを重くするわけにもいかない・・・開店前なのに売り場の若い男性が,とても愛想良く応対してくれるので心が和む.
 “オレもデリケートだな”
と一人で苦笑する.
 駅前を見回す.昨日,夕食を摂った釜飯の「おぎのや」は,まだ開店していない.それに駅前には「おぎのや」以外にも釜飯を販売しているお店があることを始めて知る.
 実は・・・
 昨日食べきれなくてホテルに持ち帰った釜飯の中身は,結局棄ててしまったが,釜だけは何となく棄てにくいので,リュックの中に入れてしまった.その分だけ今日にリュックは重くなりガサ張っていることになる.でも,釜を持ち歩いているなんて,みっともないので,同行の方から聞かれない限り秘密にしておこう.
 
<横川駅に到着>                               <テントの物産売り場>

■諏訪神社
 8時39分,私達は横川駅前から歩き出す.
 駅前広場から左折して中山道に入る.丁度そのとき,中山道の地図を片手にした初老の紳士と会う.軽く挨拶をする.この紳士も私達と同じコースを歩くようである.
 まずは,人影が全くない横川の集落を西北西に向かう.なだらかな上り勾配である.
 8時41分,屋の沢橋を渡る.
 橋を渡って2分ほど歩いて,諏訪神社の鳥居の前を通過する.
 
<矢野沢橋>                                 <諏訪神社>

<碓氷関所跡>

■東門の位置
 8時47分,「東門の位置」という案内杭の前に到着する.ここから向かって右の坂を登ると,すぐに碓氷峠関所跡に到着する.
 先程来,私達と前後して歩いていた男性は,関所跡の見学は省略して,先へ行ってしまう.私達は折角だから,関所跡を見学することにして坂を登る.

<碓氷関所の東門の位置>

■碓氷関所跡に東門から入る
 傍らにある案内板の記事によると,「醍醐天皇の昌泰2年(899年)に群盗を取り締まるために,関所が碓氷坂に設けられた.この地に関所が移ったのは,元和年間(1615〜1623年)といわれ,反幕体制を中心とした徳川幕府の確立と安定という政治的意味をもつものとなり,いわゆる「入鉄砲と出女」の取り締まりをねらいとしたものになった.明治2年(1869年)廃関されるまで中山道の要所となった.
 門柱および門扉は当時使用されていたもので,総ケヤキ材の要所に金具を用いた堅固なものである,ほかに屋根付6点と台石も当時のもので,昭和34年1月,東京大学教授工学博士肱島亥治郎氏の雪渓により復元された.
 この位置は番所跡にあたり,復元された門は東門である.」

<碓氷関所東門>

■碓氷御関所絵図
 関所の敷地に入ると「碓氷御関所絵図」という案内板が立っている.
 この案内板には,関所の平面図と,関所の沿革が詳しく書かれているが,細部にわたるのでここで紹介するのは省略する.
 この絵図でも分かるように,関所の規模はかなり大きかったようである.

<碓氷関所の案内板>

■碓氷関所の模型
 入館無料ということなので,資料館に入ってみる.
 館内中央に,さきほど案内板に書かれていた関所の平面図と同じ模型が展示されている.この模型を見ると,当時の碓氷関所の様子が何となく分かる.

<碓氷関所の模型>

■資料館を一回り
 受付で碓氷関所のパンフレットを頂戴する(資料5).
 このパンフレットには,関所通行と処刑,門柱および門扉などの説明と,関所のおこり,移り変わり,関所の構造,関所の役人などのことが簡潔に説明されている.
 パンフレットを眺めながら,資料館の中を一回りする.さまざまな古文書,記録,用品などが展示されている.
 場内にはボランティアの中高年の男性2人がいる.
 「よろしければ,説明致しますよ・・・」
と声を掛けて頂くが,丁寧にお断りする.
 実は,この方がそうというわけではないが,得てしてボランティアには,聞き手の時間の都合など全く無視して,自分が知っていることを全部話そうとする人が多い.全く予備知識のない通りすがりの観光客の頭には,あまり詳しい話は入らないし,そこまでの知識は必要としない.
 勿論,素晴らしいボランティアガイドも沢山居られるが・・・その証拠に,どんな聞き手に対しても,テープレコーダーのように,型にはまった同じ内容の話をしている人が多い.
 思わず話が横道に逸れた・・・
 「ンなら,お前のブログはどんな読者に対してKnown to unknown displayをしているんだ!」
と叱られそうである.
 答えは簡単.私は自分を最優先の対象にしてdisplayしている.だから,毎度,文末に記載してる朱色の断り書きが必要になるんだよ.
 こんなこと,グダグダと書いていてはダメ.本題に戻ろう.

<資料館を見学>

<忠魂碑と碓氷鉄道文化むら>

■碓氷峠鉄道文化むら
 碓氷関所の見学を終えて,もとの中山道に戻る.
 碓氷関所と反対側を覗くと,碓氷峠鉄道文化むらの一角が見える.その手前に,立派な忠魂碑が安置されている.
 忠魂碑の脇に立っている説明文には,およそ次のようなことが書かれている.
 「碓氷道は古くから東山道と呼ばれ,都と東国を結ぶ重要な宮道であった.徳川時代には中仙(FH注;山という字ではない)道として整備され,明治9年には国道18号線となった.その後並行して,
  明治21年馬車鉄道開設,
  明治26年信越線アプト式の開通,
  昭和41複線電化
された.
 信越線廃線に当たり各種交通機関建設で殉職された方々や災害や交通事故で亡くなった方々の慰霊のため鎮魂碑を建設する.」 

<鎮魂碑>

■碓氷鉄道文化むら
 鎮魂碑のすぐ先から横川鉄道文化むらの一部を見渡すことができる.そこには懐かしい電気機関車や客車がズラリ並んでいる.
 私は幼少の頃から何回となく信越本線を利用している.多分,ここに展示されている電気機関車や客車のお世話になっているに違いない.そう考えると,元鉄道マニアの私には,中山道など放り出して,こちらの見学に廻りたくなる.でも,まあ,そうもいかないので,少々後ろ髪を引かれる思いもするが,この場所を早々に退散する.

<碓氷鉄道文化むら>

<薬師坂を登る>

■コスモし満開の坂道
 鉄道文化むらを覗いてから,中山道を北西に向けて歩き始める.そのとき,通りすがりの地元の女性から呼び止められる.何事かと思うと,
 「…鉄道文化むらに行くんだったら,あちらです…」
と,私たちが行く方向とは反対側の方を指さす.
 「どうもありがとう.実は,私たち,中山道を歩いています…」
と月並みな返事をしてしまう.
 折角のご厚意に対して,もう少しまともな応えようがあったのではないかとチョッピリ反省する.
 中山道は次第に急な登り坂になる.
 コスモスが沢山咲いている集落に入る.路傍に「薬師坂」と刻字された石柱が立っている.

<薬師坂>

■川久保薬師堂と薬師の清水
 9時07分,川久保薬師堂に到着する.そして,薬師堂から少し離れたところに薬師の清水がある.
 傍らにある案内文によると,「碓氷関所の通行取り締まりが厳しい上に,碓氷峠を間近に控えて旅人は難渋を極めてた.そこで無事通過の願いと感謝を込めて,この坂に薬師如来を祀る薬師胴が建立された.また近くに清澄な湧き水があるところから,心太を商う店があり,旅人達は,ここで憩いながら旅装を整えたり,街道の事情をする場であった.このことから心太坂といわれ親しまれた」とのことである.

<薬師堂>


<薬師の清水>

■白髭神社
 北西に延びる一直線の道になる.舗装道路である.ちょっときつい上り勾配の道である.
 9時17分,進行方向左側にある白髭神社の参道に到着する.参道入口には立派な鳥居が建っている.
 参道の奥には,やや小振りだが綺麗な社殿がある.
 境内の案内板「白髭神社由緒」には,“白髭の老人日本武尊を救う”と題した説明文が掲載されている.この説明文によれば,「12代景行天皇の命により日本武尊は東国を平定し帰途,武蔵・上野を経てこの地碓氷嶺東麓川久保にさしかかった.そのとき山の神は,白鹿に化け尊の進路を妨げた.尊は蛭を投げて征せんとすると,濃霧たちまち起こり進退窮まった.すると剣を持った白髭の老人が現れ白鹿を撃退したので尊は濃霧から脱することができた.尊は,白髭の老人の霊験をみたのは天孫降臨を先導した猿田彦命の加護と思い石祠を建てた.時に景行天皇40年(240年).白髭老人にちなみ白髭神社創立となった.なお,尊が濃霧を避難した岩を不動尊の岩と呼び,そこから落下する滝を麻芋の滝という.この滝を白髭神社の前宮として飛滝大神を祀る.白髭神社の祭神は,猿田彦命,日本武尊,飛滝大神である.」

<白髭神社鳥居>


<白髭神社本殿>

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;「群馬県指定史跡碓氷関所跡」安中市教育委員会

[加除修正]
2013/6/10 誤字脱字転換ミスの修正と本文の推敲をおこなった.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f9f46f04b22cef68e2a89fae17c72482
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f87f9357e1de973e99122fddc0b58c93
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e

※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.


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