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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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陽春の鎌倉;フラワーセンター大船・龍宝寺・谷戸池周遊

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     陽春の鎌倉;フラワーセンター大船・龍宝寺・谷戸池周遊
      (山旅スクール5期「鎌倉トレッキング会」定例会)
        2013年5月2日(木)  雨後晴

<ルート地図>



<大船駅から玉泉寺へ>

■朝の内雨,三浦アルプスは止めた!
 もともとは三浦アルプス南尾根を縦走するつもりだったが,朝方まで雨が降っていたので,急遽予定を変更して,どこでも良いから鎌倉を歩くことになった.こんなに雨が降ったら,三浦アルプスの登山道は,多分ドロドロベタベタ.急坂のアップダウンが多い三浦アルプスは手こずりそうなので,近々リベンジすることにして,今日は止めたという次第.
 9時30分,大船駅南口に集合する.参加者はノシイカさん,野菜漬物さん,makoさん,N本さん,ホッシーさん(大倉尾根のホッシーさんとは別の日と),それに私の6名.男性は私だけの怖い集団である.ただし,全員が山旅スクール5期で同じ釜の飯を食べた方々.それぞれの人となりや登山歴,登山技術などもお互いに分かっているし,何と言っても登山に関しては共通の文化を持っているので,一緒に山に登っていても,何とも言えない安心感がある.
 さて,急遽,鎌倉散策に変更したので,これといって行きたい場所も定かでない.
 「どこでもいいから,歩きましょう・・・」
と一同から言われてしまい,鎌倉案内役の私は困惑する.
「・・・ンじゃまあ,フラワーセンターへでも行って,花でも見ながら,その後のコースを考えましょう」
ということで,9時35分に大船駅から歩き出す.
 まずは裏口のバスターミナルに向かう長い連絡橋を渡る.橋の途中から,大船観音が良く見えている.
 連絡橋から地上に降りて,直ぐに裏道に入る.裏道への入口にある玉縄首塚に黙礼して,通過する.
 
<大船観音;別の日に撮影したもの>                <玉縄首塚>

■気になって仕方がないレストラン
 続いて,何時も気になって仕方のないレストランの前を通過する.「山猫料理店」である.
 山猫料理店と言えば,言わずと知れた宮沢賢治の童話に出てくる「山猫料理店」を直ぐに連想する.この店の前を通過するとき,何時もこの童話と丹沢塔ノ岳尊仏山荘に住んでいる山猫華伊達美弥雄君(猫のあだ名)を連想する.
 ただ,この店の前を通過するときは何時も朝か夕方なので,一度この店に入ってみたいなと思ってはいるものの未だに入ったことがない.
 
<大船駅近くにある山猫料理店>

■トンネルを潜って玉泉寺へ
 藤沢方面へ数分歩いたところで右折して,小さなトンネルを潜る.トンネルの先は雪国ではなく,静かな住宅地である.住宅地の中の路地を道なりに進むと左手に玉縄小学校が見えてくる.さらに進むと直交する道路に突き当たる.そこで左折する.直ぐに玉泉寺の前に到着する.
 
<玉縄のトンネル>                              <玉泉寺参道>

■玉泉寺の布袋様
 玉泉寺の境内には,いろいろと見所がある.
 それはともかく,庭の片隅に布袋様らしい大きな石仏が安置されている.袋を持っていて大きな太鼓腹なので布袋様だと思う(間違いだったらご容赦).大きな太鼓腹を撫でて祈願する.
 何時もの私のクセで,ここで玉泉寺について一くさり何か書きたくなるが,くどくなるので,今回は書くのを止めておこう. 

<玉泉寺の布袋様>

<フラワーセンター大船植物園>

■フラワーセンタ大船に到着
 10時丁度に玉泉寺を出て,フラワーセンター大船に向かう.
 歩道橋を渡るのがシンドイので,駐車場の中を横断する.交通整理をしている係員に叱られるかと思ったが,横断道路では愛想良く自動車を止めて私たちを誘導してくれる.多分,女性群が多かったので,木を使ってくれたんだろうと思う.
 10時10分,フラワーセンター大船に到着する.ほぼ全員が高齢者なので入場料は100円に割り引きしてもらう.シメシメ.元気で年を取っているのは実に好都合である.
 ※フラワーセンター大船植物園の詳細は資料1参照.

<入口近くの池>

■ハンカチの木
 右回りに歩き始める.暫く歩くと,道路中央に,
 「ハンカチの木の花が咲いています」
と書いた案内が置いてある.
 「やっと,ハンカチの花にお目に掛かれた…」
と皆さんが興奮する.
 木を見上げると,なるほど,ハンカチを広げたような白い花が咲いている.私も,とても綺麗な花だなと思う.
 一同,暫くの間,この花に見とれている.

<ハンカチの花>

■おしば美術展
 当然のことながら,フラワーセンターには春の花が沢山咲いている.
 花オンチの私には,綺麗な花が沢山咲いているなと感銘を受けるが,どの花が珍しいかなどということは皆目分からない.
 ところが,今日ご一緒している皆様は,私はそこらに咲いているありふれた花にしか見えないのに,
 「あれ,あそこに○○が咲いている・・・ここにも! すご〜い!」
と興奮気味.
 園内を右回りに,あちこちで引っかかりながら,超低速で歩く.そして,成り行きで第1展示場で開催中の「おしば美術展」を見学する.
 何気なしに入った会場で,作品のあまりの美しさに驚愕.凄いのなんのって…
 「あれつ! 絵じゃないの…」
と疑いの眼で作品に近付いて見ると確かに「おしば」である.とにかく精緻で見事である.随分と時間を掛けて,作品を一つひとつ見て回る.
 
<おしば美術展の会場>                               <場内の様子>

■作品の事例
 どの作品も凄いが,1例だけこのブログに記録しておこう.
 どなたの作品か忘れたが,この苺にはビックリした.
 「まさか,この苺は本物ではないでしょうね…写真か何か貼り付けたんじゃないの…」
と誰かが言うと,近くに居られた掛かりの方が,
 「いえ,これ本物ですよ…」
これにはビックリ.
 いやはや,とにかく大したものである.

<おしば美術展にて>

■クレマチス展
 続いて第2展示場に入る.ここではクレマチス展が開催されている.
 私にはクレマチスなど全く分からないが,会場には色とりどりのクレマチスが展示されている.湘南クレマチスの会というところが主催の展示会らしい.ご年配の温厚そうな男性が説明している.
 私は,綺麗だなと感銘を受けるが,ここに展示されている花は,全部,違う品種の花のように見えてしまうほど,一口にクレマチスといっても多様なようである.
 
<クレマチス展会場>                            <会場の様子>

■「○○が咲いています」
 二つの会場を回ってから,外周道路に出る.
 ところどころに,「○○が咲いています」という案内板が置かれている.
 まずは,「ムサシアブミ」とかいう花.でも沢山の葉っぱの下を覗き込まないと見えないようである.花好きの皆さんは,興味深そうに覗き込む.私も釣られて.
 「どれ,どれ…」
と覗き込む.序でに写真も撮る…が,私の写真の整理が悪いので,正確に撮れているかどうかは分からない.
 続いて,カラシマソウとかいう花も,葉っぱの下を覗き込んで,同じように写真を撮る.さて,下の写真,合っているかな? 間違っていてもイイヤ.どうせ私は花オンチだから…
 
<ムサシアブミ>                                <カラシマソウ>

■花壇を散策
 道なりに進むと,広い花壇の中に入る.シャクヤク園やバラ園が続く.バラはまだ時期が少し早いようで,咲いている花の数もまだ少ない.
 それにしても,随分と沢山の花が咲いている.

<花壇を散策>

■花壇の中の休憩所で昼食
 あっという間に時間が過ぎて,お昼になる.
 私たちは花壇の中にある休憩所のベンチで,昼食を取ることにする.例によって野菜漬物さんやノシイカさんから,沢山のネーベンが提供される.
 本音を言えば,これらのネーベンが楽しみだ.正に花オンチの私には“花より団子”なのである.でも,花も美しいなと急いで付け加えておこう.

<花壇の中のベンチで昼食>

■観賞温室
 食後も,いろいろな場所をグルグルと回ったが省略する.
 最後に観賞温室に入る.私たちの前に30人ほどの小学生が賑やかに温室に入っていく.今回は見馴れない花が沢山咲いている.
 入口近くにあるカリステモンフォルモススという舌を噛みそうな名前の花が特に目に着く.ふわふわとした薄い黄色の花である.
 さらに中に入ると,少々グロテスクな感じがするヒスイカズラの花が目を引く.
 
<カリステモン フォルモスス>                                <ヒスイカズラ>

■蓮の池の畔で小休止
 蓮の池のコーナーに入る.明るくて心地よい場所である.
 池の縁に腰を下ろして,ほんの2〜3分,休憩を取る.

<蓮の池>

<龍口寺からお伊勢山神明神社へ>

■龍宝寺
 14時11分,ようやくフラワーセンター大船から外へ出る.実に4時間余りもフラワーセンター大船で過ごしたことになる.
 いくらなんでも,今回の散策はこれでオシマイというわけにはいかない.私はいろいろ考えた末に大船北西部の山を一回りして,16時頃,大船駅に戻るという計画を立てる.そして,まずは龍宝寺隧道を潜って龍宝寺に向かう.
 隧道を抜けると直ぐに龍宝寺山門に到着する.山門脇の幼稚園では,沢山の幼児賑やかである.幼児達が,実に可愛いい.
 素晴らしい石畳を踏んで,まずは本堂を詣でる.
 石畳の両側には花畑が広がっている.まだ,季節が早いのか,咲いている花の数は少ないようである.

<龍宝寺本堂>

■新井白石碑とおびただしい数の石塔
 再び幼稚園近くまで戻り,山門から見て左側の狭い道に入る.突き当たりに新井白石碑がある.碑の表面はすっかり風化していて,多分,字が彫ってあったんだろうと思うが,その痕跡すらない.
 崖縁の細い路地を経て裏山に登る.崖沿いおびただしい数の墓石や石塔が並んでいる.
 石塔の列が終わると,急な階段道になる.この道を登り詰めると高圧鉄塔の下に出る.ここからは完全な山道になる. 
 
<新井白石碑>                             <おびただしい数の墓石・石塔>

■尾根道を辿って竹林へ
 尾根沿いの山道を辿る.途中諏訪神社に下山する路を分岐する.
 尾根の山頂付近に,北条供養塔跡がある.ここにあった供養塔3基は,1年ほど前に龍宝寺本堂脇に移されている.
 さらに尾根道を辿る.進行方向左手には栄光学園のグラウンドが木陰に見え隠れしている.
 やがて,急な下り斜面になる.特段の道も付いていないので,適当に斜面を降りると,竹林に突き当たる.そして,竹林沿いの道を北の方向に向かう.
 
<北条供養塔跡>                               <竹林に降りる>

■岡本神明神社
 やがて路は切通になる.路面には枯れ葉がうずたかく降り積もっていて,まるで分厚い絨毯を踏んでいるような感じがする.素晴らしい切通である.ここは伊勢山の参道でもあったようである.
 やがて,切通も終わって視界が開ける.
 15時03分,立派な石段を登ってお伊勢山神明社に到着する.境内は狭いが,立派な社殿が建っている.周囲にはベンチが置いてある.ここで暫くの間休憩.
 目の前の山の向こうには大船観音の横顔が見えている.
 気温は暑くも寒くもない,ベンチに座っていると柔らかい春の日射しが実に心地よい.時間さえ許せば,何時までもジッとしていたい心地よさである. 


<お伊勢山神明社>

<矢戸池から黙泉寺へ>

■矢戸池
 何時までも日向ぼっこをしているわけにもいかないので,15時18分,重い腰を上げて,神明社から歩き出す.
 まずは階段を下って,住宅地内の狭い路地を通り抜けてバス通りに出る.丁度下校時なのか栄光学園の生徒が,三々五々,大船駅方面に歩いている.
 バス通りを横切って,15時27分,矢戸池に到着する.
 ここはサクラの名所である.つい先日,サクラが咲いていた頃は,観光客で賑わっていたが,今は閑散としている.
 池の周りに張り巡らされた金網越しに池を眺めていると,数羽のアヒルが私たちの所へ寄ってきてガアガアとうるさく啼き続ける.多分,エサをくれと言っているに違いない.

<矢戸池>

■子育て地蔵
 矢戸池近くの越建て地蔵を詣でる.
 どなたかが,
 「もう子育ても終わったから,用事はないな…」
と原意実的なことを言う.ま,そりゃそうだけど・・・
 
<子育て地蔵>

■黙泉寺
 クネクネと曲がりくねった旧多口の中の路地を辿る.複雑に枝分かれする坂道を登る.最後に急な階段道を登って,高台にある岡本の住宅地に出る.さらに,黙泉寺の境内に入る.
 境内の墓地の廻りを半周ほど歩いて,黙泉寺本堂の脇に出る.
 木の間から,大船の街が見下ろせる.電車の音,自動車の音など,大船の喧噪が,とても良く聞こえてくる.私の日常が,直ぐ下で待ち構えているような感じである.
 黙泉寺本堂前の広場で,ちょっとの間,立ち休憩を取る.

<黙泉寺本堂付近から大船を見下ろす>

<再び大船駅>

■大船駅前のガストで懇親会
 16時丁度に大船駅に戻る.私が胸の中で計算していた通りのピッタリの時間である.私は心の中で,
 “ドンピタッと予定通りの時間に戻るなんて,正に芸術的だな…”
と一人悦に入っている.
 このまま解散するのは勿体ないので,大船駅前のガストに入る.店内は結構混雑していて,6人が一箇所に座れる席は取れなかったが,近くの2箇所に分かれて座る.
 ビール党,甘党それぞれ.私はホットコーヒーの積もりだったが,その場の雰囲気に押されて,
 “じゃあ〜っと! たまには,何か冷たくて甘いものでもトライしようか・・”
 ということで,名前も良く分からないベタベタ物を注文する.
 やがて,注文したものが運ばれてくる.
 一口食べてみる.特に冷たいわけでもなく,ベタベタしていて猛烈に甘い.
 “うへっ…! こラ,オレにはダメだぁ〜・・・・”
 

■最低の歩行速度記録
 皆さんの雑談は何時まで経っても尽きないようなので,17時12分に,
 「お先に失礼します…」
ということで,店を出る.何しろ,皆さんは,2時間ぐらいは平気でお喋りしている方々だ.
 まだ外は明るいので,いっそのこと家まで歩いて帰ろうかとも思ったが,明日(5月3日),塔ノ岳を往復する積もりなので,あまり遊びほうけているわけにも行かないので,バスを利用して帰宅する.
 帰宅後,今日のハイキング記録を纏めて驚いた.
 何と水平歩行速度が,0.81キロメートル/時である.1時間かけて800メートルしか歩いていないことになる.多分,私がお付き合いしたハイキングの中で最低記録である.しかも,この最低記録が登山を勉強した仲間が出した記録という所が,とても面白い.
 さて,明日はお天気さえ良ければ,塔ノ岳に行くぞ!

<ラップタイム>

 9:35  大船駅から歩き出し
 9:43  玉縄首塚
 9:44  トンネル
 9:52  玉泉寺(10:00まで参拝見学)
10:10  フラワーセンター大船(14:11まで昼食・散策)
14:19  龍宝寺
14;47  旧北条3代墓所
15:03  お伊勢山神明神社(15:18まで展望休憩)
15:27  矢戸池
15:31  子育地蔵
15:49  黙泉寺本堂(15:51まで休憩)
16:00  大船駅着

 [ハイキング記録]

■水平歩行距離     5.2km

■累積登攀高度     159m

■累積下降高度     159m

■所要時間(休憩時間込み)
  大船駅発         9:35
     〃 着                  16:00
  (所要時間)         6時間25分(6.42h)
  水平歩行速度     5.2km/6.42h=0.81km/h
                              (おわり)

[参考資料]

資料1;http://www.pref.kanagawa.jp/cnt/f598/p7182.html

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/bf695ac2e77b77762bec8400fb4dd590
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)



連休で沢山の登山客で賑わう丹沢;塔ノ岳(今年21回目)

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                             <緑陰の堀山の尾根道>

  連休で沢山の登山客で賑わう丹沢;塔ノ岳(今年21回目)
         (登り単独・下り常連に同行)
       2013年5月3日(金) 晴

■愚痴一くさり
 私は,原則として,毎週水曜日と土曜日に塔ノ岳に出掛けることにしているが,この頃は肝心の水曜日の天気が悪かったり,週末になると別の用事が入るなど外乱が多くて,なかなか予定通りのスケジュールで塔ノ岳に出掛けられないでいる.
 今週も正に水曜日は悪天候,それに木曜日と土,日曜日には別の用件が入っていて,サンデー毎日を誇っていた私も,さすがににっちもさっちも行かなくなってしまった.そして,唯一残った登頂可能日が今日,金曜日である.もし,今日の天気がおかしかったら,塔ノ岳は来週でお預けになったところである.
 幸いなことに,今日の天気は良さそうである.何時ものように5時10分に家を出発するが,辺りはもうすっかり明るくなっていて,スズメの囀りさえ聞こえてくる.朝から実に心地よい雰囲気である.
 今日は祝日,小田原での魔の階段二段跳びも今日はない,実にノンビリした気分で,東海道本線から小田急線に乗り換える.東海道本線の階段を登りきったところで,偶然,超韋駄天のS藤さんとバッタリ出会う.S藤さんは何時も藤沢経由小田急線で渋沢まで来られる方である.

■大倉を出発
 渋沢駅に到着する.
 バス停に行くと,今日も臨時バスが出たらしく,閑散としている.バスに乗り込んで前の法の座席に座る.間もなく下り電車が到着.韋駄天のTさん,大三郎さん,鵠沼さん,ミッキーマウスさんなどのご常連も乗車してくる.臨時バスが出たにもかかわらず,バスは忽ちの内に満席となる.
 バスが大倉に到着すると直ぐにS藤さん他何人かの方々は,塔ノ岳を目指して歩き出す.
 7時11分,たまたま居合わせた韋駄天のTさん,Y内さん,大三郎さん,鵠沼さんと一緒に大倉から歩き出す.手許の温度計では気温18℃.登山にはやや高い気温である.
 今日は連休とあって,何時もよりずっと登山客が多いらしく,1番バスが大倉に到着する前に80人ほどの方々が入山しているとのこと.これは大変.下山が余り遅くなると帰りのバスで大混雑に巻き込まれそうである.
 私たちの前後には,登山客が数珠繋ぎになっている.私たちも雑談をしながら,速からず遅からずの速度で登り続ける.

■堀山の家のオーナー
 7時34分,観音茶屋を通過する.すでに何人もの若手の駆けっこの皆さんに追い越されているが,逆に私たちも何人かの登山客を追い抜きながら,マイペースで登り続ける.
 7時43分,雑事場ノ平の少し手前で,背中に重そうな荷物を背負った「堀山の家」のオーナーに追い付く.一声挨拶をして,先に行かせてもらう.
 そういえば,今日は祝日である.ならば堀山の家も今日は開店だなと,やっと納得する.では,下山のときに堀山の家に立ち寄ろうかな…

<堀山の家のオーナーとご挨拶>

■見晴階段
 7時51分,見晴山荘を通過する.
 手前の雑事場ノ平付近で,私の後ろに居られたY内さんに,
 「どうぞお先に…」
と先に行くようにお薦めしたが,
 「山頂まで,雑談しながらご一緒しますよ…」
とのことだったが,見晴山荘を過ぎると,Y内さんは,俄然,登攀速度を上げられ,見る見るうちに後ろ姿が遠のいでいく.
 坂を見上げると実に沢山の登山客の後ろ姿が見えている.

<見晴階段>

■堀山の家のなっちゃん
 見晴階段を登り終えて,モミジ坂に差し掛かる.
 相変わらず鈍足の私が先頭になって登り続ける.一本松までの中間点付近で,見覚えのあるご婦人の後ろ姿を発見する.大きな荷物を背負っている.堀山の家の“なっちゃん”である.
 「やあ...こんにちは」
 「おやまあ,皆さんお揃いで…」
ということで,追い越させて頂く.

<「堀山の家」のなっちゃん>

■富士山は雲の中
 相変わらず私が先頭を歩かせて頂いている.有り難い.私はマイペース.
 やがて,駒止階段に差し掛かる.ここでオーバーペースになると後半がきつくなるので,登攀速度を抑えながら登り続ける.
 8時18分,駒止茶屋を通過する.駒止階段で私を追い越していった男性が大汗をかきながらベンチで休憩を取っている.大倉からの所要時間は1時間07分.一寸遅いが,まあ,まあ,こんなものかという感じである.
 すぐに堀山の尾根道に差し掛かる.
 ふと気がつくと,後ろに鵠沼さん達の姿が見えない.何時の間にか,私は一人旅になっている.
 “まあ,いいか…どうせ,何時も,花立山荘手前で,鵠沼さんには追い抜かれちゃうから…”
ということで,マイペース旅をそのまま続ける.
 堀山の尾根の真ん中で,M田さん(旦那さん)に追い付く.
 「どうもこんにちは…とりあえず先に行かせてもらいます」
で追い越させて頂く.
 そして直ぐに,
 “そうえば,「とりあえず」は,どうやら私の口癖のようだな…どうせオレの人生なんか「とりあえず」の連続だから仕方がないか…”
なんて妙なことを考える.でも,取りあえず連続の人生も満更棄てたものではないぞ…と,本音では思っている.
 今日も富士山は薄雲に覆われていて,全く見えないが,例によって,見えない富士山の写真を意地になって撮る.

<堀山の尾根で見えない富士山の写真を撮る>

■萱場平
 8時33分,堀山の家に到着する.
 小草平には沢山の登山客が屯している.私はそのまま堀山の家を通過する.今日も自分の経済速度を保ちながら約40分掛けて花立山荘まで登る積もりである.依然,後ろに居られるはずの鵠沼さん達の姿が見えない.
 私は堀山の家を通過してから,周囲の若葉や鳥の啼き声を楽しみながら,息が苦しくならないように細心の注意を払いながら登り続ける.
 戸沢分岐に差し掛かる頃,数名の駆けっこ集団に追い抜かれる.
 8時57分,ようやく萱場平に到着する.ここで,定点観測の写真を撮る.先ほど私を追い越した集団の後ろ姿が写っている.
 ところが残念なことに,このグループは萱場平のベンチで一休みである.
 「休まずに,ドンドン登りませんか…」
と挨拶して,再び彼らより先に花立山荘を目指す.

<萱場平>

■ど根性アザミ
 萱場平の木道の間に生えている“ど根性アザミ”の様子が気になる.
 春を迎えて,日に日に大きく育っているようである.私は何時もこのアザミから元気を貰っている.

<ど根性アザミ>

■後七分坂
 やがて後七分坂(花立階段)に差し掛かる.大倉尾根の中でここが一番嫌なところである.
 長い階段を見上げると,登るのがイヤになるので,足許だけを見つめて,黙々と登り続ける.
 階段の途中で,先ほど萱場平で休憩を取っていた駆けっこの皆さんにまた追い越される.
 階段を半分余り登ったところで,景色を眺めようと思って後ろを振り返る.すると,韋駄天のTさんが猛烈な速度で登ってくるのが見える.
 “凄い速度だな…あの調子だと階段を登り切る頃,追い付かれてしまうな”

<見晴階段からの眺望>

■花立山荘
 9時14分,花立山荘に到着する.
 山荘前の広場では沢山の登山者が休憩している.大混雑.先ほど私を追い越した駆けっこのグループが建物の脇で休憩を取っている.またもや,このグループを追い越させて貰う.
 大倉から花立山荘までの所要時間は2時間03分.
 “うん…,まあまあ,という所かな…”
本当は無理せずに,願わくは2時間丁度で登りたいというのが希望だが…なかなかそうはいかない.
 堀山の家から花立山荘までの所要時間は41分.予定の40分より1分余計に掛かっている.1分位どうということないではないか,そりゃ〜そうだ.でも,無理せずに速く登れる方が良いに決まっている.

<花立山荘>

■花立山からの眺望
 今日は終始マイペースで登ってきたので,花立山荘を過ぎても,全く疲労感はない.ルンルン気分である.
 何時もは花立山荘から花立山山頂まで,9〜10分程掛かるが,今日はルンルンなので8分ほどで登る.
 花立山山頂で,下山してくる超韋駄天のS藤さんとすれ違う.
 「やあ,やあ,…」
と一言二言言葉を交わしてお別れする.
 序でに,花立山からの素晴らしい眺望をカメラに収める.

<花立山山頂>

■塔ノ岳山頂
 8時27分,金冷シを通過する.
 ここまで登れば,山頂はもうわずか.今日は疲労感がほとんどないので,かなり順調な速度で登り続ける.
 山頂直下の木道に差し掛かるところで,またもや先ほどの駆けっこグループが私に追い付く.私は快く先を譲る.
 9時41分,塔ノ岳山頂に到着する.山頂の気温は5℃.結構寒い.
 例の駆けっこグループが,塔ノ岳山頂で記念写真を撮影しようとしている.
 「今日はどこまで走るんですか」
とこのグループのお一人に伺うと,これからヤビツ峠を越えて大山山頂まで走っていくとのこと.この話,聞いただけで気が遠くなりそうである.
 今日の私は,大倉から塔ノ岳山頂までの所要時間が2時間30分.やっぱり2時間30分の壁は,もうちょとのところで越えられなかった.
 塔ノ岳山頂からの眺望は今ひとつ.残念ながら,遠くの山々は雲に覆われていてほとんど見えない.

<塔ノ岳山頂からの眺望>

■尊仏山荘
 写真撮影を終えた駆けっこグループが,尊仏山荘へ向かう.私も彼らと一緒に尊仏山荘に入る.今日の小屋番はオーナーのH立さん,W林さん,W田さん,N島さんのオールスター体制である.
 小屋の入口には,「予約した方以外は宿泊できません」という張り紙がある.
 先客はお一人.でも,駆けっこグループと私が山荘に入ると,急に山荘は大混雑になる.
 オーナーのH立さんが,私の顔を見るなり,
 「おや,今日は一人だけ?」
と怪訝な顔で質問する.
 「あれっ! まだY内さんは来ていませんか?」
 「いえ,FHさんが(常連の中では)最初ですよ」
 「もうすぐ韋駄天のTさん他,何時ものご常連さんが到着しますよ…」
 入口近くの席に座って,300円のお茶を所望する.
 私がお茶をすすり始めると,ほどなく韋駄天のTさんが山荘に到着する.暫く間を置いて大三郎さんと鵠沼さん,さらに一呼吸置いてカメラマンのM丸さんが到着する.これで私が知っている今日のご常連さん全員の顔が揃う.
 カメラマンのM丸さんから,
 「(FHさんの)ブログ見ているよ.この間のブログ,花野名前間違っていたよ,嘘書いたらダメだよ」
と言われてしまう.
 「えつ! そうでしたか.花の名前,実はXさんに教えて貰ったんですが,間違っていましたか…」
 「あの××・・×は,キバナオトリコソウって言うんですよ…この花,あそこにしか咲いていないです・・・」
 私は花のことはカラッキシ分からない.カタカナの花野名前など,私にとっては単なるカタカナの羅列,まるで判じ物のようである.だから,覚えるなって至難の業である.正確に聞き取るのも大変である.
 (注)インターネットで調べて,「黄花踊り子草」のことだと分かった.
 多分,Xさんから正確に花野名前を教えていただいたのだろうが,カタカナで記帳する間に間違えたんだろう(今度のキバナオトリコソウだって,M丸さんに教えて貰った通りに,正確にメモできたかどうか分からない).まあ,面倒だから間違いの訂正はせずに放置しておこう(実は,指摘された箇所は訂正済み).
 話は変わる.
 この頃,鵠沼さんが持参する弁当の写真を撮るのが楽しみになってしまった.今日も御弁当の写真を撮らせて頂く.でも,あまり何時までもシツコく写真を撮るのも考え物.弁当の写真撮りは今回で終わりにしようかと思っている.それにしても,相変わらず豪華絢爛である.特に手前のトマトのサラダを賞味させて頂いたが,とにかく絶品である.

<楽しく御弁当>

■沢山の登山客とすれ違いながら下山開始
 そうこうしている内に,そろそろ下山しなければ…という時間になる.
 帰り際に,W田さんに,
 「ミー君,生きていますか?」
と伺う.
 「W林さんが面倒を良く見ているので元気ですよ…お客さんが多いので,ミー君,疲れて2階で寝ていますよ」
 「そうですか,生きていれば,それで良いんですよ」
 10時25分,下山開始.
 山荘から外に出た途端にとても寒く感じる.冷たい風が肌に突き刺さる.でも,花立山荘辺りまで下れれば暖かくなることが分かっているので,しばらくの辛抱である.
 私たちが山荘で休憩を取っている間に,山頂で休憩を取る登山客がもの凄く増えている.
 “まるでペンギンの営巣地のようだな…”
私は咄嗟に氷山の上で群れているペンギンの姿を連想する.
 山頂の混雑に圧倒されていると,どこからともなく,U村さんが現れる.そして,私に,
 「この間の鍋嵐の写真です…」
と言いながら1枚の写真を手渡す.
 「どうもありがとう」
とお礼の返事をするかしないかの間に,鳥が舞い上がるような俊敏さで,K村さんは下山していく.頂戴した写真を改めてみると,山頂の木にくくりつけてある「ナベワラシ」の看板の前で写した写真である.改めて,あの日のことを思い出す.
 山頂の端で,同じバスに乗っていたミッキーマウスさんとすれ違う.
 大三郎さん,鵠沼さん,それに私は,韋駄天のTさんを先頭に一緒に下山する.先頭のTさんの下山速度が速いので,付いて行くのが大変である.
 花立山に差し掛かる頃,ご常連のHW田さんとすれ違う.HW田さんが私に,
 「おや,毎日登っているの…」
と言う.
 HW田さんの登山日は大体金曜日.たまたま私も2週連続で金曜日に登ったので,毎日登っているように見えたんだろう.
 「いえ,いえ,飛んでもない! 週に1〜2回しか登っていませんよ」

■堀山の家でコーヒーブレーク
 11時16分,堀山の家に到着する.小草平は相変わらず沢山の登山客で賑やかである.
 当然のことながら,堀山の家に立ち寄る.
 私は300円也のコーヒーを所望する.そして,先日開催された神奈川美術協会公募展のチラシを山荘の掲示板に貼りだして頂いていたお礼をいう.
 エダ豆のサービスを頂戴しながら,コーヒーを賞味する.甘いカステラの味が登山疲れの身体に優しく染み渡る.
 雑談の途中で,ご常連の一人,Tさんが,私のブログを良く見ていると伺い,有り難いことだと感謝する.

<堀山の家でコーヒーブレーク>

■昼下がりに大倉に下山
 11時52分,堀山の家を出発する.入れ替わりにY内さんが,堀山の家に到着する.今日のY内さんは,尊仏山荘には立ち寄らずに花立山荘に立ち寄っておられたとのこと.これで尊仏山荘でお会いしなかった謎が解けた.
 その後も,韋駄天のTさんの快足に引きずられて,かなり高速で下山し続ける.
 12時15分,観音茶屋に到着する.お三方は,観音茶屋に立ち寄ったが,私はお三方とお別れして先を急ぐ.
 バスの時間に合わせて下り続けて,12時31分に大倉に到着する.
 今回は,堀山の家で15分余り休憩したにもかかわらず,下山所要時間は2時間06分.ちょっと高速すぎる感じである.
 洗い場で靴に付いた泥を洗ってから,大倉発12時38分のバスに乗車する.まだ,昼下がりの早い時間だが,バスは座席がほぼ埋まるほどの混雑である.
 殆ど待ち時間なしに渋沢,小田原で乗り換えて,13時58分に無事大船に到着する.

■天気が良いので家まで歩こう
 今日は実に良い天気である.
 大船駅界隈は沢山の人達で賑わっている.このままバスに乗って家に帰ってしまうのは,何とも勿体ない.それに,まだ,14時少し前.夕方までには,まだ,まだ時間がある.
 今日はマイペースで塔ノ岳に登ったので,下山後も全く疲労感がない.むしろ何だか歩き足りない気分がする.
 私はバスに乗る気がせず,もう少し歩きたいなと思う.
 そこで,大船駅から約2.5キロメートル離れたところにある自宅まで歩いて帰ることにする.自宅は,丸山という山の稜線にある.私の家の標高は約68メートル.標高10メートル足らずの大船駅から,標高差約58メートルのプチプチ登山の開始である.
 私は大船駅から自宅まで,どんなルートで返ろうかと思案する…が,結局は成り行き任せ足任せということにする.

■尊仏山荘の猫と橋と私は同い年
 大船駅から中通り商店街を抜ける.私は何の買い物目当てがないまま商店街を彷徨くのが好きである.ブラブラと商店街を抜けて,小袋谷の陸橋脇の路地に入る.
 今丁度陸橋の架け替え工事が進行中である.写真の右側の陸橋が現在使用中の老橋である.何れ左側の橋が完成したら取り壊される運命にある.
 ところで,この老橋は,昭和初期に作られたもので,なんと私と同い年である.だから同じ歳のよしみで,私はこの橋に何となく愛着を感じている.
 “オマエも随分ガタガタ,ボロボロになったなあ〜・・・”
 私は心の中で,自分の年令と重ね合わせながら,この老橋にねぎらいの言葉を掛けている.
 尊仏山荘の華伊達美弥雄さん(猫のこと)も人間の歳に換算すれば,この橋と同い年である.つまり,この橋,華伊達美弥雄さん,私の3人(匹?本?)は奇しくも同い年である.さて,3人(匹?本?)の中で誰が一番長生きするかな?
 こんな馬鹿なことを考えながら,新しい橋の下を潜る.

<架け替え工事中の小袋谷の橋>

■六国見山を仰ぎ見ながら…
 どこを通っても構わないが,とにかく,横須賀線の跨線橋を渡る.
 橋の上から六国見山が良く見えている.明日辺り,六国見山周辺を散歩してみたいなと,またもや出歩く算段をし始める.
 “そんなに,毎日,出歩いていてはダメだよ”
と心の中のもう一人の私が,私を諫める.

<六国見山を眺めながら…>

■麗しの鎌倉中央公園
 山崎の薬師堂跡を通過して,山崎口から鎌倉中央公園に入る.ここまで来れば,我が家ももうすぐだ.
 公園に入ると,何と言っても凄いのが新緑の美しさである.色鮮やかな公園の新緑を見ていると,実に清々しい気分になる.園内の広場は沢山の家族連れで賑わっている.実に平和で長閑だ.
 沢山の鯉のぼりが風にそよぐ池の畔を通過して.山崎口から10分ほどで清水塚口に到着する.公園の外に出ると,もうすぐ,我が家である.
 平素,塔ノ岳を往復すると,自宅から最寄りの駅までの道のりを入れて歩数は約28500歩だが,今日は,大船から自宅まで歩いたので,歩数が少し増えて約33000歩になった.

<新緑が美しい鎌倉中央公園>

<ラップタイム>

 7:11  歩き出し
 7:34  観音茶屋
 7:51  見晴山荘
 8:18  駒止茶屋
 8:33  堀山の家
 9:04  花立山荘
 9:27  金冷シ
 9:41  塔ノ岳山頂着
10:25      〃  発
10:38  金冷シ
10:47  花立山荘
11:16  堀山の家(11:32までコーヒーブレーク)
11:46  駒止茶屋
12:03  見晴山荘
12:15  観音茶屋
12:31  大倉着
 
[山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)
  大船→自宅     2.5km
   合 計        16.5km

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発        7:11
  塔ノ岳  着        9:41
  (所要時間)  2時間30 分(2.50h)
  水平歩行速度   7.0km/2.50h=2.80km/h
  登攀速度    1269m/2.50h=507.9m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発       10:25
  大倉   着       12:37
 (所要時間)  2時間06分(2.10h)
 水平歩行速度     7.0km/2.10h=3.33km/h
 下降速度      1269m/2.10h=604.3m/h
                                                                          (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/66bfc18f4008ed87ff9878e982ce7fb2
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)  

 

閑話休題:鎌倉中央公園の鯉のぼりに想う

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           閑話休題:鎌倉中央公園の鯉のぼりに想う

        2013年5月5日(日) こどもの日  晴

 大型連休も,残すところ今日を入れてあと2日.
 朝から良い天気である.
 鎌倉中央公園の上の池.
 今日も五月晴れの空に沢山の鯉のぼりが泳いでいる.沢山の家族連れが,公園に遊びにきている.

<上の池にて>


<大きな鯉のぼり>

 年のせいか,公園の中をブラブラ歩きをしながら,やっぱり考えるのは来し方行く末のことである.
 そういえば,また今日も明け方に妙な夢を見る.またもや夢の舞台は現役サラリーマン時代のことである.夢の中で,私は上司から叱咤されながら,オロオロと仕事をしている.私が見る夢の大半は,そんな情けない自分のことばかりである.私は実感以上に,よほど辛いサラリーマン時代を過ごしていたのかもしれない.でなければ,こんなにトラウマのように毎回同じ様な夢を見るはずがないからだ.

 山旅,特に私は頻繁に塔ノ岳を往復している.四季折々の自然に触れながら,俗世界のしがらみから解放されて無欲に歩き回っていると,浮き世の憂さから完全に解放される.これがまた堪らなく楽しい.
 丹沢の山を歩いているときに,ときどき,
 “一体何時まで,こんなに元気に歩いていられるだろうか…”
という不安を感じることがある.
 勿論,何時まで元気で居られるかは神仏のみぞ知るで,当の本人には全く分からない.せいせい,無理をしないように気を付けて行動するしか術(すべ)はないだろう.
 私は,昨日(5月4日),自宅に送られてきた小雑誌(資料1)を持って,中央公園を散歩している.
 木陰のベンチに座りながら,雑誌の記事を斜め読みする.記事の中で内田淳正氏(三重大学学長)のエッセイ「健康で長生きするには運動が大切だ」という記事に目が止まる(資料1,pp.74-79).
 この記事の中で,内田先生(以下先生と略す)は,「介護を受けたり病気で寝たきりになったりせず,自立して健康に生活できる期間を示す『健康寿命』は平均寿命とは異なる」と指摘されている.僭越ながら私も正にその通りだろうと思う.だから,願わくはどこかの県民のように「ビンビンコロリ」と旅立ちたいものだ.
 先生によると,平均寿命と健康寿命の間には,2010年のデータで,
          平均寿命    健康寿命    差
   男性    79.55才     70.42才    9.13(年)
   女性    86.30〃     73.62〃    12.68(年)
となるという(引用に間違いがあるかも知れないので,正確な情報は是非資料1を参照されたい).
 先生は,健康寿命の定義の仕方によって,この数値は変わるけれども,とにかくこの「差」を最終的には3年程度まで縮めることを目標とすべきだと言われる.
 この数値を見て,実は私も愕然としてしまった.いくら平均寿命が長いと言っても,寝たきりや介護を受けながらの晩年を9年も13年も過ごさなければならないとは…
 私は,この記事を読んで,自分の健康維持の重要さを再認識した次第である.
 先生は,健康寿命を延ばす要因として食事と運動が最も大切だと指摘した上で,高齢者の食事のとり方についても,「旬の物を食べる」「繊維の多い野菜を先に食べる」など具体的な提案をされている.
 運動についても示唆に富むことが豊富に記述されているが,その中から「日常で自分で気付くロコチェック」を,ここでは紹介することにしよう.ちなみに「ロコ」は「ロコモーション」の略である.
 以下の7項目の中で,一つでも当てはまる項目があったらトレーニングが必要だと先生は言う.
  ==============================
               7っのロコチェック
    □2kg程度の買い物をして持ち帰るのが困難である
      (1リットルの牛乳パック2パック程度)
    □家のやや重い仕事が困難である
      (掃除機の使用,布団の上げ下ろしなど)
    □家の中でつまずいたり滑ったことがある
    □15分ぐらいつづけて歩けない
    □横断歩道を青信号で渡りきれない
    □階段を上がるのに手すりが必要である
    □片足立ちで靴下がはけない
  ===============================
 さて,私だが・・・・・・・
 上から6番目までは,週1〜2回,7キログラム程度の重さなおリュックを背負って,塔ノ岳を往復しているので,まあ,クリアしているだろう.でも,最後の「片足立ちで靴下…」の項目はやってみないとクリアできるかどうか分からない.
 先生の記事は,さらに,高齢者とスポーツにも及ぶが,今回の紹介はこの程度にしておこう.
 ただ,「同年代の同好の士が見つかれば嬉しい.誘い合わせて楽しむことができれば(運動やスポーツが)長続きする」と指摘だけは紹介しておこう.

 こどもの日の日向ぼっこで,鯉のぼりを眺めながら,良い記事を読んだなと満足している.
 明日は,五十三次洛遊会の皆様と一緒に,甲州道中四十四次巡りに出掛ける予定である.午後からは,その準備で多忙になる.
 この記事を読んで,私にとって,このブログでも度々登場する五十三次洛遊会,山旅スクールの同窓生とのお付き合い,塔ノ岳ご常連とのお付き合い,ARENAオフミ(山登りの会),絵の会などが,家族や親族に次ぐ大切な財産だということを再認識させられた.
                                          (おわり)
資料1;大野仁(編);内田淳正(著),2013,「健康で長生きするためには運動が大切だ」『学士会会報第900 号』学士会

「閑話休題」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8764c5162613cd91cfc6da0b90c03123
「閑話休題」の次回の記事
(なし)

常連に愛される小雑誌:丹沢・塔ノ岳〜大倉『尾根の瓦版』

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                          <『尾根の瓦版』No.15の1ページ目>

  常連に愛される小雑誌:丹沢・塔ノ岳〜大倉『尾根の瓦版』
           No15号が発刊される

2013年5月5日(日)

 つい2〜3日前に,私の手許に,『尾根の瓦版』No.15が郵送されてきた(A4版総ページ16ペジ).発行部数93部に達するようである.
 内容は,
  韋駄天のTさんの塔ノ岳登頂2000回
  鎌倉の幽谷・秘境の旅
  素晴らしい初日の出
  続・第5回塩原温泉旅行
  80代・70代は人生の華・尾根の花
  南画を習っています
  丹沢は正に人生道場
等々内容は極めて豊富である.




 読者100名ばかりの小さな雑誌は,このブログにしばしば登場する編集長のY川さんの努力によって発刊されているものである.普通のパソコンを使って編集,印刷され,購読者に郵送される.購読者は時々少額の寄付をして郵便代の足しにして貰っている.
 少し乱暴に定義させて貰えば,この『尾根の瓦版』を読んでいる人が,塔ノ岳登頂2000回を達成した”韋駄天のTさん”の周囲にいる”ご常連さん”ということになろう.
 …で,急いで書き足さなければいけないのは,かのテレビ番組,「アニマルプラネット」に出演したことのある華伊達美弥雄氏も,字は読めないけれども,この『尾根の瓦版』にもちょいちょい登場するので,立派なお仲間の1匹と数えなければならないだろう.

<既刊紙の一部>

 話は変わるが…
 この『尾根の瓦版』の読者層をみると,多分,殆どの方が,60歳代,70歳代の高齢者であろう.前歴も多種多様.つまり,前歴や性別を問わず,ただ一つの共通点,
 ”塔ノ岳に登るのが好きだ…”
ということだけで自然発生的に集まっている人達だというのが特徴である.
 ここでは,娑婆の憂さや序列など一切無関係,無頓着な方々ばかり,逆に前歴や過去の栄光など,ここでひけらかすのは御法度ともいえよう.私はこの一点が最大の魅力のように思えてくる.

 この小冊子を読んでいると,ご常連の皆さんが塔ノ岳を始めとして多くの山で活躍されている様子が実に生き生きと伝わってくる.読んでいて実に楽しくなり,記事から元気を貰えるのである.
 こんな素晴らしい冊子を定期的に発行して,常連が発刊を待ちわびるようにして読んでいる山が塔ノ岳以外にあるだろうか.
 どこか新聞社が,この素晴らしい冊子をスクープしないように希望している.
 …が,同時にスクープして貰いたいような気もしている.
 私の本音は,この『尾根の瓦版』が,余りにも有名になってしまい,気楽に投稿できなくなるのが一番イヤなのだが…
 とはいえ,この『尾根の瓦版』が,高年者の健康の維持,生き甲斐の高揚などを研究するための好材料だといえよう.
                                     (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f8e20d645c993af19c9dc7def61568bc
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)




歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回);(1)谷保駅と谷保天満宮

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                       <谷保天満宮の境内>

    歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回);(1)谷保駅と谷保天満宮
                   (五十三次洛遊会)
          2013年5月6日(月・振替休日)

<第3回の概要>

■第3回ルート地図


■第3回ルートの概要
 第2回の終着点の南武線谷保駅から歩き出して,中央本線高尾駅までの17.0キロメートルを歩く.
 谷保駅から日本橋から10番目の日野宿,11番目の八王子宿を経由して,高尾駅で解散する.
 参加者は五十三次洛遊会メンバー12名(男5名,女7名)である.

<ルート地図>



<朝から失態してしまう>

■まずは谷保駅へ
 年寄りになってから,好むと好まないにかかわらす,だんだんと朝早く目が覚めるようにな
ってくるのは,渡しだけなんだろうか.特に陽気が良くなり,朝が早く明けるようになると,この傾向がますます顕著になってくる.
 今朝も,3時過ぎから,特段の用事もないのに,ノコノコと起床する.そして,6時30分に,自宅近くを通る1番バスを待ちかねるようにして,大船駅に向かう.今日の集合場所は南武線の谷保駅,9時30分の集合だ(実は9時00分集合だったことが後で分かる).
 このまま真っ直ぐ谷保駅へ向かったのでは早すぎるので,自宅で朝食を摂るのを止めて,わざわざ大船駅前の牛丼吉野家に立ち寄って朝食を摂ることにする.食べた朝食は牛丼並280円也.
 大船7時16分発横須賀線東京行に乗車する.連休最終日で電車は混雑するだろうと思っていたが案外空いている.武蔵小杉で南武線立川行に乗り換える.電車には中学生ぐらいの生徒が沢山乗っていたが,南武線でも座席に座れる.
 座席に座ったのが,最初の失敗の原因だが,間もなく居眠りを開始する.途中2〜3回目が覚めたが,谷保はまだまだ先.油断してまた居眠り.そしてついに谷保駅を乗り越して,谷保より一つ先の矢川駅に8時23分に到着.同駅8時35分発の立川行電車に乗り,8時38分に谷保駅に到着する.
 
<居眠りして隣の矢川駅へ>                        <8時38分谷保駅に到着>

■まだ時間がタップリあるぞ…
 下車したホームから階段を登って,改札口に向かう.
 階段を登った突き当たりの壁に,「←谷保天満宮」と赤い大きな字で書いた案内板が張ってある.
 「あれっ!・・・谷保駅には出口が一つしかないと思っていたのに…反対側にもあるんだな…」
 こうなると,ついつい好奇心に攣られてしまう私は,集合場所とは反対側の階段を下りてしまう.後から考えると,おとなしく集合場所のある側の階段を降りていれば,集合時間の9時00分に十分まにあっていたのに…
 でも,このとき,私は,
 「…集合時間の9時30分には,まだ小一時間もあるぞ…ならば,どうせユックリ見学する時間が取れない谷保天満宮を拝観してしまおう…」
と決める.
 集合場所と反対側の階段を降りると,こぢんまりとした広場に続いて,閑静な公園がある.公園を抜けると,道幅がとても狭い曲がりくねった路地が民家の間を縫うように続いている.この路地を抜けると,谷保天満宮前の三叉路に到着する.

<谷保天満宮前の交差点>

<谷保天満宮;「野暮天」の語源になった神社>

■谷保天満宮の概念図
 次の図は谷保天満宮の概念図である(勿論,正確ではない).
 私は,この図の赤い線に沿って,ノンビリと独り歩きを楽しんだ.
 資料3によると,「東日本最古の天満宮であり,亀戸天満宮,湯島天満宮と合わせて関東三大天神と呼ばれる.南部鉄道(現:JR南武線)が谷保駅の駅名を「やほ」としたため,地名の「谷保」までも「やほ」と言うようになってしまったが,本来の読み方は「やぼ」である.江戸時代の著名な狂歌師の太田蜀山人(南畝)が,「神ならば 出雲の国に行くべきに目白で開帳やぼのてんじん」と詠み,ここから「野暮天」または「ヤボ」の語を生じたと逸話に伝える.1908年(明治41年)8月1日,有栖川宮威仁親王の運転する「ダラック号」を先頭に,国産ガソリン自動車「タクリー号」3台など11台が隊列を組み,日本初のドライブツアーであるとされる甲州街道を立川までの遠乗会(当時の新聞では「自動車遠征隊」と呼ばれた)が行われた.谷保天満宮の梅林で昼食会が催され,いまも記念碑が残されている.」という解説がある.
 なお,同資料によると,「祭神は主祭の神菅原道真,配祀神は菅原道武,石土毘古神,天之日鷲命,倉稲魂命.境内社は第六天社,稲荷神社,蒼守稲荷神社,淡島神社,厳島神社,5社(稲荷神社,妙義神社,日吉神社,熊野神社,天照皇大神宮)」


             こちら側が谷保駅     

■自動車発祥の地
 境内に入って,谷保天満宮の案内板を見る.この案内板を見て,「谷保」の読み方が「ヤホ」ではなく「ヤボ」であることを初めて知る.もっともJRの谷保駅は,あくまで「ヤホ」駅だが…
 境内に入ってすぐ右手に「自動車発祥の地」という案内板がある.その脇にクラシックカーの模型が置かれている.面白い.多分,この車は有栖川宮威仁親王が乗られた自動車と同型のものだろうと想像される.
 ”こんな素敵な車でノンビリとドライブしてみたいな”
と,フト思う.今の冷暖房完備,地面の凸凹が感じられない自動車より,こちらの方が,ドライブしたら,よっぽど気持ちよさそうである.

<自動車発祥の地>

■鶏とハト
 この頃,谷保駅に集合した同行の皆さんは,何時も早々と集合場所に現れている私が,一向に到着しないので,どうしたんだろうと心配し始めていたに違いない.でも,集合時間を取り違えている私は,そんな事態には気がつかない.悠々ノンビリと谷保天満宮の見学を楽しむ積もりで居る.
 余談だが…
 なぜ,私が集合時間を9時30分と思い込んだかである.勿論,最大の原因は老化で頭が呆けてきたことであろう.…で,これからは言い訳だが・・・ 実は,ついこの間,大船駅9時30分集合の行事があったばかり.この9時30分が強く頭にすり込まれていたのが最大の原因である.まあ,とにかく私が不注意だった! 実に恥ずかしい.
 …ま,そんなわけで,同行者の心配など考えもせずに,谷保天満宮の境内を散策する.
 鳥居を潜って緩やかな登り坂の参道を進み丘の山頂に達する.両側には鬱蒼とした森が連なっている.姿形の勇壮な雄鳥が,森の中を歩き回っている.その格好良さに私はすっかり魅せられてしまう.
 
<姿形が素晴らしいオンドリ>                      <ハトが群れている>

■立派だが小さなお社
 車止めの鎖を越えて,森の中に入って見る.でも,どこにも本殿のような建物がない,深い森が広がっている.
 車止めの近くの小高い丘に小さなお社がある.立派な造りだが,境内の広さにしては,まさかこのお社が谷保天満宮とは思えない.私は訝りながら,近くの鳥居の扁額を見て,このお社が稲荷社など3社が合祀されたものだと分かる.

<稲荷社など3社が合祀されたお社>
 
■壮大で立派なお社
 この小さなお社だけを見た私は,
 “おかしいな,広い境内にしてはお社が小さいな”
と思いながら,念のため反対側の階段を下りてみる.すると,階段下の平らな所に,大きな木立に囲まれた壮大で立派なお社があるのに,やっと気がつく.正直なところ,このお社を見てびっくりする.これは拝殿だろうか.
 まずは参拝.
 お社の脇には社務所,宝物館などがある.

<谷保天満宮>

■牛の彫像
 参道入口右手の大きな牛の彫像が飾られている.参拝者が撫でるからか彫像の花野部分が光っている.
 台石に牛の彫像の由来が書かれているが,読みにくいので読むのを諦める.

<牛の彫像>

■滝と筆塚
 境内を一回りする.
 まずは参道を戻って,階段下を通過する.すると,小さな滝と筆塚がある.この筆塚の来歴などは全く分からない.筆塚の脇から陸に上がってみる.すると右手前方に,先ほどの小さなお社と良く似たお社が建っている.その下に遊歩道が廻る公園がある.その公園の脇には茶店まである.
 とにかく,谷保天満宮は想像以上に大きな神社である.
 
<滝>                                        <筆塚>

■5分遅刻して谷保駅に戻る
 そろそろ9時になる.私は集合時間は9時30分とばかり思っていたので,まあ30分くらい前の9時ちょっと過ぎに,集合場所に戻れば良いかなと思って,そろそろ谷保駅に戻ることにする.
 この頃,集合場所では,集合時間の9時になっても,私が現れないので,大変困惑している.私は,たまたま,電車に乗るために携帯電話をマナーモードにして,さらにリュックの中に入れていたので,仲間から何回も電話が架かったのに気がつかなかった.また,自宅にも電話を掛けて,私が出掛けたかどうか確かめたようである.そして,結局,私は行方不明.
 そんな大騒ぎになっているとは,つゆ知らずに,私は,9時05分,つまり集合時間に5分遅刻して,悠々と戻る.自分としては集合時間より25分早く到着したつもりだったのに…
 私が集合場所に到着すると,全員の視線が私に集中する.一瞬,私は,この視線が鋭い殺人光線のように感じてたじろぐ.その途端に,
 「いけねェ〜・・・今日の集合時間は9時だった!」
と思い違いに気がつく.つい先日,山旅スクール5期の皆さんと9時30分集合のイベントを終えたばかりだったので,今回もついつい9時30分集合と端から思い込んでいた.
 「一体どうされたんですか…何時も定刻より早く来られるFHさんが見えないので,心配していました…ご自宅にも電話しましたら,奥さんが『朝早く出掛けた』と仰っていたので,どうされたんかと…」
 私は平謝りするしかない.
 こう言うのを古来から,”覆水盆に返らず”とか”後悔先に立たず”とかいう.
 多大な迷惑を掛けてしまったことに,この場を借りてお詫びしたい.
 私は自分のそそっかしさに腹が立つと同時に,何とも情けない気分になる.

<JR谷保駅から歩き出す>

■JR谷保駅から再び谷保天満宮へ
 5分遅れで,リーダーのO野さんから挨拶.続いて私が作成した地図の説明.
 9時10分,JR谷保駅前から歩き出す.
 私は,早速,先ほど初めて通った閑静な裏道をお薦めする.先ほど往復したばかりなので迷うことなく,クネクネとした細い路地を抜けて,9時20分に再び谷保天満宮に到着する.
 今度は真っ直ぐに天満宮の本殿まで迷わず行って参拝を済ませる.
 9時30分に参拝を済ませる.

■遠藤由晴
 谷保天満宮から,中山道に沿って,西へ向けて歩き始める.ただ,谷保駅近くにある滝の院と安楽寺の見学は省略する.
 なお,資料1によれば,滝の院は天満宮の僧坊だったところ.また,安楽寺は天満宮の別当寺である.
 9時35分,遠藤由晴の案内板の前を通過する.
 資料4によると,「遠藤由晴(1759〜1841)は,谷保千丑に生まれ,文章詩歌に通じ「思玄」と号し,別号「吟松斉」を使った.後年に手習い教科書の『谷保案内』を著し,手習い師匠として多くの子弟を教育した.」とのこと.
 なお,遠藤由晴の墓は,私たちが立ち寄らなかった滝の院にあるという.

■元上谷保村の常夜灯
 9時48分,上谷保村の常夜灯に到着する.途中,甲州街道から少し離れたところにある三田城趾の見学は残念ながら省略した.
 フェンスの前に上谷保村常夜灯の案内板が取り付けられている.
 資料5には,「この常夜燈には,「秋葉大権現」「寛政六甲寅年四月上谷保村」「天満宮」「榛名大権現」などの文字が刻まれていることから,西暦1794年に建てられたことがうかがえる.
この常夜燈は,上谷保村の油屋(屋号、今の甲州街道北側の原田幸治氏宅)の東隣に置かれていたもの.その後,道路改修のときに現在地に移された.」と,この案内板の記事とノボ同じことが記されている.

<上谷保村の常夜灯>

<南養寺>

■南養寺の由来
 9時50分,南養寺参道入口に到着する.
 ちょっと長い参道なので,見学するのに躊躇するが,どうやら小堀遠州流の名園がある寺だというので立ち寄ることにする.
 資料6によると,「谷保山南養寺は,臨済宗建長寺派の禅寺.同じ建長寺派である立川普済寺の末寺である.南北朝時代の1347年(正平2年),立川・国立一帯の有力武士であった立川入道宗成(むねしげ)が大檀那となり,鎌倉の建長寺から禅師・物外可什(ぶつがいかじゅう)和尚を招いて開山したと伝えられる.1590年(天正18年),豊臣秀吉が小田原北条氏を滅ぼした合戦の戦火で焼失したが,江戸中期の1804年(文化元年),中興の僧によって本堂が再建された.現在の本堂は当時のままで,谷保天満宮と並んで,国立で最も古い建築の一つである.屋根だけは戦後は一部トタン張りで雨漏りを防いでいたらしいが,1981年(昭和56年)になってついに修理され.それまでの茅葺から銅葺きになった.本尊は釈迦如来」という説明がある.
 
<南養寺>

■名園を垣間見る
 小堀遠州流の名園を一寸だけ見たいなと思うが,一見(イチゲン)の旅人である私たちには叶わぬ夢.待合室と思われる入口の向こうに一寸だけ見えている名園とやらを覗くだけで満足する.

<南養寺の名園(?)>

<甲州街道を西へ>

■五智如来
 安養寺の長い参道を戻り,再び甲州街道を西へ向かって歩き始める.
 まもなくJR矢川駅入口の交差点を通過する.矢川駅は先ほど私が寝過ごして通過した谷保駅の隣駅である.
 そろそろ五智如来があるはずだと資料1を見ながら探すが,一向にそれらしいものが見当たらない.その内に一行のひとりが道路の反対側にそれらしいものを見付ける.
 交差点を渡って,10時07分に五智如来に到着する.
 傍らにある案内板の説明によると,矢川と甲州街道が交差する付近は「はしば」と呼ばれ,大正の初め頃まで「矢川橋」が架かっていたという.この橋の袂に,この五智如来の祠があった.江戸時代に八王子から移住した人達がこの五智如来を祀ったのがはじまりだとのこと.
 同説明文によると五智如来とは,仏教でいう5種類の智,大円鏡智,妙観察智,平等性智,成所作智,法界性智を供えた仏のことで,別名大日如来である.
 
<五智如来のお堂>                                <お堂の内部>

■青柳地蔵堂
 つづいて,少々迷いながら,10時25分に青柳地蔵に到着する.
 資料7によると,この地蔵は江戸時代前期作.木造.像高は21.5cm.青柳石田地区の氏神である青柳稲荷神社の本地仏として地蔵堂に安置されている.国立唯一の八王子千人同心であった佐藤東太郎(明治3年没)によって寄進された.厨子の底部には「武蔵国多麻郡 小楊青柳邨 鎮守正一位青柳稲荷大明神 本地楊柳観世御菩薩尊像 願主 佐藤東太郎」と記されているという.

<青柳地蔵堂>

                                       (つづく)

[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B0%B7%E4%BF%9D%E5%A4%A9%E6%BA%80%E5%AE%AE
資料4:http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/bunka/bunkazai/shitoroku73/4857/002203.html
資料5:http://www.jinriki.info/kaidolist/koshukaido/fuchu_hino/motokamiyahomuranojoyato.html
資料6:http://kunimachi.jp/kiji/2845
資料7;http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/bunka/bunkazai/shitoroku73/4854/002168.html
                                     (つづく)
                                    
「甲州道中」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f8995a4afcf2fba2315dce461b60fd30
「甲州道中」の次の記事
(編集中)

※お願い
 この記事はあくまで個人的趣味,仲間との情報共有を目的としたものであり,第三者を読者の対象にはしておりません.
 記事の正確性は保証しかねます.なるべく誤字脱字転換ミスは少なくするように努力しますが,不具合は多々残っているでしょう.これらがご不快に思われる方が,どうぞアクセスをご遠慮下さい.



世界遺産の富士山をバカカメラが撮る丹沢:塔ノ岳(今年22回目)

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                                <花立階段から富士山を望む>

 世界遺産の富士山をバカカメラが撮る丹沢:塔ノ岳(今年22回目)
         (登り単独・下りご常連と一緒)
        2013年5月8日(水) 晴

■やっと水曜日が晴れた
 私は,他に用事がない限り,毎週,なるべく水曜日と土曜日に塔ノ岳に出掛けることにしているが,この所,なぜか水曜日は天気が悪かったり,他の用事と重なったりで,潰れっぱなしである.幸いなことに,今日の水曜日は晴れ.水曜日に塔ノ岳に出掛けるのは4月17日以来のことである.
 5月も中旬ともなると,日の出がますます早くなり,私が家を出る5時10分頃には,もうすっかり夜が明けている.
 今朝は,湘南モノレールの最寄り駅のホームから,あの世界遺産登録間近な富士山がスッキリと見えている.私は,ホームの金網の間に愛用のバカカメラのレンズを覗かせて,早速富士山の写真を撮る.この時点から,今日の私は上機嫌である.
 撮った写真を眺めると,実際眼で見た感じとは,色調が少し違うように思えるが,私が何時もバカカメラ呼ばわりしているので,多分,カメラがすねているんだろう…ということで,多少の色調の違いは大目に見ておこう.
 写真の手前に見えている街並みは,藤沢市である.

<湘南モノレールの駅から富士山を望む>

■今日は富士山が良く見える
 今日は平日.小田原駅で,乗換時間たった2分の階段2段跳び乗換を終えて,小田急電車に乗り換える.
 ”やれやれ,これで渋沢発大倉行きの1番バスにまにあうぞ…”
 階段2段跳びで,”はあ,はあ”の荒い息遣いを静めるように電車の座席にへたり込む.荒い息が治まる頃,急行電車は新松田駅に近付く.電車が新松田まで途中の駅に停まらないので,ここがどの辺りになるのか良く分からないが,新松田に近付く頃,スッキリと晴れ渡った車窓に矢倉岳が見え始める.
 ”良いぞ…,今日は「日蝕」ではなく「富士山蝕」が見えるぞ”
と言うわけで撮ったのが下の写真である.
 
<富士山と矢倉岳が並んで見え始める>               <見事な富士山蝕>

■大倉から歩き出す
 渋沢発大倉行1番バスは,平日にもかかわらず,沢山の立ち席が出るほど混雑している.
 バスに乗り合わせたご常連は,超韋駄天のN村さん,韋駄天のTさん,三角髭のTさん,キャベツのT添さん,編集長のYさん,F田さん,T田女史他.
 バスが大倉に到着すると,直ぐに超韋駄天のN村さんとキャベツのT添さんが,塔ノ岳山頂を目指して歩き出す.私は,たまたま居合わせた韋駄天のTさんと一緒に,7時03分に大倉を出発する.振り返ると私より少し後ろに,F田さんとT田女史が並んで歩いているのが見える.
 韋駄天のTさんとは,毎度のことながら,比較的勾配が緩い見晴山荘までは何とかご一緒できるが,その先の見晴階段の急坂から先は到底ご一緒するのは無理である.今日も,見晴山荘までは,韋駄天のTさんとご一緒するつもりである.
 7時23分,観音茶屋に到着する.
 私たちより先に出発したキャベツのT添さんが,観音茶屋のベンチで衣服調整をしている.
 「お先にユックリ歩いています」
と挨拶して,先に行かせてもらう.

■見晴階段
 この所,雨が降っていないためか,歩くと砂埃が立つほど,路面は随分と乾燥している.そういえば,今日は乾燥注意報が出ているようである.
 ”私には,ちょっと速いかな…”
と思いながらも,7時37分に見晴山荘を通過する.
 「では,ここからはゆっくり登ります,どうぞお先へ…」
ということで,韋駄天のTさんとはお別れする.
 すぐに,見晴階段に差し掛かる.ここで定点観測のため見晴階段を見上げた写真を撮る.写真には今し方お別れしたばかりの韋駄天のTさんの後ろ姿が写っている.坂の遙か上には数名の登山者の後ろ姿が見える.
 坂を登り始めると,直ぐに韋駄天のTさんと私との距離が開き始める.私が,この坂道を3分の2ほど登ったときには,もう韋駄天のTさんは見晴階段を登り切って,モミジ坂に差し掛かっている.そして,私がモミジ坂に入ったときには,もう韋駄天のTさんの後ろ姿は全く見えなくなっている.
 階段脇の茂みから,ツツドリの啼き声が聞こえてくる.これもこの時期に欠かせない風物詩である.

<見晴階段を登る>

■駒止茶屋
 見晴山荘からは全くの一人旅.仲間と一緒に登るのは勿論とても楽しいが,一人旅もまた勝手気ままなところが実に楽しい.私は,気の向くまま好き勝手に登り続ける.
 8時01分,疾風のように駆け下るY沢さんとすれ違う.
 やがて,駒止階段に差し掛かる.ここであんまり頑張ると後でバテ気味になるので,自重しながら階段を登る.この“自重しながら”が,実は勝手気ままな性格の私には,実に難しいことである.でも,まあ,自重しながら登っていると,60歳代と思われる男性に,階段の途中で追い抜かれる.内心では,
 “ンにゃろう…,追い越しやがったな”
と多少気になるが,自重,自重!
 8時07分,駒止茶屋を通過する.大倉からの所要時間は1時間04分.私としては,まあ,まあ,のラップである.

■このバカカメラめ!
 駒止茶屋を通過して堀山の尾根に差し掛かる.
 さきほど私を追い越した男性が茶屋上のベンチで休憩を取っている.
 “なんだ! こんなところで休憩を取るんなら,わざわざ私を追い越さなくても良いじゃないか”
と私は心の中だけでブツブツ言っている.
 堀山の尾根は,今,正に新緑.歩いていても実に心地がよい.
 やがて,富士山が良く見える場所に到着する.私は愛用のバカカメラを構えて,5〜6枚の写真を撮るが,どういう訳か,肉眼では良く見えているものの,写真に撮ると下の写真のように富士山は全く写っていない.多分…というより明らかに露出オーバーなんだろうなと容易に想像が付くが,まあ,私のカメラと富士山の相性が悪いんだろうな…ということにしておこう. 



<肉眼では良く見えている富士山が写らない>

■堀山の家
 8時23分,堀山の家を通過する.小草平から富士山が良く見えているが,ここで富士山の写真を撮っても,富士山がちゃんと写ったことがないので,今日は端から富士山は撮らないことにする.
 ベンチで休憩を取っていた男性が,私の行く先を遮るようにして,先に歩き出す.
 “失礼な!”
と思ったが,この男性の歩く速度がやたらに速いので,
 “はは〜ぁん…私が登ってくる姿を見て,‘この老いぼれは歩くのが遅すぎる.先に行ってしまえ’と思ったんだろう”
と納得する.

■萱場平
 今日も,堀山の家から花立山荘まで40分で登ることを目標にしよう.一寸でもオーバーペースになると,戸沢分岐手前で苦しくなるので,そうならないように自重して登り続ける.途中で2〜3人の駆けっこの若者に追い抜かれる.
 でも,私はマイペースで楽しみながら登り続ける.
 8時42分,萱場平に到着する.
 前方にはクッキリとした青空が広がっている.気温は12℃.暑くも寒くもない心地良い気温である.

<萱場平>

■今日の“ど根性アザミ”
 萱場平の木道の間に自生する“ど根性アザミ”がどのくらい大きくなったかが気になる.
 毎度のことながら,木道にしゃがみ込んでアザミの写真を撮る.先週の金曜日に同じアザミの写真を撮っているが,わずか数日の間に少し大きく育ったような気がしている.

<木道の間に毎年顔を出すアザミ>

■後7分坂からの富士山
 やがて後7分坂(見晴階段)に差し掛かる.
 坂の手前が,富士山のビューポイントである.何故か分からないが,私のバカカメラも,ここでは何時も機嫌がよいので,ちゃんと写る.なぜ,堀山の尾根で写らなくて,ここで写るのか,全く私には理解できないが,要するにカメラが気儘なんだ…ということにしておこう.

<花立階段下から富士山を望む>

■花立山荘
 後7分坂を7分掛けて登って,9時02分に花立山荘に到着する.
 大倉からの所要時間は,1時間59分.わずか1分とはいえ,久々に2時間を切っている.ただ,堀山の家からの所要時間は39分.このデータから,平らな所では比較的速く歩いているが,急坂は相変わらずノロノロ歩きだったことが分かる.
 後7分坂の途中で,先ほどの男性にまた追い抜かれるが,この男性は,また花立山荘で休憩を取っている.その間に,再び私が先に行くことになる.

<花立山荘から富士山を望む>

■花立山山頂
 一人気儘に登ってきたので,花立山荘を通過する時点でも全く疲労感はない.そのため,花立山までの急坂も比較的楽に登り続けられる.
 花立山山頂付近で,超韋駄天のN村さんとバッタリ.
 「今日は絶好の登山日和ですね…」
と挨拶してすれ違う.
 花立山荘から花立山山頂まで9分掛けて登る.山頂付近から富士山,南アルプス,房総半島付近まで素晴らしい眺望を楽しむ.

<花立山山頂付近から富士山と南アルプスを望む>

■塔ノ岳山頂
 馬の背付近で少々強い海風が吹いている.
 9時16分,金冷シを通過する.
 ここまで来れば,もう塔ノ岳山頂に到着したのも同じである.急いでもユックリでもラップにはさしたる変わりはない…別にラップを気にするわけではないが.
 金冷シから2番目の階段を登っているときに,先ほど花立階段で追い抜かれた男性がまた私に追い付く.二言三言雑談をした後,この男性に先に登って貰う.
 最後の階段に差し掛かった頃,後ろに何となく人の気配を感じるので,思わず振り返る.すると三角髭のTさんが,私のすぐ後ろに居られる.
 「何時,(FHに)追いつけるかと思っていましたよ…なかなか追いつけなくて…」
 山頂まで後わずかだが,三角髭のTさんとご一緒する.
 「つい先ほど,キャベツのT添さんを追い越しましたよ.直ぐ近くに居られますよ…」
 山頂直下の木道で,下山してくる韋駄天のTさんとすれ違う.
 9時30分,三角髭のTさんと一緒に塔ノ岳山頂に到着する.山頂の気温は8℃.先ほどまでやや強い風が吹いていたが,山頂に到着する頃までには大分治まったようである.
 大倉から塔ノ岳山頂までの所要時間は2時間28分.たった2分とはいえ,とにかく久々に2時間30分を切ったのは率直に嬉しい.この歳にしては,まあ,まあ,という所だろう.
 今日の山頂からの眺めは素晴らしい.富士山,南アルプス,相模湾,房総半島,大山,東京スカイツリー・・・・・快晴なので360度の展望が開けている.すかさず山頂からの眺望を一回りカメラに収める.

<塔ノ岳山頂からの眺望>

■尊仏山荘
 三角髭のTさんは,尊仏山荘には立ち寄らずに,そのまま下山するという.私も一緒に下山してしまおうかと一瞬迷う.そのとき,尊仏山荘のオーナーHさんと,ガラス窓越しに目が合ってしまう.私は吸い寄せられるように尊仏山荘に向かう.
 尊仏山荘に入る.今日の小屋番はオーナーのHさん,W林さん,F谷さんの3人体制.
 先客は2人.例によって300円也のお茶を所望する.
 今日は,山荘の窓から,富士山がとても良く見えている.富士山を眺めながら,お茶を飲む.山頂のポール付近に,だんだんと登山客が増え出す.その内に,キャベツのT添さんが姿を表す.何方かにポールの前でカメラのシャッターを押すように依頼したようである.その後,ポール近くのベンチに座り込んで,食事を始める.
 「あれっ・・・! T添さんは山荘には立ち寄らないようですよ…」
すると,オーナーのHさんが,
 「(T添さんは)お天気の良い日は,外で食事をするようですよ…」
 数分過ぎてから,山頂にF田さんとT田女史が現れる.T添さんと一言二言交わした後,山荘に入ってくる.これで,本日の待ち人は全員現れたことになる.3人は山荘の片隅の席に座って,雑談をしながら食事を摂る.
 「あ…,あそこにネコが居ますよ」
とT田さんが,隣のネコ御殿を指さす.なるほど2階の窓辺で華伊達美弥雄氏ことミャ〜君が呑気な顔をして日向ぼっこをしている.
 「よし! 写真を撮るぞ…」
と言いながら私はカメラを持って外に出ようとする.すると,私の殺気(?)を察知してか,ネコが居なくなる…が,暫くして客席にのほほんと現れる.早速,ミャ〜君の写真を撮る.
 この所,美食をつづけているのか,ミャ〜君は,随分と太ってきたようである.
 「(ミャ〜君が)大分太ってしまい,首輪がきつくなったので取ってやりましたよ」
と小屋番のW林さんがいう.
 その頃,山頂で昼食を終えたT添さんが山荘にヒョッコリ顔を出す.
 「ちょっと物足りないので,丹沢山まで行ってきます…」

<太り気味のミャ〜君>

■雄大な景色を眺めながら3人一緒に下山
 10時29分,T田さん,M田さん,それに私の3人旅で下山開始.例によって山荘を出た途端に,外が寒いのに驚く.でも,寒いのは花立山荘まで.
 今日はゲザンシュタインさんや韋駄天のTさんが居られないので,ユックリ,ノンビリペースでの下山である.途中,花や景色を愛でながらの道草歩きもまた楽しからずや…という所である.
 それにしても,今日はこの時期にしては稀な良い天気である.
 10時48分,花立山を通過する.眼下には相模湾が見えている.目を左手に転じると,三浦半島の先に浦賀水道を挟んで伊豆半島が水平線沿いに張り付くように見えている.実に雄大な景色である.

<花立山からの雄大な景色>

■コイワザクラとオキナグサ
 下山途中,同行のお二人から2種類の花を教えて頂く.
 まず最初は,登山道の路肩の陰に咲くコイワザクラ.でも,折角撮った写真は,残念ながらピンぼけ.
 続いて,オキナグサ.こちらはバッチリと写った.そういえば,数年前に塔ノ岳登頂2000回を達成したM馬さんにも,今回とほぼ同じ場所で,オキナグサがあることを教えて頂いたことを,不意に思い出す.
 
<コイワザクラ>                                <オキナグサ>

■名残の豆桜
 花立山荘付近の豆桜は,見頃は多少過ぎているが,まだ,まだ見頃である.

<花立山荘付近の豆桜>

■チャンピョンに追い越される
 花立山で下山してくるチャンピョンに追い越される.写真を撮るのにバンザイのポーズを取って貰う.
 「おや,おや,皆さん,元気ですねえ〜…」
と言いながら私たちを追い越していく.

<チャンピョン>

■無事帰宅
 その後も,同行のお二人に,登山道から見え隠れするシュンランを教えて頂ながら,ユックリノンビリ下山し続ける.そして,12時40分,無事,大倉に到着する.ノンビリ道草をしながらの下山だったが,所要時間は2時間11分.案外速かった.
 大倉12時52分発のバスが2〜3分遅れたので,渋沢からの小田急電車は何時もより1本後になったが,東海道本線の接続電車は結局何時もと同じになり,14時28分,大船に到着する.
 帰宅後,シャワーを浴びてから,近くの内科医を訪れる,何時も利用している登山専門の旅行社に提出する健康診断書を作って貰うためである.血圧を測定して貰う.128〜70.
 「丁度良い血圧ですね…是非,山登りをつづけて下さい」
と,医師から山登りを推奨される.

<ラップタイム>

 7:03  大倉歩き出し
 7:23  観音茶屋
 7:37  見晴山荘
 7:07  駒止茶屋
 8:23  堀山の家
 9:02  花立山荘
 9:16  金冷シ
 9:30  塔ノ岳山頂着
10:29      〃  発
11:00  花立山荘
11:31  堀山の家
11:49  駒止茶屋
12:09  見晴山荘
12:28  観音茶屋
12:40  大倉着

[山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:03
  塔ノ岳  着       9:30
 (所要時間)     2時間28 分(2.47h)
 水平歩行速度    7.0km/2.47h=2.83km/h
 登攀速度       1269m/2.47h=523.8m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発       10:29
  大倉   着       12:40
 (所要時間)      2時間11分(2.18h)
 水平歩行速度     7.0km/2.18h=3.21km/h
 下降速度        1269m/2.18h=582.1m/h
                                     (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/453352c831fd593d509609d693b0efd4
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)

お詫びと訂正

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     お詫びと訂正

 当ブログの「鍋嵐」の記事の中で,当方の誤解から,大変不適切な記述をしてしまいました.ご本人からのご指摘でこのことが判明致しました.
 終始表現には注意しながら記事を書いているつもりでしたが,全ての原因は当方の誤解に基づくものでした.
 応急処置として,当該ブログ記事から,直ちに,不適切箇所を削除しました.同時に,大変ご不快な思いをさせてしまったことについて,この場を借りて,深くお詫び申し上げます.
 今後は不適切な表現がないように一層の注意をするつもりでおります.
 どうぞよろしくお願い致します.

歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回);(2)青柳から日野宿へ

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                                    <日野橋を渡る>

    歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回);(2)青柳から日野宿へ
                   (五十三次洛遊会)
          2013年5月6日(月・振替休日) つづき

<ルート地図>



<旧青柳村を行く>

■青柳常夜灯
 10時25分,青柳地蔵堂の近くにある青柳常夜灯に到着する.立派な常夜灯である.
 資料4の著者は国立市にホームぺージの記事を引用しながら,「常夜燈は「秋葉燈」とも呼ばれ,江戸時代に村を火難から守るために,古くから火防・鎮火の神として知られる秋葉神社(岡県 )の常夜燈を各村の油屋近辺に建てたもので,榛名参りなどの道しるべにもなった.この常夜灯は,寛政11年(1799年)に設置された.東側に「榛名大権現」,北側に「正一位稲荷大明神」.西側に「秋葉大権現」と刻まれており,青柳村の人々の生活と信仰が読み取れる貴重な資料である.講中が無くなる和 初期まで講中の人々が順番に番丁という五角形の回覧板を回して,毎晩燈篭に火を灯した.」という趣旨の説明をしている.
 この常夜灯の後ろに設置された案内板にも,同様な趣旨の記述がある.

<青柳常夜灯>

■青柳稲荷神社
 青柳常夜灯は,青柳稲荷神社参道入口に設置されている.参道入口から神社を眺めると,神社まではかなり長い道のりである.とても往復している時間は取れないので,残念ながら参拝は割愛して,先を急ぐことにする.
 それにしても,この神社の鳥居は不思議な形をしている.
 資料3(pp.45-46)によれば,この鳥居は明神鳥居の変形らしいが,柱の間にあるべき筈の「貫」がない.勿論,私ごとき素人がいろいろ言うべきではないが,それにしても不思議な形である.どうやらこの参道は生活道路になっているので,自動車が往来するのに不便だから柱の間の「貫」を取り外したのではないかと勝手に想像する.
 資料5によると,「『青柳村誌』によれば,青柳稲荷神社は1755年(宝暦5年)の創建.明治22年(1889年)の町村合併令で谷保村と合併される前は,青柳村の村社であったらしいが,以後は青柳・石田の両村の氏神としてまつられてきた.現存する本殿と拝殿は,国立市の登録有形文化財である.」という.

<青柳稲荷社の長い参道>

■馬頭観音
 10時23分,馬頭観音の前を通過する.大きな石に,少々変わった書体で「馬頭観音」と刻字してある.
 刻字の摩耗具合から,素人目には江戸末期のもののように見えるが,これは無責任な話,“信用する事なかれ”である,

<路傍の馬頭観音>

■甲州街道道標
 10時32分,信号日野橋に到着する.大きな道路が複雑に交わる五叉路である.方向を良く見ながら横断歩道を渡らないと,どこの道を進むのかが分からなくなりそうである.
 現在の国道から離れて,昔の中山道沿いの道に入ると,自動車の往来も殆どなくなり,随分と静かになる,
 数分進むと柴崎町の三叉路に突き当たる.
 三叉路に「旧甲州街道」と書かれた立派な案内板が立っている.これで,間違いなく中山道中を歩いていることが確認できた.私は内心で「ホッ」としている.

<旧甲州街道の案内板>

■日野渡し碑
 旧甲州街道は大きく左に曲がりながらの緩やかな下り勾配の道になる.
 10時48分,先ほど分岐した現在の甲州街道と交差する.そのまま交差点を横切って道なりに進んで,10時52分,日野渡し碑に到着する.
 ちょっとした広場の隅に船の形をした石碑が置かれている.
 資料1の説明によると,「初期の渡し場は下流の「石田の渡し」「方願寺の渡し」であったが,低地ゆえに度々洪水に見舞われ,慶安年間(1648〜1658年)に日野の渡しが設けられた」という.そして,「大正15年(1926年),日野橋が架橋され役目を終えた」という.

<日野渡し碑>

■馬頭観世音
 日野渡し碑と道を挟んで反対側に立派な馬頭観音など数基の石碑が立っている.日野渡しは,この直ぐ側の川岸にあったようである.
 私たちは,ここから堤防上の道路に登る.

<馬頭観音>

<多摩川を渡る>

■立日橋と多摩都市モノレール
 日野の渡し近くの堤防に登ると,多摩川に架かる立日橋と多摩都市モノレールの線路が見える.広々とした風景である.
 昔の渡しは,ここから対岸に向かっていたが,私たちは立日橋を渡って,昔の渡しを三角形に迂回する.

<立日橋と多摩都市モノレール>

■広々とした多摩川
 10時58分,立日橋を渡し始める.川下からやや強い風が吹いてくる.帽子を飛ばされないように注意しながら渡る.
 長い橋である.11時04分に漸く橋を渡り終える.この橋を渡るのに6分を要したことになる.

<広々とした多摩川を渡る>

■日野渡船場跡
 橋を渡り終えてから土手道を100メートル近く下流に向かって歩くと,日野渡船場跡の案内板がある.
 ここには,「武士,僧侶,宿人は無賃で,渡しの権利は日野宿が管轄していた…」
という趣旨の説明が書かれている.


<日野渡船場跡>

■多摩都市モノレールの電車
 「日野渡船場跡」の説明板からヘアピンカーブで,土手下の道に入って,橋の下を潜る.いよいよ,私たちは日野宿に到着である.
 丁度そのとき,頭上を多摩都市モノレールの電車が近付いてくる.山とネコと電車の写真は撮れるときに撮っておくのが私の流儀である.勿論,多摩都市モノレールの写真もバッチリである.
 写真を撮りながら,ついつい私の家の近くを通る湘南モノレールと比較してしまう.こちらのモノレールは線路の上に乗っかっているのに,湘南モノレールは線路にぶら下がっている.こっちは複線なのに,湘南モノレールは単線.列車編成はこちらが4両なのに,湘南モノレールは3両.インターネットで調べてみると,路線の長さも多摩都市モノレールの方が長いし,列車の本数も多摩モノレールの方が多い.だから,湘南モノレールの負け.ちょっと悔しい.
 “そんなこと比較して,どうするの?”
と心の中のもう一人の私が,私を諭す.
 “ご尤も!.”

<格好いい多摩都市モノレールの電車>

<日野宿>

■日野宿の概要
 資料2(p.275)によると,日野宿の宿内人口は1556人.内,男796人,女760人.宿内惣家数432軒.内,本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠20軒だったという.
 資料6によれば,「日野宿(ひのじゅく)は甲州街道の5番目の宿場町であり,日野市の前身である.宿場町として整備されたのは1605年(慶長10年)のことで,八王子宿を整備した大久保長安の手によって開かれている.甲州街道は幾度か経路の変遷があるが,1685年以降,日野橋の開通までは,日野の渡しで多摩川を越え,東京都道149号立川日野線を南下し,新奥多摩街道入口信号で右折して東京都道256号八王子国立線を西進,日野駅前東交差点北側の日野不動産裏を左折して日野自動車手前で現甲州街道に合流する道筋だった.
 本陣跡には本陣としては東京都内で唯一遺された当時の建物(日野市日野本町)が建っている.その前の現在駐車場になっている辺りにあった長屋門を改装して佐野彦五郎が天然理心流の道場を開いた.この道場で剣術を教えていたのがのちの新選組局長近藤勇である.近藤と土方歳三,沖田総司,井上源三郎,山南啓助ら新選組主要メンバーはここで出会った.この向かいに問屋場と高札場があったが,現在は石碑が建つのみである.前後の宿場は,府中 宿,日野宿,八王子宿となっている.」という(コピペで申し訳ない).
 なお,この資料6では,「日野宿は5番目の宿場」と記述されているが,布田五宿をそれぞれ独立した宿場として数えると10番目の宿場となる.冒頭の地図では「日野宿(10)」と表記したが,これは布田五宿を独立した宿場としてカウントしたからである.

■地蔵堂
 11時15分,三叉路に突き当たる.ここに「地蔵堂が建っている.傍らに大きな馬頭観世音の石塔が祀られている.地蔵堂に向かって左側には沢山の石仏が並んでいる.
 馬頭観世音の石柱には文化8年(1811年)に作られたことが記されている.

<地蔵堂>

■日野宿本陣(下の名主)
 地蔵堂前の三叉路を右折する.
 資料1によれば,この三叉路に古屋氏宅があるはずだが見当たらない.あるいは見落としているのかも知れないが,とにかく分からないまま先へ進む.
 10時20分,日野宿本陣跡(下の名主)に到着する.
 立派な門を潜って敷地の中に入る.本陣の中を見学するには見学料200円.資料1によると,ここの母屋は文久3年(1863年)に建築されたものだという.近藤勇が教授に来ていた場所だという.
 ここで,暫く休憩.希望者数名が見学料を支払って母屋の中に入る.私はわずかなお金をケチるわけではないが,前回の旅で中に入ったことがあるので,入館は遠慮.数名の方々と一緒に軒下で暫しの休憩を取る.

<日野宿本陣跡>

■上の名主
 11時37分,本陣跡(下の名主)の直ぐ隣にある「上の名主」佐藤家の前を通過する.資料1によると,ここには立派な長屋門があったという.

<上の名主>

■問屋場跡・高札場跡
 上の名主の直ぐ近くにある交差点を渡って,甲州街道の反対側にある問屋場跡と高札場跡に立ち寄る(10時40分).
 資料1によると,土方歳三の生家はこの近所だという.

<問屋場跡・高札場跡>

■日野宿交流館
 問屋場跡・高札場の直ぐ近くにある日野宿交流館に立ち寄る.
 交流館の中を拝見する.特段,興味をそそられるものは見当たらなかったが,日野市内観光地図を頂戴する.
 
<日野宿交流館>                               <交流館の内部>

■八坂神社
 10時45分,交流館を出発する.
 11時50分,八坂神社に到着する.ここで5分ほど参拝を兼ねて休憩を取る.
 資料7には,「応永5年(1398年),普門寺が開基され,牛頭天王社を管理するようになったとあるから,600年以上の歴史を持つ神社である.元亀元年(1570年),普門寺の移転と現在の甲州街道の道筋が定められたことから現在地に遷座した.」という説明がある.

<八坂神社>

■宝泉寺
 12時04分,宝泉寺に到着する.
 もう時間が押しているので,ほんの2分ほど境内を見て回っただけ.
 資料8によると,「宝泉寺は,臨済宗建長寺派の禅寺.開祖は鎌倉建長寺の曇芳同応大和尚,創立は元徳年間(1330年頃)で,当初は姥久保(現新町,中央高速が通るあたり)にあったが,火災にあい,その後,現在の地に再建された.」とのことである.なお,「本堂は、平成13年5月に新築落慶し、境内も整備し直された」とのこと.

<宝泉寺>

■日野駅前で自由昼食
 12時12分,日野駅前に到着する.ここで,12時「45分頃まで,自由昼食を摂ることになる.
 私は,仲間3人と一緒に,駅近くの牛丼屋で280円也の「牛飯」を賞味する.これで朝昼の連続2食を丼物で済ませたことになる.

<日野駅に到着>

                                       (つづく)
[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;外山晴彦;サライ編集部(編),2002,『神社の見方』小学館
資料4;http://yasuda.iobb.net/wp-googleearth_k/?page_id=772
資料5:http://kunimachi.jp/kiji/2932
資料6:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E9%87%8E%E5%AE%BF
資料7;http://shinsenhino.com/archives/spot/temple/050322014055.php
資料8;http://shinsenhino.com/archives/spot/temple/050322014848.php
                                     (つづく)
                                    
「甲州道中」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f52f19b5670625e080dfc9e602b4af87
「甲州道中」の次の記事
(編集中)

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 この記事はあくまで個人的趣味,仲間との情報共有を目的としたものであり,第三者を読者の対象にはしておりません.
 記事の正確性は保証しかねます.なるべく誤字脱字転換ミスは少なくするように努力しますが,不具合は多々残っているでしょう.これらがご不快に思われる方が,どうぞアクセスをご遠慮下さい.




熱中症を気にしながらヨタヨタ登る丹沢:塔ノ岳(今年23回目)

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                              <バイケイソウの群生山頂付近>

  熱中症を気にしながらヨタヨタ登る丹沢:塔ノ岳(今年23回目)
         (ご常連と前後しながら…)
     2013年5月10日(金) 晴・蒸し暑い

■土日の天気が悪そうなので…
 今度の土日は天気が悪そうである.ならば,今日,金曜日に塔ノ岳に登るしかない.一昨日,塔ノ岳を往復したばかりだが,これも天気の巡り合わせでやむを得ないことである.
 何時も通り5時10分に家を出発するが,今日は朝から気温が高い.また,上空には青空が見えてはいるが,何となく靄が掛かっていてどうもスッキリしない天気である.自宅近くの湘南モノレールの駅から富士山の方向を眺める.一昨日はここから富士山がとても良く見えていたが,今日は靄が掛かっているので富士山は全く見えない.
 例により,小田原駅で乗換時間2分を階段2段跳びでクリアする.渋沢で下車すると,私と同じように階段二段跳びをクリアした湘南住まいのYさんがいる.
 渋沢発大倉行のバスは平日にしては混雑.沢山の立ち席がでる.Tさん,Yさん,Sさん,Hさん,Nさん,Iさんなど,土曜日にお会いすることの多い常連の方々が沢山乗車しておられる.
(注)今回から「あだ名」の使用を止めます.
   もともと,私の記憶用に「あだ名」を使っていましたが,次第に匿名性がなくなり齟齬をきたすようになったのが
   理由です.

■キンラン
 私は,たまたま居合わせたTさんと一緒に,7時07分に大倉から歩き出す.まだ早朝なのに,気温は20℃を超えている.いつも出だしの歩行速度が速いTさんの後ろに付いて行くのは結構辛いが,まあ,付いて行けないほどの高速ではないので,途中で数名の登山客を追い越しながら登り続ける.
 雑事場ノ平の手前で,花や鳥に詳しいHさんに追い付く.Hさんは登山道の土手を頻りに気にしている.
 「Hさん…おはようございます.何かあるんですか?」
 Hさんが指さす方を見ると,黄色い花が咲いている.花のことは殆ど分からない私には,どこにでもある平凡な草花としか思えないが,キンランという花だそうである.私もHさんの真似をして,キンランの写真を撮る.
 もっとキンランだけをハッキリ,後はボカした写真を撮りたいなと思うが,バカカメラは私の言うことを聞いてくれない.

<路傍のキンラン>

■見晴階段
 7時45分,見晴山荘を通過する.私を凄い勢いで追い越したSさんとNさんが先に見晴階段を登り始める.
 例によって,見晴階段の下から階段を見上げた写真を撮影する.階段に沿って,点々と登山者の後ろ姿が見えている.

<見晴階段>

■今日も,まあ,順調かな…
 見晴階段が終わって,モミジ坂に差し掛かる.途中で何となく体力に余裕があるようなので,少し歩行速度を速めて,先ほど私を追い越していったご常連お二人を追い抜く.
 7時59分,一本松を通過する.
 「ありゃ〜っ! この分だと駒止茶屋吸うかは8時12〜13分になりそうだな…今日の体調は余り良くないな・・・」
と思う.
 一本松を過ぎて平坦な道になる.今日は蒸し暑いので,そろそろ給水しようかと思ってハイドレーションから水を飲もうとする.ところがリュックの中の詰め方が悪いらしくで,ハイドレーションのパイプが折れ曲がってしまい水を飲むことが出来ない.
 「これはまずいな・・・」
とは思ったものの,まあ,いいか,ということで,堀山の家までは給水せずに行こう.そして,堀山の家で,リュックの中を整理しようと思う.後から考えると,これがいけなかった.
 急な上り勾配の駒止階段を登って,8時12分に駒止茶屋を通過する.大倉からの所要時間は1時間05分.一昨日は1時間04分だったが,まあ,1分程度の差なら,一昨日と同じテンポで歩いている.私はまあ今日も順調かなと判断する.

■堀山の尾根道
 堀山の尾根に差し掛かる.毎度,平坦地は速く歩くことにしている私は,何時も通り,かなりの速歩で堀山の尾根道を歩き続ける.私の直ぐ後をNさんがピッタリ付いてくる.
 やがて,富士山が良く見える場所に到着する.私は例によってバカカメラを,あれこれ工夫しながら,富士山の写真を撮る.
 確かに一昨日に比較すると,富士山は霞んで見えている.でも肉眼ではとても良く見えているが,カメラに写すと,ご覧の通りである.富士山などほとんど写っていない.

<富士山が良く見えているが写らない>

■萱場平
 8時26分,堀山の家に到着する.
 すぐにリュックの中を調べる.するとハイドレーションシステムのパイプが乱雑に入れた手拭いや食料品で折れ曲がっていて,水が通らなくなっている.すぐに荷物を整理してパイプのオレ曲がりを直す.
 私のすぐ後に居られるNさんに,
 「ここから花立山荘まで,40分掛けてユックリ登りますので,もしお急ぎでしたらどうぞお先に…」
と声を掛けるが,とても速くは歩けませんとのことだったので,そのまま二人で登り続ける.
 歩きながら,ハイドレーションの水を1口,2口飲んで,喉を潤す.
 気温は相変わらず20℃を超えている.この高温が,いくら注意していても私の身体を消耗させる.
 「どうも,今日は調子が悪いな」
と思いながら次第に登攀速度を意識的に落とす.
 それでも,戸沢分岐の手前で,頭がクラクラするような異変を感じる.私は熱射病に罹るのを極度に警戒して,後ろに居られるNさんに,先に行ってもらい,一層歩行速度を落とすことにする.
 8時46分,ようやく萱場平を通過する.大分,疲労していたのか,ここで撮影した写真を後から見てみると,前方の空が写っていない.判断力が鈍っていたんだろうか.
 例により,木道の間に元気よく繁茂するアザミの写真を撮りながら,ごくユックリの速度で平らな道を歩き続ける.
 
<萱場平>                                   <木道の間のオニアザモ>

■青息吐息の後7分坂
 萱場平から花立山荘の間は,ごく低速で,慎重に,慎重に登り続ける.暫くの間,Nさんの後ろ姿が見えていたが,後7分坂(花立階段)に差し掛かる頃には,Nさんはもう見えなくなる.
 後7分坂をどの程度時間を掛けて登ったのか,記録していないので分からないが,思うように足が上がらなかったので,多分,9分程度要したものと思われる.
 9時16分,漸く花立山荘に到着する.山荘前の広場から富士山がうっすらと見えている.
 大倉から花立山荘までの所要時間は2時間05分.堀山の家からの所要時間は46分.後半随分と速度を落としたのに,意外に速い.これには,私も少々ビックリする.
 「もういいや,所期の目的は果たした…今日は疲労気味なので,ここから先はノンビリ行こう…」
と決心する.
 丁度このとき,Tさんが私に追い付く.
 「もう暑くてダメだ…ユックリ行きましょう」
と私に言う.勿論,私も同感.
 花立山荘から花立山までの登り坂は,超ユックリ.
 途中,鍋割山稜を眺めながら,
 「緑が大分上まで来ましたね…ついこの間まで高い所は冬だったのに…」
 9時20分,花立山山頂に到着する.花立山荘から花立山までは何時も9分程度で歩いているところを,今日は14分掛けている.
 
<花立山荘>                                  <鍋割山稜と富士山>

■風景や花を眺めながら道草
 花立山山頂付近で風景や草花を眺めながら,一寸長い間,道草.
 「花の写真は,どうも上手く撮れないんだな・・・」
とTさんが言う.私も同感.前回写真を撮ったときも,ピントが花に合わずに地面に合ってしまう.今回は上手く撮れたかなと思ったが,やっぱり思うように採れない.
 言いたくはないが,“このバカカメラめ!”. 
 道草をしている間に,常連のSさんに追い抜かれる.
 「私たち花を見ながら,ユックリ登ります」
と挨拶する.
 花立山を過ぎると,豆桜が目立ち始める.木によっては見頃を大分過ぎているものもあるが,今が見頃な木も沢山ある.豆桜の花を愛でながらノンビリ登り続ける.
 
 <綺麗な豆桜>

■この頃増え始めたバイケイソウ
 9時31分,金冷シを通過する.もう,ここまで来れば山頂は目の前である.ユックリ序でに,なおユックリ,ユックリと登る.どうやら熱射病にはならずに済みそうだが,足取りは何とも重い.
 登山道の周辺を見ると,バイケイソウが沢山繁茂している.
 Tさんの話によると,この頃塔ノ岳でもバイケイソウが増えているとのこと.
 「バイケイソウはシカが食べないんですよ…だから増えているんでしょう」
 私は進行方向左手にあるバイケイソウ群生地の写真を撮る.
 「こっちに,もっと綺麗に見える(バイケイソウの)群生地がありますよ」
というTさんの案内で,今度は進行方向右手に土手に登ってみる.なるほど,そこには見栄えのするバイケイソウの群生地がある.さっそく写真を撮る.

<山頂付近のバイケイソウ群生地>

■綺麗な花
 今日は,徹底的にTさんの御指南を受けなが登ろうと思う.時間などどれだけ掛かっても良い.そして,私は,柄にもなく,Tさんが教えてくれる花の写真を何枚か撮影する.
 取りあえず写真を撮ったのが,ワチガイソウとハナネコノメソウ.どちらも小さくて可愛い花である.ただ写真を撮った途端に,どっちがどっちのの花の写真かわからなくなる.また,この近くで,他にも花の写真を撮ったので,下の写真は取り違えているかもしれない.だから,ここでは綺麗な花の写真とだけしておこう.
 
<山頂付近の綺麗な花>

■塔ノ岳山頂
 山頂付近で,Tさんに木道半分位引き離されたが,9時55分,ようやく塔ノ岳山頂に到着する.山頂の気温は,私の温度計で20℃と高温である.一昨日は8℃だったのに…正に激変.
 大倉からの所要時間は,途中から失速して,2時間47分と最悪.一昨日より20分近く余計に掛かっている.それも,金冷シから山頂までの所要時間は実に24分.もの凄い鈍(のろ)さである.
 山頂にはまだ登山者の人影は殆どない.
 天候は晴だが,周囲は靄に覆われていて,遠くは余りはっきりとは見えない.
 山頂で,今朝方,小田原駅で階段2段跳び乗換をされたYさんと合う.尊仏山荘を覗くと私よりちょっと先に山頂に到着したTさんが席に座ろうとしている.私は山頂から周囲の景色を写す儀式を済ませてから,尊仏山荘に向かう.

<塔ノ岳山頂からの景色>

■尊仏山荘
 今日の尊仏山荘の客は常連ばかり.小屋番はオーナーのHさん他.
 例により300円也のお茶を所望する.
 どこからともなく,華伊達美弥雄氏(ネコのこと)がノッソリと現れる.私は電車やネコは出会ったときに必ず写真を撮ることにしている.お茶を飲む前に,ネコの写真を何枚か撮る.
 この所,このネコ君,どうも太りすぎたようで,かなりの太鼓腹になっている.動作もかなり緩慢になってきたような気がしている.ちょっと心配.
 やがて,IさんがTさんにエスコートされて,一緒に尊仏山荘に到着する.

<一寸元気がないミャ〜君>

■ご常連で賑やかな山荘
 やがて,常連のMさんも山荘に到着する.暫くの間,賑やかに食事などを共にする.
 コーヒーを追加して賞味している間に,先ほどまでの疲労感はまるで嘘のように完全になくなっている.そして何時もの元気を取り戻す.
 たっぷり雑談をした後,10時32分,Tさん,Sさん,Nさん,Iさんの4人と一緒に,下山開始.

<ご常連で賑わう尊仏山荘>

■渋沢でコーヒーブレーク
 山頂から2番目の階段を降りているところで,いつも金曜日にお会いするHさんとすれ違う.,
 「毎日登っているの…?」
が挨拶代わりである.
 つい最近,登頂2000回の新聞記事で有名になったTさんは,色々な方から声を掛けられるので,ついつい遅くなる.下山速度が速い方はどんどん先に行かれるので,私は結局Nさんと2人で遅からず速からずの速度で下山し続ける.
 12時07分,見晴山荘に到着する.ここでIさんの到着を5分ほど待つ.
 12時42分,無事,大倉に下山する.
 まずは,洗い場で,靴の埃を洗い直す.勿論,使用するタワシにヒルが付いていないか,ちゃんとチェックする.今年は,まだ,今のところ,ヒルが出たという噂は,直接には聞いていない.
 Sさんが,前後して同行した私たちに,アイスバーを振る舞ってくれる.私もアイスバーを頂戴する.内心で,
 “Sさんは,私も仲間の端くれとして扱ってくれているんだ…”
と思うと,飛び上がるほど嬉しくなる.
 “ありがとうSさん…何時か恩返しをしなければ…”
 大倉では,私たちより一足先に下山していたMさんとYさんが,私たちの到着を待っている.
 「渋沢で,一緒にコーヒーでも飲みましょう…」
とお誘いを受ける.このお誘いも,とても嬉しい.
 勿論,大賛成.
 もっとも,先ほど,尊仏山荘でもお茶を所望した後でコーヒーを賞味したばかりだが…
 渋沢駅南口駅前にあるコーヒーショップに立ち寄る.私は,ここでもホットコーヒーを所望する.
 
<渋沢駅南口の某コーヒーショップにて>

■愛用のバカカメラが…
 私はコーヒーの写真を撮ろうとして,カメラを構える.
 写真を撮ってから,カメラの電源をオフにする.ところが,突然,カメラのレンズカバーが半分閉じなくなる.何回スイッチを入れ直しても,上半分のカバーが閉じない.
 “遂にオマエも脳卒中か!”
と愛用のバカカメラを労る.
 でも,スイッチを入れると,下のカバーはちゃんと開くので,撮影には差し支えないようである.
 このカメラとのお付き合いは結構長い.多分,5年程度になるだろう.平素バカ呼ばわりしているが,結構,愛着のあるカメラである.
 “仕方ないな! まあ,オマエが全く使えなくなるまで愛用してやるよ”
 カメラが,
 “お前さん,そんなこと言っているが,お前さんの方が先にくたばるかも知れないよ”
と言っているような気がする.
 
<渋沢駅南口某コーヒーショップのコーヒー>                 <レンズ扉が半分閉じなくなったカメラ>

■大船で多忙
 小田急線と東海道本線快速アクティを乗り継いで,15時24分に大船駅に到着する.
 電車を降りた途端に,ムッとした暑さを感じる.手許の寒暖計は30℃を示している.
 ここからがちょっと大変.郵便局,Y電機,西友などをグルグル回って,ちょっとした雑務を一気に片付ける.
 その内に,今日の登りがきつかったことなど,すっかり忘れている.熱射病を気にしながら,ユックリ登ったので,結局は体力の消耗が少なくなったのが,疲労感がない原因かも知れない.
 まあ,ともかく,この暑い最中に無事塔ノ岳を往復することができて良かった! 良かった!
 次回の塔ノ岳詣では,お天気にもよるが,水曜日かな.

<ラップタイム>

 7:07  大倉歩き出し
 7:28  観音茶屋
 7:45  見晴山荘
 8:12  駒止茶屋
 8:26  堀山の家
 9:12  花立山荘
 9:31  金冷シ
 9:55  塔ノ岳山頂着
10:32      〃  発
10:49  金冷シ
11:00  花立山荘
11:15  萱場平
11:28  堀山の家
11:44  駒止茶屋
12:07  見晴山荘(12:12まで休憩)
12:24  観音茶屋
12:42  大倉着

 [山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:07
  塔ノ岳  着       9:55
 (所要時間)        2時間48 分(2.80h)
 水平歩行速度    7.0km/2.80h=2.50km/h
 登攀速度           1269m/2.8h=453.2m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発       10:45
  大倉   着       13:11
 (所要時間)         2時間26分(2.43h)
 水平歩行速度    7.0km/2.43h=2.88km/h
 下降速度       1269m/2.43h=522.2m/h
                               (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9e74c798eafbc6712e97e05a834a87a9
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)

歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回):(3)日野宿から八王子へ

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                   <豆腐料理「うかい」の脇を通過>

    歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回):(3)日野宿から八王子へ
                   (五十三次洛遊会)
       2013年5月6日(月・振替休日) つづき

<ルート地図>


※前掲図



<日野郊外を行く>

■大坂上中学校
 日野駅周辺で自由昼食を済ませた後.12時50分,日野駅前から午後の部を開始する.
 日野駅前で,どちらが旧中仙道の道か少し迷ったが,JR線路脇の南南西に向かう.なだらかな登り坂である.この坂は,どうやら大坂と呼ばれるようである(未確認).
 JR線路の上を通るガードの下を潜ると,幾分緩やかな坂道になる.
 13時08分,大坂上中学校脇に到着する.中学校の前の通りには,見事なツツジの並木が続く.

<大坂上中学校>

■上人塚は工場の中
 13時18分,日野自動車の工場に到着する.
 この工場の敷地内に,上人塚と古墳がある.工場入口の守衛室で上人塚が見学できるか伺うか,当然のことながら“No.” 残念ながらやむを得ない.
 資料1によると,美濃佐藤家の浪人が名主になった際,連署を埋めたところとと言われているようである.

<日野自動車の守衛室にて>

■ファミリーマートで休憩
 日野自動車の大きな工場際の道を西南西に向かって歩き続ける.蒸し暑い.
 ついで,日野自動車の工場と道路を挟んで反対側にあるコニカミノルタの工場の前を通過する.
 13時32分,ファミリーマートに到着する.ここで,10分ほどトイレ休憩.
 余りに蒸し暑いので,私はここでガリガリ君を賞味する.

<ファミリーマートで休憩>

■旧家の門
 13時42分,休憩を終えた私たちはファミリーマートから歩き出す.
 13時43分,旧家門のある家に到着する.「土方」の門札が掛かっている.

<旧家の門>

■高倉稲荷社
 14時47分,高倉稲荷社に到着する.木立に囲まれた立派なお社が建っている.
 資料4によると,この神社の「総本社は伏見稲荷大社(京都).御祭神は宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)[別称]倉稲魂命.宇迦之御魂神:生産の神/五穀豊穣の神である.ご利益は商売繁盛、五穀豊穣など.享保3年(1719年)高倉新田の鎮守として創建」されたようである.
 資料3(p.41)によると,この神社の立派な鳥居は明神鳥居という様式の鳥居らしい.

<高倉稲荷社>

■豆腐料理「うかい」
 13時56分,八高線上の高架橋を通過する.
 傾斜の緩い下り坂を少し進むと豆腐料理で有名(らしい)「うかい」に到着する(14時02分). ここがどのようなお店か知る由もないが,大きな敷地に立派な塀が巡らされている.

<豆腐料理「うかい」>

<八王子へ>

■浅川を渡る
 14時12分,浅川に架かる大和田橋に到着する.かなり長い橋である.橋の中央に立ち止まって浅川の上流を眺める.
 かなり強い風が下流の方から吹いてくる.帽子を飛ばされないように頭を押さえながら橋を渡る.橋を渡りきるのに3分ほどの時間が掛かる.


<浅川を渡る>

■新町の枡形と新町竹の鼻一里塚
 大和田橋を渡って,ほぼ直角に右に曲がる.12時21分,市立五中の前を通過する.
 五中の敷地が終わるところで,左手の狭い道に入る.
 資料1によると,この辺りは森町の枡形と呼ばれているようである.
 14時22分,「史蹟一里塚址」と大きな字が刻字してある石柱の前に到着する.ここは新町竹の鼻一里塚跡,江戸日本橋から11里めの一里塚である.
 一里塚跡の後ろは公園になっている.広場には滑り台やベンチが備え付けられている.
 広場の先は高台になっていて,小振りながら立派なお社が建っている.

<新町竹の鼻一里塚跡>

■永福稲荷社
 新町竹の鼻一里塚跡の隣の高台に鎮座するのが永福稲荷社である.
 資料5には,この神社に掲示されている案内板を引用して,「永福稲荷神社は八王子市新町の鎮守で祭神は倉稲魂命(ウカノミタマノミコト)です.古くはこのあたり一帯は竹の鼻と呼ばれていたところから,竹の鼻稲荷神社とも言われていました.厄除け,開運,出世,勝運,商売繁盛,心願成就.縁結び,家内安全,交通安全など,霊験あらたかな神様です.宝暦6年8月2日(1756年)力士八光山権五郎が再建し落成と同日に相撲を奉納したといわれています.江戸時代甲州街道八王子宿の入りロに位置しているために,江戸からの往来客による信仰が厚く寄進された鳥居,天水桶等が境内に現存されています.例祭は「しょうが祭」と呼ばれ毎年9月第1土曜日に執り行われます.当日神社で軍配(勝)御守札を授与します.縁起物として「しょうが」が売られます.」とのこと.
 たまたま,神社の前に居られるご近所の老婦人に伺う,
 「9月2日に「しょうが祭り」をしますよ…とても賑やかですよ」
とのこと.

<永福稲荷社>

■力士八光山権吾郎の像
 神社の境内に力士八光山権吾郎の実物大の像が立っている.この像が実物大だとすると,とてつもない大男である.
 資料5によると「八光山権五郎は江戸時代中期(寛延,宝暦)に活躍した八王子出身の力士です.身長6尺3寸(191センチ)体重不詳,嶋屋という絹問屋の後継ぎで商売をしながら相撲をとっていました.当時は大坂,京都で勧進相撲が盛んに行われていました.現在のように相撲協会はなく,相撲が開かれる場所へ自前で出かけて行き日本各地の力自慢腕自慢が,日本を東西に分けて地元出身地を背負って対戦しました.その時の番付には八光山の出身地は「江戸」とのっています.八光山は八王子から相撲が開かれる場所へ旅立つ前には,必ず稲荷神社へ参拝し旅の安全と必勝を祈願し亦帰郷した折にも境内で勧進相撲を奉納しました.当時の力士は現在の力士が締めている半分位の丈で出来ている化粧回しを締めたままで柑撲をとりました.相撲は神事と深いかかわりがあることから,五穀守護の神「倉稲魂命」の神前で願いを込めて相撲を奉納したものとおもわれます.八王子史実を著してある塩野適斎の桑都日記には,八光山権五郎が神明の霊徳によって天下第一の力士になれば,神祠を再造して永くこの所において相撲を興行し神を祭ると祈誓し,故郷を辞し去って三都及び四国九州を遊歴し,強くカのある者に逢えば相撲を試み,遂には敵する者が無く,これを賞され時の天皇から御盃と錦のまわしを賜り,帰郷後稲荷神社境内で相撲を興行したと記録されています.」とのことである.
 さらに,「力士八光山権五郎が62歳で没した後,毎年8月2日には近郷の力自慢によって相撲が奉納されるようになりました.(案内板より)」とのことである.

<力士八光山権吾郎像>

[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;外山晴彦;サライ編集部(編),2002,『神社の見方』小学館
資料4;http://jinjajin.jp/modules/newdb/detail.php?id=1737
資料5:http://ps.55555.to/tokyo/eifuku_inari_jinja-hachioji/

                                     (つづく)
                                    
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 この記事はあくまで個人的趣味,仲間との情報共有を目的としたものであり,第三者を読者の対象にはしておりません.
 記事の正確性は保証しかねます.なるべく誤字脱字転換ミスは少なくするように努力しますが,不具合は多々残っているでしょう.これらがご不快に思われる方が,どうぞアクセスをご遠慮下さい.



歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回):(4)八王子宿

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                            <千人同心碑の前で一休み>

      歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回):(4)八王子宿
                   (五十三次洛遊会)
       2013年5月6日(月・振替休日) つづき

<ルート地図>




<八王子宿の概要>

■八王子宿の規模
 資料2(p.277)によれば,八王子宿の宿内人口は6,026人.内,男3,112人,女2,914人.宿内惣家数1,548軒.内,本陣2軒,脇本陣3軒,旅籠34軒の大きな宿場だったようである.また,大概帳による宿場の正式名称は八王子宿ではなく横山宿のようである.

■八王子宿の成立経緯
 資料4の説明によると,「1590年,後北条氏が豊臣秀吉と敵対し,八王子城は上杉景勝・前田利家らの北陸勢の猛攻を受けて落城した.その後小田原城が降伏し,北条氏照が兄の北条氏政とともに敗戦の責任をとって切腹すると,没収されたこの地方は後北条氏の旧領全域とともに徳川家康に与えられた.家康もまた後北条氏と同じく,家康の居城が置かれる江戸を甲州口から守るための軍事拠点として八王子を位置付けた.
 しかし徳川氏は後北条氏のように八王子に支城を置かず,八王子城を廃城とした上で八王子を直轄領とした.八王子には関東各地の直轄領(御料)を支配する代官18人が駐在することとなり,武田家旧臣の大久保長安が代官頭をつとめてこの地方の開発を担当した.長安は甲州街道を整備し,八王子城下より東の浅川南岸の街道沿いに新たに八王子町を設けて旧八王子城城下の住民を街道沿いに移住させた.
 徳川氏による八王子の開発の結果,1650年代までに現在の八王子の中心市街(八王子駅の北)には甲州街道に沿って何町も連なる大きな宿場町が完成し,八王子十五宿(八王子横山十五宿)とよばれるようになる.この宿は街道中最大の宿となった.八日市・横山・八幡などの地名は滝山城の城下町から八王子城の城下町へ,そして八王子町へと受け継がれたものである.また徳川氏は武田氏や後北条氏の遺臣で軽輩の者を取り立てて八王子宿周辺の農村に住まわせ,普段は百姓として田畑を耕し,日光警護など特別な軍事目的の場合には下級の武士として軍役を課す八王子千人同心とした.
 八王子宿への代官の駐在は1704年に廃され,関東御料の代官は江戸に移住する.なお,八王子宿は幕府直轄の天領であったが,江戸近郊の常として周辺の村には旗本や小大名の相給地も多く,一元的領域支配は行われていない.」(以上コピペ).

<八王子宿を行く>

■八王子市の中心街
 永福稲荷社で休憩を取った後,12時35分に再び歩き出す.永福稲荷社前の緩やかな登り坂をほんの100メートルほど進むと三叉路に突き当たる.
 この辺りに市守神社があるはずだが,見学は省略する.
 資料5によれば,市守神社は「天正18年(1590),八王子城落城後の新しい八王子の宿を整備するにあたって,倉稲魂命(うがのみたまのみこと)を守護神として創建された.市守稲荷とも呼ばれ,商売繁盛の神として信仰されている.のちに天日鷲神(あまのひわしのみこと)も祀り,現在でも毎年11月の酉の日に商売繁盛を祈願する「お酉さま」が行われている.」とのことである.
 14時42分, 三叉路を左折して南へ向かう.2〜300メートル歩くと大きな通りと交差する.ここで右折して再び西へ向かって歩き出す.資料1によると,この曲がり角辺りに八王子宿入口の木戸跡があるはずだが,どこにあるのか分からないまま通過する.
 この辺りはJR八王子駅の北側に位置している八王子の中心街である.資料4の解説にもあったように,この辺りは甲州道中最大の宿場であった八王子宿があったところである.
 道路の両側には大きくて立派なビルが建ち並んでいる.道幅も広く,自動車や人の往来も至って賑やかである.鎌倉の山の中に住んでいる私は,大都会のど真ん中を歩いているように思えて,何となく落ち着かない.
 街角に,可愛い男の子の立像が置かれている.可愛さに惹かれて写真を撮るが,この立像は一体何なんだろう? 良く分からない.
 
<八王子の中心街>                                          <可愛い立像>

■八日市宿跡
 立派で広い道路に圧倒されながら西に向かって歩き続ける.
 資料1の地図を眺めながら,14時52分に川口脇本陣跡らしいところを通過するが,痕跡は見当たらない.
 14時55分,絹の道との交差点を通過する.資料1によると,絹の道は安政6年(1859年)?浜開港にともない明治に入ると八王子は絹織物の町となったという.
 この近くに高札場があったようだが,これも痕跡すら見当たらない.
 14時58分,八日市場宿跡碑に到着する.この碑は八王子夢美術館があるビルの前に立っている. 
 資料4によれば,八王子十五宿は.十王堂宿(新町),横山宿,八日市宿,本宿,八幡宿,八木宿,子安宿,馬乗宿,小門宿,本郷宿,上野(上野原)宿,横町,寺町,久保宿,嶋坊(嶋野坊)宿から成り立っている.この八日市宿は,八王子十五宿のひとつである.
 八日市宿跡碑のすぐ西,信号八幡町付近に山上脇本陣(日本火災海上保険付近)や新野本陣跡などがあるはずだが,残念ながら痕跡すら見当たらない.
 
<八王子夢美術館>                  <八日市場宿跡の碑>

■千人同心碑
 さらに西へ歩き続けると,繁華街の喧噪さは次第に薄れて,何となく落ち着いた雰囲気に変わる.
 14時16分,信号本郷横町を通過する.ここは秋川街道の分岐である.
 この辺りの南に,産千代稲荷があるはずだが,ちょっと探しあぐねる,もう,時間も押しているので,ここは参拝せずにそのまま通過する.
 15時16分,追分歩道を渡る.5叉路の大きな交差点である.
 歩道を渡っていると,いきなりパトカーがサイレンを鳴らして,交差点内に停車中の1台の乗用車を近くの交番脇へ誘導している.同行者の方の話だと,どうやら車線変更禁止の場所で,車線を変更したらしい.
 15時15分,交差点沿いにある千人同心碑に到着する.大きくて立派な石碑である.
 千人同心は,この稿の冒頭で引用したように,武田氏,後北条氏の遺臣で軽輩をこの辺りに住まわせ,普段は百姓,日光警護など特別な軍事目的の場合は武士として軍役を課された人達のことである.
 ここで10分ほど休憩を取る. 

<千人同心の碑>

■高尾山分岐
 休憩を終えて,15時30分に千人同心碑を出発する.5叉路を斜め左に曲がってすぐに高尾山分岐道標の前を通過する.歩道沿いの並木の緑陰が心地よい.

<高尾山分岐>

■了法寺
 15時31分,了法寺の前を通過する.時間が押しているので,参道入口から本道の写真を撮っただけで通過する.
 資料6によると,山号は松栄山,日蓮宗.開祖は啓運日澄上人で,延徳元年(1489年戦国時代)に隠居する寺として開山されたと伝えられる.その後,延徳2年(1491年)に,元八王子に改めて開かれ,のちに天正18年(1590年安土桃山時代)に現在の八王子日吉町に転寺した.

<了法寺>

■散田一里塚跡
 15時40分,信号長房団地入口で右折,散田一里塚跡に到着する.一里塚跡を示す大きな石柱が立っている.ここは江戸日本橋から12里目の一里塚である.高尾山道標もある.
 資料1によると,この辺りには田んぼが散らばっていたことから散田という地名になったという.
 道標裏の細い道に入る.細い道の両側には住宅が並んでいる.この細い道も長安寺付近で,また元の道に合流する.

<散田一里塚跡>

■長安寺
 15時57分,長安寺に到着する.
 資料7によれば.山号は祥雲山.曹洞宗.本尊は準提観音菩薩.寺宝は聖観世音菩薩(卯歳のみ開帳).開基は陽山嶺暾大和尚.開創年は正保(1644)年以前.創建年は不詳,武蔵風土記によれば開山は陽山嶺暾大和尚,正保2年(1645年)3月示寂.本堂建立の年代も不詳,ただし戦災等による焼失の記録の無いところを見ると江戸時代後期から明治初期のものと考えられる.昭和55年(1980年)11月に位牌堂・開山堂が完成.12年に1回卯歳に聖観世音菩薩様のご開帳を行うとのこと.

<長安寺>

[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;外山晴彦;サライ編集部(編),2002,『神社の見方』小学館
資料4;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E7%8E%8B%E5%AD%90%E5%AE%BF
資料5:http://www.city.hachioji.tokyo.jp/kyoiku/rekishibunkazai/bunkazai/shiseki/8218/007176.html
資料6;http://ryohoji.jp/
資料7;http://hachibutu.com/cyouanji.html
                                     (つづく)
                                    
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(編集中)

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歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回):(5)浅川からJR高尾駅へ

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                  <無事高尾駅に到着>  

     歩いて巡る甲州道中四十四宿(第3回):(5)浅川からJR高尾駅へ
             (五十三次洛遊会)
       2013年5月6日(月・振替休日) つづき

<ルート地図>



<東浅川町を行く>

■武蔵陵墓地参道
 長安寺境内での小休止を終えて16時丁度に長安寺を出発する.今回の終点,JR高尾駅ももうすぐそこの筈だが,私たちの進捗は予定より少々遅れ気味である.また,今日は少々気温が高いので,一同の疲労感も高まっているように見受けられる.
 16時19分,多摩御陵入口に到着する.入口脇には「武蔵陵墓地参道」と刻字された大きな石柱が立っている.
 「皆さん,大分お疲れのようですので,ここで少し休憩しましょう…」
とリーダーが提案する.勿論,何方にも異論はない.

<武蔵墓地参道入口>

■緑陰での休憩
 武蔵墓地参道入口の木陰で,5分ほど立ち休憩.地図を眺めながら,
 「(今日の終点,)高尾駅まで,後1キロメートルほどですよ…」
と励まし合う.
 休憩を終えて,16時19分,参道入口から歩き出す.

<武蔵墓地参道入口で休憩>

■旧道に入る
 参道入口前のY字型の分岐を右の路地に入る.路地の入口には「旧甲州街道」と書いてある木の案内板が立っている.私たちは道幅が狭い静かな住宅地内の道を西へ向かう.
 表通りに比較すると実に閑静な道である.道路を歩いている人もほとんど居ない.

<旧甲州道中の案内板>

■石の地蔵
 資料1の地図を見ると,旧道に入ってから,2〜300メートル歩いた辺りに石地蔵があるはずである.私たちは見落とさないように注意をしながら歩き続ける.
 地図を見ると進行方向左手から狭い道路がT字型に交差する辺りにあるはずである.私は目的のものを見落とさないように注意しながら,リーダーの直ぐ後に付いて歩くようにしているが,やっぱり見落とすことがある.
 16時28分,私の後ろを歩いている方が,
 「あら…あそこに地蔵さんらしいものがありますよ…」
と私に声を掛ける.
 なるほど,道路の反対側に小さな地蔵が鎮座している.この方が見付けなければ,あやうく見落とすところである.
 私は5メートルほど通り越していたので,少しバックして地蔵の写真を撮る.
 資料1によると,この地蔵は安永元年(1772年)に作られたもののようである,なお,下の写真に写っている地蔵脇の細い道は八王子城趾に通じている道だという.

<石の地蔵>

■黒塀の旧家
 石地蔵より少し先,道路を挟んで反対側に黒塀が見事な旧家がある.
 同行のどなたかが,この黒塀を見て,
 “粋な黒塀 見越しの松に あだな姿の お富さん〜”
と歌い出す.
 随分と古い懐かしい歌である.もうずっと昔に旅立ってしまった私の父も,酔うほどにこの歌を良く歌っていた.
 そんな昔,昔のことを回想しながら,黒塀の家を眺める.
 
<黒塀の家>

■熊野神社
 16時32分,旧甲州道中の道は,再び現在の甲州街道と合流する.
 16時34分,合流点の直ぐ近くにある熊野神社に到着する.境内は道路から一寸高い所にある.私は折角だから,斜面を登って大急ぎで境内を一回りしてみる.大半の方は私が一回りするのを境内入口で待っている.
 資料1によると,この神社の境内には樫と欅が根元で一緒になっている縁結びの木があるというが,どの木が縁結びの木なのか,植物に疎い私には分からない.
 この神社について,資料3には,「社縁起によれば,その昔諸国行脚の旅をしてここまでたどり着いた老夫婦が,紀州和歌山の熊野大社を奉斉したとのこと.その後,天正元年に北条氏照が再建したこれにいたったとか. 社殿左側にはご神木があるが,風邪除け,長寿の木として地元に崇拝されている.」とのことである.
 なお,樫と欅が合体した木は,多分,下の写真の中央に写っている大きな木だろうと思う.

<熊野神社>

<第3回も無事終わった>

■JR高尾駅に到着
 16時40分,ようやく本日の終着点であるJR高尾駅に到着する.
 前回,何時,どこへ行ったときに,この駅を利用したかは覚えていないが,とにかく見覚えのある駅である.
 JR谷保駅から,所要時間7時間30分,水平歩行距離17.0キロメートルの旅は無事終わった.

<JR高尾駅に到着>

■駅前で記念写真
 高尾駅は登山客,観光客で沢山の人が集まっている.駅近くで軽く懇親会…というつもりだったが,大人数が入れるような場所はなさそうなので,ここで解散となる.
 解散する前に駅舎前で集合写真を撮る.

<高尾駅前で集合写真>

■一人解放された気分で大船へ
 私は真っ直ぐ大船駅に戻るつもりである.
 終日,皆様と一緒に行動していたので,帰りの電車ぐらいは一人に解放され,車内で居眠りしながらユックリ帰りたいと思う.
 そこで,調布にお住まいの某さんと一緒に高尾駅から京王線電車で分倍河原に向かう.分倍河原からは全くの一人旅.旅の余韻に浸りながら,一人で気儘に電車に乗るのが一番である.
 南武線で武蔵小杉へ,武蔵小杉から横須賀線の電車に乗車する.横須賀線の電車は混雑していて,?浜まで座れなかったが,車内で立ちんぼでも特段苦にならない.
 “やっぱり,乗り物は一人で勝手に乗るのが一番だなあ〜”
 親しい皆様と一緒に旅行するのも実に楽しい.でも一人で勝手気ままな旅もたまにはしてみたいなと思いながら,一人電車を楽しむ.

■孫娘から元気を貰って大団円
 19時過ぎに帰宅する.
 北鎌倉に住んでいる孫娘達が我が家を訪れている.
 ちょっと遅めの夕食だが,孫娘達と一緒の夕食で,旅の疲れは一気に吹っ飛んでしまう.
 まさにホームスイートホームである.こうして孫達から元気を貰って,第3回目の攻守道中の旅は無事終わった.

<ラップタイム>

 9:10  JR谷保駅から歩き出し
 9:20  再び谷保天満宮(9:30まで見学)
 9:35  遠藤由晴
 9:50  南養寺(9:55まで参拝見学)
10:07  五智如来
10:25  青柳地蔵堂
10:44  街道道標
10:52  馬頭観世音
10:58  立日橋渡り始め(11:04渡り終わり;渡し場跡)
11:15  地蔵堂
11:20  日野宿本陣(下の名主)(11:35まで休憩)
11:37  上の名主
11:40  問屋場跡
11:50  八坂神社(11:55まで参拝・休憩)
12:04  宝泉寺(12:06まで見学)
12:12  JR日野駅 (12:50まで昼食)
13:08  大坂上中学校
13:18  日野自動車(上人塚)
11:28  コニカミノルタ
13:32  コンビニ(13:42まで休憩)
13:43  旧家門
13:56  八高線跨線橋
14:02  豆腐のうかい
14:08  旧道に入る
14:12  大和田橋渡り始め(14:15渡り終わり)
14:21  市立五中
14:24  永福稲荷・一里塚(14:35まで休憩)
14:43  信号八王子駅入口東
14:52  川口脇本陣跡
14:55  絹の道分岐 
14;58  八日市宿跡碑
15:03  山上脇本陣跡
15:16  信号本郷横町
15:21  千人同心碑(15:30まで休憩)
15:31  道標
15:40  一里塚跡
15:57  長安寺 (16:00まで参拝休憩)
16」15  武蔵陵墓地参道入口(16:19まで休憩)
16:22  旧道に入る
16:26  石地蔵
16:34  熊野神社(16:35まで参拝)
16:40  JR高尾駅

 [歩行記録]

■水平歩行距離      17.0km

■累積登攀高度       136m

■累積下降高度        35m

■所要時間(休憩時間込み)
  谷保駅発          9:10
  高尾駅着          16:40
  (所要時間)      7時間30分(7.50h)
  平均歩行速度     17.0km/7.50h=2.27km/h


[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://www.takaosan.info/takakitakin.htm

                                     (第3回おわり)
                                     (第4回に続く)
                                    
「甲州道中」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a538c3706f69f1840f165ec38adaa69d
「甲州道中」の次の記事
(なし)

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満開の豆桜とブナに癒される丹沢:主脈縦走(その1)

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                           <塔ノ岳北側斜面にて>

     満開の豆桜とブナに癒される丹沢:主脈縦走(その1)
           (大倉から丹沢山まで)
       2013年5月13日(月)  晴・湧き雲多し

<ルート地図>


※後半の地図は続編に掲載する.

<まずは塔ノ岳へ>

■大倉から登山開始
 昨日,ロッキー山脈の旅でご一緒だったTさんとメールをやり取りしている内に,成り行きで,今日(5月13日),2人で一緒に丹沢主脈を縦走しようという話になる.この所,夏のような気温の高い日が続いているので,熱射病がいささか気になるが,ユックリ登ろうということで,何時もの通り5時10分に家を出発する.そして,これも毎度のことながら小田原で階段2段跳び乗換をクリアして,無事,渋沢発大倉行1番バスに乗車する.バスはかなり空いている.ご常連の顔もチラホラ.先日朝日新聞に掲載された登頂2000回の方も当然といえば当然乗車しておられる.
 7時02分.私はTさんと一緒に大倉から歩き出す.昨日雨でも降ったのか,登山道は少し濡れている.この時期になるとヒルが少々心配になるが,どうやらヒルに出会うこともなく,何時もより少しユックリペースで登り続ける.
 大倉を出発したときの気温は,手許の温度計で24℃.随分と高温である.

■見晴階段
 今日は高温のなかの長丁場になる可能性があるので,3リットルの水をリュックに入れている.そのため,リュックの重さは何時もより1キログラムほど重くなっている.たった1キログラム重いだけでも,ロートルの私には登りが大分辛くなる.正直なところ,塔ノ岳山頂までは間違いなく登る積もりだが,そこから先は,塔ノ岳に到着したときの体調次第.少しでも無理だと感じたら,塔ノ岳からピストンで大倉へ下山する積もりでいる.
 7時41分,雑事場ノ平の手前で,猛スピードで下山してくるYさんとすれ違う.
 7時49分,見晴山荘を通過する.気温21℃.気温は大倉より幾分下がっている.
 見晴階段に差し掛かる.
 今日は,何時も愛用しているバカカメラが一寸故障してレンズの蓋がうまく閉まらないのでお休みさせ,一寸大きいがファインダーが付いているカメラを持参している.早速,今回から相棒にするカメラを取り出して,見晴階段の写真を撮る.私の先を行く同行のTさんの後ろ姿が片隅に写っている.

<見晴階段を登る>

■堀山の家で一休み
 モミジ坂に差し掛かる.ここにはTさんお手植えのモミジの木がある.先日,この木の前で写真を撮ったことなどを雑談しながら,8時17分に駒止茶屋を通過する.大倉から駒止茶屋までの所要時間は1時間15分.何時ものペースより約10分ほどビハインドである.でもこのクソ暑い気温を勘案すれば,まあ,妥当だラップだなと思いながら通過する.
 やがて,堀山の尾根に入る.多少のそよ風が吹いているので,暑さは感じないが,残念なことに山麓から雲が沸き上がっていて,晴れていれば見えるはずの富士山は完全に雲の中である.それでも,私は見えない富士山の写真を撮る.
 8時36分,堀山の家に到着する.
 「一休みしましょう…」
というTさんの提案で,小草平のベンチに並んで腰を下ろす.気温17℃.
 Tさんは早速リュックから食べ物を取りだして,食べ始める.その後も,休憩を取る度にTさんは少しずつ食べ物を摂るように心掛けておられる.
 “そうだった!…山では休憩する度に,少しずつ食べ物を摂るのが常識だった…”
 私は,以前,山岳ガイドから教えて頂いたことを,急に思い出す.そこで,私も,尊仏山荘に入ってから食べようと思っていた食料を少しだけ食べることにする.

■萱場平
 休憩を終えて8時42分に堀山の家を出発する.
 Tさんから,
 「花立山荘まで,何時もどの位の時間で歩いているんですか…?」
という質問を受ける.
 「そうですね…まあ40分位を標準にして登っています」
と答えたものの,今日は少々蒸し暑いので,40分で登れる自信はない.
 今日は,夏の気温なので,“汗をかかないで登る”は到底無理.ただ,息が切れない程度の速度で,自重しながら登り続ける.
 登山道周辺から,ツツドリの啼き声が絶えず聞こえてくる.
 9時02分,ようやく萱場平を通過する.何時もならば後7分坂をそろそろ登りきる時間である.でも今日は偉く長い道のりを歩くことになるかも知れないので,体力をセーブしておく必要があるので,遅くても納得である.
 なお,写真に写っている方は,たまたま写真に入っただけ.私とは無関係の方である.
 9時15分,下山してくる韋駄天組の方とすれ違う.何時も,後7分坂を3分の2ぐらい登ったところですれ違う方である.今日はこの差だけ私たちが慎重に歩いているということだろう.

<萱場平>

■花立山荘
 9時20分頃,後7分坂に到着する.蒸し暑いので,坂を見上げただけでウンザリする.でも,ここを登りきらなければ先に行けないので,仕方がない.エッチラホッチラ,ダラダラペースで登り始める.
 同行のTさんが痺れを切らしたのか,階段の途中で私を追い抜いていく.
 ちょっと負け惜しみを言えば,私がその気になれば追いつける速度だが,その気にならない.だんだんと私から遠のいていくTさんの後ろ姿をボンヤリ眺めながら,9時26分に花立山荘に到着する.大倉からの所要時間は,実に2時間24分と超スローペースである.
 丁度花立山荘ぐらいの高さまで,下から雲が湧いている.そのため,上空に青空が覗いているのに富士山はおろか,近くの山も全く見えない.
 前方を見ると,100メートルほど先を登っているTさんの後ろ姿が見えている.
 花立山荘に到着した時点で,私にはまだ体力が十分に残っているので,少し歩行速度を速めて,9時34分に花立山を通過する.何時もは花立山荘から花立山まで9分掛けて登っているが,今日は奮発して8分で登ったことになる.

■塔ノ岳山頂
 9時39分,金冷シを通過する.
 金冷シから最初の登り階段に差し掛かる頃になると,Tさんの後ろ姿が大分近付いてくる.少し頑張れば追いつけるかなと思ったが,余計な体力を使うのも考え物なので,何時ものペースを保つ.そして,塔ノ岳山頂直下の木道に差し掛かる頃には,Tさんとの距離は20メートルほどに詰まったが,そのままの距離を保って歩き続ける.
 9時46分,山頂直下の階段に差し掛かる頃,下山してくる2000回の常連さんとすれ違う.
 「今日は,丹沢山陵抜けるんですか?」
と私に質問する.
 「いや〜あ…,どうも蒸し暑いので,どうしようか考えています.多分,塔ノ岳で引き返しますよ…」
 実際の所,この時点では,塔ノ岳で引き返そうと考えていた.
 9時52分に塔ノ岳山頂に到着する.
 山頂の気温は10℃.微風が吹いているが,涼しくて気持ちがよい.
 大倉からの所要時間は,2時間50分.ゆっくりあるたにしては,3時間を切っている.

<塔ノ岳山頂>

■塔ノ岳山頂で一休み
 Tさんより20メートルほど遅れて塔ノ岳山頂に到着した私は,尊仏山荘近くの石段に,Tさんと一緒に並んで,とりあえずの休憩を取る.
 「尊仏山荘に入りますか…」
 「いや,まあ,…取りあえずここで腹ごしらえをしましょう…」
ということで,少し早い第1回目の昼食を摂ることにする.
 この時点で,私は食事が済んだら尊仏山荘に立ち寄って,大倉に下山しようかと思っている.
 私たちが食事をしていると,尊仏山荘の小屋番W林さんが,外へ出てきて,私たちの雑談に参加する.私が,このまま大倉へ下山するつもりだと言うと,Tさんが盛んに折角だから先に行きましょうと私を誘ってくれる.W林さんも,
 「(ここから先)危ないところもないし,折角だから行ってみたら…」
と私をけしかける.
 「…ンなら,まあ,丹沢山までは行ってみるか…この頃,丹沢山はご無沙汰しているんで…」
 …ということで,食事を終えて,10時10分に,塔ノ岳山頂を出発する.
 この時点で,私は内心では,丹沢山から大倉へ引き返す積もりでいた.
 
<塔ノ岳から丹沢山へ>

■塔ノ岳を出発
 塔ノ岳から,大倉尾根とは反対側の丹沢山方面行の急坂を下りはじめる.
 登山道の周辺は,大倉尾根方面とは雰囲気が一変する.残念ながら富士山は雲に隠れているが,登山道の両側に群生する豆桜は,今正に見頃である.
 「いや〜ぁ…! 凄いな,綺麗だな…」
と歓声を上げながら,夢中で何枚もの写真を撮る.

<塔ノ岳を出発>

■蛭ヶ岳遠望
 10時21分,進行方向左手前方に蛭ヶ岳が良く見える場所を通過する.
 「あそこに山荘が見えていますよ…」
と同行のTさんが言う.
 “うェ〜・・・あそこまで登るの!!”
 私は内心では,
 “とてもじゃない! あんな所まで登るなんて真っ平だ”
と思っている.
 でも,実に見事な風景だなと,見とれている.
 特に山麓の新緑が目に鮮やかで,とにかく見応えがある.

<山麓の緑が実に綺麗だ>

■尾根道の豆桜は正に見頃
 暫くの間,素晴らしい尾根道が続く.
 10時26分,キレットを通過する.ここはちょっと高度感があって,私にとって嫌なところだが,通過しなければ先に行けないので仕方がない.
 キレットを過ぎると辺りの雰囲気が一変して,のどかな尾根道になる.まるで公園でも散策している気分である.
 登山道はなだらかなアップダウンが続くが,両側には正に今が見頃な豆桜が,まるでトンネルのようになって続いている.

<心地よい尾根の散策路>

■見返りの塔ノ岳
 10時34分,小高いところから後ろを振り返る.するとブナの向こうに,今し方歩き出した塔ノ岳山頂が鋭く尖っているのが見える.
 塔ノ岳も結構急峻な山だということが分かる.

<振り返ると塔ノ岳>

■日高
 10時41分,日高(ひったか)を通過する.
 この辺りはなだらかな上り下りが連続する.辺りはブナなどの雑木林である.雑木林の中を歩いていると,何とも言えない安堵感がある.
 私は内心では,
 ”やっぱり,塔ノ岳からとんぼ返りせず,丹沢山まで足を延ばして良かったな…”
と心底から思っている.  

<日高付近のブナ林>

■行く手は素晴らしい尾根道だ
 日高のコルを通過して下り坂に入る.すると,前方に素晴らしい風景が広がっている.
 なだらかな稜線は,目にも鮮やかな新緑に覆われている.
 “あそこまで,早く行きたいな…”
という衝動に駆られる.
 目の前の稜線を登りきると龍ヶ馬場だ.

<行く手に素晴らしい稜線が見えている>

■龍ヶ馬場
 緩やかな稜線を登って,10時58分,龍ヶ馬場に到着する.ここは広場になっていて,休憩用の椅子が沢山並んでいる.
 もう10年ほど前のことになるだろうか,山学校の登山でここを訪れたことを不意に思い出す.あの頃は未熟だったが若くて元気だったなと,懐かしく思い出す.
 今,気温がどの程度か分からないが,ジッとしていると,少し寒い.
 暫く休憩を取った後,再び歩き始める.もうここまで来れば,丹沢山は間近である.


<龍ヶ馬場で休憩>

■丹沢山に到着
 ちょっと急な坂道を登って,11時17分,丹沢山山頂に到着する.ここまで足を延ばす登山客は少ないので,山頂は閑散としている.
  折角,丹沢山まで足を延ばしたのに,富士山は相変わらず雲の中である.
 山頂付近にはおびただしい数のバイケイソウが繁茂している.
 私たちは丹沢山の標識の前で,まずは記念写真を撮り合う.

<群生するバイケイソウ>

 
<丹沢山山頂で記念写真>

■みやま山荘
 丹沢山山頂で休憩を取ろうということになる.
 「どうします…みやま山荘入りましょうか…?」
とTさんがいう.
 折角だから,たまには山荘に立ち寄って見ようということになる.
 私は,この「みやま山荘」が建て替えられた直後に山旅スクール5期の同期生数人でここに宿泊したことがある.そのときの新しい木の香りやすばらしい夕食のことを懐かしく思い出す.
 その後,何回も丹沢山までは来ているが,山荘に立ち寄ったことは全くなかった.
 久々に訪れて見ると,あの新築の機の香りは,さすがになくなっているし,やっぱり年期相応の風格が出ているなと感じてしまう.
 Tさんは,ここで2回目の昼食.私も少しばかり食料を腹に入れる.Tさんの元気な源は,行動中に絶えず少しずつ食事をすることだと分かる.私もこれから大いに見倣おうと思う.
 
<みやま山荘>                             <みやま山荘内部>

                                     (続く)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55f7409e4fa77eec945e2897beae1350
「丹沢の山旅」の続きの記事
(編集中)

満開の豆桜とブナに癒される丹沢:主脈縦走(その2)

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                   <蛭ヶ岳山頂>

     満開の豆桜とブナに癒される丹沢:主脈縦走(その2)
        (丹沢山・蛭ヶ岳から東野へ下山)
       2013年5月13日(月)  晴・湧き雲多し

<ルート地図>


※大倉→丹沢山の地図は前回記事の地図を参照.

<蛭ヶ岳を目指して>

■新緑の箒杉沢
 当初,塔ノ岳山頂から大倉へ引き返そうと思っていた私は,同行のTさんからの熱心なお誘いもあって,取りあえずは丹沢山までは行ってみることにした.
 でも,丹沢山頂の「みやま山荘」で休憩を取っている内に,
 “折角だから蛭ヶ岳まで,行ってみようか…”
という気持ちにやっとなる.
 みやま山荘で2回目の昼食を摂ってから,11時41分,私たちは丹沢山から蛭ヶ岳へ向かって歩き出す.
 暫くの間は,見晴の良い稜線が連続する.
 進行方向左手には,ブナ林の間から新緑に覆われた深い谷が見下ろせる.多分,箒杉沢だろうなと思いながら歩き続ける.ただ残念なことに山麓から雲が湧いていて,遠くの景色はほとんど見えない.

<新緑の谷間を見下ろす>

■素晴らしいトラバース道
 さらに先へ進むと,やや急な下り坂になる.その先に,新緑が目に鮮やかな丘が見えている.
 “何という美しさ! 何という素晴らしさ!”
 私は足を止めて,この美しい丘の写真を撮る.私たちがこれから行く登山道は,この丘の北側斜面(写真の左側)をトラバースするようである.でも,良く見ると,この丘の山頂に向かう踏み跡道がクネクネと続いている.見るからに気持ちよさそうな道である.
 “次回,ここを訪れることがあったら,あのクネクネ道を,是非,歩いてみたいな”
と思う.
 私の後ろに居られるTさんが,盛んに路傍の花を撮って居られる.そのため先を行く花オンチで無粋な私との間がすぐに空いてしまうので,ときどき立ち止まってTさんの到着を待つ.

<素晴らしいトラバース道>

■丘を越えて 
 トラバース道が終わると,緩やかな登りになる.
 私には植物のことは全く分からないが,辺り一面が笹を小さくしたような葉の新緑で覆われている.その中を如何にもノンビリと歩き続ける.このオンチな私が思わず歌を口ずさみたくなるほどの心地よさである(12時12分頃).

<のどかな丘の道>

■霧の中の休憩所
 12時19分,休憩所の脇を通過する.海側から沸き上がる霧が辺りを覆っている.
 休憩所前のベンチでは,1人の登山者が寝そべって日光浴をしている.
 “ここで日光浴も優雅で良いな…”
と思いながら通過する.
 もし,蛭ヶ岳で1泊するつもりならば,ここでの日光浴も堪能できそうである.

<霧が掛かる休憩所>

■不動ノ峰
 12時29分,不動ノ峰を通過する.
 この辺りから,周囲の雰囲気が今までの長閑な牧場風から,次第に狭い稜線歩きに変わる.
 標識を見ると,蛭ヶ岳まで後1.9キロメートル.丹沢山から1.4キロメートルの地点である.蛭ヶ岳はまだまだ遠い.

<不動ノ峰>

■凄い崩落地
 小さな上り下りが続いて,12時32分,前方左手にもの凄い崩落が見える.少し痩せた尾根に,これから登る登山道が繋がっているのが見える.
 崩落現場を見ながら,かれこれ60年ほど前に学校で習った妙なことを思い出す.
 “そういえばレストアングルってやつがあったな…”
 ちょっと専門的かも知れないが,砂の粒の大きさによって,崩れ落ちる角度,つまりレストアングルが決まるとかいう話である.
 まあ,それはともかく,これからあんなところを歩くのかと思いながら,登り坂に差し掛かる.
 私の後ろに居られるTさんは,熱心に路傍の花の写真を撮っておられる.

<崩落地沿いの尾根道>

■小さなコルを超えて
 12時35分,また小さなコルの坂道を登る.それほど急傾斜な登りではないが,結構シンドイ.ごくごくユックリした速度で登り続ける.
 “蛭ヶ岳までは,随分と遠いな〜・・”
と思いながら登り続ける.

<小さなコルを超えて>

■棚沢ノ頭
 12時40分,棚沢ノ頭に到着する.
 ここは蛭ヶ岳へ向かう道と弁当沢ノ頭へ向かう道との分岐点である.一人の男性が地図を見ながら現在地を確認している.
 この男性に軽く会釈をしてすれ違う.
 案内標識によると,ここから蛭ヶ岳まで後1.6キロメートル,丹沢山からは1.7キロメートル過ぎたところである.丹沢山から蛭ヶ岳までの半分の道のりをようやく越えたところである.まだ,まだ先は長い.

<棚沢ノ頭>

■鬼ヶ岩ノ頭
 12時54分,鬼ヶ岩ノ頭に到着する.ここから先は厳しい岩下りになる.私の苦手な場所である.
 鋭気を蓄えるためという訳でもないが,岩陰に腰を下ろして,暫時,休憩を取る.

<鬼ヶ岩ノ頭>

■岩場を下る
 13時04分,鬼ヶ岩ノ頭からクサリ付きの岩場を下る.ほんの少しの短い岩場だが緊張する.ここで,男女のカップルとすれ違う.
 最初の岩場を通過して,ちょっとホッとするが,暫く先へ進むと,もう一度小さな岩場を通過する.

<鬼ヶ岩の岩場を降りる>

■蛭ヶ岳山荘が見える
 13時22分,前方の山の上に,霧の合間から蛭ヶ岳山荘の小屋が見え始める.
 もう一息登れば,蛭ヶ岳山頂である.

<蛭ヶ岳山頂が見え出す>

<蛭ヶ岳山頂>

■蛭ヶ岳山荘
 13時26分,蛭ヶ岳山頂に到着する.
 「どうします? 山荘に立ち寄りますか?」
とTさんが言う.
 折角だから立ち寄りましょうということになる.
 ちょっと怖い階段を登って,山荘に入る.人の気配が感じられないが,声を掛けると,小屋番の男性(名前聞き忘れた)が顔を出す.
 Tさんから,例の朝日新聞の登頂2000回のコピーを小屋番に手渡す.
 「励みになりますね…掲示板に貼っておきます」
とのこと.
 これが切っ掛けになり,どこかの高齢の方が,ときどき大倉から蛭ヶ岳までピストンしているなど,暫くの間雑談に興じる.
 もう大分前のことになるが,私は山学校の山行で,この小屋に宿泊したことがある.そんなこともあって,随分と懐かしい.

<蛭ヶ岳山荘>

■外で記念写真
 小屋番に,
 「(記念の写真を撮りたいので)シャッターを押して下さい」
とお願いする.
 「小屋の中では暗いので,外で撮りましょう…」
ということで撮影したのが下の写真である.
 私は,不意に蛭ヶ岳山荘に居た人気者のイヌのことを思い出す.
 「そういえば,イヌが居ましたね…その後,イヌはどうなりましたか」
 「ああイヌですか…今,下に降りて生活していますよ」
 尊仏山荘の「ネコ」,蛭ヶ岳山荘の「イヌ」が対峙して面白かったが,イヌが居なくなったのは一寸残念.
 
<蛭ヶ岳山荘にて>

<姫次を目指して>

■長い階段
 蛭ヶ岳山荘での休憩を終えて,13時41分に姫次に向けて,再び歩き出す.
 山頂直下から長い長い階段道が連続する.降りても降りても,まだその先に階段が続く.
 階段のかなりの部分は昨年作られたばかりのピカピカ階段である.それにしても長い階段である.下りは歩き易いが,この階段道を登るのは,さぞかし大変だろうなと想像する.
 
<長い階段道>

■姫次はまだまだ先
 長い長い階段道が一旦終わる.
 近くに標識が立っている.この標識を見ると,あんなに長い階段のように思えのに,未だ400メートルしか歩いていないようである.
 姫次まで,まだ,2.8キロメートルもある.マイッタナ! 東野で最終バスに間に合うかなと心配になり始める.

<姫次はまだまだ先だ>

■素晴らしい眺望
 14時03分,目の前の眺望が開ける.私たちは,まだ,随分と高い所にいる.これから先,随分と降りなければならないなと改めて思う.
 また,長い階段道になる.

<素晴らしい眺望>

■姫次までの中間点
 14時34分,漸く,蛭ヶ岳と姫次の中間点を通過する.姫次まで後1.6キロメートルである.姫次はまだまだ先である.
 正直なところ,ちょっとウンザリ.
 途中で,前方に見えている山を指さして,
 「あそこが姫次ですか?」
とTさんに尋ねる.
 「まだまだ先ですよ.向こうに黒く見えている辺りが姫次です」
 “ウヘ〜・・・まだまだ先が遠いな”
と思う.

<姫次の中間点>

■地蔵平
 14時39分,地蔵平を通過する.
 姫次まで後1.2キロメートル.どこに地蔵があるんだろう? と,思いながら通過する.同じ様な尾根道が連続するので,少々飽きてくる.

<地蔵平>

■漸く姫次に到着
 短い登り坂を通過して,15時04分,ようやく姫次に到着する.これで,今日のコースの登り坂は全て終わり.ここからは下り坂だけになる.
 姫次の広場には,いくつかのベンチが設置されている.
 ここで,暫くの間,休憩を取る.
 この先,東野へ下るルートは,八丁坂から下るルートと黍穀避難小屋手前から下るルートの二つがある.どちらのルートも,どうやら所要時間は同じのらしい.
 「さて,とちらのルートで降りましょうか」
少々決めかねる…が,まあ,黍穀避難小屋手前の分岐から青根に下山することに何となく決める.

<姫次>

<姫次から青根へ下山>

■古い道標
 休憩の後,15時24分に姫次から歩き出す.ここから先は東海自然遊歩道である.道幅も広くなり,心なしか歩きやすい感じになる.
 15時45分,青根への分岐を示す道標に到着する.この分岐からは曲がらずに次の分岐を目指す.
 
<青根分岐>

■黍穀避難小屋手前の分岐
 15時56分,黍穀避難小屋手前の分岐に到着する.
 分岐の標識には分岐点の地名が書いてないので,ここでは黍穀避難小屋手前の分岐としておこう.
 この分岐を左折して枝道に入る. 

<この分岐を左に入る>

■長い九十九折りの下り坂
 分岐から枝道には居た直後は,実に心地よい尾根道が続く.
 ところが,この心地よさも,ほんの束の間.すぐに随分と急なジグザグの下り坂になる.木の枝と石ころばかりの急坂である.所々に濡れた赤土の斜面もあり,とても滑りやすい道が連続する..

<始めは素晴らしい道だが…>

■東野バス停は遠い!
 急坂を難儀しながら下り続ける.
 その内に,微かに川の音が聞こえ始める.何となく大分下ったような雰囲気になる.
 16時11分,もう好い加減下ったなと思い始めたときに,この道標の前を通過する.この道標を見て,まだ八丁坂の頭から1.1キロメートルしか下っていないことに気がつく.まだ東野バス停まで4.9キロメートルもある.
 “これはもう,17時35分発の最終バスには間に合わないな”
と内心で覚悟する.
 “それにしてもおかしいな…先ほど下った分岐は「八丁坂ノ頭」の分岐だったのかな?”

<東野バス停はまだまだ>

■小川沿いの道を下る
 16時35分,釜立沢支流の右岸に接近する.後,青野バス停まで4.2キロメートルである.
 この先で川を渡って左岸沿いの道を下り続ける.

<小川の岸沿いの道になる>

■林道に出る
 16時39分,漸く林道に出る.正直名所,“ヤレヤレやっと!”という気分である.
 やっと林道に出たと思ったら,青野への案内標識が,またもや右折して山道に入るようになっている.
 標識に従って山道に入るが随分と荒れていて,2箇所ほど道が崩落しているところを通過する.10分余り山道を歩いて再び林道に出る.ここから長い長い林道歩きが始まる.
 
<林道に出る>                            <山道を指す標識>

■遠のくバス停
 16時57分頃,林道脇で作業中の人が何人か居る.
 私が作業をしている人に,
 「ここから東野バス停まで,どの位距離がありますか?」
と伺う.
 「そうさね…まあ大体2キロメートルぐらいかな.まあ,歩いて20分ぐらいだよ」
とのこと.私は少しは安心するが,まだまだ油断ならないと思う.
 Tさんも,最終バスに間に合うように頑張ろうと言う.
 “それならば…”
ということで,私もかなりピッチを上げて林道を下り続ける.
 17時03分,路傍の案内標識を通過する.林業をしていた方から2キロと聞かされてから5分以上歩いているのに,この標識では「東野バス停まで2キロメートル」と表示されている.
 “あれつ〜…! 東野バス停が遠くなっちゃった!”
 “ガッカリ”

<東野バス停まで後2キロ>

<やっと青根だ>

■諏訪神社
 やがて青根の集落に入る.
 さて,肝心のバス停の位置が分からない.Tさんも頑張っている.焦り気味の私は滅多矢鱈に飛ばしてしまう.ときどき,居合わせた方に道順をお聞きして,クネクネと曲がる集落の中の道を下る.
 17時24分,道は諏訪神社に突き当たるようにして右に曲がる.
 近くの家から丁度出てきた奥さんに,
 「バス停,どこですか」
と伺う.
 「そこ右に曲がったところに,○○というお店が見えるでしょう.その向かいですよ」
 後ろから来るTさんと一寸間が空いたので,大急ぎで諏訪神社をお参りして,写真を撮る.

<諏訪神社>

■漸く東野バス停
 17時20分,三叉路に突き当たる.
 三叉路の横断歩道にたまたま居た2人の高校生風の女の子に,バス停はどこかと伺う.女の子は不思議そうな顔をして,
 「ここです…」
という,
 なるほど,私はバス停の真ん前に立っている.
 “間に合った!”
 私たちは,ここから三ヶ木までバスに乗車する予定である.時刻表を見ると,バスの本数が随分と少ない.土休日になると1日にわずか2本.

<東野バス停の時刻表>

<家に帰るまで3時間>

■JR橋本へ
 三ヶ木行のバスは,ちょっと遅れて,17時39分に東野バス停を出発する.先ほど私がバス停の一を聞いた女の子も同じバスに乗車する.乗客は合わせて4人だけ.
 バスはクネクネと曲がりくねった道路をずっと下り続ける.途中で2人の女の子は降りて,代わりに1人が乗車する.
 その後,殆ど乗客の乗り降りはないまま,18時08分に三ヶ木バス停に到着する.
 三ヶ木バス停は,一寸したハブになっていて,ここからあちこちに行くバスが発着しているらしい.
 バスを降りると,隣に橋本行のバスが停まっている.どこをどう通るバスか分からないが,まあ,いいやで飛び乗る.
 18時10分に橋本行のバスは発車する.乗客はサラリーマン風の男性と私たち会わせて3人だけ.どこをどう通っているのか分からないが,随分と長いこと乗り続ける.辺りはもうすっかり暗くなっている.
 途中,多少の乗客の乗り降りがあって,19時丁度にJR橋本駅に到着する.

■茅ヶ崎経由で帰宅
 今日は平日,ラッシュアワー.
 私は相模線でノンビリ帰ることにして,Tさんとお別れする.1時間以上も相模線の電車に揺られて,やっと茅ヶ崎駅へ.ここから東海道本線に乗り換えて20時23分に,やっと大船駅に到着する.20時45分頃,やっと帰宅する.
 振り返ると,丹沢の自然を堪能した素晴らしい1日であった.
 歩いた歩数は48,528歩.総歩行距離は21.5キロメートル.歩行時間(休憩込み)10時間18分の長丁場であった.

(注)Tさんから写真を頂戴しているが,投稿容量の都合で別途掲載.

<ラップタイム>

 7:02  歩き出し
 7:26  観音茶屋
 7:44  見晴山荘
 8:17  駒止茶屋
 8:42  堀山の家
 9:26  花立山荘
 9:39  金冷シ
 9:52  塔ノ岳山頂着(10:10まで休憩)
10:26  キレット
10:41  日高
10:56  龍ヶ馬場
11:17  丹沢山山頂(11:41まで休憩)
12:19  休憩所
12:29  不動ノ峰
12:37  棚沢ノ頭
12:54  鬼ヶ岩ノ頭(13:04まで休憩)
13:26  蛭ヶ岳山頂(13:41まで休憩)
14:39  地蔵平
14:48  原小屋平
15:04  姫次(15:24まで休憩)
15:42  青根分岐
15:56  黍穀避難小屋手前分岐
16:39  林道
17:20  バス停東野着

 [山行記録]

■水平距離       21.5km

■累積登攀高度     2080m

■塔ノ岳までの登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:02
  塔ノ岳  着       9:52
 (所要時間)  2時間50 分(2.83h)
  水平歩行速度   7.0km/2.83h=2.47km/h
  登攀速度    1269m/2.83h=448.4m/h

■主脈縦走所要時間(休憩時間を含む)
  大倉  発         7:02
     東野  着      17:02
 (所要時間)  10時間18分(10.30h)
 水平歩行速度     21.5km/10.30h=2.09km/h
                                     (おわり)

この記事の前半
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b22452db525113d0e3c4e399c1045917
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)

※誤字転換ミスは後刻訂正する.


もうすぐ夏の鎌倉;仏行寺・笛田公園・鎌倉山を一回り

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                               <野趣豊かな笛田の谷戸>

   もうすぐ夏の鎌倉;仏行寺・笛田公園・鎌倉山を一回り
         (単独プチプチ散策)
        2013年5月12日(日) 晴

<ルート地図>



 [散策ルート]
 鎌倉中央公園清水塚口→大慶寺→忠魂碑→仏行寺→笛田公園→鎌倉山→扇湖山荘→林間病院−(往路を戻る)→鎌倉山→しのぶ塚→鎌倉山動物病院→三嶋神社→湘南記念病院→深沢→大慶寺→鎌倉中央公園清水塚口

 水平歩行距離   8.2キロメートル
 累積登攀高度   245メートル
 累積下降高度   245メートル

<深沢から笛田の谷戸へ>

■深沢でコーヒーでも飲もうかな
 今回も,特に行き先を決めないまま,鎌倉中央公園清水塚口(バス停鎌倉中央公園入口)から適当に歩き出す.どこを歩いても構わないが,この所大船駅まで歩くことが多いので,何となく何時もとは反対の方向に歩きたくなる.
 ならば,まずは山を下って,深沢辺りまで行ってみるか.それで気が向いたら深沢でコーヒーでも賞味して帰ろうか.こんな軽い気持ちで歩き出す.

 少々蒸し暑いのに閉口するが,お天気は上々.
 そうなると最初思っていたのと大分違うところまで,ついつい足が向いてしまう.例によって“口笛吹き”の曲を口ずさみながら…
 “さて,どこへ行こうか…深沢でコーヒー飲んだだけで帰るのは勿体ない”
 とっちにしても,笛田の谷戸を少し歩こう.その内に,自然に歩くコースは決まるさ.

<深沢の民家の庭先>

■仏行寺
 深沢の谷戸に入って,最初に,
 “ちょっと覗こうかと思ったのが仏行寺である.ひょっとしてツツジでも咲いているかな?
 でも,山門から境内を覗いても,ツツジが咲いているようでもないので,今回はわざわざお庭を見学せずに素通りすることにする.

<仏行寺>

<笛田公園>

■笛田公園からの眺望
 仏行寺の前の道をそのまま登り,笛田公園沿いの道を山頂まで登る.
 途中,深沢から常磐緑地方向の展望が開ける.なかなかの絶景である.

<笛田公園からの眺望>

■公園の綺麗な花
 途中,綺麗な花が沢山咲いている.花のことは,殆ど分からない私は,ただ綺麗だなと言うだけ.花の名前には興味がないし,たとえ興味があっての,到底覚えられない.
 “何の花か知らないが,とにかく綺麗だな”

<笛田公園にて>

■山頂に到着
 笛田公園脇の道を登り切って山頂に到着する.この辺りは,多分,もう鎌倉山に鳴るだろうと思う.
 新緑で清々しい感じがする雰囲気になる.

<笛田の山を登り切ると鎌倉山に入る>

<鎌倉山を一回り>

■田園風景
 鎌倉山さくら通りを横切って鎌倉山1丁目方面に向かう.この道は自動車で入ると袋小路になっているから要注意.
 サクラ通りから一寸中に入ると,畑の向こうに梶原方面の山並みが見える.ここも実に景色の良いところである.
 ご夫婦と思われる年配の方が,スケッチブックを並べて水彩画を画いている.ちょっと拝見したいなという衝動に駆られる.でも,私自身,絵を画いているところを,人に覗かれるのが大嫌いである.場合によってはツッケンドンに,
 “あっちへ行ってくれ”
と言ってしまうこともあるくらいである.だから,このお二人も私と同じような気持ちを持っているかもしれないので.無関心を装って,そっと通り過ぎる.

<鎌倉山1丁目付近から梶原常盤方面を望む>

■緑陰を行く
 緑陰が涼しい散策路が続く.自動車も殆ど通らないし,通行人もほとんど居ない.
 この道を突き当たりまで行くと,車は通れないが人だけは通れる細い道に通じているが,今日はちょっとルートを変えて,長くて急な階段を登ってみる.
 この階段は,多分,丹沢大倉尾根の駒止階段程度のシンドさだろうと思う.
 階段を登り切ると自動車道路に出る.
 
<静かな散策路>                               <長い階段を登る>

■扇湖山荘
 自動車道路から左折して,林間病院に向かう袋小路に入る.林間病院に突き当たって抜けられないことを承知しているが,辺りの様子を見てみたかった.
 暫く歩くと,扇湖山荘に突き当たり,左に急カーブする.
 もちろん山荘の中に入ることはできないが,古風で立派な門に圧倒される.
 扇湖山荘については,資料1に詳しい説明がある.
 「扇湖山荘(旧鎌倉園)は本館、茶室等の建物及び庭並に荘(旧鎌倉園)は本館、茶室等の建物及び庭並にこれを取り囲む 自然環境が,一体となって優れた風致景観を形成しいる施設で製薬会社 「ワカモト製薬」創業者の長尾欣彌別邸として建られたもの.「扇湖山荘」の名前由来は,長尾欣彌が杉木立から海扇形に見えることから付けられたという(以下略).」
 インターネットで調べると,この施設は鎌倉市の所有で,公開することもあるようだ.

<扇湖山荘の門>

<往路を引き返す>

■裏路地に入る
 扇湖山荘の門を見たら,この路地にはもう用はない.この先へ行っても林間病院に突き当たるだけだ.
 往路を少し戻り,途中から右折して人しか通れない路地を下る.そして,先ほど登った長い階段の所まで戻る.そこから先はサクラ通りまで往路をそのまま戻る.
 先ほど遠目に通り過ぎた夫婦がお互いの絵を見ながら批評し合っている.

<閑静な路地に入る>

■しのぶ塚
 さてここからどこへ行こうかと,また,迷うが,結局,しのぶ塚を経由して,ふたたび深沢へ戻ることにする.
 サクラ通りを鎌倉山ロータリー方面に少し歩いて右折,住宅地の中の路地に入る.坂道を登って最初の三角を右折して,さらにほんの少し登ったところの右側にしのぶ塚がある.
 しのぶ塚の説明は,すでにこのブログでも何回も取り上げているので,今回は説明を省略する.

<しのぶ塚>

<展望を楽しみながら深沢へ>

■鎌倉山動物病院付近からの眺望
 しのぶ塚からほんの少し奥まったところに鎌倉山動物病院がある.この病院の脇から笛田に抜ける未舗装の道路がある.途中から階段道になるので,歩行者以外は通れない道である.
 この脇道に入った途端に,富士山,丹沢,藤沢方面を見通す素晴らしい展望を楽しむことができる.残念ながら,今日の富士山は雲の中だが…
 私はここからの展望が気に入っているので,時々,ここを訪れている.

<しのぶ塚近くからの展望>

■優雅な情景
 笛田に向けて坂道を下りはじめる.
 ここでも,ひとりの女性が油彩の風景画を熱心に画いている.
 遠くから,この様子を見ている私は,この優雅な情景を大変羨ましく感じる.
 “私も早く家に帰って,絵を画かなければ…”
という衝動に駆られる.

<未舗装の小径を笛田に下る>

■石垣に咲く可愛い花
 坂道を下って笛田青少年公園のところで夫婦池に向かう道に突き当たる.左折して深沢方面に向かう.
 毎年,この時期になると,石垣の間に可愛い花が咲いている.端の名前は何回も来ているが,その度に忘れてしまう.この端は大変強いので,放置しておくとドンドン増えるとのことである.
 …ま,この花が雑草かどうか知らないが,私には例えどんな花でも綺麗ならそれで良い.毎年,この花が咲くのを楽しみにしている.

<綺麗な花>

<笛田の裏道を通って深沢へ>

■不思議なオブジェ
 三嶋神社の前を通って,笛田の谷戸に戻る.でも,往路と同じ道を辿ったのではつまらないので,脇道に入る.
 最初に入った脇道は袋小路.突き当たりに茅葺きの立派な屋敷がある.脇道の入口に,木の幹のようなものが立っている.中に本当に幹が入っているのか分からないが,数センチ四方程度の大きさの沢山の銅(かな?)板で覆われている.
  “…☆★#何これ珍百景★☆…” “でも,まあ,何でもイイヤ…”
で通り過ぎる.
 裏道の路地を深沢方面に向かう.
 
<オブジェ?>                <裏路地の散策路>

■結局,随分長い時間のブラブラだった
 深沢からは,何時もの散策コースだ.
 コンビニに立ち寄ったり,あちこちの社寺に立ち寄ったりで,全くのブラウン運動だ.そして,夕方,無事帰宅.
 何だか,時間を損したような,得したような妙な気分である.
 総歩行距離8.2キロメートルのプチ,プチぶらりハイキングだった.
                                (おわり)

「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/1c17fac32d220e4a15959888c5917b94
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)

[参考資料]

資料1;http://www.city.kamakura.kanagawa.jp/kisya/data/2012/documents/senkosansousisetugaiyou.pdf




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蒸し暑い尾根道に苦労する丹沢:塔ノ岳(今年25回目)

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                          <堀山の尾根の見事な松>

  蒸し暑い尾根道に苦労する丹沢:塔ノ岳(今年25回目)
          (単独山行)
     2013年5月16日(木)  晴・湧き雲・夕方雨

■朝からモリソバ
 月曜日に丹沢主脈を縦走してから,もう3日目を迎える.そろそろ塔ノ岳を往復しなければ足腰が弱りそうな気がする.今度の土日は予定があるので,もし,塔ノ岳に出掛けるなら,今日しかない.
 どうせ年寄りの早起きで,今朝も3時半に目が覚めている.
 “ならば,行こう…”
ということで,何時ものように5時10分に家を出る.
 天気予報では,夕方から雨らしい.帰りが余り遅くならないようにしなければ…
 今日も気温が高そうである.まだ5時だというのに,外気は20℃を超えている.早起きの雀たちの啼き声を聞きながら,モノレールの最寄りの駅へ急ぐ.
 “早起きは三文の得”
というが,今日,早起きして何か得をしたのかな?
 大船駅のホームで電車を待っていると,私が乗る電車よりちょっと早く横須賀線上り電車が入線してくる.この電車がポイントを通過する音が,何時もは,
 “アサメシ タベタカ,アサメシ タベタカ,・・・”
と聞こえるが,今日は,
 “モリソバ タベタカ,モリソバ タベタカ,・・・”
に聞こえてくる.
 “朝飯は食べたけど,モリソバは食べていないよ…”
と私は電車に返事をする.
 「バカだな.オマエは…」
と,私の心の中のもう一人の私が呆れている.
 今日も小田原の階段2段跳び乗換を,何とかクリアー.
 渋沢駅から大倉行1番バスに乗車するが,随分と空いている.乗り合わせたご常連は編集長を含めて,わずかに3人だけ.

■セカセカ歩きは馬鹿馬鹿しい
 7時06分に大倉から歩き出す.歩き出してすぐに編集長に追い付く.登山口までご一緒したが,それ以降は一人旅である.大倉の気温は舗装道路の余熱があるためか22℃と高い.こうなると,やっぱり熱射病が気になる.
 今日は,滅多にない一人旅なので,できるだけ汗をかかないでユックリ登ってみようと思う.
 実は,去る月曜日の丹沢主脈を歩いてから,一寸ばかり,心境が変化している.
 …と,言うのも,丹沢山から蛭ヶ岳に掛けての素晴らしい尾根道を歩いている内に,所要時間ばかり気にしてセカセカ歩くのが馬鹿馬鹿しくなった.もっとユックリ,自然を堪能しながら悠然と歩く.これこそ,本当の山旅ではないか.こんな当たり前のことを,遅まきながら,やっと今になって再認識した.
 ところで,今日の登山道は,適度に乾いているので,歩き易い.これは大助かりである.
 汗をかかないように歩くといっても,今日のように,朝から気温が22℃もあると,どうしても汗ばんでくる.
 “しょうがないな〜ぁ…”
と思いながらも.極力汗をかかないように注意することにしよう.
 7時47分,雑事場ノ平で尾根道に出る.尾根道に出た途端,涼しいそよ風が海の方から吹いてくる.丁度お湯が入ったヤカンの中に閉じ込められ,暑くと困っているときに,ヤカンの蓋を開けて貰ったときのような,爽快感を感じる.
 勿論,私はヤカンの中に閉じ込められたなんていう経験はないが…

■見晴階段
 7時49分,見晴山荘を通過する.
 見晴階段に差し掛かったところで,何時ものように階段を見上げた写真を撮る.階段の遙か上の方に1人の登山者の後ろ姿が見えるが,その方以外に私の前後に誰も居ない.
 これはラッキーである.もし射程距離に登山者が居れば,追い越したくなるし,後ろから誰かに追い越されれば,それなりに腹が立つ.私は,何時も悟ったようなことを言っているが,実は何時もこんな些細なことで心が動揺し続けている.この動揺をいかにして押さえるかが,私にとって結構厄介な問題である.

<見晴階段>

■ご常連から元気を貰う
 8時21分,ご常連のKさんが満面の笑みを浮かべながら下ってくる.
 Kさんは,両手を挙げて,
 「やあ,やあ,…」
 何時ものように固い握手.
 「…何時もと曜日が違うんじゃない?」
とKさんが言う.つまり今日は木曜日.私が何時も登っているのは水曜日.だから何時もと違うとの指摘である.
 「今日の山頂は10℃.富士山が見えましたよ.風もなく裸になっても気持ちいい気温ですよ…」
 私はKさんから元気を貰う.だから,Kさんと,すれ違うのを楽しみにしている.ちょっとの間,立ち話をする.そして,カメラを取り出して,ツーショットを写す.だだ,ブログへの掲載をお願いするのを忘れたので,Kさんの笑顔を紹介することができない.残念.

■堀山の尾根
 私は意識してユックリ歩きつづける.特に駒止階段は息が切れないように,そして,流れるような汗をかかないように,絶えず意識しながら登り続ける.
 8時25分,ようやく駒止茶屋を通過する.大倉を歩き出してから1時間19分経過している.
 続いて堀山の尾根に入る.
 今日はうっすらと霧が掛かっていて,富士山は全く見えないが,儀式を頑固に守りたい私は,見えない富士山の写真を撮る.
 私が写真を撮りながらモタモタしている.丁度そのとき,バスで一緒だった常連の女性が,お友達と一緒に,私に追い付く.成り行きで,ここから堀山の家まで,3人が縦列になって歩く.
 8時43分,堀山の家に到着する.お二人は小草平のベンチで休憩を取るという.私は自分のペースを維持したまま登り続けたいので,そのまま先に行かせてもらう.
 一人で静かに登山道を登っていると,近くの森からツツドリの啼き声が絶え間なく聞こえてくる.これも初夏を思わせる風物詩の一コマである.

<堀山の尾根から見えない富士山を撮る>

■シーチキンと啼く小鳥
 相変わらず私の前後には誰も居ない.全くの一人旅である.私は息苦しくならないように極力セーブしながら登り続ける.
 周囲の森からは,相変わらず,
 “ボ〜,ボ〜,…”
というツツドリの啼き声が聞こえてくる.
 ツツドリの啼き声に混ざって,
 “シー チキン,シー チキン…”
という可愛い啼き声も聞こえてくる.
 啼き声からして,多分,小鳥ではないかと思う.それにしても,鳥の鳴き声までも食べ物の名前に聞こえてしまうとは…私もかなり食べ物に卑しいのかも知れない.
 9時05分,萱場平を通過する.

<萱場平>

■ど根性アザミ
 萱場平の木道の間に繁茂するアザミが,やっぱり気になる.少しずつだが,日が経つにつれて,だんだんと大きくなってくるのが頼もしい.
 このアザミ,厳しい冬の間は,ほとんど跡形もないほどに枯れているのに,こうしてまた見事に蘇っている.
 “お前さん,本当に凄いな…”
 私は,このアザミから毎回勇気をもらっている.

<ど根性アザミ>

■花立山荘
 遅ればせながら,9時19分,後7分坂に差し掛かる.
 堀山の家で休憩を取っていたお二人の女性が私に追い付く.
 「どうぞお先に…」
とお二人に先頭を譲るが,私が登っている速度が丁度良いと言うことで,私の後ろに付く.
 そうなると,私はどうも後ろが気になっしまい,ペースが乱れそうになる.でも,頑固にスローぺースを守って,9時26分に花立山荘に到着する.結果的には後7分坂を7分で登ったことになる.
 大倉からの所要時間は2時間20分.
 “それにしても随分とユックリだったな”
と自分でも呆れる.
 呆れながら,
 “お前さん,ラップタイムなど気にせずに,自然を楽しみながらユックリ登るって言っていたじゃないか”
と反省.でも,なかなか思うように自分の気持ちをコントロールすることができない.
 ちなみに堀山の家からの所要時間は44分.私の標準時間40分より4分遅い.でも,まあ,これが夏バーションというものだ.
 花立山荘付近は丁度雲の中に入っているらしく,周囲の風景は全く見えない.山荘前の広場には,人の気配はなく静まり返っている.

<花立山荘>

■花立山
 私の後ろから付いてきたお二人は,花立山荘のベンチで休憩を取るようである.
 私はマイペースを維持したいので,そのまま花立山に向けて登り続ける.これまでユックリペースで登ってきたので,体力は十分に温存されている.そのため,ここから先の登りは,いつもよりかなり楽に感じる.
 何時もは花立山荘から花立山山頂まで9〜10分掛かっているが,今日はなんとなく8分で登り切る.たった1〜2分速いだけだが,この差は大きい.
 花立山山頂は相変わらず雲の中.雲の切れ目から.隣の尾根の山肌が見えるだけ.富士山も南アルプスもすべて雲の中である.

<花立山からの眺望>

■新緑が美しい鍋割山稜
 馬の背付近に差し掛かると,雲の上に出たのか,鍋割山稜が良く見えるようになる.つい先日までは,稜線は冬枯れのままだったが,今日は稜線まで新緑に覆われている.
 新緑の美しさを愛でながら,9時40分に金冷シを通過する.

<鍋割山稜>

■塔ノ岳山頂
 金冷シから先は至って快調である.
 9時54分に塔ノ岳山頂に到着する.大倉からの所要時間は2時間48分.花立山荘から28分である.
 山頂の気温は10℃.無風なので寒くはない.周囲は薄い雲に覆われていて,周囲の山は殆ど見えない.
 山頂には2〜3人の登山者が居るだけで,至って静かである.




<塔ノ岳山頂>

■尊仏山荘
 山頂での儀式を終えて,尊仏山荘に入る.先客は誰も居ない.
 今日の小屋番はW田さん.
 「FHさんが,(今日の)1番早いお客さんです…」
という.そういえば今日は錚々たるご常連は不在.そんなわけで,この鈍足の私が奇しくも一番乗りの栄誉を頂戴する.
 例によって,300円也のお茶を所望する.
 一息入れたところで,W田さんが2階に居る華伊達美弥雄さん(ネコのこと)を呼んでくれる.
 W田さんは,階段を少し登って,
 「ミャ〜や,降りておいで!」
と声を掛ける.すると,
 「にゃ〜ん…」
と澄んだ可愛い声で啼きながら美弥雄さんがトコトコと階段を降りてくる.そして,バケツに顔を突っ込んで,ピチャピチャと音を立てながら水を飲む.
 この仕草が何とも可愛い.
 「ネコちゃん,もう13歳になりましたっけ?」
とW田さんに伺う.
 「(このネコ)2月生まれなので,もう13歳になりましたよ…」
 俗にドッグイヤー1年が人間の7年にあたるという.イヌとネコとでは換算レートが違うかも知れないが,仮にキャットイヤー1年が人間の7年に相当するとすれば,
   13(歳)×7=91(歳)
このネコちゃん,人間なら91歳のご高齢ということになる.私は,
 「おい…お前さん,元気で長生きしなよ」
と言いながら,ネコの頭を撫でる.



<華伊達美弥雄さん>

■追われるように…
 10時を少し廻った頃,いきなり10人余りの登山客がドヤドヤと山荘に入ってくる.そして10数杯のホットコーヒーを注文する.途端にW田さんが多忙になる.外を見ると,同じ登山グループの方々が数十人いるようである.どうやら昨日丹沢主脈を登って,みやま山荘に宿泊したようである.
 沢山の登山客に囲まれて,一人私はショボンとなる.とてもこのまま居座る雰囲気ではない.私は早々に尊仏山荘を引き上げる.

■山頂でお二人と雑談
 私が尊仏山荘でお茶を飲んでいる間に,山頂は瞬く間に登山客で一杯になっている.その中に,先ほどまで私の後に付いて登っておられたお二人が居られる.お二人は食事中.
 “お邪魔かな?”
と思ったが.私も隣に座りこむ.
 暫くすると,この大グループが大倉尾根を下りはじめるという.
 これは大変! 大グループが下山開始する前に,先に降りてしまおう.
 10時46分,私はお二人より先に塔ノ岳山頂を出発,下山開始.

■ソソクサと下山
 山頂直下の階段を下りていると,下から登ってきた女性から,
 「おや,FHさん…」
と呼び止められる.大船にお住まいのご常連さんである.
 「(ご常連の)○○さんが,まだ山頂に居られますよ」
 そのままノンストップで下山し続け,12時41分に大倉に到着する.下山所要時間は1時間55分.大倉発12時52分のバスに乗車する.このバスに乗車した登山客は私一人だけ.

■眠気覚ましのコーヒー
 渋沢から小田原経由東海道本線の電車に乗車する.
 途中,眠くて,眠くて…,とにかくどうしようもない.乗り越さずに大船で降りるのがやっと.
 「こんなに眠くては仕方がない…」
と勝手に都合の良い理屈を付けて,駅ビル内のBecker'sでホットコーヒーを所望する.
 コーヒーを一口飲んだだけで,眠気は雲散霧消する.まさにコーヒーは眠気の妙薬である.
 ついでに,ルミネ内の本屋や文房具店をグルグル回ってから,何も買わずに家に戻る.
 良かった! 良かった!

<Becker'sのコーヒー>

<ラップタイム>

 7:06  大倉歩き出し
 7:31  観音茶屋
 7:49  見晴山荘
 8:25  駒止茶屋
 8:42  堀山の家
 9:26  花立山荘
 9:40  金冷シ
 9:54  塔ノ岳山頂着
10:46      〃  発
10:56  金冷シ
11:06  花立山荘
11:35  堀山の家
11:52  駒止茶屋
12:12  見晴山荘
12:24  観音茶屋
12:41  大倉着

 [山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:06
   塔ノ岳  着       9:54
 (所要時間)  2時間48 分(2.97h)
 水平歩行速度   7.0km/2.97h=2.36km/h
 登攀速度    1269m/2.97h=427.3m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発       10:46
  大倉   着       12:41
 (所要時間)  1時間55分(1.92h)
 水平歩行速度     7.0km/1.92h=3.64km/h
 下降速度     1269m/1.92h=660.9m/h
                                 (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b22452db525113d0e3c4e399c1045917
「丹沢の山旅」の次回の記事
(なし)

満開の豆桜とブナに癒される丹沢:主脈縦走(写真集)

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     満開の豆桜とブナに癒される丹沢:主脈縦走(写真集)
      2013年5月13日(月)  晴・湧き雲多し

 このブログで1回に掲載できる文章量の上限は20,000文字(タグを含む)である.従って,今回の2回に渡る連載記事の中に挿入できなかった写真や,同行のTさんからブログへの掲載を依頼されている写真などを,今回纏めて投稿することにしたい(ただし順不同である).

■ブログで紹介できなかった写真の一部


<大倉尾根は大賑わい;塔ノ岳山頂直下>


<新緑の斜面>


<豆桜の尾根道;塔ノ岳〜丹沢山>


<心地よい稜線>


<丹沢山〜蛭ヶ岳>


<豆桜を眺めながら…>


<花の写真を撮る>


<雲の掛かり方も芸術的だ>


<崩落現場を行く>


<まるで公園を歩いているようだ;姫次に向かう途中>


<東野近くの林道脇にて>

■Tさんからの写真
 同行のTさんから公開を依頼された写真を一挙掲載する.
 美しい花の写真が多いが,私には花の名前は分からないので,説明は付けないでおこう.














                                 (おわり)

前の記事に戻る
   ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6a51cf5d0056e0b982fa15630740a67c

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55f7409e4fa77eec945e2897beae1350
「丹沢の山旅」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/82421c6adad9efac348d292e0f194308

シロヤシオは未だだが大賑わいの丹沢:塔ノ岳(今年26回目)

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                         <沢山のご常連と一緒に登る>

  シロヤシオは未だだが大賑わいの丹沢:塔ノ岳(今年26回目)
           (常連に同行)
       2013年5月18日(土) 曇り

■大倉は登山客で大賑わい
 今が丹沢詣でのベストシーズンである.
 今日は土曜日.多分,丹沢も大賑わいだろう.でも,今日は塔ノ岳へ行くしかない.私は何時ものように5時10分に家を出る.土曜日だから,小田原駅でJRから小田急に乗り換えるときに,駅の階段を普通に1段ずつ登り下りできるだけの余裕がある.この余裕があるだけで,随分と気分が楽である.
 案の定,渋沢駅の大倉行バス乗り場では,登山客が長蛇の列を作っている.列の後ろに並んだ私は当然座れない.混雑する車内で沢山のご常連を見掛ける.今日は楽しい登山になりそうだなと期待する.
 バスは7時頃,大倉に到着する.私たちがのったバスの直ぐ後に2台の臨時バスが出たらしく,これらのバスから降りた乗客でバス停周辺は登山客で一杯になっている.
 7時10分,たまたま居合わせたご常連の皆様と一緒に歩き出す.

■ご常連寸景
 ご一緒するご常連の皆様のスナップ写真を若干披露しよう.お名前は伏せておく.

<大倉から歩き出す>

 
<父子鷹;雑事場ノ平手前>                     <笑顔が素敵;見晴山荘>

■見晴階段
 何時ものスローペースで,7時56分,見晴山荘を通過する.そしてすぐに見晴階段にさし掛かる.
 坂の上を見上げると,おびただしい人数の登山客が数珠繋ぎになっている.これだけ沢山の登山客が前にいると,さすがに追い越してやりたいという気持ちにはなれない.ただ,ただ,凄い人数だなと驚くばかりである.
 ロートルの私は急な登りは苦手である.極々ユックリとしたペースで登り続ける.

<見晴階段を登る>

■Kさんから元気を貰う
 見晴階段を登り切って,モミジ坂に差し掛かる.
 ここで下山してくるKさんとすれ違う.前回の登山のときにお会いした場所より随分下の方でのすれ違いである.早速握手.何時ものようにKさんから元気を貰う.
 「山頂は霧で何にも見えなかったです…」
 お会いすべき方に,お会いできるのは嬉しいことである.

<モミジ坂登り口にて;ピンぼけ写真で申し訳ない>

■相変わらず富士山は見えない
 8時18分に一本松を通過する.すぐ上の休憩所のベンチは休憩を取る人達で満席になっている.
 駒止階段をユックリ登って,8時28分に駒止茶屋を通過する.
 大倉からの所要時間は1時間18分.夏場とはいえ,かなりのスローペースである.
 堀山の尾根に差し掛かる.晴れていれば富士山が良く見えるはずの場所から,曇天で見えない富士山の写真を撮る.
 今日はバカカメラにお休みして頂き,準バカカメラを持参しているのに,準バカカメラで富士山が撮れるかどうかチェックしたかったのに…残念!
 8時37分,堀山を通過し,下り坂に入る.
 「どうせ小草平で休憩を取るので,ここはちょっと足を速めて,小草平で皆さんを待ちましょう」
ということで,下山がお得意なIさんと一緒に,歩く速度を速める.


<見えない富士山を撮る>

■堀山の家
 8時46分,堀山の家に到着する.私たちの直ぐ後に,常連の皆様も小草平に到着する.
 私は,ここから先,花立山荘までの急坂は,なるべく汗をかかないでユックリ登りたいなと思っている,何しろ熱射病が怖いから…
 それに,少しばかり先へ歩いていても,どうせすぐに追い付かれるので,とにかく休憩を取らずに歩き続けることにする.
 「私,ユックリ登りますから,先に行かせてもらいます」

<堀山の家で休憩を取る常連さん>

■萱場平
 堀山の家から,マイペース,ユックリペースで,暫くの間,一人旅が続く.途中何人かの方を追い越したり,追い越されたりで,9時04分に戸沢分岐を通過する.
 例によって,萱場平で写真を撮る.ここでもベンチでは沢山の登山客が空閨を取っている.

<萱場平;写真に写っている人は私たちとは無関係の人>

■今日のど根性アザミ
 萱場平の木道の間に繁茂するアザミが気になる.今日見たところでは,随分と大きく立派に育っている.
 「がんばれ〜・・」
とアザミにエールを送る.

<萱場平のアザミ>

■花立山荘
 後7分坂(花立階段)に差し掛かる頃,小草平で休憩を取っていたご常連グループに追い付かれる.予定通りである.そして,階段の途中で追い抜かれる.
 私は,常連の皆さんより,階段で20〜30段遅れて,9時27分,花立山荘に到着する.ここも沢山の登山客で賑わっている.
 大倉からの所要時間は2時間13分.堀山の家からの所要時間は41分である.
 ご常連グループは,花立山荘で一休みするという.
 「じゃあ…,私は,また,例によって先にユックリ登っています」
ということで,私はここでも休憩を取らずに,そのまま登り続ける.



<花立山荘で休憩をとる>

■花立山山頂
 花立山荘を過ぎると,辺りの霧が一段と深くなる.周囲の山は完全に霧の中.全く見えない.
 体力に余力があるのか,花立山荘を過ぎる辺りから,自分の体調がとても良いことに気がつく.何時は花立山荘から花立山まで登るのに9〜10分掛かるが,今日は8分で登る.もっとも天気が悪いので,途中で殆ど写真を撮らなかったので,撮影時間が短縮しただけのことかもしれない.

<花立山山頂>

■塔ノ岳山頂
 9時40分,金冷シを通過する.
 金冷シから最初の長い階段を登っている頃,そろそろ後ろにご常連グループが見えないかなと後ろを振り返る.どうやら未だ見えないようなので,そのままの速度で登り続ける.
 9時54分,塔ノ岳山頂に到着する…が,山頂のポールタッチは,ご一緒して頂いた常連さんグループと一緒にしたい.そこで,ポールの少し手前の敷石に座り込んで,皆様の到着を待つ.このとき山頂の気温は15℃.
 今日の大倉から塔ノ岳山頂までの所要時間は2時間44分.前回とほぼ同じである.花立山荘からの所要時間は30分である.
 座り込んで,2〜3分経った頃,カメラマン氏が山頂に到着する.
 その直ぐ後,Tさんが山頂に到着する.Tさんは,つい先日,大倉から2時間08分で塔ノ岳に登った方で,先日の朝日新聞の記事に登場された方である.
 「…いや,皆に合わせてユックリ登っていると疲れます…」
ということで,途中から先に登ってこられたようである.
 そして,10時頃,ようやく皆さんが山頂に到着する.随分と長い間,花立山荘で休憩していたようである.

<大賑わいの塔ノ岳山頂>

■ノンアルコールビール
 ご常連のグループが揃ったところで,一緒に尊仏山荘に入る.
 山荘入口で,「サントリーオールフリー」の無料配布をしている.ノンアルコールビールなら私も飲めるので,1本頂戴する.
 一同,無料ビールを1本ずつ持って,尊仏山荘へ入る.

<サントリーのノンアルコール>

■尊仏山荘
 今日は天気が良いので外で休憩を取る人が多い.そのため山荘は空いている.
 今日の小屋番はオーナーのHさんを始めとして,W林さん,W田さん他オールスターキャストである.残念ながら山猫は不在.
 山荘入り口で頂戴したノンアルコールビールと,300円也のお茶で,水分補給は十分である.
 初めて試飲するノンアルコールビールは,確かに美味しいが,やっぱり本物のビールとは少し味が違うなという印象を受ける.
 私たちは入口近くの長椅子に座って,食事をしながら雑談に興じる.
 今日初めてお目に掛かった台湾出身の方から,台湾と香港の珍しい菓子の差し入れがある.
 居合わせたカメラマン氏とも色々雑談を交わす.
 今年のシロヤシオの見頃は,まだまだ先だが,今からシロヤシオを楽しみにしている.

<ノンアルコールビールと台湾・香港の珍しいお菓子>

■山頂で記念写真
 10時40分過ぎに,そろそろ下山しようということになる.
 私たちが山頂に到着してから,わずか40分ほどの間に,山頂で休憩を取る登山客がおびただしい数に増えている.
 まずは山頂で登頂記念写真を撮る.ただし,撮ったのは私のカメラではないので,ここで披露できないのが残念である.
 10時48分,下山開始.

■超人とバッタリ
 順調に下って,11時11分,花立山荘を通過する.
 後7分坂を下りはじめるところで,登ってくるご常連さんにバッタリ.この方は私などには想像すら付かない超ロングコースを踏破している超人である.早速超人を囲んだ写真を撮らせて貰う.

<超人を囲んで>

■山旅スクール第15(?)期生とすれ違う
 数珠繋ぎになって登ってくる登山客とすれ違いながら下山し続ける.
 11時29分,萱場平を通過する.萱場平のベンチは登山客で鈴なりである.
 狭い階段道で登りが数珠繋ぎになっている.
 「どこのツアーですか」
と伺うと,
 「いえ,個人なんです…」
とのことである.縁もゆかりもない方々が延々と連なっている.何とも凄い人出である.
 やがて,堀山の家に差し掛かる.
 今度は,整然と1列になった団体が登ってくる.私は列の先頭の方を見てびっくりする.山旅スクールでお世話になった“ヤマンバ”さんである.
 「おや,まあ…きっと(FHさんに)会えると思っていました…」
とヤマンバさんがいう.
登山道が混雑しているので,立ち話はほんの一寸だけ.
 「みなさん,この方が,伝説の5期生です…大倉尾根を2時間一寸で登る方です」
と私を妙な形で,私を一同に紹介する.私恐縮.でも“伝説って過去の人間”ってことではないの.
 何れにしても.もう少しユックリお話ししたいところだが残念.

■観音茶屋の氷水
 11時33分,堀山の家に到着する.折角だが,今日は堀山の家には立ち寄らずにそのまま通過する.
 次第に高度が下がるにつれて,蒸し暑くなる.
 「今日は観音茶屋で氷水だ…!」
とどなたかが言う.
 氷水と聞いて,すぐその気になる.
 12時40分,観音茶屋に到着する.すぐに氷水を注文する.一同,外のベンチに座り込んで,氷水を賞味する.実に美味.
 丁度そのとき,山旅スクール5期の方と11期の方が下山してくる.
 「おや…○○さん」
と私が呼び止める.ARENAの山行でご一緒する方である.5期の方とお会いするのも久々である.5期の方が,
 「この頃,体中のあちこちが痛くて…」
とこぼされる.
 
<観音茶屋に到着>                        <観音茶屋の氷水>

■渋沢でコーヒーブレーク
 氷水パーティが終わって,13時03分に観音茶屋を出発する.そして,13時18分に大倉に到着する.
 私たちより先に下山していたAさんとBさんが,
 「随分遅かったですね…どこか他に廻ったのかと思ってましたよ…」
 「いやどうもスミマセン…途中で“氷水”と利いた途端に,氷水のことしか頭になくて…他のことは全部忘れてしまいました…」
 大倉発13時18分のバスに乗車する.私たちは運良く座れたがバスは超満員.
 渋沢駅南口の喫茶店に立ち寄って,コーヒーを飲みながら暫し雑談.
 その中で,近々丹沢主脈を縦走しようかという話も出る.
 14時30分頃,お開き.
 
<渋沢の某喫茶店にて>


<渋沢のコーヒー400円也>

■相模線経由で帰宅
 小田急線下り電車が送電ストップの影響で遅延しているとのことなので,相模線経由で帰宅することにする.
 渋沢から本厚木,厚木経由で茅ヶ崎へ.電車の接続が悪くて厚木駅で20分ほど待たされる.茅ヶ崎経由で16時18分に大船に到着する.
 今日も楽しい塔ノ岳山行だった.
 よかった! よかった!

<ラップタイム>

 7:10  大倉歩き出し
 7:37  観音茶屋
 8:18  見晴山荘
 8:28  駒止茶屋
 8:46  堀山の家
 9:27  花立山荘
 9:40  金冷シ
 9:54  塔ノ岳山頂着(15℃)
10:48      〃  発
11:01  金冷シ
11:11  花立山荘
11:43  堀山の家
11:57  駒止茶屋
12:28  見晴山荘
12:40  観音茶屋(13:03氷水ブレーク)
13:18  大倉着 

[山行記録]

■水平距離       7.0km(片道)

■累積登攀下降高度   1269m

■登攀所要時間(雑談時間を含む)
  大倉   発       7:10
  塔ノ岳  着       9:54
  (所要時間)  2時間44 分(2.73h)
  水平歩行速度   7.0km/2.73h=2.56km/h
  登攀速度    1269m/2.73h=464.8m/h

■下降所要時間(休憩時間を含む)
  塔ノ岳  発       10:48
  大倉   着       13:18
   (所要時間)  2時間23分(2.38h)
  水平歩行速度     7.0km/2.38h=2.94km/h
  下降速度     1269m/2.38h=533.2m/h
                                  (おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/82421c6adad9efac348d292e0f194308
「丹沢の山旅」 の次回の記事
(なし)

新緑の三浦アルプス南尾根・大峰山縦走

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                            <仙元山山頂からの眺望>

    新緑の三浦アルプス南尾根・大峰山縦走
    (山旅スクール5期鎌倉トレッキング会)
      2013年5月19日(日) 曇

<コース地図>



<まずは三浦アルプス南尾根>

■JR田浦駅から歩き出す
 私たちのグループにとって,今日の三浦アルプス南尾根は,今年に入って「三度目の正直」でやっと実現できた山行である.私たちのグループは原則として日曜日に山行を行っているが,この所,土日に天気が悪いことが多くて,三浦アルプス行は中止してばかりだった.
 今日の日曜日の天気予報は,つい2日前までは雨だったが,その後予報が好転して,晴れにこそならないが,雨の降り出しは夜になると変わった.ラッキーである.
 9時30分,JR田浦駅集合.
 参加予定者全員が,集合時間より前に揃ったので,9時25分に歩き出す.
 今回の参加者はノシイカさん,makoさん,ホッシーさん,それに私の4人である.何れも山旅スクール5期生.ずっと同じ釜の飯を食べてきた山仲間で,お互いの登山力は熟知しているし,何と言っても共通の山の作法,技術・技法を持っているので,安心してご一緒できるというメリットがある.
 ただ,唯一の欠点は,私以外は大の花好きおばちゃんだということである.だから,行動中にもちょっと変わった花があると,そこでストップしてしまう.困るのはこの一点だけである.
 そう.このグループでは残念ながら,白組は私一人だけ.後のお三方は紅組である.

■むせるような緑の田浦梅の里
 田浦郵便局脇の歩道橋を渡って,住宅地内に細い道路を抜けて,9時48分に田浦梅の里入口に到着する.ここでトイレ休憩後,急な階段を登り始める.この階段,尾根に到着するまで何段あるのか良く分からないが,とにかく途中で登るのが嫌になるほど随分と長い.
 階段を登り終えて尾根に出ると,正直なところ,ホッとする.今日は雨にはならなかったものの湿度が高く,登り坂になるとどうしても蒸し暑さを感じるようになる.
 梅の里は,初夏を思わせるような緑で一杯である.今は季節の花の変わり目になるのだろうか,あまり花は咲いていないようである.それでも,花好きの皆様は,ときどき珍しい植物を見付けては立ち止まる.
 園内には全く人の姿が見えない.10時12分,展望台の下を通過する頃,少し離れたところを歩いている2〜3人のハイカーを見掛けただけである.

<誰も居ない田浦梅の里>

■おや? アジサイが…
 園内で,そろそろ色がつき始めたアジサイがある.
 「このアジサイ…随分と早いね」
とビックリしながら通り過ぎる.
 6月には,このグループの皆さんと一緒に鎌倉のアジサイを見物する予定にしている.さて,どこを廻ろうかと今から気になり始める.

<早くも色付き始めたアジサイ>

■ちょっと興味のある写真
 途中でちょっと興味のある写真を撮る.場所は明らかに出来ないが…
 右は色付き始めた梅,左は三浦アルプス内で見掛けたサイハイラン.
 
<たわわに実る梅>                                        <路傍のサイハイラン>

■東尾根乗越から乳頭山へ
 梅の里を通過して,急坂を下る.そして,10時22分,?浜横須賀道路に架かる橋を渡る.
 橋を渡り終えると,いよいよ本格的な登山道である.登山道は三浦アルプス東尾根に延びるヤセ尾根の上を通っている.暫くの間は小さな上り下りを繰り返すが,東尾根に突き当たった途端に,とても急な登り坂になる.特に尾根直下は禿げた岩になり,何本もの登山補助用の虎ロープが張られている.
 この急坂を「ウンコラショッと」登って,10時40分,東尾根乗越に到着する.ここで北尾根から来た若い人数名とすれ違う.私たちは乗越近くの小さなコルで一休みする.もともとこのコルは眺望が良いところだが,今はコル周辺の草木が大きくなってしまい,視界はかなり遮られてしまう.
 10時44分,コルを出発して乳頭山に向かう.
 途中,三浦アルプス中尾根を分岐して,10時52分,乳頭山山頂に到着する.
 ここからの眺望は素晴らしい.八景島シーパラダイス方面の眺望が開けている.

<乳頭山からの眺望>

■送電鉄塔下で小休止
 乳頭山から進路が南西に変わる.山頂からいきなり急な下りになる.この道は送電鉄塔のメンテナンス道でもあるので,電力会社が設置した(違うかな?)金属製の階段が延々と続く.
 その後は,小さな上り下りが連続する.途中,紛らわしい枝道が沢山あるが,このところ案内板の整備が大分進んでいて,あまり迷わずに進路が分かるようになったのが有り難い.
 暫く山道を歩き続けると,再び電力会社の金属製階段が現れる.この階段を登り切って,11時11分,鉄塔下の空き地に到着する.空き地からの見晴が多少開けている.私たちはここで休憩を取ることにする.
 鉄塔下の空き地に腰を下ろす.涼しい微風が心地よい.
 休憩中に,ノシイカさんからキュウリの浅塩付をご馳走になる.汗ばんで歩いている最中である,塩味のキュウリは,歯応えも良く実に美味である.
 “オレも真似して,今度からキュウリの塩漬けを持ち歩こう…”
 
<鉄塔下の広場>                       <美味しい浅漬けキュウリ>

■ネムノキ慕情
 休憩を終えて,11時17分に送電鉄塔下の広場を出発する.道すがら植物に詳しいノシイカさんから,珍しい草花の話を伺う.
 花オンチの私には,色々なことは到底一度には覚えられないので,今日はネムノキだけ写真に収める(写真間違っているかな?).
 どうしてなのか分からないが,ネムノキという名前の響きに,私はとても親しみを感じている.きっと,過去にネムノキに,良い思い出があったに違いない.

<ネムノキ>

■さて,何の卵だろう
 登山道を歩いている途中で,足許に落ちている葉っぱに,青い色の卵が沢山産み付けられているのを見付ける.
 この卵がどんな虫の卵か,綺麗な蝶? それとも蛾! カマキリじゃないし…
 “お前達,一体何になるんだ?”
 私たちには分からないが,興味がある.とにかく写真を撮っておく.

<何かの卵>

■やっとドングリ山に到着
 その後も,数え切れないほどの小さなコルを通過する.その度に登ったり下ったりを幾度となく繰り返す.時々,急傾斜の長い坂を登りきると,今度は急な下り坂になる.時々枝道が分岐する.その度毎にどっちの道を行くかで少々迷う.時には,薄暗い竹藪をかき分けるようにして前進する.
 「ドングリ山,もうすぐでしょう…?」
と先頭を行く同行者が,直ぐ後に続く私に聞く.
 「まだ先です…(進行方向)左手前方にある大楠山が丁度左正面に見えるようになればドングリ山ですよ」
 また前方に急傾斜の登り坂が見え始める.
 「あの坂,登ればドングリ山でしょう?」
 「いえ,まあ,…大きく言えば,まあ,直ぐ近くですよ」
 後ろに居る人が,
 「FHさんが言う直ぐ近くは,とても遠いなと,○○さんが言っていましたよ.」
 「だから○○さんに,ガス(オナラのこと)をぶっかけたんです」
 「あのガスのこと,良く覚えていますよ」
 ここから話題が,○○さんと一緒に食べた中華ソバに飛ぶ.
 実は,つい先日,今日ご一緒のmakoさん,○○さんと一緒に,大船の某中華ソバ店で650円也の「タップリ野菜そばと餃子セット」を食べた.ところがこのセットが,もの凄いボリューム.,トッピングのてんこ盛り野菜を,いくら食べても,下にある麺まで中々届かなかった.
 こんな話をしていると,ついついまたラーメンが食べたくなる.
 やがて,ドングリ山手前の上り坂に差し掛かる.
 「この坂を登れば,お待ちかねのドングリ山ですよ…」
 12時45分,ドングリ山に到着する.私の腹づもりの予定より,15分ほど遅延しているが,まあ問題はない.
 ここで,大楠山方面の景色を眺めながら,ちょっと遅めの昼食を摂る.
 南の方から,涼しいそよ風が吹き抜ける.涼しくてとても気持ちが良い.
 私たちが食事をしている間に,数人の登山者がドングリ山を通過する.

<ドングリ山で昼食>

■観音塚
 食事を終えて,13時15分にドングリ山を出発する.
 いきなりザレた急な下り坂になる.この下り坂降りきると,今度は小さな登り下りが何回となく連続する.ときどき迷いそうになる枝道があるので,自分達が目指す方向がどっちかを絶えず確認する必要がある.
 途中で,地図を片手に何か練習をしている若者の集団とすれ違う.近くには「葉山アルプス」と手書きされた案内板が立っている.
 13時27分,枝別れ道を右手に少し登って観音塚に到着する.塚の上にはいくつかの石塔が並んでいる.
 ここで立ち休憩を取る.

<観音塚>

■立派な道標
 三浦アルプスも逗子側に近付くと,立派な道標が立てられているようである.多分,最近になって整備されたものだと思う.これで,道に迷うことも少なくなると思う.

<立派な道標>

<仙元山ハイキングコース>

■小さなコルで休憩
 いくつかの枝道を経由して,13時40分に仙元山ハイキングコースに合流する.
 ここからは,整備が行き届いた公園道になる.そうは言っても,まだ,まだ,これからもきついアップダウンが繰り返し現れる.
 やがて,前方に急な登り階段が現れる.この階段を「やっとこさ」登ると小さなコルの上に出る.ここから葉山方面の眺望が開けている(13時55分).
 このコルで,5分ほど休憩を取る.

■仙元山展望台
 14時01分,小さなコルから歩き出す.進行方向左手には葉山方面の展望が開けている.
 暫くの間,展望の良い尾根沿いのトラバース道が続くが,やがて,途轍もなく長くて急な下り階段に差し掛かる.階段はシッカリしているし,手すりも付いているので,慎重に降りれば問題はないが,とにかく急階段である.もし転倒したら大変なことになりそうである.
 何百段かの長い階段を下りると,その敵(かたき)を取るかのように,今度は長い長い登り階段になる.この階段を登り返すのも一苦労である.
 階段を登り切ってからも,小さなアップダウンが連続する.
 そして,14時22分,漸く仙元山展望台に到着する.展望台には地元の方と思われる男性がイヌを連れて訪れている.
 展望台のベンチに座り込んで,20分ほど休憩を取る.

<仙元山山頂>

■仙元山からの眺望
 ここからの眺望は実に見事,素晴らしい.
 晴れていれば富士山,伊豆箱根,丹沢の山々が見えるはずだが,残念ながら,今日は春霞が広がっていて遠目は利かない.でも眼下に葉山の住宅地と江の島が見えている.


<仙元山からの眺望;江の島が見えている>

■葉山の住宅地へ
 14時40分,仙元山展望台を出発する.いきなり急な下り坂になる.階段道だが,階段が大分荒れていて歩くにくい.
 階段を下りてからも,暫くの間,山道が連続する.
 やがて,少し登り坂になり,その坂道を登り切った左手に立派な教会がある.その道路を挟んで反対側に「仙元山ハイキングコース入口」の看板が立っている(14時53分).
 ここから,3分ほど急坂を下って葉山の住宅地に降り立つ.

<仙元山ハイキングコース入口>

<大峰山縦走>

■葉山の住宅地を抜けて“あじさい公園”へ
 住宅地に降りたところで,
 「近くにバス停風早橋があります.バスに乗って逗子へ出ますか? それとも.大峰山(三ヶ岡)を回って森戸海岸へ出ますか…」
と駄目押しをする.
 「折角だから,大峰山を縦走しましょう」
と衆議一決.“その言や良し” やっぱり,“痩せても枯れても”山旅スクール卒業生である.
 「では…」
ということで,土地勘のある私が先頭に大峰山に向かう.
 閑静な葉山の住宅地を抜けて,まずは“あじさい公園”に向かう.
 途中,某大学の研修施設の脇を通過する.この大学は私の勤務先でもあった.この研修施設で,何十回も合宿した経験がある.その頃のことを,つい昨日の事のように懐かしく思い出しながら,研修施設の前を通過する.
 閑静な住宅地内の坂道を登って,15時12分,「あじさい公園入口」に到着する.公園内には沢山のアジサイが植え込まれているが,まだ開花は先のことのようである.

<あじさい公園入口>

■長い階段
 大峰山山頂までのほとんどは階段道である.スダシイなど大きな木が繁茂するジメジメした谷間の道である.風もなく蒸し暑い中を,一同,黙々と登る.
 階段は登っても登ってもまだまだ先がある感じである.
 現役時代,私は何度もここを訪れているが,その頃の印象に比較すると,今日の階段登りは,ヤケに長く感じる.それだけ私も年を取ったということだろう.

<大峰山の長い階段>

■大峰山山頂
 15時28分,ようやく大峰山山頂に到着する.私の腹づもりの予定時間より,5〜6分遅延している.
 “この調子だと,海岸まで降りると16時を少し過ぎるな…”
と頭の中で計算する.
 山頂で振り返ると,木の間から葉山の市街地が見下ろせるが,特段に見晴がよいわけでもないので,大峰山山頂での休憩は無しにする.そして,尾根沿いに,海の方向に向かう.このコースは「真名瀬コース」と呼ばれている.

<大峰山山頂>

■尾根沿いの真名瀬コース
 暫くの間,長閑な尾根道が続く.道の両側に大きな木が繁茂しているので見晴は全くないが,道の両側は広々とした原っぱのようになっている.緑に覆われた実に気分の良い散策路である.
 極くなだらかなアップダウン道が続く.
 途中で,家族連れ,犬を連れた人などに出会う.

<大峰山の尾根道>

■「関東の富士山100景」の展望台
 15時35分,展望台に到着する.ここは尾根の突き当たりに位置している.
 ベンチ付きの立派な展望台である.ここで展望休憩を取る.展望台からは葉山の街並み,江の島がとても良く見えている.
 一同,どっかと椅子に座って,雑談が尽きない.このままでは,何時までお喋りが続くか分からない.放置していたら,ますます帰りが遅くなりそうなので,15時47分に,
 「そろそろ,下山しましょう」
と一同を促す.
 ちなみに,ここは「関東の富士山100景」の一つ,景勝の地である.

<景勝の展望台>

■長者ヶ崎遠望
 展望台近くから,葉山の海岸から長者ヶ崎方面まで展望が開けている.実に美しい眺めである.
 ここからは長い階段道が海岸縁まで連続する.

<長者ヶ崎遠望>

■葉山・逗子方面の眺望
 葉山,逗子方面の眺望を楽しみながら,ひたすら階段道を下り続ける.長い,長い,下り階段である.
 途中,階段道を登ってくる家族連れと犬を連れた夫婦とすれ違う.
 下っても,下っても,まだその先に階段があるので,途中でイヤになってくる.

<逗子葉山を見下ろしながら階段道を下る>

■熊野神社からバス停真名湖へ
 階段を下り終えて,16時05分,飛び出すようにして熊野神社境内に降り立つ.これで,漸く山行は終わりである.私の腹積もりより5分ほど遅延しているが,まあ歩程通りである.
 海岸線沿いに,森戸神社方面に歩く.
 16時08分,バス停真名湖に到着する.
 「(折角だから)森戸神社を拝観しますか?」
と皆さんを促すが,
 「もう,歩くのはいいよ….」
 皆さんどうやらお疲れのようである.ボデーランゲージまかいの返事が返ってくる.
 「では,ここからバスに乗りましょう…」
 こうして,JR田浦駅から,バス停真名湖まで,水平歩行距離10.5キロメートル,所要時間7時間余りのトレッキングは無事終了する.

<熊野神社>

<逗子経由で帰宅>

■バスでJR逗子へ
 待つほどもなく,16時13分に逗子行のバスが到着する.
 車内は混雑していて座れない.私たちは運転席に近い方で立ちん坊.その後,バス停に停車する毎に,沢山の人達がバスに乗り込んでくる.
 「もう少し詰め合って下さい…」
と停留所に到着する度に,運転手が連呼する.
 私はバスの混雑より,日曜日の道路混雑の方が気になっていたが,今日は日曜日とはいえ,まだ海水浴シーズンではないので,道路は意外に空いている.
 16時45分,バスは.無事,JR逗子駅に到着する.
 このまま解散するのも締まりが悪いので,逗子駅構内のBecker'sに立ち寄って,コーヒーブレーク.
 私は200円也のホットコーヒー.他の皆さんはアイスコーヒーをご所望のようである.
 片隅のテーブルに腰を下ろす.こうなると何時ものように話は尽きなくなる.長いときは2時間もお喋りが続くことがある.

<Becker'sのコーヒー>

■駆け足乗換で無事帰宅
 話は何時までも尽きないので,17時10分に,私だけ先に帰ろうかと思う.
 「私,先に帰ります…どうぞごゆっくり」
と言うと,皆さんも帰るという.
 逗子17時16分発東京行電車に乗車する.
 「ひょっとすると,鎌倉市役所前17時25分発山の上ロータリー行のバスに間に合うかな…多分バスも遅れるだろうし…」
 私は鎌倉で下車するか,それとも安全のために大船まで行ってバスの本数の多い路線を選ぶか迷う.こうなると,もう“賭”である.
 電車は17時21分に鎌倉駅に到着する.
 “バスの発車時間まで,後4分あるぞ…”
こうなると,平素,小田原駅階段二段跳び乗換に馴れている私である.
 鎌倉駅から200〜300メートル離れているバス停釜鎌倉市役所前まで韋駄天走りする.最後は,期せずして,ここでも,
 「ハア,ハア,…」
 とにかくバスに間に合う.
 バスは,定刻より3分遅れて,17時38分に鎌倉市役所前を発車する.逆に言えばバスが3分遅れたお陰で間に合った.
 乗客は,たった4人.こんなに乗客が少ないんでは,このバスも廃止になるんじゃないかと心配になる.
 18時頃,無事帰宅.
 昨日は塔ノ岳,今日は三浦アルプス.こんなに毎日山へ出掛けていたら,愛想尽かされそうである. 

<ラップタイム>

 9:25  JR田浦駅歩き出し
 9:34  田浦郵便局
 9:47  田浦ウメの里入口
10:12  展望台
10:22  ?浜横須賀道道路跨線橋
10:40  東尾根取り付き(10:44まで展望休憩)
10:52  乳頭山(10:53まで展望休憩)
11:11  鉄塔下(11:17まで休憩)
11:43  コル頂上(11:46まで休憩)
12:45  どんぐり山(13:15まで昼食)
13:27  観音塚
13:40  周回道路に出る
13:55  コル頂上(14:00まで休憩)
14:22  仙元山山頂(14:40まで展望休憩)
14:52  仙元山ハイキングコース入口
15:12  あじさい公園入口
15:28  大峰山山頂
15:35  展望台(5:45まで展望休憩)
16:05  登山口(熊野神社)
16:08  バス停真名瀬

[山行記録]

■水平歩行距離  10.5km

■累積登攀高度   764m

■累積下降高度   765m

■所要時間(休憩時間込み)
  JR田浦発    9:25
  バス停真名湖着 16:28
  (所要時間)  7時間03分(7.05h)
  水平歩行速度     10.5km/7.05h=1.49km/h
                                     (おわり)

「関東・上信越の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a52b723feaf67fdc4478dc2636c01d2d
「関東・上信越の山旅」の次回の記事
(なし)

もうすぐ初夏;丹沢大倉尾根のヒルがそろそろ話題に…

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                              <朝日新聞の記事>

  もうすぐ初夏;丹沢大倉尾根のヒルがそろそろ話題に…

2013年5月20日(月)

 今日は朝から雨模様.
 この所,連日のように野山を歩き回っていた私は,神仏が私のために下さった安息日と考えて,ほぼ終日,余り遠くへは行かずに自宅に籠もることにする.

 まずはノンビリと作業デスクに座って,未整理の資料やら書類に目を通す.これらの資料の中から,冒頭の写真の朝日新聞2013年4月29日神奈川13版29ページ湘南に掲載されている「シカの増加環境に脅威」の記事が目に着く.
 この記事では,丹沢のシカが増えすぎて,森の下草,枝葉がすっかり食べ尽くされて丸裸になってしまうため植生に与える被害が大きいこと,およびシカがヒルやダニを人里まで運んでまき散らすことなどの問題を指摘し,シカの正則管理をして頭数の均衡を保つ必要があると指摘している.

 私が頻繁に丹沢を訪れるようになったのは,今から約10年ほど前からである.それまでは,私もまだ現役だったため多少の小遣いはあった.だから山行といえば,専ら北アルプス,南アルプスなどの高山ばかりだった.
 丹沢に通い始めてから,丹沢の北東方面には,かなりヒルが居るとは聞いていたが,大倉尾根でのヒルの被害など聞いたこともなかった.それが,ここ数年,大倉尾根でも,急にヒルの被害が増えてきたようである.

 この所,私も週に1〜2回,大倉尾根経由で塔ノ岳を往復しているが,ここ数週間のあだに,今年もヒルに出会ったという話を聞いている.ただ,私自身は登山道でヒルの被害に遭ったことは一度もない.
 正確に言えば,2回だけヒルを見掛けた.それも登山道ではなく,バス停大倉の洗い場のタワシに付いていたヒルである.洗い場のタワシには要注意である.

 塔ノ岳の山麓が新緑に覆われる頃になると,登山客が増え出す.そして,シロヤシオが話題になるようになると,登山客の数はピークに達する.そうなると,ヒルに出会ったという話も多くなる.
 実は,平素,塔ノ岳を往復していて,とても気になっていることがある.それは,草むらに無防備に座り込んで休憩を取っている方が結構多いことである.まるで,ヒルにどうぞ私に取り付いて下さいと言わんばかりである.ヒル対策だけでなく,丹沢の自然を守るためにも,むやみに登山道を外れて,草むらに入るのは自粛すべきであろう.

 私は天気が悪いと山へ行かないので,良く分からないが,毎日登山のベテラン氏に伺うと,ヒルに出会う確率が高いのは,雨が降った翌日だという.登山道の縁を歩くと道端の草むらに足許が接触するので,ヒルを拾う可能性が増えるという.ヒルの多い山麓を登るときには要注意だろう.
 私の場合は,もともとユックリ登山.塔ノ岳山頂まで,途中で休憩を取らずノンビリ一気に登る(ただし,ハイドレーションシステムを使って,歩きながらこまめに水分を摂っている).
 その際,極力,登山道の真ん中を歩くようにしている.そのためか,登山道でヒルに取り付かれたことは一度もない.

 そろそろシロヤシオが見頃を迎える.
 平素,塔ノ岳にはあまり来られない方々も多く訪れるようになるだろう.登山道を外れずに,また,休憩場所に注意して,ヒル被害に遭わないよう祈念している.

                             (ぼやき,おわり)

「丹沢の山旅」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a69ceaa560b89667ba00f4e2382bb8a4
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(なし)

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