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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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中山道六十九宿巡り(56):第8回目(18):笠取峠を越える

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                               <笠取峠>

       中山道六十九宿巡り(56):第8回:笠取峠を越える
              (五十三次洛遊会)
         2010年6月12日(土)〜14日(月)

※本稿の初出は2010年7月22日である.
 初稿の地図を更新版に差し替え,本文の加除修正を行った.


第3日目:2010年6月14日(月)  (つづき)

<ルート地図>


                                                                 ※再掲

<松並木公園>

■道祖神
 常夜灯と道を挟んで反対側の少し離れたところに,道祖神がある.可愛い.この道祖神も祝言道祖神の一種なのだろう.

<道祖神>

■素晴らしい松並木
 11時32分,私たちは松並木公園の入口に到着する.目の前には広々とした公園が広がっている.入口近くに道祖神が祀られている.公園の真ん中に緩やかな上り勾配の道が真っ直ぐに延びている.
 私たちはこの真っ直ぐな道をゆっくりと登り続ける.多少登り坂になっているためか,歩きが遅くなる人も出始める.世話役の1人が,
 「・・・予定より大分遅れちゃった・・」
と小さな声でぼやく.

<素晴らしい松並木が始まる>


<路傍の石像>

■笠取峠の松並木
  11時38分,登り坂の途中にある松並木公園に到着する.公園の中に休憩所がある.ここでトイレ休憩.
 休憩所は一寸した広場になっている.広場の一角に「笠取峠の松並木」という表題の説明板が設置されている.説明文の内容は以下の通りである.
     *************************
         長野県天然記念物 笠取峠の松並木
 この峠道は,近世五街道の一つ中山道の笠取峠である.徳川政権は,関ヶ原の戦い後の慶長6年(1601年)東海道に伝馬制を実施し,翌7年には中山道などにも着手した.

           慶長9年幕府は諸街道の改修,一里塚の設置とともに街道筋に松や杉を植えて並木を作らせた笠取峠は雁取峠とも呼ばれ,慶長2年(1597年)に設けられた芦田宿と,およそ1里半(約6キロメートル)の距離を隔てた長窪宿の間にある.
 笠取峠の松並木は,小諸藩が幕府から下付された数百本の赤松を,近隣の村民とともに峠道約15町(約1.5キロメートル)にわたって植樹し,その後も補植を行い保護・管理を続けてきた.歌川広重の「木曾街道六十九次」芦田宿に描かれている中山道の名所である.
 長い歳月の間,風雪に傷み枯れ,大正13年(1924年)長野県の調査によると229本があった.昭和49年(1974年)長野県天然記念物に指定された.
 現在は110本である.立科町が笠取峠の旧街道の整備と松並木の保護に努め,往時の姿をとどめている.
        平成5年3月
                   立科町教育委員会
      ****************************

<松並木の案内板>

■若山牧水の歌碑 
 広場の一角に,歌碑がある.変体仮名混じりの草書は私には読めない.何だか分からないまま分,多分,これが若山牧水の歌碑だろうと思う.

<若山牧水の歌碑>

■金明水
 傍らに水飲み場のようなものがある.「金明水」というらしい.昔の旅人は,この水で喉を潤したらしい.近くに道祖神も祀られている.

<金明水>

<笠取峠へ>

■是より小諸領
 11時44分,休憩所から歩き出す.
 11時46分,路傍の道祖神,および「是より小諸領」の石塔を通過する.石塔の脇に小さな案内板が立ててある. 

<道祖神>


<是より小諸領の石塔>

■国道142号線に合流
 11時51分,笠取峠松並木の碑を通過する.直ぐに国道142号線に合流する.相変わらず,やや急な登り坂が連続する.ときどき自動車が通り抜ける.

<笠取峠を登る>

■笠取一里塚跡
 12時03分,笠取一里塚跡を通過する.少し高いところに大きな一里塚石碑が置かれている.この辺りがどうやら笠取峠の最高地点のようである.江戸日本橋から47里目の一里塚である.
 多少の山歩きを予想していた私には,随分と呆気ない峠越えだなという印象を受ける.

<笠取一里塚跡>

■峠の石塔群
 笠取峠の「峠」には,沢山の石塔や案内板が立っている.その中から適当な案内杭を選んで,記念写真を撮る.
 石塔の中には「学者村」というのもある.元ヘボ教員の私に,
 「FHさん向きの所ですね・・・」
と誰かが茶々を入れる.今はグウタラ人間.「学者」なんて烏滸がましい.グウタラ人間に成り下がった私は苦笑する.
 これから峠を下れば,第3日目の最終目的地の長窪宿まで,あと僅かである.

<峠で記念写真>

                                         (つづく)

[参考資料]

資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
                              
[加除修正]
2013/7/27  地図の差替えと追加.誤字脱字転換ミスの修正,加除訂正, 推敲を行った.

「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/96dba4df370071ba4c866a45fb8503d5
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5a33c781588dbe87204320bfd46d8564
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


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