<江戸時代にタイムスリップしたような茂田井の街並み>
[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第8回);第3日目(2);茂田井間ノ宿
(五十三次洛遊会)
2010年6月12日(土)〜14日(月)
※本稿の初出は2010年7月20日である.
初稿の地図の差し替え,本文の加除修正を行った.
第3日目:6月15日(月) (つづき)
<ルート地図>
※再掲
<茂田井間ノ宿に到着>
■江戸道と明治道
にごり池脇の緩やかな下り坂を歩き続ける.
10時02分,にごり池畔で茂田井入口交差点を渡る.ここで,左手の道を辿ると明治道,右手は江戸時代の中山道である.私たちは江戸時代の中山道を辿る.交差点には「中山道茂田井入口」と書いた立看板が立っている.この立看板には,次のような記事が書かれている.
「東の望月宿と西の芦田宿の間にある旧村で,現在は間ノ宿とも呼ばれる.ここは茂田井への入口で,坂を下りはじめると,江戸時代の面影が残る民家や造り酒屋が軒を連ねている.
寛保2年の大洪水で望月新町が道ごと流されたり,本町も大きな被害を受けたため,茂田井村を望月宿の加宿にしようと江戸幕府に願い出たが却下された経緯がある.元治元年11月19日,天狗党水戸浪士の中山道通過に際しては,茂田井村が小諸藩兵士400人程の宿となっている.
また文久元年11月7日には,徳川14代将軍家茂に,公武合体の犠牲となって降嫁される孝明天皇の妹和宮の大行列が茂田井をつうかするなど大きなできごとがあった.
一里塚は,瓜生坂を上りきった左右に位置しているが,現在は痕跡がみられるだけである.」
資料1には,茂田井は「良質な米と清冽な水に恵まれ信州でも有数な酒所」と紹介されている.
■茂田井のマンホール
10時08分,神明社に到着する.足許には,茂田井独特のマンホールの蓋がある.このデザインが面白いので,思わずデジカメに収める.
<茂田井のマンホール>
■神明社
神明社は進行方向右手の10数段ほどの石段を登ったところに本殿がある.
境内にある案内板によると,「神明社の祭神は天照大神,雨乞いの霊験として崇拝されている.宝永6年(1709年),茂田井村初代名主となった大沢茂右衛門が願主となり建立された」という.
境内で2分ほど立ち休憩を取る.
<神明社の参道> <神明社の本殿>
<茂田井間ノ宿>
■茂田井間ノ宿の概要
資料2によると,茂田井宿の概要は,以下の通りである.
「茂田井宿; 長野県佐久市,中山道の望月宿と芦田宿の間にある間の宿である.今でも国道より外れて古い土蔵などがならぶ昔の面影が色濃く残る宿場である.武重本家酒造と大澤酒造という二つの蔵元がある.大澤酒造は茂田井村の名主を代々勤めた家柄で,1689年(元禄2年)より酒造を始めた.しなの山林美術館(大澤邦雄、神津港人の絵画を展示),民俗資料館(小諸藩より拝領した甲冑などを展示)を併設している.武重本家酒造の裏に映画「たそがれ清兵衛」のオープンセットが作られ,撮影が行われた.」
<茂田井間ノ宿の地図>
■武重酒造
10時13分,武重酒造を見学する.立派な門構えの建物が建っている.敷地内の入るのは憚られるので,門の外から,敷地内をそっと拝見する.
武重酒造は,資料1によると「1670年(元禄2年)創業,地酒大吉野の蔵元」のようである(詳細は資料3参照).
<武重酒造>
■若山牧水歌碑
武重酒造から坂道を少し登った反対側,つまり進行方向右手に,若山牧水歌碑がある.大きな石に3枚のプレートが填め込んである.それぞれのプレートには若山牧水の歌が刻まれている.
資料4によると,3首の歌は,以下の通りである.
“よき酒とひとのいふなる御園竹われもけふ飲みつよしと思へり”
“しらたまの歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかに飲むべかりけり”
“ひとの世にたのしみ多し然れども酒なしにしてなにの楽しみ”
資料4によと,「若山牧水が大の酒好きで1日1升程度の酒を呑んでいた.1922年(大正11年),牧水は佐久地方に逗留した際に,此処の酒を愛飲した」ようである.
<若山牧水の歌碑>
■江戸情緒豊かな聚落
なだらかな登り坂が続く.側溝には豊かな水が流れている.狭い道路の両側には白壁の立派な家並みが続いている.私たち以外に全く人気がない.まるで映画のセットの中を歩いているような気分になる.
<白壁が見事な集落>
■大沢酒造資料館
10時16分,大沢酒造資料館に到着する.大きな門構えの建物である.敷地内に全く人気がない.入口の門から中を覗くが,そのまま通過する.
大沢酒造のホームページ(資料5)によると,「元禄二年(1688)年創業.銘柄は“明鏡止水”.善光寺秘蔵酒の銘は,善光寺御貫主の宿をつとめた御縁より命名された.仕込み水は蓼科山伏流水」だという.
<大沢酒造>
■下組高札場跡
10時17分,高札場跡に到着する.
土塀に案内板が取り付けられている.この案内板の説明文は以下の通りである.
「江戸時代,庶民に法令を徹底させるため,ここに高札を掲げた.高札場は名主宅前に設けられることが多い.
大沢家は元文2年(1737年)より明治4年(1871年)に至るまで茂田井村名主を勤め,元治元年(1864年)11月19日,水戸浪士(天狗党)中山道通過の際,それを追って来た小諸藩兵士の本陣となった.」
<高札場跡>
■馬頭観世音
10時23分,馬頭観世音を通過する.大きな石塔である.
<馬頭観世音>
■無量寺
明治道を進むと,丁度この辺りに無量寺がある. 私1人の旅ならば,少々,道から離れて見学するところだが,同行の一部の方々に疲労の色が見えるので割愛する.
資料6によると,この寺の由来は以下の通りである.
「無量寺は,天台宗比叡山(ひえいざん)延暦寺(えんりゃくじ)の末寺(まつじ)で,本尊は薬師如来(やくしにょらい)とされ来迎山無量寺という.この寺は長保(ちょうほ)五年(1003)三月創立といわれる.開山は僧恵心院源信(そうえしんいんげんしん)とされているが,中期に兵火を被(こうむ)り,かつて茂田井(もたい)南側にあったものを現在の地に移したといわれる.兵火に遭(あ)う前の無量寺は正林寺白山(しょうりんじはくさん)堂の仏閣があったことから旧地を現在大字無量寺とよんでいる付近には正林寺・白山堂・五輪沢(ごりんざわ)・五輪窪・大門(だいもん)脇・塔婆(とうば)等の地名が残っている.」
<無量寺の案内板>
■上組高札場跡
10時26分,上組高札場跡に到着する.案内板によると「茂田井宿は戸数が多く,上組,下組の2人の名主がいた時代があり,ここ上組の名主宅前に上組高札場があった」.
<高札場跡>
■石割坂
10時28分,石割坂の案内板に到着する.ここには,「石割坂 勾配がきつく大きな石があり交通に不便だったが,その石を割り中山道を開通させたので石割坂と呼ばれている」と書いてある.
<登ってきた石割坂を振り返る>
■茂田井の一里塚跡
10時29分,茂田井の一里塚跡を通過する.傍らに一里塚の詳細な説明文が掲示されている.江戸日本橋から46里目の一里塚である.
<一里塚跡>
■木神と茂田井間ノ宿を通過
10時30分,進行方向右手土手の草むらに「木神」という刻字のある石塔が立っている.この石塔の由来は全く分からない.
あるいは「水神」と書いてあるのだろうか? 水神なら“なるほど”と分かるような気がするが.どうも「木神」と読む方が妥当のように思えるが,さてどっちだろう,
10時34分,中山道茂田井間ノ宿入口の案内柱に到着する.
バス停茂田井上で,明治道と合流する.
<「木神」それとも「水神」> <茂田井間ノ宿入口>
<茂田井から芦田へ>
■長閑な田園風景
茂田井間の宿を抜けると,長閑な田園風景が広がる.東の方にうねうねと続く山並みが連なっている.
私たちは茂田井間の宿を抜けて,次の芦田宿に向かって歩き続ける.
<長閑な田園風景>
■レストラン笠取で休憩
10時35分,レストラン笠取に到着する.残念ながら,営業はしていない.私たちはレストラン前の広場で,暫く立ち休憩を取る.
<レストラン笠取>
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%9B%E4%BF%9D%E4%BA%8C%E5%B9%B4%E6%B1%9F%E6%88%B8%E6%B4%AA%E6%B0%B4
資料6:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9B%E6%9C%88%E5%AE%BF
(つづく)
[加除修正]
2013/7/24 地図の差替え.誤字脱字転換ミスの修正,加除訂正, 推敲を行った.
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/154ee89453f6109510d7eecf4e22f995
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6dd89cc3a1a5063dbcce4b6dd78a6674
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
※記事の正確さは全く保証しません.
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歩いて巡る中山道六十九宿(第8回);第3日目(2);茂田井間ノ宿
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