<野趣溢れる中山道:望月宿郊外>
[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第8回);第3日目(1);望月宿から歩き出す
(五十三次洛遊会)
2010年6月12日(土)〜14日(月)
※本稿の初出は2010年7月19日である.
初稿の地図を差し替え,本文を加除修正した・
第3日目:2010年6月15日(月)
<ルート地図>
■第3日目のルート地図
第3日目の歩行概要は以下の通りである.
水平歩行距離 11.4km
累積登攀高度 366m
累積下降高度 361m
■ルート地図(茂田井)
<佐久平から望月宿へ>
■ホテルの朝食
朝早くから目が覚めてしまう.無理矢理,目を瞑るが,ほんの数分ウトウトするだけで目が覚めてしまう.堪らず,5時30分に起床.
昨夜,一晩中降っていた雨も何時の間にか止んでいる.テレビを観ながら,朝食の時間を待つ.
7時少し前に,ロビーまで下りる.すでに宿泊客向けの朝食のサービスが始まっている.ホテルの女性スタッフが甲斐甲斐しくオニギリを作っている.デジカメを持参するのを忘れたので,朝食の写真はないが,小さなお盆にお皿,味噌汁,お茶が乗っている.
オニギリは海苔巻き.炊きたてのご飯をオムスビの型に入れて作る.そのオムスビにノリを巻き付ける.出来た順に客に提供する.仲間の誰かが,
「・・オニギリ,普通は2個取るけど,3個欲しいな,でも3個は,一寸遠慮してしまうな・・」
と独り言を言っている.
件(くだん)のオニギリは,やや小さめ.私は迷わず3個頂戴する.
ロビー備え付けの腰高の円テーブルに座って,ソソクサと朝食を済ませる.
<ホテルの部屋から佐久平を望む>
■佐久平駅前バス停
8時25分,ロビーに集合する.そして,JR佐久平駅前のバス乗り場に移動する.
望月行のバス乗り場で並んでいると,小太りの男性が私たちの何かと話しかけてくる.私たちをやや見下すような態度を示す.不愉快.
やがて,望月行のバスが到着する.この男性,列を無視するように真っ先にバスに乗り込む.「郷に入っては郷に従え」っていう訳か.でも,私もここから近い小諸出身である.何となくハズカシイ気分になる.バスの乗客は,私たちを除くとほんの2〜3人.普段はそれほど沢山の乗客は居ないようである.
<望月行きバス停>
<野趣豊かな野道を歩く>
■馬頭観音
バスは,昨夜通った道を順調に走る.そして,9時21分に望月バスセンターに到着する.
望月宿の見所は,昨日のバスの待ち時間に,一人歩きの間に,大体,全部,見終えている.ただ一つ心残りは望月城趾を見ていないことである.でも,まあ,今回は中山道中宿場巡りが主目的なので,これも致し方ないことである.
身支度を調えてから,9時27分に望月バスセンターから歩き出す.
宿内の見所はすべて素通りする.歩き出して直ぐに,大伴神社を通過して,その先の鞍部に到着する.ここから上り坂に差し掛かる.
「私は,昨日,この先の馬頭観音を見ていますが,どこにあるか分かりますか・・?」
と一同に伺う.さすがにIさんは,すぐに馬頭観音の在処を見つける.大多数の方は無反応.
まるで他人の家の庭先に入り込むような感じで,坂道を右折する.そして綺麗に手入れがされている馬頭観音を見ながら,曲がりくねった聚落の中の道を抜け,再び今の中山道に合流する.
<馬頭観音>
■野趣豊かな道に入る
辺りは高台になっている.なだらかな上り勾配の道が続く.
途中から,左折してガードレールのある細い急坂の道に入る.直ぐに気持ちよい高台の道になる.地図を見ると,直ぐ近くに老人ホームがあるはずだが,どこが老人ホームなのか余りよく分からないまま通過してしまう.
<中山道の旧道に入る>
■寒念仏供養塔
9時47分,進行方向右手にある寒念仏供養塔に到着する.草深い土手に寒念仏供養塔が立っている.資料4によると,この供養塔は延享年間(1744〜1748年)に作られたものらしい.帰宅後,ホームページなど調べたが,これ以上詳しい説明は,今のところ見当たらない.
さらに,寒念仏とは何かを知りたいが,まだ良く分からない.
<寒念仏供養塔>
■右御巡礼道
9時48分,国道142号線の地下道を潜って,国道の反対側に渡る.道路は緩い登り坂である.坂の途中で,進行方向左手に,広い本牧小学校跡地が広がっている.跡地は高台にあるので,中の様子は分からない.
9時54分,本牧小学校跡地と道を挟んで反対側に,意味ありげな石塔が立っている.
手許にある資に掲載されている写真では,この石塔が黄色い野花に囲まれて立っているが,今はすっかり整備された空き地に立っている.
でも,石塔の格好から,この石塔が右巡礼道と書かれた昔の案内標に違いない.
この石塔に続いて,沢山の石で囲われた庭のような畑のような台地が続いている.どなたかの私有地だろう.
<右巡礼道>
■峠の武重歯科医院
9時57分,左手に武重歯科医院の広い敷地が広がる.こんな辺鄙なところに歯科医とは,ちょっと意外な感じがする.
この辺りが峠になっているようである.ここから先は,なだらかな下り坂になる.
<武重歯科医院>
■にごり池
10時丁度,進行方向右手に,木の枝の間から,大きな池が見え始める,「にごり池」という名前の溜池である.
もうすぐ,間の宿の茂田井宿に到着する予定である.
<にごり池>
[補足記事]:望月城趾
今回,見学できなかった望月城趾について資料5 に,次のような記事が記載されている.機会があったら,是非,訪れてみたいと思っている.
「戦国時代,信濃国の佐久郡望月地方の豪族望月氏の山城だった.城主郭部の標高は780メートル,市街地の標高が670メートル程度であるため,比高は110メートルほど.主郭部の東側は浅い谷津であり,比高は30メートル程度に過ぎない.城主郭部(山頂)から南西2キロメートルほどの広さに,主郭から三の郭までが構築され,南方の支城には五の郭までは確認できている.雄大にして堅固な山城で,腰曲輪や帯曲輪,空堀など整然と構築され,比較的保存状態も良い.」
<大伴神社から見える山が望月城趾である>
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9B%E6%9C%88%E5%9F%8E
(つづく)
[加除修正]
2013/7/23 地図の差替え新規挿入.誤字脱字転換ミスの修正,加除訂正, 推敲を行った.
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6dd89cc3a1a5063dbcce4b6dd78a6674
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5fa70eabad873523eac122b21df6deec
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
※記事の正確さは全く保証しません.
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