<寺分上陣出にある泣き塔>
紅葉の鎌倉;山崎・上町屋・深沢の社寺・遺構巡り
(足任せデタラメお散歩)
2015年11月22日(日) 曇
<散策地図>
←クリック拡大
<山崎から長島へ>
■鎌倉中央公園の紅葉
三連休の天気予報は,初日の土曜日は晴,2日目の日曜日は曇後雨,3日目は雨とのことだった.
”それでは…”
ということで,初日の土曜日は,久々に塔ノ岳詣でをした.
2日目の今日は日曜日.
天気予報が外れたのか,曇りがちながら,それほど天気は悪くない.
午前中はいろいろと課業をこなした.
…で,午後,12時39分,近くの鎌倉中央公園清水塚口から公園へ.紅葉の様子をちょっと見たかっただけ.だから.カメラと小銭だけしか持っていない.
曇り空ながら,日曜日なので,園内は子ども連れや年配者がかなり沢山散策を楽しんでいる.
紅葉の見頃は何時かなと思っている内に,もう落葉してしまった木々も結構多い.
<鎌倉中央公園の紅葉>
■宝積寺跡付近から小さな切通を登る
園内をブラブラしている内に山崎口から公園の外に出てしまう.こうなると,毎度のことながら,足任せのブラブラ歩きが始まってしまう.私の悪い癖である.ただ今回はポケットに小銭しか入っていないので,遠くへは行けない.
まずは山崎の住宅地内をブラブラ.三差路に突き当たって,成り行きで左折する.左折した理由は特にない.左右の足の運び具合から,たまたま右折したまでである.
12時31分,バス停山崎付近に到着する.この辺りは宝積寺跡である.
ここから,天神山の尾根越えをする小さな切通を登る.天神山の尾根(コル)に到着すると,その向こうに某電機メーカーの大きな工場が見下ろせる.ここは人工衛星の工場としても有名なところのようである.
尾根を越えて反対側に降りると,この工場に突き当たる.工場の敷地沿いの細い道を上町屋方面に向けて歩く.進行方向左手には,まだ紅葉の見頃には早いものの緑一杯の森と住宅が続く.
<宝積寺跡付近から小さな切通に入る> <切通山頂からの眺望>
■富士塚と長島ふな公園
工場の敷地沿いに進むと十字路に出る.左折すると湘南モノレール湘南町屋駅に向かう急坂になる.湘南町屋駅の先にある富士塚が大きく見えている.この富士塚も近々様子を見に行きたいなと思うが今日の所はパス.
私は頭の中で,
”鎌倉には富士塚が幾つあるんだろうか…”
という碌でもないことを気にし始める.六国見山に富士塚があるのは知っているが,その他に富士塚があるんだろうか.
十字路を直進して上町屋の集落に入る.上町屋は古くからある集落ということもあって,集落の中の路はかなり入り組んでいる.初めて来られた方には分かりにくいようである.
13時22分,上町屋の集落の北端にある長島ふな公園に到着する.ここも紅葉が美しいところだが,見頃はまだ先である.
<富士塚遠望> <長島ふな公園>
<上町屋の社寺>
■畠中の道
長島ふな公園を13時23分に歩き出す.
長島ふな公園のすぐ隣,山の根地区の農道を歩く.周囲は一面の畑である.畑の先の一段と高い所に泉光院の墓地が見えている.
<畠中の道を歩く>
■泉光院
13時26分,泉光院に到着する.
資料1(p.258)によると,真言宗の寺,山号は天守山.別名高音寺.大覚寺派.境内にある薬師堂,六地蔵,弘法大師立像,沢山の石仏石像などをユックリ拝観する.本堂は関東大震災で崩壊,第二次世界大戦後,本堂,薬師堂などが再建されたという.
”よおし…鎌倉にある全ての弘法大師像を写真に撮るぞ…”
と途方もないことを思いつく.
<泉光院山門> <泉光院本堂>
■上町屋天満宮
13時29分,上町屋天満宮に到着する.祭神は言うまでもなく菅原道真.
資料1(p.258)によると,「天慶(てんぎょう)年間(938~915念),平良文が天神を祀ったのがこの神社の始まり」だという.
平良文が出てくると藤沢との関係が出てくるので,藤沢鎌倉を跨ぐ散策コースを考えるときの参考になりそうである.
本殿と拝殿がある立派な神社である.右の写真でも解るように「拝殿の左右には木の祠が三つある.もともと泉光院がこの神社を管理していた」という.
天満宮に向かって左手の坂道を登ると青蓮寺の末寺,吉祥寺の跡だが,今は何も残っていない.資料1(p.259)によると,吉祥寺は泉光院に合併されたという.
<上町屋天満宮> <上町屋天満宮拝殿>
<寺分から深沢へ>
■深沢多目的スポーツ広場
上町屋天満宮に向かって右側の道を進むと,すぐにJR工場跡地に突き当たる.この跡地のフェンス沿いに深沢方面に歩く.
13時41分,かなり長い距離を歩いて,漸く深沢多目的スポーツ広場入口に到着する.
<JR工場跡地;左手に深沢多目的スポーツ広場がある>
■泣き塔
多目的広場入口から広場に入る.
入口から右手にある駐車場を抜けて,13時44分,泣き塔に到着する.泣き塔周辺はフェンスに囲まれていて中には入れないので,フェンス越しに泣き塔の写真を撮る.
JRが所有していた頃,許可を得て,泣き塔とヤグラの中に安置されている石塔群を拝観したことが何回かある.今は鎌倉市教育委員会文化財課から許可を受けないと見学できない.
資料1(p.265)によると,元弘3年(1333年),新田義貞鎌倉攻めのとき,州崎合戦における戦死者供養のために,23回忌の延文元年(1356年)に,この泣き塔が建立された.
泣き塔については,いろいろな話題があるが,私のブログの範囲外のこと.このブログでの関心は紅葉だけ.泣き塔の説明はこの程度に止める.
<州崎の泣き塔>
<深沢から大工谷へ>
■州崎古戦場と馬頭観音
13時49分,崎古戦場碑の近くを通過して,深沢の住宅地内の路地に入る.この碑は大正年間に鎌倉青年団が建立したものである.
州崎古戦場について一言だけ…ここは新田義貞と北条氏側の赤崎守時の古戦場跡である(詳しくは資料1.pp.265-266).
13時51分,路傍の馬頭観音と古い石塔の脇を通過する.石塔は風化していて,文字があるかどうかもわからない.いったいどんな方がどんな思いを込めて,何時頃祀ったものなのだろう.
<州崎古戦場碑の付近> <馬頭観音>
■大慶寺
13時53分,大慶寺に到着する.ここは関東十刹の一つ,臨済宗の寺.
茅葺きの山門と紅葉の風景を見たかったが,まだ少し時期が早そうである.
大慶寺については,このブログで度々搭乗しているので省略する(詳しくは資料1.p.266参照).
<大慶寺>
■東光寺
13時54分,駒形神社参道を通過する.
駒形神社を経由して,山道を通って寺分3丁目葺きに出ようかとも思ったが,何となく,山道を通る気がしない.
13時55分,東光寺に到着する.一寸早いが境内のイチョウが紅葉している.
東光寺の山号は天照山.真言宗.薬王院東光寺という(詳細は資料1.p.267).
<東光寺>
■紅葉の大工谷戸を見下ろす
14時丁度に深沢中学校正門前に到着する.この辺りは大工谷戸と呼ばれたところである.
ここから石段を登って,少し高い位置にある寺分3丁目に登る.振り返ると,見事な紅葉の見られる,
この辺りの紅葉が見頃を迎える頃,もう一度,この辺りを訪れて見たいと思って居る.
<寺分3丁目から大工谷戸方面を見下ろす>
<出発点の清水塚口へ>
■池ノ坂いちょう公園
緩やかな坂道を下る.進行方向左手の視界が開ける.大平山丸山住宅地の家屋がビッシリと建っているのが見える.
14時09分,同じく左手にある池ノ坂いちょう公園の脇を通過する.公園のイチョウが色付き始めている.
<池ノ坂kちょう公園>
■大平山公園
下り坂が終わると十字路になる.ここを右折する.今度は緩やかな登り坂になる.
14時11分,進行方向右手の大平山公園に到着する.ここの紅葉は,下の写真の通りである.
<大平山公園の紅葉>
■再び清水塚口へ
14時15分,出発点の鎌倉中央公園清水塚口へ戻る.こうして,私の成り行き任せのデタラメお散歩が終わる.
ちょっと,公園を散策するつもりが,結局は1時間45分ほど,あちこちを彷徨く結果となった.
“忙しい,忙しいと言いながら,お前さんは何をやっているんだ…”
と口やかましいもう一人の私が,私を責める.
<鎌倉中央公園清水塚口>
<ラップタイム>
12:30 鎌倉中央公園清水塚口から歩き出し
12:31 バス停山崎(宝積寺跡)
13:22 長島ふな公園
13:26 泉光院(13:28まで)
13:29 上町屋天満宮
13:41 深沢多目的スポーツ広場
13:43 泣き塔
13:49 州崎古戦場
13:51 馬頭観音
13:53 大慶寺
13:54 駒形神社参道
13:55 東光寺
14:00 深さ輪中学校(大工谷戸)
14:09 池ノ坂いちょう公園
14:11 大平山公園
14:15 鎌倉中央公園清水塚口着
[お散歩記録]
■水平歩行距離 5.0km
■累積登攀高度 85m
■累積下降高度 85m
■所要時間(休憩時間込み)
鎌倉中央公園清水塚口発 12:30
〃 着 14:15
(所要時間) 1時間45分(1.75h)
水平歩行速度 5.0km/1.75h=2.86km/h
[参考資料]
資料1;鎌倉市教育委員会,2009,『かまくら子ども風土記』鎌倉市教育センター
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/db04b2ffe0e20322a1f81cd3cca7990d
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)
↧
紅葉の鎌倉;山崎・上町屋・深沢の社寺・遺構巡り
↧