閑話休題;11月も中頃になると…どうする今年の年賀状
2015年11月20日(金) 曇
_例年,11月に入ると,年賀欠礼のハガキが,毎日,1枚,2枚…と届くようになる.
以前は,年賀欠礼の理由として,両親や年長の兄弟があの世に旅立ったというのが多かったが,最近は,高校時代の同窓生や同じ勤務先の知人が旅立ったというのが多くなっている.これもお互いに高齢になれば止むを得ないことだが,
“あいつも,旅立ったか…”
と思うと,何ともやるせない気分になってくる.だから,例年,この時期になると郵便受けを覗くのが怖い.
“また年賀欠礼か.今度は誰だ…”
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以前,ブログにちょっと書いたことがあるが,私の中学・高校時代の同級生の3分の1強の人達が,すでに川向こうに旅立っている.その中には文字通り“竹馬の友”も沢山居る.
例年,年が押し迫る頃になると,川向こうに住む友人から,
“早く,こっちへ,お出でよ…寂しいから…”
と執拗にお誘いがある.
今年も,何人かが川向こうへ行ってしまったので,手招きに加勢する人数がさらに増えている.
私は,
“…ちょっと待ってよ…まだ,そっちへは行けないよ…まだまだこっちで頑張るよ…”
と丁重にお断りする.
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我が家では,子供達もとっくに我が家を巣立ってしまった.
今はモヌケノカラみたいな古屋に,夫婦2人だけで生活している.
昼間はそれぞれ勝手なことをしているが,朝食と夕食だけは,できるだけ毎日一緒に食べるようにしている.
この頃,食事中に交わす会話は,言わずと知れた“あっちが痛い,こっちが痛い”,“あそこの整形外科がよさそうだ…”,こんな会話が実に多くなってきた.
それでも,私は,まだまだ橋を渡って川向こうい行く気などさらさらない.
折から今はサザンカ梅雨である.雨がジャンジャン降って,件の川が大洪水になればいいなと思っている.大洪水になって橋が流されれば,さすがの閻魔様もジタンダ踏んで悔しがるだろうな.
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さて,そうは言っても,そろそろ年賀状の準備をしなければならない.
サラリーマンを辞めたときから,今年こそ最後の年賀状のやり取りにしようと思いながら,優柔不断な私は,ずるずると20年以上も年賀状のやり取りを続けている.そして,来年も…多分,年賀状を出す事になるだろう.
年を取ってから,ウン百枚の年賀状を出すのは,正直,シンドイ.毎年,差し出す年賀状を少しずつ減らしてはいるものの,まだまだ義理年賀状,惰性年賀状が多い.そこで,私は,年賀状の宛先を次の5段階に区分してみた.
① 故郷の親族・親類.
② 幼なじみや中学・高校・大学の友人.
③ 勤務先や同じ地域でごく親しくしている方々.教え子など.
④ 山,街道歩き,絵などの趣味でお付き合いしている方々.
⑤ 義理や惰性で年賀状交わしている方々.
このように分類してみると,④と⑤に属する方々との年賀状の交換を止めれば,枚数は3分の1程度になる(もっとも若い皆様とはPCメールでのやりとりが多いが…)
“よし!…来年からはこれでいこう~…か?”
その代わりに,差し出す年賀状には,必ず一言,二言,手書きの文字を丁寧に書き添えることにしよう(下手くそだが…).
正直なところ,従来,④および⑤の方に差し出す大半の年賀状は,パソコンで印刷したままで,手書き文字は1字も書き添えていない.
さて,どうする!
翻って,自分が年賀状を頂戴したときは,正直,嬉しい.だから,そう簡単に年賀状を止めるわけにはいかないな…
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11月某日,お付き合いのあった方から,
「…今年末から,シンガポールに永住することに決めた.そのため年賀状のやり取りはヤメにします…」
という主旨のメールを受け取った.
”やるなあ…あなたは!”
私はこの方をとても羨ましく思う反面,オレには到底できない決断だなと感心する.
“住めば都”とは良く言ったものだ.
ただ単に勤務先の都合で,生活の場として選んだ鎌倉に,こんなに長く住み続けるとは…
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さて,そろそろ「筆まめ」使って,年賀状作成に取りかからなければ…
(おわり)
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