<山崎から入道雲を見上げる>
残暑厳しい鎌倉;低山歩き;十王堂裏山
(一人でお散歩)
2015年8月11日(火) 晴;猛暑
<ルート地図>
←クリック拡大
<涼しい(?)鎌倉中央公園>
■今日も蒸し暑い
「暑さ寒さは彼岸まで」と言われているが,猛暑の8月も,11日となると,さすがに早朝だけは幾分涼しくなったような気がする.でも,ちょっと涼しいかなと思ったのもほんのわずかな時間だけ.夜が明けて日が昇るにつれて,気温がグングンと上がってくる.今日もまたウンザリするほどの蒸し暑さである.
折からニュースで,高齢の三姉妹が熱中症で死亡したという哀れなニュースを聞かされる.どうやら,閉め切ったクーラーのない家の中で寝ていて熱中症になってしまったとのことである.私もこの三姉妹同様に,就寝中のクーラーがどうも苦手である.子供らは「他人事でないでしょう」と私を脅す.その通りである.ただ,ただ,ひたすらに蒸し暑い夏が早く終わらないかなと願っている.
例によって,早朝から午前中は,結構真面目に日課業務をこなす.クーラーを使わない部屋の中は結構蒸し暑いが,オンボロ扇風機を回して涼を取りながら.あれもこれもと思いつくまま,せっせと仕事をする.それには私以上に夏場に弱いパソコン様のご機嫌を取るためにELECOM製のPCクーラーをフル稼働させる.
こんなことを昼頃まで続けていると,今度は私の眼がチラチラしはじめる.もう限界!
私はパソコンの電源を切ってしまう.
…という訳で,本日の仕事の大半は午前中でオシマイである.
■まずは鎌倉中央公園へ
さすがの私も,連日の蒸し暑さで食欲減退である.
「暑いから,冷やしソーメンにしましょう…」
という同居人の提案に一も二もなく賛成.こんなに蒸し暑いときは栄養もヘッタクリもない.抵抗なく口に入れば上々である.
さて,午後からは,ここのところの定番である鎌倉低山歩きをしてこようと思う.
勿論,昨今テレビで盛んに進めているように,クーラーが適切に利いている室内でジッとして居るのが熱中症予防には一番良いというのも充分に分かる.でも,言い訳がましいが,涼しいことから,日中のお散歩をずっと続けていると,暑くなっても身体がその変化に馴れてくる.勿論,日中散歩すれば暑いに決まっているが,正直なところ,その蒸し暑さも決してイヤではなく,心地よさすら感じている.そんなことを言っても,涼しいに越したことはないが…
そんな私のことを,娘達は,
「…年を取ると,暑いのも分からなくなるし,喉が渇いたのも分からなくなるんですよ…気を付けなければダメ!」
と窘める.この忠告は尤もだと私も思って居る.
そうは言っても,終日家の中でゴロゴロでは,身体が鈍って,ナマコ状態になってしまう.そこで最近実施中なのが鎌倉低山登りである.
「さて,今日はどこ山へ登ろうか…」
午後家を出た私は,家の前で,いきなり,右へ行くか,左へ行くか,でいきなり迷う.
「まあ,とにかく鎌倉中央公園寺分口を出発点にしよう」
ということで,まずは寺分口に向かう.
公園の木陰に入ると,涼しい風が吹いている.実に気持ちが良い.
「涼しいな…いったい気温は何度ぐらいだろう?」
ということで,携帯電話を取り出して,気温を測る.
”ナ,ナント,34.0℃…!”
これには私もビックリ.いくらそよ風が吹いているとはいえ,34℃の気温が涼しいと感じるおは!
ちなみに,この温度計に表示されている浜の1975年と2000年の同日同時刻の最高気温は,それぞれ27℃と,32℃である.鎌倉は浜より気温が若干低いはずである.そんな数値を見ると,今年が如何にベラボーに暑いかが良く分かる.
公園の樹木の向こうに,今日ももくもくと入道雲が立ち上っている.あの雲の下は多分東京のどこかだろう.
<涼しいと思ったのに34℃もある> <東京の空に今日も入道雲が立ち上る>
<十王堂跡裏山>
■十王堂跡裏山の登山口
山崎口から公園の外へ出る.山崎の集落を歩きながら,
”もうすぐ三差路だ.右へ行くか,それとも左か…”
と迷うが,前回ここを右折したという理由だけで今日は左折する.
”そうだ! 今日は十王堂跡の裏山(以下,裏山と略す)へ登ろう…”
と閃く.
これで今日の低山歩きは行くところが決まった.
山崎の集落からも相変わらず入道雲が見えている.
14時02分,山崎集会場脇の裏山登口に到着する.現在,山崎集会場が建っている場所に,以前,十王堂があったという(『かまくら子ども風土記』p.255).江戸時代には地蔵と十王像が安置されていたが,十王像は,現在,昌清院に移されている.
<裏山への登山口> <尾根に広がる墓地>
■坊主墓と地蔵
数十段の階段を登ると見晴の良い尾根に到着する.尾根には広々とした墓地がある.墓地を尾根沿いに奥へ進むと,十王堂を開山した興宗鏡考(宝暦7年,1767年歿)の墓があるという(前掲書,p.355).
墓地の中央に「墓地売り出し中」の広告が立っている.
”ここの墓地は,我が家に近くて良いな…”
とフト思う.
なるほど,墓地の一番奥に坊主墓と思われる石塔が幾つも並んでいるが,どの石塔が興宗鏡考の墓か,素人の私には分からない.まあいいやで,姿と形の良い坊主墓を写真に収める.
石塔群のすぐ手前で石塔群に向かって右手奥に,地蔵が鎮座している.小振りながら立派なお社の中に鎮座している.この地蔵の由来などは手許の資料だけでは良く分からない.
<坊主墓> <地蔵堂>
■裏山山頂
墓地の突き当たりから少し先に裏山の山頂が見えているが,墓地から山頂に向かう道がちょっと見当たらない.
もちろん,草むらを横切って先へ進めば山頂付近まで行けないこともないが,ここから先は多分私有地であろう.私有地に入るのは良くないので,この場所に到着したことで,山頂まで行ったことにしよう.これで十分だ.
<裏山の山頂>
<裏山山頂からの眺望>
■水道山
裏山からの眺望は素晴らしい.
西には,先日登ったばかりの水道山が見えている.山頂付近まで家が建ち並んでいるのが水道屋まである.
<水道山遠望>
■天神山と無我相山(観音山)
尾根筋から真っ直ぐ前(西)を見ると,天神山が聳えている.天神山の手前には湘南モノレールの線路が真横に続いているのが見える.ときどきモノレールが通過するのが見える.
天神山の山麓には宝積寺跡が,また山頂には北野神社がある.
天神山の右手奥に見えているのが無我相山(観音山)である.大船観音が立っている山である.
<天神山と無我相山>
■もろん台
北の方向に見えるのが「もろん台」辺り(と思われる).
前掲書(p.256)によると,「室の台」あるいは「ものみ台」ととも呼ばれ,京都の「室の台」を真似たという説と,天神山の山城の物見台が語源だという説があるようだ.
正面に大きな集合住宅が見えている.この住宅ができる前には,ここにちょっとした工場があった.この工場の敷地辺りに,もともと小さな丘があったが,戦時中に切り崩されてしまったという.この丘が「もろん台」だったようである.
そういえば,私が鎌倉に引っ越した頃…もうかれこれ40~50年前になるかな,確かにここに化学工場があって,臭い匂いがしていたのを覚えている.
<もろん台を望む>
<大船へ>
■蒸し暑い道を大船へ
裏山から一旦下山する.そして往路を戻って,薬師堂跡から水道山山麓を通って,大船へ向かう.
大船では同居人から依頼された食料品の調達と,プリンター用のインクを購入する積もりである.
相変わらず蒸し暑いが,通いなれた道である.
蒸し暑いながらも,その中を淡々と歩くのも,これまた結構良いものである.
ただ,どこからともなく,
「…年を取ると,暑さを感じるのが鈍感になるし,喉が渇いているのが分からなくなるんですよ…暑い最中に出歩いたらダメですよ…冷房が利いた部屋でジッとして居なさいよ…」
と娘が私を叱咤する声が聞こえてくるような気がする.
いやはや,ご尤も!
分かっちゃいるけど止められない.
■帰路は路線バスで…
買い物などを済ませてから,帰路は温和しく,路線バスを利用する.バスに乗車するとあまりに涼しい(寒い)のに,ビックリする.
”なんで,こんなに冷やすの…”
と半ば憤慨して,携帯電話の温度計でバス車内の温度を測ると28℃.ちょうど快適なはずの温度である.
このところの猛暑続きで,私の温度感覚が確かに狂っちゃったようである.
桑原,桑原…
早く秋になってくれ.
<ラップタイム>
13:40 鎌倉中央公園清水塚口発
14:02 裏山登口
14:05 裏山山頂着
14:10 〃 発
14:13 薬師堂跡
14:35 大船駅
[散策記録]
■水平歩行距離 3.4km
■累積登攀高度 38m
■累積下降高度 34m
■所要時間 (休憩時間を含む)
鎌倉中央公園清水塚口発 13:40 :
大船駅着 14:35
(所要時間) 55分(0.92h)
水平歩行速度 3.4km/0.92h=3.69km/h
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8bdecddb1da2aa2121b1bbbf175d9606
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)
↧
残暑厳しい鎌倉;低山歩き;十王堂裏山
↧