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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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善光寺西街道;第3回;第3日目(1);川中島駅から丹波島宿へ

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    善光寺西街道;第3回;第3日目(1);川中島駅から丹波島宿へ
                ※正確には善光寺街道
            (五十三次洛遊会)
       2015年6月26日(金)~28日(日)   

前回の記事
  ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/e873606b8694c0d78c10efef80720b9a

第3日目;2015年6月28日(土)  晴

<ルート地図>

■3日目全体図

←クリック拡大

■丹波島宿

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<チサングランド長野の朝>

■夜中に目が覚める
 夜中に目が覚める.まだ12時だ.軽い睡眠障害かな?
 いくら何でも,起床するには早すぎるので,そのままベッドの中でジッとしている.その内に,眠っているような目覚めているような曖昧な時間が何となく過ぎていく.妙な夢を見たような見ないような…
 そうこうしている内に,4時になる.
 ”もう起床しても良いだろう…”
ということで,ベッドから起き上がる.
 1人部屋の気安さから,テレビを点ける.ちょうどルポものの「イグアスの滝」を上映中である.息を呑むような素晴らしい風景に,思わず引き込まれてしまう.
 朝食は7時からなので,まだまだ時間がありすぎる.自宅に居るときは,この時間にはPCに電源を入れて,ごそごそと作業をしているが,今朝はPCがないので,手持ち無沙汰である.そうなると,やっぱりベッドに潜り込んだり,起き出したりを繰り返す.
 それでも時間を持て余してしまうので,行動中の食料として昨夜コンビニで購入したバナナ1本とヨーグルトを食べてしまう.内心では,こういうことをしているから体重が増えるんだと後悔しながらである.
 6時からテレビの「時事放談」を聞く.
 6時45分,まだ朝食には少し早い時間だが,道草をしながら12階の食堂に向かうことにする.
 部屋から廊下に出る.廊下の突き当たりの窓から外を眺める.天気予報では,今日一日雨の筈だったが,天気予報が大はずれで,雲が多いものの朝から青空が顔を覗かせている.どうやら私達のグループに晴女か晴男が居られるようだ.その方に感謝しなければ… 

<ホテル7階廊下の窓からの風景>

■バイキング形式の朝食
 窓から写真を撮っていると,どなかかが私に,
 「おはよう…」
と声を掛けてくる.アンパンマンのHTさんである.
 「まだ少し早いけど,食堂へ行きましょう…」
と私を促す.
 6時45分,12階の食堂へ行く.もう2~3人の先客が居る.係員が私達を愛想良く出迎える.今日もバイキング形式の朝食である.
 私の朝食は,下の写真の通りである.性根が卑しいのか,やっぱり,今朝も食べ過ぎのようである.
 ゆっくりと朝食を終えて,7時20分に一旦自室に戻る.

<私の朝食>

<篠ノ井線で川中島駅へ>

■ホテルから長野駅へ
 7時38分,自室を明け払って1階ロビーへ降りる.
 全員が揃った頃を見計らって,長野駅へ向かう.長野滞在2日目ともなれば,長野駅への道もすっかり馴れているので,迷うこともなく7時49分に長野駅に到着する.
 乗車する列車は,昨日と同じ8時18分発甲府行普通列車である.
 
<ホテル自室から長野駅方面を望む>                 <長野駅にて>

■川中島駅到着
 車内は結構混雑している.立ちん坊の人もあちこちに居る.結構,若い人も乗車している.車内の雰囲気は,東京都内の電車と殆ど変わらない.ただ,連結されている車両の数が少ないだけの違いである.この様子を眺めながら,
 ”今の地元の方は,私達の世代のように東京への憧れは持っていないんだろうな…”
と勝手に想像する.
 電車は,8時25分,川中島駅に到着する.川中島駅には私たち以外に誰も居ない.ひっそりと静まり返っている.
 駅前広場の片隅で,私が音頭を取って,ウォームアップストレッチを行う.
 
<篠ノ井線の電車の中>                          <川中島駅に到着>

<旧上氷鉋村を歩く>

■川中島駅前から歩き出す
 8時29分,川中島駅前から歩き出す.
 今日も朝からかんかん照りである.どうやら今日も蒸し暑い中のウォーキングになりそうである.
 まずは,駅前通を東へ向けて歩き出す.そして,8時38分,本日の起点,信号川中島駅前に到着する.信号を左折して善光寺街道に入る.

<川中島駅前でミーティング>

■伊勢社
 8時51分,伊勢社に到着する.伊勢社の由来などは手許の資料では不明.
 緑陰豊かな境内は静かで涼しい.ここで神社のお参りを兼ねて,木陰で一休みする.
  
<伊勢社n石柱>                             <伊勢社本殿>

■共同井戸
 8時58分,共同井戸に到着する.
 案内板の記事によると,明治10年代(1877年代),新田組23戸の共同井戸として掘削された井戸で,昭和30年(1955年)に県営上水道が設置されるまで使用されていたという.
 現在も維持管理がされているとのこと.

<共同井戸> 

■ローソンと珍妙な石像
 9時03分,ローソンに到着.ここで水分補給のため立ち休憩をとる.9時05分再び歩き出す.
 ローソンの直ぐ側に,珍妙な石像(くまのプーさんかな?)とピカチュウらしき置物が置いてある.何だか良く分からないが,面白そうなので写真を撮る.
 
<ローソン>                               <珍妙な置物>

<いよいよ丹波島宿>

■丹波宿の遺産マップ

※街角の案内板を撮影

■観音堂(浄生庵)
 9時13分,浄生庵に到着する.立派な建物.
 傍らの案内板の記事によると以下の通り.
 「元禄年間,仏門に帰依した問屋柳島市郎左右衞門寛休むによって建立された.本尊は観音菩薩だが地蔵菩薩も併尊されている.この地蔵菩薩はは享保七年(1722年)縁あって丹波島宿に安住することになったと伝えられる.
 洞内には念仏行者徳本上人の名号碑と休の経がある.平成4年丹生寺の改築に合わせて改築された.
 明治より昭和40年代まで庵主がおり,浄生庵と呼ばれていた.」

<観音堂>

<於佐加神社>

■深い木立の境内で一休み
 9時15分,信号丹波島で右折する.
 信号近くにある於佐加神社の木陰で一休みする.
 案内板の記事によると,「この神社は丹波島宿の産土神である.祭神は健御名方神,八坂斗売神.明治時代から於佐加神社と呼ばれるようになった.
 北国街道丹波宿開設に合わせて諏訪河原の地から,漢文2年(1662年),現在地の祀られ,明和元年(1764年)遷宮された.明治6年に村社となり,拝殿は明治22年に落慶している.
 境内には秋葉社,弥栄社,三峰社,天満社,金比羅社,住吉社,新津権現,道祖神,庚申塔の9社がある.他には筆塚2基などもある.丹波宿由来碑は平成13年に建立した.」

<於佐加神社に到着>

■本殿と秋葉社
 大きな木立に囲まれた本殿で参拝後,緑陰で少し長めの休憩を取る.木陰は随分と涼しいので大助かりである.
  境内の一角に秋葉社がある.ここの秋葉社も大きな石の上に祀られている.昨日も石の上に祀られた秋葉社があった.秋葉社を石の上に祀るのは,この地方だけのことだろうか? 
 
<本殿>                                     <秋葉社>

<「飾り瓦」がある宿場>

■鍾馗さんの飾り瓦
 9時20分,休憩を終えて於佐加神社から歩き出す.
 歩き出してすぐの所に,「鍾馗さんの飾り瓦」という案内板が立っている.案内板の記事によると,「宿場に入ってくる邪気を追い払うために,街道の入口や脇道からの突き当たりの家の屋根の上に飾り瓦が鎮座」しているとのこと.

<飾り瓦の案内板>

■飾り瓦の分布図
 案内板の側に飾り瓦の分布図が掲示されている.
 この分布図を見ると,先ほど通過した信号丹波島の右折地点にも飾られていたようである.私達はそんなこととはつゆ知らずに,何の躊躇いもなく通過してしまった.
 これから歩くルートにも,まだ飾り瓦があるようなので,是非,一ヶ所だけでも写真に収めたいなと思う.

<飾り瓦の分布図>

■一直線の街道
 丹波島宿は歩くのが嫌になるほど一直線の街並みが続く.
 上から太陽がジリジリと照りつけるので,とても蒸し暑い.下の写真でも想像が付くように,自動車も人も殆ど通らない道を,トボトボと歩き続ける.
 渡しは内心で,
 ”あ~ぁ…,シンドイな…”
と悲鳴を上げている.

<何処までも続く一本道の街道>

■屋号が取り付けられている
 長くて辛い一本道を退屈させないのが,沿道各戸に取り付けられている「屋号」である.
 私達は,屋号を眺めながら,また,例の飾り瓦がどこにあるかに注意しながら,一本道を歩き続ける.
 
<屋号の例>

<丹波島宿の核心部>

■高札場跡
 9時24分,高札場跡に到着する.いよいよ,丹波宿の核心部に入る.
 高札場跡の傍らに立つ案内板には,丹波島宿が幕府と松代藩の二重支配下にあって,松代藩内には41ヶ所の主要な高札場があったと書いてある.明治5年に撤去.その後,平成23年,北国街道丹波宿開設400年を記念して,当時の場所に復元したという.

<高札場跡>

■問屋兼脇本陣柳島家
 9時26分,問屋跡に到着する.
 案内板の説明によると,この問屋は柳島家が慶長16年(1611年)に丹波宿が開設されて以来260年間運営していた.建物は江戸中期に立てられたもので,脇本陣を兼ねた造りになっていた.冠木門は松代藩廃止後払い下げを受け移築したものだという.
 門の脇に明治天皇北国巡幸の時の御膳水記念碑が立っている.

<問屋跡>

■本陣柳島家
 つづいて丹波島宿本陣柳島家を訪れる.
 門の側にある案内板の記事によると,「柳島家は近江の国で武田信玄の家来として松代に入封し,川中島の戦いののち,めまぐるしく代わる松代城主のときは物見役を務めていた.
 柳島家三代目柳島太郎左衛門政雄が,慶長15年,松代城主松平忠輝の補佐役大久保長安に命ぜられ,北国街道丹波島宿開設と本陣を務めた.当時,200石の知行を受け,間口・奥行60間の敷地を与えられた.
 敷地には明治天皇巡幸御小休の石碑と明治神宮宮司有馬良橘筆の「明治天皇註輦の跡」石碑がある」という.

<本陣跡>

■やっと見付けた「飾り瓦」
 9時32分,真っ直ぐに長い街道が突き当たって左折する.その曲がり角の家の屋根に「鍾馗さんの飾り瓦」があるのをやっと見付ける.
 「これ,これ,…これだ!」
ということで,一同立ち止まって飾り瓦の写真を撮る.
 大屋根の下の軒のような所に件(くだん)の飾り瓦が確かに取り付けられている.

<鍾馗さんの飾り瓦>                                               ↓ 拡大

<鍾馗さまの飾り瓦>

<犀川の渡し>

■丹波島の渡し碑
 飾り瓦の家の前で街道は直角に左に曲がる.そのまま進むと,犀川の堤防に突き当たる.右に曲がりながら,道は堤防の上に繋がる.
 9時39分,堤防に上がったところに「丹波島の渡し」という巨大なモニュメントが立っている.
 堤防に登った途端に犀川流域の視界が”パッ”と広がる.
 資料1によると,犀川は急流のため,両岸から大綱を張り渡し,これを手繰りながらの舟渡しだったようである.領民は運賃無料,松代藩が渡し船の管理していたようである.
 このモニュメントには小林一茶と十返舎一九の次の歌が刻まれている.
 ”まっすぐに かすみたもうや 善光寺”  小林一茶
 ”大江山 ならねと酒の 鬼ごろし 売る家もある 丹波島かな”  十返舎一九

<犀川の渡しのモニュメント>

■堤防上の眺望を堪能
 堤防上は犀川の左岸沿いの自動車道路になっている.何処の山か分からないが,残雪のある高い山が見えている.実に気分がよい.
 自動車道より一段下の川沿いの土道を歩く.
 ”ひょっとしたら,「渡し」の痕跡ぐらいはあるかもしれないな…”
と思いながら,川岸を注視しながら歩く.

<堤防からの眺望>

■丹波島橋遠望
 遠くに,これから渡る丹波島橋が見えている.
 残念ながら「渡し」の痕跡は見つからないまま,9時49分,丹波島橋の下に到着する,
 近くの土手を這い上がって,元の自動車道路に出る.これから丹波島橋を渡れば,終点の善光寺まで,後わずかである.

<丹波島橋が見えている>

[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
                                                                                     (つづく)
続きの記事
  ↓
(編集中)

「善光寺西街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/33d3e4a1fc9831ac17b48baa1b527962
「善光寺西街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f71644979892cd488cd56360b380d188

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