<北原の延命大仏>
善光寺西街道;第3回;第2日目(4);蓮香寺・北原大仏を経由して川中島へ
(五十三次洛遊会)
2015年6月26日(金)~28日(日)
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第2日目;2015年6月27日(金) (つづき) 晴・猛暑
<ルート地図>
■川中島・今井
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※再掲
<旧原村を行く>
■原村役場跡
12時28分,井戸のある場所に到着する.この井戸は現在も使われているらしく,辺りが水で濡れている.相変わらず蒸し暑い.
道幅が狭い舗装道路をほぼ北の方向に歩き続ける.
12時32分,原村役場跡を通過する.小さな案内杭が1本立っている.その杭の後ろには屋根付きの立派な塀と,草木が繁茂する空き地が広がっている.
<今も水が出ている井戸> <原村役場跡>
■火の見ヤグラ
12時35分,火の見ヤグラの下を通過する.この火の見ヤグラを目印にして,手持ちの地図で現在地を確認する.
”ありゃ~っ…! 茶屋本陣跡を通過してしまったぞ…”
今更,戻るつもりはないが,火の見ヤグラのすぐ手前に南原公民館があったようである.この公民館辺りがどうやら茶屋本陣があったところのようである.
12時37分,路地の奥にお寺があるのを確認する.どうやら蓮香寺のようである.
<火の見ヤグラ> <蓮光寺参道>
<蓮香寺>
■蓮香寺全景
資料1を見ると,連香寺のご本尊は木造子安荒神坐像で国重要文化財のようである.ご本尊を拝観することはできないだろうが,どうやらこの地区の名刹のようなので,立ち寄ることにする.
参道を奥へ進むと,目の前が大きく開けて,連香寺の全景が望める.なかなか大きな寺である.
参道の突き当たりにある鐘楼門は特に目に付く立派な建物である.鐘楼門を潜って境内に入る.
<蓮香寺全景>
■本堂と法然上人立像
鐘楼門を入ると正面に立派な本堂が見える.静寂な雰囲気.傍らに法然上人の立像が置かれている.
帰宅後,蓮香寺のホームページを開こうとしたら,マカフィーウェブアドバイザーが「!警告:問題があります」という表示を出す.多分,閲覧しても問題はなかろうと思うが,大事を取って,閲覧を取りやめる.そのために,蓮香寺については殆ど情報は得られないままである.
<蓮香寺本堂> <法然上人立像>
<北原地区を行く>
■世茂井神社
12時52分,世茂井神社に到着する.
この神社の由来などは,手許の資料では,殆ど分からない.でも,随分と立派な社殿が建っていることから由緒ある神社のようである.
神社境内に聳える威風堂々のご神木に圧倒される.
境内で数分の立ち休憩を取る.
慶大に設置されている案内板の記事によると,
「祭神は建御名方神(たけみなかたのかみ)である.この神は大国主命の子.天孫降臨に先立って,高天原から武甕槌神,経津主神を出雲の大国主命のもとにつかわし,告訴の奉献を交渉させたとき,大国主命の子の事代主尊はただちにこれに応じたが,次子の建御名方神はこれを拒んで,武甕槌神と力比べをしてついに負け,信濃国の諏訪湖までのがれた.
そしてここで殺されようとしたときに,「恐ろし,我を殺したまひそ,この地を除きては他所に行かじ」といって,ながくこの地に鎮まったと古事記は伝えている.
諏訪大社(上社,下社)はこの神を奉祀しており,古来,信濃国一宮として崇敬され,各地に分社が祀られている.世茂井神社もその一つである.」
<世茂井神社本殿> <威風堂々のご神木>
■明治天皇原御膳水碑
12時57分,明治天皇原御膳水碑に到着する.立派な石柱である.その後ろのは風格のある白壁と格子戸のある家が建っている.
さらに歩き進んで,13時04分,昭和小学校の前を通過する.今日は平日なのに全く人影がない.
13時06分,信号昭和小学校前を通過する.
13時07分,長野区裁判所中津出張所跡を通過する.ここには,中津出張所の経緯に関する説明板が立っているだけで,それらしき遺構は見当たらない.
<明治天皇御膳水碑> <昭和小学校>
■旧役場跡と公民館
13時08分,中津村昭和村役場跡を通過する.小さな木柱が目印である.その他には,それらしい遺構は残っていないようである.
13時10分,信号北原西を通過する.
13時12分,北原公民館前に到着する.ここで地図を確かめる.
「ありゃ~ぁ…! 大仏を通過してしまいましたね…」
暑い最中に,今来た道を引き返すのは,少々億劫だが,ここの大仏を一目見てみたいと私は思う.大仏と言えば奈良の大仏,鎌倉の大仏,教徒にあった大分程度しかすぐには思い出せないので,ここの大仏がどんなお姿をしているのか,とても気になる.
「ちょっと戻って,大仏を拝みながら,給水休憩を取りましょう…」
<旧役場跡> <北原公民館>
■北原延命大仏殿
北原公民館付近から,往路を少し戻って.13時19分に延命大仏殿に到着する.猛何回も書いているので,くどくなるがとにかく蒸し暑い.何はともあれ,まずは日陰に入って給水休憩を取る.
<延命大仏殿>
■延命大仏と子安地蔵
大仏殿格子戸の一ヶ所から内部が拝めるようになっている.
”写真を撮ったら罰当たりになるかな…”
と思いながらも,大仏の写真を撮らせて貰う.
私には仏像のことは全く分からないが,それでも立派な大仏であることは,直感的に加太で感じる.
社殿に取り付けられている解説板の記事によると,中央が阿弥陀如来坐像(通称延命大仏),向かって右側が子安地蔵菩薩坐像である.何れも江戸中期の作とのこと.
<延命大仏と子安地蔵>
<本日の終点;川中島>
■天満宮と北原区薬師堂遺跡池
13時33分,天満宮に到着する.大きな石塔がズラリと並ぶ参道の奥に,朱塗りのお社がある.鳥居には大きな注連縄が取り付けられている.祭神は勿論菅原道長.
参道入口に立っている「北原区薬師堂遺跡地の案内」によると,この辺りには,
「一,節婦おせんの顕彰碑
一,徳本念仏塔
一,三界萬霊塔
一,庚申塔
一,馬頭観世音碑
一,天満宮(天神社) 祭神…菅原道長
一,大輪坊の墓(延命大仏を寄進した江戸の僧)
一,北原警察分署跡地(元所在地)」
があるとのことである.
<天満宮>
■川中島支所・公民館
13時39分,長野市川中島支所・川中島町公民館に到着する.素晴らしい施設である.これまでも,長野市内の沿道を歩いている内に,沢山の公民館の前を通過した.私が現在住んでいる鎌倉には公民館ってあるだろうか? 何だか”公民館”って聞いたことがないような気がする.
13時40分,信号川中島支所前を通過する.
<川中島支所・公民館> <信号川中島支所前>
■馬頭観音と長野南バイパス
13時47分,路傍にある馬頭観音の前を通過する.やがて,前方に,長野南バイパスのガードが見え始める.多分,後,10分~20分で,篠ノ井線川中島駅への取り付け道路との交差点,信号川中島駅入口に到着する筈である.
「そろそろタクシーを呼びましょう…」
ということで,ゲル管役をしていただいているKZさんに,タクシー会社への電話をお願いする.今日の善光寺西街道歩きは,信号川中島駅までで終わりである.
街道歩きの後は,川中島入口の交差点から,2台のタクシーに分乗して,川中島古戦場を訪れる予定である.
タクシー会社とのやり取りで,数分掛かった後,13時57分,長野南バイパスのガードを潜る.
<馬頭観音> <長野南バイパス>
■道祖神と親鸞上人御旧跡碑
14時00分,進行方向左手に祀られている道祖神の写真を撮る.さらに,先へ進んで,14時04分,信号橋場を通過する.
14時05分,進行方向右手にある親鸞上人御旧跡碑に到着する.大きな石碑である.その後ろの隠れるように道祖神が祀られている.
<道祖神> <親鸞上人御旧跡碑>
■街道歩きの終点;信号川中島駅入口
14時09分,本日の街道歩きの終点,信号川中島駅入口に到着する.
これから,私達は,ここから2台のタクシーに分乗して,川中島古戦場のある八幡浜まで移動して,古戦場周辺の史跡,遺構を巡る散策を楽しむ予定である.
携帯電話で予約した2台のタクシーが到着するのを,首を長くして待つ.
<本日の終点;信号川中島駅入口>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%A5%E5%B1%B1%E9%A4%A8
(つづく)
続きの記事
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(編集中)
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「善光寺西街道」の索引
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