<ホテル12階から北アルプスを望む;ホテル備え付けの写真引用>
善光寺西街道;第3回;第2日目(1);稲荷山駅から歩き出す
(五十三次洛遊会)
2015年6月26日(金)~28日(日)
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第2日目;2015年6月27日(金) 晴・猛暑
<ルート地図>
■2日目全体図
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■稲荷山宿
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※再掲
<チサングランド長野の朝>
■雨の筈が快晴だ
例によって,深夜に目が覚めてしまう.この年になって,こればかりはどうにもならない悪い癖である.ただ幸いなことの今回は一人部屋に宿泊している.しかも私に割り当てられた部屋は角部屋だ.深夜にテレビを見たとしても,テレビの音が部屋の外に漏れて迷惑するのは建物の外で物珍しげに飛んでいるカラスぐらいである.
目が覚めてしまったので,仕方なくテレビを眺めるがうるさい番組ばかりなので,すぐに消してしまう.やることがないので,新聞を斜め読みしながら,何時の間にか,またウトウト.碌でもない夢を見ている内に,何回も目が覚めたり,またウトウトしたりで貴重な朝の時間を費やしてしまう.
やがて夜が明ける.
部屋のカーテンを開けてビックリ.清々しい青空が窓一杯に広がっている.
天気予報では.今日一日雨.しかもかなりザーザーの雨の筈だったが,予報が大きく外れて朝から素晴らしい天気である.多分,われわれの仲間の中に,いわるゆ晴男か晴女が鎮座しているに違いない.何れにしてこの青空は有り難い.
<天気予報が大はずれで朝から快晴だ>
■12階の展望が素晴らしい食堂
朝食は7時からである.まだ少し時間が早いかなと思ったが,6時50分,12回にある食堂に向かう.
私よりもっと気が早い方々がすでに何人も食堂に来ている.私達の仲間ももう大半の方々が来られている.
食堂は畳敷きの大広間である.豪華だ.畳の上の椅子とテーブルが並んでいる.とてもビジネスホテルとは思えない雰囲気である.もっとも,このホテルを予約した私が勝手にビジネスホテルだと勘違いしただけのことだったのかもしれない.
<食堂は畳敷きバイキング形式> <食堂の一隅>
■私の朝食
朝食はバイキング形式.
バイキング形式だと,食材に目移りがして,ついつい多めに取ってしまう.これも私の根性が卑しいことに由来する.こんなことは百も周知しているが,今朝もどうやら色々と取りすぎたようである.
”はて,さて…これで何カロリーになるんだろう? 栄養のバランスは取れているだろうか?”
と気になる.でも,一方では,
”カロリーだのバランスなどスベッタコロンダはどうでも良い! 要するに気持ちよく食べられるんなら何でもいいや…”
という気分にもなる.
7時35分頃,朝食を終わる.
一旦,自室に戻る.
<朝食はバイキング>
<長野駅から稲荷山駅へ>
■ロビー集合
一旦部屋に戻ってから,荷物を仕分ける.このホテルに2連泊するので,着替えなど経の行動に無関係なものはスタッフバッグに突っ込んで,自室に置いておく.リュックには雨具,水,地図,非常食など,今日のウォーキングに必要なものだけを入れる.
私は成り行きで容量35リットルのリュックを持参しているので,リュックはガラガラ.驚くほど軽い.まだ右膝の故障を治療中の私にとってもリュックが軽いのは有り難いことである.
7時45分,集合時間の10分前に,ホテル1階のロビーに降りる.まだ,集合時間まで大分あるのに,もう大半の方々が集まっている.私は内心で,
”このグループはパンクチュアルで有り難いな…”
と思っている.
集合時間前に全員が揃う.
「…では,本日も安全第一で参りましょう…」
ということで7時51分にホテルを出発する.
ホテルから,ビルの間の狭い路地などを通って,7時57分,長野駅に到着する.長野駅はとても大きくて立派な駅である.これには改めてビックリしてしまう.
<ホテルのロビー> <長野駅>
■長野駅
ゲル幹のKZさんが全員の切符を纏めて購入する.長野から稲荷山までの運賃は240円.
ただ,こんなに大きくて立派な長野駅でも,まだ,SUICAが使えない.平素,SUICAに馴れてしまうと,いちいち現金で切符を購入するという当たり前のことが,面倒に思えてくるから,困ったものである.
改札口からホームに入る.私達が乗車する予定の電車は,8時18分発甲府行普通電車である.
私達が乗車する電車が発車するホームは5番線.
“ありゃ~っ! 長野駅には4番線がないのかな…3番線の隣が5番線になっている.不思議?”
<稲荷山駅までの切符> <5番線の甲府行普通電車に乗車する>
<稲荷山駅から善光寺西街道へ>
■稲荷山駅に到着
長野8時18分発甲府行普通電車に乗車する.電車や空いている.私達は適当な場所に三々五々座る.
8時35分,稲荷山駅に到着する.
私たち以外に乗降客はほとんど居ない.
駅前広場の片隅で,私が音頭を取って,ウォームアップストレッチを行う.ストレッチのやり方が山旅スクールで教えて頂いた通りである,約10分ほどでストレッチを終える.
<篠ノ井線普通列車の車内> <稲荷山駅>
■駅前通を善光寺西街道へ
8時46分,稲荷山駅から歩き出す.まずは,駅から善光寺西街道までの駅前通を300メートルほど歩かなければならない.
昨日,稲荷山駅近傍で道に迷って,善光寺西街道から外れた道を歩いてしまったために,駅前通を真っ直ぐ歩いて善光寺西街道に突き当たってしまうと,道に迷ってしまった部分の街道を歩かないことになるが,まあ,その辺りは“ご容赦,ご容赦”ということにしておこう.
幸いなことに終日雨の天気予報が外れた.雨の代わりに好天になったのは何とも嬉しいが,その代わりに,朝から少々蒸し暑い.まずは冷たい飲み物が必要だ.
<稲荷山駅から歩き出す> <まずは冷たい飲み物だ>
<康楽寺>
■康楽寺はどこ?
人気のない駅前の道路を善光寺西街道に向けて歩き始める.私は地図を見て,近くに康楽寺という寺があるはずだと思いながら歩く.
丁度そのとき,中年の男性が,携帯電話で話をしながら,私達の後からやってくる.漏れ聞こえてくる話によると,どうやら中央本線の甲府付近で事故があったらしく,その影響で篠ノ井線も運転中止になったという.私達はタッチの差で無事稲荷山で移動できたことになる.
私が康楽寺を探していることを知ったこの男性が.
「康楽用寺はそこですよ…」
と教えてくれる.
「康楽寺には,全国各地から,沢山の参拝客が来ますよ…」
とのこと.
9時丁度に康楽寺に到着する.
参道入口には,大きな石柱が立っている.石柱に彫ってある「白鳥山■…■」という文字が微かに読み取れる.
<康楽寺の石柱>
■康楽寺の境内
境内に入る.右手奥に僧侶の立像が立っている.弘法大師でも日蓮でもなさそうだ.どなたの立像なんだろう.浅学の私には判断が付かない.
<糠楽寺山門> <立像>
■糠楽寺本堂
私には建築のことは良く分からないが,糠楽寺の本堂は,素人目にもなかなか立派な造りである.さぞかし由緒のある寺なんだろうと推察する.
境内にある案内板の記事によると,開基は西仏坊.清和天皇の末裔で,海野小太郎信濃守行親の子(天養元年(1144年)生まれ.『源平盛衰記』『吾妻鏡』『徒然草』などにも西仏坊の名前が出てくるという.信越,東国,北陸一帯の真宗布教の中枢の寺だという.
<康楽寺本堂>
<塩崎陣屋跡>
■明治天皇御旧跡
9時10分,駅前の取り付け道路と善光寺西街道の交差点に到着する.交差点には明治天皇御旧跡という刻字のある大きな石柱が立っている.
<明治天皇御旧跡>
■塩崎陣屋跡着
9時05分,十字路を横切って突き当たりにある塩崎陣屋跡に到着する.そこには立派な門が残っている.
門を入ってすぐ右手に塩崎小学校の入口がある.
昨日,沢山の小学生を見かけたが,この塩崎小学校の子供達だったことが確認できた.
傍らに立っている案内板によると,「享保15年(1730年),上田藩主松平忠愛は,弟中容に更級郡内の飛領地1万石のうち,四ヶ国五千石を分知.これにより忠容は幕府の旗本となり,塩崎村本知行所が誕生した,その後,安永3年(1774年)に陣屋と呼ばれたお役所がこの地に設けられ.明治の廃藩まで領内を統治してきた.陣屋建物は現在の川中島小学校の前身校の校舎として使用され,今里村に移築された」とのこと.
<塩崎陣屋跡>
(つづく)
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(編集中)
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