<「見六のみちしるべ」の案内板を熱心に読む>
善光寺西街道;第3回;第2日目(2);篠ノ井追分;善光寺道に入る
(五十三次洛遊会)
2015年6月26日(金)~28日(日)
前回の記事
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第2日目;2015年6月27日(金) (つづき) 晴・猛暑
<ルート地図>
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<塩崎地区を歩く>
■石塔2基と浄信寺
塩崎陣屋跡の見学を済ませた後,私達は善光寺西街道に沿って歩き出す.
9時16分,大きな石塔2機の前を通過する.掃除が行き届いている民家の庭先に立っている.向かって右側の石塔は馬頭観音だが,左側の石塔は何だろう? 良く分からない.
つづいて,9時18分,浄信寺に到着する.この寺の由来などは手許の資料では分からない.
<石塔2基> <浄信寺>
■山崎公民館
9時18分,大きな石碑と石灯籠が立っている場所に到着する.石碑は題目碑らしい.石碑の刻字はどうやら南無阿弥陀仏のようである.資料1によると,この辺りに天満宮跡があるようだが,どこか特定できないまま通過してしまったようである・
9時20分,山崎公民館に到着する.公民館の前には火の見ヤグラと小さな祠がある.
<題目碑> <山崎公民館>
■秋葉神社と雨乞い祭(さんじょさん)
9時21分,進行方向左手の空き地の奥に珍しいお社があるのに気がつく.細長い大きな石の上に精巧に作られたお社が鎮座している.近寄ってみると秋葉神社である.その後も同じように長細い石の上に祀られた秋葉神社を見かけた.どうやらこの辺りの秋葉神社は長細い石の上に祀られているものが多そうである.
秋葉神社に向かって右側に「さんじょさん」という案内板が立っている.この案内板の記事によると.毎年8月9日に山崎地区の全戸が集まって,33基の燈籠をここで組み立てて飾る三十三献灯祭が行われるという.享保11年(1726年)から雨乞いの例祭として続けられたいるとのこと.
案内板の下には,この献灯祭の様子を書いた版画が飾られている.
<秋葉神社> <献灯祭の様子>
■聖徳橋
9時26分,聖川に架かる聖徳橋の袂に差し掛かる.旧道は現在の自動車道と並行して進んで聖徳川の堤防に突き当たる.堤防の階段を登ると,聖徳橋のすぐ脇に出る.聖徳橋を渡る.
<聖徳橋脇の草道と階段を登る> <聖徳橋>
■聖川を渡る
聖徳橋を渡ってから橋の袂の階段を下る.ここからあと2キロメートルほどで篠ノ井駅である.
「…少し時間が早いけど,篠ノ井駅近くで昼食を摂る予定にしましょう…」
と提案する.
9時32分,長野自動車道のガード下を潜る.
天気が回復したために,次第に蒸し暑くなってくる.
<聖徳橋脇の堤防を下る> <長野自動車道のガードを潜る>
■姫宮神社
9時44分,姫宮神社に到着する.
あまりに蒸し暑いので,姫宮神社の境内で給水休憩を取ることにする.神社の境内は木陰が多い.暑いときには木陰が何よりである.
姫宮神社の由来などは,全く調べていない.
<姫宮神社の鳥居> <社殿>
■6月とは思えない蒸し暑さ
天気予報の雨が大きく外れて,天気が回復したのはありがたいが,やけに蒸し暑くなり始める.でも,皆さんは多生の蒸し暑さは平気なようである.
熱中症にでもなったら大事である.私自身も給水に十分に気を付ける.
神社の木陰を利用して,10分ほど休憩を取る.
<姫宮神社の木陰で休憩>
<篠ノ井追分から善光寺街道へ>
■塩崎一里塚跡
休憩を終えて,9時53分に姫宮神社を出発する.
9時57分,塩崎一里塚跡に到着する.辺りにそれらしい遺構はなく広場になっている.広場の入口に真新しい案内板が立っている.
この案内板の記事によると,街道を挟んで2ヶ所に塚があったという.北側の塚は5間3尺(10メートル)四方,南側の塚は4間(7.3メートル)の大きさだったという.
10時03分,バス停追分に到着する.傍らに大きな石塔が立っている.石塔には「篠ノ井村追分宿」と刻字してある.ついでながら,ここのバスは1日3往復.9人乗りの自動車で運行しているようである.
ここは,どうやら善光寺街道との合流点のようである.信濃追分から,小諸宿,海野宿,上田宿などを経由して続く善光寺街道が,ここで善光寺西街道とぶつかっている.したがって,ここからさきは善光寺街道を歩くことになる.
<塩崎一里塚跡> <バス停追分>
■ここからは善光寺街道
10時07分,北陸新幹線のガードを潜り,さらに「しなの鉄道」の踏切を渡る.そして,10時13分,東篠ノ井公民館前を通過する.
<北陸新幹線のガード> <東篠ノ井公民館>
■石碑2基
10時15分,大きな石碑の前に到着する.漢文の長文で少々風化しているので読めないし読む気にもなれない.この石碑の詮索は止めた.
続いて.10時18分,また大きな石碑を見付ける.この石碑の文字も幾分風化している上に難しい漢字である.これも解読が面倒なので,詮索は省略してしまう.
<大きな石碑2基>
■見六の道標
10時19分,兼六橋交差点に到着する.ここで善光寺街道は正面の道路と突き当たる.少々交通量の多い交差点である.横断歩道を渡ったところの見六の道標が立っている.道標には「せんく王うし道」と刻字されている.
傍らに立っている案内板の世地名によると,石柱の高さは176センチメートル,大小様々の道標の中ではかなり大きくて珍しいもののようである.
ただ,当時立てられた場所は記録がなくて定かではないが,この場所が立地条件から見て一番相応しいところだという.
<見六の道標> ↓
(拡大)
<善光寺道標>
■高札場跡香福寺
10時30分,高札場跡に到着する.現在は,香福寺になっている.この辺りの街道筋には歴史を感じさせる民家が沢山並んでいる.
<香福寺の門> <香福寺の建物>
■暫時給水休憩
とにかく蒸し暑い.
香福寺の参道で,給水休憩を取る.
<香福寺の参道で給水休憩>
■栄村道路元標と御幣川区公民館
10時32分,火の見ヤグラの脇を通過する.アスファルトの照り返しが強い道端をトボトボと歩き続ける.
火の見ヤグラのすぐ先の道路を挟んで反対側に栄村道路元標・栄村役場跡がある.今は御幣川区公民館になっているようである.
<栄村道路元標のプレート> <御幣川区公民館>
■宝昌寺;気温は34.7℃
照り返しのアスファルト道は異常に蒸し暑い.
私はグループの先頭を歩いているが,途中から余りの暑さで,クラクラし始める.
“これはまずいな…適当な所で休憩を取らなければ,熱射病になっちゃうぞ…”
と思いながら,どこか休憩するところはないかなとキョロキョロしながら歩き続ける.
10時38分,宝昌寺に到着する.
先ほど休憩を取ったばかりだが,
「…ちょっと休憩しましょう…」
と言いながら,宝昌寺の境内に入る.
境内には玉砂利が敷いてある.玉砂利からの照り返しも,アスファルトほどではないけれど,やっぱりジリジリと暑い.私は風通しの良いところを選んで,ヘタヘタと座り込む.そして,水を2口,3口,飲む.すると,フラフラ感は立ち所に引っ込む.
平素,私は昼食のとき以外で,休憩時間に座り込むことは殆どない.その私が率先して座り込んだので,後になって,
「…あのとき随分お疲れのようでしたね」
とどなたかに言われてしまう.
休憩を取りながら,携帯電話に付いている温度計を見ると,なんと34.7℃である.これでは暑く感じても無理はないなと思う.
<宝昌寺>
■幣水神社
10時41分,平水神社に到着する.神社の扁額に「歯瘡医殿」と書いてある.傍らの説明板の記事によると,別名「はくさんさん」.説明の記事によると,「小市家の人が難病の苦しんでいた.それを行力で癒してくれた行者がいた.この行者は歯槽膿漏がひどく,他の人にはこの苦しみをさせたくないと誓願をたて,艱難苦行し,行人塚で生きたまま入定した.子一ヶでは,石祠を建てて「はくさんさん」として勧請した」という.
現在の社殿は平成になってから改築されたもの.
10時42分,幣水神社のある信号御幣川五差路から裏道に入る.道路の両側には民家が建ち並ぶ.
10時46分,御幣川区公民館前を通過する.
<幣水神社> <御幣川区公民館>
■西友で休憩
地図を見ると近くに西友があるらしい.
たまたま,家の前に出てきた男性に,
「…スミマセン,この辺りに西友があるらしいですが,何処にあるんでしょうか」
と伺う.
「すぐそこ,そこの角を左へ曲がれば西友ですよ…」
と教えてくれる.
10時49分,西友に到着.ここでちょっと長めの休憩を取ることにする.
<西友で休憩>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
(つづく)
続きの記事
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(編集中)
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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