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『鎌倉学』事始め(第1回);新しい「近代鎌倉学」の創造と構想

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                                                                     <某大学公開講座の表紙>

    『鎌倉学』事始め(第1回);新しい「近代鎌倉学」の創造と構想

2015年5月11日(月) 晴

<鎌倉に興味あり>

■鎌倉検定を受けたが…
 私が鎌倉に移り住んでから数十年の歳月が経った.その間,自分が住んでいる鎌倉ってどんなところなんだろうと,常々興味を持ち続けてきた.そして,今から数年前に鎌倉商工会議所主催の鎌倉検定3級という一番易しい検定試験にはやっと合格した.ところが,その上の2級になると,やたらに暗記しなければならない事項が多くなり,ボンクラ頭の私には,どうも肌が合わなくて,恥ずかしながら私には無理.
 3級ながら鎌倉検定を受検するために,テキストなどを読んでいる内に,鎌倉の全体像は何となく把握できたような,できないような…ただテキストの内容を棒暗記しなければならない.試験を受けるのは,私のようなボンクラなロートル頭には,とても,とても,無理.無理.
 そして.これも言い訳に過ぎないけれど,検定の内容が網羅的なのは良いが,テキストを読んでも「鎌倉学」なるものの体系(もしあるとすれば)が分かったという気になれない.

■五街道を歩いているが…
 そんな中途半端な気持ちを抱きながら,ここ数年,私は仲間達と一緒に,東海道,日光街道,中山道,甲州街道などを歩き続けている.
 これらの街道を歩いていると,鎌倉と関係がありそうな沢山の史跡や遺構と出会うことがある.こんなとき,私は種々の資料やインターネットを使って,鎌倉との関連性を調べてはいるが,如何せん「鎌倉学」を体系的に把握していない私には,とにかく手に負えない.
 調べた資料は,とにかく断片的で,立体像としては,なかなか掴めない.掴めない理由は極めて明白である.それは私の頭の中に「鎌倉学」の体系がすっきりと整理されていないからである.
 もっとも,「鎌倉学」なるものが,本当に存在するのか,存在するとしたらどのようなものかは,基礎知識のない私には想像すらできないでいる.この宙ぶらりんな状態にいるのが実に口惜しいのだ.
 私が鎌倉検定に興味を持ったのは,こんな背景があったからだ.でも,鎌倉検定は,あくまで商工会議所の視点から,鎌倉を見ているので,現在の鎌倉市からほんの一寸でも離れている社寺や遺構のことは,極めて冷淡である.これは商工会議所の特性から,やむを得ないことは理解できる.でも,私には物足りない.
 「何を戯言,言っているんだ…そんな愚痴は,ちゃんと1級の試験まで合格してから言いたまえ…」
 「はいっ! ご尤も! でも無理だよ…」
 …ま,そんなこんなから,これまで歩いた東海道や甲州街道でも,あるいは今歩いている善光寺西街道でも,こと鎌倉との関連については,私の気分はどうもスッキリしないままなのである.

<「鎌倉学」に興味あり>

■某大学公開講座「鎌倉学」
 こんなある日,今年の某大学公開講座に「鎌倉学-散歩したくなる新しい地域近代史」というのがあることを知った.
 ”これ,これ,…これだ!”
 私は何の躊躇もなく,すぐにこの講座の受講を申し込んだ.受講料は塔ノ岳往復3回分だ.
 そして,今日は初日,第1回目の授業である.
 私は期待してこの講座を受講した.
 講師は某大学名誉教授・某大学大学院文学研究科非常勤講師UM先生である.
 講義内容を,ここで縷々記述するのは問題になるかもしれないので書かないが,内容は私の好奇心を十分に満足させてくれた.


■島崎藤村『夜明け前』と三浦半島
 島崎藤村の『夜明け前』が今回の講義の題材である.
 今回の講義を伺って,島崎藤村が三浦大介義明の末裔であることを,私は初めて知った.また『夜明け前』の主人公が,木曽の山中から三浦半島まで旅をする背景や,当時の世相の解説を伺っている内に,私にも木曾路と鎌倉の関係がだんだんと理解できたような気がする.これは,私にとって,とても嬉しいことである.
 今回の第1回講義で,配布された教材は次の通りである.
 (1)雑誌『中央公論』昭和5年(1930年)1月号「夜明け前(第1篇)」の抜き刷り
 (2)島崎家関係資料
 (3)明治32年東京湾要塞地帯(抜き刷り)



<配付資料の一部>

■中山道の旅を思い出す
 講義は『夜明け前』の書き出しの朗読から始まった.
 「木曾路はすべて山の中である.あるところは岨づたいに行く崖の道であり,あるところは数十間の深さに臨む木曽川の崖であり,あるところは山の尾をめぐる谷の入口である.…」
 この文章を読みながら,私は,
 ”ああ,この文章に書かれているところを通ったな…”
と中山道を歩いたときのことを鮮明に思い出す.ただ,現在は険しい道の片鱗しか残っていないが…
 『夜明け前』の書き出しでは,今引用した文章のあとも,数ページにわたって当時の中山道の様子が記述されている.読み進むにつれて,私達が何気なく通り過ぎてしまったところにも,こんな深い歴史の襞が刻まれていたのかと,今更ながら思い知らされる.
 “中山道を歩く前に,『夜明け前』を読んでおくべきだった…”
とつくづく思う.

■初めて知る藤村の家系
 講義の中で島崎藤村の家系図の紹介がある.浅学非才の私はこの家系図を見て仰天する.なんと藤村の祖先に,鎌倉幕府縁の三浦大介義明,三浦泰村などの名前が出てくる.これらの武将の名を聞いた途端に,鎌倉と島崎藤村とが鮮明に結びついてくる.これが私には何とも嬉しくて仕方がない.
 この家系図をさらに下ると,『夜明け前』のモデルになった永島家の祖,永島平太郎の名前が出てくる.そして次の代に楠木正成の庶子のことまで出てくる.
 講義内容のこれ以上の記述は,ここでは差し控えるが,私がこれまで認識していたこととは全く異なる視点から見た鎌倉が見え始めた.これは私にとって実に嬉しく楽しいことである.

■次回が楽しみ
 次回は2週間後,今度はフィールドワークである.浦賀から鴨居の辺りを廻りながら,幕末期の浦賀地域と会津藩士の墓を尋ねて,その当時の鎌倉を考えるとのことである.これは凄いことだ.今から楽しみである.

<雑感>

■再び鎌倉学って何?
 今回の講義を拝聴して感じたことは,この講義で提唱している鎌倉学は,地域近代史としての鎌倉学である.その意味では,私も大変興味深く楽しく拝聴したし,これからの講義も楽しみである.
 ただ,講義を受ける前に漠然と考えていた鎌倉学とは大分肌合いが違っている.
 私の期待する「鎌倉学」のイメージは,次の項目を体系的に整理したものである.
 (1)鎌倉の自然
  三浦半島の形成過程,地形,気象,動植物,地質
 (2)鎌倉を中心とした歴史
 (3)鎌倉に縁のある史跡(鎌倉以外の地域も含む)
 (4)鎌倉に縁のある社寺(       〃      )
 (5)鎌倉を中心とした歴史上の人物
 (6)鎌倉の産業文化の発展過程
 (7)鎌倉の将来像
 ただし,体系的とは,“相互に関連を持たせる”という意味である.たとえば,こんな地形だから,こんな人物が登場して,こんなことをした.これが後の何かにこんな影響を与えたというようなとらえ方のことだ.
 
■鎌倉学への期待
 前項に示した6項目は,思いつくままに列挙しただけに過ぎないが,これらの項目を,どんな視点から,どのように整理したら,鎌倉の全体像が正確に把握できるんだろうか? この点が実に悩ましいのである.そして私のイライラの原因でもある.
 (1)人文科学的立場から鎌倉を観察したらどう見えるか?
 (2)社会科学的立場から鎌倉を観察したらどう見えるか?
 (3)自然科学的立場から鎌倉を観察したらどう見えるか?
 (4)これらの三つの立場を包括(アウフヘーベン)したら,鎌倉の全体像がどのように見えるか?
 これは,実に興味深い.
 でも,こんなことを追っていると,何だかドンキホーテになってしまいそうな気もするが…さて,どうなるんだろう.

<さて,余談だが…>

■懐かしい金沢八景
 この講座が開設されている場所だが,実は私の元勤務先でもある.かれこ7~8年前に退職してから,ここを訪れるのは初めてのこと.
 今日は,大船から金沢八卦まで,路線バスを利用した.私はバスの窓越しに,金沢八景までの風景を懐かしさに感激しながら眺めつづける.
 大船から終点の金沢八景まで小一時間,随分と時間が掛かる.当時,こんなに時間を掛けて通っていたのかと今更ながら驚く.バスが通る環状4号線は,相変わらず工事中.でも公田付近は随分と変わってしまった.
 もっと驚いたのは金沢八景駅前だ.駅前にあった小さな建物は殆ど取り壊され広場に生まれ変わりつつある.そして今正に着々と新しい広場が整備されつつある.
 金沢八景駅に降りたとき,余りの変わりように随分と戸惑う.それでもシーサイドラインの駅舎を頼りに,
 ”ああ,オレは,ここに居るのか…”

■瀬戸神社と枇杷島神社
 まだタップリ時間があるので,まずは金沢駅近くの瀬戸神社を詣でる.
 道路と反対側にある枇杷島神社は面倒なので,水路を挟んで反対側にあるシーサイドライン駅舎付近から,写真を撮っただけで御参りをしたことにする.
 
<瀬戸神社>                                 <枇杷島神社>

■平潟湾とシーサイドライン
 平潟湾沿いの道を八景島方面に向けて歩く.進行方向左手には,広々とした平潟湾が広がっている.その上をシーサイドラインが大きな弧を描いて走っている.
 広々とした風景を見ていると,気分も晴れ晴れとしてくる.この道は,現役時代の私の通勤ルートだった.道路を歩きながら,当時のことをあれこれと思い出す.

<平潟とシーサイドライン>

■綺麗に整備されたキャンパス
 講義が始まる15分前に,会場のあるキャンパスに到着する.ここを訪れるのは7~8年振りのこと.新しい校舎が建っていて,キャンパス全体が随分と美しくなっている.
 講習会場に入る.
 数人の受講者が私より先に到着している.受付は見覚えのある職員が担当している.
 “オレのこと分かっちゃうかな…”
とドキドキしたが,どうやらこの職員は,私のことなどとっくに忘れているようである.忘れて貰った方が.私は気分的に楽である.
 受講者は10名余り.全員中高年である.男性の方がちょっと多いかな.例によって,2人ほど遅刻して入場する.その度に講義が中断する.困ったものだ.
 
<心地よい雰囲気のキャンパス>                     <講習会場のある建物>

■泥牛庵
 15時に講義が終わる.
 まだ日が高いので,少々回り道をして帰ろうと思う.そこで,大学のキャンパスを通り抜けて国道16号線沿いに,金沢八景駅に向かう.
 途中,泥牛庵の前を通過する.泥牛庵について,ここでひとくさり書きたくなるが,柄にもないことなので止めておこう.ただ一言,ここも鎌倉を考えるときに,絶対に取り上げなければならない寺である.
 
<泥牛庵>

■朝比奈峠を越えて鎌倉へ
 金沢八景駅から京急バスで鎌倉に戻る.朝比奈峠越えのコースである.このバスに乗るのも久々なので,とても懐かしく,楽しい.
 途中,車窓から鼻欠地蔵のお姿がチラリと見える.
 “そうだ! 鼻欠地蔵もお参りしなければ…”
 私は長い間歩いていないこの辺りを,できるだけ早い機会に訪れてみたいと思い始める.
 序でながら,朝比奈は正確には朝夷奈と書くようである.
 鎌倉駅からは,何時も使い慣れている路線バスで帰宅する.
                                         (つづく)
鎌倉学の次回の記事
   ↓
(未だなし)

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「閑話休題;日々雑感」の次回の記事
(なし)
 


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