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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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善光寺西街道;第1回;第2日目(3);岡田宿

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                    <岡田神社>

               善光寺西街道;第1回;第2日目(3);岡田宿
            (五十三次洛遊会)
       2014年4月24日(金)~26日(日)

第2日目;2015年4月25日(土)    (つづき)

第2日目の前の記事
  ↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c6a407aeee808a623039238cfb590b12

<ルート地図>

■松本宿(前掲)

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■岡田宿

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<松本市北部を行く>

■宝栄寺
 松本城を一回りして,12時40分に再び城東2丁目交差点に戻る.
 当初の計画では,ここから市内観光をしながら,早めにホテルへ戻る予定だったが,明日予定している行程を少しでも余計に歩いておこうということになる.
 城東2丁目交差点を左折して,再び善光寺西街道に入る.
 12時59分,宝栄寺入口に到着する.善光寺西街道は宝栄寺の前で直角に左折するが,交差点のすぐ右側にある宝栄寺を参拝する.
 13時丁度に宝栄寺本堂前に到着する.手入れが行き届いた庭の奥に立派な本堂が建っている.
 寺の案内板の記事によると,「宝栄寺は寛永19年水野氏に従って,三河の国吉田より松本の堂町に来た.次の城主戸田氏は,宝栄寺に書院畑八反五畝を寄進したので,そこに移転し松本城の鬼門を鎮護してきた.明和7年の大火で本堂は類焼したが城主の信仰も篤く,再建された欅造りの本堂の豪壮さは実に見事である.寺の宝物,岡田東虎の猫も描かれた涅槃図は有名である.」とのことである.
 資料3によると,「本堂は入母屋、銅板葺,平入,桁行7間,正面1間向拝付,外壁は真壁造り白漆喰仕上げ.宗派:真宗大谷派.松本藩は明治時代初頭に発令された神仏分離令とその後に吹き荒れた廃仏毀釈運動により多くの寺院が廃寺に追い込まれたが,宝栄寺は残された数少ない寺院として異彩を放っている.」(一部省略)

<宝栄寺>

■松本北深志郵便局と十王堂跡
 13時02分,安原交差点で右折して,北の方向に向かう.
 13時05分,松本深志郵便局に到着する.ちょっと奥まったところにある一風変わった建物が郵便局である.この郵便局を手がかりにして,地図の上で現在地を確認する.
 つづいて,13時06分,十王堂跡に到着する.白い木杭に「十王堂跡」と墨書してある.
 
<松本北深志郵便局>                                    <十王堂跡>

■天白神社
 13時07分,十王堂跡のすぐ先,右手駐車場奥に神社の屋根が見えている.この近くには神社への入口がなさそうである.でも,わざわざ入口を探してまで御参りする気力もない.そこで,駐車場越しに,ちょっとだけ見えている神社の屋根の写真を撮るにとどめる.
 資料4には,「この神社は国道143号線・旭町小学校前の交差点を西に折れると三筋目の右角に鳥居が見えます.隣の駐車場にはこの天白神社が町名の由来であるという事が書かれており,境内には街づくり研究会により,約400年前城主・石川数正が城の鬼門の方向に鎮守の宮として八幡社,稲荷社を勧請し,その後幾多の変遷を経て現在に至ると書かれています.」という説明がある(一部省略).
 さて,下の写真に写っている神社は果たして天白神社だろうか?

<天白神社かな?>

<信州大学付属校がずらり>

■萩町交差点から信州大学附属中学校へ
 13時11分,萩町交差点を通過する.地図を首っ引きにして,現在地を確認しながらの旅である.
 13時13分,信州大学附属中学校の校門に到着する.物凄く広い敷地の学校である.附属中学校の塀沿いの道をひたすら北上する.
 
<萩町交差点を渡る>                            <信州大学附属中学校>

■信州大学附属小学校と一里塚
 とてつもなく長い学校の塀沿いの道を歩き続ける.
 13時17分,信州大学附属小学校の校門に到着する.
 資料1によると,附属小学校の敷地内に松本一里塚跡があるとのことだが,残念ながら校庭内には入れない.この一里塚は洗馬から5里目の一里塚である.
 さらに歩き続けて,13時19分,附属幼稚園の前に到着する.
 広々としていて清潔感のある学校群である.こんな立派なところで学校生活が送れる児童,生徒は幸せ者だなとつくづく思う.
 
<附属中学校>                                 <附属幼稚園>

■どこかで休憩を…
 信州大学附属幼稚園脇の五叉路を斜め左の道に入る.やや道幅が狭い舗装道路である.勾配は僅かながら長い登り坂が連続する.
 "そろそろ,どこかで給水休憩を取らなければ…"
と私は内心で焦り始める.
 13時22分,道路際の転注に「本立寺」という案内板が取り付けられているのを発見する.
 「本立寺の境内を借りて一休みしましょう…」
 この辺りから,上り勾配が幾分きつくなる.
 
<五叉路を斜め左へ>                             <電信柱に「本立寺」の案内板>

■仕舞た屋風の本立寺
 直ぐ近くに本立寺があるはずだが,見当たらないまま,13時24分,中原町の交差点に到着する.
 「おかしいですね…本立寺が見当たらないようです…」
とぼやいていると,列の後ろを歩いていた方から,
 「ついそこに本立寺がありましたよ…」
とのこと.
 坂道を少し戻って,13時19分,本立寺に到着する.
 お寺と言えば威風堂々の本堂を連想するが,この寺は普通の仕舞た屋風である.見落とすのも無理ないなと思う.
 
<本立寺入口はこの家の先>                     <本立寺>

■本立寺の軒先で給水休憩
 寺の軒先で…といっても普通の民家の玄関先のようなところの日陰を拝借して給水休憩を取る.
 気が弱い私としては,この建物の中に居られる方に気兼ねして,なるべく静粛に休んで貰いたいところだが,遠慮のない方々がかなり大きな声でのべつ幕なしにお喋りをしている.変な言い方だが,一部の方々の神経の図太さにはほとほと感服する.
 "私のかくありたい…!"
 突然玄関のドアーが開いて少年が外へ出てくる.多分,外が騒がしいので,ちょっと様子を見てこいと親に言われたのかもしれない.私はそろそろ退散する潮時かなと思って,
 「さあ,歩き出しましょう…」
と一同を促す.
 13時35分,本率寺前からまた歩き出す.

<本立寺の日陰を借りて休憩>

■岡田小学校
 13時34分,国道19号線を斜めにクロスする.地図を見ると,交差点脇にレストランがあるはずだが,見当たらないまま通過する.
 相変わらず緩い勾配の登り坂が連続する.
 13時44分,路傍に可愛い道祖神が置かれているのに気がつく.あまりに可愛いので,思わず写真を撮る.
 13時53分,岡田小学校に到着する.
 …ということは,気がつかない内に,浅間温泉路との分岐を通過してしまったことになる.ちょっと残念だが致し方ない.
 
<双体道祖神>                                <岡田小学校>

■もうちょっと歩こう…
 松本城で,もう少し先まで歩きましょうと提案したときの一応の目安は,浅間温泉路との分岐点か,あるいはちょっと頑張って岡田小学校ぐらいまでと想定していた.
 でも,まだ,14時前である.もう1時間ぐらい歩いても良いなと,私は内心で思っている.そこで,皆さんに,
 「…まだ時間が早いんで,後1時間弱…刈谷原峠の入口まで歩きましょう…」
と提案する.
 峠の入口まで歩いておけば,明日の行程が随分と楽になる.皆さん特に異論もない,
 もうヤケクソで歩くしかない.

■岡田神社の大イチョウ
 13時56分,岡田神社参道入口に到着する.
 岡田神社社殿は,この参道のずっと先に位置しているので,立ち寄る気力も時間もない.数枚の写真を撮っただけで,参道入口を通過する.
 資料5には,「岡田神社は,平安時代に制定された『延喜式』(えんぎしき)に筑摩(つかま)郡三座の一つとして記載がある式内社で,古い由緒ある神社です.明治時代には産土神(うぶすながみ)を祀(まつ)る神社である郷社に列せられました.社伝によれば,岡田の地は水少なく干ばつの年が多いため五穀の神である保食神(うけもちのかみ)を祀るとされています.岡田神社は古くから水に恵まれない地にあり,女鳥羽川の水霊信仰を基としたものと思われます. 
  参道が拝殿の前から東に350mほど続いており,旧善光寺街道と直角に交わっています.ここには一の大鳥居がありますが,指定されたケヤキはこの鳥居の手前にちょうど門柱のように2本生育しています.高さはともに20m程度,目通り直径は2mの巨木です.」という説明がある.
 
<岡田神社の大イチョウ>           <岡田神社参道>
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■白山大権現・稲荷大明神
 14時07分,真っ赤な大鳥居に到着する.新しい注連縄が結ばれている.傍らに立っている案内板によると,ここには白山大権現と稲荷大明神が祀られているようである.

<白山大権現と稲荷大明神>

<岡田宿>

■岡田宿の概要
 下の写真は,岡田宿中央部にある案内板である.岡田宿の由来などはこの案内板の記事が参考になる.
 この記事によると,「岡田宿は刈谷原と松本の間が長いために,正保4年(1647年),松本藩から近在の農家を集めて新設した宿駅である.元禄七年(1694年)番所が麻績から当地に移された.宿並には連子格子の家が多く残っている」という.

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■地蔵尊菩薩と道祖神
 14時10分,地蔵尊菩薩の前に立つ.小振りながら立派な建物が建っている.
 資料1によると,ここが岡田宿の南口である.
 
<地蔵尊菩薩>                                <道祖神>

■岡田宿問屋跡・本陣跡
 14時13分,岡田宿問屋兼本陣跡に到着する.墨黒々の字で「岡田宿問屋兼本陣跡」と書かれた木柱が1本立っているだけ.その隣に,岡田公園がある.
 公園は,ちょっと殺風景な公園である.特に目立つものもないので,一瞥しただけで通過する.
 
<岡田公園>                                 <問屋兼本陣跡>

■岡田宿跡
 14時14分,岡田宿の案内杭と案内番が立っているところに到着する.一寸した公園風になっている.
 案内番の写真は,前出の通りである.

<岡田宿跡>

■道標と念仏供養塔
 14時19分,道標と念仏供養塔のある場所に到着する.近くの桜が満開である.
 道標には「右せんくわし道 右江戸海道」と刻字されている.石塔群の後ろに説明板が2枚,設置されている.
 ここには

<道標と念仏供養塔>
 
■枡形と番所跡
 上の写真に写っている説明板には,念仏供養塔と道祖神の説明が書かれている.この説明文を見ると,ここが枡形であることが分かる.
 道を挟んで反対側に番所跡がある.資料1によると,善光寺詣での女人を改めたところだという.

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■蓮台場
 枡形を挟んで蓮台場の説明文がある.ここには旅人の無縁墓地があったという.馬頭観音,六字名号碑,馬頭観音,庚申塔などが並んでいる.

<蓮台場>
                                        (つづく)
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(編集中)

[参考資料]
資料1;完全踏査海道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;http://www.geocities.jp/akitasaisei/sonota/matimoto/houei.html
資料4;http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/nagano/matumoto/tenpaku/tenpaku.html
資料5;http://takara.city.matsumoto.nagano.jp/city/163.html
                                       (つづく)
続きの記事
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(編集中)

「善光寺西街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/33d3e4a1fc9831ac17b48baa1b527962
「善光寺西街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/f71644979892cd488cd56360b380d188

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