<松本城と北アルプス>
善光寺西街道;第1回;第2日目(2);松本宿と松本城
(五十三次洛遊会)
2014年4月24日(金)~26日(日)
第2日目;2015年4月25日(土) (つづき)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/bc1169b76084a08ca386f2c6c79b5228
<ルート地図>
■南松本(前掲)
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■松本宿
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<境橋を渡って松本宿へ>
■豊田橋
10時12分,田川に架かる豊田橋を渡る.いよいよ松本宿である.
橋を渡ると,周囲の雰囲気が一段と都会らしくなる.
<豊田橋を渡る> <豊田橋の欄干>
■信号庄内町と境橋
10時25分,信号庄内町を通過する.
さらに,10時32分,境橋を渡る.この境橋が松本宿への出入口である.私達は,これから松本宿の中を歩くことになる.
<信号種内町> <境橋>
<極楽寺>
■極楽寺の本堂
進行方向右手路地の突き当たりに寺院らしい建物が見えている.地図で確かめると,どうやら極楽寺のようである.
一同余り気が進まないようだったが,
「…一寸だけ拝観しましょう…」
と促す.
10時41分,極楽寺に到着する.
資料1によると,ここは海野三郎重弘が親鸞に師事して広専坊となって開山した寺とのこと.
海野氏といえば,真っ先に連想するのが善光寺街道の海野宿である.そこで海野三郎重弘について,帰宅後,インターネットで調べたが,すぐにはこれと言った信憑性のある情報はまだ得られていない.
いずれにしても,今の本堂はコンクリート製である,しかも,本堂の前に何台かの車が停められていて,何となく風情が損なわれている.
<極楽寺の本堂>
■親鸞上人立像と鐘楼
本堂に向かって右側に親鸞上人の立像がある.そして,境内の入口付近に立派な鐘楼が建っている.この鐘楼を見ると,この寺がどうやら由緒ある名刹のように思えるが,寺の由来などは,今のところ私には分からない.
<親鸞上人立像> <立派な鐘楼>
<松本市中心部>
■市街中心部地図
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※ホテルで無料配布している地図を加工した.
■野麦街道分岐
10時50分,信号深志二丁目を通過する.
私のような東信州出身の人間には,深志といえば,県下の最高の俊才が集まる松本深志高校を,真っ先に連想する.私は上田にある高校に通っていたが,正直に言えば松本深志が目の上のたんこぶで,羨ましかった.私はひそかに,
”あの深志高校はどの辺りにあるんだろう.一目お目に掛かりたいものだ…”
と思いながら,この交差点を通過する.
10時53分,野麦街道との分岐点に到着する.分岐には御影石造りの石塔が立っている.石塔には「左野麦街道 せん光寺街」という刻字がある.この石塔はそれほど古いものではなさそうである.
資料3には,野麦峠について,「近代になってからは、飛騨地方から岡谷・諏訪の製糸工場へ働きに出た女性が通った街道として、『あゝ野麦峠』で有名になった.飛騨の女工が野麦街道を通ったのは,年末年始と盆の2回の休暇に,親が待つ家に帰るために往復したものであり,その時期に限られていた.昭和9年(1934年)に高山線が全通してからは,製糸女工が野麦街道を通ることはなくなった.野麦峠にはそれらに関連した碑や資料館(映画『野麦峠』の資料,鋸などの杣人の資料,山暮らしの資料,工女の絵,界隈の木の見本などで,野麦街道についての資料はない.有料)などがある.」という説明がある.
私は機会があったら,野麦街道の長野県側だけでも,是非,歩いてみたいなと思っている.
<野麦街道>
■蔵のまち中町通
10時57分,中町通標識が立っているT字の三叉路を右折して,蔵のまち中町通りに入る.
ここは観光道路らしく,一気に華やいだ雰囲気になる.道路の両側には白壁が美しい土蔵が建ち並んでいる.観光客らしい人達がそぞろ歩きを楽しんでいる.
地図を見ると,はかり資料館があるようだが,今回は見学を省略する.
5~6分歩くと,蔵のまち中通りは終わりになる.
11時05分,龍光寺付近の交差点で左折して北へ向かう.
資料1によると,龍光寺は親鸞上人の弟子,了智法師が開基した寺である.今回は見学を省略する.
<蔵のまち中通り>
■妙勝寺
11時09分,川を挟んで女鳥羽川の対岸に立派な寺が見える.川向こうにある寺なので,参拝は省略するが,地図を頼りに調べると,どうやら妙勝寺のようである.
インターネットで妙勝寺を調べたが,あまり参考になる情報は今のところ見当たらない.僅かに資料4に,「(妙勝寺の井戸は)藤棚や草木が植えられている水量豊かな井戸です.妙勝寺の境内には,大正時代まで城下に時を知らせた旧念来寺の鐘楼があります.」という記事を探し当てただけである.
ただ,資料4に掲載されている写真から判断して,ここが妙勝寺に違いないと確信する.
<妙長寺>
<松本城見学>
■まずは昼食で境内を素通り
11時18分,城東2丁目のT字型三叉路に到着する.ここで左折して,一旦,善光寺西街道から離れて松本城方面に向かう.
11時20分,深志橋を渡る.すると左手前方に松本城が見えるようになる.
私達は松本城北側の出入口から松本城内に入る.場内は沢山の観光客で賑わっている.
「…まだ少し時間が早いけど,混まないうちにどこかで昼食を食べてしまいましょう…」
と提案する.
そうは言っても,私にはこの辺りの土地勘は全くないので,どこにレストランなどがあるのか全く分からない.同行者の中に,松本城に来たことがある方の案内で,一旦,場内を素通りして白野南側から外に出ることにする.
余談だが…
私は50数年前に,当時2期校だった信州大学を受験したことがある.1期校に滑り込んだので,こちらの方は,合格していたのに,振ってしまった.今,振り返ると,信州大学を出て家業を継いだ方が親孝行だったなと思う.今は亡き両親に本当に申し訳ないことをしたと,未だに慚愧の念に襲われる.そんなことを,つい,つい,思い出しながら,場内をユックリと歩く.
勿論,私がそんな焦れったい懐旧の念に浸っているとは,同行者はだれも気がついていないだろう.
<深志橋> <北側の出入口から場内へ入る>
■レストラン紫陽花
南側の出入口から,一旦,城外へ出る.
この辺りは,沢山の観光客で混雑している.集まっている人達に何となく違和感があるのに気がつく.近付くと中国語かあるいは台湾語(と言うのかな?)で会話をしている.
出入口から一寸は馴れたところにある「コーヒーラウンジ紫陽花」という店を覗いてみる.
「…8人大丈夫ですか…」
とお店の方に聞いてみる.
「勿論大丈夫です.どうぞ,どうぞ…」
と促されるままに,このレストランに入る.
私達を招き入れた男性が,この店のオーナーのようである.この方の娘さん(かな?)とお二人でお店を切り盛りしているようである.
私は,どうしてアジサイなんていう季節限定のお店の名前にしたのか聞いてみたいなと思いながら聞くのを忘れてしまう.
<コーヒーラウンジ紫陽花> <コーヒー>
■珍しい昼食
私が注文したのは下の写真のような昼食である(名前忘れた).
外側をこんがり焼いたパンを角切りにしてネープルシロップを染みこませ,その上に砂糖をまぶしたもの.外がパリパリしていて中が柔らかい.それにフワフワのアイスクリーム.これにも名前があるんだろうが私には分からない.
テーブルを囲んだ皆様の写真を撮ったが,お一人が大きく口を開けているところが写っているので,ここで披露するのは止めておこう.
食事をしながら,ご主人に岡田宿周辺の事情を伺う.ご主人の言葉の端々に懐かしい信州弁が混じる.久々に聞く故郷の言葉に,人知れず胸を熱くする.
<昼食;ネープルシロップのパン>
■大混雑の天守閣
12時09分,昼食を終えてレストランを出る.そして再び松本城に入る.
折角だから天守閣の中に入って見ようと思ったが,入場料が掛かる上に,大混雑で60分待ちとのこと.即座に天守閣見物は中止する.
そして,お堀端から天守閣を見上げて,これで良しとする.
お堀沿いに時計回りで天守閣を半周する.お堀の向こうに雪を被った北アルプスの山々が見えている(冒頭の写真).
「…そろそろ外へ出ようか」
ということで,北側の出入口,開智口から城外へ.
<松本城>
■松本神社
開智口から城東2丁目の交差点を目指して往路を戻る.その途中にある松本神社を詣でる.
資料5には,「松本神社は,松本城の北隣に鎮座する神社.地元では「ごしゃ(五社)」と呼ばれている.前身は,縁結びおよび郷土発展の神として信仰を集めた暘谷(ようこく)大神社である.暘谷大神社は松本城主松本康長と松姫の子の虎松(孫六郎永兼)を祀る社として知られていたが,寛政9年(1797年)に,今宮八幡宮(戸田氏の先祖戸田宗光),片宮八幡宮(戸田氏以前の三河国田原領主一式嘉遠)を勧請して合祀,天保2年(1831年)には更に共武大神社(松平康長),淑慎大神社(松姫)と合祀し五社とし,1953年の若宮八幡宮(松本城の前身深志城の築城者島立貞永)との合祀を期に,名称を松本神社と改めた.御神木の大欅は境内の外、道路の中央分離帯上にある.」という説明がある(一部省略).
この説明文を読んで,さらに色々と調べたくなるが,切りがなくなるので,この辺りで詮索は止めにしよう.
<松本神社>
■再び城東2丁目交差点へ
12時40分,再び城東2丁目の交差点に戻る.
当初の計画では,午後はゆっくり松本市内観光を楽しんでから,少々早めにホテルに戻る予定であった.
でも,2日目の明日は,刈谷原峠越えの難所を控えている.それならば,松本城を見たことだし,市内観光はこの程度にして,明日歩く予定のコースを,今日の内にもう少し歩いておこうということになる.
いよいよ「ヤケクソ歩き」の始まりである.
[参考資料]
資料1;完全踏査海道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料3;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E9%BA%A6%E5%B3%A0
資料4;http://www.nagano-tabi.net/modules/enjoy/enjoy_2017014.html
資料5;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%BE%E6%9C%AC%E7%A5%9E%E7%A4%BE
(つづく)
続きの記事
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(編集中)
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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