<諏訪湖を眺めながら>
歩いて巡る甲州道中四十四宿(第8回);第3日目(5);甲州道中最後の一里塚
(五十三次洛遊会)
2014年4月18日(金)〜20日(日)
第3日目;2014年4月19日(日) (つづき)
<ルート地図>
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※前掲図
<旧湯の脇村>
■児玉石神社
温泉寺の参拝を終えた私たちは,11時28分,児玉石神社に到着する.深い木立の中に社殿が建っている.
資料1によると,諏訪湖の御神渡の割れ目が児玉石神社に向かえば豊作になると言われている.
また,資料3には,「御祭神は児玉彦命,玉屋命で,児玉彦命は建御名方命の御孫にあたります.創建年代は不詳ですが「下桑原鎮守大矢小玉石湯之権現」として原住民の崇敬を集めていたと古書にあります.境内には五個の大石があり「諏訪の七石」の一つとなっています.特に拝殿前の二個の大石は「いぼ石」と呼ばれ,神社のシンボル的存在で,御祭神の御霊代といわれ,この石の窪みの水でいぼを洗うと,必ず治癒するといわれています.鳥居横には樹齢250年の大杉がありご神木となっています.」という説明がある.
この資料に収録されている写真を見ると,どうも私が撮った写真の神社は児玉石神社ではないかもしれない.今となっては,下の写真の真偽は調べようがないが,折角写した写真なので,収録しておくことにする.
<児玉石神社>
■白山神社
やや急な登り坂が続く.私はグループの中で一番登り坂に弱い方の直ぐ側に付いて,繰り返し,繰り返し,ユックリ歩くように進言し続ける.
11時32分,白山神社に到着する.長い石段を見ただけで参拝は敬遠する.
手許の資料では,この神社の由来は全く分からない.ただ,資料4には,この神社の写真が数枚掲載されている.
<白山神社>
■先宮神社
続いて,11時32分,先宮神社(さきのみやじんじゃ)に到着する.
資料5には,「伝承により境内前の小川に橋を架けないという特色を持つ神社である.諏訪地域の他の神社と同様、拝殿の四隅に御柱が建っている.祭神は高光姫命(たかてるひめのみこと)」という説明がある.
この神社に関するこれ以上の説明や由来などは分からない.
私たちは,先宮神社の境内で5分ほど給水休憩を取る.
<先宮神社>
<下諏訪町大和・?木地区を行く>
■火の見ヤグラと甲州街道道標
11時47分,大きな火の見ヤグラに到着する.この火の見ヤグラを目印にして,地図上で現在地を確認する.
この火の見ヤグラの直ぐ近くに大木が生えている.この大木の根元に「甲州街道」と刻字された石造りの小さな道標が立っている.
<火の見ヤグラ> <甲州街道の道標>
■寿量院
甲州街道道標を道を挟んで反対側に寿量院がある.浄土宗の寺だということ以外に,この寺の由来など,今のところ全く分からない.
<寿量院>
■秋葉山常夜灯
11時50分,秋葉山常夜灯の前を通過する.
どうやら常夜灯の上野部分が欠損しているようである.台座の石に「常夜灯」という刻字がある.
<秋葉山常夜灯>
■長崎氏宅
緩やかな起伏が連続するが,概して平坦道を歩く.進行方向左手には諏訪湖が見え隠れしている.
12時12分,長崎氏宅に到着する.連子格子と芯壁の由緒がありそうな立派な建物である.
資料1によると,この家の脇の門は高島城三の丸の門を移築したものである.
また,欄間に鯉の彫刻があるが,これはこの家が,以前,鯉専門の料理店だったことを意味している.
<?木家住宅> <欄間の鯉>
■双体道祖神
12時07分,注連縄が施された石像に目が止まる.
注連縄が邪魔になって,この石像の模様は良く分からないが,十中八九,双体道祖神だと思われる.
資料1の地図によれば,この付近の東側に殿村遺跡があるようだが,私たちには気分的に寄り道する余裕がないようである.ここには,縄文時代中期の竪穴式住居が復元されているとのことである.
<双体道祖神>
■石投場と明治天皇駐輦所址
甲州道中は,進行方向左手に諏訪湖を眺めながらの景勝地が続く.
12時18分,石投場というところに到着する.ここには少々読みにくい文字で「■■(難字で読めない)八名所石投場」という刻字がある大きな石柱が立っている.浅学な私には冒頭の2文字が読めない.読めなくて悔しい思いがする.
資料1の記事によると,昔はこの辺りの断崖の下まで諏訪湖だったようで,ここから石投げに興じたという.
断崖から諏訪湖を見下ろす.
いまは断崖から諏訪湖まで200〜300メートルほどの距離があり,その間に,道路や中央本線の線路が通っている.
石投場の直ぐ近くに,明治天皇駐輦所址と刻字された石柱がある.明治天皇もここで石を投げられただろうかと不遜なことを想像してしまう.
<石投場> <明治天皇駐輦所址>
<富部・最後の一里塚>
■花いっぱいの民家
左手に諏訪湖の風景を堪能しながら,気分良く歩き続ける.
“もうすぐ甲州道中の旅も「上がり」だ…!”
そう思うと,気分も高揚するし足取りも軽くなる.
12時29分,花いっぱいの民家に到着する.民家は階段を登った小高い丘の上にあるが,階段の両側は黄色,紫色,ピンクの花で埋め尽くされている.正に息を呑む美しさである.
私たちは,花の美しさに魅せられ,思わず立ち止まってしまう.
<花いっぱいの民家>
■富部一里塚跡
12時32分,富部一里塚跡に到着する.民家の駐車場の中に,一里塚址の石碑が立っている.石碑には墨黒々とした(と連想してしまう)筆跡で「甲州道中一里塚」と刻字されている.
傍らにある案内板の記事によると,ここは江戸日本橋から53里目の一里塚で,甲州道中最後の一里塚である.
ここから下諏訪宿まで残り11丁(約1,100メートル)である.私たちの大団円も間近である.
<富部一里塚跡>
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://yatsu-genjin.jp/suwataisya/sanpo/kodama.htm
資料4;http://5.pro.tok2.com/~tetsuyosie/jinjya/hakusan_a.html
資料5;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%88%E5%AE%AE%E7%A5%9E%E7%A4%BE
(つづく)
「甲州道中」の前回の記事
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