<御射山神戸の一里塚にて>
歩いて巡る甲州道中四十四宿(第8回);第2日目(5);神戸間ノ宿・金沢宿
(五十三次洛遊会)
2014年4月18日(金)〜20日(日)
第2日目;2014年4月18日(土) (つづき)
<ルート地図>
<神戸間ノ宿>
■富嶽山石塔
11時52分,私たちは富嶽山石塔に到着する.
この石塔のすぐ先にある神戸歩道橋を左に見て下り,国道に合流する.
国道20号線を挟んで向こう側に,大きな石碑と石塔が設置され公園風に整備されているところがあるが,交通量の多い国道を渡るのも怖い.怖さを堪えて国道を渡る勇気も気力もないので,この場所を確かめることはヤメにする.宮川に架かる橋を渡る.
資料1によると,この辺りは昔の御射山神戸村,間ノ宿であった.同資料によると,慶長6年(1611年)に甲州道中の物資流通を円滑化するために設けられた村だとのことである.この辺りにも枡形があったようだ.
<富嶽石塔> <大きな石碑と石塔>
■瑞雲寺
12時丁度に瑞雲寺入口に到着する.曹洞宗の寺のようである.ただ瑞雲寺は国道20号線を渡った反対側にあるので,簡単には立ち寄れない.したがってパス,
資料1によると,この寺の薬師堂は文政8年(1825年)に建立された建物だという.
<瑞雲寺入口>
■神戸八幡神社と御射山神社
12時03分,神戸八幡神社に到着する.鳥居の神額に描いてある文字ははっきりしないが,間違いなく「八幡社」と書いてあるようだ.
資料2(p.355)によると,この神社の社殿は宝暦12年(1762年)に上棟されたもの.富士見町の文化財に登録されている.また境内にある高さ20メートルの大欅も町の天然記念物に指定されている.
同資料によると,神戸八幡神社から北東約1.5キロメートルのところに御射山神社があるという.広い境内の神社のようである.ただ,1.5キロメートルの道のりを往復する気力も時間もないので,御射山神社の参拝は省略する.
<神戸八幡宮>
■立派な火の見ヤグラ
北枡形跡を通過して,12時05分,立派な火の見ヤグラの脇を通過する.
高い所が嫌いな私は,この火の見ヤグラを見上げただけで,頭がクラクラしてくる.私たちは目印の火の見ヤグラを見上げながら,交通量の多い国道20号線の端っこを歩き続ける.
<立派な火の見ヤグラ>
■馬頭観世音
12時08分,馬頭観世音が立つ三叉路に到着する.ここで国道20号線と分かれて左折する.
石塔に刻字されている馬頭観世音の文字が余りに流暢すぎて,浅学の私には,残念ながら殆ど読めない.
■石仏石塔群
12時11分,おびただしい数の石仏石塔が鎮座する場所に到着する.
石仏石塔群の周囲は,手入れが行き届いていて,ゴミ一つ落ちていない.この辺りまで来ると.集落も疎らになり,道路は次第に山の中に入っていく.
<夥しい数の石仏石塔群>
■神戸合戦跡
左折して,この石仏石塔群の向の道に入り,三叉路を左に曲がったところに神戸合戦跡がある筈である.
私たちは残念ながら,神戸合戦跡の見物は省略して先へ進むが,資料3には,神戸合戦について,案内板の記述を参考にして,およそ次のような説明をしている.すなわち, 「この辺りは武田景虎と諏訪頼満との古戦場である.ここに残る五輪塔はこの合戦の戦死者の供養塔である.享禄元年(1528年)8月30日に両軍激突.諏訪勢が武田勢を撃退した」という.
<御射山神戸の一里塚>
■一里塚に到着
山の中の緩やかな登り坂が続く.
12時15分,御射山一里塚に到着する.江戸日本橋から48里目の一里塚である.私たちはここで休憩を取ることにする.
<御射山神戸の一里塚に到着>
■左右の塚
ここの一里塚は,街道の両側ある塚が残っている.私たちは下の写真の右側からこの一里塚に到着した.
資料2(p.355)によると,進行方向左手(この写真の手前)の塚に生えている榎は昔のままの,右手(写真の奥)の塚に生えている榎は明治以降に補修された塚である.並べて比較すると,なるほど手前の榎の方が一回り大きいようである.
<二つならぶ塚>
■塚の間で休憩
古い塚の周囲を一回りしてみる.裏手には雑木林が広がっている.
二つの塚の間で,やや疲労気味の仲間達が休憩を取っている.
12時20分,休憩を終えて一里塚から歩き出す.歩き出して暫くするとなだらかな下り坂になる.
いよいよ,江戸から44番目の宿場,金沢宿が間近である.
<塚の間で休憩>
<金沢宿>
■金沢宿の概要
資料2(p.356)によると,金沢宿の宿内人口は622人.内,男335人,女287人.宿内惣家数161軒.内,本陣1軒,脇本陣なし,旅籠17軒.本陣が上の問屋を兼務.本陣跡の向がいに下の問屋があったようである.
■富士見ハウスの標識
なだらかな坂道が続く.
12時26分,富士見ハウスの表紙の前を通過する.進行方向左手には小高い丘陵が続く.標識から登り坂の分岐道が丘陵の方に続いている.その先には環境が良さそうな住宅が建ち並んでいる.
<富士見ハウスの標識>
■出雲神社
この辺りにはエプソンに関連のある施設が多いようである.テニスコート,独身寮と思われる建物など.
12時39分,石祠に到着する.道路は祠の裏手を通っている.祠の前には石造りの立派な鳥居が立っている.
裏手から境内に入ってみる.鳥居の先には石段の参道があり,その下に集落が広がっている.どうやらこの祠は出雲神社のようである.
資料1によると,この辺りに「ゆるぎ石」と呼ばれる道中名物があったらしいが,私たちは見付けられないまま通過してしまう.「ゆるぎ石」は手を触れると揺れたことから名物になったようである.
<出雲神社>
■小さな石仏と馬頭観音
出雲神社から下り坂を先へ進む.
12時43分,小さな広場の真ん中に安置されている石仏に到着する.石仏の廻りの芝生が綺麗に刈り込まれているのを見ると,この石仏がイカに大切にされているかが分かる.
小さな石仏から2〜3分歩くと,今度は数個の石が並ぶ道祖神に到着する.
この辺りには実に沢山の石仏や石塔があるなと実感する.
<小さな石仏> <道祖神>
■泉長寺
12時58分,泉長寺に到着する.曹洞宗の寺である.ここは観光寺ではないので,境内はひっそりと静まり返っている.
インターネットを使って泉長寺の情報を調べたが、今のところ由来などの情報は見つかっていない.
<泉長寺>
■青柳公民館
国道20号線から左折して少し入ったところにある青柳公民館に,13時丁度に到着する.
ここで少し長めの休憩を取って,随分と遅めの昼食を摂ることにする.私たちは,近隣の迷惑にならないように気を遣いながら広場の縁石などに腰を下ろして休憩を取る.
<青柳公民館>
■独鈷石
公民館前に大きな石が飾られている.石の前に掲げられている説明文によると,この石は独鈷石(どっこいし)と呼ばれ,もともと金沢峠の山頂に置かれていたものだという.
この石が発見されたことによって,甲州道中が金沢峠を通っていたことが立証されたという.
<独鈷石>
■ささやかな昼食
私も近くの縁石に座り込む.そして,今朝,上諏訪駅近くのコンビニで購入したニギリメシやアンパンを,持ち歩いている地図の上に広げる.
全部を食べるわけではなく,取りあえず昼食に食べるのは2個のオニギリだけ.まことにささやかな昼食である.
でも,昼食後,何人かの仲間から飴やお菓子の差し入れがあったので,結果的には結構カロリーのある昼食となる.
<ささやかな昼食>
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://blogs.yahoo.co.jp/myriver1020/47863884.html
(つづく)
「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6443f86ca1b1e22636e87931cc7fd7f0
「甲州道中」の次回の記事
(編集中)
「甲州道中」の索引
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