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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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歩いて巡る甲州道中四十四宿(第8回);第2日目(4);富士見公園から御射山神戸へ

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歩いて巡る甲州道中四十四宿(第8回);第2日目(4);富士見公園から御射山神戸へ
             (五十三次洛遊会)
         2014年4月18日(金)〜20日(日)

第2日目;2014年4月18日(土) (つづき)

<ルート地図>


※再掲

<富士見公園>

■富士見公園に到着
 11時03分,富士見公園入口に到着する.事前に調べたところ,資料1に紹介されているように,「明治44年,アララギ派伊藤左知代達がこの辺りの風景に感激して,公園として設計した」所である.
 私は是非立ち寄りたいなと思っていた.そこで,
 「一寸,立ち寄りましょう…」
と一同に促す.
 甲州街道から右折して,ほんの100メートルほど歩くと富士見公園に突き当たる.公園は小高い所に広がっている.
 公園入口には,案内図と公園の概要を説明した案内板が立っている.ただこの案内図は「北」の方向が左下を向いているので,この図を見ながら,頭の中で北を上にして見ないと方向がピンと来ないのが困る.
 私たちは休憩を兼ねて,希望者は公園内を一回りしてみることにする. 
 高台一体が結構広い公園になっている.公園入口から一番奥の位置に忠魂碑など大きな石碑が並んでいる.その手前に富士見公園縁の方々の歌碑が立ち並んでいる. 

<富士見公園の案内板>

■富士見公園の由来
 公園の入口に立派な案内板が立っている.どうやらここは富士見町指定名勝のようである.
 案内板の説明によると,明治12年,原之茶屋の人たちが入会地の一角を買い受けて公園を作ったのが始まりである.ここからの富士山と八ヶ岳の眺望が素晴らしく,明治13年の明治天皇行幸のときには「美容峰ヲ望ムノ勝地タリ」という建札が立てられた.
 明治37年,赤城晴彦と伊藤左千夫が上諏訪布半短歌会に出席,雑誌「馬酔木」と「阿羅々木」の両誌が合同して「アララギ」が誕生し,伊藤左千夫が主宰することとなった.この間,伊藤左千夫はしばしば富士見を訪れ,この地の景観を讃え,公園の設計を推奨した,
 これを受けて,富士見村では用地を確保し,明治44年,新しい公園が完成した.
 伊藤左千夫の没後,大正11年に歌碑を建立,また,島木赤彦没後13回忌の昭和12年に島木赤彦の歌碑が建立された.さらにアララギ派を継承した斎藤茂吉の歌碑も13回忌の昭和40年に建立された.

<主要な歌碑を一回り>

■松尾芭蕉の歌碑
 園内を一回りしながら歌碑を見て回る…と言っても,文学のことはからっきし分からない私には,正に「馬の耳に念仏」状態である.とはいえ,ここに搭乗する主要な方々の名前ぐらいは知っている.
 最初に目に着いたのが松尾芭蕉の歌碑である.内心では,先ほど見た富士見公園案内板には松尾芭蕉のことは一言も書かれていないので,多少の違和感を持ちながら,とにかく松尾芭蕉歌碑の写真を撮る.
 歌碑の傍らにある説明文によると,この歌碑には,
 “目にかかる ときや殊更 五月不二”
という句が彫られている.
 句の説明文に「はせを」と書いてある.
 一行のどなたかが,
 「『はせを』って何だろう…?」
と不思議がる.
 もともと旧仮名遣い時代の人間である私が,
 「何を言っているんですか…旧仮名遣いで芭蕉のことですよ」
と説明する.説明しながら,
 “オレも古くなったもんだ…”
と妙な気分になる.

<松尾芭蕉の句碑>

■松丘句碑
 続いて松丘(本名名取鶴吉)句碑の写真を撮る.
 どうやら私はソソッカシイので,シッカリ取ったつもりの写真が,大分ずれてしまい歌碑の頭が欠けてしまった.
 この歌碑には,
 “草に入る光れる水や秋晴ゝ”
という歌が刻字されている.
 名取鶴吉は明治6年原之茶屋に生まれた俳人.大正,昭和初期に活躍したようである.

<松丘句碑>

■島木赤彦歌碑
 島木赤彦歌碑には全部漢字の歌が刻字されている.どうやら,
 “水海之冰者等計而尚寒志三日月乃彩波爾映呂布”(間違っているかもしれない)
と書いてあるらしい.
 到底,私には読めない…が,近くにある案内文を読めば,「なるほど!」と分かる.
 
<島木赤彦歌碑>                    <案内文>

■斎藤茂吉歌碑
 大所の歌碑だけでも見ておこうと思う.
 島木赤人歌碑を拝見した後,斎藤茂吉歌碑を見学する.こちらも漢字だけで書いた詩である.私は閉口する.
 案内文によると,
 “高原(たかはら)に足を留めてまもらむかな飛騨のきかひの雲ひそむ山”
という詩のようである.
 斎藤茂吉は,大正10年,渡欧する前に,1ヶ月間,富士見で静養したという.
 下の写真に写っている背景の山に白いものがある,多分,白いものはスキー場の雪だろう.

<斎藤茂吉歌碑>

■伊藤左千夫歌碑
 次いで伊藤左千夫歌碑を見る.こちらも全部漢字で書かれている.
 傍らの案内文によると,この歌碑には,
 “寂しきの極みに堪えて天地(あめつち)によする命をすくづくと思う”
という詩が書かれているようである.
 伊藤左千夫は明治37年に初めて信州を訪れてから,前後9回信州を旅したという.特に富士見,蓼科高原がお気に入りだったようである.

<伊藤左千夫歌碑>

<御射山神戸>

■標高961メートル
 11時15分,富士見公園での休憩を終えて,甲州街道に戻る.
 11時19分,標高961メートルの標識の前を通過する.
 この標識の後ろに大きな石碑が立っているが,この石碑に何が書いてあるのか確かめる時間がない.また,後ろに建つ建物は何かの公共機関らしいが良く分からない.多分,原の茶屋公民館だろうと思う.

<標高961メートル標識>

■金比羅神社常夜灯
 11時21分,金比羅神社常夜灯に到着する.立派な常夜灯である.
 常夜灯のすぐ先に,小高い丘が見える.丘の上に石塔が立っているのが見える.
 「あの石塔,何だろう…?」
 念のため,私一人で丘に駆け上がってみる.そこには手入れが行き届いた小さな空間があり,そこに石塔が数基設置されている.大きな石塔には「徹顔■(読めない)骨居士百回忌供養塔」と刻字されている.
 この石塔が何であるか,私には分からない.
 

■眼下を仲間が行く
 石塔のある丘の上から下を見ると,仲間達が甲州街道を歩いている.
 「お〜ぃっ…!」
と声を掛けて,ボデーランゲージで,
 「オレを見上げた写真を撮ってくれ」
と依頼する.
 何人かの方々が,私のボデーランゲージを理解して,下から見上げた私の写真を写してくれる.次回,お会いしたときにこの写真を頂戴するのが楽しみである.
 なお,道路を挟んで反対側に旅館桔梗屋跡があるはずだが,丘の上からも確かめられないまま,丘を駆け下りて,一行に追い付く.

<丘の上から仲間を見下ろす>

■原の茶屋標識と農魂之碑
 11時28分,原の茶屋標識が設置されている十字路を横断する.辺りには水田が広がっている.
 この十字路を左折してから,最初の十字路を右折したところに農魂之碑がある.私が居るところから,直線距離で100メートルほど離れた所にある.わざわざ回り道をして,この碑を見に行く時間はないので,遠くからデジカメの望遠で写真を撮る.
 
<原の茶屋標識>                               <農魂之碑>

■カゴメ工場の脇を通る
 この十字路を通過すると道路の右側はカゴメの工場である.私たちは広大な工場沿いの道を歩き続ける.緩やかな上り勾配である.
 工場の敷地の桜並木が続く.この辺りは寒いのか,桜はまだ堅い蕾のままである.

<カモメ工場の敷地に沿って>

■奉納念仏供養塔
 11時36分,奉納念仏供養塔に到着する.
 資料1によると,この石塔には「左甲州道」という刻字があり,道標を兼ねているという.

<奉納念仏供養塔>

■金山大権現と石塔石仏群
 11時42分,火の見ヤグラのある三叉路を左折する.そこに,金山大権現がある.傍らに姿形の良い赤松が生えている.
 11時45分,金山大権現の直ぐ近くにある石塔石仏群に到着する.私たちは,ここで給水のために立ち休憩を取る.
 
<金山大権現>                               <石塔石仏群>

■可愛いネコちゃん
 11時50分,休憩を終えて歩き出そうとすると,近くに可愛いネコちゃんが居る.
 飼いネコだろう.とても人懐こく,愛嬌を振りまく.私は電車とネコは出会ったところで,なるべく写真を撮ることにしている.勿論,ここでもネコの写真を沢山写す.
 “いや,まあ,…実に可愛い!”
 
<可愛いネコちゃん>

■庚申塔
 11時52分,庚申塔群の前を通過する.大きな石に大きな文字で庚申塔と刻字されている.
 辺りは閑静な集落である.

<庚申塔>

[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社

                                       (つづく)

「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/6443f86ca1b1e22636e87931cc7fd7f0
「甲州道中」の次回の記事
(編集中)
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58

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