<鶴ヶ岡八幡宮>
ちょっと遅めの鎌倉七福神巡り(3);鶴ヶ岡八幡宮・宝戒寺・妙隆寺・蛇苦明神
(五十三次楽遊会定例会)
2020年1月21日(火) 晴 (つづき)
まえの記事
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<ルート地図>
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※再掲
<鶴岡八幡宮(旗上弁財天)>
■鉄の井から鶴岡八幡宮へ
小町道路は鉄の井で鎌倉街道に突き当たる.右折する.せまい歩道は観光客で溢れている.今日は平日なのに大変な人混みである.反対方向に歩いてくる人を避けながら,11時45分,鶴岡八幡宮に到着する.
人混みの中,通路の真ん中に荷物を置いて,太鼓橋の欄干に寄りかかっている品を作っている女性が居る.連れの男性が盛んにポーズに注文をつけている.
”邪魔だなあ~”
と思いながら,この二人をよけて先へ進む.
今日は旗上弁財天のお参りが目的なので,八幡宮の階段は上りませんということで,遠くから鶴岡八幡宮本宮に向かって頭を下げただけで参拝を済ませる.
<鶴岡八幡宮拝殿>
■旗上弁財天
11時49分,旗上弁財天のお参りを済ませる.
大分時間が押しているので,余り時間はとれないが,暫くの間,境内を見て回る.
<旗上弁財天>
■源平池を望む
境内から源平池を望む.源氏を象徴する白旗が立ち並ぶ先に池が見えている.休憩所前の水面に沢山のカモメが集まっている.
旗上弁財天の参拝を終えて,鶴岡八幡宮境内にある休憩所に向かう.時間が押しているが,休憩所で5分ほどトイレ休憩を取る.
<源平池>
<宝戒寺>
■裏通りを通って宝戒寺へ
12時10分,横浜国大付属小中学校側の出入り口から外へ出る.鶴ヶ岡八幡宮と住宅地の間を南へ向かう路地を通って横大路に突き当たる.そこで左折.12時15分,宝戒寺参道入口に到着する.参道入口に敷き詰められている八角形の大きな敷石を通って境内に入る.
敷石が八角形になっている意味を,今学習中の通信教育の教材で学習したが,残念ながら忘れてしまった.
<宝戒寺参道>
■宝戒寺(毘沙門天)
まずは毘沙門天を拝観する.
鶴岡八幡宮に近いこともあってか,境内には沢山の観光客が集まって賑やかである.
時間が押しているので,12時15分に参拝を早めに切り上げる.
<宝戒寺本堂>
<妙隆寺>
■妙隆寺本堂
小町大路を少し下ったところある三叉路を右折して,住宅地内の路地に入る.スリランカティーのお店の少し先で左折,突き当たりの三叉路を右折してすぐに左折,そして,12時30分,妙隆寺に到着する.
まずは本堂で参拝を終える.
<妙隆寺本堂>
■寿老人
本堂に向かって右側に寿老人が祀られている.今日のテーマは七福神巡りなので,こちらの参拝は欠かせない.一同順番に参拝を済ませる.
寿老人は,「人々の安全と健康を守り,長寿を願う福の神」である(『かまくら子ども風土記』p.21).ありがたい神様である.
<寿老人>
■丸山定夫の墓
寿老人の参拝を終えてから,本堂脇の丸山定夫の墓を詣でる.丸山定夫は大正,昭和期に活躍した俳優で「新劇の団十郎」と呼ばれた人物だという.
12時33分,命終寺の裏手から境内の外へ出る.
<丸山定夫の墓>
<小町大路周辺の神社・遺構>
■宇津宮稲荷大明神
妙隆寺から住宅地内の路地を南に向かう.
12時36分,宇津宮稲荷大明神に到着する.ここは狭い敷地ながら由緒のある神社である.境内に「宇津宮辻幕府跡」と書いてある史籍案内の石碑が立っているように,この辺りは宇津宮辻子の幕府があったところだと言われている(前掲書,pp.26-27).
私たちは,宇津宮稲荷を右に見ながら,今来た路地をさらに南に向けて歩き続ける.
<宇津宮稲荷>
■蛭子神社・日蓮辻説法跡
路地は東西に走る道路に突き当たって終わりになる.左折して小町大路に突き当たる.小町大路を越えたところが,うまい具合に蛭子神社入口になっている.
まずは蛭子神社をお参りする.
この境内で一休みしようかと思ったが,もう少し歩こうと言うことになる.
蛭子神社の写真を撮ったつもりだったが,結果的にどうしたことか写っていない.
蛭子神社から日蓮辻説法跡へ.ここでも写真を撮ったつもりだが,シャッターが切れる時間がズレたために,道路だけが写っている.
■琴弾橋
日蓮辻説法跡近くの三叉路を右折して,12時47分,琴弾橋に到着する.赤い欄干のしゃれた橋である.でも何故か鎌倉十橋には入っていない.
橋の先にある小高い丘が「御所ノ丘」である.2代目将軍源頼家の妻とその子一満住んでいた御所があったと聞いている.この丘に生えている松の枝が風に揺られると妙なる音がしたという(前掲書.p.20).
12時
<琴弾橋>
■妙本寺入口
琴弾橋を渡って,閑静な住宅街を通り抜ける.そして,12時52分,妙本寺入口に到着する.
どこか静かなところで休憩を取りたいなと思う.そこで,妙本寺参道を少し歩いたところで右折して,蛇苦止堂方面へ向かうことにする.
<妙本寺入口に到着>
■蛇苦止明神
閑静な道を進むと長い石段に突き当たる.この石段を登り切って,12時57分,蛇苦止堂に到着する.山間にある静かなお堂である.
右手に井戸がある.この井戸に比企能員の娘若狭の局が我が子一満を抱いて身を投げたという伝説がある.そして若狭の局の亡霊が蛇の姿になり,北条一族に取り憑いた.北条正宗は若狭の局の霊を祀るためにこの蛇苦堂を建てたという(前掲書,pp.72-73).
私たちは閑静な境内の一角を借りて,
「おしゃべりせずに,静かに休憩をさせてもらいましょう…」
ということで,しばらく休憩を取らせてもらう.
<蛇苦止堂>
(つづく)
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