<三界満霊塔付近にて>
歩いて巡る甲州道中四十四宿(第7回);第2日目(5);韮崎宿(1)
(五十三次洛遊会)
2013年11月16日(土)〜18日(月)
第2日目;2013年11月17日(日) 晴 (つづき)
<ルート地図>
<南アルプスを望む街道道>
■三界万霊塔
JR塩崎駅前を通過して直ぐに,進行方向右手にあるファミーマートに立ち寄る(13時22分).なり行きで,このコンビニに立ち寄り,休憩を取る.もう11月も中旬だというのに,歩いていると蒸し暑くなる.私は堪らず冷たい物を購入する.
13時34分,休憩を終えて,ファミリーマートから歩き出す.
13時38分,三界萬霊塔に到着する.地図で確かめると,この辺りは宇津谷というところらしい.
資料1こよると,この萬霊塔近くにある石塔群の丸石道祖神は文化15年(1818年),三界萬霊塔は寛政5年(1793年),三十二夜塔は天保5年(1835年)に設置されたもののようである.
<ファミリーマートで冷たい物を購入> <三界萬霊塔>
■鹿の子模様と城壁の旧家
13時40分,三界番霊塔のすぐ先に建っている立派な土蔵のある家の前を通過する.鹿の子模様と城壁の威風堂々とした家である.この家の由来など知る由もないが,とにかく重厚で素晴らしい建物である.
私たちが歩いている道路の先には,雲一つない青空と,雪を戴く甲斐駒ヶ岳が聳えている.
<鹿の子模様と白壁の旧家>
■船形神社
13時45分,船形神社に到着する.
境内入口には,少々背が低い感じがするが,石造りのどっしりとした鳥居が建っている.近くにある説明文によると,この鳥居は応永4年(1397年)に建立されたものだという.
境内の日陰に入って,暫くの間,休憩を取る.
<船型神社>
■境内の木陰で一休み
もう11月だというのに,歩いていると暑くなる.私たちは船形神社境内の片隅で,給水休憩を取る.
傍らには丸石道祖神がある.
<境内の木陰> <丸石道祖神>
■芭蕉句碑
13時52分,芭蕉句碑の脇を通過する.
大きな岩に,
“昼みれば
首すじ赤き
蛍かな”
という俳句が刻字してある.
句碑の傍らに立つ案内板はすっかり赤錆びていて,芭蕉句碑という字を読むのがやっとという状態である.
<芭蕉句碑>
<二人旅>
■信号田端
13時53分頃,信号田畑に到着する.
甲州街道は,ここから右折して間道に入り,妙善寺近くから二十三夜塔を経て,金剛寺付近で再び今の道に合流するルートになっている.
信号田畑に到着したときに,運悪く私は列の最後について歩いていた.先頭が間違った道を歩いているのに気がついたが,もう遠く離れていて声を掛けても届かない.どうせ,先の方で合流するのが分かっているので,私はすぐ隣を歩いているアンパンマンさんことHTさんと二人だけで右折し,甲州街道を歩き続ける.暫くの間,HTさんとノンビリ二人旅である.
■二十三夜塔
妙善寺は甲州街道から少し離れているので,妙善寺の墓地越しに本堂方面を眺めただけで通過し,14時07分,二十三夜塔に到着する.ここには大きな石塔が2基並んで置かれている.
地図を見ると,この辺りの聚落は出口というところらしい.
二十三夜塔の前で左折して,静かな聚落の中を通るくねくね道を進む.
<二十三夜塔>
■火の見櫓
地図で現在地を確かめながら,出口という聚落を歩く.閑静な所である.
14時08分,進行方向左手に建っている火の見櫓を眺めながら,私たち2人が正しい道をあるいていることを確認する.
丁度そのとき,間違った道を歩いているリーダーから,HTさんの携帯に電話が架かってくる.
「今さっき,二十三夜塔を通過しましたよ…もうすぐ先で,皆さんと合流しますよ…」
とHTさんが返事をしている.
進行方向右手前方に金剛寺がある.でも甲州街道から少し外れているので,参拝は断念する.
<火の見櫓>
■清川橋
14時14分,甲州街道は再び,国道6号線に合流する.ここで,旧甲州街道を素通りしてしまった仲間達と予定通り合流する.
前方に甲斐駒ヶ岳を眺めながら,広い道を西に向けて歩き続ける.
地図で確かめると,この辺りに旧塩川橋跡があるようだが,見落としてしまったのかよくわからないまま.14時15分,清川橋を渡り始める.
<清川橋>
<韮崎宿>
■韮崎宿の概要
資料2(p.340 )によると,韮崎宿の宿内人口は1,142人.内,男574人,女568人.宿内惣家数237軒.内,本陣1軒,旅籠17軒であった.江戸日本橋から40番目の宿場である.
船山河岸ができてからは,米の集積地として栄えたが,明治31年(1898年)の水害で河岸は流失した.また中央本線の開通によって往時の姿は一変した.
■コンビニ前を電車が通る
14時33分,進行方向右手,中央本線の電車がコトコトと通過する.どうやら普通電車のようである.電車の走る速度が速いので,何両編成か分からないが,田園地帯を走るにしては結構長い編成である.
私たちは,自分の影を眺めながら昼下がりの道をトボトボと歩きながら電車を見送る.相変わらずの上天気である.
14時32分,コンビニ「Daily」に到着する.また,ここで一休みである.
私たちはそろそろ韮崎宿に到着する.
<中央本線の普通電車> <コンビニで一休み>
■合同庁舎と韮崎警察署
コンビニでの休憩を終えて,14時40分にコンビニから歩き出す.この辺りには特段の史跡もなさそうである.地図を頼りに北巨摩合同庁舎とミラ先警察署を目印にして歩き続ける.
14時45分に北巨摩合同庁舎前,14時47分,韮崎警察署を通過する.
<合同庁舎> <警察署と市立病院>
■船山河岸跡近くの公園
地図を眺めながら,14時47分,市立病院の角を左に曲がる.
“この地図だと,この辺りに船山河岸跡があるはずなんだがなぁ…”
先頭を歩く私は,不安になりブツブツと独り言を言う.
細い路地の右側に一対の石の門柱が立っている.その向こうに公園風の台地が広がっている.滑り台が見えている.とにかく高い所まで登ってみることにする.
坂を登っている途中で,右手に大きな石塔が建っていることに気がつく.
<公園風の台地> <大きな石塔>
■船山河岸の碑
大きな石塔を一回りしてみる.石塔の裏手に「船山河岸の碑」のプレートが貼ってある.私が裏手と思っていた方が表側だった.
この石碑の脇に立派な案内板が立っている.この案内板の説明によると,天保6年(1835年),釜無川の水を引き入れて,ここに河岸を築いたようである.この河岸ができたことにより,富士川の船運がここまで延長され,鰍沢,駿河を経て江戸城に年貢米を収めたようである.
<船山河岸の碑>
■鰍沢横丁
15時03分,鰍沢横丁に到着する.
側に立っている案内文によると,ここから「みのぶ道」駿河往還が始まる.峡北地方,諏訪,作久地方の江戸城納めの年貢米を馬の背に積んで,鰍沢河岸(幕末には船山河岸)まで運んだ道筋である.
往時,この沿道には駄菓子屋,馬方茶屋が軒を連ねていたが,中央本線の開通と共に往時の活況は消え失せた.
<鰍沢横丁>
■大蓮寺
15時07分,大蓮寺に到着する.
立派な寺だが,人の気配がない.境内で一休みする.
資料1によると,境内に縁切り地蔵があるという.では…ということで,境内を一回りする.ナルホド,境内の片隅に縁切り地蔵(別名延命地蔵)が安置されている.
傍らに説明文があるが,一般的な説明しか書いてないので,ここでは省略する.
<大蓮寺> <縁切り地蔵>
■井筒屋醤油店から本町ふれあい公園へ
15時12分,井筒屋醤油店に到着する.資料1によるとこの向かいの喜月堂の前に,駒繋ぎの石があるというが,良く見ないうちに通過してしまう.
地図を見ると,この辺りに一橋陣屋跡があるはずである.辺りを見回すが,なかなか見つける手がかりがない.醤油店先の路地を右折して路地に入る.
“どうも良く分からないなぁ〜…”
と思いながら,千野眼科付近の路地を先に進む.
すると,路地の突き当たり付近に,「本町ふれあい公園」と刻字してある石の案内標識を見つける(15時15分).
<井筒屋醤油店> <本町ふえあい公園>
■一橋家陣屋跡
公園の一角が一橋家陣屋跡である.
今は,往時の面影はなく,近代風に整備された場所になっている.
<一橋家屋敷跡>
■韮崎宿本陣跡
15時19分,韮崎宿本陣跡の案内杭の前に立つ.本陣跡といっても案内杭が1本立っているだけで,往時の面影は全くない.栄枯盛衰,これが現実だと強く印象付けられる.
<韮崎本陣跡>
■雲岩寺
15時25分,雲岩寺に到着する.
境内にある説明文によると,この寺は曹洞宗.山号は仏窟山.本草は薬師如来.寛正5年(1464年),祖慶衣裳が真言宗道場として開山.元和元年(1615年)天越和尚により曹洞宗となる.
現在の本堂は昭和58年に建築されたものである.
<雲岩寺>
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
(つづく)
「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4fbc982fe399083b5a9644d768b782a4
「甲州道中」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/ebbbbb310da07a86846aafba3c91b112
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58
※お願い
この記事はあくまで個人的趣味,仲間との情報共有を目的としたものであり,第三者を読者の対象にはしておりません.
記事の正確性は保証しかねます.なるべく誤字脱字転換ミスは少なくするように努力しますが,不具合は多々残っているでしょう.これらがご不快に思われる方は,どうぞ当ブログへアクセスしないようにお願いします.
↧
歩いて巡る甲州道中四十四宿(第7回);第2日目(5);韮崎宿(1)
↧