<『北穂高岳から奥穂高岳を望む』(40 )>
2018神奈美会員展出展作品(2);水彩画『北穂高岳から奥穂高岳を望む』(40号)
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2018年12月18日(火) 雨のち曇
前の記事に続く2枚目は,数年前に北穂高岳に登ったときに畏怖の念を持って眺めた奥穂高岳を絵にしたものである.
この絵でも,前回披露した絵と同じように,公募展だったら必ず問題になって落選間違いない箇所がいくつかある.例えば,斜め上に続く対角線に沿って,いくつかの峯を一直線に並べていることである.これでは画面に単調さが現れてしまい退屈である.つぎにどの峯も殆ど同じ色調で掛かれていて変化に乏しい.また,空の色も単調すぎる.この3点だけでも落選間違いなしである.
このような弱点があるにもかかわらず,敢えてそれらを修正せずに描き上げた私には,それなりの屁理屈がある.たとえ見て下さる方々に通じなくても,やってみたかった.
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…で,私がこの絵で拘ったのは,自分の来し方行く末を,この絵で”ちょっとだけ”表現したかったということである.
この絵では右肩上がりの時間軸を設定した.
「何故右肩上がりか」って…?
それは右肩上がりの方が何となく末広がりな感じがして格好良いからである.つまり左したの過去から,中央の現在.そして右上の未来に向かって,私は末広がりの人生を送りたいという願望がある.あくまで願望であり,そうなっていく可能性は少ないかも知らないが…
次のポイントは,描き認めたいくつかの小さなピークの色である.全てにピークは鋭く切り立った真っ黒な色をしている.しかもどれも殆ど同じ色をしている.
これには訳がある.
80年以上に及ぶ身近井のようで長い人生の間に,本当の戦争だけでなく受験戦争やサラリーマン時代の切った張ったもあった.決して平坦な人生とは言えなかったかも知れない.そして将来も決して平々凡々という訳にもいかないだろう.でも,結局はいつも代わり映えのしない生活を送ってきた.
だから,こんな人生を象徴する色は黒しかない.それも過去から現在までずっと同じ色調の黒である.そして未来も多分同じ黒だろう.だから,この絵では全てにピークを同じ黒で描くしかない.
上空は抜けるような青空である.これは私の将来への願望を表している.また,左下にわき上がっている雲は,戦争時代の辛い思い出や,現役時代の苦しさ辛さを象徴している.
そして…
右下に,斜めに落ち込む斜面は,ひょっとしたら落後するかもしれない未来への不安を表している.
茨だらけの人生を表現するには,荒いタッチの筆遣いが合致しているだろう.だから乱暴とも思えるタッチで描こう.それに峻険な山は畏怖に満ちた人生を表現するには丁度良い.
そして…
長い人生の間には,色々な所から射し込む光明を拝観した.禅宗の坊主が言っていた.”施しをするも善行”,”施しをされるも善行”だって…これが光明かも知れない.だから,これを表現するには,光を一方向からだけ当てるのではなく,四方八方からあてなければならない.だから,この絵では影が一方向だけにできるのではなく,四方八方にできていなければならない.
こんな馬鹿なことを考えながら描いたのがこの絵である.
まあ,こんな動機で勝手気ままに描いた絵なので,もし公募展に応募していたら落選間違いなしの絵である.逆に言えば会員展だからこそ,こんな自分勝手の絵でも出展できた.実に有難いことである.
来年5月には公募展が開催される.このときは,きちんとオーソドックスに描いた絵を出展しようと思っている.
でも,きちんと下絵が描けるかどうか,今から頭が痛い.
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こんなことを真面目に考えながら,この絵を描いていた.
振り返って見ると,まるでバカみたいで,独りよがりである.こんな裏側の心情など間違いなく見て下さる方々には伝わらないだろう.こういう伝わらない状態のことを「未熟」という.
絵には,描く人の本性が如実に現れる.本性とは品格,教養,人となりの総称である.
だから,私には,たとえ下手な絵でも,ただ漫然と描くことはできない.見て下さる方から,たとえ,
「なかなか良い絵じゃないか…」
と褒められても,私の意図するところが伝わっていなければ,駄目ダと思っている.
良い絵とは,自分の意図が見て下さる方に正確に伝わる絵のことである.ただ単に技術が良いとか,良い絵だねと褒められるだけでは,何をしているのか分からない.
良い絵を描くには,もっともっと,自分の品格を高めなければダメだなと,何時も何時も思い続けている.絵を描く場合の何かより所になるようなものをつかめれば御の字である.
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今回披露した2枚の絵の裏話にはこんな葛藤の場面があった.だから.絵を描くのは,本当に楽しいけど,同時にとても辛いことでもある.これが,我流絵画論の神髄である.
(碌でもない屁理屈にお付き合いいただき,感謝します)
(おわり)
「セピア色の画集」の次回の記事
(なし)
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