<自性院>
歩いて巡る甲州道中四十四宿(第7回);第2日目(4);甲斐市を行く(2)
(五十三次洛遊会)
2013年11月16日(土)〜18日(月)
第2日目;2013年11月17日(日) 晴 (つづき)
<ルート地図>
<竜王町を行く>
■道祖神二つ
11時37分,JR中央本線第一信州往還踏切を渡る.竜王駅から少し西にある踏切である.
踏切を渡って直ぐの所にお社(やしろ)形式の道祖神がある.さらにその先,200メートルほど歩いたところに,また道祖神がある.
<社形式の道祖神> <道祖神>
■赤坂供養塔と馬頭観尊仏
11時51分,進行方向右手に赤坂供養塔,左手に馬頭尊がある.甲州街道から南西に300メートルほど離れたところに慈照寺という寺があるが,街道から離れすぎているので参拝は省略する.
資料1によると,慈照寺の山号は有富士山というらしい.また本堂や山門は江戸初期の建築で,寺運をもたらした猫の塚があるという.
<赤坂供養塔> <馬頭尊>
■赤坂稲荷
11時51分,赤坂稲荷の前を通過する.お社は広い駐車場の奥にある.駐車場の入口には鉄製の扉があるので,少々入りにくい,それに街道から少し離れているので,無精して参拝を省略.素通りする.なお,この赤坂稲荷の由来などは全く調べていないが,資料1によると境内に御柱があるとのことである.
道路はなだらかな上り勾配になっている.歩いていると,だんだんと蒸し暑くなってくる.
そろそろ昼食をどうするか考えなければならない.地図を確かめると,この登り坂をもう少し先まで歩くと,どうやらコンビニがありそうである.コンビニで弁当を買って,どこか適当なところで食べようということになる.
<赤坂稲荷>
■サンテクノカレッジと赤坂台病院
11時55分,緩やかな坂を登り切るところにあるサンテクノカレッジに到着する.立派な建物だが人影は殆どなく静まり返っている.
この辺りはドラゴンパークという公園の一角らしい.
辺りは広々とした高台になっている.さらに街道を先に進んで,12時06分,赤坂台病院に到着する.実に広々とした駐車場と,平屋建ての大きな建物が見えている.
「随分と広いなあ〜」
と一行の誰かが言っている.
平らな所が乏しい鎌倉に住む私などにも,羨ましくなるほどの広さである.
地図で確かめると,どうやら中央自動車道の双葉サービスエリアの直ぐ近くのようである.
<サンテクノカレッジ> <赤坂台病院>
■石仏石塔群
12時07分,進行方向右手の石仏石塔群の前を通過する.小さな赤い鳥居が印象的である.
前方にセブンイレブンの看板が見え出す.
「セブンイレブンが見えますよ.もう少しです…」
とリーダーが一同を促す.
<石仏石塔群>
■コンビニで昼食
12時10分,セブンイレブンに到着する.
各自,ここで昼食を調達して,裏手の駐車場の一角に腰を下ろして昼食を摂る.風もなく穏やかに晴れている.青空の下でユックリと昼食を摂るのも乙なものである.
ドケチで面倒臭がり屋の私は一番手前に並んでいた弁当を無造作にピックアップする.
“口に入れば何でもイイヤ…”
が本音である.
<コンビニ弁当で昼食>
■供養塔と庚申塔道標2基
12時37分,昼食を済ませた私たちはコンビニ駐車場から再び歩き出す.この辺りから緩やかな下り坂になる.
12時55分,供養塔前を通過する.更にすぐ先に2基の庚申道標が並んで立っている.資料1によれば,この道標には「右市川駿河道左甲府江戸」と刻字されている.左の庚申塔は元禄6年(1693年),右は弘化3年(1846年)に建立されたものだという.
<庚申供養塔> <2基の道標>
■白壁の土蔵が続く家
12時58分,白壁の土蔵が続く屋敷の前を通過する.資料1によれば興石家宅のようである.立派な白壁に圧倒されながら歩き続ける.
<白壁の立派な家>
■自性院
13時00分,自性院参道入口に到着する.参道の先に立派な寺の境内が見えている.
「あの寺で,ちょっと一休みしましょう…」
ということで寺に立ち寄る(冒頭の写真).
自性院の案内書によると,ここは曹洞宗.天真山自性院と号する寺である.自性院は旧塩崎村にあった信号州の寺だったと伝えられるが,二度の水害にあった後,現在地に移転し,新たに曹洞宗の寺とし元亀元年(1570年)に開山された.本尊は弘法大師作と伝えられる(資料3).
広い境内を一回りさせて頂く.お庭に安置されている十六羅漢様が印象的である.
<自性院参道> <十六羅漢>
■長屋門の家
参拝と休憩を終えて,13時09分,自性院を出発する.
13時10分,立派な長屋門のある家の前を通過する.資料1によると,ここは水上家宅(かな?)のようである.
<立派な門構えの家>
■丸い石の道祖神と眼鏡橋
13時15分,中央本線の眼鏡橋を潜る.橋の袂に丸い石のモニュメントがある.資料1によるとこの丸い石は道祖神のようである(?).
眼鏡橋を潜る.
中央本線を走る近代的な特急電車に乗っていると,電車の車体だけでなく,鉄道の施設の何もかも新しくて近代的なものばかりだと,ついつい思いがちだが,実はこんなに素晴らしい歴史的な重みがあって趣のあるトンネルの上を走っているとは,ついぞ知らなかった.だから旅をするのも良いものだとつくづく思う.
<丸い石の道祖神> <中央本線の眼鏡橋>
■泣石
中央本線の眼鏡橋を潜ると,暫くの間,右手に中央本線の線路を眺めながら歩き続ける.やがて街道が左に曲がって,線路から離れ掛けるところに泣石がある.私たちは13時24分に泣石に到着する.
辺りは平地なのに,なんでこんなところに大きな石があるのかちょっと不思議な感じがする.
石の傍らに説明文が設置されている.この説明文によると武田勝頼が長篠の合戦で徳川家康に敗れ,韮崎に新府城を築いて再起を図るが,天正10年(1582年)?遠城が落城すると,新府韮崎城に火を放って岩殿山に敗走する.その途中で,勝頼夫人(相模の方)が,この岩の所で燃える韮崎城を振り返って涙をながしたと伝えられる.
<泣石>
■塩崎駅
13時25分,進行方向右手前方に塩崎駅を眺めながら,三叉路を左折する.
目指す楢崎宿まで後4キロメートルほどである.
<塩崎駅>
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://jishouin.com/about.html
(つづく)
「甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4cba52b318de987cef50a79c5e9ed483
「甲州道中」の次回の記事
(編集中)
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58
※お願い
この記事はあくまで個人的趣味,仲間との情報共有を目的としたものであり,第三者を読者の対象にはしておりません.
記事の正確性は保証しかねます.なるべく誤字脱字転換ミスは少なくするように努力しますが,不具合は多々残っているでしょう.これらがご不快に思われる方は,どうぞ当ブログへアクセスしないようにお願いします.