2017/11/30
趣味三昧;セピア色の画集;私的絵画論考(1):オレの目指す絵はどこ?
■柄を描くのはシンドイ
今年(2017年)の神奈美会員展も無事終わった.私は水彩画を2枚出展した.大きさはそれぞれF40とF20である.なお,今年春の神奈美公募展でも水彩画を3枚出展済みである.結局,私はやや大きな水彩画を1年間に5枚描いたことになる.
”たった5枚か! たいしたことないな”
と言われてしまえばそれまでだが,私自身は随分とシンドくて辛い思いをした.
…で,私は何時も,
”そんなにしんどくて大変だと思うんなら,なんで頼まれもしない絵を描くんだね…?”
と自問自答する,正直,何で自分が絵を描くのか良くわからない.だから返答に窮する.
”一体,オレは何で絵を描いているんだろう?”
”オレの目指す絵って,何なんだろう?”
実は,この二つの問いに私自身全く答えられないのである.でも,やっぱり来年の神奈美公募展を目指して,程なくウンウン言いながらも描き始めるだろう.本当に全くシンドイ日々が続くにもにもかかわらずである.
■何で絵を描くのが楽しいの?
冒頭かあ愚痴ってしまったが,でも,やっぱり私は性懲りもなく絵を描き続けるに違いない,
いるいろと愚痴ってはみたものの,結局は,絵を描くのが楽しいからだ.でも,所詮,私は絵のアマチュアだ.だから,絵を描く目的は,純粋に”楽しい”ということだけだ.でも,折角楽しく描くんだったら,もっと楽しくなるように描きたい.
では,どうすればもっと楽しく絵が描けるんだろう.その前に絵を描くのが何で楽しいんだろう.そこか良くわからない.
でも,はっきりしていることは,
”我ながら上手く描けたなぁ~”
と思えた瞬間に「楽しいな」を実感できるのは確かである.これが第1段階の楽しさというものだろう.
さて,ここからが問題だ.では,もっと”高次の楽しさ”って一体何だ.それは,拙いながらも自分が描いた絵の意図や狙いが,当該の絵を見てくださった方々から”共感が得られる”ことだろう.これが第2段階の楽しさというものだろう.
■では,共感の構造は?
冒頭の図は,余所様の目から,自分の絵にどのような”共感”をしてもらうかを分析したものである.
縦軸は絵を見ていただいたときの「感動」つまり共感が得られたかどうかを「感動した」と「感動しない」に区分している.そして横軸は,絵を見ていただいた方が,絵の対象となる主題(私の絵の場合は登山)にたいして共通の関心(趣味)が「あり」と「なし」に区分している.すると,縦軸,横軸ともの二つに区分しているので,合計4個のマス目ができる.
私にとって一番ガッカリは,折角描いた絵が,象限Cに位置することである.せっかく山の絵を描いたのに,山を趣味にする人にも評価されない段階である.これはもう論外で,展覧会に出展する価値すらない.象限Dは共通の趣味がない人の感動が得られない段階である.これも論外だが象限Cに比較すれば,少しは言い分けた立つので,象限Cに比べればチョッピリ言い分けた立つ.
■当面の目標
私は2010年に神奈美の会員になった.歳月の過ぎるのは早いもので,会員になってから,もう,7年も経っている.その間,私の絵がどれだけ進歩したかを振り返ると暗澹とした気分になる.
7年の間に描いた絵を並べてみると,全くといって良いほど進歩の跡が見えない.むしろ怠惰に流されて,いたずらに画用紙に色を塗りたくっているに過ぎないことに気がつき,愕然とする.
今,11月下旬である.
そろそろ来年4月に開催予定の神奈美公募展に出品する絵の制作に取りかかろうとしている.
今度の展覧会までには,象限B,欲を言えば象限Aを満足するような絵を描きたいなと思っている.
もちろん,当面は山を主題とした絵を描くつもりである.
■駄作の山
駄作の山.私が旅立ったら,すぐに焼却される運命だが,それでも描き続けている(まだ出展していない絵も何巳かある).
<何となく貯まってしまった駄作の山>
(つづく)
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(おわり)
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