お盆休み特集 昭和を振り返る;第11話;宮城遙拝
(2017年8月25日記)
私の故郷は長野県北佐久郡小諸町.確か昭和29年の町村合併で小諸市になった.
私が幼少の頃,信越本線の小諸駅を降りると,狭い駅前広場のすぐ先が崖になっていて,崖の上に鹿島神社があった.戦後,この鹿島神社は懐古園の一角に移され,この崖もなだらかに整地された.そして整地された場所には,飲食店や商店が建ち並ぶ駅前繁華街になった.少し坂になってはいるものの,駅前広場が随分と広くなり.歩道もできた.
それまで,小諸には,歩道のある道路など一カ所もなかったので,この新しい歩道が何となく誇らしく感じた.そして,たまたま小諸を訪れる中学の同級生などに,
「…どうだ! 小諸には歩道があるぞ.大都会だろう…」
と自慢したものである.
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さて,ここからが本題である.
もちろん戦争中で軍国主義が頂点に達していた頃のことである.
を野頃,私は小学生(正確には国民学校生)高学年だった.毎週か毎月か記憶は定かではないが,私たち小学生は,学校から隊列を組んで,駅前の鹿島神社まで行進する.
鹿島神社に到着すると,まずは竹箒を使って,神社境内を清掃する.この竹箒は確か小学校から担いでいったように思うが,そこのところの記憶は定かではない.
清掃が終わると,広場に整列する.
「…前へ~ならえ!」
日頃から私たちは隊列を組んだり,行進したりは,十分に訓練を受けているので,正に瞬時にして縦横きれいに隊列を雲事ができる.
そして,神社参拝と宮城遙拝が厳かに行われる.
宮城遙拝は,最初に,
「宮城遙拝!」
という号令が掛かる.すると生徒全員が回れ右をして宮城のある東京方面に体を向けて直立不動の姿勢を取る.ここから先遙拝がおw猿まで,勝手な微動は厳禁であるい.
全員が宮城の方向を向いてから,ちょっと間を置いて,
「令!」
の号令が掛かる.
一同一斉に最敬礼をする.
「直れ!」
の号令で,頭を上げて元の姿勢に戻る.
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こんな行事を繰り返していたが,あるとき,いつものように,宮城遙拝の最敬礼をしている最中に,大きな音のオナラをしてしまった生徒が居た.
”シ~ン…”と静まりかえった神社の境内に,大きなオナラが鳴り響く.
周囲の子供達は,可笑しくて,可笑しくて…
でも笑うと叱られるので,必死になって笑いを堪える.体が小刻みに震える.笑いを必死に堪えて”ク,ク,ク,…”. 「直れ!」の号令が掛かるまでの時間が長いこと,長いこと…
オナラの音は引率する教師にも聞こえたんだろう.教師も笑いを必死に堪えていたようである.
こんな厳粛な場で笑ったらそ,れこそ不敬罪になりかねない.
その後,オナラをした生徒は,こっぴどく叱られたという噂があったが,本当に叱られたかは分からないままである.
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あれから幾星霜.
私は年に数回は生まれ故郷の小諸の里帰りしている.
里帰りをしたときには,なるべく懐古園を一周し,鹿島神社を参拝している.
今の鹿島神社は千曲川が見下ろせる閑静な場所に祀られている.鹿島神社の境内で,一人静かに戦争中のことを回想する.
神社の柵に,鹿島神社に奉納した方々の名前がずらりと刻字されている.その中に上田中学時代の友人の名前を見つける.私と同じFHという名字である.
こちらのFH氏も,大学卒業後,ずっと関東地方に住んでいたが,つい1~2年前に,川の向こうへ旅立った.旧制中学から新制高校卒業まで6年間,一緒に上田まで汽車通をしていた仲間である.FH氏は関東地方に住んでいる同学年の会の幹事役として尽力された方である.
私は,ときどき,鹿島神宮の境内から千曲川を見下ろしながら,戦争中のことや,今はもう旅立ってしまった同窓生のことなどを回想している.
「…おい,みんな,オレも程なくそっちへ行くからな.待ってろよ!」
(第11話おわり)
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