お盆休み特集 昭和を振り返る;第12話;紙なき休講
(2017年8月26日記)
終戦の年,私は旧制中学1年生であった.
終戦後,暫く経つと世相も少しずつ落ち着いてくる.そして学校でも授業が,まあ,まあ,普通に行われるようになった,中学の授業は英,数,物,国,漢,それに美術,体操.
ところがほとんどの科目には教科書もろくにない.
英語の授業が始まる.教師が黒板に文章を書く.それをノートに書き写して教科書代わりに使う…そんな有様だった.他の科目の教科書も,あったとしても以前このシリーズで触れたように墨塗のぺらぺらものだった.
さて,今回は習字の授業がテーマである.
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当時,週番という制度があった.
生徒2人ずつ1組になって,学校でのできごとを1週間の間,日誌に記帳して担任に提出する.翌週は次の登板に引き継ぐという仕組みである.
当時,物資が極度に不足していた.
新聞も,紙不足で,ついにA3ぐらいの大きさの紙1枚になってしまった.
今の人たちには想像もできないかもしれないが,当時,習字に使う紙は古新聞と決まっていた.習字用の半紙など見たこともなかった.
ところが,肝心の新聞も紙不足で,だんだんとページ数が少なくなり,ついに1枚になってしまうと,習字に使う古新聞にも事欠くようになる.
ついには,習字はしたくても紙がないのでできなくなる.仕方がないので習字の時間は自習に切り替える.教師は教壇に座ったまま,生徒は自分の机に座ったまま適当に自習する,
たまたま日誌の当番だった私は,同じく当番だった生徒と相,
「日誌になんて書こうか…」
と相談する.
すると,その生徒は,
「紙なき自習だな.」
と言いながら,達筆でうやうやしく「紙なき自習」と記入する.
1日の授業が終わり,日誌を担任に提出する.
担任は,「紙なき自習」の記事を読んで苦笑いする.
当時はまさに真の意味でのペーパーレス時代だった.
今考えると,メチャメチャな時代だったが,当時は別にビンボーとも感じなかった.ものがないのは当たり前のことと思っていたし,別に不満でもなかった.
別にうまいものを食べたいとも思わないし,なんでも腹に入ればそれでOK.幸せだった.
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あれから幾星霜.
街中には,多種多様な文房具が満ちあふれている.実に豊かである.こんなに豊かなのに,何の不満があるんだろうと不思議な気分になる.
豊かさと充実感との相関関係は一体どうなっているんだろう.
そう言っている私自身も,PCを使って,この文章を書いている.
私一人のわずかな人生の間に,これだけ世の中が変わってしまったとは,まさに驚きである.
(第12話おわり)
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