お盆休み特集 昭和を振り返る;第10話;我が校の誇りは計算尺だ
(2017年8月24日記)
終戦の年に私は旧制中学に入学した.
その年は戦争末期の混乱期にあたる.せっかく入学した中学でも,まともな授業はほとんどなく,教練,柔道,剣道や大講堂での集中授業がたまに行われる程度であった.農繁期には銃後の守りのために出征兵士の家を農作業を手伝ったり,近場の山へ燃料用の木材運びに出かけたりで何とも落ち着かない日々を過ごしていた.
それでも,時が経つにつれて,世相もだんだんと落ち着きを取り戻す.
多分,中学2年生の時だったと思う.
数学の授業は対数だった.対数目盛を使うとかけ算が足し算になるという仕掛けである.
教師が,学校の備品である計算尺を生徒に配る.今考えると木製でA尺とB尺だけの実にお粗末な計算尺である.
「こんなに沢山の計算尺を備品として持っているのは,県下で我が校だけです…」
と教師が自慢する.
”へえ~…,そうなんだ! 凄いな”
と大いに誇らしく思う.
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その後,私は,大学生時代,計算尺とソロバンのお世話になりながら,実験データの整理や論文纏めに終始した.実写化に出てからも,電卓や個人用のパソコンが使えるようになるまでは,計算尺とソロバンが頼りだった.
パソコンが身近になるまでの間,何種類もの計算尺を使うようになっていた.目盛の端がルート10になっている計算尺や,「π」のなっている計算尺など.一時期は,作業服のポケットには,何時も計算尺を忍ばせていた.
その頃,計算尺の大手メーカが佐賀県にあったが,今は,この会社,どうなっているんだろう.
あれから幾星霜.
私は,初めて出現したシャープ製の電卓を購入した.なけなしの大金をはたいて…
この電卓,文字の表示は液晶ではない.たった3桁だけ表示する.割り算は小数点以下2桁しか計算できない代物である.でも,加減乗除が即座にできるので,大変重宝した
そのうちに電卓「カシオミニ」が出現した.これにはビックリ仰天.
今は100円ショップでも電卓が買えるようになった.正に隔世の感がある.
私が修士論文を纏めている頃は,まだ電卓はなかった.理論式を数値展開して,頭の2項だけ計算尺とソロバンで計算する.明けても暮れても計算,計算,…の毎日だった.今の時代,PCを使ったらほんの何十分の1秒ですんでしまうような計算を2年も掛けて計算する.そして,その計算結果と実験結果がどの程度合致しているかを確かめるのが,私の修士論文のすべてである.
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昨今,私の母校の高校スーパーインタナショナルハイスクール(詠唱が違うかもしれない)とやらで,同窓会が盛り上がっている.そんなこんなで,母校の噂が聞こえてくる度に.この計算尺のことが思い出される.
(第9話おわり)
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