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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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奥州街道(白河の道);第3回;2日目(3);光真寺と大田原神社

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                                <光真寺の大黒天>

    奥州街道(白河の道);第3回;2日目(3);光真寺と大田原神社
           (クラブツーリズム)
       2017年5月17日(水)~18日(木)

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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/88a0ca2e21a21b5054acf4a45193b329

2日目;2017年5月18日(木) (つづき)

<ルート地図>


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<割烹処「荒喜家」で昼食>

■びしょ濡れで大混乱
 降りしきる雨の中を,実に情けない気分でトボトボ歩いて,11時38分,漸く割烹処荒喜家に到着する.
 それほど広くない玄関に,いきなり沢山の客が押し寄せたので,玄関は大混雑である.それに,皆,雨でビショビショのカッパと,ベタベタに濡れた靴を履いている.かなりの雨の中を歩き続けたので,いくら雨合羽や傘を差していてもズボンも靴下もビショビショである.
 私たちも困っているが,お店の方もどうしようかと思案する.
 そんなこんなで,少々混乱するが,靴を下足棚に仕舞ってから,やっとお店の中に入る.
 私たちが通されたのは,重厚な欅造りの階段を登った2階の大広間である.部屋の広さは何畳あるか良く分からないが,蓋部屋をぶち抜いて,数個のテーブルが一直線に並べてある.部屋の突き当たりには金屏風,反対側の突き当たりには床の間.床の間の横にガスストーブが点火されている.
 早速,ストーブの前で衣服を乾かしている人もいる.
 2回の廊下から庭が見える.まだ雨がザーザーと音を立てて降っている.
 でも,やっとユックリ雨宿りができるので,ホッとした気分になる.でも,靴下が濡れているので,気分が悪い.勿論,履き替えるために乾いた靴下を持参しているが,履き替えたところで,またすぐビショビショになるに違いないので,履き替える気分にもなれない.ただ,幸いなことに履いている靴下は登山用の高機能の靴下である.ほんの5分もしないうちに,ビショビショ気分は大分薄れてしまう.

<欅の階段を登って等された部屋>

■昼食は天麩羅重
 暫くしてから,料理が運ばれてくる.天重である.
 食べる前に,料理の写真を撮ったが,シャッターがうまく動作しなかったので,何を撮ったか分からない状態である.さらに,ノートも雨でしわしわになっていたので,メモもままならなかった.ここに記録として残せないのはちょっと残念である.
 揚げたての熱々天麩羅を食べている内に,だんだんと心が和んでくるのが分かる.


<荒喜家の昼食>

■出発前に正法寺を参拝
 12時30分,昼食を終えてから,集合時間より少し早く,1階に降りて,濡れた靴を履く.
 どうやら雨は大分小降りになっている.
 荒喜家と道路を挟んで反対側に立派なお寺があるのに気が付く.ここは今回の旅の訪問先には成っていない寺だが,ちょっと興味があるので,境内に入ってみる.山号は本朝山.日蓮宗の寺のようである.
 私が入ったのは裏門である.正面に廻ると広い境内の突き当たりに立派な本堂が建っている.
 資料1(p.21)によると,ここは大田原七福神の一つである寿老人が祀られているとのこと.山行までに大田原七福神は,大田原神社(恵比須神),光真寺(大黒天),洞泉院(布袋神),不退寺(毘沙門天),正法寺(寿老尊),遍照院(弁財天)の1社6寺で構成されているようである.
 資料2によると,この寺の創建は慶長9年(1604年),日蓮宗.現在の本堂は平成18年(2006年)に建造された,

<正法寺本堂>

<光真寺>

■光真寺本堂
 私たちの専用バスは,荒喜家の駐車場に停まっている.専用バスの中に荷物を置いている人は,午後のウォーキングに備えて,着替えたり身支度を調えたりしてから,12時40分,荒喜家の前から歩き出す.
 まだ小振りながら雨が降っている.
 12時52分,光真寺に到着する.
 講師の資料によると,ここは「天文14年(1545年)大田原資清が建てた大田原藩主の菩提寺である.本堂左裏手に墓域には13代・資清から28代・勝清まで葬られ,初代から7代までは市内中田原上の坊に,その他の藩主は東京・芝泉岳寺に葬られている」とのこと.
 資料2によれば,「山号は太田山.開山體翁麟道(たいおうりんどう)大和尚,宗派曹洞宗,開創は天文14年(1545年),開基は大田原家13代中興大田原資清」である.

<光導寺本堂> 

■延命子育地蔵尊と大黒天
 本堂の脇に立派な建物が建っている.右は延命子育地蔵尊,左の交通安全自動車祈祷所と書いてある後ろの建物が大黒天である.

<延命子育地蔵と交通安全自動車祈祷所>

■史跡大田原城主之墓所
 本堂左手の奥にある大田原城主之墓所を訪ねる.
 数段の石段を登った先に歴代城主の墓が一列に並んでいる(冒頭の写真).墓所前は同行の皆さんの列で混雑しているので,一番後ろからノコノコと歩いてきた私は,混雑が少し収まるまで,手前で待っている.

<大田原歴代城主之墓所>

■巨大な墓石の列
 墓所前が空いてから墓所を拝観する.山を背に白壁の廊下風の建物が建っている.その前に,歴代城主の墓が一列に並んでいる.どの墓石も立派で大きな宝篋印塔である.大きさ姿・形が統一されているように感じる.
 墓地の片隅に,どの墓石が誰のものかを解説した図が掲示されている.

<歴代城主の墓石は立派な宝篋印塔だ>

<大田原神社>

■長い石段
 13時11分,大田原神社参道入口に到着する.
 目の前に長い石段が立ちはだかっている.ちょっとため息.全員,ユックリと石段を登る.

<長い石段>

■深い森の中の拝殿
 深い森林の中に立派な社殿が建っている.
 資料4によれば,「主祭神は大己貫神と小彦名神。当初は温泉神社と呼ばれ、歴代藩主の保護を受けてきました。龍城公園の北側丘陵にあり、うっそうとした楠の大木や老杉に囲まれた本殿は見事です.
 おおたわら七福神:恵比寿神(えびすしん)
大田原神社は大田原の総鎮守として創建されました。七福神の中でも唯一の日本の神様。いざなみ、いざなぎの二神の第三子といわれ、満三歳になっても歩かなかったため、船に乗せられて捨てられてしまい、やがて漂着した浜の人々の手によって手厚く祀られたのが、信仰のはじまりとつたえられている、左手に鯛を抱え右手に釣竿を持った親しみの深いお姿の、漁業の神で、特に商売繁盛の神様としても信仰が厚い。
ご開帳は1月・5月・9月の1日~7日です。」(以上コピペ)

<大田原神社拝殿>

■高台からの展望
 大田原神社は高台にある.
 高台から,一望の下の大田原市内が見渡せる.まだ雨が止んで間もないので,上空には雲が残っているが.空気が澄んでいるので,かなり遠くまで良く見えている.
 私たちは眺望を楽しみながら,暫く休憩を取る.

<高台からの眺望>

[参考資料]
資料1;JTBパブリッシング(編),2014,『大田原』大田原市
資料2;http://www.ohtawara.jp/7fuku/jyurouson.html
資料3;http://koshinji.jp/index02.html
資料4;http://kir579053.kir.jp/jinjyacyo/?p=708

「奥州街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55f1b2dce2470adc0fd0bd872352e0d7
「奥州街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4c195cfa3f795ede28aa0764b57a5db3

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