<大田原城趾>
奥州街道(白河の道);第3回;2日目(4);大田原城跡と木村屋のどら焼き
(クラブツーリズム)
2017年5月17日(水)~18日(木)
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2日目;2017年5月18日(木) (つづき)
<ルート地図>
■大田原宿詳細図(再掲)
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■大田原城跡
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※現地案内板のコピー
<大田原城跡>
■橋を渡って大田原城跡へ
大田原神社の参拝と見学を終えた私たちは,13時23分,橋を渡って大田原城跡に入る.長い間降り続いていた雨もどうやら上がりそうである.
講師の資料によると,「天文14年(1545年),大田原資清により築城され,明治4年(1871年)以来,廃藩置県に至るまでの326年間,大田原氏の居城であった.城の規模は東西210メートル南北327メートルで,本丸,二の丸,三の丸に区画され,周囲を掘りや土塁で固めた防御第1の城であった.
慶長5年(1600年),徳川家康は関ヶ原の戦いの前に,奥州の情勢から,この地を重視して,城の補修を命じた.
寛永4年(1627年),3代将軍徳川家光は,常時,玄米1000石を城中に貯蓄させ,奥州への鎮護とした.」という.
<橋を渡って大田原城跡へ>
■龍体山山頂の本丸跡
13時33分,龍体山山頂にある本丸跡に到着する.
今は広場になっている.広場の一角に,屋根付きの舞台が建っている.この広場で,何かイベントが開催されるんだろう.
講師が座興で演台に立って,ちょっとした小話をする.
広場の廻りに廻らした土手に登って見る.見晴の良い散策路になっていて,休憩用のベンチが置いてある(冒頭の写真).
<本丸跡>
■大きなモニュメント
龍体山を降りる,
降りたところに巨大なモニュメントが立っている.どうやらご当地で有名な政治家を記念して建立されたもののようだが,正確なことは聞き漏らした.
私たちはこのモニュメントの前を通過して,大田原市街地へ戻る.
<大きなモニュメント>
<木村屋のどら焼き>
■老舗の「木村屋」
13時51分,ご当地の老舗「木村屋」に到着する.
講師の説明によると,ここのどら焼きは有名だという.特にトウガラシ入りのどら焼きは珍しいとのこと.
<木村屋>
■名物のトウガラシ入りどら焼き
いきなり大勢の人が店内を目指すので,狭い店内は大混雑である.ほとんどの人がなにがしかの買い物をするので,レジが大忙しである.私は忙しないのが苦手なので,混雑が終わるまで店の外でジッと待っている.
やがてレジが空く.私も,ものは試しということで.トウガラシ入りどら焼きなるものを一個だけ購入する.これは帰りのバスの中でユックリ味わうことにしよう.
<木村屋のトウガラシ入りどら焼き>
■専用バスに乗車する
木村屋の駐車場で,専用バスが私たちを待っている.
14時02分,専用バスに乗車する.すぐに発車.私たちはこれから道の駅那須与一の里へ向かう予定である.
(つづく)
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