<白沢宿の榎の大木>
奥州街道(白河の道);第1回(5);白沢宿;第1回の纏め
(クラブツーリズム)
2017年3月22日(水)
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<ルート地図>
■白沢宿
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■白沢宿詳細図
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<白沢宿に入る>
■白沢宿の概要
資料1によると白沢宿の概要は以下の通りである(コピペ).
「白沢宿(白澤宿)は、江戸時代に奥州街道(奥州道中)下野国河内郡にあった宿場町で宇都宮宿の次の宿駅である。江戸から丁度30里余に位置する。天保14年(1843年)の『奥州道中宿村大概帳』によれば、白沢宿は家数71軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠13軒、人口369人であった。白沢宿本陣は宇加地家、脇本陣は福田家が拝命していた。白沢宿の名物として鬼怒川の鮎と白沢の牛蒡(ごぼう)が知られていた。当時、稚児ヶ坂の中程に茶屋があり、四季を問わず牛蒡汁を出していたと言われている]。
宇都宮宿から白沢街道(旧奥州道中)を歩くと稚児ヶ坂(ちごがさか、ちがさか)を登り切った宝木台地の北東端付近に白沢地蔵堂(しらさわじぞうどう)が、またこの宝木台地を下る薬研坂(やげんざか)を下りて左折した宿内には村社白鬚神社(しらひげじんじゃ)が、また宿の北端には薬師堂(やくしどう)が建つ。坂上の白沢地蔵堂は鎌倉時代に源頼朝の命を受けて一族で奥州に下向した伊沢家景が旅中に病死した実子の亡骸を葬って祀ったのが起源、また、白鬚神社は白髪神社とも書き白沢宿の名前の起源とも云われるが、不詳である。薬師堂は宇加地家墓所に併設する。奥州道中は薬師堂の辻口で右折し宿外に出て九郷半川および西鬼怒川(にしきぬがわ)を渡って白沢の一里塚(しらさわのいちりづか)に至る。この一里塚は江戸より30番目、30里に当たる塚で当時は鬼怒川の河原にあったが、度々の水害で破壊され痕跡が残っておらず、現在は白沢河原に白沢各自治会によって記念碑が建てられている。
現在、白沢宿は東京から茨城県を経て東北地方を結ぶ国道4号線のルートから外れており、白沢宿を通る旧奥州街道沿道には鬼怒川から取水された用水が両側を流れ、その用水には水車が設けられ、沿道の民家には屋号が掲げられているなど,江戸期のの静かな風情を髣髴させる宿並みとなっている。」(以上コピペ)
■宿内そぞろ歩き
稚児坂を通過してから,2車線の舗装道路を歩き続ける.道路の両側には民家が建ち並んでいる.そろそろ白沢宿である.しかし,閑静な街並みだが,昔の宿場町の面影は薄い.
大分時間が押しているらしく,案内役の仕草に心なしか焦りが見え始める.
<閑静な住宅地が続く>
■白坂宿に到着
15時57分,やっと白沢宿入口に到着する.ここには,瓦葺きの吾妻屋が建っている.吾妻屋の脇に案内板が取り付けられていて,そこには「白坂宿 ここは江戸より三十里」と書いてある.
<白坂宿に到着>
<白沢宿を散策>
■白沢七福神の所在地
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■地蔵堂
16時08分,地蔵堂に到着する.ガラス張りのお堂の中に寿老人が祀られている.
傍らに立っている案内板の記事によると,源頼朝の命を受けて奥州総奉行として鎌倉から東北に向かった伊沢家景が稚児ヶ坂で子どもが病気で死亡した.子どもの亡骸をこの地に葬って,この地蔵堂を建立したという.
<地蔵堂寿老人>
■やけん坂
地蔵堂の前を通過して,やけん坂を下る.
坂の下に立っている案内板には,「やけん坂」という名称の由来が書かれてる.それによると,この坂の形が漢方薬の調合で使う薬研(やけん)に良く似ているからだという.
<やけん坂>
■江戸時代の公衆便所跡
16時10分,江戸時代の公衆便所跡を見物する.
なかなか立派なトイレである.ただ,当時の人達の背丈が低かったのか,私のような今では普通の日本人の背丈でも軒に頭をぶつけそうになる,
今から10年ほど前に訪れた極東アジアのどこかの国のトイレより,ずっと,ずっと,ましだなという印象を受ける.
<江戸時代の公衆便所跡>
■脇本陣跡
16時11分,「樋口輪業」の店舗前に到着する.
案内人の説明によると,かつてここに脇本陣があったという.今はその面影は全くない.
<樋口輪業;脇本陣跡>
■白鬚神社(大黒天)
16時16分,白鬚神社参道入口に到着する.
案内人によると,今日は予定より大分遅くなったので,白鬚神社には立ち寄らないとのこと.
”ならば…”
ということで,逆光にもめげずに,遠くから平髭神社の写真を撮る.急な長い石段を登ったところに社殿が見え隠れしている.
なお,白鬚神社には白沢七福神の一つである大黒天が祀られている.
<白鬚神社>
■本陣跡
16時19分,本陣跡に到着する.
現在は私邸のために見学できないために,敷地の外から入口の写真だけを撮らせて貰う.
案内人の話によると,以前は敷地内を見せていただけたが,観光客の増加もあって,今は敷地内の見学はしないことになっているという.
門の脇に本陣跡の案内板が設置されている.
<本陣跡>
■明星院(布袋尊)
16時22分,明星院の看板が立っているところで左折する.道幅が少し狭い山道を歩いて,明星院本堂前に到着する.ここには白沢七福神の布袋尊が祀られている.
ここは関東八十八箇所巡り第二十五番札所,真言宗智山派の名刹である.
本堂は真新しい建物である.
<明星院本堂>
■薬師堂(毘沙門天)
つづいて,16時25分,毘沙門天を詣でる.
今回の奥州街道第1回目の旅は,この薬師堂参拝が最終行事となる.これで,奥州街道第1甲斐の旅は無事終了となる.
ちょっと残念なのは白沢七福神の内,北野神社(恵比須),一里塚跡近くの福禄寿,須賀神社(弁財天),白鬚神社(大黒天)を廻ることができなかったことである.でも,今回の旅はあくまで街道歩きが目的なので,七福神を廻るのは見当違いの願いと言うことになるだろう.
だから,まずは”良かった,良かった”である.
<薬師堂(毘沙門天)>
<第1回目が無事終わった;>
■油屋で新酒試飲
16時27分,薬師堂の直ぐ近くにある油屋で,試飲をしながら,専用車の到着を待つ.私は下戸だから,酒にはほとんど執着はないが,粋な計らいだと思う.
店先にはたちまちのうちに利き酒希望者の長い行列ができる.その脇で,私は行列には加わらずにボンヤリと時間を過ごす.
その内に,待ち行列がなくなる.
”…ンなら,オレも利き酒とやらをしてみようかな…”
ということで,プラスティックのオチョコ一杯の”ナントカ”という銘柄の深酒を頂戴する.
早速試飲する.
”旨ぁ~いッ!”
適当な甘みとコクがあってとろりとした酒である.これは確かに美味しい.下戸の私でも実に美味しいと思う酒である.
そうこうしている内に,時間が経過する.
16時30分,添乗員が
「…そろそろバスが待っている場所へ移動しましょう…」
と私たちを促す.
<「澤姫」で新酒試飲>
■専用車で帰途につく
専用車は西鬼怒川の架かる橋の手前で停車している.
16時35分,専用車に乗車する.
16時46分,専用車は白沢宿から発車.一路,上野を目指す.
<専用車に乗車>
■ネオンピカピカの上野駅前
バスは夕暮れの関越道を大した渋滞もなく快調に走り続ける.
17時44分,佐野SAでトイレ休憩を取る.
専用車から外に出る.寒い.私は小腹が空いてきたので,売店でオムスビを1個購入して,バスに戻る.
17時55分,佐野SAを発車する.車内が落ち着いてきたところで,先ほど購入したオムスビをユックリと腹に収める.
何時の間にかトップリと日が暮れて,外は真っ暗になる.
専用車は快調に走り続けて,19時18分に上野駅前に到着する.でも,同じ上野でも,今朝方乗車したところとは別の所で降ろされたようである.
私は田舎者.
昼間ならいざ知らず,ネオンピカピカの上野など全くの方向音痴になる.上野駅のごく近くに居るのに上野駅が一体何処にあるのか見当が付かない.
人に聞くのも癪なので,その辺りをデタラメ歩きをして,やっと上野駅を見つける.
<上野駅に到着;でも駅は何処?>
■無事帰宅
上野19時27分発上野東京ラインの電車に乗車する.今日は平日だが,上野駅で電車に乗ればまず間違いなく座れる.
東京駅に到着する.沢山の乗客がドッと乗り込んでくる.途端に車内が蒸し暑くなり騒がしくなる.
20時16分,電車は大船駅に到着する.ちょっと待ち時間があったが路線バスに乗車して20時40分頃,無事帰宅する.
帰宅後,遅めの夕食を済ませてから,風呂に入る.風呂の中で今日一日の行程を頭の中でレビューしてみる.
次回からは宿泊旅行になる.もし順調に歩き続ければ,本年中に終点の白河まで辿り着けるだろう.まだまだ先は長いぞ.
<第1回目のラップタイム>
10:12 日光街道分去れから歩き出し
10:13 宇都宮宿本陣跡
10:31 オリオン通り
10:44 二荒山神社
11:00 おしどり塚(11:05まで)
11:13 清厳寺(11:20まで)
11:28 篠原家(12:39まで)
13:51 興禅寺(13:15まで)
13:19 東北新幹線陸橋潜る
13:30 一里塚跡
13:37 長屋門
13:41 法蓮寺
13:52 白山神社
13:59 県民共済(14:08まで)
14:14 刑場跡
14:35 一里塚跡
15:27 高林堂(15:37まで)
15:42 稚児坂
15:57 白沢宿入口
16:08 地蔵堂
16:10 江戸時代公衆便所
16:16 白鬚神社参道入口
16:19 本陣跡
16:20 明星院
16:26 毘沙門天(歩き終わり)
[ウォーキング記録]
■水平歩行距離 12.6km
■累積登攀高度 55m
■累積下降高度 39m
■所要時間(休憩時間込み)
分去れ発 10:12
毘沙門天着 16:26
(所要時間) 6時間26分(6.40h)
歩行速度 12.6km/6.40=1.97km/h
[参考資料]
資料1;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%99%BD%E6%B2%A2%E5%AE%BF
(第1回目終わり)
(第2回目に続く)
つづき(第2回目)の記事
↓
(執筆中)
「奥州街道」の目次
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「奥州街道」の索引
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