<西鬼怒川を渡る>
奥州街道(白河の道);第2回;1日目(1);白沢宿から歩き出す
(クラブツーリズム)
2017年4月22日(土)~23日(日)
1日目;2017年4月22日(土)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/617b148035a802474fb9877cf586118a
<ルート地図>
■第2回目の概念図
奥州街道第2回目は1泊2日で,白沢宿から喜連川宿まで歩く.今回で,奥州街道11宿の内,4宿を歩き終えたことになる.
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■第2回目全体図
第2回目の水平歩行距離は15.5キロメートル(公園内での散策は除く),累積登攀高度は85メートル,累積下降高度は99メートルである.
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■白沢宿
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<上野駅前集合>
■早々と自宅を出発
今日から奥州街道2回目旅が始まる.朝から今にも雨が降り出しそうな空模様である.ドンヨリとした空を見上げながら,
”雨に降られなければ良いな…”
と祈るような気分で,5時10分に自宅を出発する.
集合は上野駅前8時丁度である.こんなとんでもない早い時間に家を出たら,時間を持て余すに決まっているが,困った性分で,どうしても間が持てないのである.
…というのも,毎週,土曜日の塔ノ岳詣でのときは,4時10分に自宅を出発するのが習慣になっているからである.今日の出発時間は塔ノ岳に出掛けるときと比較したら1時間も遅い.
”これ以上,家でモタモタしていたら身体が持たないよ…”
と私ノからだが悲鳴を上げてしまう.
この時間なら,もう湘南モノレールの初電が動き出しているので,自宅近くの最寄り駅から湘南モノレールに乗車すれば,ほんの数分で大船駅に到着してしまう.それでは,間が持てないので,大船駅までの2キロメートル余りの道を,わざわざ歩いて行くことにする.
5時40分,大船駅に到着する.駅前の松屋で,丼物を注文.朝食を済ませる.
<某チェーン店の朝定食>
■上野駅でモーニングコーヒー
大船6時00分発上野東京ラインの電車に乗車する.
こんなに早い時間でも電車は通勤客で混雑している.勿論座れない.でもラッキーなことに次の戸塚駅で座れる.ところが座れば眠くなるのは何時ものこと.眠ってはいけないと思いながらもついついウトウト,そしてハッと目覚めて,今何処? と寝ぼける.こんなことを繰り返しながら,東京駅に到着する.ドドド…と沢山の通勤客が下車する.車内は急にガランとする.
これで完全に目が覚める.
6時47分,上野駅に到着する.
”早すぎる!…いくらなんでも早すぎる!”
集合時間まで1時間以上もある.駅の外へ出ても時間を持て余すので,上野駅の構内を2回ほどグルグル回ってから,ちょっと洒落たコーヒーショップに入り込む.そして250円也のコーヒーを所望する.今の時間帯なら,何杯でもお替わり自由だとのことだが,朝からそんなに何杯も珈琲を飲むわけにも行かないので,お替わナシで済ませる.
私はジッとして居るのが苦手である.ものの10分もしないうちに,店の外に出たくなる.どうやらサラリーマン時代に身についてしまったセカセカ癖が幾つになっても治らないようである.
私は再び駅構内の雑踏の中を10分ほど歩き回る.
上野駅も東京駅と同じように沢山の乗客で混雑しているが,東京駅のような華やかさがないように感じる.それに外国人の割合が東京駅よりグッと少ないようである.
<美味しいコーヒー>
■上野恩賜公園を散歩
まだ時間がある.
私は,たまらず改札口を出て,数分の間,上野恩賜公園を散策することにする.
そうは言っても,田舎者の私には,上野公園の地図がハッキリとは頭に入っていない.そこで帰りに迷子にならないように,絶えず後ろを振り返って,辺りの様子を確認しながらの散歩である.
さすがに,ずいぶんと広い公園である.新緑が実に鮮やかで美しい.公園の近くに住んでいる人が犬を連れて散歩している.
”上野公園の近くに住んでいるなんて…うらやましいな”
<早朝の上野公園を散策>
■受付
まだ,30分ほど時間があるが,集合場所に行ってみる.
丁度,添乗員が受付の準備をし終えたところである.まずは,受付を済ませる.
「まだ,バスが来ていませんが,来たらお知らせしますので,この近くに居て下さい…」
とのこと.
<受付>
<専用車で白沢へ>
■バスは指定席
7時40分,専用車に乗車する.小振りのバスである.私の席は一番後ろ,つまり前から7番目の席である.ざっと車内を見廻すと,間違いなく全員が中高年である.女性の方がやや多い様である.
7時58分,定刻2分前に,私たちを乗せた専用車は上野駅前から発車する.
発車すると間もなく旅行中の注意事項などが天井から降りてきたモニターに映し出される.その後,同行する講師の挨拶がある.
<専用車の車内>
■白沢宿に到着
9時52分から10時00分まで,大谷PAで休憩を取る.
その後,添乗員からレシーバーが配られる.これはウォーキングの途中,講師から離れたところに居ても説明が聞き取れるという配慮である.
専用車は,10時32分,第1回目の終点,白沢宿に到着する.
専用車から降りると,見覚えのある水車が眼に入る.この水車を見た途端に第1回で歩いたことを鮮明に思い出す.
<白沢宿に到着>
<毘沙門天前から歩き出す>
■まずはストレッチ
講師と添乗員に誘導されて,毘沙門天近くにある空き地に一旦移動する.
ここで,講師の音頭でウォームアップストレッチを行う.ただ,ストレッチのやり方が,山岳ガイドから教えて貰ったストレッチとやり方が大分違うので,正直なところ,
”この程度で良いのかな…”
と多少不安に感じる.
でも,「郷に入ったら郷に従え」である.
私は,深く考えずに,”これでイイノダ”と割り切る.
<毘沙門天近くの空き地でストレッチ>
■小川を渡る
ストレッチを終えて,10時42分,いよいよ第2回目1日目のウォーキングの開始である.
講師を先頭に,ぞろぞろと歩き出す.私はあちらこちらの写真を撮ったりメモを書いたりしたいので,例によって一番最後の方で,気儘に歩くことにする.私の後ろには添乗員の女性が居るだけである.
10時44分,小川に架かる小さな橋を渡る.川と橋の名前は,地図にも書いてないので不明である.
ここから先が,いよいよ第1日目の始まりである.
<西鬼怒川を渡る>
■河内郵便局
10時45分,河内郵便局の前を通過する.
ちょっと可愛い感じの建物である.こういうの私は好きである.だから史跡や遺構でもないのに,わざわざ写真を撮る.
<河内郵便局>
■馬で運んだ大谷石
2車線の綺麗に舗装された道路を歩く.周囲には田畑と民家が点在する.長閑な雰囲気である.前方には鬼怒川の土手が延々と続いているのが見える.
周囲の民家を見廻すと,大谷石を建材に使っている家がとても多い.
”そういえば,この辺りは大谷石の生産で有名だったな…”
と改めて思い出す.
講師の説明によると,大谷石1個の重さは○○キログラム(聞き漏らした),これを馬の背に左右1個ずつ,全部で2個乗せて運搬したという.
<建材に大谷石を使った建物が多い>
<白沢一里塚跡と旧街道の面影>
■白沢一里塚・鬼怒川の渡し付近概念図
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■西鬼怒川を渡る
10時53分,西鬼怒川に架かる小さな橋を渡る.師から頂戴した資料を見ると,この辺りから進行方向右手に向かって,江戸時代の奥州街道があったようである.
橋の袂に,「江戸時代の鬼怒川の渡し」の案内板が立っている(冒頭の写真).
<西鬼怒川を渡る>
■白沢の一里塚跡
10時53分,白沢の一里塚跡に到着する.江戸日本橋から30番目の一里塚である.
講師の話によると,昔の奥州街道は,この一里塚付近から,今歩いている道の左手に続いていたようである.私たちは今歩いている道をそのまま直進して鬼怒川の堤防に登って左折し,上流方向に向かって歩く予定である.つまり直角三角形の直角を挟む2辺を歩くが,昔の奥州街道は,この三角形に斜辺沿いに続いていたという.
<白沢の一里塚跡>
■堤防道を歩く
11時02分,鬼怒川の堤防に突き当たる.堤防に登って,鬼怒川左岸を上流に向かって歩き続ける.
気温が何度あるか分からないが,幾分暑く感じるものの,爽やかである.回本館のある風景で気分上々である.
<堤防道を歩く>
■旧街道の痕跡
進行方向左手に数軒の家屋と森が見える.
講師の説明によると,奥州街道は,先ほど見物した白沢一里塚跡付近からこの森付近に通じていたという.
<旧街道が付近を通っていた森が見える>
<鬼怒川の渡し場跡>
■河川敷に降りる
11時13分,堤防道から右側の河川敷に向かう道に入る.
すぐにこの道は鬱蒼と繁茂する森の中に入る.実に気分の良い散策路である.
<河川敷に降りる>
■鬼怒川の渡し跡
11時20分,鬼怒川の渡し跡に到着する.
半ば朽ち果てた「鬼怒川の渡し跡」という案内杭が立っている.辺りは広々とした河川敷である.
見渡した限りでは,この辺りに渡し跡のような遺構は何もないようである.
講師の説明によると,ここは鬼怒川を使った物流の拠点であったという.江戸との物流の中に浅草海苔もあった,
ちなみに.講師の説明によると浅草海苔と落し紙は同じ大きさだという.その理由は,浅草海苔と落とし紙は同じ漉道具で漉いていたからだという.おもしろい話である.
<鬼怒川の渡し跡>
■自動車道路に突き当たる
鬼怒川の渡し跡の見学を終えて,再び堤防道に戻る.そして,11時28分,堤防道は自動車道路に突き当たる.
突き当たりを右折する.この道は結構自動車が通るので,道路の右側を一列になって静々之歩く.
<自動車道に突き当たる>
<鬼怒川を渡る>
■阿久津大橋
11時29分,鬼怒川に架かる阿久津大橋に到着する.
長い橋である.歩道がないので,橋の右端を一列になって怖々と渡し始める.
<阿久津大橋を渡る>
■さくら市に入る
11時32分,橋の途中でさくら市に入る.
”さくら市って…いったい何処?”
寡聞にして残念ながら,私は全く知らない名称の市である.「さくら」という名称に違和感があるが,あくまでも私の個人的な印象である.
いずれにしても,私たちは白沢宿から氏家宿に近付いたようである.
<さくら市に入る>
(つづき)
つづきの記事
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(執筆中)
「奥州街道」の目次
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「奥州街道」の索引
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