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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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奥州街道(白河の道);第1回(4);白山神社から稚児坂へ

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        奥州街道(白河の道);第1回(4);白山神社から稚児坂へ
           (クラブツーリズム)
          2017年3月22日(水)

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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/421cf702d60c545e0cfa70a27c246b11

<ルート地図>

■烏山道追分・白山神社

←クリック拡大

■稚児坂

←クリック拡大

<宝蓮院と白山神社>

■宝蓮院
 岩淵家長屋門前を通過した私たちは,暫くの間,北北西に向かって歩き続ける.比較的単調な郊外らしい風景が続く.
 13時42分,法蓮院に到着する.
 入口の門柱に真言宗智山派という刻字がある.山号は竹林山.
 なお,インターネットでこの寺の由来などを調べたが,今のところこれといった情報は見つけられないままになっている.

<法蓮院>

■県民共済の立派な建物
 法蓮院の前を通過してすぐに信号のある交差点を渡る,
 13時50分,県民共済の立派な建物が建っている場所に到着する.1階には紳士服を販売する会社の売場があるらしい.
 右折して,この建物の敷地沿いの路地に入る.

<県民共済ビル>

■白山神社
 13時52分,路地を少し入ったところに鎮座する白山神社に到着する.
 資料1には,「宇都宮城主本多正純は、幕府から差向けられた根来組百人衆に城普請を命じたが、一同はこれに従わなかったので、全員を捕えて一日のうちに処刑、首と胴を別々に埋めた。根来塚と呼ばれ、そのうちの胴塚が白山神社の裏側にある」という説明がある.私たちの案内人も,ここに胴塚あると言われていると説明する.
 白山神社の由来については,今のところ,ほとんど何も分からないままである.
 13時54分,参拝を終えて,県民共済ビルに戻り,14時08分までトイレ休憩を取る.

<白山神社>

<岩曽刑場跡と地蔵堂>

■刑場への道
 14時14分,進行方向左手にある刑場に到着する.
 刑場へ向かう道は綺麗に整備されている(それとも駐車場かな).その脇の実に狭い道を列になって奥の方に進む.突き当たりには何かあるらしいが,先は袋小路になっているので,なかなか見る順番が回ってこない.
 私は同行者が並んでいる様子が,まるで処刑される人の列のように連想してしまい思わず苦笑する.

<刑場への道>

■石仏
 路地の突き当たりには処刑された人達の供養のためと思われる石仏が祀られている.
 案内人の説明によると,「この一帯が宇都宮藩の刑場だった.本多正純の命に従わなかった根来組百人衆を1日の内に処刑し,首と胴を別々に埋めた首塚.首切地蔵堂がある.胴塚は(先ほど訪れた)白山神社境内にある」とのこと.

<石仏>

■地蔵堂
 刑場跡の地蔵堂を詣でる.
 お堂の中には赤い涎掛けを纏った地蔵が祀られている.

<地蔵堂>

<高林堂の銘菓>

■宮環下川俣陸橋と幻の一里塚
 14時17分,路地を戻って再び奥州街道を北北西に歩き始める.車の往来が激しい道を黙々と歩き続ける.
 14時35分,国道119号線に架かる宮環下川俣陸橋を潜る.
 案内人の説明によると,この辺りのどこかに一里塚があったはずだが,場所は定かではないとのことである.

<宮環下川俣陸橋>

■高林堂に到着
 15時07分,稚児坂の手前にある和菓子の高林堂に到着する.案内人の説明によると,ここは和菓子の名店だとのこと.
 ここで和菓子の購入を兼ねて休憩を取る.
 なお,この店の詳細は資料2に詳しく掲載されている.

<高林堂に到着>

■高林堂の店内
 高林堂の店内に入る.それほど広くはない店内は私たち一行が入っただけで大分混雑してしまう.
 なるほど,陳列棚には多種多様で品が良い和菓子が沢山展示されている.後学のために何か一つだけ購入して味見をしてみようかと思ったが,レジで待つのがイヤなので,すぐに味見を諦める.

<高林堂の店内>

<稚児坂から白沢宿入口へ>

■バス停稚ヶ坂
 15時37分,高林堂での休憩を終える.相変わらず北北東の方向に歩き続ける.
 15時44分,バス停稚ヶ坂を通過する.どなたかが,何故かバス停の名称は「稚児坂」ではなく「稚ヶ坂」になっている.
 ”どちらの標示が正しいんだろう…”
 私は,すぐさま案内人に伺いたかったが,たまたま私が列の最後部をトボトボと歩いている.列の先頭に居る案内人とはずいぶんと離れていたので,あとで聞こうと思っていたが,聞くのをすっかりわしれていsまった.
 ”まあ,そんなことどっちでも良いか…”
で呼称などどうでも良くなる.要するに稚ヶ坂は地図で明らかなようにこの辺りの地名.稚児坂は,稚ヶ坂にあるこの坂の名前ということにしておこう.
 単調な道が連続する.どなたかが.
 「稚児坂って言いますが,ちっとも坂ではないですね…」
と案内人に聞いている.
 「もうちょっと先へ行けば坂道になりますよ…」
と案内人が答えている.

<バス停稚ヶ坂>

■稚児坂
 なるほど,バス停稚ヶ坂を通過して,暫く進むと距離にして200メートルほどの緩やかな登り坂になる.稚児坂(稚児ヶ坂)である.
 案内人から頂戴した説明文にはと「古文書に『建久年間(1190~1199年)奥州筋公家あり,当地内街坂道にて稚児死す.以後,これを哀れみて,この坂を稚児ヶ坂と改め,坂上に葬り供養仕り候」という趣旨のこと記されている.
 現在の稚児坂には,残念ながら昔の面影はほとんどなくないようである.

<稚児坂を登る>

■白沢宿入口
 稚児坂を登り切ると平坦地になる.
 15時59分,前方に大きな交叉点が見え始める.あの交叉点を過ぎると,第1回目街道歩きの終点,白沢宿も間近である.

<稚児坂を登る>
                                          
[参考資料]
資料1;http://kaidouarukitabi.com/5kaidou/ousyuu/ousyuu1.html
資料2;http://www.kourindo.jp/index.php
                                          (つづく)
つづきの記事
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(執筆中)

「奥州街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55f1b2dce2470adc0fd0bd872352e0d7
「奥州街道」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/4c195cfa3f795ede28aa0764b57a5db3

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