<旧篠原家住宅>
奥州街道(白河の道);第1回(2);宇都宮宿の名刹旧蹟を廻る
(クラブツーリズム)
2017年3月22日(水)
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/349e8a41658cc83c93d325705a9b571a
<ルート地図>
■宇都宮宿
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■宇都宮市街地図(再掲)
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<おしどり塚公園から妙正寺へ>
■二荒山神社からおしどり塚公園へ
二荒山神社の参拝を終えた私たちは,10時16分,お座敷くらぶ「さくら屋」の前を通過し,10時56分,筑波銀行前の交差点を左折する.その後すぐに右折して,道幅の狭い裏通り風の道路に入る.裏通りの途中で左折して,袋小路の突き当たりにあるおしどり塚公園に11時00分に到着する.
公園の広さは200~300坪程度だろうか,中央は土の空き地になっている.突き当たりには滑り台が設置されている.
<おしどり塚公園入口>
■おしどり塚
公園の入口脇に立派な石碑が立っている.
講師が参加者全員を石碑の前に集めて,おしどり塚の説明をする.
講師の説明によると,ここは鎌倉時代の初期に,おしどりのオンドリを討った漁師が反省,改心したという伝説があるとのこと.
<おしどり塚>
■おしどり塚の説明文
石碑の近くに説明文が掲示されている.そこには日本語と英語で縷々説明されている.なお,おしどり塚は宇津宮市指定史跡のようである.
<おしどり塚の説明文>
■妙正寺
おしどり塚の見物を終えて,11時03分,おしどり塚から袋小路の入口まで戻る.右折して元の路地を東に向けて歩く.
11時10分,広い道路に突き当たる.左折して広い道路を北北東の方向に歩く.
広い道から左折して,11時12分,妙正寺の前を通過する.
この寺には立ち寄らなかったので,詳細は全く分からないが,日蓮宗の寺のようである.
資料1によると,この寺は「文永2年(1265年)または文永11年(1274年)、日蓮を開よう基として妙正尼(宇都宮景綱の姉)が創建する。昭和20年(1945年)、宇都宮空襲で伽藍を焼失する.のちに宇都宮城主から「安国教林」の額を額を授かり、末寺は45を擁した。」とのことである.
<妙正寺>
<清厳寺>
■清厳寺の由来
11時13分,妙正寺の直ぐ近くにある清厳寺に到着する.
資料2によると,「清巌寺の歴史は、鎌倉時代初期に宇都宮氏によって建立された寺院を、戦国時代に宇都宮氏の家臣であった清原芳賀氏が移築して寺号を清巌寺としたことにより始まるとされる。
宇都宮家当主・第5代宇都宮頼綱は元久2年(1205年)に幕府より謀反の嫌疑を受け、これを機に熊谷で隠居生活を送っていた当代の英傑・熊谷直実(熊谷蓮生入道)の勧めにより法然に帰依、承元2年(1208年)に出家して実信房蓮生と号し念仏道に入った。頼綱は京に住んで証空にも師事し、幕府から罪が許された後の建保3年(1215年)に市内・宿郷町に当寺の起源となった念仏堂を建立した。
頼綱は京の浄土宗光明寺にも念仏堂を建立している(現在の京都市右京区常盤の西芳寺といわれる)。その後、戦国時代に入り、宇都宮宗家の譜代の重臣であり姻戚関係もあった芳賀隆継が、主家への反骨が災いして自害した兄・芳賀照の菩提を弔うため、宿郷町にあった念仏堂を天正元年(1573年)に現在地に移築し、「芳賀氏」の「芳」を採って山号を「芳宮山」、「芳賀高照」の「高照」を採って院号を「高照院」、「清原氏」の「清」を採って「清巌寺」とした。慶長3年(1601年年)、初代の関東郡代である伊奈忠次から寄進を受け、朱印地25石を塙田に有した。」という説明がある.
<清厳寺本堂>
■稚児の樹ヒイラギ
境内に稚児の樹ヒイラギがある.近くにある説明文によると,このヒイラギは天狗にさらわれて息絶えた稚児の墓標だという.
昔,二荒神社例祭「花の会」で宇都宮氏郎党の稚児5人で舞を舞う習慣があった.あるとき舞を舞っていると突然天狗が現れて1人の稚児を奪った.その稚児は後で死体となって白沢で発見された.そのご発見された坂道のを稚児坂と呼ぶようになったとのこと.
<稚児の樹ヒイラギ>
■鉄塔婆
白い建物の中に国指定文化財鉄塔婆があるらしいが見学はしなかった.案内板の説明によると,宇津の皆八代城主貞綱が母の13回忌供養のために建立したものとのこと.
塔婆の上部には阿弥陀を表す梵字と阿弥陀三尊の浮き彫りがあるという.
我が国最古唯一の鋳鉄製大塔婆だという.
<鉄製大塔婆>
■地蔵菩薩像
境内の一角に巨大な地蔵菩薩像が祀られている.傍らに「南無地蔵菩薩」と画いてある赤い幟旗が立っている.
<南無地蔵菩薩像>
<三峰山神社から幸橋へ>
■三峰山神社
11時20分,清厳寺の拝観を終える.
11時23分,三峰山神社の前を通過する.小振りな社殿ながら立派な神社である.
境内入口の石柱に「樋爪氏」という文字が気になって調べる.
資料3に次のような記事が掲載されていた.
「1189年7月、源頼朝は奥州藤原氏攻めを行った。
行軍の途中、宇都宮明神(二荒山神社)で戦勝祈願し、征討が成就した際は生贄を差し出すことを約束した。そして征討後、頼朝は再び宇都宮明神に立ち寄り、奥州藤原氏の家来であった樋爪季衡と経衡の親子を献じた。
言い伝えによると、故郷を懐かしんだ樋爪氏が宇都宮明神を抜け出し、捕まって殺害されてしまった。その死を哀れに思った土地の者が墓碑を建てたという。また、樋爪季衡・経衡の親子という説と、樋爪俊衡と季衡の兄弟とする説がある。」
<三峰山神社>
■幸橋を渡る
11時25分,幸い橋を渡る.
案内人の説明によると,この橋が城下の境目らしい.
<幸橋を渡る>
<旧篠原家住宅>
■旧篠原家住宅に到着
11時25分,旧篠原家住宅に到着する.格子戸の入口から住宅の中に入る.大きな家である.旅行社の資料によると,「篠原家は江戸時代中頃から現在の場所で醤油醸造業や肥料商を営んでいた.現在の建物は明治28年(1895年)に建てられたもので,第二次世界大戦の戦火により母屋と石蔵を残し,醤油醸造蔵や米倉などの建物が焼失されてしまったが,明治の豪商の姿を今に伝える貴重な建造物となっている.
商家の特徴である店先の格子,黒漆喰や大谷石を用いた外壁など規模の大きさ(1,2階合わせ100坪)を埃,歴史的シンボルとなっている.市文化財.」
<旧篠原家>
■格子戸と大黒柱
格子戸を開けて,建物の中に入る.
入口で,案内係の女性が,私たちを愛想良く出迎える.先ず目に付くのが太い大黒柱と梁である.
案内係に誘われるままに,狭い階段を登って2階にも登って見る.2階は1階より豪華な作りになっている.案内人の説明によると,人目に付くところは質素に作ってあるとのこと.
<篠原家入口の格子戸> <大黒柱と梁>
■篠原家模型
篠原家の全体を示す模型が展示されている.ここには戦災で焼失した建物も作られているようだが,私には,今,一体,どの建物の中に居るのかが判然としない.
"でも,そんなこと,どうでも良いか.”
ずぼらな私は,すぐに探すことを諦める.
<篠原家住宅鳥瞰模型>
<昼食は,勿論,餃子だ>
■賑やかな駅前
旧篠原家の見学を終えて,11時45分,旧篠原家から歩き出す.
どこを通ったのか道順は定かではないが,11時52分,宇都宮駅前広場に到着する.ずいぶんと賑やかなところである.
添乗員の説明によると,これから昼食だとのこと.
<宇都宮駅前>
■宇都宮餃子館
11時52分,宇都宮駅前にある宇都宮餃子館に到着する.どうやら餃子専門店のようである.入口の看板には宇都宮餃子館スタミナ健太と書いてある.
店内は混雑しているようである.添乗員が予め座席を予約してあったらしく,私たち全員がフロアー奥の一角に案内される.
丁度昼時なのか,店内は満席で少々落ち着かない雰囲気である.
<宇都宮餃子館入口>
■スタミナ健太の定食
メニューには色々あるようだが,予め添乗員が注文した定食が出てくる.何という定食か分からないが,下の写真のようにいろいろと付いている.
多少ざわついた雰囲気なので落ち着かないが,そこは餃子の宇都宮である.餃子定食を美味しく頂戴する.
「そういえば,餃子の一人当たり摂取量が一番多いのは,確か,宇都宮でしたっけ…」
とどなたかが言う.すると,
「それが…,去年は○○市に抜かれたようですよ…」
どこが一位かはどうでも良いが,宇都宮の餃子も大変な活況である.勿論,私たちも餃子定食を美味しく頂戴する.
<昼食は餃子定食>
[参考資料]
資料1;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A6%99%E6%AD%A3%E5%AF%BA_(%E5%AE%87%E9%83%BD%E5%AE%AE%E5%B8%82)
資料2;https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%85%E5%B7%8C%E5%AF%BA
資料3;http://tochigi-burg.com/hizume.htm
(つづく)
つづきの記事
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(執筆中)
「奥州街道」の目次
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55f1b2dce2470adc0fd0bd872352e0d7
「奥州街道」の索引
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