Quantcast
Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
Viewing all articles
Browse latest Browse all 2690

鎌倉散策:名残の田園都市大船と菅原通済の鎌倉山を廻る(1);午前の部

$
0
0

                              <大船観音寺>

 鎌倉散策:名残の田園都市大船と菅原通済の鎌倉山を廻る(1);午前の部
    (KGU『鎌倉学』受講生「鎌倉お散歩クラブ」)
            第3回自主ゼミ
        2017年1月31日(火) 晴;強風

<ルート地図>

■午前の部

←クリック拡大

<今回の散策の視点>

■勉強熱心な参加者
 月日が過ぎ去るのは速いもので,今日で一月はもう終わりである.正月休みで心身共にボケたままで何となく過ごしている内に,新しい年の12分の1が過ぎ去ったことになる.
 今日はKGU『鎌倉学』受講生有志で作った散策グループの3回目のハイキングの開催日である.
 今回は,不肖私が案内役となり,大船地区の今昔と,鎌倉山の由来と展望をテーマにして,仲間達を案内することになっている.
 私は,ここ数週間掛けて,自分の乏しい知見とインターネットを利用して,可能な限りの情報を収集してきたが,とてもではないが大船地区の全貌を把握するには至っていない.
 とはいえ,入手した情報や資料には偏りがあるかもしれないが,とにもかくにも,これらの情報や資料を叩き台にして,皆さんをご案内することに決めた.
 今回お集まりの皆様は,大学主催の公開講座を熱心に受講されている方々ばかりなので,私が何時もお付き合いしている山仲間や街道歩きの皆さんとは,いささか異なり,以下に示すような視点から大船地区と鎌倉山を眺めることにした.

■大船地区散策の視点(午前の部)
 大船地区野散策は,次の視点を勘案しながら行った.
 ①粟船と大船(大船の地名の意味)
 ②鉄道が通る前の大船の様子を探る.
 ③大船田園都市株式会社の経緯と大船地区開発の歴史・遺構
 ④大船観音寺の由来
 ⑤大船松竹の消長
 ⑥大船軒

■鎌倉山散策の視点(午後の部)
 鎌倉山散策は,次の視点から行った.ただし,今回は時間の都合で,鎌倉山のごく一部を散策するに留めた.
 ①菅原通済の人物像
 ②菅原通済の鎌倉山開発
 ③鎌倉山碑
 ④源太塚としのぶ塚
 ⑤鎌倉山展望

<大船地区に関する予備調査>

■昔の大船の地図と対比
 下に示した地図の右側が,大船に鉄道が通る前の地図である(インターネットからコピペした).この右側の地図の範囲をカシミール附属の地図を開いて,ほぼ同じ範囲を抽出した地図が左側である.
 この両方の地図を見較べてみる.柏尾川の両岸を結ぶ橋は,昔,1本しかなかったことに気が付く.地図でこの橋の位置を調べると,塩釜神社の直ぐ近くにある戸部橋だと分かる.つまり,昔は大船地区で柏尾川の右岸から左岸に渡るには,この戸部橋を渡るしかなかったことになる.そして,昔は現在の大船の繁華街辺りは広々とした田圃が広がっていたことが分かる.
 また,昔の地図を見ると,今は住宅地になってしまった場所に三つの尾根がある離山があるのが分かる.今は地名だけが残っている.

<大船の古地図>

<現在の大船>

■ガーデンシティ構想
 次に興味を惹くのが,ハワードのガーデンシティ構想である.下の資料はウィキペディアの記事をコピペの上要約編集したものである(詳しくはウィキペディア参照).
 このハワードの考え方を,田園調布より先に,この大船で実現しようとした会社があったことを知る.それが大船田園都市株式会社であった.


■大船田園都市株式会社の構想
 同じくウィキペディアの記事によると,大船田園都市開発会社の大船開発構想は,下の図のようなものであった.左の図は大船駅が上に,右の図は大船駅が下になるように書かれているが.丁度,今の大船中央病院と三菱電機情報電子研究所前辺りにロータリーが位置しているように思える.
 このロータリーから山側に向かって扇状に,また駅側は直行する道路そってガーデンシティ,つまり田園都市が開発される予定だったようである.ところが,この計画は同社が倒産して中断されてしまった.

<大船田園都市構想>

■今回のコース
 私は,これらの情報を叩き台にして,まずは柏尾川右岸から歩き始め,昔の橋の位置に架かる戸部橋を渡って,昔,田圃でしかなかった大船の市街地を散策して,最初に離山富士見地蔵尊を訪れることにした.
 ついで,大船の地名の由来となった粟船山を山号とする粟船山(ゾクセンザン)常楽寺を訪れる.ここから三菱電機情報電子研究所の前を通って松竹撮影所跡にある鎌倉芸術館,元三越エレガンス,鎌倉女子大,イトーヨーカ堂,砂押川アメニティ辺りを一回しすることにする.
 そして,大船渡言えば欠かせない大船軒でちょっと遅めの昼食を摂ることにする.

<大船駅から柏尾川右岸へ>

■大船駅から歩き出す
 10時00分,大船駅南口改札口前に集合する.
 参加者は6人(男4名,女4名)である.何れも中高年だが知識欲旺盛な皆さんである.ただ,山仲間や街道歩きの皆さんに比較すると,残念ながら脚力は格段に弱い.そのために,極力坂がないコースにしなければならないという制約がある.そんなことから,大船観音寺は最初から見学コースには入れてない.
 まずは大船駅東口から階段を使って地表に降りる.階段前の橋(名前不明)を渡って,柏尾川右岸へ.
 橋の上から丑堰跡を眺める.ここは柏尾川の水を田畑に流し込むために寛永2年(1625年)に堰を造った.寛永2年が丁度丑年だったので,丑堰という名前が付いたという(資料1,p.230).
 右岸沿いの道から裏道に入る.
 10時15分,大船軒に到着する.知る人ぞ知る鯵の押し寿司で有名な鎌倉の老舗である.
 「折角,大船に来られたんですから,お昼はここで摂ろうと思いますが如何ですか…」
と参加者に伺う.
 とくに異論もないので,遅めの昼食を個々で摂ることにする.
 ついで,10時17分,玉縄首塚を見学する.なお,首塚の説明は冗長になるので省略する.
 
<大船軒>                                <玉縄首塚>

<柏尾川左岸をそぞろ歩き>

■幻の離山
 10時20分,戸部橋を渡って,柏尾川の左岸へ.橋の袂にある塩釜神社に興味を持たれた方も居られたが時間の都合で,ここは省略する.
 昔は,この辺りに立つと一面の水田が広がっていた.その水田の中に三つのピークのある離山が見えていたに違いない.それが今はどうだろう.住宅やビルがビッシリと立ち並んでいる.
 10時33分,横須賀線の踏切に到着する.ちょうどそのとき,踏切が閉まり,横須賀線の15両編成の下り電車が通過する.
 その後,昔の離山があったらしいところを歩いて.10時59分,離山富士見地蔵に到着する.
 ”や,や,ヤ~ッ…! 大分歩行速度が遅いな…これは困ったな…”
 歩き出して間もないのに,このグループの歩行速度が予想以上に遅いことに気が付く.
 小さなお堂の中に富士見地蔵尊が祀られている.この地蔵は地元の人に大切にされているらしく,沢山の花や千羽鶴が飾り付けられている.
 富士見地蔵の前の道は鎌倉の古道,中の道である.
 なお,この地蔵は三つの離山の一番南にあった地蔵山山頂にあったという(資料1,p.214).
 
<地蔵山富士見地蔵尊> 

<常楽寺へ>

■常楽寺山門
 三菱電機情報電子研究所の裏手から路地を抜けて,11時26分,粟船山常楽寺に到着する.手入れの行き届いた茅葺きの山門に「粟舩山」と刻字された扁額が架かっている.
 山門脇の通用門から境内に入る.

<常楽寺の山門>

■常楽寺の由来
 常楽寺は北条泰時建立の名刹である.詳しい説明は下の写真参照.

←クリック拡大

■境内一廻り
 本堂裏手に回る.そこに北条泰時の墓がある.墓を詣でてから.本堂脇の長椅子に座って,目の前の庭園を眺めながら小休止.
 ”やっぱり,皆さん,まだそれほど歩いていないけど.ちょっと疲労してきたのかな…”
 私は先行きがちょっと心配になる.
 粟船山には木曽義高の墓など見所があるが,坂道を登らなければならないので,見学は省略する.
 
<北条泰時の墓>               <常楽寺と庭園>

<松竹撮影所;シネマワールド跡地>

■鎌倉女子大と鎌倉芸術館
 11時52分,三菱電機情報電子研究所と大船中央病院の前の交差点に到着する.
 前掲の大船田園都市株式会社の地図と見較べると,どうやらこの辺りがロータリーがあった場所ではないかと思われる(未確認).その地図と現地を見較べると,往時の痕跡が何となく読み取れる. 
 大船中央病院前を通過する.右手の奥まったところに鎌倉女子大の正門がある.現在の鎌倉女子大の敷地は正にシネマワールドがあった場所である.
 私は,今でも,シネマワールドのオープン直後の大船駅近くの賑わいを鮮明に覚えている.それこそ大船駅からシネマワールドまでの道が人で一杯になるほどの賑わいであった.
 11時55分,鎌倉女子大のとなりにある鎌倉芸術館に到着する.鎌倉芸術館は現在耐震補強工事中のため閉館している.
 鎌倉女子大や鎌倉芸術館は,松竹撮影所の跡地に作られたものである.したがって,私達はいよいよ松竹撮影所の跡地見学に入ったことになる.
 
<大船中央病院>                             <鎌倉芸術会館>

■松竹大船撮影所記念碑と砂押川アメニティ
 鎌倉芸術館の隣にある元三越エレガンスの建物を見物する.バブル時代には,ここに三越があり,高級品を扱っていた.懐かしい.その隣にあるイトーヨーカ堂フードセンターで一休みする.
 12時になる.
 「…いっそのこと,ここで昼食にしましょうか」
と一同に尋ねるが,少し遅くなっても良いから,予定通り大船軒で昼食にしましょう…とのこと.
 私は内心で,多分,あと30分ぐらいで大船軒に到着できるだろうと胸算用をする.
 フードセンターでの休憩を終えて,イトーヨーカ堂と鎌倉女子大の間の公園に入る.ここにはつい最近まで寅さんの絵が画いてある壁があったが,今は取り壊されてしまった.
 12時09分,砂押川に突き当たる.そこに松竹大負は撮影所記念碑(正式名称は不明)が立っている.ちょっと風化が進んでいて,刻まれた文字が大分読みにくくなっている.
 松竹大船記念碑から砂押川アメニティの桜並木を眺めながら大船郵便局前を通って,松竹通りに出る.
 
<松竹大船記念碑>                                                           <砂押川アメニティ>

<松竹通りを通って大船駅へ>

■山蒼稲荷神社と小池邸
 松竹道路を大船駅方面に向かう.
 12時19分,山蒼稲荷神社に到着する.現在の山蒼稲荷神社の敷地が,大船田園都市株式会社分譲地の名残だという.当時の分譲地の1区画が現在の神社の敷地になっているという.正確な広さは分からないが,多分300坪程度はありそうである.
 山蒼稲荷神社から一つ先の十字路を左折して隣の並行する道に入る.
 12時25分,鎌倉市歴史的建造物に指定されている小池邸に到着する.ここは個人宅なので写真を掲載するのは差し控えるが,案内板の写真だけを掲示しておこう.
 
<山蒼稲荷神社>                              <小池邸>

■大船駅へ戻る
 小池邸近くの十字路を,また左折して,隣の大通りに出る.この大通りを東へ進むと先ほど通った大船中央病院と三菱電機情報電子研究所前の交差点に突き当たる.
 この道は電信柱が1本も立っていない.小綺麗な道である.
 ただ,大船駅に近い一角だけが.まだ,未整備でゴチャゴチャな猥雑感が残っている.
 12時35分,大船駅に到着する.
 
<天誅のない大通り>                           <大歩道橋>

■大船観音
 大船駅のコンコースを通り抜けて,大船駅西口に出る.ここから大歩道橋を南に向かって歩く.進行方向右手には大船観音が見えている.
 この大船観音は昭和4年(1929年)から作り始めたが,20年余りの歳月を掛けて完成したという(資料1,p.231).

<大船観音>

<大船軒で昼食>

■大船軒に到着
 12時45分,やっと大船軒に到着する.私が当初もくろんでいた時間より30分遅くなってしまった.誤差が生じた原因は,皆様の歩行速度が,塔ノ岳や街道歩きの皆さんに比較して,予想以上に遅かったことにある,要するに私の見込み違いである.
 重厚な階段を登るとちょっと狭い玄関がある.ここで靴を脱いで上履きに履き替える.私が予想していた以上に,結構,混雑している.玄関では出る人,入る人が重なり合って,窮屈である.
 やっと上履きに履きかえて,食堂に入る.客席は20人程度が座れる広さである.天井が高くてなかなか乙突いた雰囲気である.壁に昔懐かしい振り子時計が掛けてある.
 振り子時計を見上げながら,私は幼少の頃のことを思い出す.
 家にある振り子時計に天ぷら油を差して,叱られたことがあったっけ…
 
<大船軒に到着>                                 <大船軒の店内>

■鯵の押し寿司
 私は鯵の押し寿司(5貫)を注文する.見た目もなかなか優雅である.勿論,味もなかなかなコノである.私ごとき食文化に憧憬のない人間が言えた義理ではないが,なかなかの逸品だと思う.
 食事をしながら,午後のコースのことを相談する.
 「…もう,時間が押しているので,鎌倉山散策はヤメにして,大船界隈の社寺でも一廻りしましょうか…」
と提案するが,遅くなっても良いから,予定通り廻りましょうということになる.
 食事中に雑談しながら,次の自主ゼミは3月下旬に桜をテーマに開催することが決定する.
 このグループも回を重ねる度に,だんだんと熱が入ってくるようである.
 13時52分,ようやく食事を終えて,大船軒を後にする.
 
<鯵の押し寿司>                                               <デザート>

                                      (午後の部に続く)
つづき(午後の部)の記事
  ↓
(執筆中)

お断り;
 これらの記事は,私の趣味仲間を読者対象としたものであり,一般の読者を対象としていません,したがって,まったく個人的なものです.また十分に時間を掛けて編集していませんので,記事は正確とは言えないし,誤字脱字転換ミスも多々あると思います.このことを前提にしてご覧下さい.
 また,当ブログ記事を読んで,不快になられた方は,以後,当ブログへアクセスされないようにお願い致します.










 


Viewing all articles
Browse latest Browse all 2690

Trending Articles