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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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歩いて巡る中山道六十九宿巡り(第9回);第2日目(6);下諏訪宿

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                                <下諏訪宿本陣跡>

[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿巡り(第9回);第2日目(6);下諏訪宿
            (五十三次洛遊会)
        010年9月11日(土)〜13日(月)

※本稿の初出は2011年1月4日である.
 初稿の地図の差し替えと,本文の加除修正を行った.

第2日目:2010年9月12日(土) (つづき)

<ルート地図>



<下諏訪に到着>

■下諏訪の郊外を行く
 15時半頃,下諏訪市街地が眼下に見えている.見晴らしの良い道を,クラツリの一行と重なり合うようにして歩き続ける.

<下諏訪の郊外を行く>

■下原一里塚と庚申塔
 15時43分,江戸日本橋から55番目の下原一里塚を通過する.進行方向左手に,腰の高さぐらいの石碑がポツンと置かれている.
 
<庚申塔>                                                                                   <一里塚>

■万治の石仏
 万治の石仏は,残念ながら,見学するのを見送って,下諏訪の市街地に入る.道路は市街地の北側の高いところを東南東に向かってなだらかな下り坂になっている.

<万治の石仏の案内板>

■御作田神社
 15時46分,進行方向右手にある御作田神社に到着する.鳥井脇にある説明文によると,
 「御作田神社は諏訪大差の末社・下社の御作田祭(御田植神事)は,毎年,6月30日に,この境内で行われる.
 この日植えられた稲は1ヶ月後の8月1日に,諏訪大神の神供として捧げられたと伝えられる.また,同じ日,6月30日には,諏訪大社春宮の浮き島社において,夏越しの安穏を祈る茅の輪くぐりが行われる」
とのことである.

<御作田神社>

■湧出するお湯
 15時47分,道端に水飲み場と思われるところがある.土手から突き出た樋から水が絶えず流れ出している.近付いて確かめると水ではなく温泉である.温泉が垂れ流しとは,羨ましいことである.

<お湯の出る公共水道>

<下諏訪宿>

■下諏訪宿の概要
 資料4によれば,下諏訪宿は「長野県諏訪郡下諏訪町の中心部にあたり,難所であった和田峠の西の入口として,諏訪大社下社(しもしゃ)の門前町として栄えた.また,甲州街道の終点でもあり,45軒の旅籠があった.古くは鎌倉時代から温泉の利用が確認されており,中山道唯一の温泉のある宿場であり,当時の絵画などには温泉を利用する旅人たちが描かれている.本陣は岩波家として現在も一部が一般公開されている.諏訪大社下社秋宮の境内を借景とし,広大な庭園を持つことが知られていたが,現在は宅地化が進み,一部のみを見ることができる.皇女和宮降嫁の際,また明治天皇が宿泊した際奥の座敷を見学することができる.玄関には,大名家が宿泊している時に掲げる徳川御三家,井伊家などの関札が残っているのを展示してある.脇本陣「桔梗屋」「まるや」は旅籠として現在も営業している.旧称は下ノ諏訪.大規模に観光開発された上諏訪温泉と異なり,小規模な旅館街と入浴施設があるだけで,歓楽的な雰囲気はない.天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば,下諏訪宿の宿内家数は315軒,うち本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠40軒で宿内人口は1,345人であった.」

■下諏訪宿の案内板
 市街地の中の狭い道が続く.15時50分に下諏訪宿案内板の前に到着する.この辺りからが,江戸から29番目,下諏訪宿の中心部である.
 この案内板には次のようなことが書かれている.
 「下諏訪宿は宿としての呼び方で,郷村名としては湯之町と呼ばれていた.下諏訪の宿場は綿之湯を中心につくられ,湯田町,横町,立町の4丁50間(527メートル)と木の下52間(95メートル)の街が下諏訪宿である.
 宿場の中心は問屋である.問屋は運輸業務の一切を取り扱うもので,その事をしたところを問屋場または会所といい,綿の湯の前にその建物があった.この問屋場で仕事をする人を宿役人といった.問屋年寄,帳付,馬指という人々がこれである.本陣,脇本陣,伝馬宿,旅籠屋,茶屋,商家が多く,はたごには,飯盛女という名の遊女がおり,宿場は大変に賑やかであった」

<下諏訪宿の中心部>

■下諏訪宿の中心部
 15時50分頃,下諏訪宿の中心部だったと思われる街並みを歩く.何軒かの風呂屋や,昔の旅籠跡が連なっている.
 大きな字で「ゆ」と書いてある銭湯,今井邦子文庫,つるや跡などがある.

<銭湯>


<つる屋跡>

■本陣遺構
 15時55分,本陣跡に到着する.案内板によると「下諏訪宿の問屋兼本陣の大半がそのままここに残っている」という.
 「明治維新前は公家や大名たちの休息所になり,1861年(文久元年)11月には関東へ御降嫁の和宮さまのお泊所になり,明治13年6月24日,明治天皇ご巡幸のときにはお休所になった」
ところである.
 時間が押しているので,門から内部をちらりと見ただけで通過する.

<本陣遺構>

■甲州道中中山道合流点
 15時57分,甲州道中と中山道の合流点に到着する.
 合流点は広場になっている.広場に「甲州道中中山道合流之地」と刻字した石柱が立っている.

<甲州街道との合流点>

■綿の湯跡と中山道下諏訪宿問屋場址
 広場の奥に「綿の湯」と刻字した石柱がある.ここが宿場問屋場跡である.ここの案内板には次のようなことが書かれている.
 「昔,上社に住んでいた諏訪明神建御名方神の妃八坂方売神が,日常使っていた化粧用の湯を綿に湿し「湯玉」にして下社の地へ持ち帰った.その湯玉が置かれた所から湧き出てのがこの温泉で,綿の湯と命名された.
 ここは神の湯なので神聖で,やましい者が入ると神の怒りに触れて,湯口が濁ったといわれる.「湯口の清濁」は下社七不思議のひとつに数えられている.
 下諏訪宿は中山道と甲州道中が交わるところ,全国一万余の諏訪神社総本社の門前町で,湯の湧く宿場として親しまれて街道一賑わった.下諏訪宿の中心が綿の湯界隈である.」
 広場の片隅に「中山道下諏訪宿問屋場址」と刻字した石柱が立っている.この辺りに問屋場があったようである.
 
<面の湯>                                                                                               <問屋場跡>

                                       (つづく)
[参考資料]

資料1:今井金吾,1994,『新装版今昔中山道独案内』日本交通公社
資料2:『完全調査街道マップシリーズちゃんとあるける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料3:岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料4;http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8B%E8%AB%8F%E8%A8%AA%E5%AE%BF

[加除修正]
2013/818   地図の差し替え,および本文の加除修正を行った.

「中山道六十九宿巡り」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b2e28f767a7656658c0f1c4bdd2d1a76
「中山道六十九宿巡り」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/c8863ad306ae651e3d4c2d8469bbdd68
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e


※記事の正確さは全く保証しません.
 この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
 誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.

[編集後記]

2011年1月3日(月)

 昨年末から3家族,孫6人,計12名,それに私ども夫婦2人の計14人が狭いわが家で共同生活をしてきた.今日辺りから,それそれが自分の家に帰宅するので,明日からは,まさに台風一過のような静かな毎日になる予定である.
 余りの賑やかさに辟易とすることもあるが,これも毎年欠かせない年中行事である.
 今年一年も家族全員の無病息災を祈っている.
 私自身,今年は「山」と「水彩画」に全力で取り組みたいと思っている.ただ,ぐうたらなことが天性の私のこと.
 「今日やらなくても良いことは明日にしよう.明日すればいいことは今日はやらない・・」
という生活態度は,一向に治りそうもない.
 まあ,それはともかく,このブログへの投稿は,できるかぎり毎日続けたいと思っている.ボケ防止のために・・・
 私のブログは,何の面白みもなく,ある意味ではくそまじめで味気ない内容ばかりである.アクセス数も決して多くないが,ごく少数の方々にご愛読いただいているようである.
 年頭に当たり,愛読していただいている皆様に謝意を表したい.
 本年も相変わらずのご支援をお願いする次第である.

[編集後記](その2)

2013年8月18日(日) 晴・暑い

 明日(8月19日)から,アルパインツアー社主催のノルウェーの旅に出掛ける.
 正直なところ,ここ2〜3日は,留守中の日課雑務の前処理と,旅の準備で随分と忙しい思いをした.
 一方,中山道の記録を見直す作業は,焦れったいほど遅々として進まない,そうは言っても,この作業,誰かから依頼されてやっているわけではないので,やらないと決めたらやらなくても済む気楽な作業でもある.
 …ま,ともかく,中山道記録の見直しも,今回で一旦中断し,9月になってから再開することにしたい.年内にはナントカ改訂版を完結したいものである.
                                       (愚痴おわり)


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