小諸の旅(2);姉の通夜と告別式
(姉が身罷った)
2016年2月10日(水) (つづき)
前の記事
↓
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/8abc6ab0875eb0ee15a9319284f7aef8
<通夜>
■小諸駅
私は姉の訃報に接して,取るものも取りあえず自宅のある鎌倉から小諸へ“帰った”.
私が小諸で暮らしたのは生まれてから高校を卒業するまで.長い一生から見たらごく短い期間である.でも,私が小諸に到着するときの心情は何時も”帰った”である.
そう…私の心の現住所は何時までも小諸なのである.
15時過ぎに小諸駅に到着する.ホームに降りた途端に,甘利に寒いのにビックリする.取りあえずは,暖房の利いた駅待合室に入って暖を取る.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
通夜が行われる会場へ向かうために,駅待合室を出る.凛とした冷気.快晴の空に浅間連峰が聳えている.
小諸駅から会場まで歩いても,せいぜい20~30分程度だが,長い間,温かい湘南に住んでいたために,何時の間にか寒いのが苦手になってしまった.
”タクシーに乗るなんて,もったいないな…”
とは思ったものの,寒さには勝てない.ついついタクシーを利用する.
会場には親族の大半がすでに集まっている.
姉一族の菩提寺は小諸でも有名な名刹である.僧侶を迎えて,まずは親族だけで通夜の法要を行う.
■通夜
その後,定刻よりもかなり早くから,通夜が始まる.
随分と沢山の弔問客にお越し頂く.中でも俳句仲間の方々が長い時間姉とお別れをされている姿に,すっかり感動する.
「オレが死んでも,こんなに悲しんでくれる人は居ないな…」
と私の側にいる親族の一人が独り言を言う.私も同感.
姉はどういう訳か,医師になった.でも兄弟の目から見ると,姉は最初から文学の方に進んでいた方が良かったのではないかと思う.
↑ ↑
しなの鉄道 小諸駅待合室
■かけがえのない人達に囲まれて…
私は姉の子供達と一緒に,この会場の宿泊所に1泊することになっている.
一連の式が終了後,FH家の皆様と親族だけで会場の一室で故人を偲びながらの夕食である.
私は小学校に入学する直前の数年間,隣村(今は小諸市に編入されている)で,姉と一緒に祖父母に育てられていた.その頃,祖父母の家から畑の中の細い道を200~300メートルほど離れた所にあるFHの親戚の家までよく遊びに行った.この親戚の稲にはKTさんという男の子が居た.姉と同い年である.私にとっても兄のような存在である.一方,私が暮らしていた祖父母の家は,2代変わった.今は,幼少の頃から良く知っているYOが家を継いでいる.こんな懐かしい方々と夕食をともにすると,ついつい懐旧譚に夢中になる.
姉を懐かしんでの涙しながらの宴は夜半まで続いた.
私は,事情さえ許せば,幼なじみが沢山居るこの信州でこれからの人生をゆっくり過ごしたいなとつくづく思う.
↑ ↑
夕食 就寝
■遺影の前で就寝
夕食が終わる.
ごく近親だけを残して,それぞれが帰宅する.途端に寂しくなる.
姉の遺影の前で,ウナギの寝床のように枕を並べて就寝する.夜中に尻の辺りが寒くて寝心地は余り良くなかった.
2016年2月11日(木・建国記念日) 晴
<火葬場>
■通夜の朝
早朝に目が覚めてしまう.
トイレに行く序でに,昨夜,通夜が行われた会場を覗く.部屋一杯に花の香りが漂っている.通路に出て,朝のストレッチを済ませる.
一緒に泊まっていた甥が,コンビニへ朝食を買いに行くから,私の分まで買ってくるという.有り難いことである.でも,昨日の宴の残り物で十分なので,丁重にお断りをする.
7時頃から,昨夜の宴のテーブルに座る.サンドイッチや天ぷら類が沢山残っている.勿体ない.朝食は残り物で軽く済ませる.
「ヨーグルト,いかがですか…」
と甥が私に勧める.
もちろん有り難く頂戴する.
↑ ↑
宴の後 朝食
↑
姉の遺影の前で通夜
■北アルプスに見送られて旅立つ
北アルプスの山々と布引観音に見送られて姉と一緒に火葬場に向かう.
私たちを乗せた車は,一旦,小諸市の西側にある姉の家に立ち寄る.近隣の皆様のお見送りを受ける.
その後,姉を乗せた車は急坂を浅間山の山頂方向に向けて登りつづける.まるで天国に向かうかのように…
やがて小諸市街地から随分と高い所を走り続ける.周囲は白銀の世界である.遠く北アルプス,八ヶ岳が見えている(冒頭の写真).幼少の頃から畏怖の念を持って仰ぎ見見ていた山々である.
<北アルプスと布引観音に見送られて…>
■浅間山の山麓で…
見事な霧氷の林を抜けて火葬場に到着する.
目の前には黒斑山が見えている.その右隣には牙山と剣ヶ峰が聳えている.
荼毘に付された姉は,小さな骨壺の中に治められた.この瞬間が一番悲しい.姉は浅間山の大地に包み込まれるようにして旅立った.
何とも言えない寂寥感に襲われる.
<浅間山に抱かれながら荼毘に付された>
■告別式
夕方から告別式.
長蛇の列.有り難い.
姉の幼なじみのKTさんから,心温まるお言葉を頂戴する.拝聴している内に,幼少の頃のことを思い出して,思わず涙する.
姉の辞世の句が披露される.
”はくれんが散る
さやうなら
さやうなら”
この句には泣かされる.
姉は死の直前まで意識がしっかりしていたとのこと.残酷な話である.
死の前夜,もう自分ではペンを持つ力もない姉は,息子の嫁に一字一字口述で書いて貰ったという句である.
姉の家の窓からは,はくれんの大きな木が見える.
姉は4月に発刊される句会の本に.この句を投稿するつもりであった.だから春の句がいいねと言っていたという.そして自分の家の”はくれん”を思い出しながら発句したのだろう.
”はくれんの花が咲くのは4月,まだ大分先のことだね…”
と口述を書き留めた嫁が姉に言った.姉は子どものような無邪気な顔で,
”そうだね…”
とうなづいた.
この話を聞いて,さすがの私も涙してしまった.
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
灰寄せの席で,また親戚や幼なじみの方と,姉のことを肴に懐旧談に耽る.姉を失ってしまった今,ますます故郷の皆様と離れるのが辛くなる.一分一秒でも長く皆さんと一緒にいたいと思う.
灰寄せは18時頃,お開きになる.
まだ,これから十分に鎌倉のわが家まで帰ることができる時間である.でも,故郷を離れがたい私は,到底,ここを去る気にはなれない.そこで急遽小諸市内に住んでいる弟の家で1泊することにする.
2016年2月12日(金) 晴
■JRバスで帰途につく
弟の家に1泊した私は,例によって早朝目が覚める.
姉の死の悲嘆から一刻も早く立ち直らなければと思った私は,まだ弟が起きてこない7時頃,
「お世話になりました.目が覚めたから帰ります…」
という主旨の書き置きを残して,7時頃,弟の家から出発,小諸駅に向かう.
駅に到着すると,丁度,新宿駅7時30分発西口行のJRバスが出発するところである.これ幸いとこのバスに乗車する.バスは2人掛け座席に丁度1人ずつ座る程度の乗客が乗っている.
小諸駅から佐久インター東まで何カ所かの停留所を停まった後は,練馬駅入口までノンストップである.座り心地の良い座席で,なかなか快適である.
進行方向右手には蓼科山が良く見えている.
長いトンネルを幾つか潜ると,信州の冬景色が一変して,陽光豊かな世界が広がり始める.やがて進行方向右手に妙義山が見える.
”もうすぐ関東平野だな…”
途中,寄居SAに到着する.ここで休憩のため10分間停車.
<残雪の小諸駅前> <妙義山>
■名残の浅間山
車窓から,妙義山の右手に雪で真っ白な浅間山が見えている.
昨日,浅間山の山麓で荼毘に付された姉の霊魂が,真っ白な浅間山の稜線を辿って天国に召された.神々しくさえ見える浅間山に在りし日の姉の姿を二重写しにしてしまう,
<妙義山の脇に真っ白な浅間山が見える>
[姉からの最後の年賀状]
今春,姉から受け取った最後の年賀状.
「桜が咲くまで生きたいと思っておりますが,どうなるますか」
と添え書きされている.結果的にはこの願いは叶わなかった.
姉は医師だったので,自分の病状も十分に把握していたのだろう.残酷な話である.
残念!
[姉の著作(抜粋)]
姉は医師でありながら,晩年の数年間に実に沢山の著作を残している.誤解を恐れずに感想を言えば,姉は医師である前に俳人だったような気がする.合掌.
<姉の著書(単行本のみ掲載)>
(おわり)
「関東・伊豆箱根・上信越」の前回の旅
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/5d638e33f697e350c3b773a4509b45d0
「関東・伊豆箱根・上信越」の次回の旅
(なし)
お詫び
今回のブログ記事は極めて私的な内容になってしまった.ご高覧頂く皆様のことはさておき,自分用のメモとして書き留めておきたかった.ご不快に感じられた読者の皆様には悪しからずご容赦頂きたい.