閑話休題;今年の年賀状に思う
2016年1月2日(土) 快晴
元旦にドッサリ,今日2日にウン十枚の年賀状が私の手元に届く.年賀状と喪中の挨拶を加えると,枚数は例年とほぼ同じである.
ここ数年,年末が近付くと,もう年賀状の交換は,今年限りで止めようかな…と思い続けている.
それでも,12月に入って,年賀状の投函期限がくるころになると,今年だけは何時もの通りに年賀状を出そうと気が変わる.こんな経緯があって,今年も何とか無事に年賀状の交換が終わったようである.
頂戴した年賀状を,一枚一枚丁寧に読み返す.年賀状を読んでいると,これまでのその方とのお付き合いの経緯が鮮明に思い出される.そして,やっぱり年賀状の交換を続けて良かったナと思う.
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ただ,気になったことが幾つかある.
その1番目は,同年配の方々からの年賀状の内容である.
もちろん,大半の方はまだまだお元気だが,中には,
パーキンソン病に罹患した
嚥下が上手くいかなくなった
脊椎間狭窄で歩けなくなった…
という類の病気の頼りもかなり多い.
私の印象では,若々しくてピチピチした印象のある方から,病気の話を聞かされると,正直なところ,聞かされる私が滅入ってしまう.
かくいう私も,春から秋口まで,約半年,右膝の故障で登山を中止していた.
まあ,そんなこんなで,私が年賀状を交換して頂いている皆様方も応分に年を取られているようである.
2番目にビックリしたのは,若手の後輩あるいは先生だと思って居た方からの年賀状である.
何人かの方々から頂戴した年賀状に,
今年の3月で定年退職しますとか,
後一年で定年です
などと書かれている.
”へえ~,あの若手の方がもう定年なのか!”
私はただただビックリするばかりである.
3番目にビックリしたのは,私のゼミ卒業生からの年賀状である.
私はもともとサラリーマンだったが定年間際にトラバーユして,某大学の教師になった.教師になり立ての頃,私のゼミに入った学生の皆様には,今でも格別の思いがある.
当時,私はゼミ生から”若素”を頂戴しながら,無我夢中の教員生活を始めていた.
ゼミ生だった方から頂戴した年賀状の1枚に,
…息子が大学に進学します
という報せが書いてある.
”へえ,この間結婚したという連絡を頂いたばかりだと思っていたけど…息子さんが大学生!”
私はビックリ.
でも,私が教師になったのは昭和の最後の年.今年はもう平成29年.私が教師になった頃,20歳ぐらいの学生さんが,大学生の息子さんが居られても,何の不思議もない.
”へえ~…,私が教員になった年から,もう30年以上を経ったんだ!”
”光陰矢の如し”という諺がある.
勿論,若い頃からこの諺は知っていたが,今年の年賀状を見て,改めて,この諺の意味が実感した次第である.
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今年こそ年賀状の交換を止めようと思っていたが,今はやっぱり年賀状を交換して良かったナと思っている,でも,また,今年の終わり頃のなったら,また同じ迷いをするにちがいないな…それよりも,今年一年,自分の寿命が持つかどうかも分からないじゃないか…ふと,こんな不吉なことも一緒に考えてしまう.
まだ,新しい年が始まったばかり,あまり弱音は吐かずに,成り行き任せの平々凡々の生活が続けられたら良いなと思う次第である.
(おわり)
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