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Channel: 中高年の山旅三昧(その2)
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歩いて巡る甲州道中四十四宿(第2回);(6)熊野神社古墳

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    歩いて巡る甲州道中四十四宿(第2回);(6)熊野神社古墳
           (五十三次洛遊会)
          2013年4月14日(日) つづき

<ルート地図>



<本宿村界隈>

■本陣門
 京王線線の踏切を通過してからも,真西へ向かって甲州街道を歩き続ける.
 15時44分,内藤家の本陣門前を通過する.資料1によると,この門は府中本陣にあったが,ここに移築したという.
 また,資料1によると,高安寺からこの辺りは番場宿と称し,幕末には103軒の民家が街道の両側に並んでいたという.

<本陣門の前を通過>

■稲荷神社
 15時50分頃,稲荷神社付近を通過する.
 大分時間が押してきた.それに,朝,9時30から歩いているので,メンバーも多少疲労してきたように見受けられる.
 「谷保駅まで,後2キロメートルぐらいですね…」
とお互いに励まし合う.
 手許にある資料では,この神社の由来は不明である.資料1によると,この神社に弘治2年(1556年)の棟札があるという.

<熊野神社と古墳>

■熊野神社に到着
 15時57分,熊野神社に到着する.広い境内に人の気配はない.神社拝殿に向かって右側に大きなイチョウの木がある.勿論,本殿は拝殿の裏手に建っている.これらの建物は府中市指定文化財になっている.
 資料3によれば,「熊野神社の創建は江戸時代初期と伝えられいる.例大祭は9月中旬の土日に行われ,祭神は素戔鳴命(すさのおのみこと)である.もとは今の第五小学校の東側にあったが,安永6年(1770年)に現在地に移された.拝殿は,天保九年(1838)に再建された.」 という.

<熊野神社>

■熊野神社古墳
 本殿右手裏側に回ってみる.そこから大きな古墳を見渡すことができる.傍らに「国史跡武蔵府中熊野神社古墳」という刻字のある石柱が立っている.
 古墳と言えば,土を盛った小さな山のような形をしていると思っていたが,ここの古墳の外観は沢山の丸い石を積み上げたドームのような形をしている.
 四角形の台の上に直径およそ15メートルほどのドームが重なるような外観である.
 社殿の真後ろに当たる部分に,古墳の入口がある.古墳は竹垣に囲まれていて,中には入れないようになっている.古墳に登ったり,中に入ったりしてみたいなという衝動に駆られるが,国史跡に指定されているほどの大切なものならば,魅せて貰うだけで十分と思い直す.
 資料4によれば,「国史跡武蔵府中熊野神社古墳は、国内最大・最古の上円下方墳(じょうえんかほうふん)で,1段目が約32メートルの方形(ほうけい),2段目が約24メートルの方形(ほうけい),3段目が直径約16メートルの円形を呈する3段築成の古墳である.高さは復元高で約6メートル.平成15年(2003年)の調査により上円下方墳(じょうえんかほうふん)と確認され,平成17年(2005年)7月14日に国の史跡に指定された.現在は,保存整備工事が竣工し,1350年前の築造時の姿」になっている.「横穴式石室は,保存のため埋め戻したので,内部の公開はしていない」とのこと.
 また,「墳丘の表面は,2段目,3段目の全面に石が葺かれ,1段目の外周に切石(きりいし)が並べられていた.墳丘の中心部に,3室から成る複室構造の切石(きりいし)積横穴式石室(づみよこあなしきせきしつ)があり,石室下には掘り込み地業(ちぎょう)が行われている.石室の切石(きりいし)は,表面を滑らかにする細かな仕上加工が施されていた.」
 出土品は,「鞘尻金具(さやじりかなぐ),環金具(かんかなぐ),刀子(とうす),釘,ガラス玉,ほか七曜文(しちようもん)の銀象嵌(ぎんぞうがん)が施された鞘尻金具は(さやじりかなぐは)特に注目される.築造年代は,墳丘の構築状況や石室の形状などから7世紀の中頃と考えられる.」とのこと.
 「被葬者は不明,武蔵国府設置直前に大きな力を持っていた人物の墓と考えられる」とのこと. 

<熊野神社古墳の外観>

■古墳展示館
 私が古墳の写真を撮ってから本殿の前に戻ると,大多数の方々の姿が見えない.
 “何処へ行ってしまったのかな…”
と多少不思議に思いながら参道に戻る.
 すると,皆さんは神社入口近くにある古墳展示館のベンチにへたり込んでいる.今日一日歩き通しだったので,疲れるのも無理はない.図らずも,ここで休憩を取ることにする.
 古墳展示室は2階からなる綺麗な建物である.折角なので,関内を見て回る.
 


<古墳展示場のパンフレット>

■石室模型を見学
 展示館の内部を見学していると,どこからともなくこの展示館の男性職員が現れる.そして,石室模型を見ていくように私たちに薦める.勿論,拝見したい.
 「石室の中を見たいという人が多いので,石室の模型を作りました」
とのこと.
 職員が何組かのヘルメットと懐中電灯を私たちに手渡す.
 石室模型は展示館裏手にある.実物大の模型である.ヘルメットを被って中に入る.注意をしている積もりなのに入口で頭をガツンとぶつける.やっぱりヘルメットを被っていて良かった.
 中は真っ暗.数メートルの通路を進むと,畳1畳程度の石室がある.人がやっと2〜3人は入れる程度の広さである.全員が一度には入れないで,交代で中を見学する.中には自信があるのか,ヘルメットを被らずに中に入り,やっぱり入口で頭をぶつけて,
 「痛てて…」
と頭をさする人もいる.

<石室模型>

■この辺りの古墳
 展示館で頂いた資料(下図)によると,この地域には熊野神社古墳の他にも,高倉塚古墳御嶽興奮がある.
 この資料によると,多摩川流域では4世紀に作られた古墳が大田区,世田谷区にあり,5世紀末から6世紀になると,府中市周辺に小さな円墳が作られるようになったという.
 私事になるが…
 私は,かなり長い間,京王線沿線の聖蹟桜ヶ丘に住んでいた.聖蹟桜ヶ丘は,この古墳群のある地域からすぐ近くである.なぜ,もう少し早く,この辺りの社寺史跡に興味を持たなかったのか,今になって悔やまれる.

<府中の古墳群>

<御経塚から谷保駅へ>

■史跡獅子宿
 図らずも長時間,古墳見物に時間を費やしてしまった.
 16時09分,ようやく熊野神社を出発する.そして,16時15分,南武線に架かる蓮を渡る.本日の終点,谷保駅まであとわずかである.どうやら私たちは国立市に入ったようである.地図で確かめると,この辺りの地名は御経?というらしい.
 続いて16時20分,史跡獅子宿碑に到着する.ここにはビッシリと説明文が刻字された大きな石碑が立っている.余りに長い文章なので,立ち読みする気になれない.
 資料4には獅子宿に関連して,次のような説明が掲載されている.
 「谷保天満宮境内に獅子神社がある.この神社は総高89センチメートル,幅42センチメートル,厚さ40センチメートルの硬砂岩の玉石である.正面に「獅子神社」,右側面に「文化九年壬申四月」と刻まれ,谷保天満宮本殿裏,立川段丘崖中腹に設置されている.
 社伝によれば,谷保天満宮獅子舞に使用される獅子頭は,天暦元年(947年)に狛犬と共に村上天皇から下賜されたとされている.この獅子頭は,下谷保の笊屋で保管されていたが、文化9年(1812年)に火災で焼けてしまったので,その灰を本殿裏に集め埋め,多摩川の丸石に年号を刻み祀ったのが,獅子神社の始まりと,『国立の生活誌2.』の中で,獅子宿をしていた佐藤彦一氏は語っている.河原石に社名と年号が刻まれるだけの資料ではあるが,谷保天満宮の獅子舞を語る上では欠かせない資料であり,貴重な遺構である.」
 なお,谷保天満宮は次回の甲州街道の旅で拝観することになっている.
 
<南武線を渡る>                                          <獅子宿の碑>

■門のある旧家と常夜灯
 16時21分,立派な門のある旧家の前を通過する.つづいて,16時23分,大きくて立派な常夜灯の前を通過する.
 この旧家の由来や,常夜灯のまつわる来歴などは,手許の資料では分からない.
  
<立派な門の旧家>                                           <常夜灯>

■谷保天満宮
 16時26分,漸く谷保天満宮前に到着する.
 今回は時間が押しているので,谷保天満宮の参拝は次回に回すことにして,天満宮前の三叉路を右折する.右折してほんの少し歩いたところで南武線の踏切を渡る.踏切から直ぐに右折して,16時26分に,無事,本日の終着点である谷保駅に到着する.
 
<谷保天満宮>                                 <谷保駅で解散>

■一人寂しく帰宅…
 谷保駅前でリーダーのO氏が締めくくりの挨拶をする.そして,次回の旅は5月6日(月・振休)に開催することを伝え,解散.
 私は,折から娘と息子の2家族が我が家に来ているので,解散と同時にJR南武線,横須賀線を乗り継いで帰宅する.私以外のメンバーは谷保駅近くで懇親会を開催する予定である.
 武蔵小杉で南武線から湘南新宿ラインの電車に乗車する.電車やバスの接続が良くて,予定より早めに帰宅する.
 私が帰宅する時間と前後して,子供達一家も次々に我が家に到着する.孫を交えて8人でテーブルを囲んで賑やかな夕食となる.
 残念ながら,日頃から私は夜になるとぐ眠くなってしまう.その上,今日は16キロメートル以上もテクテク歩きをしている.風呂に入ってからは,もう,眠くて堪らない.揚げ句の果てに,孫達よりも随分早く寝てしまう.

<ラップタイム>

 8:53  八幡山駅歩き出し
 9:08  長泉寺
 9:39  新一里塚
 9:49  観音堂
 9:59  大川橋を渡る
10:01  信号仙川三叉路
10:04  昌翁寺
10:14  一里塚跡
10:21  瀧坂旧道碑
10:28  金子のイチョウ(10:31まで見物)
10:33  金龍寺(10:37まで見学)
10:50  妙円地蔵
10:59  コンビニ(11:05まで休憩)
11:09  金剛夜叉明王
11:11  野川を渡る
11:19  稲荷社
11:28  園福寺
11:31  常性寺
11:42  蓮慶寺
12:07  小島一里塚跡(6)
12:19  金山彦神社入口
12:20  正福寺
12:30  西光寺
12:23  高速第五公園(13:01まで昼食)
13:01  黒塀の旧家
13:11  薬師堂
13:18  常夜灯
13:25  観音堂
13:27  神明神社
13:41  西武多摩川線踏切
13:46  小祠
13:47  染谷不動
14:00  常久一里塚跡(7)
14:05  常久八幡宮(14:14まで休憩)
14:24  京王線踏切
14:30  八幡神社入口
14:38  新宿公園
14:42  大国魂神社(15:05まで休憩)
15:11  高札場跡
15:14  長福寺
15:22  高安寺(15:32まで見学)
15:38  京王線踏切
15:44  本陣門
15:57  熊野神社(16:09まで見学)
16:20  獅子宿
16:21  門のある旧家
16:23  秋葉常夜灯
16:20  天満宮
16:29  JR谷保駅 着

 [歩行記録]

■水平歩行距離   16:3km

■累積登攀高度    51m

■累積下降高度    25m

■所要時間(休憩時間込み)
 八幡山 発      8:53
 谷保  着     16:29
 (所要時間)  7時間36分( 7.60h)
 水平歩行速度     16.3km/7.60h=2.14km/h

[参考資料]

資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://genki365.net/gnkf04/pub/sheet.php?id=860
資料4:http://www.city.kunitachi.tokyo.jp/bunka/bunkazai/shitoroku73/4857/005803.html

                                     (第2回目おわり)
                                     (第3回目に続く)
「甲州道中」の前の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/87834ec2a62a54a9c863cacf1536483c
「甲州道中」の次の記事
(編集中)

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