<信濃追分駅>
善光寺街道;第1回;第2日目(1);小諸から追分宿入口へ
(五十三次洛遊会)
2015年8月25日(火)~2016年8月27日(木)
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第2日目;2015年8月26日(水) 曇やや蒸し暑い
<ルート地図>
■第1回2日目全体図
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■追分宿(中山道)
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<小諸の朝>
■眠れない夜
夜中に何回も目が覚める.私は神経質なのかどうか分からないが,旅に出ると,どうもうまい具合に眠れないことが多い.目覚めたりウトウトしたりを繰り返しながら,へんてこりんな夢を見続ける.でも,目が覚めると何だか変な夢を見たなという記憶は残っているが,どんな夢だったかハッキリとは思い出せない.
良く眠れなかったこともあって,私にしては珍しく朝寝をしてしまい,6時に起床する.
昨夜の天気予報では,今日は終日雨が降ったり止んだりとのことだったが,ホテルの自室から外を眺めると,雲は覆いながらも,青空もちょっと見えていて,どうやらウォーキング日和のようである.
私はホテルの6階の部屋に泊まっている.素晴らしい眺望である.眼下に小諸の住宅地が見下ろせる.その先の低い所に千曲川が流れている.その先の台地に朝日が当たっている.台地の向かって右端の崖中腹に,善光寺と縁のある布引観音が祀られている.次回,10月にこの布引観音を訪れることにしている.
朝食は7時からである.まだ,少々時間があるので,時間潰しにテレビのスイッチを入れる.テレビの情報によると,今朝の東京地方は季節外れの寒い1日になりそうだという.
<ホテル6階の自室から外を眺める>
■朝食はバイキング
7時からホテル1階の食堂で昼食を摂ることになっている.
私は1階ロビーにあるパソコンを使って着信メールなどをチェックしたかったので,6時半頃,パソコンがあるロビーまで降りる.昨日1日で60通ほどのメールが着信している.ざっと表題を見るが,今すぐ急いで見る必要のありそうなメールはなさそうなので,このまま放置することにする.
7時50分頃,全員がロビーに降りてくる.何時もながらパンクチュアルである.
7時57分から朝食である.私達は窓際の明るい席に座る.
朝食もバイキング方式である.ここの特徴は,とにかく選択できる品数が多いことである.あれもこれも食べてみたいとなると,3~4日間宿泊しないと試食できないほどである.例によって9ヶ所の仕切りのあるお皿を使って欲しいものを少しずつ取るが,仕切りを4~5ヶ所埋めただけで,これ以上食べられそうもない量になってしまう.
…というわけで,私の朝食は右下の写真の通りである.ご飯は極々軽めによそったが,これでもカロリーオーバー気味だし,塩分の摂取量がちょっと多そうである.
”でも,まあ,いいや…”
最後にコーヒーを賞味して,7時35分頃,朝食を終える.そして,一旦自室に戻る.
<窓際の明るい場所に座る><私の朝食>
<小諸駅>
■ホテルを出発
今夜もこのホテルに連泊する予定である.着替えなど今日の行程に無関係な持ち物は部屋に置いたまま,今日一日は身軽になって歩くことができる.これは有り難い.
集合時間の10分前,7時50分に1階ロビーへ降りる.程なく全員が揃う.
7時58分,ホテルを出発して,小諸駅に向かう.
<ホテルロビーに集合> <ホテル出発>
■三の門全景
小諸駅に向かう途中で,小諸城三の門が良く見える場所を通過する.
ここでちょっと立ち止まって,三の門の写真を撮る.
余談だが,小諸義塾では,この三の門の2階で体操の授業をしたと聞いている.
<三の門全景>
■小諸駅3番ホーム
大きな跨線橋を渡って,8時05分に小諸駅に到着する.
小諸駅では,勿論,SUICAは使えない.待合室に券売機が3台設置されているが,1台はJR,残りの2台はしなの鉄道の券売機である.ちょっと紛らわしい.
小諸から信濃追分までの電車賃は330円である.
自動改札口ではないので,改札口で駅員が切符一枚一枚にハンコを押している.そういえば昔は入鋏なんていう言葉もあったな…と,往時のことを懐かしく思い出す.
駅構内に入り,跨線橋を渡って3番線に向かう.ちょうど電車が到着したところらしく,ホームには沢山の高校生が居る.
そう言えば茫洋の昔,かれこれ半世紀以上も前に,旧制中学の生徒だった私も,このホームから上田まで汽車で通っていた.あの頃の汽車は猛烈な込みようで,窓から乗り降りするのは未だ良い方で,デッキにぶら下がったり,機関車の炭水車の上に乗ったりで,大変苦労をして通学していた.年中事故が起きていたので,そんな事故など新聞種にも鳴らなかった…
ホームに立ちながら,そんな昔のことを鮮明に思い出す.
向かって左側ホーム,2番線には,長野行の電車が停まっている.こちらは4両編成.右側のホーム,3番線には,私達が乗車する軽井沢行の電車が停まっている.こちらは2両編成である.
<しなの鉄道の切符> <小諸駅2,3番線>
<しなの鉄道>
■しなの鉄道の車内
小諸8時13分発軽井沢行電車の乗車する.2両編成.
車内は空いている.私達は2ヶ所のボックス席に陣取る.車両は片側三つドアーで,ドアーとドアーの間に4人掛けボックス席が二つある懐かしい電車である.窓の下には吸い殻入れが取り付けられていた痕跡のねじ穴がある.
私がサラリーマン時代に,大船から東京駅まで通勤していたことがある.その頃は,このタイプの電車が主流だったように記憶している.
電車が発車してすぐに気がついたのは,現在,東海道本線や横須賀線を走っている電車に比較して,不快な細かい振動ややかましい音が大きくて,随分と乗り心地が悪い.逆に最近東海道本線や横須賀線を走っている電車は随分と乗り心地が良くなっていることに気がつく.
<しなの鉄道の車内>
■信濃追分駅に到着
途中,平原駅,御代田駅に停車して,8時30分に信濃追分駅に到着する.
小諸と比較して標高が200メートルほど高いからなのか分からないが,霧雨が降っている.多分,雲の中に入っているんだろうと推察する.
広場の片隅で,各自にウォームアップストレッチをして貰う.そして,地図を見てもらいながら.今日の行動予定を説明する.
<信濃追分駅に到着> <追分駅は霧雨の中>
<追分宿を目指して>
■狭い舗装道路
8時40分,信濃追分駅から歩き出す.
まずは信濃追分駅から,中山道の追分宿を経由して分去れまで移動しなければならない.
私も高等学校を卒業するまでは小諸に住んでいたので,この辺りのおよその土地勘はあるが,信濃追分駅から追分宿入口まで歩いた経験はない.ここは地図を頼りに歩くことになる.
「…地図を良く見て下さい.ただ私の後を付けるんではダメ…」
と一同に念を押す.
地図を頼りに,道幅の狭い舗装道路を歩く.ちょうど電車が到着する時間が迫っているためか,結構沢山の自家用車が信濃追分駅に向けて走っている.それが結構鬱陶しい.
8時49分,「追分宿」と書いてある案内板を見付ける.ここで私達が歩いている道に間違いないことが分かる.これで一安心.
8時50分,Y字型三差路に到着する.ここから左側の道に入る.鬱蒼とした並木道が続く.如何にも軽井沢らしい雰囲気である.
<追分宿の案内板> <Y字型三差路を左へ進む>
■国道18号線のガードを潜る
やがて前方に国道18号線のガードが見え始める.このガードを目安にして,地図の上で現在地を確かめる.
9時07分,ガードを潜る.
<国道18号線のガード> <地図で現在地を確かめる>
■追分宿(中山道)に到着
9時08分,ガードを潜ったすぐ先で,中山道に突き当たる.突き当った場所に案内板が立っている.
この案内板によると,右に曲がると追分公園,追分郷土館があるようだが,今回の主目的は,あくまで善光寺街道歩きである.
私は,善光寺街道の視点である分去れになるべく早く着きたいので,追分公園と追分郷土館は省略して左折する.
<中山道に突き当たる>
(つづく)
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【参考資料】
「善光寺西街道」の目次
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