<八幡原史跡公園全景>
善光寺西街道;第3回;第2日目(5);川中島古戦場周遊;八幡原史跡公園
(五十三次洛遊会)
2015年6月26日(金)~28日(日)
前回の記事
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http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/18688d234ad6f3316a7281b964e33857
第2日目;2015年6月27日(金) (つづき) 晴・猛暑
<ルート地図>
■信号川中島駅入口から川中島古戦場まで(タクシー相乗り)
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■川中島古戦場ハイキングコース
<タクシー相乗りで古戦場へ>
■長野南バイパスと通って川中島古戦場へ
14時08分,本日の街道歩き終点の信号川中島駅入口に到着する.相変わらず蒸し暑くて無風状態である.予約したタクシーが到着するのを,今か,今かと待ち続ける.振り返って見ると,今回の善光寺西街道歩きでは,何回となくタクシーを利用した.でも,今回が此の旅最後のタクシー相乗りになるはずである.
タクシーはなかなか到着しない.待つ身になると,わずかな待ち時間でもやけに長く感じるし,ひょっとしたら来ないのではないかという不安に陥る.
14時11分,ようやくタクシーが到着する.随分と永い間待ったような感じがするが,実際の待ち時間はわずか数分である.
すぐに発車,タクシーは私達が歩いてきた道を長野南バイパスまで戻って,左折してバイパス道路に入る.道路の周辺はまるで大都会の郊外のような雰囲気である.ひろびろとした敷地の事業所のビルや工場らしい建物が建ち並ぶ,清潔感の漂う先進国の雰囲気が漂っている.
タクシーの運転手が,
「このバイパスができてから,この辺りの風景が一変しました.前は田畑ばかりだったんですが…」
と私達に説明する.
途中でバイパスから右折して南へ向かう.
14時24分,タクシーは,無事,バス停川中島古戦場に到着する.
<長野南バイパスを走る> <川中島古戦場に到着>
■古戦場入口で一休み
バス停付近には駐車場や売店が建ち並んでいる.
まずはトイレ休憩.トイレに行かない私は,荷物見張りを兼ねたお留守番.
すると,目の前のお店の方が,しつこく私に付きまとう.
「…どこへ行くの? …何しているの? 誰か待っているの…?」
私は内心で,
”うるさいな,放っておいてくれ…なんでいちいち説明しなければならないの…”
とご機嫌斜めである.
”オレの顔を見て,ご機嫌斜めなことを察してくれ…”
ところが,ナイフで切った果物の切れっ端を私の方にさしだして,
「ちょっと食べてみてよ…美味しいから」
となかなか1人にしてくれない.
私は,汚いお札を触った手で切った果物なんて,正直,食べる気がしない.
「結構です.いらないです.」
を何回も何回も繰り返す.私は心の中で,どこか東南アジアの国を旅行しているような気分になる.
”しつこいのも好い加減にしてくれ…!”
と地元の観光当局に抗議したくなる…が,まあ,今日の所は我慢しておこう.
<客引きがしつこい売店群>
<八幡社とその周辺>
■八幡社とその周辺地図
※パンフレット『川中島古戦場周辺マップ』から引用
■川中島の戦いの概要
まず,現地で入手したパンフレットを参考にして,川中島の戦いの概要をおさらいしておこう.
「”川中島の戦い”とは,信濃北部で繰り広げられた越後・上杉謙信,甲斐・武田信玄,そして北信濃の人々を軸とした戦の総称である.通説では天文2年(1553年)から永禄7年(1564年)までの12年間に5度の戦いが行われたといわれている.中でも第4次とされる永禄4年9月10日の戦いは,千曲川と犀川に挟まれた川中島一帯で行われ,信玄・謙信の一騎打ちなど,多くの伝説をともないながら現代に語り継がれている.」
■八幡社
5~6分で皆さんがトイレから戻る.留守番をしていた私は,やっとお土産屋の強引な勧誘から解放される.
さて,どこからどういう順序でひと廻りするかである.先導役をしなければならない私もここを訪れるのは初めてである.予備知識は,インターネットで調べた程度である.
”どこでも良いけどまずは八幡原の核心部を見物しよう.後は野となれ山となれ…成り行きに任せよう…”
ということで,まずは,14時33分,すぐ近くの八幡社を訪れる.
荘厳な雰囲気のお社である.傍らに設置されている案内板の記事によると御祭神は誉田別尊と建御名方命…と言われても神様のことが良く分からない私にはチンプンカンプンだが…
「この神社は八幡社といい,これより先は武田信玄が陣構え,ご加護を仰いだ八幡大神を奉斉する神社の聖域となり,正面手前が旧社殿(鞘堂),奥が現在の社殿」とのこと.
<八幡社>
■上杉謙信と武田信玄の一騎打ちの銅像
続いて,上杉謙信と武田信玄の立像を見物する.
馬上の武将が上杉謙信,左側で腰掛けて軍配で受けているのが武田信玄であろう.随分と迫力のある立像である.
傍らに立つ案内板の記事によると,「建立は昭和44年(1969年)11月.NHK大河ドラマ「天と地」(海音寺潮五郎作)の放送記念として立てられた.作者は後藤光行.」
この立像の前で暫く見物休憩.
<上杉・武田の立像>
■まずは集合写真
立像の前でまずは集合写真を撮る.私がデジカメのシャッターを押しているので,当然,FHの姿はこの写真の中にはない(後で自分の写真を合成して入れ込む予定…だが,忙しくてやらない可能性が大).
<集合写真>
■風林火山の旗
次いで風林火山の旗を.お馴染みの幟旗である.言わずと知れた武田軍の軍旗である.
説明板の記事によると,「別名孫子の旗.字句は『孫子』の一節.『疾きこと風の如く,徐かなること林の如く,侵掠すること火の如く,動かざること山の如し』.
武田軍の軍旗としては,このほかに『南無諏方南宮法性上下大明神』という旗がある.『風林火山』の旗と共に武田軍の象徴である.」
<武田軍の旗>
■首塚
14時35分,首塚を見学する.案内板の記事によると,「合戦の後,武田方の海津城代高坂弾正が,一帯に散乱する戦死者の遺体を敵味方の区別なく手厚く葬った塚.以前は付近に数個あったが,現存しているのは2基だけで,もう一つは八幡社の南数キロメートルほどの所にある」という.
<首塚>
■川中島合戦をしのぶ田中月亀翁父子の歌碑
続いて,川中島合戦をしのぶ田中月亀翁父子の歌碑を見物する.
案内板の記事によると,田中月亀翁は松代藩主真田幸村の家臣.
<川中島合戦をしのぶ田中月亀翁父子の歌碑>
■三太刀七太刀之跡碑
続いて,三太刀七太刀之跡を見物する.
案内板の記事によると,「上杉謙信が単騎武田信玄本陣に切り込み,馬上から信玄目がけて三度にわたり切りつけた.信玄はその太刀を軍配扇で受け止めた.軍配扇には
七ヶ所(甲陽軍艦では八ヶ所)の刀傷が残っていたと伝えられる.当時の記録には謙信が『自身太刀打ちに及んだ』と書いてあり,激戦だったと伝えられる.」
<三太刀七太刀之跡の碑>
<長野市立博物館と八幡原史跡公園>
■道なりに歩いて長野市立博物館へ
八幡社周辺の石塔類を一通り見物してから,道なりに適当に歩いていると,14時42分に長野市立博物館に到着する.
パンフレットの記事によると,この博物館は昭和5年(1981年)に開館された.「長野盆地の歴史と生活」が主要テーマだという.
内部は年代順に設けられた順路をたどって,長野盆地の成り立ちや稲作のムラ,善光寺とその信仰,川中島の戦い,ムラのくらしなど,22テーマの展示があるとのこと.内部にはプラネタリウムもあるようだ(ただし土日祝日のみ投影).
私もこの博物館にちょっと興味がある.でも入場料のお1人様300円が惜しくて,入場は諦める(本当は内部をジックリ見学する時間がないからですよ…).
<長野市立博物館に到着>
■長い講釈が始まる
博物館の入口で,中へ入るか,それともパスするか迷っていると,入口付近で腰をかけていた品の良いお年寄りが私達に話しかけてくる.どうやらこの地域のボランティアガイドさんのようである.
説明を頂くのは大変有り難いし勉強にもなるが,どこの観光地でも同じように,聞き手の時間などに全く関係なく,ご自身の知っていることを全部話そうとする.ご厚意で,ボランティアをされているので,話の途中で打ち切るわけにも行かず,大困りすることが多い.
ここでも長い講釈が始まる.私は時計を見ながら,内心では,
”早く説明が終わらないかな…”
とイライラしながら待つ.
そんなわけで,折角の説明も全く頭に残らない.
<ボランティアガイドの長い説明が続く>
■川中島大合戦図
ボランティアガイドが説明しているのは,永禄4年(1561年)9月10日の合戦図である.
この図には妻女山を中央に,武田軍と上杉軍がどのように行動したかを示している.
今回は,妻女山を訪れる時間はないが,機会があれば,この妻女山は勿論,山本勘助の墓や松代城趾なども是非訪れて見たいなと思って居る.
<川中島大合戦図>
[参考資料]
資料1.川中島の戦い整備保存会,発行年不詳,「川中島古戦場周辺マップ」
続きの記事
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(編集中)
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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