<草道を行く>
歩いて巡る甲州道中四十四宿(第5回):(3)関野宿
(五十三次洛遊会)
2013年7月7日(日) つづき
<ルート地図>
<藤野駅>
■階段を下って…
10時59分,巨大なエノキの前を通過する(前回の地図参照).
暫く進むと,左から信号日連入口で,日連大橋からの道路が合流する.なだらかな登り坂を歩き続ける.辺りがだんだんと街らしくなり賑やかになり始める,直ぐに,右上から道路が合流する.
11時05分頃,JR藤野駅近くから,左に降りる階段を下る.下りながら,
“あれ〜っ…この道で良いのかな?”
と心配になる.でも,大多数の皆さんは,何の躊躇もなく先頭に付いてくる.
“山だったら遭難しちゃうよ…”
多少迷いながら,階段を下りると谷へ向かうトラバース道になる.すると前方の視界が開ける.この辺りに土地勘がない私には,地図がなければ自分がどの辺りを歩いているのか,皆目見当が付かない.
谷間には沢山の住宅が建ち並んでいる.その先には半円形のアーチ橋が見えている.なかなかの絶景である.でも,相変わらずクソ暑い.
<藤野駅近くの坂道を下る>
■草道の手前で,たまらず休憩
坂道を下り終えた一番低いところが十字路になっている.この十字路を過ぎると登り返しの坂道になる.そんなに長い登り返しではないが,とにかく蒸し暑いので,結構堪える.
11時11分,坂道を登り切ったところにあるわずかな木陰で給水休憩を取る.
何回も同じことばかり言っているようだが,今日の猛暑は飛んでもないレベルである.ついに,ここでお一人がリタイアすることになる.こんな酷暑の日には無理は禁物.リーダーのONさんが,リタイアする人を近くの藤野駅まで見送ることになる.
成り行きで,ONさんが戻るまで,この辺りで待つことにする.
近くの民家の犬が頻りに吠える.犬が苦手な私の気分は余り良くない.
<わずかな木陰で給水休憩>
■草道に入る
20分ほどで,リタイアされた人を藤野駅まで見送ったONさんが戻ってくる.歩き続けのONさんに休憩を取って頂いてから,9時40分に再び歩き出す.
すぐに森の中の狭い草道になる.木陰に入ると随分と涼しい感じになる.でも,茂みの中を歩くので,蚊に刺されないかが心配になる.
<関野宿>
■関野宿の概要
資料2(p.293)によると,関野宿の宿内人口は635人.内,男323人,女312人.宿内惣家数130軒.内,本陣1軒,脇本陣1軒旅籠3軒であった.
資料3では,「関野宿も本陣1軒,脇本陣1軒,旅籠3軒,街道沿いの戸数わずか25戸という小さな小さな宿場であった.今の関野は,かつて宿場町であったことを忘れてしまったかのような静かなたたずまいの町である.ただし国道20号を大型トレーラーが行き交い騒音だけは凄い.」と紹介している.
■迷うのを心配する
地図を頼りに歩き続けるが,地図によると,どこかで右折して中央本線を横切った辺りからが関野宿である.ところが,地図だけ見ていると,どこで右折したらよいのかが,どうも判然としない.私はナビゲーション係の方に,詳細地図を良く見ているように依頼する.そしてグループの先頭に立って,右折する場所を見落とさないように依頼する.
ところが実際に右折する場所に行ってみると,下の写真のように立派な跨線橋があって,誰が行っても絶対に迷う心配はない.
“なあ〜んだ! こう言うことか…!”
私は安堵すると同時に,“産むは案ずるより易し”という諺を思い出す.
11時45分,跨線橋を渡り始める.いよいよ関野宿である.
<中央本線の跨線橋を渡ると関野宿である>
■関野本陣跡
跨線橋を渡って自動車道に突き当たる辺りに関野本陣跡がある.下の写真のような案内板があるだけで,辺りには現代風の民家があるだけで,昔の面影は殆どない.
資料2(p.298)によると,脇本陣跡と本陣跡は並んでいるとのことなので,まあこの辺りに脇本陣と本陣があったのだろうと想像して通過する.同資料によると,どちらも中村姓で家は新しくなっているという.
<関野宿跡>
■増珠寺
関野本陣跡から先はなだらかな下り坂になる.相変わらず蒸し暑い.
11時51分,増珠寺(ぞうしゅじ)の入口に到着する.増珠寺は,進行方向右手にある小高い丘の上にある.
私は折角ここまで来たのだから,せめて増珠寺本堂だけでも写真に撮っておこうと思う.
そこで,やや急な登り坂をほんの1〜2分登って.本堂の写真を撮る.広々とした境内に立派な本堂が建っている.
資料4によれば,龍渕山増珠寺は曹洞宗の寺.山号は龍淵山.本尊は延命地蔵菩薩。永正年間(1504〜1520)ここから北約2km大日野原の古寺に功雲寺7世潮翁能音大和尚 により開創され,黒沢山隠棲寺と称したが,後,天明5年、8世一堂快鞭大和尚の時,現在地に移転改築されたという.
また,資料5によれば,増珠寺の位置は桂川の河岸段丘中段標高215メートルの場所のようである.南向の境内の30ヘクタールほどの範囲から縄文時代,古墳時代の土器,石鏃が数点出土しているという.経塚の経文石が出土しているが,経塚の跡形はないようである.
<増珠寺>
■増珠寺石垣の日影で立ち休憩
増珠寺の石垣沿いに,わずかな日影がある.
私が,増珠寺の写真を撮っている間,どうにも蒸し暑くて堪らない一同は,この日陰に入って一休みしている.
“熱射病にならないように気を付けなければ…”
と改めて思う.
<増珠寺石垣の日影で一休み>
■力士追手風喜太郎
11時53分,増珠寺を過ぎてほどなく,力士追手風喜太郎の案内板の前に到着する.
この案内板には,追手風喜太郎が関野の出身であり,天保2年(1831年)に西大関になったことや,引退後相撲会館の要職を歴任したことなどが書かれている.
<追手風喜太郎の案内板>
■をとめ坂(御留坂)
やがて南西に向かう坂道にさしかかる.
“そろそろ昼食を撮る場所を探さなければ…”
と思いながら,坂道を下って,11時58分.また先ほどの舗装道路に合流する.合流点近くに御留坂の案内杭が立っている.合流点で右折.やがて道路は大きく左カーブする.
<御留坂の標識>
<三柱神社で昼食>
■神社の入口が分からない
地図を確かめると,この辺りの三柱神社があるようである.行ってみないと,どんなところか分からないが,もし神社の境内を借りて昼食が摂れれば好都合だなと思う.
ところが神社への入口が何処にあるのか分からない.
道路が左へカーブするところの右手に草道がある.何の標識があるわけではないが,神社の位置は確かにこの辺りである.見上げると森の木がこんもりと盛り上がっている.何となく神社があるような気配がある.
とにかく草道に入って見る.草道は直ぐにフェンスに突き当たる.突き当たりから右手にやや急な登り坂の道が続く.この道は100メートルほど先で左にカーブして,その先は見えない.
「とにかく,この道を登ってみましょう…」
ということで,ONリーダが先頭に立って登り始める.
やがて,左カーブに差し掛かる.
“やっぱり神社は無いか…”
と諦め掛けたときに,先頭のONさんが,
「神社がありますよ…」
と安堵したように言う.
“好かった!”
左カーブを曲がったところに,三柱神社の立派な参道がある.
12時03分に三枝神社の到着する.
「正に,ドンぴたりの時間ですね…」
と良いながら,長い石段を登る.石段脇に三柱神社の由来などを記述した案内板があるが,読むのは後回しにして,とにかく石段を登って,神社を参拝する.
<三柱神社の参道>
■神社の境内で昼食
神社の参拝を済ませてから,神様の通り道を避けるようにしながら,日影を探す.日陰に入ると,涼しい風が吹いている.これまでの猛暑が嘘のように涼しい.
私たちは適当な場所に座り込んで,各自,思い思いに昼食を撮る.
<三柱神社社殿>
■冷たい饂飩
私は,今日が猛暑の中の歩きになることを予想して,コンビニで.冷たい饂飩を購入していた.正に正解.美味しく頂戴する.
<私の昼食>
■三柱神社の由来
30分ほどで昼食を終える.
出発間際に三柱神社の案内板をザッと読む.
案内板の記事によると,この神社の創立年代は明らかではないが,秦氏の氏神である唐土明神が祭神である.関野,小渕地区の鎮守として崇敬されているという.
嘉永2年(1849年)6月,炉記し追手風喜太郎の寄進によって本殿が再建された.その後,明治6年に大牟礼神社と八坂神社が合併し三柱神社となったという.また,参道周辺の木々は杉,モミ,松など樹齢200年余りの大木で,リス,ムササビなどが生息しているという.なお,現在の拝殿は昭和53年に改築されたものだという.
<追手風喜太郎と三社神社>
[参考資料]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
資料3;http://home.h01.itscom.net/tokaido/6kousyu/16sekino.html
資料4;http://www2u.biglobe.ne.jp/~shgkj-hk/reijou-25.htm
資料5:http://www.e-tanzawa.jp/contents/dl/support/info/tiiki-info/tsukuigaku/HTML/T07970.HTML
(つづく)
「甲州道中」の前回の記事
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「甲州道中」の次回の記事
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