<会田宿の千本松>
善光寺西街道;第2回;第1日目(3);上り坂が続く会田宿
(五十三次洛遊会)
2015年5月29日(金)~31日(日)
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第1日目;2015年5月29日(金) (つづき) 晴
<ルート地図>
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<会田宿の案内板>
■立派な案内板
松本市役所滋賀支社での休憩を終えて,11時45分にまた歩き出す.一旦先ほどの交差点まで戻る.
交差点には「善光寺街道會田宿」という屋根付きの立派な案内板が建っている.そこには会田宿の地図,由来,観光スポットなどが簡潔に書かれている.
“旧四賀村は,村の観光に随分と力を入れていたな…”
と一見の旅人に過ぎない私でも肌で分かるし,何だか歓迎されている感じがして嬉しくなる.
<会田宿の案内板>
■会田宿の概要
この案内板の記事によると,会田宿の原型は鎌倉時代に求められるという.「13世紀初頭,小県地方の豪族,海野氏は中信地方に進出して,次男(会田小次郎)以下の兄弟を此の地に配置して治めさせた.地頭としての会田氏は虚空蔵山に城を築いて,居館を殿むらの台地に定めていたが,その城下が発展して宿場となったものである.
戦国の世,天正9年(1581年),会田氏は小笠原貞慶によって滅ぼされたが,徳川幕府によって諸国の街道が整備されると,城下は中山道洗馬から分岐して善光寺に向かう街道(北国西街道)の宿場として栄えた.俳人芭蕉が「身にしみて大根からし秋の風」と詠み,雲上の難所と嘆いた「立峠」を越えて,道は北信濃へと続いている.
明治35年(1902年)鉄道が西条~松本間に開通してから,宿場の人馬の往来はほとんど途絶えた」(括弧内は案内板からの引用).
■民家の軒先にも案内板
案内板が設置されている場所にほど近い民家の軒先にも,「善光寺街道古なみ屋」と書いた門灯(軒灯?)が取り付けられている.
“ほほう…大分,観光に力が入っているな…”
と感じながら,この門灯の写真を撮る.
初めてこの地を訪れた私にも,この地域の観光への意気込みが感じられ嬉しくなる.
11時48分,会田川に架かる会田大橋を渡る.いよいよ会田宿の中心部に入る.
<民家の軒先にも案内灯が取り付けてある> <会田大橋を渡る>
<会田宿の中心部>
■坂道を行く
会田大橋を渡ると市街地になる.道路の両側には立派な歩道が付いている.道路の両側には切れ目なく民家が軒を連ねている.立派な家が多い.私達はお行儀良く2列に並んで坂道を登り続ける.
ただ,道路を歩いていても誰にも会わないし,人の気配すら感じない.まるでゴーストタウンを歩いているような錯覚に陥る.
民家の入口には,「ぬのや」「こくや」「ほていや」などと書かれた門札が取り付けられている.
<宿内の緩やかな坂道を登る>
■信号会田宿
11時51分,信号会田宿に到着する.この辺りが会田宿の中心部のようである.
自動車の往来が殆どないのに,信号が赤青黄色の点滅を繰り返している.信号のすぐ先には白壁の立派な屋敷が建っている.この辺りにも相変わらず人の気配がない.まるで映画のセットを連想させるような雰囲気である.
交差点の両側には,吾妻屋のような建物が建っている.どちらも最近建てられたもののようである.
この信号を左折する道が善光寺西街道である.
<信号会田宿>
■道標と宿場水屋
北西側の四つ角に石の道標が立っている.この道標には「右いせ道 左ぜんかうし道」と彫られてる.
道標の近くに「宿場水屋」がある.小屋の中には,どこかから引き込まれた水が懇々と流れてている.この水を手の平で受けてみると,気温よりいくらか冷たい感じがする.ただ.この水が飲用に適するかどうかは良く分からない.まあ,飲まない方が無難だろう.ー
<道標> <宿場水屋>
■うるわしの千本松
北東側の四つ角に千本松のモニュメントがある.建屋の中には,大きな切り株と,双体道祖神が祀られている.
建屋の軒下に,この「うるわしの千本松」の説明板が取り付けられている.この説明文には以下のようなことが書かれている(一部省略).
「うるわしの松は四賀地区五常東北山に自生していた変形赤松で「千本松」と呼ばれていた.幹は12本に分かれ約12メートル,さらに32本の小枝に分枝し,それらは幾百千の小枝となって繁っていた.四賀の人々からも愛されていたが,松食い虫の被害により枯れた.平成25年6月,伐採して年輪を調べると約150輪,中心部は細かくて測定不可能だった.この木の雄姿を懐かしむ人々が幹の一つに「長寿道祖神」を彫った.また根元に近い部分を磨いて保存展示した.」
<千本松の幹> <幹から彫った道祖神>
<坂が連続する宿場町>
■「あぶらや」と静かな街並み
11時55分,会田宿四つ角を左折して西へ向かって歩き始める.相変わらず道路の両側には住宅が軒を連ねている.
歩き出してすぐの所に,「ご通行の皆様ご自由にご利用下さい」という看板がある建物がある.「あぶらや」と書いたガラス戸が入口のようである.
「それでは,ちょっとお邪魔します…」
ということで,入口の戸を押してみる.しかし入口には鍵が掛かっていて,残念ながら利用できない.
まあ,しかたないな…ということで先へ進む.道路の両側には立派な家が並んでいるが,相変わらず誰1人として街中を歩いている人はいない.まるでゴーストタウンのようなところを私達だけが歩いている.
<あぶらや> <人影が全くない街>
■本陣跡と善光寺道標
11時58分,本陣跡に到着する.会田宿本陣之跡と刻字された御影石の案内杭が立っている.傍らに設置された案内板には旧横内氏の屋敷跡と書いてある.さらに宿場が最盛の頃には,旅籠が12軒,小宿7軒,戸数94戸があって賑わったという説明がある.
12時00分,三叉路に到着する.三叉路の角に,東部は欠けているが「善光寺道」という刻字が読める石柱が立っている.ここを右折する.
なお,資料1によると,この三叉路辺りに下の問屋跡があるはずだが,どの家が下の問屋跡か確認できないまま通過してしまう.
<会田宿本陣跡> <善光寺道標>
■御即位大典記念碑と神社
三叉路を右折すると,かなり急勾配の登り坂になる.相変わらず道の両側には民家が軒を連ねている.
12時02分,細長い石柱に半ば消えかけた刻字で御即位大典記念碑と書いてあるのを見付ける.大正天皇かな,それとも昭和天皇かな,良く分からない.
12時03分,立派な石段の上に円柱が祀られているところに到着.石段の前に石灯籠が立っている.傍らに案内杭が立っているが,杭の文字が消えかかっていてほとんど読めない.何だろう? 不思議に思うが,今のところ,ここが何かは全く分からない.
<御大典記念碑> <名前不明な石柱>
■坂道が連続する宿場
緩い勾配だが,ずっと上り坂が連続する.
12時05分,一寸立ち止まって立ち休憩をとる.
「皆さん,ちょっと後ろを振り返ってみて下さい.素晴らし眺めですよ…」
何時の間にか,随分と見晴の良い位置まで登ってきている.それにしても会田宿は坂の宿だなと実感する.
<随分と高い所まで登ってきた>
■常夜灯
12時11分,道路の両側に常夜灯が立っている場所に到着する.この常夜灯は,ここが会田宿の出入口であることを示している.したがって,私達もここで会田宿ともお別れということになる.
常夜灯の傍らに案内板が立っている.この案内板の記事によると,この常夜灯は安政2年(1855年)に建立されたもので,村(今は市かな)指定重要文化財になっている.
<街道両側に常夜灯>
■石塔群
12時13分,立派な屋根の下に祀られている双体道祖神,馬頭観音などの石塔群の前を通過する.
続いて,12時15分,坂上から降りてくる小学生の一団とすれ違う.どうやら近くの小学校の学童らしい.子供達は皆元気,どこへ行くのと話しかけてくる.子供達が実に可愛い.
<双体道祖神,馬頭観音など石塔群> <小学生とすれ違う>
■先祖累代供養塔と長屋門
12時15分,先祖累代供養塔に到着する.大きな石の供養塔である.この供養塔の由来などは手許の資料では分からない.
12時21分,茅葺きの立派な長屋門に到着する.ここは銃術指南役の旧家松沢家.
<先祖累代供養塔> <松沢家長屋門>
■お花畑
歩き進むにつれて,沿道の家も次第に疎らになる.反対に野趣豊かな花畑が多くなる.今は丁度紫,白,黄色など色々な花が咲いている.花のことはからっきし分からない私でも,綺麗な花を見れば感激する.
私達は花に見とれながら,ユックリ,ユックリと坂道を登り続ける.
<綺麗な花が咲き乱れる>
■岩井堂の鳥居と大師堂
12時26分,岩井堂の鳥居の前を通過する.古い鳥居と草むした参道がわびしい.どうやら岩井堂は小高い丘の上にあるようなので,これから立峠を越えなければならない私達には,丘の上まで往復するだけの余力も時間もない.やむを得ずパスする.
12時28分,大師堂に到着する.
「ここの日陰で昼食にしましょう…」
と誰ともなく言い出す.
もう12時を大分過ぎているし,幸いなことに周囲に全く人影もない.
「じゃあ~…ここで昼食にしましょう」
<岩井堂の鳥居> <大師堂>
■日陰で昼食
日陰の石垣にズラリと腰掛けて座って,各自弁当を広げる.
たまたま目の前に立っているカーブミラーが広角レンズになって,全員が見えている.これは具合が良いなということで,カーブミラー越しに写真を撮る.鮮明さに少々問題があるがなかなか面白い.
頭上は桜の木.ときどき上から毛虫が落ちてくるのが難点だ.でも,4月にここを訪れていたらさぞかし桜が見事だったろうに…
<日陰で食事>
■私の昼食
さて私の昼食.歩き出して間もなくの所にあったパン屋「四賀ロディ」で衝動買いをしたアンパンとカボチャパンがメイン.大船駅前のコンビニで購入したオニギリは後回しにする.
このパン,ネットリと柔らかくて,なかなかの味である.大満足.
<私の昼食>
[参考資料]
資料1;完全踏査海道マップシリーズ『ちゃんと歩ける善光寺街道』五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
(つづく)
続きの記事
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(編集中)
「善光寺西街道」の目次
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「善光寺西街道」の索引
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