<フラワーセンターのバラ展>
陽春の鎌倉;フラワーセンター・貞宗寺・円光寺・久成寺・七曲がり周遊
(単独散策)
2015年5月24日(日) 曇
<ルート地図>
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<鎌倉中央公園から山崎跨線橋へ>
■鎌倉中央公園から山崎へ
天気予報では今日は雨,そのためARENAオフミで計画していた山行は中止となる.とても残念だがお天気が相手では仕方がない.まあ,これも天のなせる采配だろうと素直に受け止めて,午前中は仕事に専念する.
ところが曇り空ながら,雨は降る様子もないので,”それでは…”ということで,雑記帳とデジカメ,それに小銭だけをもっと,12時30分,またフラフラとお出かけである.また,例によって行き先は出たとこまかせ,運任せである.でも出発点は何時もの通り鎌倉中央公園清水塚口である.
毎度,当ブログにアクセスして下さる方々には,”また中央公園の写真か…”と冗長に思われるかも知れないので,今回は1枚だけ載せておこう.私には花のことはサッパリ分からないが,園内の湿地に黄色いアヤメ(?)が沢山咲いている.
天気が思わしくないためか,日曜日にもかかわらず園内は閑散としている.
<湿地に咲く> <閑散とした園内>
■山崎の高台
山崎口から公園の外に出る.道なりにブラブラと北へ進むと薬師堂跡近くの三叉路に突き当たる.左折する.進行方向左手,十王堂跡近くに立派な階段がある.この階段を登ると,見晴の良い墓地が一面に広がっている.位置としては「もろん台」の南西に当たる.
墓地の一番奥に坊主墓がある.
この墓地が何処の寺のものか,私は全く調べたことがないので知らないが,墓地の中に墓地分譲の立て看板が立っている.
<この階段を登ると見晴の良い台地に出る> <墓地が広がる>
■高台からの天神山遠望
墓地のある高台から天神山とその山裾を通る湘南モノレールの線路が良く見える.
天神山の山頂には北野神社があるが,つい2日前に天神山に登ったばかり.私は景色を眺めながら,今日はこれから天神山の山裾を通ってフラワーセンター大船まで行こうと決める.
なおここから見える山裾辺りに宝積寺があったようである(『こども鎌倉風土記』p.252).
<山崎の高台から天神山を望む>
■妙法寺から山崎跨線橋へ
12時56分頃,山崎交差点近くのコンビニに立ち寄って,飲み物とオニギリ1個を購入してから,13時07分,山崎交差点を渡る.
ここから天神山の山裾を廻って,13時15分,妙法寺に到着する.ところが山門は閉まったまま.つい最近までは境内には入れたのに残念.ここには日蓮上人像,鬼子母神像などがあるが参拝できないのが残念.門扉の間にデジカメのレンズをさし込んで本堂の写真を撮って,ここはオシマイ.
<妙法寺山門> <妙法寺本堂>
■山崎跨線橋
13時21分,山崎跨線橋に到着する.
橋の下には沢山の線路が敷設されている.東海道本線は複々線.それに沢山の引き込み線.見下ろすとなかなか壮観である.丁度,車庫(って言うのかな?)から成田エキスプレスがユックリと大船駅方面に移動中である.
”シメ,シメ,…”
元汽車マニアだった私は,良い年になっているのに,跨線橋にしがみついて電車を見守る.こういうの何時に楽しい.
<山崎跨線橋から成田エキスプレスを眺める>
<フラワーセンター>
■フラワーセンターに到着
13時31分,県立フラワーセンター大船植物園に到着する.私のようなシニアは割引で入場料100円.有り難い.もっとも,数年前までは無料で入れたが…
<フラワーセンター入口> <花販売所>
■入口付近の花
フラワーセンターに入った途端に,明るい気分になる.園内には実に多種多様な花が咲き乱れている.
いくら花オンチの私でも,
"綺麗な花は,率直に綺麗に思うよ,当たり前でしょう…”
と私の身体の奥底に巣喰っていて,ニヤニヤしているもう一人の私に抗弁する.
■入口付近の池
入口近くの池に咲く蓮の花が実に見事である.2週間ほど前に,ここを訪れたときには,ほとんど目に付かなかったのに…
私は池の近くのベンチに座り込んで,先ほど山崎のコンビニで購入したオニギリで腹ごしらえをする.
■さつき盆栽展
「春のばら展さつき盆栽展」という案内があるのに気がつく.本日最終日と書いてある.特に興味があるわけでもないが,ちょっと覗いてみようと思う.
最初にさつき盆栽展の会場に春.入った途端に,ズラリと並んだ艶やかな盆栽にビックリしてしまう.
盆栽の見所など知る由もないが,そんな素人でも,理屈抜きに「凄い!素晴らしい!」である.
つい先日,我流絵画論をこのブログで開陳したが,あんなヘボ理屈などすっ飛ぶほどの感動を覚える.
<展示会の案内> <さつき盆栽展会場>
■作品の数々
会場に居られる係員の方に,撮影の許可をいただいてから,目に付いた作品を片っ端からデジカメに収める.ブログ容量の都合で,全部の写真を披露できないのが残念である.
なお,各作品の脇に小さな鉢植えが置いてある.この小さな鉢植えを置くのに何か意味があるのかと伺う.すると,こんな答えが返ってくる.
「…盆栽は本来床の間に飾るんです,床の間には掛け軸と盆栽をセットにして飾ります.この小さな鉢植えは掛け軸の代わりに,盆栽を引き立てるために置くものなんです…」
”なるほど…”
何でも聞いてみるものだ.
■バラ展
続いて第1展示場で開催中のバラ展を覗いてみる.第一印象は「あでやか」.
先ほどの盆栽展会場は中高年の男性が取り仕切っているように思えたが,こちらは断然女性が多いような印象を受ける.
■バラ園を散策
展示場から外へ出る.
まずはバラ園へ.広大なバラ園に圧倒される.一口にバラと言っても,赤,白,紫など多様な色があるのに驚かされる.
バラ園を散策する.沢山の人たちがノンビリとバラを楽しんでいる.
その中で,派手…というよりは少々けばけばしい服装の女性数名が騒がしくしているのが目に付く,一箇所に留まって,ポーズを取りながら写真の撮り合いをしている.しかも,バラが一番華やかに見える場所である.私は,”騒々しいな…”と気分を害する.
でも,その辺りのバラの写真も撮りたいので近付くと,話している言葉から,この集団は日本人ではなく某国の方々だと分かる.
”ありゃ,ありゃ,…この人達は自分の国でやっていることと同じことを,日本でもやっているな…”
私は不愉快さを通り越して,悲しい気分になる.というのも,戦後まもなく,ノートリアスノーキョウのおじさん達がステテコ姿で世界中のし歩いていた時代があったからである.一体,何時頃から,日本人は静かになっちゃたんだろう.実に不思議である.
<バラ園>
<フラワーセンターから貞宗寺,円光寺へ>
■コーナンの脇道を抜けて…
14時17分,フラワーセンターの外に出る.
"さて,どこへ行こうか…"
毎度お馴染みのMr.ブラウン式の迷いである.
”たまには,二伝寺辺りを一巡りして藤沢へ出ようかな…それとも,御霊神社のアジサイでも見て,深沢経由で自宅に戻ろうかな…”
結局踏ん切りが付かないので,どちらにも行けるように,フラワーセンター沿いの路地を武田薬品の研究所方面に向けて路地沿いに歩き出す.路地は大きく左カーブしながら続くが,大きな団地の前で三叉路に突き当たる.
丁度そのとき,三叉路を通過していく通行人が居るので,何となく後を追うように左折する.これで,当面の散策ルートはほぼ決まる.
この路地,なぜか入口と出口に扉が付いている.隣接するマーケットプレース「コーナン」が管理しているのだろうか,良く分からない.
コーナンの巨大駐車場の前を歩く.折角だからコーナンに立ち寄って店内をブラブラしようかなという誘惑もあるが,まずはリハビリ散歩を市はければ…ということで,残念ながらコーナンは通過する.
14時30分,電信柱に貞宗寺の案内板が貼り付けてある三叉路に到着する.前方には湘南鎌倉病院の巨大な建物が見えている.案内板の角で右折して狭い道に入る.
<コーナン脇の路地を抜ける> <この三叉路で右折する>
■貞宗寺
14時33分,貞宗寺に到着する.
境内には人気がなく閑散としている.昨年,梅の花が咲いている頃,この寺を訪れたことがあるが,境内の様子が少し違っているように思えるが,定かでではない.
まずは本堂を詣でる.屋根には徳川家の三つ葉葵の紋がある.
『かまくら子ども風土記』(p.244)によれば,ここは浄土宗.山号は玉縄山.慶長14年(1609年)貞宗院をここに葬ったという.開山は大長寺の住職暁誉源栄(ぎょうよけんえい).なお貞宗院は側室お愛いの局(宝台院)の母,お愛の局は徳川2代将軍秀忠の母.つまり貞宗院は秀忠の祖母ということになる.
同資料によると,境内に玉縄小学校の前身,玉縄学校が明治6年(1873年)に設置されたが,後に龍宝寺境内に移設されたという.
なお,同資料には,「石柱の門を入り左手に貞宗尼の墓がある…」という記述があるが,墓地に入るのは気が引けて,どれが貞宗尼の墓か確かめていない.
<貞宗寺>
■小さなお社と長屋門
貞宗寺境内に入ってすぐ左側に,わらじや草履が沢山ぶら下げてある小さなお社がある.そこには,石仏らしいものが2基安置されている.これは一体何だろう.前掲書にも,この説明はない.
14時35分,貞宗寺を後にする.そして貞宗寺を背に左手の路地に入って見る.この路地を数十メートル先まで歩いた左手に立派な長屋門が建っている.どうやら今は廃屋になっているのかな?
路地はその先まで続いているが,私有地なので立ち入り禁止という掲示があるので,おうろを引き返す.
<ワラジが吊り下げてあるお社> <長屋門>
■円光寺
貞宗寺から住宅地内の曲がりくねった路地を歩く,路地の途中の十字路を左折して突き当たりにある円光寺を目指す.
急な階段を登って,14時44分,円光寺に到着する.
前掲書(p.245)によれば,この寺は真言宗.山号は城護山.玉縄城主北条氏時が玉縄城中,城下の平和の祈願所として建立.開山は澄範という僧とのこと.元和5年(1619年),玉縄城が廃城になってから,現在地に移設されたという.
<円光寺>
<久成寺>
■裏道を辿って久成寺へ
円光寺では殆ど時間を潰さずに,再び元岐れ路まで戻る.先ほどの路地の続きを歩く.狭い路地の両側には民家がビッシリと建ち並んでいる.
14時50分,路地は三叉路に突き当たって終わる.左手には長い石段がある.この石段を登ると二伝寺がある.二伝寺から藤沢駅まで歩こうという誘惑に駆られるが,もうかなり時間が押している.今日の所は「ふわん坂」を登って,玉縄城趾脇から七曲がりを下ることにする.その前に,久成寺を御参りしておこうと思う.
三叉路を右折してすぐにバス通りに出る.ここを左折.ちょっと急な登り坂を数十メートル登ってから横断歩道を渡って,14時53分,久成寺に到着する.
山門を入るとすぐ左手に日蓮上人立像が安置されている.
<二伝寺に向かう階段> <久成寺の日蓮上人立像>
■久成寺
前掲書(pp.245-246)によると,この寺は日蓮宗.山号は光円山.小田原北条家臣梅田尾張守秀長が永正17年(1520年)建立,開山は常光院日舜だとのこと.この寺に長尾定景の墓があるという記事があるが,私は何処にあるかまだ確かめていない.
この寺には忘れられない思い出がある.もう10年ぐらい前になるだろうか,私は山友達の仙人と一緒に大船から久成寺経由で藤沢まで歩いたことがある.そのとき,久成寺山門前で一休み.歩き出したときに,私は大きな石の陰に大切な者が入ったポーチを置き忘れた.藤沢に到着してから,ポーチがないことに気がついたが,どこで紛失したのか分からず,往路を老蘇犠打辿ったが見つからない,しかたなく大船駅前の交番で紛失届を出した.そして,預金通帳,クレジットカード類全てをストップさせる手続きをした.
ところが,1週間ほど経ったある日,久成寺の奥さんから電話があり,庭掃除をしていたら,私のポーチが見つかったとの嬉しい知らせである.勿論,私は一寸した手土産を持って,久成寺までポーチを受け取りに行った.それ以来,私は大切なものは絶対に手放さないようにしている.
<久成寺>
<ふわん坂曲輪と陣屋坂>
■ふわん坂曲輪を登る
14時57分,久成寺を出る.
14時58分,久成寺から大船方面に少し下ったところにある,ふわん坂曲輪(えんしょう)の登り口に到着する.そこには,大きなマンションの敷地の一角に申し訳なさそうに2基の石塔が立っている.
石塔に沿って左折する.すぐに鬱蒼とした木立に覆われた急な登り坂になる.道幅が少し狭くて,人通りが全くないことを除けば,銭洗弁天前の急坂に良く似た感じである.正に鎌倉の隠れた秘境と呼んでも良いかもしれない.
<ふわん坂登り口にある石塔2基> <昼なお暗いふわん坂>
■ふわん坂曲輪の平場
下の写真はふわん坂を登り切る少し手前である.
前掲書(p.243)の記事によると,この坂を登り切った両側にある平場は,下から登って来る敵を頭上から攻撃するところだという.また,同書によると,この坂をどうして「ふわん坂」というのか良く分かっていないが,不安からきた名だという説もあるようだ.
坂道を登り切ると,至って平凡で平らな住宅地になる.
<ふわん坂の上がりきる手前> <平凡な住宅地に出る>
■陣屋坂から曲輪櫓跡へ
15時12分,ふわん坂を登り切って一番高いところを通過する.そこから先は平凡な受託地に変わる.住宅地の途中から,今度は極々緩やかな下り坂になる.
15時03分,城廻のバス道路にT字型に突き当たる.ここがふわん坂の下り口である.T字路の角に石原工務店の看板がある.この看板が下り坂を探す唯一の目印である.
T字路を右折する.2車線の狭い道路である.時々車が通るので,通行に要注意である.
15時06分,次の三叉路に到着する.突き当たりの高い石垣の上に鎌倉青年団が建立した玉縄城趾碑が立っている…が,狭い階段を上り下りするのが億劫なので見物は省略する.
このT字路を右折すると陣屋坂である.陣屋坂を下ると植木付近に降りることができるが,今回は折角ここまで来たのだから,七曲がりを下ることにする.
<ふわん坂下り口の目印石原工務店> <陣屋坂下り口にある石碑>
<玉縄城趾>
■玉縄城の概要
T字路を左手に進む.この辺りは玉縄城の南縁に当たるところである.左手が山側である.道路の両側にはやや小振りの一戸建住宅が建ち並んでいる.
15時08分,住宅地を通り抜けて,七曲がりの下山口に到着する.このまま直進して,七曲がりを下ろうと思っていたが,この辺りが随分と変わって,綺麗になっていることに気がつく.
”ありゃりゃ…どうなっているんだろう”
私は,一寸興味が湧いて寄り道をすることにする.
七曲がり下山口の手前で右側の空き地に立ち寄ってみる.空き地に新しい看板が設置されている.まず目に付くのが,玉縄城趾の案内図である.まずはこの図を転載しておこう.
なお玉縄城については,稿を改めていろいろ調べてみたい(素人ながら…).
<玉縄城趾> 引用;玉縄城趾の案内板より
■植木1号市民緑地(曲輪櫓跡)
案内板によると,この辺りは植木1号市民緑地として,開発されている.
"ちょっと立ち寄って見よう…"
という気になって,看板裏手にある階段道を登ってみる.数十段の階段を登りきると,500~600平方メートル(好い加減な目見当だが…)ほど広場になっている.広場の中央には,6~7名の人が座れる木のテーブルと椅子が設置されている.グループでハイキング中に昼食を摂るのに丁度良い所である.
<市民緑地の地図> <緑地の広場>
■七曲がりを下る
そろそろ七曲がりを下ろうかと思っていると,老夫婦2人が私に話しかけてくる.近々仲間と一緒に七曲がりからふわん坂を散歩する計画なので下見に来たという.暫くお話しをする.どこから来られたんですかとの質問に,鎌倉中央公園辺りからと答えると,「ええっ…!」と目を丸くする.私としては歩きが少ないなと思っているのに…人それぞれだなと実感.
15時20分,七曲がりを下り始める.最近,七曲がりを綺麗に整備されてしまい,歩きやすくはなったが野趣はすっかりなくなった.
15時23分,鎌倉みどり学園脇の七曲がり登山口に下山する.
周囲は新興住宅地である.15時26分,長屋門に到着する.
<七曲がりを下る> <長屋門>
<龍宝寺前から大船駅へ>
■龍宝寺前から玉泉寺へ
15時29分,龍宝寺前を通過する.トンネルを潜ってすぐに左折する.
15時36分,玉泉寺に到着する.もう,投稿上限の2万字を越えそうなので,玉泉寺については別の機会に記事を書く.
■大船駅
16時丁度に大船駅に到着する.
<ラップタイム>
12:30 鎌倉中央公園清水塚口歩きだし
12:50 山崎の高台(12:53まで)
13:07 山崎交差点
13:15 妙法寺
13:31 フラワーセンター大船(14:17まで)
14:33 貞宗寺(14:35まで)
14:37 長屋門
14:44 円光寺
14:53 久成寺(14:57まで)
14:58 ふわん坂曲輪登り口
15:03 〃 下り口(石原工務店)
15:12 陣屋坂下山口
15:20 七曲がり下山開始
15:26 長屋門
15:29 龍宝寺前
[散策記録]
■水平歩行距離 7.5km
■累積登攀高度 137m
■累積下降高度 183m
■所要時間(休憩時間込み)
鎌倉中央公園入口発 12:30
大船駅着 16:00
(所要時間) 3時間30分(3.50h)
水平歩行速度 7.8km/3.50h=2.23km/h
(おわり)
「鎌倉あれこれ」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/03eacce77c9536a3005832e7a0392a31
「鎌倉あれこれ」の次回の記事
(なし)
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陽春の鎌倉;フラワーセンター・貞宗寺・円光寺・久成寺・七曲がり周遊
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