<オーウェル著『1984年』>
閑話休題:久々にジョージオーウェル著『1984年』を読む
2015年3月26日(木) 晴
半月板痛めて遠出できなくなったので,久々にオーウェル著『1984年』を読み返した.
最初にこの本を読んだのは昭和59年.
あの頃,VAN(付加価値通信網)が脚光を浴びていた.いわばネットワーク社会の黎明期だった.
でも,私にはオーウェルの描く1984年の世界は,全く荒唐無稽に思えた.
“いくら情報通信が発達したって,あまねく家庭にスクリーンがおかれて,生活の一部始終を管理されるなんて! あり得ない!!”
これが大方の皆さんの常識だったと思う.つまり『1984年』の世界は,あくまで空想の世界だという認識だった.
次に私がこの本を読んだのは昭和末期.いわばインターネット黎明期のことである.この本を読み返したときに,
“ひょっとすると,これからの世界は,『1984年』みたいなことになるのかな…?”
と,一寸不安になった.
・・・で,今,読み返すと,『1984年』で描かれていた世界など“チョロいな”と思えてくる.良いにつけ悪いにつけ,もうオーウェルが描いた世界をとっくに越えてしまっている.
皆が携帯端末持って,ゲームだ,lineだ,ビッグデータだ,セキュリティだ,オレオレ詐欺だ・・・と騒がしい.
ガラケイで頑張っている私など,若い世代から見れば,まるでシーラカンスのような存在だ.
オーウェルの描く世界は,あくまで国家対個人の話だが,現実の世界は,情報通信の発達に伴って,個対個,集団対集団,集団対個など,きわめて複雑な因果が絡み合った関係になってしまった.
今,第4次産業革命の真っ直中だそうだ.
私が物心を持った第二次世界大戦前の生き様は江戸時代末期とさして変わらなかった.
それなのに,私の短い人生の間に,第2次産業革命から第4次産業革命まで,経験してしまったことになる.だから,何となく窮屈で,落ち着かない毎日を送っているんだとつくづく思う.
私の世代には,携帯電話すら持たずに平然と生きて居られる方が沢山居る.世間的に見たら情報弱者,落ちこぼれに見えるかもしれない.確かに,携帯電話すら持っていない方とのお付き合いは厄介だ.でも,当のご本人は自分が不便だとはちっとも思っていない.
なまじブログをやったり,パソコンを弄ったりしている私のような存在は,まさにどっちつかずの情緒不安層ということになりそうだ.
この先,社会は一体どうなっちゃうんだろう!
誰にも未来なんて予想付かないはず.それは過去に未来学者が言っていたことがことごとく中途半端なことからも自明である.
未来なんて分からないものさ!
でも,やっぱり来し方行く末が気になる.
実に空恐ろしい時代ですね.
(おわり)
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