<大船観音>
春暖の鎌倉中央公園と大船観音
(単独散策)
2015年1月16日(金) 晴後曇
■やっぱりお散歩だ
冷たい風と雨に悩まされた昨日と一変して,今日はまるで春のような温かい一日であった.こうなると,幾ら家の中でやることがあっても,散歩しないわけにはいかない.私は午前中だけは我慢して本業と家の中の雑務をこなす.そして昼食後は全てを放ったらかして,バカカメラ片手にお散歩である.こんなときについつい口ずさむのが「口笛吹きと犬」という曲である.
いきなり余談になるが,私は古い時代の一寸した音楽や本に愛着がある.若い頃読んだ「地下鉄サム」や「雄猫ムルの人生観」などは,何かにつけて懐かしく思い出す.昼日中お散歩に出るときは「口笛吹きと犬」だし,丹沢塔ノ岳山頂の山小屋,尊仏山荘で華伊達美弥雄君(猫のミャ~君のこと)に会うと,
”こいつが「雄猫ムル」の生まれ変わりではないか”
と錯覚する.あるいは華伊達美弥雄君は宮沢賢治の「注文の多い料理店」の主人公のモデルではないかと何時も連想してしまう.
<今日の鎌倉中央公園上の池> <休憩舎付近>
■水温む
私は小さな音の口笛で「口笛吹きと犬」の曲を吹きながら,春を思わせる長閑な公園を散歩する.今日は実に良い陽気である.音楽に疎い私には「口笛吹きと犬」が何拍子の曲か分からないが,とにかく妙に散歩の調子に合うから不思議である.この曲に合わせて散歩をしていると,気分がますます高揚してくる.
散歩の途中で,ふと足を止めて,足元の池を覗き込む.
私の気のせいかも知れないが,池の水が随分と温んできたように思える.私は何とはなしに,暫くの間,池の水面を眺めている…決して何かを見付けようとして凝視しているのではなく.ただ見えるから見ているだけだが…
こんな意味のないことをしていると,私の心の奥底に潜んでいるもう一人の私がすぐに私を揶揄する.
"何をボサァ~ッとして突っ立っているんだ…! お前さんは魂が抜けた風船玉みたいだぞ,それも紐が切れている風船だ! もっとシッカリしなさいよ! 全く…!!"
私はもう一人の私の叱責で,やっと正気に戻る.
"まあ,とにかく自分の上昇教育のために,大船まではお散歩しよう.大船に着いてからのことは,また,そのとき考えよう…"
<池の水が温む>
■ししいし
山崎口から公園の外に出る.
山崎口の直ぐ近くにある「ししいし」を改めて見つめる.
”この石,何で"ししいし”って言うんだろう…”
これ私の率直な疑問である.
でも,この石をジッと見つめていると,何となく獅子の顔に見えてくるから不思議である.
<中央公園の”ししいし”>
■駅前でコーヒー
中央公園山崎口から,山崎,小袋谷を経由して,大船駅方面にブラブラ歩きを続ける.歩きながら私は,
"こんなに毎日のように,鎌倉くんだりを歩き回っているんなら,どうせのこと「鎌倉ブラブラ隊」みたいな同好会でも作ろうか…"
と余計なことを考える.
すると,すぐにもう一人の私が,
"よせ,よせ,止めときナ…お前さんの所なんか誰も来ないよ…"
と悪態をつく.本当に腹が立つ”もう一人の私”である.
温かい陽気に浮かれながら歩いていると自然に大船駅に到着する.大船駅に特段の用事もないので,駅前の某コーヒーショップに入り込む.
私ごときオンボロ老人が1人でノコノコとお店に入ってきたので,若い店員がギクッとした表情になる.そして,大きな声で,怖々,ユックリ,
「店内でお召し上がりですか…」
とメニューを私に差し出す.
店内はほぼ満席.混雑している.客のほぼ半数は若い人,その他には買い物帰りのおばあさんが多い.私ごときジジイは余り居ない.
"敬遠されたかな…?"
でもまあいいや.
220円也のコーヒーは,ヤッパリ自宅で飲むインスタントよりずっと美味しい.
<駅前の某コーヒーショップのコーヒー>
■大船観音を眺めながら…
夕方,大船観音を拝みながらバスを待つ(冒頭の写真).
何時もながら,バスは大混雑である.それも乗客は年配者ばかり.私は先に座った方に迷惑を掛けたくないので,発射時ガンの10分前には必ずバス停で並ぶようにしている.そのほうが気楽である.
帰宅後,PCを開く.数十通の着信メールがある.一々開いて読むのが面倒だ.メールを読むのは夕食後(あるいは明日)にしよう.
こうして貴重な今日一日を無為に過ごしてしまった.実にもったいない.
(おわり)
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(なし)
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春のように暖かな鎌倉中央公園と大船観音
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