<松井田宿に入る>
[改訂版]歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(5):松井田宿
(五十三次洛遊会)
2012年10月12日(金)〜14日(日)
※本稿の初出は2012年10月29日である.
初稿の記事の加除修正,追加を行った.
2012年10月13日(土) (つづき)
<松井田宿地図> (再掲)
<松井田宿の概要>
松井田宿は,江戸日本橋から第16次の宿場である.
資料3(p.102)によれば,宿内人口1009人.内,男547人,女462人.宿内惣家252軒.内,本陣2軒,脇本陣2軒,旅籠14軒の規模である.
資料1(pp.40-41)には,「南に特異な姿を見せる妙義山,北に上州最大の山城松井田城趾を控える.信州各藩の江戸廻りの中継地となり,米宿と呼ばれていた.屋根に大切な鬼瓦を載せた関東型商家の西限をなす」と紹介されている.
街角にで見掛けた商店街地図(2枚に分割して掲載).
↓(続き)
<松井田宿に入る>
■碓氷川と妙義山と絶景
自動車道路から左手の旧道に入って,ノンビリと歩いている.なだらかな登り坂が連続する旧中山道である.歩いていると知らず知らずのうちに高いところを歩いている.
13時40分,見晴らしが良いところで立ち止まる.眼下に碓氷川が流れている.その向こうには奇っ怪な形をした妙義山の一角が見えている.
妙義山と言えば,もう数年前になるが,山旅スクールの訓練で怖い岩稜コースを歩いたことを思い出す.妙義山は眺めるには楽しいが,あの岩稜コースには,二度と行きたくない.私は根っからの高所嫌いである.でも,まあ,今になれば楽しい思い出である.
私はそんなことを思い出しながら美しい風景をデジカメに収める.
<松井田宿の入口で立ち止まって美しい風景を堪能する>
■石塔群
13時50分,おびただしい数の石塔が建ち並んでいるところを通過する.それぞれの石塔が何かは,浅学の私には全く分からない.手許の文献にも詳しい説明はない.
やがて閑静な旧道は,再び自動車道路に合流する.
<旧道沿いの石塔群>
■庚申塔(?)
資料4(p.18)を頼りに歩き続ける.この資料には松永工業を通り過ぎたところに庚申塔があると書いてある.
14時01分,軒下に「松永工業(株)粉砕機」と大きな字が書いてある立派な工場に到着する.
「この辺りだよ・・・庚申塔があるらしいよ」
と同行の皆様に注意を促す.
しかし,周囲を探してもそれらしい石塔は見当たらない.ただ,小さな石仏らしいものが原っぱの中に2体置かれている.
これかな・・・でも,ちょっと小さいな.でも,まあ,この2体以外にそれらしいものはなさそうだ.な.じゃあ,これを庚申塔にしておこう(多分間違っていると思う).
<松永工業> <庚申塔かな>
<木戸内に入る>
■下木戸跡・ももんが堀
地図を確かめながら,14時10分頃,下木戸跡らしい所を通過する.しかし,それらしい掲示も何もないので,私が勝手にこの辺りだと思っているに過ぎない.
資料6によると,この辺りに「ももんが堀」があるようだ.
ここ下木戸から,上木戸までの全長6丁6間(約677メートル)を木戸内というようである.昔は木戸内の両側には堀割か完備していたという.ももんが堀(現在は暗渠)は,この両側の堀割の水を碓氷川に放流する目的で設置されたという.
■脇本陣跡
14時12分,松井田宿脇本陣跡に到着する.格子戸の家屋の前に,「脇本陣(字下町徳右衛門屋敷)跡」という案内板が鉄製の垣根に取り付けられている.
ただ,仕方ないことだが,周辺には昔を偲ぶよすがもない.
<脇本陣>
■崇徳寺
14時13分,崇徳寺入口に到着する.ここで左折して路地を50メートルほど入ると右手に崇徳寺がある.鐘楼のある立派な寺である.
資料6によると,この寺は臨済宗妙心寺派貞松山崇徳寺という.仏満忻禅師開山,足利尊氏開基.ご本尊は釈迦如来.観音堂には聖観音菩薩,千手観音菩薩,如意輪観音が安置されているという.
境内を一回りする.素晴らしい寺である.
<崇徳寺本堂>
■鐘楼と妙義山
崇徳寺観音堂脇に鐘楼がある.鐘楼の向こうに妙義山が見えている.素晴らしい情景である.そこでデジカメを構えてパチリ.
<鐘楼と妙義山>
■無料休憩所
14時29分,無料休憩所に到着する.ここで10分余り休憩を取る.
通りに面して吾妻屋が建っている.その奥は夏草が繁茂する広場になっている.広場の先にはもう一軒同じような吾妻屋が建っている「,「
幾分蒸し暑く感じるが,一同元気である.それぞれの方から「おやつ」が配られる.私も,先ほど購入した「割れセンベイ」を皆さんに食べて頂く.このセンベイ,割れてはいるが,味は特急品である.
休憩している吾妻屋の脇に水道がある.水道の脇にある案内板には,「この水は坂本宿の上流にある坂本浄水場より引いています.水を大切に使いましょう.使ったあとは必ず止めましょう」と書いてある.
■本照寺(?)
14時45分,休憩を終えて,私達は再び歩き出す.
47分,進行方向左手奥にお寺の建物が見えている,余り道草ばかりしていては先へ進まないが,どうやら真宗大谷派本照寺という寺のようである(間違っているかもしれない).
手許の資料ではこの寺のことは良く分からない.
<本照寺>
■松井田八幡宮
14時49分,進行方向右手の路地奥に,松井田八幡宮の鳥居が見えている.中山道から少し離れているが,折角だから行ってみることにする.例によって,私の前をAさんが歩いているので,どうしてもAさんの後ろ姿が写真に入ってしまう.
私は,また,ポチを連想してしまい,一人で見つからないように笑いをかみ殺す(Aさんゴメンナサイ.気を悪くしないで・・・).
資料9には,松井田八幡宮の「本殿の建物は江戸の初期の建築で他の建物はその後に補われたものである.本殿は桃山風の形式をよく伝えている.八幡宮の本殿は三間社流造りで,屋根は外部からは幣殿と連なり,更に拝殿に続いている.一種の権現造りであり,神佛混淆を示す適例である.
建物の配置も佛教的であり,境内に八角円堂を有し拝殿は護摩殿と称されている.本殿と均衡のとれた大きさであるにもかかわらず,その前方に割拝殿を称する建物を備えている.また,本殿,拝殿の周辺に敷きつめられた敷石は,敷方に特別な技巧をこらしてあり,後方の石垣の取方と共にめずらしい特色を有して神聖さを倍している.」という説明がある.
この説明文,神社に疎い私には完全には理解できないが,とにかく貴重なもののようである.
<路地奥に八幡宮の鳥居が見える>
■松井田八幡本殿
14時51分,路地奥にある松井田八幡本殿に到着する.
資料4(p.18)によれば,本殿は三間社流造りで江戸時代初期の建築で群馬県の重要文化財の指定を受けている,
資料6によると,境内の建築物の配置は仏教的で,神仏混淆を示す八角円堂もあるという.
<松井田八幡宮本殿>
■可愛いネコ
八幡宮参道の真ん中で遊んでいるネコを見付ける.飼い猫らしくて,人を恐れないで,ゴロニャンしている.可愛いので写真を撮る.
近くの民家の庭先を見ると,可愛い子ネコが無邪気に遊んでいる.子ネコの仕草が可愛いので,ついつい見とれる.
<八幡宮の前でネコと戯れる>
■上木戸
八幡宮から往路を中山道まで戻る.
近くに歩道橋がある.直ぐ近くに松井田小学校の正門がある.地図を見ると,丁度この辺りに上木戸があったようである.
先ほど通過した下木戸から,この上木戸までの間が木戸内ということになる.
<松井田城趾>
■庚申塔
地図を見ると,そろそろ松井田城趾が近い.
15時07分,立派な庚申塔の前を通過する.これまで丸い石の庚申塔が多かったが,ここの庚申塔は平たい石を使っている.
庚申塔の右隣に細長い石塔があるが,何を祀ったものかは分からない.
<庚申塔>
■補陀寺
15時09分,地図を見ながら松井田城趾と思われる十字路に到着するが,城趾らしい史跡は見当たらない.石垣の上に補陀寺の案内杭が見えるだけである.
この十字路を右折して,やや急な坂道を100メートル余り登ると左手に補陀寺がある,左折して道路の突き当たりにある補陀寺を詣でる.曹洞宗の寺.「関左休窟」の額が取り付けられた山門がある.資料8によると,「関左休窟」は,「関東一の道場」という意味だという.
立派で大きな本堂の前で合掌.
資料7には,「会津の善龍寺の根源である保科正直が創建した下総多胡の善龍寺も,
内藤昌月が再建した上野生原の善龍寺もこの寺から僧侶を招いて作りました.山城である松井田城の山麓にあり,この場所には大道寺政繁の居館があったとも伝わっています.」と紹介されている.
<補陀寺本堂>
<補陀寺山門>
■道祖神
15時17分,松井田警察署の手前でY字型の三叉路を左折して旧中山道に入る.長閑な集落の間を西南西に進む
15時19分,道祖神の前を通過する.
道祖神の直ぐ先で,信越本線の線路沿いの道になる.
<道祖神>
■新堀の一里塚跡
15時20分,新堀の一里塚跡に到着する.江戸日本橋から32里目の一里塚である.
ここに立ててある案内板によると,明治20年代まで,この中山道を挟んで南側と北側に一里塚があったようである.
<新堀の一里塚>
■踏切を渡る
15時26分,信越本線第十中仙道踏切を渡る.
資料によると,近くに鳥居坂石仏があるようだが,見付けることができないので,残念ながらそのまま通過する.
<信越本線第十踏切>
[追記]
文献や資料には「金井本陣」「松本本陣」などの記述があるが,私達は不注意で見落とした.したがって,これらは記事できなかった.
金井本陣については資料10に,「ほとんどの大名や例幣使が坂本泊まりであったことから,多くの大名がこの金井本陣に宿泊した.皇女和宮も宿泊された.」という記事と写真が掲載されている.
また,松本本陣については資料11に,松本本陣の説明板を写した写真が掲載されている.
(つづく)
[参考資料]
資料1;岸本豊,2007,『新版中山道69次を歩く』信濃毎日新聞社
資料2;ウエスト・パブリッシング(編),2008,『中山道を歩く旅』山と渓谷社
資料3;今井金吾,1994,『今昔中山道独案内』日本交通公社
資料4;五街道ウォーク事務局,発行年不詳,『ちゃんと歩ける中山道六十七次』五街道ウォーク事務局
資料5;安中市産業部商工観光課,発行年代未詳,「旧道日和(パンフレット)」安中市観光協会
資料6;松井田商店連盟;まついだどっとこむ,発行年未詳,「松井田宿まち歩き」安中市役所松井田支店地域振興課
資料7;http://www.geocities.jp/way_to_aizu/matsuida.html
資料8;http://www.geocities.jp/mrmaxsakura/jyousyuu02.html
資料9;http://www.city.annaka.gunma.jp/gakushuunomori/bunkazai/shousai.html
資料10;http://www.jinriki.info/kaidolist/nakasendo/matsuida_sakamoto/sakamotoshuku/kanaihonjinato.html
資料11;http://kk-kt.style.coocan.jp/tk0707.html
[加除修正]
2013/5/31 本文の加除修正.誤字脱字転換ミスの修正を行った.
「中山道六十九宿」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/9bc151d2fe8b31d9e4cfa2d6c13a2fc4
「中山道六十九宿」第6回目の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/d07a6d75e3b121bf37c6d9c3f955e08d
「中山道六十九宿」の次回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/058e73ce635fdd9d2b44a9e140f189ee
「中山道六十九宿」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/b0fff7ecf75b54c3f443aa58cfa9424e
※記事の正確さは全く保証しません.
この記事は,あくまで,個人的趣味.仲間達と情報を共有することを目的としています.第三者の方々を読者の対象とはしていません.
誤字,脱字,転換ミス,引用ミスなどあって当然ということでご覧下さい.ご不快に思われる方は,当ブログへのアクセスはご遠慮下さい.
※記事の正確さは全く保証しません.
↧
歩いて巡る中山道六十九宿(第7回):第2日目(5):松井田宿
↧