<芧木風除林を行く>
歩いて巡る甲州道中四十四宿(第8回);第2日目(3);芧ノ木・原の茶屋
(五十三次洛遊会)
2014年4月18日(金)〜20日(日)
第2日目;2014年4月18日(土) (つづき)
<ルート地図>
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↑-----------------(つづき)------------------------
※前掲図
<林の中の石仏・石塔>
■路傍の石塔群
私たちは八ヶ岳を眺めながら,瀬沢の集落を抜けて,9時58分,大きな石塔群を廻り込むようにして林の中の路を歩いている.
石塔群の中で一際大きな石塔には,何か文字が刻字されているが,かなり崩した文字なので,残念ながら私には読めない.観世音菩薩かな?
さらに,ここから2分ほど歩いたところに,また,石塔群が現れる.この中には馬頭観音と思われる石塔もある.
<路傍の石塔群>
■「しらかば園」で休憩
10時05分,「しらかば園」に到着する.園内の巨石の周辺で,ほんの数分,給水休憩を取ることにする.
10時10分,休憩を終えて歩き出す.
10時14分,旧瀬沢村と旧とちのき村の村境を流れる小川を渡る.小川の名前は残念ながら分からない.
<「しらかば園」で休憩>
<芧ノ木の集落を行く>
■野原の中の小さな水神
10時14分,小川を渡ってから,すぐ左手の原っぱに小さな水神が置かれているのを見付ける.ついつい見落としてしまいそうな可愛い神様である.でも小さな石に,ちゃんと「水神」と刻字されている.こんなのを見受けると,やっぱり嬉しくなる.
この辺りから旧芧ノ木村の集落に入る.
10時18分,集落の中の火の見櫓の前を通過する.
10時20分,舗装道路を横切る.
<野原の中の小さな水神> <芧ノ木の火の見ヤグラ>
■尾片瀬神社
10時26分,尾片瀬神社に到着する.
参道入口には,石造りの立派な鳥居が立っている.どうやら台輪鳥居の形をしている.神額に「尾片瀬神社」と書いてあるのがはっきりと見える.
私は神社の本殿をデジカメで撮影したいなと思う,そこで,同行の皆さんに,
「どうぞ先へ行っていて下さい…ちょっと写真を撮ってから追いかけます…」
とお断りして,鳥居を潜って,坂道を駆け上る.
ところが,運悪く,デジカメの電池が切れて写真が撮れない.悠長にリュックの中から電池を取り出している暇がないので,写真を撮らずに元に戻り,同行の皆さんに合流する.
なお,資料1によると,尾片瀬神社の祭神は瀬織津姫(せおりつひめ).災厄抜除の女神のようである.
<尾片瀬神社の鳥居>
■尾片瀬神社の本殿と石塔群
大急ぎでデジカメの電池を入れ替える.そして,一同から少し離れてはいるが,後を追う.
進行方向右手の山の中腹に,尾片瀬神社の建物が見えている.また道路脇には石塔群がある.そのなかに一際大きな石塔が立っている.
“しめた〜っ…,神社と石塔の両方を一度に写すことができるぞ!”
資料1によると,この大きな石塔はどうやら村境を守る神様のようである.
<尾片瀬神社本殿と石塔群>
■祠群と馬頭観音群
10時28分,沢山の石祠の前を通過し,10時34分に馬頭観音群に到着する.いずれも周囲がよく手入れされていてとても気持ちがよい.
<石祠群> <馬頭観音群>
<芧木風除林>
■赤松の林と草道
10時36分,芧木風除林に到着する.草道に沿って赤松の林が続く.ここは富士見町指定天然記念物である.
林の入口にある案内板の記事によると,この辺りは風が強くて五穀が実らなかった.そこで寛政年間(1700〜1800年)が高松藩に願い出て防風林として赤松を植樹したという.防風林は甲州道中に対して直行するように作られたという.
ここの風除林は樹齢200年,延長160メートルである.なお風除けと呼ばれる林は,藩の許可を得て設けられたもので,富士見町内にはこのような風雪林はおよそ30箇所あるという.
<芧木風除林>
■風除林付近の案内板
案内板には付近の地図が表示されている.この地図にはJR富士見駅からすずらんの里駅付近の見所が分かりやすく表示されている.
この地図を眺めながら,自分たちがこの地図のどの辺りを歩いているかを確認する.
<芧ノ木周辺案内図>
■村の方と雑談
10時40分,通りすがりの畑で,野良仕事をしている男性に会う.一行のお一人が,
「何を植えているんですか…」
と話しかける.これを切っ掛けにして,暫し雑談.
“土地の人とお話をするのも旅のおもしろみだな…”
と,“シャイ”で滅多に,行きずりの人とお話をしない私は,こんな交流を新鮮に思う.
<村人と雑談>
■重修一里塚
10時41分,一里塚跡に到着する.江戸日本橋から47番目の一里塚である.この辺りの標高は950メートルである.
資料1によると.この一里塚の塚木はエノキだとのこと.
資料2(p.353)によると,木の根元にある碑には「重修一里塚」と刻字してあるようだ.
<重修一里塚>
<原の茶屋>
■標高950メートル標識
10時44分,標高950メートルを示す標識を通過して,JR富士見駅からの舗装道路に突き当たる.
資料1および資料2(p.362)の地図を見ると,もともとの甲州道中は,この三叉路を渡ってそのまま直進する道だったようだが,今はその道はなく,前方には木々が点在する原っぱになっている.
<標高950m標識>
■道を間違えないように…
私たちは昔の甲州道中の道を迂回するように,三叉路を左折,さらにその先で右折する.
ただ,私たちのグループには,この辺りの様子を知っている人は誰も居ないので,資料1と資料2を参考にして作った地図だけが頼りである.リーダーのONさんと私が,
「皆さん,一寸待っていて下さい…」
と言い残して,これから行こうとしている道が正しいかどうか確かめる.そして,
「どうやらこっちらしいです…間違っていたら引き返しますよ…」
と言いながら仲間達を誘導する.
道路から少し離れたところに数基の石塔が並んでいる.
<立ち止まってリーダーと私の合図を待つ仲間達>
■甲州街道の標識
三叉路に「甲州街道」の標識があるのを見付ける.内心で,
“間違っていなかったな…”
と安心する.
前方には原っぱが広がっている.その奥にある中央アルプスの山裾が見えている.
広々としていて気持ちの良い風景が広がっている.
砂利道になる.
甲州街道の標識> <広い原っぱを通り抜ける>
■原の茶屋
原っぱの中の道を通り抜けて,10時57分,原の茶屋の標識が立っているところに到着する.この辺りには数軒の家が並ぶ集落になっているようである.
資料2(p.354)によると,昔は「芧ノ木から御射山神戸(みさやまこうど)の間には人家が1軒もなく,旅人が休むこともできないので,松目新田の与兵衛という人が明治9年に,この一体の原の真ん中に茶屋を出したのが契機となって,原ノ屋集落ができた」という.
<原の茶屋の案内板>
[参考文献]
資料1;完全踏査街道マップシリーズ「ちゃんと歩ける甲州道中四拾四次」五街道ウォーク事務局
資料2;今井金吾,1998,『今昔三道中独案内 日光・奥州・甲州』日本交通公社
(つづく)
甲州道中」の前回の記事
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/55e49892273448f06b7c4f69eee381a0
「甲州道中」の次回の記事
(編集中)
「甲州道中」の索引
http://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/a622a87fbc7f4454e3e837fc990ece58
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