セピア色の画集(第9話);昔々のスケッチ;大阪中之島(4);昔を偲んで
<<60余年前の記録>>
第8話
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https://blog.goo.ne.jp/flower-hill_2005/e/bf9fe8ec0f20af566112f30cdc84d4ce
2020年6月26日(金)
昔々の下らない絵を,これでもか・・・,これでもか・・・というように立て続けに投稿していたら,せっかく当ブログにお越しいただいた方から,
「飽き飽きしたよ・・・!」
と言われそうだが,この種の投稿は勢いに乗って,”えいやっ”とやらないと息が切れてしまう.そこで,今日は,せっかく早起きをしたので,ちょっとがんばって,この記事のほかに,もう一本,別の記事を投稿するつもりである(気力が消失してしまったら実現できないが・・・).
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さて,この絵も,例の壊れた万年筆で画いたもの.当時の私は20歳代前半.寝屋川に住み,京都に通うビンボー学生だった.学校にはまじめに通っていたつもりだが,学校の授業とは全く無縁な,こんなろくでもない絵ばかり画いていたので,当然のように成績は芳しくなかった.
当時,私がいくら若かったとはいえ,1日にそう何枚ものスケッチをするほど熱中していたわけではないので,この絵は,これまでここに投稿したスケッチとは,多分,別の日に画いたものに違いない.
なにせ60年以上も前の風景だから,多分,今頃は大きく変貌しているだろう.
私もサラリーマン現役時代,もちろん何回も大阪まで出張していたが,いつもトンボ返りだった.だから,このスケッチを描いた場所には,60年あまりの間,一度も訪れたことがない.
当時,休みの日になると,ときどき大阪まで足を伸ばしていた.中之島周辺の都会らしい雰囲気と川の風景がとても気に入っていた.
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あれから幾星霜.
俗に10年一昔というから,60年とはとてつもない長い時間だともいえる.
20歳代だった私は,自分が画いた絵を60年経ってから,懐かしがって見るだろうなんて,予想すらしなかった.今,私は自分の絵を見ながら,60年前へタイムスリップしている.長いようで短かった自分の人生,短いようで長かった自分の人生,なんだか何もしていなかったような自分の人生.いったい何だったんだろう.
そういえば,こういうの「走馬燈のように・・・」と表現していたなあ・・・
今は,コンピューターとネットワーク,走馬燈はどこかへ行ってしまった.
(第9話終わり)
第10話
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(思案中)
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