セピア色の画集(第4話);フェルトペン画;真夜中の台所
<<60余年前の記録>>
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2020年6月4日(木) 曇り後晴
梅雨入りは未だだが,今日も蒸し暑くて何だかスッキリしない.
例のコロナ騒動だが,今日もまた東京の新規感染者の人数のことで一喜一憂の毎日の連続である.私が関係している山や散策の会も,そろそろ再開するグループがある反面,まだ慎重に構えているグループもある.私自身も一日でも早く山に復帰したい気持ちがあるのは山々だが,山へ向かう途中のバスや電車の混雑が怖くて,まだ歩いて行ける範囲の鎌倉・藤沢地区をうろうろしているだけの毎日を過ごしている.
とはいえ,コロナ騒動のメリットを敢えて上げれば,第1に毎日の生活が,午前中は「頭の体操」,午後は「身体の体操」と区切りをつけて過ごせるようになったこと.第2にリアルな世界では人に会えないものの,zoomなどを使って,ネットの世界で人と会えることが分かったことである.これまでバーチャルな世界だけでは「リア充」は得られないとばかり,端から思っていたが,実はそうではなく,時と場合によってはバーチャルな世界でも「リア充」が十分得られることが実証されたことである.
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さて,ここからが本日の話題である.
今回はセピア色の画集の第4話.
舞台は60余年前の昭和33~34年頃.過去に遡る.今の私はボロボロの瘋癲老人だが,60余年前はまだ20歳代前半.夢多き学生だった.
このシリーズでも,当時,下宿していた寝屋川での台所などのスケッチ画を披露してきたが,今回は台所をテーマにしたスケッチ絵の締めくくりとして,何ともヘンテコリンは絵を披露することにしたい.お断りしておくが実に噴飯物の絵だが,当時の私は真剣になってこんな絵を描いていた.
この絵は題して「真夜中の台所」.
私たちが利用していた台所は,外部と隙間だらけの荒壁で仕切られていた.夜になると野良猫やネズミが自由自在に出入りして残飯あさりをする始末.もちろん彼らに残飯を与えるほどの余裕がないので,残りの食料などはバッチリ仕舞い込むが,ネコも結構頭が良いので,時々はなけなしの残飯をせしめられてしまうこともある.そんな憤懣やるかたない気分を表現したのがこの絵である.
なにせ,20歳代の青年の未熟な絵である.
この絵も,郷里の母に送った絵手紙の中の1枚である.この絵を見て母はどんな感想も持ったろう.今となっては知る由もない.
絵の裏面には熱っぽく以下のような添え書きがある.少々長いが記録しておくことにする.
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真夜中の台所
猫と鼠の天下です.左の黒いところは鼠の穴のつもりです.下部は床板の木目で左したの変なものは鼠です.魚をうっかり置いておくと決まって猫か鼠にやられます.でも猫と鼠が一度に現れることはまずない様です.
こんな感じの変てこな絵でも,画いて見ると仲々(注;中々の誤り)思う様にならないことが判りました.
目茶目茶に書くということは又違った意味での技術が要するものゝ様です.
尚,左上は棚を表しています.右上の大きな眼は我輩の眼です.左の魚と皿,それに鼠の穴の辺が猫の右目のところから少し明るくなっているのは(棚のヘリと机のヘリのとの間)猫が魚と鼠ににらみをきかせている積もりです.なお机は猫の鼻の頭で交は(注;旧仮名遣い)る二つの直線で表は(注;旧仮名遣い)しています.つまり一本は猫の背中を通って右の方へ行き,後の一本は,魚と皿を通って左下に向かっています.右の魚は猫の体の中に書いてあるので,猫の腹におさまった魚と解釈しても良いし,又 机の上の魚が,猫のため皿から外に落ちたと解釈しても良い積もりです.兎に角右上の私達の目のとどかない所にある訳です.鼠の尾が猫のひげにつながっているのは,この台所に鼠がいることが,猫をしてここへ来さしめる理由の一つになっているという意味で,又,穴のそばに猫の足あとがあるのは,猫がこの鼠に大きな関心を持っていることを表は(注;旧仮名遣い)します.中央上の星は勿論夜を表は(注;旧仮名遣い)します.この星は白く残しておくべきでした.机と床がゝ高さにあるのは一寸変てこですが,跳めることの得意な猫には,机と床との間に一向区別をつけられないので,猫にとっては同じことです.したがって床の木目が机の中まで入り込んでも一向に不思議なことではありません.右の方に机の一部が黒くなっていますが,これは猫が醤油をこぼしたため止むを得ず黒くしました.
この絵は真夜中の猫の活動の写実で,一時間をとらえた様な普通の絵とは少し違い,猫の活動を或る時間の間とらえたもので映画と同じものと考えます.一枚の絵に時間的なもの,つまり四次元的なものを表現するにはどうしてもこうする以外にない様です.なお,この絵は,画いている本人は一点に静止し対照物が或る時間動いた軌跡とも云えます.つまり天動説的に(注,「な」の間違い)見方です.こんど猫に座標をおいてこれをおう人間を四次元的に表現したらどんなことになるでせうか(注;旧仮名遣い).又,猫と人間を同時に動かしある絶対点(この点が何處にあるかは判りません)から,これを絵にしたら,さぞ面白いことでせう(注;旧仮名遣い).
一度こんな絵を画いて見たらいかがです.
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今,読み返すと,
”なんとまあ暇なことよ”
と唖然とします.
こんな下らない絵を画いたり,文章を綴るのに一体何時間掛けたんでしょうか?
絵の勉強など全くしていなかったのに,何となく現代アートに通じることを偶然していたようにも見えます.文章の中に旧仮名遣いが残っているのも,あの頃の懐かしさということでしょうか.
くれぐれもお断りしておきますが,この絵は20歳代前半の「青っぽい青年」の絵で,今の私の絵ではありません.
(第4話終わり)
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(準備中)
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セピア色の画集(第4話);フェルトペン画;真夜中の台所
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